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アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

On the Road to Buddha

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その後、ガルチェン・インスティテュートと別れを告げ
約束の時間に来てくれた Steve の車に乗って
Prescott まで送ってもらう道での出来事です。

町までの道の大半は、茶色く乾いた primitive road です。
両側に広がるのは、いわゆる ranch(牧場)と呼ばれるもので
ところどころに牛や馬が放されていますが、人っ子ひとり見えません。
人家もどこにあるのか分からないほどだだっ広い土地と
低く垂れ込めてきた曇り空だけが延々と続いている中、

突然人影が現れました。

黄色、というよりは土色の布を頭からかぶり
やはり土色のバッグをかついで
背筋をのばしてまっすぐに歩いているのは
女性のようでした。

「Theravada woman...」Steve が呟いて速度を落としました。
「よかったら乗っていくか?この車には女(私のこと)も乗ってるよ」と
その女性に声をかけました。

「Where are you going?」その女性が尋ねました。

彼女の目的地は、Prescott よりもまだ先のようです。
「どこまででも送ってあげたいが、after Prescott there's no woman.」

テーラバーダの女性はしばらく考えていましたが、
「Well, I just keep on walking the road.
Probably somobody with a woman will pick me up.」
「でも現れないかもしれないよ...」
「Probably may not. But I like to just go on the road.」

Steve は、このあたりの道を教え、
もう一度行けるところまで乗せていってあげようと申し出ましたが

彼女は、
「ご親切にありがとう。でもやっぱり私は歩いて行くわ」と、
いったん置いた荷物をまた肩にかけました。

「Cell phone をもっているか?」
「No, I don't have a cell phone」
女性はもう歩き出しています。
「Wait, what is your name?」
その名は、私には聞きとれませんでしたが、Steve は
「Nice name!」と叫んで発車しました。

私はいそいで窓を開け、彼女に合掌しました。
唯一の女性である私に向かって彼女は微笑みを返し、
後ろの土埃の中に消えました。

陽に灼けた顔と薄茶色の瞳。
薄い乾いた唇。
西洋人のようでした。

テーラバーダ(上座部仏教)のどの宗派なのか分かりませんが、
巡礼の途上なのでしょうか。
そして彼女の戒律では、
男性と同席することが固く禁じられているようでした。

ずっしりと重たい荷物を担いで
彼女は何時間もこの荒れ野を歩いてきたのでしょう。
そしてこれからも歩いていくことを、彼女は選びました。

いきなり現れ、また消えていった女性。
不思議な manifestation.

彼女は私たちにだけ見えた幻だったのかも・・・

 I just keep on going this way.
 I just keep on going this way.


あぁ! 彼女は
今の楽を選ばず、戒律を守ることを選んだ。
今の苦を選び、未来の楽を選んだ。

私がこの10日間、何度も何度も
ガルチェン・リンポチェに教えていただいた戒律 samaya は何だったでしょう?
それは、菩提心 Bodhicitta です。

 この世の楽にとらわれず、
 六波羅密を完成し、
 ターラー菩薩を心に念じ
 自他の妄分別を捨てること。

あの女性は、私たちの旅立ちに際しての
リンポチェからのメッセージだったのではないか
あの女性の姿は仏さまの顕れだったのではないか

そう気がついて
後ろの座席で私はひとりで泣きました。


 Just keep on going this way.
 Just keep on going this way.

私の道は何でしょうか。
私の道はどこへ続いているのでしょうか。

それはたぶん、楽なものではないのでしょう。
荒れ野に通る歩きにくい道。
自分の荷をもち自分で歩くしかない道。

 歩き続けるのじゃ
 忘れるんじゃないよ

とリンポチェが教えてくださったのだと

私には思えてなりません。

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これで Chino Valley への旅の話は終わりです。

読んでいただきありがとうございました。




# by prem_ayako | 2018-02-03 23:49 | tibet

Namo Sangha Ya!

