2018年 01月 18日
Bottom Out
みなさんご存じのように
12月半ばから、大きなJ先生のご体調が急に悪くなりました。
常識的に考えたら、アメリカへの長旅は
当然キャンセルすべきような状態でした。
しかし先生は
ぜったいに行く。と。
これがリンポチェにお会いする旅でないなら
キャンセルしたと思うのですが・・・
これまで、いつどこへ行くときも、先生はお兄ちゃん役で
一切のチケットを管理して先導してくださっていました。
ですが今回の旅では
いつもは妹役に甘んじている私が
しっかりしなくてはなりませんでした。
どれだけ状態が悪かったかというと、
重い荷物を引っぱっては、最寄り駅まで歩くのも無理なほどだったので
家から関空までタクシーに乗って行きました。
2万円ぐらいかかりました~(>_<)
ロサンジェルス空港でフェニックスまでの国内線に乗り換える
その通路の遠かったこと!
正直、車椅子を借りようかと思ったぐらいでした。
フェニックスで1泊して
翌日プレスコットまで2時間のシャトルバス。
バスを降りてからガルチェン・インスティテュートまでタクシーで
泥だらけの primitive road を1時間。
ようやく山の上の事務所で手続きをして
施設の概要を説明してもらい、
また少し山道を下りて
中腹にあるゲストハウスに入りました。
遠かった!
予想以上に遠かったです~(>_<)
12月29日、最初の夜、
先生は夜中に2度も鼻血を出されました。
寝ていると、いきなりぽたぽたと出血するのです。
その日に貸してもらったばかりの枕カバーもシーツも
持って行った寝間着も血だらけです。
途方にくれてしまいました。
翌朝、朝食を運んできましょうかと申し出たのですが、
やはり先生は拒否されて
ゆっくり、いっしょに坂道を上りました。
先生は足が上がらないようです。
まっすぐに歩けません。
身体のバランスがうまくとれないようです。
砂利に足をとられそうになるので
手をつないで歩きました。
長く苦しい坂でした。
その日、先生は休み休みしつつ
リンポチェの金剛さったの灌頂を受けられ
夕食のあと、
満月に近い大きな月が昇る道を
先に宿へと下りていかれました。
私は「ターラー菩薩成就法」の実習に出ることにしたので
Temple で、他の人たちといっしょにお唱えをしながら
さっき山道でJ先生とお別れしたその光景が何度も何度も浮かんできて
泣けてしようがありませんでした。
2017年が終わります。
今年は父が亡くなりました。
おひげリンポチェも亡くなりました。
大きな丸い月。
背の高いJ先生の少し丸くなった背中。
土埃の薄暗い急坂を
いつものように首を少し右にかたむけて
一歩一歩下りて行かれる姿。
・・・そして私はここに残っています。
いつかこのような別れがくることを
見せつけられたような気がしました。
Teaching や Practice の間、
私はずっと出入り口近くの最前列の席にいましたが
J先生は、いちばん奥の壁際の椅子席を選んで座っておられました。
翌31日の昼食休憩の時、
先生は、奥から座布団の間を縫って出口まで歩いて来る間に
バランスをくずして転倒してしまわれました。
特にお怪我はなかったものの
身体を支えきれず転んだということに
とても落ち込んでしまわれて
見ていて気の毒なほどでした。。。
思えばこのころが、底だったかもしれません(T_T)
by prem_ayako
| 2018-01-18 00:27
| tibet