アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

On the Road to Buddha

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その後、ガルチェン・インスティテュートと別れを告げ
約束の時間に来てくれた Steve の車に乗って
Prescott まで送ってもらう道での出来事です。

町までの道の大半は、茶色く乾いた primitive road です。
両側に広がるのは、いわゆる ranch(牧場)と呼ばれるもので
ところどころに牛や馬が放されていますが、人っ子ひとり見えません。
人家もどこにあるのか分からないほどだだっ広い土地と
低く垂れ込めてきた曇り空だけが延々と続いている中、

突然人影が現れました。

黄色、というよりは土色の布を頭からかぶり
やはり土色のバッグをかついで
背筋をのばしてまっすぐに歩いているのは
女性のようでした。

「Theravada woman...」Steve が呟いて速度を落としました。
「よかったら乗っていくか?この車には女(私のこと)も乗ってるよ」と
その女性に声をかけました。

「Where are you going?」その女性が尋ねました。

彼女の目的地は、Prescott よりもまだ先のようです。
「どこまででも送ってあげたいが、after Prescott there's no woman.」

テーラバーダの女性はしばらく考えていましたが、
「Well, I just keep on walking the road.
Probably somobody with a woman will pick me up.」
「でも現れないかもしれないよ...」
「Probably may not. But I like to just go on the road.」

Steve は、このあたりの道を教え、
もう一度行けるところまで乗せていってあげようと申し出ましたが

彼女は、
「ご親切にありがとう。でもやっぱり私は歩いて行くわ」と、
いったん置いた荷物をまた肩にかけました。

「Cell phone をもっているか?」
「No, I don't have a cell phone」
女性はもう歩き出しています。
「Wait, what is your name?」
その名は、私には聞きとれませんでしたが、Steve は
「Nice name!」と叫んで発車しました。

私はいそいで窓を開け、彼女に合掌しました。
唯一の女性である私に向かって彼女は微笑みを返し、
後ろの土埃の中に消えました。

陽に灼けた顔と薄茶色の瞳。
薄い乾いた唇。
西洋人のようでした。

テーラバーダ(上座部仏教)のどの宗派なのか分かりませんが、
巡礼の途上なのでしょうか。
そして彼女の戒律では、
男性と同席することが固く禁じられているようでした。

ずっしりと重たい荷物を担いで
彼女は何時間もこの荒れ野を歩いてきたのでしょう。
そしてこれからも歩いていくことを、彼女は選びました。

いきなり現れ、また消えていった女性。
不思議な manifestation.

彼女は私たちにだけ見えた幻だったのかも・・・

 I just keep on going this way.
 I just keep on going this way.


あぁ! 彼女は
今の楽を選ばず、戒律を守ることを選んだ。
今の苦を選び、未来の楽を選んだ。

私がこの10日間、何度も何度も
ガルチェン・リンポチェに教えていただいた戒律 samaya は何だったでしょう?
それは、菩提心 Bodhicitta です。

 この世の楽にとらわれず、
 六波羅密を完成し、
 ターラー菩薩を心に念じ
 自他の妄分別を捨てること。

あの女性は、私たちの旅立ちに際しての
リンポチェからのメッセージだったのではないか
あの女性の姿は仏さまの顕れだったのではないか

そう気がついて
後ろの座席で私はひとりで泣きました。


 Just keep on going this way.
 Just keep on going this way.

私の道は何でしょうか。
私の道はどこへ続いているのでしょうか。

それはたぶん、楽なものではないのでしょう。
荒れ野に通る歩きにくい道。
自分の荷をもち自分で歩くしかない道。

 歩き続けるのじゃ
 忘れるんじゃないよ

とリンポチェが教えてくださったのだと

私には思えてなりません。

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これで Chino Valley への旅の話は終わりです。

読んでいただきありがとうございました。




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# by prem_ayako | 2018-02-03 23:49 | tibet

Namo Sangha Ya!

1月8日のことをまだ書いていませんでした。

プログラムはすべて前日に終わったので
もうリンポチェにお会いすることはできません。
リンポチェもアニもラマたちも、通訳のイナもみな
あの2階建てのお屋敷のお部屋で休んでおられることでしょう。

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朝ごはんはタシ・ハウスですませることもできましたが、
最後にもう一度コルラをするために、
夜明けに山を上っていきました。

来た最初の頃のJ先生は
この坂を上るのがほんとうにお辛そうだったのですが、
今は、ゆっくりとですが確実に歩いて行かれます。
ほんとうに来てよかった。。。

何度も何度も
おんたれとぅったれ・・・とターラー菩薩真言を唱えながら
塔のまわりをコルラしました。

この日は、ここへ来てはじめての曇り空で
考えてみればこの十日間まったく雨は降りませんでした。
毎日、抜けるような青空で、
毎夜、降るような星空で、
チベット人の言う「なむかー(虚空)」とは本当はどのようなものなのか、
私は生まれて初めて知りました。

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  顕現するもの自分の心なり (三十七の菩薩業 第二十二偈)  

このガルチェン・インスティテュートが
こんなにも清いバイブレーションに包まれて
小鳥がさえずり
すぐそこを鹿が歩き
朝焼けも夕焼けもため息がでるほど美しく
晴れていても雲があっても空は透明で
遠くの山はいつも表情を変えて
私たちに語りかけてくるのは

ここに集った私たちみんなの心の顕れなのだと思いました。


いつの日のセッションだったか、
ご法話の後、全員で「法身普賢の誓願」をお唱えしたら
たいへんリンポチェがお喜びになられ、お目を少しうるませて
「なも・さんがー・やー!」「なも・さんがー・やー!」と
何度もおっしゃりながら退出されたことがありました。

このとき私も、ただ一心に、お経を唱えていたのです。
おそらくサンガのみんなの心がひとつになっていたのでしょう。

リンポチェの喜んでおられるさまを見て
あぁ、このお方に喜んでいただけるようなサンガを、日本にも作りたい
と、はじめて心の底から思いました。

  顕現するもの自分の心なり

ガルチェン・リンポチェのお力のおかげで、
このたび集まった私たちみんなの心が清まって
ここに美しい世界が顕現しました。

しかし、ということは
リンポチェのお力に頼って実現したこの聖なるサンガは
集まる衆生の心によって変化するということです。
この Buddha Field も無常なのです。


私のすべきことは
この美しい場所にまた来たいと願うことではなくて、
この美しい場所を自分のまわりに作るために
努力していくことだと気がつきました。


心がリンポチェと共にあり、
心がリンポチェと結ばれておれば
いつかこの世界を作り出せるはずです。

私は非力ですが
リンポチェとつながる仲間を
ひとりずつ増やしていくことで、
その先に、いつかサンガができるはずです。

大きな気づきを得たような気がします。

なも・ぶっだ・やー!

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# by prem_ayako | 2018-02-03 23:23 | tibet

Tashi House

Teaching にはさまざまな人種の人が参加していましたが
ほぼ全員がアメリカ在住者だったようです。

黙っていたら、私たちもアメリカに住む Chinese かと思われるみたいで
Japanese だと言うとかなり珍しがられた上に
日本からわざわざ来たと聞いて、さらに驚かれたものです。

私たちが10泊したのは
インスティテュートの敷地内だけれども
山の上の temple や食堂からだいぶ下ったところにある
タシ・ゲストハウスというおうちでした。

テントでの雑魚寝、寺院内での雑魚寝、
キャンピングサイト、自分のテント、車中泊、
と選択肢はいろいろありましたが、
ベッドを確保できるのはここだけだったので
軟弱な私たちは、当然、この冬のさなか、
少々お金がかかっても安全そうなタシ・ゲストハウスを選びました。

同じように考える人はわりと多いようで、タシ・ハウスのお部屋だけは
インターネット予約する際に、見る間に埋まっていったのでした。

というわけで、
ガルチェン・インスティテュートで最もゴージャスな(はずの)タシ・ハウス。
まず入り口からご覧に入れましょう。

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内部には、いたるところにリンポチェのお写真、
ターラー菩薩のお写真が飾ってあります。
素敵でしょ。

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立派なキッチン。
車で来る人たちはもちろん自炊です。
ただし、ペットボトルの水一本、ここにはありませんので
麓の町まで悪路を1時間走らなくてはなりません。

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シャワーは1つ。
お風呂はなし。
トイレは2つ。
2人~4人部屋が5つぐらいかな。
ここで、カップル2組とあと7~8人が共同生活をしました。


「マリーゴルド・ホテル」という映画をご存じですか?
数年前に飛行機で観たのですけど
タシ・ハウスの生活は、ちょっと「マリーゴルド・ホテル」みたいでした

つまり、さまざまな同宿者、それぞれのキャラがすごく立っていて、
最初はよそよそしかったのが、共に生活するうちに
ほんとに仲の良い family になっていった感じなんです。

もちろん全参加者100人ほど、みなけっこう仲良くなるのですが、
タシ・ハウスの同宿者は特別でした。


少しご紹介しましょう・・・

日本人にはまずいないだろうタイプのキャラなら、Donna(ダーナ)でした。
いつも真っ黒なパンツスタイルで、ふわふわの銀髪に銀縁眼鏡。
私は勝手に「お蝶夫人」と呼んでいました~(^_^;)

Takiko の次に怖い人ねと最初は思っていましたが、
どうやら、短いシャープな冗談が好きなだけだったみたいで
言葉の不自由な私たちのことをとても気にかけてくれて
ありえないほどおせっかいをやいてくれました。
言うとおりに動かないとちょっと怒られるぐらいの勢いで(笑)

私たちが帰りの交通手段を確保できたのは、
ひとえに Donna が親身に協力してくれたおかげです。
バス会社への連絡を手伝ってくれたり
友達の Steve に話をつけてくれたりしたのです。
ほんとにありがとう!


カナダから来た Sally はとっても太って足が悪く、
いつも杖をついてゆっくり歩いていました。
Temple の外の靴脱ぎ場でよくお喋りしましたっけ。
Donna みたいに前には出てこないのだけど、
私たちを何気なく見守ってくれていて
必要なときに、すぐ手助けを申し出てくれました。

ご両親が oriental 好きで(ちょっとニュアンスがよく分からなかったけど)
妹さんがテーラバーダ(上座部仏教徒)でタイに住んでいるそうです。
彼女自身、インドにもチベットにも旅をして、いろんなラマに会ってきたようです。
そのうちにガルチェン・リンポチェに行き着いたのだとか。


名前を忘れてしまったけれど、ミネソタ州の漢方医はスペイン人で
まじめで、やさしく静かな若者でした。
彼はタシ・ハウスのリビングルームに
いい香りの incense をまいてくれました。

彼とガルチェン・リンポチェとの出会いはずっとずっと前、
アパートの友達の部屋でだったそうです。
帰宅した彼が扉を開けると、20人ほどの人が集まっていて
正面にマニ車をくるくる回すチベット僧がいたといいます。
体験したことのないことだったのでよく覚えていて、
何年も経ってから、それがガルチェン・リンポチェだったと知ったのだそうです。



そして最も驚くべき出会いは
Brian と Patris の夫婦でした。

Brian の声はとてもやわらかく、
話し方がちょっと Walton 先生に似ていて聞き取りやすかったので
最初の日から私は、彼にはなんだか気を許せていました。
Patris はブロンドの美人で
Brian が Patris にぞっこんなのは、傍目にもよく分かりました。

なんとなくいい感じのカップルだな~とは思っていたんですが

ほとんどもう teaching も終わる頃、たまたま食堂で隣同士に座ったときに
はじめてお互いのことを詳しくシェアし合ったら、
たくさんの共通点があることが分かったんです。
夫婦になってからの年数や
子どもや孫の数や年齢や
自分たちの年齢や
職業まで!

実は Brian は
若いころに16世カルマパと出会い
インドのダラムサラで得度した
チベット僧だったのです。
カルー・リンポチェの指示で、フランスのカルマ・カギュ・センターに赴いた
4人の西洋人のうちのひとりだったということです。

18年後、身内の死に際してアメリカに戻り、還俗し、
チベット語の通訳でしばらく暮らしていたそうです。
何冊か翻訳書を出しているようです。

さらに後年、仏教の教えを生かしてセラピストになり
非行少年たちの更正や
家庭的に恵まれない子どもたちの援助に尽くしてきたそうです。

今、60代後半ですがすべての仕事を引退し
ダラムサラで若い頃に見そめて以来思い続けていた Patris と、
数年前、ついに結婚したんですって!

 十代の Patris は、息をのむぐらい美しかったんだよ!
 でもそのころ僕はチベット仏教に恋していたし
 彼女は亡命チベット人と結婚してしまったんだ。
 再会して、今こそ Patris と結婚する時だ!と思ったんだ。

ということで。
ごちそうさまです(^^)

しかし、驚くべき人生ですね。

タシ・ハウスで最後の夜、私は Brian と2人だけでたくさんたくさん語り合って、
今までここで誰にも打ち明けなかったこと・・・つまり
もともとはとても活動的で聡明なJ先生が
ここに来た当初、たいへん具合が悪くて心配な状態だったこと、
それがリンポチェからお薬をいただいて
劇的によくなってきていることなどを
彼にだけ、はじめて話しました。

伝えたい内容を伝えたい相手に伝えるなら
すらすらと言葉が出てくるものです。
私はずっと胸にしまっていたことを Brian に話すことができて
とても癒されました。
Brian は心から、J先生の健康を祈ってくれました。

彼と出会えたことは大きな収穫です。
お互いのアドレスを交換したので、いつかまた会える日があると思います。



出発の前には
タシ・ハウスに残っていたみんなとお別れをしました。
出会えてよかった
いつかまた、会いましょう、と。

いつかまた・・・
Someday in future.

人生に何が起こるかは誰にも分かりませんから
いつかまた、本当にここに来ることがあるかもしれません。
Nobody knows....

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# by prem_ayako | 2018-01-24 16:58 | friends

Karma Yoga

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このサンガでは、大きな行事の際、
スタッフでない参加者にも、
みなひとつずつ何らかのお仕事が割りあてられるようです。
それを「カルマ・ヨガ」と言います。
カルマ・・・すなわち「行動」「お仕事」ですね。

「カルマ・ヨガ」の時間帯と内容が記された緑のカードが
私たちにも1枚ずつ配られました。

J先生のカードには
 8:45~9:00 Dish washing
と書かれていました。

体調の悪い人は免除されると聞いていたのですが、
最初の日、先生はちゃんとお仕事に行かれました。

みんなの朝ご飯の食器を洗剤の入った洗い桶で洗って
ぽちゃんぽちゃんと次の洗い桶に入れていくという作業で
けっこう楽しかったそうです。

ただ、このお仕事は、期間中毎日のことだったのに
先生はそれをご存知なくて、
2,3日サボってしまった後にもう一度行ったら、
「人手は足りているからいいよ」と言われてしまったのだそうです(^^;)


私の方のカードには
 13:15~14:00 Kitchen: putting things away
と書かれていました。
私の方が時間が長いです。
・・・適性など、ちゃんと判断して決められてるみたいです(^_^;)

お昼ご飯は12:00からなので、ゆっくりと食べ終わってから
13:00すぎ、少し早い目に配膳台あたりに行きますと
Takiko という女性に「Staff が来た!」と大歓迎されました。
はてな?
どうやらこちらは、人手が足りないもようです。

Takiko は誰かに似ているなぁ~とずっと思っていたのですが
数日たってから、あ、歌手の Tina Turner に似ている!と気がつきました。
分かります?
そんな感じの、迫力あるおばさまなのです(^^;)

ここのお仕事は、残った昼ご飯のおかずを
それぞれ清潔なコンテナーに移して
きちんとラベルを貼って冷蔵庫に保管することと、
配膳台周辺をきれいに拭き上げて、夕食の配膳に備える
というものでした。

説明を受けたあと、
食材の名前をラベルに書くのはちょっとハードルが高そうだったので
「私は hearing ability が低いので clean up の方をさせてください」
とお願いしました。

Takiko は日本人ではないのですが、
お母さんが Takiko という日本名が好きで、この名をつけたのだそうです。
なので彼女は、もとから日本人びいきではあるのですが
私の hearing ability の低さと
それに伴う呑み込みの悪さは、
彼女の好みに合わなかったようです。。。

だいたい、遅れて昼食をとりに来た人にぶっきらぼうに応対した挙げ句、
「Are you angry?(怒ってんのか)」って言われるぐらいにこわもてなんです。。。

私も「Do you understand the teaching?」って聞かれちゃったりしました。
「私は普通のお喋りの方が難しいのよ」って答えましたが(笑)

でもさ、英語で軽い冗談を交わしながら仕事するって
なかなか難しいですよ。
いや、英語でなくても、あまり私の得意とすることではありませんけど・・・


とりあえず布巾の置き場所や
消毒スプレー(たぶんアルコールとお酢を混ぜたようなもの)の場所など
必要最低限のことを教えてもらって、
それから毎日、黙々と台を拭いて片付けました。

13:15からなのですが、その時間ちょうどに行くと、
既にひとりで仕事を始めていて、
私が「I'm sorry, I'm late」と謝ると
「OK.忘れてはいなかったのね」と無愛想に言われたりしました。

まぁねぇ、言葉がうまく通じないから
私とどう communicate すればよいのか、
彼女も分からなくて、困っていたのかもしれません。

2日目、3日目あたりは、他のスタッフもいたので
Takiko はその人たちと楽しそうにやっていましたが、
日を追うごとに、彼らはだんだんと来なくなってしまって、
最後まで欠かさずにここの仕事をしたのは、Takiko と私の2人だけでした。

「冷蔵庫にドレッシングを片付けましょうか?」と尋ねると
「その前に容器を拭いてちょうだい」と言われ、
「I did it」と言うと
「Oh...you wiped them already. Perfect.」
みたいになってきて

しだいに私めの評価が上がってきたみたいです。
 私たち、ふたりで協力できたわね
 とてもよいチームワークよね
 すごく手早いわ
となってきて、終わりの頃には
 アヤコ、あなたの仕事は perfect だわ
 あなたと仕事ができてとても良かったわ
と言ってくれるようになりました。

やれやれです。

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Teaching の最終日に temple で
リンポチェへのカタ・オファリングと
ボランティア・スタッフへのプレゼント贈呈式があって
そのときに Takiko が出ていたので
私からも「ほんとうにありがとう、タキコと仕事ができて良かったわ」と伝えました。
まぁ、本当の気持ちです。


なんにせよ、ここは仏教コミュニティではありますが
アドラー心理学ベースではありません。
尊敬・信頼・感謝を、行動でもって培っていかなければなりませんでした。

よい経験になりました。


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# by prem_ayako | 2018-01-24 16:55 | friends

Sadhana Practice

Temple はおよそ100人ぐらいを収容できる広さで
東と南に出入り口があり
北側に立派な祭壇がありました。

ガラスケースの中にさまざまな金色の仏さまが座しておられ、
天井近くには大きな5枚の額がかかっていました。

中心に飾ってあるのは、14世ダライ・ラマ法王。
その両側に、ディクン・チェツァン・リンポチェとディクン・チュンツァン・リンポチェ。
向って左端には、ドゥプワン・リンポチェ。
向って右端には、ケンポ・ムンセル。
ガルチェン・リンポチェが大切に思っておられる方々のお顔ぶれに、
私はもう感動してしまいました~(T_T)

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床には木製の経机と四角い座布団がずらりと並んでおり
ほぼ全員が、机を使うことができます(基本、椅子席はありません)。
この経机、かなりゴージャスなんですよ(^^)
折りたたみ式で、高さ調節もできるし、
テーブル面を好きな角度に立てることができます。
しかも隠し小引き出しまでついている!

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こんなのが日本でも売っていないかなぁ?
百均のとは大違いで・・・。
私もせっかくだからお勉強モードとなり
今までになくしっかりノートをとりつつ、教えを受けました。
どこまで理解できたかはアヤシいですけど・・・

ガルチェン・リンポチェのお話は、いつ何をお聴きしても
「菩提心じゃよ!」という部分だけが
私の印象に残るのですが

今回は、結論の「菩提心」に至るまでの筋道を
金剛さった、ガンポパ大師、マチク・ラプトンのチューと
3つの方向から丁寧に説いていただいたような気が・・・します。

どの道も密教的、カギュ派的で・・・
光明とか空とか
氷と大海のたとえとかが満載で、
私はうれしかったものです。
(アバウトな言い方しかできずスミマセン。分かっていない証拠ですね orz)


リンポチェのご法話の時間以外でも、
このインスティテュートのサンガでは
毎朝7時から「ジクテン・スムゴンのラマ・チューパ」を
毎夕6時半からは「ターラー菩薩の成就法」を
自主練習しておられました。
これも、とっても素晴らしいことだと思いました。

何度か、この朝夕の practice に参加しましたが、
観察していると、ここには複数のアメリカ人(女性)ダキニがおられるもようです。
サンガ付きの Lama Thubten Nima がチベット語の部分を読まれ
英訳の部分を、ひとりのダキニがウンゼー役で唱えておられました。
この女性は、ものすごくほっそりしたかっこいい人で、チベット語もぺらぺらみたい。
私はこっそりダキニ・マスターと呼んでおりました。

他にも、祭壇のお供えものを取り仕切るダキニや
ラマたちへの飲み物に気を配るダキニ、
お花を活けるダキニたちがいて、
それぞれにできる仕事を分担しているようでした。

Practice 中の鐘や太鼓の鳴り物は、
ラマたちが長いチベットホルン、
ダキニ・マスターが小太鼓、
ダマルを持つ参加者が各自のダマルをトントン鳴らし、
吹ける人はホラ貝を取って、プォォォと吹きました!
それはそれは賑やかでした!

ガルチェン・リンポチェがおられなくても
ラマと在家たちで法要がきちんと営まれていて、とても感動しました。
随喜!
日本ガルチェン協会も、いつかこんなふうに出来るといいなあ~
と思いました。


さて満月の元旦、とっても auspicious な日の朝は、
いつもの「ジクテン・スムゴンのラマ・チューパ」が
「ガルチェン・リンポチェのラマ・チューパ」に変更されました。

これはなんと、ガルチェン・リンポチェの成就法で
正式名を The Guru Sadhana Called "Light Amassment of Blessings"といいます。

自分自身がガルチェン・リンポチェと一体になるんです!
そもそも成就法 sadhana は今まで数々教わりましたが
はっきり言って
12世紀のジクテン・スムゴン大師とはお会いしたことないですし
ターラーさまとも観音さまとも
実際お会いしたことありません・・・
なのでリアリティが段違い、と言いますか
信仰の深さが違うと言いますか
(そんなこと言っちゃいかんのかもしれませんけど)

ガルチェン・リンポチェの真言(!)を
何度も何度も繰り返し歌っていると
それだけでもう、涙が溢れてくるんです。

リンポチェご自身はご在席されませんでしたが、
正真正銘のガルチェン・リンポチェのお寺で
リンポチェへの帰依を誓い長寿を祈り加持を願い
リンポチェと一体になる成就法を行うことができて、
本当にありがたかったです。

経文とこの日の録音CDも入手してきましたので、
いつの日か日本のサンガでも
ガルチェン・リンポチェのラマ・チューパをしたいものだと思いました。

ちなみにこの経文の最後に、次のような記述があります。

 When the oral transmission for this practice was requested, Garchen Rinpoche said that it is permissible to recite this practice without having received the oral transmission. Rinpoche said that giving rise to bodhicitta is the actual transmission.

 口頭伝授を受けなくても、これを行ってよいぞ。
 菩提心を起こすことこそが伝授なのじゃから。

なんてガルチェン・リンポチェらしいお言葉でしょう!
やっぱり菩提心なのでございます(^^)




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# by prem_ayako | 2018-01-24 16:53 | tibet

Love and Compassion

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12月31日の午後
リンポチェの身の回りのお世話をしておられるアニ・サムテンが
ご法話の合間にJ先生の座っているところまで、
「リンポチェが、お体の調子がお悪いのではないかと聞いておられます」
と尋ねてこられました。

私は離れたところに座っていたので
そのときの会話を知らなかったのですが
先生は、確かに体調が悪いのですと伝えたそうです。

その後、夕食の配膳を待って並んでいると、
リンポチェがアニといっしょに、まっすぐ私たちの方に歩いて来られました。

リンポチェはなんと涙を流しておられます。
リンポチェのお言葉をアニラが
「インターネットでチベットのお薬を調べて、必要なものを言いなさい。
 リンポチェはお薬をたくさん持っているので、欲しいものを差し上げます」
と通訳してくださいました。

私は、はじめ何のことか分からなかったのですが、
リンポチェがJ先生の身体のことをこんなにも気にかけて
涙を流すほどに心配してくださっていることを知って、驚きました。

私は、こちらからリンポチェにJ先生の体調の悪さをお話しして
なんとかお加持をいただき助けていただこうと考えていました。
ですが、何も申し上げていないのに
リンポチェの方から、気がついてくださったのです。

母親が子どもの姿を見ただけで
子どもの心や身体の状態が分かるように

リンポチェはJ先生の姿をご覧になって
あるいはJ先生や私の心をご覧になって
分かってくださったのです。

私たちの苦と苦の因を取り去りたいと願われて
涙を流してくださっている・・・
リンポチェはまことに大悲の観音さまと等しいお方です(T_T)(T_T)
・・・・・


さて、インターネット検索してみましたが
チベット薬ってたくさんありすぎて、
どれがよいのか、J先生ご自身お医者さんでも分からないのでありました。
それで、明日になったらリンポチェに厚くお礼を申し上げて
お加持だけいただきましょうということになりました。

その夜(大晦日の夜)は
血のついたシーツやカバーをつまみ洗いして、
洗濯ものといっしょに乾燥機にかけて
少しすっきりしました。
同宿者たちとの会話も多くなり、知り合いも増えてきました。


2018年1月1日、
またアニラがJ先生のところに来られ
「リンポチェが、このお薬がよいだろうと選ばれました」と
チベットの丸薬4個と英語の説明書とを置いていかれたそうです。

私が行くと、先生が「どうしよう」と困惑しておられました。
って・・・
リンポチェが選んでくださったお薬です!
利かないわけありません!
よかったわ~、これで安心!と大喜びの私に比べ、
当のJ先生は「うーん、飲むしかないか・・・」と困っておられます。

あぁなるほど。
西洋医学のプロである先生にとって
未知の丸薬をご自分の身体に入れることは
普通の者に比べてはるかに大きな冒険なのですね。

先生にとっても、乗り越えなくてはならない試練がきたようです(^^)

でもその晩、説明書に従って丸薬をお湯につけて蓋をして
翌朝の夜明け前、きちんと服薬しておられました(^^)

2日続けて飲まれると、
坂を上る足どりが、ずいぶんしっかりとしてこられたように思いました。

リンポチェにお礼を申し上げにいくと
「あの薬を飲んで
 コルラをたくさんすれば
 必ずよくなるであろう」
と言っていただけました。

ありがたすぎるお言葉です(T_T)(T_T)
「必ずよくなる」
このお言葉が、どれほど欲しかったか・・・!

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リンポチェは、私たちをご覧になるだけで
あるいは触れるだけで
分かってくださるのだと思います。

また私の方も、
リンポチェがこちらに向って直接何か言ってくださるときは
アニラの通訳がなくても
何をおっしゃっているのか、だいたい分かります。
表情・・・声のトーン・・・
いえ、たぶん心が
通じているのだと思います。

思い上がりでしょうか・・?
いやでも、ご法話のときは全く分からないんですよ(笑)



さらに数日したある日には、
Teaching の後、退出される際に
出口の私の前で立ち止まられ、
法衣の懐から別の青い薬の箱を取り出され、
私の手に押しつけられました。
「Oh, no」とかなんとか言って遠慮していますと
(たぶん)「ええから、ええから、これを取るのじゃ」とチベット語でおっしゃっています。
アニラが後ろで笑って「This is another one」と言われ、

結局J先生は、あやしいチベットの丸薬を
さらにもう1種類飲むことになったのでした(^^)


ご本人は「最初来たときは普段の20%程度の体調だったが
今は55%程度」と、ずいぶん遠慮がちに言われますが

客観的に判断しますと
ここへ来た最初の頃の状態は10%
丸薬を飲み、コルラをしているうちに
60%程度に上がってきたように思えます。


またある日には、
「ほんとうに、もうすっかりよくなったか?」とお尋ねくださいました。
J先生は「はいはい、もうすっかり」なんて笑顔でおっしゃるのですが
私が正直に「sixty percent」と答えますと
「ターラー菩薩にお祈りしなさい。一心に祈るのじゃ」
とのお教えをたまわりました。


何から何まで
リンポチェ、ほんとうにありがとうございます。
これだけ丁寧なご指導を根本ラマからいただけたら、無敵です。


J先生のご体調不良のおかげでといっては何ですが、
衆生のひとりひとりに
どれほどの愛をリンポチェが注いでくださっているか
身にしみて分かりました。

 生類ひとりも余さずに
 菩薩の境地に渡すべし


ガルチェン・リンポチェは仏陀そのものです。

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# by prem_ayako | 2018-01-18 00:44 | tibet

Bottom Out

みなさんご存じのように
12月半ばから、大きなJ先生のご体調が急に悪くなりました。
常識的に考えたら、アメリカへの長旅は
当然キャンセルすべきような状態でした。

しかし先生は
ぜったいに行く。と。

これがリンポチェにお会いする旅でないなら
キャンセルしたと思うのですが・・・


これまで、いつどこへ行くときも、先生はお兄ちゃん役で
一切のチケットを管理して先導してくださっていました。
ですが今回の旅では
いつもは妹役に甘んじている私が
しっかりしなくてはなりませんでした。

どれだけ状態が悪かったかというと、
重い荷物を引っぱっては、最寄り駅まで歩くのも無理なほどだったので
家から関空までタクシーに乗って行きました。
2万円ぐらいかかりました~(>_<)

ロサンジェルス空港でフェニックスまでの国内線に乗り換える
その通路の遠かったこと!
正直、車椅子を借りようかと思ったぐらいでした。

フェニックスで1泊して
翌日プレスコットまで2時間のシャトルバス。
バスを降りてからガルチェン・インスティテュートまでタクシーで
泥だらけの primitive road を1時間。

ようやく山の上の事務所で手続きをして
施設の概要を説明してもらい、
また少し山道を下りて
中腹にあるゲストハウスに入りました。

遠かった!
予想以上に遠かったです~(>_<)


12月29日、最初の夜、
先生は夜中に2度も鼻血を出されました。
寝ていると、いきなりぽたぽたと出血するのです。

その日に貸してもらったばかりの枕カバーもシーツも
持って行った寝間着も血だらけです。

途方にくれてしまいました。

翌朝、朝食を運んできましょうかと申し出たのですが、
やはり先生は拒否されて
ゆっくり、いっしょに坂道を上りました。

先生は足が上がらないようです。
まっすぐに歩けません。
身体のバランスがうまくとれないようです。
砂利に足をとられそうになるので
手をつないで歩きました。
長く苦しい坂でした。


その日、先生は休み休みしつつ
リンポチェの金剛さったの灌頂を受けられ
夕食のあと、
満月に近い大きな月が昇る道を
先に宿へと下りていかれました。

私は「ターラー菩薩成就法」の実習に出ることにしたので
Temple で、他の人たちといっしょにお唱えをしながら
さっき山道でJ先生とお別れしたその光景が何度も何度も浮かんできて
泣けてしようがありませんでした。

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2017年が終わります。
今年は父が亡くなりました。
おひげリンポチェも亡くなりました。

大きな丸い月。
背の高いJ先生の少し丸くなった背中。
土埃の薄暗い急坂を
いつものように首を少し右にかたむけて
一歩一歩下りて行かれる姿。

・・・そして私はここに残っています。
いつかこのような別れがくることを
見せつけられたような気がしました。


Teaching や Practice の間、
私はずっと出入り口近くの最前列の席にいましたが
J先生は、いちばん奥の壁際の椅子席を選んで座っておられました。

翌31日の昼食休憩の時、
先生は、奥から座布団の間を縫って出口まで歩いて来る間に
バランスをくずして転倒してしまわれました。

特にお怪我はなかったものの
身体を支えきれず転んだということに
とても落ち込んでしまわれて
見ていて気の毒なほどでした。。。

思えばこのころが、底だったかもしれません(T_T)






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# by prem_ayako | 2018-01-18 00:27 | tibet

Chino Valley

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アリゾナに行ってきました。


私にとって大きな転機になりそうな気がしていましたが、
予想通り
人生を変えるような旅になりました。


行き先は、アリゾナ州の Chino Valley というところ。
ここにガルチェン・リンポチェのアメリカでの拠点
Garchen Buddhist Institute があります。

プレスコット国立公園のふもと、75エーカーの土地に
リンポチェのお住まい、temple、2つの stupa、
食堂と厨房、事務所、ゲストハウスが点在しています。


この度のリンポチェの Winter Teaching の内容は、
12月30日・31日・1月1日は金剛さった
1月2日・3日・4日はガンポパの『最上道の宝鬘』
1月5日・6日・7日はマチク・ラプトンのチュー
でした。

これに加えて、9日間通してケンポ・テンズィンによる
ナーガルジュナの『友人への手紙』の全解説がありました。

さらに毎日、朝食前にはジクテン・スムゴンのラマチューパ
夕食後にはターラー菩薩成就法の実習が
自主的に行われていました。


たいへん濃いい濃いい10日間でした!

帰国して今日でちょうど1週間たちますが
日本にいることがなんだかまだ、ウソのような気がしています。
時差の影響もあって、帰国してからずっと
夜中あるいは早朝に目がさめてしまって
そのまま眠り直すことができずにいましたが、
ようやく今朝は7時すぎまで連続して眠ることができました。
心も身体も、ゆっくりと日常に戻りつつあります・・・



さて、ゆっくりと書いていきますね。





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# by prem_ayako | 2018-01-18 00:21 | tibet

メリークリスマス!

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今年のお仕事は、今日ですべて終わりました。
28日からしばらく、アメリカアリゾナ州に行き
そちらで年越しします。

来年は戌年・・・わんわん。
年女です(^_^;)

今年はいろいろありました。
来たる年がみなさまにとって佳い年でありますように。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。









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# by prem_ayako | 2017-12-25 22:56
こうすけは小学1年生ですが、
1年生にしてはありえんほど理屈っぽいです。
ますます両親に似てきました(^^;)

けっこう生意気なんですけど
こうすけとの会話は、おもしろいです。
絶対に、こっちの言ったことと反対のことを言うんですよ(笑)
あまのじゃくぅ~
将来有望です。


私はこうすけとの会話が楽しいので
今回の滞在中、
こうすけに対して陰性感情をもつことはいっさいありませんでした。
いっしょにジグソーパズルをしたり
いっしょにテレビを見たり
お手伝いして作ってくれたおかずを食べたり
とってもおだやかに過ごしていました。

ただ、一度だけ、外をいっしょに歩いていて
こうすけが信号のない横断歩道を渡ろうとした時に
「こうすけ、信号のあるところを渡りなさい」と
私がひとこと、注意したことがあります。

そのあと、こうすけはしばらく私たちから離れて歩いて、
振り返ると電信柱に隠れたりしながら
遠くをついてきて(笑)
だいぶ遅れて、ふくれっつらで帰ってきました。

そして「ボク、テレビを30分見たらまた外に出て行く」
って言うんです。
もう暗くなってきているのに。

ああ、あれだな、と思ったので
ここは放っておかないで、ちゃんと話をしようと思いました。

「ねえ、こうすけさん。さっきおばあちゃまの言ったのが嫌だった?」
「いや、別に。ボクは、自分で自分にハラをたてていただけ」
「へえ、そうなの? おばあちゃまが注意してから口きいてくれないから
 悪かったのかなと思ったんだけど。謝らなくていいのかな?」
「いや、全然。おばあちゃまは別に悪くない。
 ボクは自分にイライラして、どうやって落ち着こうかなと思ってたんだから」
「そうなの。じゃあさ・・・
 あったかいところで落ち着くほうがよくない?」って言って
いっしょに仲良くテレビを見て落ち着きました(^^)

彼の理屈は独特ですが
この出来事に関しては、私はなんだか分かる気がします。

たぶん、私は彼のメンツをつぶしてしまったのでしょう。
彼だって信号のあるところを渡る方がいいことは知っているはずで、
それをいきなり指摘されて、バツが悪くて、
やっぱりイヤな気分になっちゃったんでしょうね。
(ごめんね)

今までの彼だったら
ここで権力争いになっていたのかも。

でも、このイライラをそのままぶつけるのは違うよね
それって子どもっぽいやり方だよね
ということに
成長してきた彼は気がついたんじゃないかな。

だって、そのやり方を、
今、3歳のしゅんすけが散々やっていて
その無効さをこうすけは毎日見ていますから・・・

これは娘から聞いた話ですが、
しゅんすけが泣きわめいているときに、こうすけが一言
「しゅんすけ、泣いてもぜったい聞いてもらえないんだよ」
って教えてあげていたそうです。
(爆)

娘のアドラー育児の成果でこうすけは、
感情を使っても目的は達成できないってことを
学んだのでしょう。

だけど、そこはまだ小学1年生、
うまく自分の気持ちをコントロールできないでいるのでしょう。

そりゃそうです!
パセージを学ぶお母さんたちだって、
「この感情を使っても目的は達成できない」
「この感情を使うと副作用が大きい。何もいいことがない」
って習って分かっても、

実践はなかなかなのですから。
(かく言うわたくしも・・・Orz)


彼がいっしょうけんめい
大人になろうとしていることが
とってもたのもしく、
とってもいじらしいです。

がんばれ、こうすけ。
みんな、いつでも味方だよ(^^)
 
 
 
 
 
 


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# by prem_ayako | 2017-11-23 23:13 | family
先週、ずいぶんひさしぶりに鳥取の娘の家に行ってました。

え~と、いつから行ってなかったっけ?ってちょっと調べてみましたら
なんと2015年9月以来でした。

2014年は8月にしゅんすけが生まれたので
娘の妊娠初期から産後まで、ほんとうに何度も行ったり来たりして
自分ちの台所より娘の家のほうでよく働いたぐらいだったのですけど

今回はすっかりお客さまをさせてもらって
2泊3日だけ、滞在してきました。

2年の間に、あたりまえだけど
1歳だったしゅんすけは3歳に
5歳だったこうすけは7歳になりました~(^o^)

ただ、でも、子どもの成長というものは
なんといいますか。。。
ただただかわいかった子どもたちも
なかなか扱いがむずかしくなってきたのでありました。


まずはしゅんすけさん。

8月末に3歳になったので
年少さんのひとつ下の「リス組さん」に入って
毎日、幼稚園に通っています。

こうすけも通っていた私立の幼稚園で、
広いお庭でも建物の中でも、子どもたちはみな元気に裸足で過ごします。
素朴な手作りのおやつをいただいて、毎日たのしく過ごしています。

が・・・
ただ単に疲れているのかもしれませんが
あんなにスィートだったしゅんすけさん、
若干怪獣化しておりました(^^;)

なんだか民度が下がったみたいです(笑)
いろんなキャラをやってみてるのかな。。。

だだをこねたり無理を言ったりする頻度が、著しく上がり
しょっちゅう、ガオーガオーと吠えておりました。

ご機嫌のいいときは、ほんとに天使みたいに可愛いんですよ♪
 私のお布団にもぐりこんできたり(^o^)
 ズボンをはきながらお歌を歌ったり
 ごはんを食べながら眠ってしまったり、ね。

でも、いったん「ボク、悪い子になる!」と決めたらさいご
1時間でも泣きわめきます。

娘もアドラー心理学を学んでいますから、
注目は最小限しか与えていないのですけど
それでも、エネルギーの有り余っているしゅんすけさんの
吠え声はどんどんエスカレートします。

道路の真ん中にひっくり返って泣きわめく幼児というものを
たぶん私ははじめて間近で見ました(笑)
(うちの息子はこういうことしなかったですから)

注目しないでほっていても、
少なくとも30分は全力でぐずります。
ちょっと声をかけてしまうと、さらに長引きます。


たとえばある朝、ごはんを済ませて
こうすけが小学校に出て行ってから
しゅんすけは着替えをせずにひとりで遊んでいました。
「おかあさん、あそぼ」
「あそぼうか。でももう少ししたら幼稚園行くから、先にお着替えしよう」
「いやだ、お着替えしない」

で、お着替えに時間がかかったので遊ぶ時間がなくなってしまいました。
まあよくある話ですね。

「いやだ、お着替えしない!お母さんと遊びたいの!」
から始まって
「のどかわいた。水のみたい!
 お母さんと遊ぶ!
 やっぱ遊ばない!
 いやだ、くつ履かない!
 このままで行くもん!
 やっぱ幼稚園いかない!」
とすべてにアクセントがつく非論理的な3歳児。

娘「今日は先生にご用があるから、お母さんは幼稚園に行きたいの」
「いやだ、お母さん行かないでっ!」
娘「じゃあくつ履いてちょうだい。いっしょに行こう」
「いやだっ、くつ履かない!お母さん履かせて!いやだっ履かない!」

私も娘も、何をしてもムダだということが分かりましたので
娘は「じゃあお母さんは行ってきます」
私がしゅんすけさんを後ろから抱きかかえて玄関まで連れ戻し
「くつを履いて幼稚園に行くか、ここで泣いているか、どっちかです」
とだけ言いましたら

ぎゃぁぎゃぁ泣き喚きながらも
ちゃんと全部ひとりでくつを履いて
「おかあさ~んっっ」と追いかけて行きました。
もちろんお母さんは、少し離れたところで待っていましたよ。


構造としては権力争いだと思うのですが
私のみる限り、娘はいっさい陰性感情をぶつけることなく、
冷静に気長に対応していて、よくやっているなと思いました。

しゅんすけはたぶん、今いろいろ試しているのだと思います。
ここで何を学んでもらうか、大事なところですね。


私が帰る日の朝、
「今回はご機嫌しゅんすけさんとあんまり会えなくて残念だったわ~
 次に来るときは、ご機嫌しゅんすけさんに会えたらいいな」って言ったら、
「・・・だってしゅんすけ、あのレモンケーキもっと食べたかったのに」
って、まったく関係ないこと言うんです(笑)
「そう?あれは一人に一個しかなかったの。次来るときにまた買ってくるわね♪」
「うん!」
と、なんだかわからない会話でもって仲直りして、
いつまでも「バイバーイ」と手を振ってくれました。


滋賀に帰って大きなJ先生にあれやこれやお話しすると
「あの年齢の子どもは、emotion じゃなくて mood に支配されているんだから
 自分でもどうしようもないんですよ。更年期といっしょだね」
ということでした(>_<)

この時期にホルモンバランスがぱちっと切り替わって、少年になるのだそうです。
次の切り替わりが、思春期なんですね。
そういえば、こうすけも3~4歳ごろはたいへんでした。
(ちょうど娘はしゅんすけを妊娠中で動けなかったし)

「じゃ、どうすればいいんでしょ」と聞くと
「ほっとくのがいちばんいい。そのうち通りすぎるでしょう」とのこと。

はぁ。たしかにこうすけも通りすぎました。
どっしりかまえて「そうなの~♪」とニコニコしているのが
もっとも早くこの時期を通りすぎるコツかもしれません。
(言うはやすし、ですけどね)

いやはや子育て真っ最中のお母さん方、
みなさんの頑張りにあらためて敬意を表します!!
私も、はげしくパセージの復習になりますわ(^_^;)
 

 
 
 
 
 
 

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# by prem_ayako | 2017-11-23 23:06 | family

English! English!