1月8日のことをまだ書いていませんでした。

プログラムはすべて前日に終わったので
もうリンポチェにお会いすることはできません。
リンポチェもアニもラマたちも、通訳のイナもみな
あの2階建てのお屋敷のお部屋で休んでおられることでしょう。

Namo Sangha Ya!_b0253075_23205538.jpg

朝ごはんはタシ・ハウスですませることもできましたが、
最後にもう一度コルラをするために、
夜明けに山を上っていきました。

来た最初の頃のJ先生は
この坂を上るのがほんとうにお辛そうだったのですが、
今は、ゆっくりとですが確実に歩いて行かれます。
ほんとうに来てよかった。。。

何度も何度も
おんたれとぅったれ・・・とターラー菩薩真言を唱えながら
塔のまわりをコルラしました。

この日は、ここへ来てはじめての曇り空で
考えてみればこの十日間まったく雨は降りませんでした。
毎日、抜けるような青空で、
毎夜、降るような星空で、
チベット人の言う「なむかー(虚空)」とは本当はどのようなものなのか、
私は生まれて初めて知りました。

Namo Sangha Ya!_b0253075_23212169.jpg

  顕現するもの自分の心なり (三十七の菩薩業 第二十二偈)  

このガルチェン・インスティテュートが
こんなにも清いバイブレーションに包まれて
小鳥がさえずり
すぐそこを鹿が歩き
朝焼けも夕焼けもため息がでるほど美しく
晴れていても雲があっても空は透明で
遠くの山はいつも表情を変えて
私たちに語りかけてくるのは

ここに集った私たちみんなの心の顕れなのだと思いました。


いつの日のセッションだったか、
ご法話の後、全員で「法身普賢の誓願」をお唱えしたら
たいへんリンポチェがお喜びになられ、お目を少しうるませて
「なも・さんがー・やー!」「なも・さんがー・やー!」と
何度もおっしゃりながら退出されたことがありました。

このとき私も、ただ一心に、お経を唱えていたのです。
おそらくサンガのみんなの心がひとつになっていたのでしょう。

リンポチェの喜んでおられるさまを見て
あぁ、このお方に喜んでいただけるようなサンガを、日本にも作りたい
と、はじめて心の底から思いました。

  顕現するもの自分の心なり

ガルチェン・リンポチェのお力のおかげで、
このたび集まった私たちみんなの心が清まって
ここに美しい世界が顕現しました。

しかし、ということは
リンポチェのお力に頼って実現したこの聖なるサンガは
集まる衆生の心によって変化するということです。
この Buddha Field も無常なのです。


私のすべきことは
この美しい場所にまた来たいと願うことではなくて、
この美しい場所を自分のまわりに作るために
努力していくことだと気がつきました。


心がリンポチェと共にあり、
心がリンポチェと結ばれておれば
いつかこの世界を作り出せるはずです。

私は非力ですが
リンポチェとつながる仲間を
ひとりずつ増やしていくことで、
その先に、いつかサンガができるはずです。

大きな気づきを得たような気がします。

なも・ぶっだ・やー!

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# by prem_ayako | 2018-02-03 23:23 | tibet

Tashi House

Teaching にはさまざまな人種の人が参加していましたが
ほぼ全員がアメリカ在住者だったようです。

黙っていたら、私たちもアメリカに住む Chinese かと思われるみたいで
Japanese だと言うとかなり珍しがられた上に
日本からわざわざ来たと聞いて、さらに驚かれたものです。

私たちが10泊したのは
インスティテュートの敷地内だけれども
山の上の temple や食堂からだいぶ下ったところにある
タシ・ゲストハウスというおうちでした。

テントでの雑魚寝、寺院内での雑魚寝、
キャンピングサイト、自分のテント、車中泊、
と選択肢はいろいろありましたが、
ベッドを確保できるのはここだけだったので
軟弱な私たちは、当然、この冬のさなか、
少々お金がかかっても安全そうなタシ・ゲストハウスを選びました。

同じように考える人はわりと多いようで、タシ・ハウスのお部屋だけは
インターネット予約する際に、見る間に埋まっていったのでした。

というわけで、
ガルチェン・インスティテュートで最もゴージャスな(はずの)タシ・ハウス。
まず入り口からご覧に入れましょう。

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内部には、いたるところにリンポチェのお写真、
ターラー菩薩のお写真が飾ってあります。
素敵でしょ。

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立派なキッチン。
車で来る人たちはもちろん自炊です。
ただし、ペットボトルの水一本、ここにはありませんので
麓の町まで悪路を1時間走らなくてはなりません。

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シャワーは1つ。
お風呂はなし。
トイレは2つ。
2人~4人部屋が5つぐらいかな。
ここで、カップル2組とあと7~8人が共同生活をしました。


「マリーゴルド・ホテル」という映画をご存じですか?
数年前に飛行機で観たのですけど
タシ・ハウスの生活は、ちょっと「マリーゴルド・ホテル」みたいでした

つまり、さまざまな同宿者、それぞれのキャラがすごく立っていて、
最初はよそよそしかったのが、共に生活するうちに
ほんとに仲の良い family になっていった感じなんです。

もちろん全参加者100人ほど、みなけっこう仲良くなるのですが、
タシ・ハウスの同宿者は特別でした。


少しご紹介しましょう・・・

日本人にはまずいないだろうタイプのキャラなら、Donna(ダーナ)でした。
いつも真っ黒なパンツスタイルで、ふわふわの銀髪に銀縁眼鏡。
私は勝手に「お蝶夫人」と呼んでいました~(^_^;)

Takiko の次に怖い人ねと最初は思っていましたが、
どうやら、短いシャープな冗談が好きなだけだったみたいで
言葉の不自由な私たちのことをとても気にかけてくれて
ありえないほどおせっかいをやいてくれました。
言うとおりに動かないとちょっと怒られるぐらいの勢いで(笑)

私たちが帰りの交通手段を確保できたのは、
ひとえに Donna が親身に協力してくれたおかげです。
バス会社への連絡を手伝ってくれたり
友達の Steve に話をつけてくれたりしたのです。
ほんとにありがとう!


カナダから来た Sally はとっても太って足が悪く、
いつも杖をついてゆっくり歩いていました。
Temple の外の靴脱ぎ場でよくお喋りしましたっけ。
Donna みたいに前には出てこないのだけど、
私たちを何気なく見守ってくれていて
必要なときに、すぐ手助けを申し出てくれました。

ご両親が oriental 好きで(ちょっとニュアンスがよく分からなかったけど)
妹さんがテーラバーダ(上座部仏教徒)でタイに住んでいるそうです。
彼女自身、インドにもチベットにも旅をして、いろんなラマに会ってきたようです。
そのうちにガルチェン・リンポチェに行き着いたのだとか。


名前を忘れてしまったけれど、ミネソタ州の漢方医はスペイン人で
まじめで、やさしく静かな若者でした。
彼はタシ・ハウスのリビングルームに
いい香りの incense をまいてくれました。

彼とガルチェン・リンポチェとの出会いはずっとずっと前、
アパートの友達の部屋でだったそうです。
帰宅した彼が扉を開けると、20人ほどの人が集まっていて
正面にマニ車をくるくる回すチベット僧がいたといいます。
体験したことのないことだったのでよく覚えていて、
何年も経ってから、それがガルチェン・リンポチェだったと知ったのだそうです。



そして最も驚くべき出会いは
Brian と Patris の夫婦でした。

Brian の声はとてもやわらかく、
話し方がちょっと Walton 先生に似ていて聞き取りやすかったので
最初の日から私は、彼にはなんだか気を許せていました。
Patris はブロンドの美人で
Brian が Patris にぞっこんなのは、傍目にもよく分かりました。

なんとなくいい感じのカップルだな~とは思っていたんですが

ほとんどもう teaching も終わる頃、たまたま食堂で隣同士に座ったときに
はじめてお互いのことを詳しくシェアし合ったら、
たくさんの共通点があることが分かったんです。
夫婦になってからの年数や
子どもや孫の数や年齢や
自分たちの年齢や
職業まで!

