2017年 09月 09日
About My Father
シンガポールに持って行く荷物の中に
忘れず納めたのは、父の写真です。
死者供養の際に、父の名前といっしょに燃やしていただこうかなと思って
遺影に使ったファイルをL判の印画紙に印刷して、
裏に父の戒名と生年月日・亡くなった日を記して持って行きました。
ガルチェン・リンポチェにカタを献げるとき、
通訳のW先生にお願いして、ちょっとそばに来ていただきました。
そして私の番になったとき、通訳してもらって次のように言いました。
「この6月10日に父が亡くなりました。
これが父の写真です。
死者供養をするつもりなんですが、
父の顔を、ひと目リンポチェに見ていただきたくて・・・」
リンポチェは父の写真を手にとってご覧になると
「亡くなっても心にいるので、
いつもいっしょじゃよ」
とおっしゃいました。
私が自分の耳で聞き取れたのは
リンポチェがご自身の胸を叩いて
「セム」とおっしゃったところだけです。
でもそれだけでじゅうぶんでした。
胸がいっぱいになりました・・・
ちょっとの間リンポチェのお手に触れたまま、ものが言えませんでした。
リンポチェが手にとってくださった父のこの写真は、
燃やさずにとっておこうと思います。
後で、この時のお言葉を何度も思い返すのです。
以前、大きなJ先生のお母さまが亡くなられ、直後にシンガポールへ行った年、
ガルチェン・リンポチェはお母さまの写真をご覧になって
「リトリートの中で死者供養をするから、そこに出しなさい。
祈れば必ずデワチェンに行けるであろう」とおっしゃいました。
なので私はなんとなく、このたびも同じお言葉をいただくものだと思っていました。
でもそうじゃなかった。。。
父は私の心の中にいつもいる・・・
というお言葉をいただいたのでした。
・・・リンポチェは、相手への慈悲からお言葉をくださいます。
私の父への思いを見て取られて
こう言ってくださったのではないでしょうか。
アミデワ・リトリートの期間中、
主に心の中でいろんなことが起こりますが
このできごとを反芻しながら「おんあみでわふりー」を唱えていると
あるとき、畏れ多いことですが、父とガルチェン・リンポチェが重なりました。
思えば私のリンポチェへの愛着は、
子どもが父親に対してもつ愛着に似ています。
私にとって父は、やさしくて絶対的な存在。
疑いなく私を愛してくれる人でした。
あまり側にいられないけれど、できるだけ側にいたい人。
そして高齢となった父は
壊れやすく、なんとしても労りたい。
その人生を、できるだけ苦少なくまっとうしてもらいたい。
尊敬と感謝と慈しみとが入り混ざった
なんともいえず愛しい存在でした。
ガルチェン・リンポチェもそう遠くない未来に、涅槃に入られます。
この方も、私の前から去っていかれます。。。
そうか・・・いつも心の中にいるのは父だけではありません。
リンポチェは、ご自身が肉体を離れられても
わしはそれぞれの心の中にいる
いつもいっしょじゃぞ
(悲しむことはないんじゃぞ)
と教えてくださったのかもしれません。
心は鏡のようなものである、と
初日のご法話でおっしゃっていたような気がします。
穢れた心でいるならば世界は穢れて映るし
浄い心でいるなら世界は美しく映る・・・というような。
すべてが心であるならば
父も・・・すべての死にゆく者たちも
いっしょにいるのだという物語を映すこともできますし、
いや(デワチェンに行ったのだから)いっしょにいない
という物語を採用することもできるでしょう。
リンポチェは私の心の耐性に合わせて
慈悲の物語を与えてくださったのだと思いました。
(T_T)
おんまにぺめふむ
by prem_ayako
| 2017-09-09 22:50