フランクの滞在中
実は私、ずっと困っておりました。

英語がね、出てこないのです。

いやなんせ、数年かけてウォルトン先生のご本を翻訳させていただいたのですから
あの本に出てくる先生の言い回しやクセなど
すっかり自分のものになっている、と思っていたのですが・・

読み書きができることと
それが口からするする流れ出ることとは
まったく別のことでありました(>_<)

さらに聴き取りに関して言えば、
オタクな仏教用語の英語ならまかせて!というぐらいになってきていて、
これもなんとなく安心していた根拠だったのですが

オタクな仏教用語は、当たり前のことですが、他では何の役にも立たんのでした。
日常会話にも、ましてやアドラー心理学的会話にも。

そういえば長いことICASSIにも行っていないので
ICASSIフレンズとも、じかに交流していないし
ここ数年は
同じぐらいにアヤシい英語をあやつるドルズィン・リンポチェや(笑)
旅先で出会う台湾人やシンガポール人だけと会話していたのでありました。


ウォルトン夫妻が関空に着かれた夜、
関空から滋賀へのタクシーの中で
まず、ウォルトン先生の低音域の英語が聴きとりにくい!
しかも私の返事も、あまり先生に通じないみたい。
私の発音が悪すぎるのかしら?
ちょっとヤバいかも、と不安になってきました。

でも、翌日からのアドラー心理学会総会の間は、
私のエネルギーの7割がたは
1)ルーティーンであるアドラーギルドのお仕事(来年の予定調整)
2)慣れない『アドレリアン』編集部のお仕事(原稿集め)
の2つに重点的に割かれており、
あとの3割はお勉強と交際とに割かれておりましたから
英語に頭がいかないのは仕方がない、と思っていました。

b0253075_22471718.jpgなんだか怒られているみたいな総会での私の通訳場面(^^;)
いえ、決して怒られていたわけじゃないんですけど。。

ところがその総会も終わり、
ご夫妻とあちこちご一緒する段になっても
・・・あかん!私、まだ英語出てこない!
と、だんだん焦りが大きくなってきました。

だって・・・
週末の大阪と東京での公開カウンセリングにおいて
クライエントさんの日本語を英語へ通訳するのは、私なのであります。

カウンセラーの英語を日本語に通訳するのは、J先生です。
これは、もう間違いなし!
スラスラ正確な訳語をお話しされるのですから、日本語から英語への変換も
J先生がやっちゃってくだされば嬉しいのですが・・・
そこは手伝ってほしいとお願いされ、不肖私がすることになっています。

なのに、英語が口から出るのに時間がかかります。
単語がなかなかひらめきません。
お喋りするより、黙っているほうが「ラク」なのです。
まだ英語で考えることができていない感じ。

(>_<)え~ん、誰か代わって。。。


しかし、泣いていても仕方がない。
どうやったら英語脳を取り戻せるのか。
・・・だいたいそんなもの私は持っているのか?
・・・いや、イヴォンヌとはもっと自由に楽しくお喋りできていたぞ。
・・・でも年を取って、もう英語ダメになったんやろか?
などなど、ついしょうもないことを考えそうになるけれど
全部ゴミ箱ポイして、何か対策を考えよう。
土日までに、英語をしゃべれるようにならなければ!


いわゆる専門の通訳さんにお願いすれば
きっと素晴らしく流暢に正確な英語を話されるでしょうが

アドレリアン・カウンセラーがクライエントを援助する際に、
クライエント理解を助けるために通訳がつくのだとすると、
やはり、ある程度アドラー心理学を知った者でないとできないと思うのです。
やっぱ、私がするしかないか・・・


で、せっぱつまって木曜日ぐらいから
ともかく四六時中、英語に浸かるようにしました。
朝起きたらJ先生に、Good mornig!
It's an awful weather today! から始まって食事中も英会話。
電車に乗ったら、目に入るものすべてを英語でどう表現するか考えます。
電子辞書を持ち歩き、「これはどう言うのかな?」と思ったら
その場ですぐに調べて解決します。
フランクとキャシーにも、できるだけこちらからお喋りします。

つねに意識を英語に置いておくって
けっこうめんどくさいし、苦行でした。
でも今だけ!とあきらめて
寝ても覚めても英語で考えるようにしていたら
その甲斐あって・・・

当日はなんとか、傍目にはするすると英語が出て、
ある程度正確に、
クライエントさんの言葉をフランクに伝えることが出来たように思います。

もちろん間違ったところも、つまってしまったところも、多々ありました。
特に、カウンセリング終わったあとの質疑の時間では、
もう頭がはたらかなくなっておりました。
申しわけありましぇん。私の能力の限界でございますm(_ _)m

でも東京のカウンセリングが無事終わったとき
フランクに「素晴らしいカウンセリングでしたね!」って言いに行ったら
「君の微笑みがいつもボクを勇気づけてくれたよ」と言っていただいて
きゃっ♪☆(^o^)v とうれしくなったのでした♪
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でも何よりも
この2度の公開カウンセリングで、得た財産があります。

役得ですが、私は通訳として
クライエントさんのすぐ傍にずっと座っていました。
なので、フランクがクライエントさんに向ける
眼差し
言葉
身体の動き
エネルギー、
その全てを、クライエントさんの位置で受け取ったのです。

これは本当に、文字どおり、得難い体験です。
カウンセラーがクライエントに対してとる attitude のお手本、
世界中のアドレリアンが認める
フランクの誠実で平等で真摯な Adlerian attitude を
クライエントの立場で体験することができたのです。

そしてこの体験だけで、
今回のウォルトン夫妻ご招待のさまざまなこと全てが、報われたと、はっきり思いました。

はい、報われました。
おつりがでるほどです。

イヴォンヌと出会ったおかげで、私は心理療法を学びました。
フランクのカウンセリングと出会ったおかげで、私はきっと
今よりもう少しましなカウンセラーに、成長することができるでしょう。
 

最後に、奈良のすてきなレストランにて
『子どもの協力をかちとる』の私の本にサインしてくださった
フランクの言葉をご紹介しておきましょう。
このお言葉を、すっかりそのままフランクへもお返ししたいと思います。

  To Ayako,
  My life has been enriched by getting to know you.
  I love you with my very best wishes,
  Frank Walton
 
 
 
 
 


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# by prem_ayako | 2017-10-30 22:59 | psychology

Hello, Dr. Walton

この10月、『子どもの協力をかちとる』の著者
アメリカのフランク・ウォルトン先生が来日されました。
あいにくお天気には恵まれませんでしたが、
何ごともなく、無事に帰られ、いまは残務作業も終え、ほっとしています。

いや~忙しかったです!

12日 夜 関空にご到着 → タクシーで大津のホテルへ(私たちも1泊)
13日 J先生とウォルトン夫妻:午後建部神社へ
   私:理事会と総会            → 落ち合って夕食
14日 午前、J先生演題発表他
   午後、ウォルトン先生講演・子育てシンポジウム → 懇親会
15日 総会終了後、京都に移動・昼食 → 彦根散策 → 京都のホテルへ

・・・と、ここまでは学会の公式行事も含め、予定内の忙しさだったのですが

17日 昼前に落ち合って昼食(ウナギ屋さん) → 京都錦市場散策
19日 京都市水族館 → 京都駅前のイオンモール → 東寺
20日 大阪に移動 → 大阪ダックツアー(!) → 夕食(ホテルの高級焼肉屋さん)

月曜はJ先生の診察日、水曜は私のカウンセリング日、なのですが
「火曜と木曜は、私たちはフリーなので、なんならご一緒できますよ~」
なんてつい、親切心で言ってしまったら

「おお!ぜひに!」
と思いのほか喜ばれまして(^_^;)
ほぼ毎日お付き合いすることになったのでした。

・・・当初の予定としましては、ご夫婦で来られるのですし、
そんなに私たちがお側に侍らなくても
自由に動き回っていただけばいいわよね♪
と思っていたのです。

でも本当にJ先生ったら良い人で
ぺろっと "OK, we will see you at 11:00 tomorrow!" とかって言っちゃうんです(笑)

え?
今、先生、we っておっしゃいました?
私と目標の一致できていないんですけど?(^^;)

私、わりと自閉的な人なんで、毎日出かけるの億劫なんです。
・・・まあでも、出かけてしまえば、けっこう楽しむんですがね(^o^)
少し恥ずかしい水陸両用バスにまで乗ってしまいましたし~

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ところで、このあたりから、ご存知のように大型台風がやってきました。

21日 大阪で公開親子カウンセリング → 大雨の中、東京へ移動(私たちも東京泊)
22日 東京で公開家族カウンセリング   外は嵐!!

悪天候の中、両日ともたくさんの方にご来場いただきました。
ほんとうにありがとうございました。
おかげさまで大成功のうちに終わることができましたm(_ _)m

22日の晩からは別行動になって、
ウォルトン夫妻は23日は外国人向けの「はとバス」で東京巡りを楽しまれ、
私たちは午前中に帰阪しました。
24日は自力で、東京から大阪に戻ってきていただきました。
つつがなく移動できて良かったです。

25日 大阪で落ち合って難波に荷物をあずけ 
           → 奈良に移動(昼食・東大寺散策)          
          → 難波へ戻って荷物を受け取って 
          → 関空へ移動 → 離日

 結局、2週間の滞在の間に
 大津・京都・東京・奈良と、都を4つ回られたわけです。
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お天気が良かったのは奈良だけで、あとは全て曇りか雨という気の毒さ。
最終日の奈良で、ようやく
日本の秋を感じていただくことが出来ました。

「アヤコ、今日は平日なのに、
 こんなに人が多いのはなんでだ?」
「あーフランク、あなたは信じないかもしれませんけど、
 今は日本のベストシーズンなんですよ。観光地は混んでいるんです!」
なんて言って笑い合いました。


フランクは、総会の後ぐらいから風邪を引かれたみたいで、
何度もクシャミをして少しおつらそうでしたし、
おふたりともJ先生より年上でいらっしゃいますし、
あんまりあちこち連れ回すのもどうかな~と思ったのですが、

J先生の提案に「うん、いいわね、それ行きましょ!」と(主にキャシーが)乗り気で、
あれこれお買い物を楽しみ、

フランクは釣りはできなかったけれど、b0253075_00143289.jpg
市場と水族館で魚を見て楽しみ、

おふたりとも食欲はいつも旺盛で

私が思っているよりも、ずっとお丈夫でした!(^^)
さすが、アメリカ南部の静かな敷地内の
裏の湖で釣りをしたり、畑で自宅用の野菜を作ったり、
シカの出没する庭でナチュラルな暮らしをしていると、
いつまでもお若い!と思ったのでした。



そして!おふたりの人あたりの良さが功を奏しているのか何か分かりませんが、

心斎橋日航ホテルでは、ツインルームが(無料で)
アップグレードしてもらえて、
最上階のスイートルームに泊まっていただくことができました!
(キャシーに写真を見せてもらったら、めっちゃ広い素敵なお部屋でした!)

しかも、帰りの飛行機も、ホノルルまで(無料で)アップグレードしてもらえて
ファーストクラスで悠々と帰国されたのです!!
なんて運のよい方々でしょう~~

10月28日、フランクからメールが届きました。

Dear Jalsha and Ayako,

Kathy and I returned home Thursday morning, happy, but sleepy. Our airline travel went smoothly and you know we had first class to Honolulu.
I appreciate very much that you invited me to help with the significant work you have been doing in Japan.
Kathy and I will always remember our visit. You were so very helpful to us throughout our visit. I have a much better understanding and appreciation for the Japanese culture.
Kathy and I regard you as our friends and hope the time will come when you will visit us at our home in South Carolina. We will talk about this in the future.

Warmest regards,
Frank with Kathy

日本に良い印象を持っていただけたようで、本当に良かったです!
最後の日の晴天と
ファーストクラスの飛行機のおかげですね~(笑)

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# by prem_ayako | 2017-10-30 22:31 | psychology

聞思修

シンガポールや台湾に行くと
瞑想中に、何らかの体験がおこることが多いのですが
今回はそういうのはありませんでした。

なんでかな?と考えて、それは
今回は、瞑想(修)ではなく、教え(聞)だったからだと気がつきました。

アミデワ・リトリートは、リンポチェとご一緒に瞑想する体験です。
合間合間に、リンポチェの選ばれたテーマでの teaching が入りますが
ほとんどの時間は、成就法とマントラのお唱えに費やされます。
だから、イッてしまえるんですね(笑)

「マハームードラ」は難しすぎるので、実際の瞑想に入りませんし
「三十七の菩薩行」も、常に「聞」のレベルで学ぶものです。

もちろん、その場にリンポチェが臨在しておられますので、
音声ファイルを聴いたり本で読むだけとは全く異なる体験になるのですが
(幸福感がまったく違います!)
どちらかというと、言葉で学ぶ「知的」な側面が大きいと思います。


思えば2012年のご来日の際は、ほぼ全て teaching でした。
2013年のときは、灌頂に少し成就法が入り
「ジクテン・スムゴンのラマチューパ」の中では
おんあーふーむ瞑想(修)を教えていただいた記憶があります。
でも、あとはほとんど「聞」だったような。

   暇満の舟なる人身得たからは
   自他を輪廻の海より救うため
   昼間も夜も心を散らさずに
   聞思修する仏子菩薩行

と、「三十七の菩薩行」の第一偈にありますが
「聞思修」をチベット語で「とー・さむ・ごむぱ」と言います。

5年前にはじめて仏法 teaching を「とー(聞)」し、
その後瞑想を積んできた「ごむ(修)」の体験を、
今回、あらためて teaching をいただいて、
「とー(聞)」のレベルで整理させていただいたように思います。

こうやって、何度も何度も教えを受けては実践し、
また教えをいただいて理解を深める・・・
ということを繰り返していくのですね。

何度もリンポチェから教えをいただいているこの環境こそ、
まさに有暇具足(暇満の舟)の人身です。
なんとありがたいことでしょう。

そして、アドラー心理学だって仏教と同じだな
としみじみ感じるのでありました。


さて、では「聞思修」の「さむ(思)」とは何なのか?

大きなJ先生にお訊きしたところ、
これは「聞」で教わったことをひとりで考えることではなくて
(それは瞑想の「ヴィパッサナ(観)」に含まれるようです)

伝統的には、チベット僧院で行われてきた「問答」などを指すということでした。
仲間と討論するとか話し合うとか、師に質問するとか、
他者との交流の中で「聞」を確かめていくことを「思」とよぶのだそうです。


そうすると~
わが日本ガルチェン協会は、
けっこういい線でプログラムを組んでるんじゃないかしら?

だって、今年3月、ドルズィン・リンポチェからいただいた
三十七の菩薩行が「聞」、
前行・おんあーふーむ瞑想・観音菩薩とターラー菩薩の成就法が「修」。

その後、復習会やおさらい会で、
みんなしっかりと「修」を繰り返していますよね♪

それから、インターネットでやってる「タルゲン勉強会」は
「思」になりますね!
こうじゃないか、とか、ああじゃないか、とか
みんなで智恵を出し合ってディスカッションしているのですから!

来年3月、ドルズィン・リンポチェにお願いしているのは
六波羅蜜の「聞」と
前行・アミデワリトリート・ポワの「修」です。
いい感じ!(^^)v

来週、アドラー心理学会の総会が終われば、
J先生も私も、本業の方が少し落ちつきますので、
そろそろ来年の詳細をお知らせできるのではないかと思います。
もう少しお待ちくださいね~

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行きの飛行機の窓から撮った香港島
喧噪や混沌から遠く離れて見ると美しい!






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# by prem_ayako | 2017-10-07 21:03 | tibet

ティーチング

9月29日(金)の夕方、
尖沙咀の街坊福利会という会場で
ガルチェン・リンポチェによる白ターラー菩薩の灌頂をいただきました。

古い学校の講堂といった趣の会場で、ざっと800人ぐらいでしょうか、
私には中国語の聞き分けができないので分からないのですが、
J先生によると、地元香港の方、台湾からの方以外に
大陸からの中国人が多かったようです。

英語通訳を聴くために受信機をお借りしたのですが、
電波がよく届くようにと、右の最前列に座るように言われました。
ありがたい! リンポチェの間近ですw

といっても、英語通訳を利用していた者はごく少数で
私たち日本人と、ほんの数人の西洋人だけだったように思います。


翌30日(土)も同じ会館の同じ席で
「ガンジス川のマハームードラ」の教えをいただきました。

2012年、2013年と2年連続で
日本でやはり同じ教えをリンポチェからいただきましたが、
チベット文化協会のラマ・ウゲンの日本語通訳があったにも関わらず
・・・なんだか今回英語で聴く方が、まだしも理解できたような気がします。

あの頃は
日本語の仏教用語自体、まだ全く無知でしたからね~
(と遠い目)

あれから私、
self-grasping(我執)だとか altruistic mind(利他心)だとか
普段は絶対使わないような仏教重要語句を
勉強したもんね(^_^)v

ただ今回、この教えを1日(実質4時間)でいただくというのは
いくらなんでも無理ですわ。。。
リンポチェも時計を気にされながらだし、通訳のイナもすごい早口だし
心をからっぽにして聴いていると、
うまくいけば時たま心に意味が届くという感じ(-_-)

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10月1日(日)は会場が変わって
地下鉄(MTR)で30分ほど行ったところにある、ホテルの豪華なお部屋になりました。
リンポチェのお椅子は、ぐっと座り心地の良いものになり
私たちの椅子も、お尻の痛いパイプ椅子からグレードアップしました。

でもね、リンポチェは、固いお椅子に座られているときも、
どんなに柔らかいソファーに座られているときも
同じ姿勢で、淡々とマニ車を回されます。
椅子の背にもたれるなどの楽な姿勢は、決しておとりにならないんです。
どんなに長時間でも、背中をくずさず座られるのだと
ドルズィン・リンポチェも言っておられました。

81歳のお年で、それは、どれほどのご意志の力かと感動しましたので
私も真似しよう!と思ったのですが
すぐに、忘れてしまいます・・・
この意志の弱さよ(>_<)


この日のご法話は、みなさまお馴染みの「三十七の菩薩行」でした。
これは、2012年5月
はじめてリンポチェにお会いした際に、最初にいただいたご法話です。

このお教えがあまりにも素晴らしかったので、これを本気で勉強しようと思い
手の届く範囲で「三十七の菩薩行」を学ぶべく
他のラマのもとへ、大阪、京都、名古屋へと出かけました。
また辞書を引き引き、チベット語原文でも学びました。

あれから5年経って、
根本ラマであるガルチェン・リンポチェから
この同じテキストをこうして香港まで来て教えていただいていると思うと
とても感慨深いものがありました。

少しは身についたのだろうか?と自らに問えば
いえ、未だ未だ!と言うしかありません(>_<)

それでも、特に後半(第22偈あたり)
深い深いところをお教えいただいたと感じています。


しかし、この日のお教えもやっぱり4時間だけだったので
リンポチェはめちゃくちゃ時間を気にされて
最後の方、イナの通訳はあり得ないほどの猛スピード!!
心を無にしても、とてもじゃないけど追いつきませんでした(T_T)

幸い、大きなJ先生が録音しておられたので
後でゆっくりと聞き直します。
でないとあまりにももったいない!


リンポチェのご負担を考えたら、1日4時間は限界だと思います。
実際には、その後に質疑応答やら blessing やら
帰依戒の時間があったりしましたし
ご高齢のお身体には、これでもかなりのご負担だったのではないかと思います・・・

「ガンジス川のマハームードラ」にしても「三十七の菩薩行」にしても、
以前のご法話の英語版が出版されていますので

今後は、教えの本体はそれらの本を参考にして学び、
実際にお会いした折りには、リンポチェのご臨在を随喜する
・・・という形になっていかざるを得ないのかもしれません。


また今回は、リンポチェと個人的にお会いすることは叶いませんでした。
前もって主催者に希望を伝えていたのですが
うまくアレンジできなかったようでしたし、
リンポチェのお疲れのご様子を見て、こちらからキャンセルさせていただきました。
(貪欲はいけませんからね!)

でも、最後の blessing のとき
カタを持って並んだ私たちにリンポチェは気がついてくださって

大きなJ先生に、「おお~ありがとー!」と、すぐに日本語でおっしゃって
おでこをごっつんこ!(^^)
私にも「ありがとー!」とおっしゃりながら
左のほっぺたにちゅっとキスしてくださいました(笑)

うれし~(^o^)
満足。
香港まで行った甲斐がありました♪♪(単純)

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# by prem_ayako | 2017-10-07 20:51 | tibet

香港

ブログのタイトルに反して、
最近はアドラー心理学についてのお話がほとんど書けていないです・・・スミマセン。

でもね、守秘義務のこともあるし
エピソードがあんまり書けないですからね。
いきおい、自分の体験したことを語るだけになります。

というわけで、またまた旅のお話です(^^;)


今度は香港に行ってきましたよ。
私にとって、はじめての香港 = 中華人民共和国!

例によってガルチェン・リンポチェの追っかけでしたが、
会場は、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)という九龍の中心地。
ホテルも会場から徒歩5分の、繁華街の真っただ中でした。

九龍(Kowloon)というと、昔は魔窟のイメージが強かったですけれど、
ガイドブックによると、今はそこそこ安全になってるみたいです。
せっかくだから、1日前に行って香港観光もしました。


関空から3時間で香港国際空港。
空港のあるランタオ島から市街へは、reasonable な路線バスを利用しました。
このバスが2階建て!
迷わず2階に座を占めて(^^)v
香港島の摩天楼をバスの窓から眺めました。

と~っても細くて高い特徴的なビル群は、
どうやら人々の生活しているアパートみたいで
よく見ると窓から物干しが突きだして、洗濯物が干されてます。
日本のタワーマンションが林立している感じでしょうか。

企業のビルは、むしろもう少し低く四角くて
日本でもよくあるような形状のビルが多かったです。

さらに、今なお建設中のビルもありました。
この街は、まだこの上も発展しようとしているのでしょうか。

先日大阪で観たブリューゲルの「バベルの塔」の絵を思い出してしまいました。
そんなに高く高く、上に上に上がって、いったい何がしたいの?
なんて考えてしまって・・・
どうも、この都市に渦巻くエネルギーにチューニングするには
私、少し気合いが足りない感じです(^^;)
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ホテルの近くでバスを降りたとたん
強烈な陽射しと湿気にくらくらっとしました。
いかん!日焼け止めを持ってこなかったわ!
日本はもうだいぶ涼しいので、油断していました。

ともあれホテルに荷物を置いて
ガイドブックを睨みながら裏道を探検し
広大な九龍公園を散策し
ガイドブックに載っている
安くておいしそうな大衆食堂に入って夕飯を食べました。

無難な揚げ焼きそばのあんかけみたいなものを注文しましたが、
おいしいんだけど、途中で食べられなくなっちゃいました。
なんでかな~

翌朝は、また別のお店に出かけて朝食セットを頼み
それなりにおいしく完食したんですけど
やっぱり後でお腹がもたれて、お昼をパス・・・
なんでかな~

残念ながら、香港の食べ物、私にはあまり合わないみたいです(-_-)
シンガポールでも台湾でも全然平気だったんだけど。
たぶん、脂かな。
ひょっとしたら、AJINOMOTO のせいもあるかもしれない・・・

その後は炒め物を避け、
4日間の滞在中、外食はできるだけ
肉まんとか水餃子などの点心を選びました。

それから、身体が果物をとても欲しがる感じだったで
見つけた果物屋さんで、すももやぶどうやバナナを買い込み、
ホテル近くの高級スーパーで、チーズやパンやショートブレッドなどを買い込み
幸せな朝食をホテルのお部屋で食べました。
そうしたらお腹の調子もすっかり良くなりました(^^)v


また、香港島と向かい合う港の方にも出かけてみました。
さすがに海の近くは、風があって快適です。
夜はまたさらに絶景でしょうね~
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やっぱり香港に来たからには、と
ブランドショップの立ち並ぶ廣東道(Canton Road)にも行きました。
もちろん通りすぎただけ・・・ですが
Loui Viton にちょこっと入ってみたりして(笑)
値段を見る勇気もありませんでしたけど~

さらに、翡翠市なんてのに紛れ込んで
あらゆる種類の翡翠の原石、装飾品が山盛りになっている店店を
呼び込みをかわしつつ眺め歩きました。
・・・が、やっぱり何も買わずじまいでした。

大きなJ先生が、来年のドルズィン・リンポチェのご来日までに
ぜひ金剛薩たのタンカを買いたいものだとおっしゃるので
チベット仏具を扱うお店も探し歩きました。
素晴らしい品揃えのお店を見つけて、
いろいろ見せていただきましたが、良いお品ばかり!
ちょっと良いお品すぎて・・・
これも今回は見送りました。


というわけで、欲望全開の都、香港で
よい子は禁欲的に身を律し、
物欲に負けることが決してなかったのでした~

めでたし、めでたし。
 
 
 
 
 
 

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# by prem_ayako | 2017-10-07 20:44 | travel
ラムケン・ギャルポ・リンポチェというお方のことを
私は勝手に「おひげリンポチェ」とお呼びしています。

数年前まで、わりとひんぱんに日本においでになっておられたようで
私は2013年初夏に東京の護国寺で般若心経を


2014年冬に、やはり東京の慈母会館でチュゥの教えを受けました。


どちらも、とてもとても尊いものでした。


おひげリンポチェにお会いする前の年に、はじめてガルチェン・リンポチェにお会いして
そのとき、ガルチェン・リンポチェの弟子になろうと決めたのですが
次いつお会いできるかわからなかったので

翌年6月、同じディクン・カギュの高僧であるおひげリンポチェから
最初の帰依戒をいただいたのです。

今もよく覚えています。
風の吹き抜ける護国寺の本堂で
おひげリンポチェの明快なご説明を伺ったこと。
質問への的確なお答えと
詠まれたチベット語の般若心経の美しさ。。。


帰依戒を受ける人は前に出るようにと言われ
リンポチェのすぐ前に左膝をついて手を合わせた私をご覧になって、
「彼女のような姿勢で座ってください」とおっしゃいました。
(なんとそのときの通訳さんは、先日大津で1日だけ通訳に来てくださったM先生でした)



2014年の慈母会館でのチューのお教えも素晴らしかったです。
おひげリンポチェはダマルを鳴らしながら
とてもよいお声でお経を唱えてくださいました。

ただ、最終日の午後から突然に
お風邪のような症状が出てこられて、声が涸れ
少し熱っぽいお顔になられて、お気の毒でした。
最後のチューの朗唱は、お付きのケンポに任せておられました。



このケンポとは、その後Facebookでお知り合いになったのですが、
その頃はおひげリンポチェとご一緒にヨーロッパやロシアを回っておられましたが、
そのうち、おひとりで写るお写真が多くなってきました。

そして少し前、おひげリンポチェのお写真が、ひさしぶりにアップされていました。
それを拝見すると・・・・・とても痩せておられて

あの丸顔とキラキラしたお目が・・・様変わりしておられて
前は黒々としていたおひげも、目立たなくなっておられて
・・・お年を召しただけではない変わられようだと感じて
とても悲しかったのです。

ですから、予感はありました。


今朝ほど、アメリカのガルチェン・インスティチュートからメールが届いていました。


Dear Sangha

H.E. Garchen Rinpoche has requested that his disciples around the world recite White Tara mantras as much as possible for all the beings who are suffering from the natural disasters now - the earthquakes in Mexico, the hurricanes in the Caribbean Islands, Puerto Rico and Florida and anywhere else in the world that is experiencing a natural disaster.

Rinpoche also is requesting his disciples to recite White Tara mantras for the long life and health of one of his teachers, who is very ill at this time - Lamchen Gyalpo Rinpoche.


OM TARE TUTTARE TURE MAMA AYUR JNANA
PUNYE PUSTIM KURU SVAHA


ガルチェン・リンポチェは世界中の弟子たちに、できるだけたくさんの白ターラー・マントラを、いま自然災害にあって苦しんでいるすべての衆生のために唱えるように言っておられます。メキシコの地震、カリブ諸島・プエルトリコ・フロリダのハリケーン災害、その他の自然災害にあった衆生のために。

さらに、リンポチェの師のおひとりであり、今とても重い病にあるラムケン・ギャルポ・リンポチェの長寿と健康のために。

おん たれ とぅったれ とぅれまま あゆ じゃな
ぷんね ぷてぃむ くる そーは

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  ほんとうに無常を感じます。
  父も師も去っていきます。
  おひげリンポチェが少しでもお楽になられますように。

 
 
 
 
 
 


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# by prem_ayako | 2017-09-21 22:48 | tibet

About My Father

シンガポールに持って行く荷物の中に
忘れず納めたのは、父の写真です。

死者供養の際に、父の名前といっしょに燃やしていただこうかなと思って
遺影に使ったファイルをL判の印画紙に印刷して、
裏に父の戒名と生年月日・亡くなった日を記して持って行きました。

b0253075_22431678.jpgシンガポールに着いた最初の日、
ガルチェン・リンポチェにカタを献げるとき、
通訳のW先生にお願いして、ちょっとそばに来ていただきました。

そして私の番になったとき、通訳してもらって次のように言いました。
「この6月10日に父が亡くなりました。
 これが父の写真です。
 死者供養をするつもりなんですが、
 父の顔を、ひと目リンポチェに見ていただきたくて・・・」

リンポチェは父の写真を手にとってご覧になると
「亡くなっても心にいるので、
 いつもいっしょじゃよ」
とおっしゃいました。

私が自分の耳で聞き取れたのは
リンポチェがご自身の胸を叩いて
「セム」とおっしゃったところだけです。

でもそれだけでじゅうぶんでした。
胸がいっぱいになりました・・・
ちょっとの間リンポチェのお手に触れたまま、ものが言えませんでした。

リンポチェが手にとってくださった父のこの写真は、
燃やさずにとっておこうと思います。


後で、この時のお言葉を何度も思い返すのです。

以前、大きなJ先生のお母さまが亡くなられ、直後にシンガポールへ行った年、
ガルチェン・リンポチェはお母さまの写真をご覧になって
「リトリートの中で死者供養をするから、そこに出しなさい。
 祈れば必ずデワチェンに行けるであろう」とおっしゃいました。
なので私はなんとなく、このたびも同じお言葉をいただくものだと思っていました。

でもそうじゃなかった。。。
父は私の心の中にいつもいる・・・
というお言葉をいただいたのでした。


・・・リンポチェは、相手への慈悲からお言葉をくださいます。
私の父への思いを見て取られて
こう言ってくださったのではないでしょうか。


アミデワ・リトリートの期間中、
主に心の中でいろんなことが起こりますが
このできごとを反芻しながら「おんあみでわふりー」を唱えていると
あるとき、畏れ多いことですが、父とガルチェン・リンポチェが重なりました。


思えば私のリンポチェへの愛着は、
子どもが父親に対してもつ愛着に似ています。

私にとって父は、やさしくて絶対的な存在。
疑いなく私を愛してくれる人でした。
あまり側にいられないけれど、できるだけ側にいたい人。

そして高齢となった父は
壊れやすく、なんとしても労りたい。
その人生を、できるだけ苦少なくまっとうしてもらいたい。
尊敬と感謝と慈しみとが入り混ざった
なんともいえず愛しい存在でした。

ガルチェン・リンポチェもそう遠くない未来に、涅槃に入られます。
この方も、私の前から去っていかれます。。。

そうか・・・いつも心の中にいるのは父だけではありません。
リンポチェは、ご自身が肉体を離れられても
わしはそれぞれの心の中にいる
いつもいっしょじゃぞ
(悲しむことはないんじゃぞ)
と教えてくださったのかもしれません。


心は鏡のようなものである、と
初日のご法話でおっしゃっていたような気がします。
穢れた心でいるならば世界は穢れて映るし
浄い心でいるなら世界は美しく映る・・・というような。

すべてが心であるならば
父も・・・すべての死にゆく者たちも
いっしょにいるのだという物語を映すこともできますし、

いや(デワチェンに行ったのだから)いっしょにいない
という物語を採用することもできるでしょう。

リンポチェは私の心の耐性に合わせて
慈悲の物語を与えてくださったのだと思いました。
(T_T)


おんまにぺめふむ
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# by prem_ayako | 2017-09-09 22:50

The 1st Day in Singapore

(すっかり季節が変わり、古い話になってしまったんですけど・・・
 よろしければお読みください)

8月8日の朝8時に函館から帰宅して
その日の夜8時には関空におりました。

朝ご飯を食べて、1週間の旅の用意をして
ざっと掃除機かけて、お風呂入って昼寝して、
メールチェックしてブログアップして、ゴミを出してダッシュです。
できるもんですね(^^;)


シンガポールは4回目です。
最初の2回はJ先生とふたりきり。
昨年は約10人、
今年は約20人の日本の仲間と参加することになりました。
関空から、通訳のW先生といっしょです。

9日早朝、お馴染みのチャンギ空港に無事到着し、
時間をつぶして午前8時すぎ、
ダルゲーリン(ドルズィン・リンポチェのお寺)に向かいました。

今年のシンガポールは例年ほどには暑くなく、
2晩連続で夜行移動の私としては、たいへん助かりました。

ダルゲーリンでタクシーを降りると
成田からの到着組が、鍵がかかっているとビルの外で待っていました。
8時に開けると聞いてたのにね・・・と、ドアの小窓から覗いてみると
お坊さんがふたり、祭壇を調えておられるのが、かろうじて見えました。

ピンポンを押しても反応がないので
何度かノックしてみると、ようやく気づいてくださいました。
そうして扉を開けたお坊さんは
5年前から、毎度ここでお会いしているラマ・ツェリン
あちらも「おお!」とニッコリされ、大きく扉を開けてくださいました。

続々中に入ると、奥からドルズィン・リンポチェがご登場!
(リンポチェとお坊さん方は、ここに住んでおられるんですね)
みんなハグして感動の再会です(^o^)

そのうちにスタッフの方々もやって来られました。
ガルチェン・リンポチェのお座をつくって、私たちの座布も並びました。
どうやら・・・今回はいつもの奥の部屋ではなく
仏像やタンカの並んだ本堂でお会いできるようです(やっぱり20人で来ると違うわ!)

通訳のW先生を含む日本人の半数以上は、
3月のドルズィン・リンポチェのリトリートに来られた方々で
ガルチェン・リンポチェとお会いするのは、このたび初めてです。

お約束の9時近く、いったん座っていた座から
そうだICレコーダーを出しておこう、と荷物の方へ歩いて行ったとき、
ちょうど!ガルチェン・リンポチェが入ってこられるのに出くわししました。
さっそくみんなに告げて、立って合掌してお迎えしました。
(そしてICレコーダーのことはすっかり失念いたしまして・・・
 今回も録音し損ねましたとさ・・・)

ガルチェン・リンポチェはニコニコと、とてもお元気そうです♪
いつものように慈愛深く
みんなの顔を見回してくださいます。
この笑顔にあえば、私たちも笑顔にならないではおれません。

b0253075_22222612.jpg大きなJ先生が日本ガルチェン協会の会長として
3月のリトリートが大成功に終わったことや
今後の計画や、
リンポチェへのお願いなどを伝えられました。

ガルチェン・リンポチェは
通訳のW先生が楽な姿勢でお仕事できるように
気を配られます。
こういうところ、本当にガルチェン・リンポチェらしい!
ご自分のことより、いつもまわりの衆生のことを考えてくださいます。

今までは15分ぐらいしかお時間をいただけなかったのに、
今回はなんと1時間(!)
日本人のために、リンポチェはお時間を割いてお話をしてくださいました!
(やっぱ20人いると違うわ again)
そして今回も、録音できなかったことが悔やまれる again です。

でも、あとで大きなJ先生にお尋ねしたところ、
次のように概要を教えてくださいました・・・

 このように私(Jalsha)は聴いた。
 輪廻も涅槃も全て私たちの心(セム)である。
 心が穢れていると(我執があると)輪廻になり、心が清まると涅槃になる。
 智恵と慈悲によって心は清まる。
 一生懸命勉強して智恵ばかりを増やしてもダメで、
 日常生活の中で慈悲を磨かなくてはならない。
 菩提心の瞑想(ゴム)をすることが必要じゃ。
 そうすると心がしだいに清まって、やがて智恵も生じる。
 こうして心が完全に我執から離れると仏になるのじゃ、と。

私のいいかげんな記憶では
「セム(心)」で始まって「ゴム(瞑想)」で終わるんだな・・・って程度でしたので(>_<)
J先生に感謝感謝です!


ありがたいご法話の後、
思ってもいないことが起こりました。
ドルズィン・リンポチェが目配せされて、
大きな布の巻物が、ガルチェン・リンポチェの前のテーブルに置かれました。
それを、私たち日本のサンガにくださるというのです!
b0253075_22262439.jpg
開いて見せてくださったものは、
ディクン・カギュ派の創始者であるジクテン・スムゴン大師のお姿を中心に
系譜のラマたち、ご本尊、まわりにはウサギや象が戯れる、
とても美しいタンカでした。
(今年はジクテン・スムゴン大師の入涅槃800年記念の年なのです)
絵そのものも大きいですが、軸装もたいへん立派です。

台湾ではお釈迦さまのお像をいただきましたが、
今回はタンカですか!
ありがたすぎます(T_T)

それからひとりひとり、ガルチェン・リンポチェにカタをお献げして
記念写真を撮って、ちょうど1時間でガルチェン・リンポチェは退出されました。
b0253075_22282617.jpg
このようなご厚遇、すべてアレンジしてくださったのは、
われらがドルズィン・リンポチェです~(T_T)


面白いことに、
この後4日間のアミデワ・リトリートの間も
日本の参加者の間でドルズィン・リンポチェの株は上がりっぱなしでした(^^)

3月のリトリートでドルズィン・リンポチェの帰依戒を受けられた方々はやはり、
ドルズィン・リンポチェlove!みたいです。
私はやっぱりドルズィン・リンポチェはお兄ちゃんみたいな感じで
ガルチェン・リンポチェの方に、隙あらばベタベタしちゃうんですけどね(笑)

 
 
 
 
 
 
 
 
 


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# by prem_ayako | 2017-09-09 22:35 | tibet

函館4(車中泊)

東北新幹線で海を渡るのは初めてです。
まさかこんな緊急事態で乗るとはね。。。

実は、以前にも北海道では緊急事態にあったことがあるんです。
あの時はやむをえなく、生まれて初めての飛行機に乗りました。

今を去ること○十年前、
私が大学生、二十歳ぐらいのときです。
3週間ほどのはじめての北海道旅行の帰り、
記録的な大雨で、ほぼ全道の鉄道が土砂崩れなどで運休になってしまったことがありました。
私は礼文島からの帰りで
電車で札幌に出ようとしていたら、旭川で止まってしまいました。
しかたなく旭川で1泊して
翌朝、駅に行くも、どの線もほぼ運休中。
唯一動いていた富良野線に賭けで乗ってみたら、
やっぱり途中で停止してしまいました。

富良野駅でたむろしていた旅行客らと乗り合わせて
タクシーで豪雨の中、苫小牧に出ました。
決死の日高山脈越えでした(^^;)

苫小牧でさらにまた1泊。
翌日ようやく動き始めたJRで千歳に出て、
生まれて初めて乗る飛行機で伊丹まで帰ったのです。。。

○十年たって、
今度は飛行機が止まって電車で移動かぁ。。。
あの時の借りを返す感じかな?(^_^;)


さて、16時台の東京行きは立ち席しかなかったので、
17:21発のはやぶさ34号の指定席をとりました。
東京駅に着くのは21:23です。
けっきょく飛行機と同じぐらい遅くなりますが、
羽田に夜に着いてうろうろするより、東京駅の方が私にしたらずいぶんましです。
なんせ土地勘がありませんし、方向感覚もありませんからねぇ。

i phoneの充電は、新幹線に乗ったら問題解決しましたので、
大きなJ先生に連絡をとりました。
先生も外来診療のお仕事中でしたが
やっぱり台風の影響で患者さんが少なかったみたいです。
先生が東京八重洲口発の夜行バスをうまくゲットしてくださいました!
頼りになりますぅ~!ありがたい!!

パスワードをお訊きして
青函トンネルを抜けたあたりでチケット画面を開くことができて
ほっと一安心。

あとはバスの運行状況ですが
台風は現在まさに琵琶湖あたりにいて、そのあと北上するらしいので
夜中に東京から京都に向かうルートは
あんがい大丈夫かもしれません。
うまくいけば台風をかいくぐって帰れるはず、と踏みました。
(実際、中央自動車道を通る夜行バスは運休になっていましたが
 東京から京都、大阪方面の夜行バスは、問題なく動いていました)

東北新幹線は遅れもなく、東京駅に着き、
八重洲バスセンターに直行すると、旅行客でごった返していました。
待合室になんとか座れる場所を確保し、
朝、函館で買ったいちじくとくるみのパンを夕食としてかじりながら
23時の出発を待ちました。

あとはバスに乗り込んで寝るだけです。
でも夜通し、窓の外はびゅうびゅうと、ものすごい風の音でした。
バスの運転手さん、がんばって運転してくださいませ!

でも京都に着く頃には風の音も弱くなり、
数日ぶりにセミの声を聴いた気がしました。
午前7時半、無事JR京都駅前に到着し、8時には自宅に帰り着きました。

不思議といつもの朝のように
8時の朝食に間に合ったのです。
いつもどおりの朝食を、J先生が用意していて待っていてくださいました。
うれしいことです。



ではこれから、今度はシンガポールに向けて旅立ちます。

ガルチェン・リンポチェ、
ドルズィン・リンポチェに、
もうすぐお会いできます~♪


ひとまず終わり

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# by prem_ayako | 2017-08-08 14:23

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako