2015年 06月 17日
Peak Experience
リンポチェとお会いするのは2年ぶりです。
2年前は7月に東京で教えを受け、帰依戒も受け、
8月にシンガポールでもお会いできたのですが、
昨年はお会いできるチャンスがありませんでした。
ダライ・ラマ法王にお会いしたことで運を使い果たしたみたいで。
でもこの2年の間に、
リンポチェの御前でどうふるまえばよろしいものなのか
チベット式のしきたりを、少しは覚えました(^^)v
お部屋に入ったら、まず、五体投地。
そしてしのばせていたカタを献げて
祝福をいただきます。
五体投地を3回している間、リンポチェは
そんなんせんでええのに、早よう座らんか、とばかりに手を振られ、
足をくずせ、とか、椅子はいらんのか、とか
いろいろと気を配ってくださいます。
(もちろんチベット語でおっしゃってるのですが、なぜか関西弁に思えるw)
ああ、なつかしい
リンポチェのあたたかいお手。。。
いつもの笑顔。。。
大きな大きな存在感。。。
リンポチェのチベット語は私にはほとんどわかりません。
ずっと英語通訳の Ina がついて翻訳してくださいますが、
お声の響きを感じとりながら、
Ina の英語を理解するのは、なかなかに困難です。
だから私はひたすら、触覚と視覚を使います。
全身の皮膚でリンポチェのエネルギーを感じ
お姿を目に焼き付けようとします。
ですから頭は麻痺して、ひたすらうっとりです(笑)
まず大きなJ先生が
お母さまのお写真を出されてお供養をお願いされました。
それからリンポチェのご本を翻訳することについて
許可をいただかれました。
私の番になったので
クンツサンポのタンカを筒から取り出して、
Consecration(チベット語でラプネ rab-gnes)をお願いしました。
絵をご覧になったリンポチェは
おおクンツサンポ・・・
クンツサンポは虚空と同じ、それで青いのじゃよ
とおっしゃいました。
用意していたお米とカタを出そうとすると
リンポチェの blessing ではそれはいらないと言われました。
そういえば3年前に初めてリンポチェとお会いしたとき、
そのころ買ったばかりだった水晶の数珠にお加持をいただいたのですが
そのとき使われたのと同じ、小さな壷に入った摩訶不思議的軟膏を
クンツサンポのお腹のチャクラと
その裏側とに塗りつけられました。
そしてリンポチェの指に残った軟膏を
私の鼻の下にも塗りつけられました。
お数珠のお加持のときもこうやって鼻に塗りつけられたな・・・
思えばあのときにリンポチェに「匂いつけ」されちゃったんだな・・・
などとぼんやり考えていました。
リンポチェが絵を元通りに巻いて差し出してくださったので
リンポチェに支えていただいたまま
金色の紐で縛ろうとするのですが
なかなか、ちょうちょ結びができません~(>_<)
「私、緊張しています~」と言うと
おお~なに緊張することがあるねん?と笑われます。
なんだか他にもいろいろおっしゃっていたかもしれないんですけど
すみません、忘れました(笑)
もう時間があまりなくて
時間に obsessive なシューさんが急かしているのは分かってたんですけど
どうしてもそのとき伝えたかったことがあって、無視しまして(笑)
日本に来られたときにたくさんお話をしていただきましたけど
難しいことは私にはわかりません。
ただひとつ、私がずっとあれ以来覚えているのは
リンポチェが両手の親指と人差し指で輪っかを2つ作って見せてくださって
私たちはみんなこんなふうに separate しているけれども、
指を開くと、ほら、ひとつになるんだよって、
ジェスチャーで示してくださったことです。
と英語で言いました。
本当に実際に、今までに私がリンポチェから学んだことは
これに尽きると思うのです。
リンポチェはニコニコと微笑まれて
そうそう、こうやってひとつになるんじゃよ
と、両手の親指と人差し指で大きな1つの円を作って
示してくださいました。
あぁこのときのお姿を思い出すと
今も涙があふれそうです。
なんせ聴覚全滅、視覚が頼りですから
こうやってリンポチェにジェスチャーで教えていただくのが
私にはもっともよくわかるのです。
_人_
こうしてうっとりぼんやりと退出して
それから大きなJ先生とどこでどうしたのだったか、
どうもよく思い出せません。
ともかくお茶を飲んだかな?ご飯はどうしたんだったかな?
たぶんホテルでしばらく休んで、
夕方の「白ザンバラの灌頂」に間に合うように、出かけたのだったと思います。
2年前は7月に東京で教えを受け、帰依戒も受け、
8月にシンガポールでもお会いできたのですが、
昨年はお会いできるチャンスがありませんでした。
ダライ・ラマ法王にお会いしたことで運を使い果たしたみたいで。
でもこの2年の間に、
リンポチェの御前でどうふるまえばよろしいものなのか
チベット式のしきたりを、少しは覚えました(^^)v
お部屋に入ったら、まず、五体投地。
そしてしのばせていたカタを献げて
祝福をいただきます。
五体投地を3回している間、リンポチェは
そんなんせんでええのに、早よう座らんか、とばかりに手を振られ、
足をくずせ、とか、椅子はいらんのか、とか
いろいろと気を配ってくださいます。
(もちろんチベット語でおっしゃってるのですが、なぜか関西弁に思えるw)
ああ、なつかしい
リンポチェのあたたかいお手。。。
いつもの笑顔。。。
大きな大きな存在感。。。
リンポチェのチベット語は私にはほとんどわかりません。
ずっと英語通訳の Ina がついて翻訳してくださいますが、
お声の響きを感じとりながら、
Ina の英語を理解するのは、なかなかに困難です。
だから私はひたすら、触覚と視覚を使います。
全身の皮膚でリンポチェのエネルギーを感じ
お姿を目に焼き付けようとします。
ですから頭は麻痺して、ひたすらうっとりです(笑)
まず大きなJ先生が
お母さまのお写真を出されてお供養をお願いされました。
それからリンポチェのご本を翻訳することについて
許可をいただかれました。
私の番になったので
クンツサンポのタンカを筒から取り出して、
Consecration(チベット語でラプネ rab-gnes)をお願いしました。
絵をご覧になったリンポチェは
おおクンツサンポ・・・
クンツサンポは虚空と同じ、それで青いのじゃよ
とおっしゃいました。
用意していたお米とカタを出そうとすると
リンポチェの blessing ではそれはいらないと言われました。
そういえば3年前に初めてリンポチェとお会いしたとき、
そのころ買ったばかりだった水晶の数珠にお加持をいただいたのですが
そのとき使われたのと同じ、小さな壷に入った摩訶不思議的軟膏を
クンツサンポのお腹のチャクラと
その裏側とに塗りつけられました。
そしてリンポチェの指に残った軟膏を
私の鼻の下にも塗りつけられました。
お数珠のお加持のときもこうやって鼻に塗りつけられたな・・・
思えばあのときにリンポチェに「匂いつけ」されちゃったんだな・・・
などとぼんやり考えていました。
リンポチェが絵を元通りに巻いて差し出してくださったので
リンポチェに支えていただいたまま
金色の紐で縛ろうとするのですが
なかなか、ちょうちょ結びができません~(>_<)
「私、緊張しています~」と言うと
おお~なに緊張することがあるねん?と笑われます。
なんだか他にもいろいろおっしゃっていたかもしれないんですけど
すみません、忘れました(笑)
もう時間があまりなくて
時間に obsessive なシューさんが急かしているのは分かってたんですけど
どうしてもそのとき伝えたかったことがあって、無視しまして(笑)
日本に来られたときにたくさんお話をしていただきましたけど
難しいことは私にはわかりません。
ただひとつ、私がずっとあれ以来覚えているのは
リンポチェが両手の親指と人差し指で輪っかを2つ作って見せてくださって
私たちはみんなこんなふうに separate しているけれども、
指を開くと、ほら、ひとつになるんだよって、
ジェスチャーで示してくださったことです。
と英語で言いました。
本当に実際に、今までに私がリンポチェから学んだことは
これに尽きると思うのです。
リンポチェはニコニコと微笑まれて
そうそう、こうやってひとつになるんじゃよ
と、両手の親指と人差し指で大きな1つの円を作って
示してくださいました。
あぁこのときのお姿を思い出すと
今も涙があふれそうです。
なんせ聴覚全滅、視覚が頼りですから
こうやってリンポチェにジェスチャーで教えていただくのが
私にはもっともよくわかるのです。
_人_
こうしてうっとりぼんやりと退出して
それから大きなJ先生とどこでどうしたのだったか、
どうもよく思い出せません。
ともかくお茶を飲んだかな?ご飯はどうしたんだったかな?
たぶんホテルでしばらく休んで、
夕方の「白ザンバラの灌頂」に間に合うように、出かけたのだったと思います。
by prem_ayako
| 2015-06-17 21:42
| tibet