2016年 10月 19日
新潟総会
第33回日本アドラー心理学会総会に参加するため、
先週末、新潟へ行きました。
ずっと病気療養中で会えていなかった友、おかけいに
この総会ではきっと会えるだろう、と楽しみにしていましたが
おかけいは4月に亡くなってしまいました。
そろそろ、おかけいのことを書くことができそうです。
おかけいが肉体を離れてから、
シンガポールでも台湾でも、ガルチェン・リンポチェの法要で
いつもおかけいのことをお祈りしていました。
もうすでに極楽に生まれ変わっているに違いない、とも思っています。
でもやっぱり
新潟に行って、良かったです。
おかけいに会えて、きちんとお別れができたような気がします。
しばらく雨が続いていたのが
新潟に着くと、とてもいいお天気!
ホテルへの送迎バスから見る越後平野の広がりはとても美しく、
すでにこの時点で、おかけいが歓迎してくれているんだなあ~と感じました。
総会の会場に入ると、
会場のいちばん後ろに
彼女の遺影が飾ってありました。
そのお写真の、綺麗だったこと!(T_T)
あとで知ったのですが、ご主人からお借りしてきたものだったようです。
ほんとうに美しい、やわらかな笑顔で
タートルネックのセーターがよく似合っていて
私のよく知っている元気なころのおかけいでした(T_T)
このおかけいが、後ろの席からずっと総会を
見守っていてくれました。
いろいろと重要事項の決議もあり、いつになく気の張る総会だったのですが
・・・たぶん、おかけいを知る人はみな、
おかけいの存在を感じていて
彼女のために和していこうとしていたように思います。
空中に、おかけいのエネルギーが充満していたと思います。
私の出番は、最終日の午前9時から12時までのシンポジウムでしたが
その日は早朝からなぜか目が覚めておりました。
ホテルの部屋の外に大きな池があって、その方向から
「こーこー」と、渡ってきたばかりの白鳥の声が聞こえます。
その声を聞きながらお布団の中で、
おかけいのことをたくさん思い出しました。
パセージリーダー養成で出会って友だちになったこと。
その後、大阪で会ってはおしゃべりしたこと。
長電話もいっぱいしたこと。
離婚前の私の家に、何度か泊まりにきてくれたこと。
そういえば、私のパセージを見学にも(!!)来てくれたこと。
そして私がカウンセラーになりたての頃・・・
事例検討会で事例を出すたびに先輩や先生方から
出来ていないことをたくさんたくさん指摘され落ちこんでいた頃。
おかけいも、「う~ん」と首をかしげて
私の下手さ加減に不満を示しながらも、
私が食らいついていくと、時間をつくって相手になってくれました。
そうして私を鍛え、勇気づけてくれました。
私があの時期に諦めず、アドラー心理学を学び続けることができたのは
おかけいのおかげです。
月日が流れて私が心理療法を臨床でするようになった頃、
ひとり暮らしの大阪の家にも泊まりに来てくれました。
夜おそくまで、ケースについて語り合いました。
たのしかった。本当にたのしかったです。
心理療法士試験を受けたときも、その場にいて、見ていてくれました。
だから私の心理療法士認定書には
認定者として、おかけいと野田先生と、おふたりの名前が記されているのです。
合格した翌日、しみじみと
ーあやちゃん、昨日の夜、事例検討会でいろいろあったこと思い出してさあ、
ほんとよくがんばったなぁって思ってさ~
って言ってくれました。。。
この日が、おかけいに会えた最後だったんです。
またきっと会えると信じていたのに・・・・・
こうして学んできた、ひとつの区切りになるのが
ひょっとしたら今日のシンポジウムかもしれないな、と思いました。
まだまだ、ほんとにまだまだの私だけれど、
おかけい、私、ここまできたんだよ。
見ていてくれるね?
シンポジウムが始まると、
一匹のハエが、私たちのまわりを飛び回り始めました。
私を含め6人のシンポジストが壇上にいたのですけど、
話をしているシンポジストのまわりを、このハエが飛ぶのです。
「ハエ、五月蠅いな」と言ってる人もいましたけど(^^;)
休憩時間に、シンポジストのひとりが
「あ、おかけいさんだね」と言いました。
そう。
おかけいは菩薩ですから、ハエに転生するはずはありません。
でもこの日は、もう遺影が引き上げられていましたから、
たぶんおかけいはハエを依り代にして、ハエの体を借りて
私たちを見守ってくれたのでしょう。
私が発表する番になると、
やっぱりこのハエさんは私の眼の前にきて
手をすり足をすりし、しばらく留まっていたのでした。
ハエさんを愛しく観察したのは
これが生まれてはじめてでした(笑)
先週末、新潟へ行きました。
ずっと病気療養中で会えていなかった友、おかけいに
この総会ではきっと会えるだろう、と楽しみにしていましたが
おかけいは4月に亡くなってしまいました。
そろそろ、おかけいのことを書くことができそうです。
おかけいが肉体を離れてから、
シンガポールでも台湾でも、ガルチェン・リンポチェの法要で
いつもおかけいのことをお祈りしていました。
もうすでに極楽に生まれ変わっているに違いない、とも思っています。
でもやっぱり
新潟に行って、良かったです。
おかけいに会えて、きちんとお別れができたような気がします。
しばらく雨が続いていたのが
新潟に着くと、とてもいいお天気!
ホテルへの送迎バスから見る越後平野の広がりはとても美しく、
すでにこの時点で、おかけいが歓迎してくれているんだなあ~と感じました。
総会の会場に入ると、
会場のいちばん後ろに
彼女の遺影が飾ってありました。
そのお写真の、綺麗だったこと!(T_T)
あとで知ったのですが、ご主人からお借りしてきたものだったようです。
ほんとうに美しい、やわらかな笑顔で
タートルネックのセーターがよく似合っていて
私のよく知っている元気なころのおかけいでした(T_T)
このおかけいが、後ろの席からずっと総会を
見守っていてくれました。
いろいろと重要事項の決議もあり、いつになく気の張る総会だったのですが
・・・たぶん、おかけいを知る人はみな、
おかけいの存在を感じていて
彼女のために和していこうとしていたように思います。
空中に、おかけいのエネルギーが充満していたと思います。
私の出番は、最終日の午前9時から12時までのシンポジウムでしたが
その日は早朝からなぜか目が覚めておりました。
ホテルの部屋の外に大きな池があって、その方向から
「こーこー」と、渡ってきたばかりの白鳥の声が聞こえます。
その声を聞きながらお布団の中で、
おかけいのことをたくさん思い出しました。
パセージリーダー養成で出会って友だちになったこと。
その後、大阪で会ってはおしゃべりしたこと。
長電話もいっぱいしたこと。
離婚前の私の家に、何度か泊まりにきてくれたこと。
そういえば、私のパセージを見学にも(!!)来てくれたこと。
そして私がカウンセラーになりたての頃・・・
事例検討会で事例を出すたびに先輩や先生方から
出来ていないことをたくさんたくさん指摘され落ちこんでいた頃。
おかけいも、「う~ん」と首をかしげて
私の下手さ加減に不満を示しながらも、
私が食らいついていくと、時間をつくって相手になってくれました。
そうして私を鍛え、勇気づけてくれました。
私があの時期に諦めず、アドラー心理学を学び続けることができたのは
おかけいのおかげです。
月日が流れて私が心理療法を臨床でするようになった頃、
ひとり暮らしの大阪の家にも泊まりに来てくれました。
夜おそくまで、ケースについて語り合いました。
たのしかった。本当にたのしかったです。
心理療法士試験を受けたときも、その場にいて、見ていてくれました。
だから私の心理療法士認定書には
認定者として、おかけいと野田先生と、おふたりの名前が記されているのです。
合格した翌日、しみじみと
ーあやちゃん、昨日の夜、事例検討会でいろいろあったこと思い出してさあ、
ほんとよくがんばったなぁって思ってさ~
って言ってくれました。。。
この日が、おかけいに会えた最後だったんです。
またきっと会えると信じていたのに・・・・・
こうして学んできた、ひとつの区切りになるのが
ひょっとしたら今日のシンポジウムかもしれないな、と思いました。
まだまだ、ほんとにまだまだの私だけれど、
おかけい、私、ここまできたんだよ。
見ていてくれるね?
シンポジウムが始まると、
一匹のハエが、私たちのまわりを飛び回り始めました。
私を含め6人のシンポジストが壇上にいたのですけど、
話をしているシンポジストのまわりを、このハエが飛ぶのです。
「ハエ、五月蠅いな」と言ってる人もいましたけど(^^;)
休憩時間に、シンポジストのひとりが
「あ、おかけいさんだね」と言いました。
そう。
おかけいは菩薩ですから、ハエに転生するはずはありません。
でもこの日は、もう遺影が引き上げられていましたから、
たぶんおかけいはハエを依り代にして、ハエの体を借りて
私たちを見守ってくれたのでしょう。
私が発表する番になると、
やっぱりこのハエさんは私の眼の前にきて
手をすり足をすりし、しばらく留まっていたのでした。
ハエさんを愛しく観察したのは
これが生まれてはじめてでした(笑)
by prem_ayako
| 2016-10-19 23:20
| psychology