実は Brian は
若いころに16世カルマパと出会い
インドのダラムサラで得度した
チベット僧だったのです。
カルー・リンポチェの指示で、フランスのカルマ・カギュ・センターに赴いた
4人の西洋人のうちのひとりだったということです。

18年後、身内の死に際してアメリカに戻り、還俗し、
チベット語の通訳でしばらく暮らしていたそうです。
何冊か翻訳書を出しているようです。

さらに後年、仏教の教えを生かしてセラピストになり
非行少年たちの更正や
家庭的に恵まれない子どもたちの援助に尽くしてきたそうです。

今、60代後半ですがすべての仕事を引退し
ダラムサラで若い頃に見そめて以来思い続けていた Patris と、
数年前、ついに結婚したんですって!

 十代の Patris は、息をのむぐらい美しかったんだよ!
 でもそのころ僕はチベット仏教に恋していたし
 彼女は亡命チベット人と結婚してしまったんだ。
 再会して、今こそ Patris と結婚する時だ!と思ったんだ。

ということで。
ごちそうさまです(^^)

しかし、驚くべき人生ですね。

タシ・ハウスで最後の夜、私は Brian と2人だけでたくさんたくさん語り合って、
今までここで誰にも打ち明けなかったこと・・・つまり
もともとはとても活動的で聡明なJ先生が
ここに来た当初、たいへん具合が悪くて心配な状態だったこと、
それがリンポチェからお薬をいただいて
劇的によくなってきていることなどを
彼にだけ、はじめて話しました。

伝えたい内容を伝えたい相手に伝えるなら
すらすらと言葉が出てくるものです。
私はずっと胸にしまっていたことを Brian に話すことができて
とても癒されました。
Brian は心から、J先生の健康を祈ってくれました。

彼と出会えたことは大きな収穫です。
お互いのアドレスを交換したので、いつかまた会える日があると思います。



出発の前には
タシ・ハウスに残っていたみんなとお別れをしました。
出会えてよかった
いつかまた、会いましょう、と。

いつかまた・・・
Someday in future.

人生に何が起こるかは誰にも分かりませんから
いつかまた、本当にここに来ることがあるかもしれません。
Nobody knows....

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# by prem_ayako | 2018-01-24 16:58 | friends

Karma Yoga

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このサンガでは、大きな行事の際、
スタッフでない参加者にも、
みなひとつずつ何らかのお仕事が割りあてられるようです。
それを「カルマ・ヨガ」と言います。
カルマ・・・すなわち「行動」「お仕事」ですね。

「カルマ・ヨガ」の時間帯と内容が記された緑のカードが
私たちにも1枚ずつ配られました。

J先生のカードには
 8:45~9:00 Dish washing
と書かれていました。

体調の悪い人は免除されると聞いていたのですが、
最初の日、先生はちゃんとお仕事に行かれました。

みんなの朝ご飯の食器を洗剤の入った洗い桶で洗って
ぽちゃんぽちゃんと次の洗い桶に入れていくという作業で
けっこう楽しかったそうです。

ただ、このお仕事は、期間中毎日のことだったのに
先生はそれをご存知なくて、
2,3日サボってしまった後にもう一度行ったら、
「人手は足りているからいいよ」と言われてしまったのだそうです(^^;)


私の方のカードには
 13:15~14:00 Kitchen: putting things away
と書かれていました。
私の方が時間が長いです。
・・・適性など、ちゃんと判断して決められてるみたいです(^_^;)

お昼ご飯は12:00からなので、ゆっくりと食べ終わってから
13:00すぎ、少し早い目に配膳台あたりに行きますと
Takiko という女性に「Staff が来た!」と大歓迎されました。
はてな?
どうやらこちらは、人手が足りないもようです。

Takiko は誰かに似ているなぁ~とずっと思っていたのですが
数日たってから、あ、歌手の Tina Turner に似ている!と気がつきました。
分かります?
そんな感じの、迫力あるおばさまなのです(^^;)

ここのお仕事は、残った昼ご飯のおかずを
それぞれ清潔なコンテナーに移して
きちんとラベルを貼って冷蔵庫に保管することと、
配膳台周辺をきれいに拭き上げて、夕食の配膳に備える
というものでした。

説明を受けたあと、
食材の名前をラベルに書くのはちょっとハードルが高そうだったので
「私は hearing ability が低いので clean up の方をさせてください」
とお願いしました。

Takiko は日本人ではないのですが、
お母さんが Takiko という日本名が好きで、この名をつけたのだそうです。
なので彼女は、もとから日本人びいきではあるのですが
私の hearing ability の低さと
それに伴う呑み込みの悪さは、
彼女の好みに合わなかったようです。。。

だいたい、遅れて昼食をとりに来た人にぶっきらぼうに応対した挙げ句、
「Are you angry?(怒ってんのか)」って言われるぐらいにこわもてなんです。。。

私も「Do you understand the teaching?」って聞かれちゃったりしました。
「私は普通のお喋りの方が難しいのよ」って答えましたが(笑)

でもさ、英語で軽い冗談を交わしながら仕事するって
なかなか難しいですよ。
いや、英語でなくても、あまり私の得意とすることではありませんけど・・・


とりあえず布巾の置き場所や
消毒スプレー(たぶんアルコールとお酢を混ぜたようなもの)の場所など
必要最低限のことを教えてもらって、
それから毎日、黙々と台を拭いて片付けました。

13:15からなのですが、その時間ちょうどに行くと、
既にひとりで仕事を始めていて、
私が「I'm sorry, I'm late」と謝ると
「OK.忘れてはいなかったのね」と無愛想に言われたりしました。

まぁねぇ、言葉がうまく通じないから
私とどう communicate すればよいのか、
彼女も分からなくて、困っていたのかもしれません。

2日目、3日目あたりは、他のスタッフもいたので
Takiko はその人たちと楽しそうにやっていましたが、
日を追うごとに、彼らはだんだんと来なくなってしまって、
最後まで欠かさずにここの仕事をしたのは、Takiko と私の2人だけでした。

「冷蔵庫にドレッシングを片付けましょうか?」と尋ねると
「その前に容器を拭いてちょうだい」と言われ、
「I did it」と言うと
「Oh...you wiped them already. Perfect.」
みたいになってきて

しだいに私めの評価が上がってきたみたいです。
 私たち、ふたりで協力できたわね
 とてもよいチームワークよね
 すごく手早いわ
となってきて、終わりの頃には
 アヤコ、あなたの仕事は perfect だわ
 あなたと仕事ができてとても良かったわ
と言ってくれるようになりました。

やれやれです。

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Teaching の最終日に temple で
リンポチェへのカタ・オファリングと
ボランティア・スタッフへのプレゼント贈呈式があって
そのときに Takiko が出ていたので
私からも「ほんとうにありがとう、タキコと仕事ができて良かったわ」と伝えました。
まぁ、本当の気持ちです。


なんにせよ、ここは仏教コミュニティではありますが
アドラー心理学ベースではありません。
尊敬・信頼・感謝を、行動でもって培っていかなければなりませんでした。

よい経験になりました。


# by prem_ayako | 2018-01-24 16:55 | friends

Sadhana Practice

Temple はおよそ100人ぐらいを収容できる広さで
東と南に出入り口があり
北側に立派な祭壇がありました。

ガラスケースの中にさまざまな金色の仏さまが座しておられ、
天井近くには大きな5枚の額がかかっていました。

中心に飾ってあるのは、14世ダライ・ラマ法王。
その両側に、ディクン・チェツァン・リンポチェとディクン・チュンツァン・リンポチェ。
向って左端には、ドゥプワン・リンポチェ。
向って右端には、ケンポ・ムンセル。
ガルチェン・リンポチェが大切に思っておられる方々のお顔ぶれに、
私はもう感動してしまいました~(T_T)

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床には木製の経机と四角い座布団がずらりと並んでおり
ほぼ全員が、机を使うことができます(基本、椅子席はありません)。
この経机、かなりゴージャスなんですよ(^^)
折りたたみ式で、高さ調節もできるし、
テーブル面を好きな角度に立てることができます。
しかも隠し小引き出しまでついている!

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こんなのが日本でも売っていないかなぁ?
百均のとは大違いで・・・。
私もせっかくだからお勉強モードとなり
今までになくしっかりノートをとりつつ、教えを受けました。
どこまで理解できたかはアヤシいですけど・・・

ガルチェン・リンポチェのお話は、いつ何をお聴きしても
「菩提心じゃよ!」という部分だけが
私の印象に残るのですが

今回は、結論の「菩提心」に至るまでの筋道を
金剛さった、ガンポパ大師、マチク・ラプトンのチューと
3つの方向から丁寧に説いていただいたような気が・・・します。

どの道も密教的、カギュ派的で・・・
光明とか空とか
氷と大海のたとえとかが満載で、
私はうれしかったものです。
(アバウトな言い方しかできずスミマセン。分かっていない証拠ですね orz)


リンポチェのご法話の時間以外でも、
このインスティテュートのサンガでは
毎朝7時から「ジクテン・スムゴンのラマ・チューパ」を
毎夕6時半からは「ターラー菩薩の成就法」を
自主練習しておられました。
これも、とっても素晴らしいことだと思いました。

何度か、この朝夕の practice に参加しましたが、
観察していると、ここには複数のアメリカ人(女性)ダキニがおられるもようです。
サンガ付きの Lama Thubten Nima がチベット語の部分を読まれ
英訳の部分を、ひとりのダキニがウンゼー役で唱えておられました。
この女性は、ものすごくほっそりしたかっこいい人で、チベット語もぺらぺらみたい。
私はこっそりダキニ・マスターと呼んでおりました。

他にも、祭壇のお供えものを取り仕切るダキニや
ラマたちへの飲み物に気を配るダキニ、
お花を活けるダキニたちがいて、
それぞれにできる仕事を分担しているようでした。

Practice 中の鐘や太鼓の鳴り物は、
ラマたちが長いチベットホルン、
ダキニ・マスターが小太鼓、
ダマルを持つ参加者が各自のダマルをトントン鳴らし、
吹ける人はホラ貝を取って、プォォォと吹きました!
それはそれは賑やかでした!

ガルチェン・リンポチェがおられなくても
ラマと在家たちで法要がきちんと営まれていて、とても感動しました。
随喜!
日本ガルチェン協会も、いつかこんなふうに出来るといいなあ~
と思いました。


さて満月の元旦、とっても auspicious な日の朝は、
いつもの「ジクテン・スムゴンのラマ・チューパ」が
「ガルチェン・リンポチェのラマ・チューパ」に変更されました。

これはなんと、ガルチェン・リンポチェの成就法で
正式名を The Guru Sadhana Called "Light Amassment of Blessings"といいます。

自分自身がガルチェン・リンポチェと一体になるんです!
そもそも成就法 sadhana は今まで数々教わりましたが
はっきり言って
12世紀のジクテン・スムゴン大師とはお会いしたことないですし
ターラーさまとも観音さまとも
実際お会いしたことありません・・・
なのでリアリティが段違い、と言いますか
信仰の深さが違うと言いますか
(そんなこと言っちゃいかんのかもしれませんけど)

ガルチェン・リンポチェの真言(!)を
何度も何度も繰り返し歌っていると
それだけでもう、涙が溢れてくるんです。

リンポチェご自身はご在席されませんでしたが、
正真正銘のガルチェン・リンポチェのお寺で
リンポチェへの帰依を誓い長寿を祈り加持を願い
リンポチェと一体になる成就法を行うことができて、
本当にありがたかったです。

経文とこの日の録音CDも入手してきましたので、
いつの日か日本のサンガでも
ガルチェン・リンポチェのラマ・チューパをしたいものだと思いました。

ちなみにこの経文の最後に、次のような記述があります。

 When the oral transmission for this practice was requested, Garchen Rinpoche said that it is permissible to recite this practice without having received the oral transmission. Rinpoche said that giving rise to bodhicitta is the actual transmission.

 口頭伝授を受けなくても、これを行ってよいぞ。
 菩提心を起こすことこそが伝授なのじゃから。

なんてガルチェン・リンポチェらしいお言葉でしょう!
やっぱり菩提心なのでございます(^^)




# by prem_ayako | 2018-01-24 16:53 | tibet

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako