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アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

Tashi House

Teaching にはさまざまな人種の人が参加していましたが
ほぼ全員がアメリカ在住者だったようです。

黙っていたら、私たちもアメリカに住む Chinese かと思われるみたいで
Japanese だと言うとかなり珍しがられた上に
日本からわざわざ来たと聞いて、さらに驚かれたものです。

私たちが10泊したのは
インスティテュートの敷地内だけれども
山の上の temple や食堂からだいぶ下ったところにある
タシ・ゲストハウスというおうちでした。

テントでの雑魚寝、寺院内での雑魚寝、
キャンピングサイト、自分のテント、車中泊、
と選択肢はいろいろありましたが、
ベッドを確保できるのはここだけだったので
軟弱な私たちは、当然、この冬のさなか、
少々お金がかかっても安全そうなタシ・ゲストハウスを選びました。

同じように考える人はわりと多いようで、タシ・ハウスのお部屋だけは
インターネット予約する際に、見る間に埋まっていったのでした。

というわけで、
ガルチェン・インスティテュートで最もゴージャスな(はずの)タシ・ハウス。
まず入り口からご覧に入れましょう。

Tashi House_b0253075_16564119.jpg

内部には、いたるところにリンポチェのお写真、
ターラー菩薩のお写真が飾ってあります。
素敵でしょ。

Tashi House_b0253075_16570312.jpg

立派なキッチン。
車で来る人たちはもちろん自炊です。
ただし、ペットボトルの水一本、ここにはありませんので
麓の町まで悪路を1時間走らなくてはなりません。

Tashi House_b0253075_16572290.jpg

シャワーは1つ。
お風呂はなし。
トイレは2つ。
2人~4人部屋が5つぐらいかな。
ここで、カップル2組とあと7~8人が共同生活をしました。


「マリーゴルド・ホテル」という映画をご存じですか?
数年前に飛行機で観たのですけど
タシ・ハウスの生活は、ちょっと「マリーゴルド・ホテル」みたいでした

つまり、さまざまな同宿者、それぞれのキャラがすごく立っていて、
最初はよそよそしかったのが、共に生活するうちに
ほんとに仲の良い family になっていった感じなんです。

もちろん全参加者100人ほど、みなけっこう仲良くなるのですが、
タシ・ハウスの同宿者は特別でした。


少しご紹介しましょう・・・

日本人にはまずいないだろうタイプのキャラなら、Donna(ダーナ)でした。
いつも真っ黒なパンツスタイルで、ふわふわの銀髪に銀縁眼鏡。
私は勝手に「お蝶夫人」と呼んでいました~(^_^;)

Takiko の次に怖い人ねと最初は思っていましたが、
どうやら、短いシャープな冗談が好きなだけだったみたいで
言葉の不自由な私たちのことをとても気にかけてくれて
ありえないほどおせっかいをやいてくれました。
言うとおりに動かないとちょっと怒られるぐらいの勢いで(笑)

私たちが帰りの交通手段を確保できたのは、
ひとえに Donna が親身に協力してくれたおかげです。
バス会社への連絡を手伝ってくれたり
友達の Steve に話をつけてくれたりしたのです。
ほんとにありがとう!


カナダから来た Sally はとっても太って足が悪く、
いつも杖をついてゆっくり歩いていました。
Temple の外の靴脱ぎ場でよくお喋りしましたっけ。
Donna みたいに前には出てこないのだけど、
私たちを何気なく見守ってくれていて
必要なときに、すぐ手助けを申し出てくれました。

ご両親が oriental 好きで(ちょっとニュアンスがよく分からなかったけど)
妹さんがテーラバーダ(上座部仏教徒)でタイに住んでいるそうです。
彼女自身、インドにもチベットにも旅をして、いろんなラマに会ってきたようです。
そのうちにガルチェン・リンポチェに行き着いたのだとか。


名前を忘れてしまったけれど、ミネソタ州の漢方医はスペイン人で
まじめで、やさしく静かな若者でした。
彼はタシ・ハウスのリビングルームに
いい香りの incense をまいてくれました。

彼とガルチェン・リンポチェとの出会いはずっとずっと前、
アパートの友達の部屋でだったそうです。
帰宅した彼が扉を開けると、20人ほどの人が集まっていて
正面にマニ車をくるくる回すチベット僧がいたといいます。
体験したことのないことだったのでよく覚えていて、
何年も経ってから、それがガルチェン・リンポチェだったと知ったのだそうです。



そして最も驚くべき出会いは
Brian と Patris の夫婦でした。

Brian の声はとてもやわらかく、
話し方がちょっと Walton 先生に似ていて聞き取りやすかったので
最初の日から私は、彼にはなんだか気を許せていました。
Patris はブロンドの美人で
Brian が Patris にぞっこんなのは、傍目にもよく分かりました。

なんとなくいい感じのカップルだな~とは思っていたんですが

ほとんどもう teaching も終わる頃、たまたま食堂で隣同士に座ったときに
はじめてお互いのことを詳しくシェアし合ったら、
たくさんの共通点があることが分かったんです。
夫婦になってからの年数や
子どもや孫の数や年齢や
自分たちの年齢や
職業まで!

実は Brian は
若いころに16世カルマパと出会い
インドのダラムサラで得度した
チベット僧だったのです。
カルー・リンポチェの指示で、フランスのカルマ・カギュ・センターに赴いた
4人の西洋人のうちのひとりだったということです。

18年後、身内の死に際してアメリカに戻り、還俗し、
チベット語の通訳でしばらく暮らしていたそうです。
何冊か翻訳書を出しているようです。

さらに後年、仏教の教えを生かしてセラピストになり
非行少年たちの更正や
家庭的に恵まれない子どもたちの援助に尽くしてきたそうです。

今、60代後半ですがすべての仕事を引退し
ダラムサラで若い頃に見そめて以来思い続けていた Patris と、
数年前、ついに結婚したんですって!

 十代の Patris は、息をのむぐらい美しかったんだよ!
 でもそのころ僕はチベット仏教に恋していたし
 彼女は亡命チベット人と結婚してしまったんだ。
 再会して、今こそ Patris と結婚する時だ!と思ったんだ。

ということで。
ごちそうさまです(^^)

しかし、驚くべき人生ですね。

タシ・ハウスで最後の夜、私は Brian と2人だけでたくさんたくさん語り合って、
今までここで誰にも打ち明けなかったこと・・・つまり
もともとはとても活動的で聡明なJ先生が
ここに来た当初、たいへん具合が悪くて心配な状態だったこと、
それがリンポチェからお薬をいただいて
劇的によくなってきていることなどを
彼にだけ、はじめて話しました。

伝えたい内容を伝えたい相手に伝えるなら
すらすらと言葉が出てくるものです。
私はずっと胸にしまっていたことを Brian に話すことができて
とても癒されました。
Brian は心から、J先生の健康を祈ってくれました。

彼と出会えたことは大きな収穫です。
お互いのアドレスを交換したので、いつかまた会える日があると思います。



出発の前には
タシ・ハウスに残っていたみんなとお別れをしました。
出会えてよかった
いつかまた、会いましょう、と。

いつかまた・・・
Someday in future.

人生に何が起こるかは誰にも分かりませんから
いつかまた、本当にここに来ることがあるかもしれません。
Nobody knows....

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by prem_ayako | 2018-01-24 16:58 | friends

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako