アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

Kuntuzangpo

法身普賢、
チベット語ではクンツサンポ
サンスクリット語では、サマンタバドラ
といいます。

日本の普賢菩薩と違って
チベットの法身普賢は原初仏です・・・
空性そのものが
とりあえず仏のお姿をとって現れたもの、
だからこそ一糸まとわぬ姿で
多くの場合、明妃を抱いた父母尊の形で描かれます。

カギュ派は持金剛(ドルジェチャン)を頂点に置くことが多いのですが、
私はどういうわけか
インターネットで初めて「クンサン・モンラム(法身普賢の誓願)」の歌を聞き
そのお姿を拝見して以来、
ずっとクンツサンポさまに惹かれておりました。

ガルチェン・リンポチェは、この「クンサン・モンラム」を
小さな冊子にして配ってくださったり、
ご法話の中で引用されたり、
何度もお唱えするようにと勧めておられます。

なのでますますクンツサンポさまへの憧れは強まり、
お側に来ていただきたいものだと思いました。


2年以上前、まだ大阪の私の家でチベット語のレッスンをしてもらっていた頃、
タンカ絵師であるチベット語の先生Mさんに
法身普賢を描いていただけないかとお願いしました。

注文はしたものの
Mさんは時間をかけて丁寧に描く方ですし
それに加えてこの2年ほどの間、
Mさんは引っ越しや出産や子育てなどで本当にお忙しかったので・・・
半分冗談で、まあ1年に1色塗っていただけたらいいかなぁ
ひょっとしたら10年ぐらいかかるかな?と
あんまり期待しないでおりました。

そうしたら思いがけず、
4月のはじめに高野山でチベット語レッスンを受けた時に
そろそろ完成できるかもしれません、と伺いました。

まぁうれしい!
クンツサンポさまが、本当に私のもとに来てくださる♪♪

しかもシンガポール行きの切符をとった頃だったので
絵が間に合えば、
ガルチェン・リンポチェにシンガポールで開眼供養をしていただくことができます!


b0253075_20582733.jpgチベットの仏画、タンカは
仏さま方の色彩・印形・持ち物・まわりのご眷属など、
それはそれは厳密な決まりにのっとって描かれています。
ひとつでも間違えると、絵師は地獄に落ちると言われます。

絵が完成しても、そのままではまだ仏さまではありません。
仏さまの額・喉・胸にあたる部分の裏側に
3つの種字(おん・あー・ふーむ)を書き記さなければなりません。

さらに仕上げに
力のある僧に加持祈祷していただくことによって
絵の仏さまに魂が入ります。
これが開眼供養ですね。

私の注文したはじめてのタンカ、
大好きなクンツサンポさまに
ガルチェン・リンポチェの blessing をいただけるなら
これはもう priceless です!


b0253075_20595871.jpgさて、案の定というかなんというか
4月末に絵を受け取れるかもというお話だったのですが
もう少し時間をかけたい・・・ということで、完成が大幅に遅れました。

シンガポールに発つのは6月10日夜の飛行機。
ですが私も5月末から6月にかけてたいへん忙しくなり
行けるかどうかも危ぶまれる状態になりました。

これもご縁ですから、
シンガポールに行けなくて今回リンポチェとお会いできないのなら
私にはそれだけの福徳しかないということでしょうし、
行けたとしても、もし絵が間に合わないのならば、
それも、それだけの福徳だということなのでしょう・・・

と半ば腹をくくっておりましたら
結局どちらもギリギリで間に合いました(@_@)

なんと出発前日6月9日の夕方、
私はお葬式から神戸に戻るその途上、
黒服にショールといういでたちで
難波でMさんと落ち合って、無事に完成した絵を受け取ったのでした。
なんて thrilling なこと!


b0253075_2105283.jpg晩ご飯をご一緒しながらMさんは、
とっても大変だった時期に書き始めたこの絵を
完成できたことが、本当にうれしいです!とおっしゃいました。

思えば、Mさんのご妊娠中に注文させていただいたのです。
ここ何年かの彼女の人生の変転を
ずっとクンツサンポさまは見守っておられました。

この絵を注文して完成していただいたことが、
Mさんの絵師復帰のお役に立てたのなら、本当に良かったです!
Rejoice!
そのことが、絵が手に入ったこと以上にありがたいことだと思いました。


そうして出来立てほやほやのクンツサンポさまは
大切に大切に筒におさまって、
シンガポールへと飛びたったのでした♪
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# by prem_ayako | 2015-06-17 20:54 | tibet | Comments(0)

チベット現代文学

昨年からぼつぼつ、現代のチベット文学
(チベット本土に住むチベット人によるチベット語で書かれた文学)
を、見つけ出しては買って読んでいます。

ダライラマ法王その他の僧侶による仏教関連の本を別にすれば、
巷に出ている最も一般的なチベット本は、旅行のガイドブックでしょう。

また、西洋人から見たチベットについての本なら
みなさまよくご存じの『セブン・イヤーズ・イン・チベット』 や
『ヒマラヤを越える子供たち』などがあります。

あるいは、亡命チベット人によって記されたものでは、
リンチェン・ドルマ・タリンの『チベットの娘』(中央公論新社)が
中国侵攻前のラサ貴族の暮らしを伝えてくれています。

しかし、今現在、チベット本土に住むチベット人が
どのように考えどのように生きているのか知ることのできる本は、
ツェリン・オーセルさんの『チベットの秘密』(集広舎)くらいしか
私は知りませんでした。
オーセルさんは、ご自身の思いを勇気をもって直截的に書かれるので
しばしば、自宅軟禁という憂き目にあっておられます。


一昨年の晩秋に京都・大谷大学で催された映画会
ペマ・ツェテン監督による『静かなるマニ石』を観に行ったとき、
会場で「セルニャ」なる雑誌(非売品)をいただきました。
それを読んで
チベットに現代文学が生きていること
何人もの小説家が、中国支配下のチベットで活躍しているということ、
それをコツコツ翻訳してくださっている日本人の研究チームがあるということを
知りました。

中心になっておられるのは、東京外大の星泉先生と
三浦順子さん、海老原志穂さんら「チベット文学研究会」のみなさんです。
この方たちがとても丁寧なよい仕事をしてくださるおかげで
辺境の地(日本の、しかも関西)にいても、
佳い本に次々と出合うことができるのです。
感謝~!

たぶん、今現在日本で手に入れることのできるチベット現代文学の本を
4冊とも私は読んでいると思うので、
(みなさまの興味関心にはおかまいなく・・・)
勝手にご紹介しちゃいます!


b0253075_20414044.jpgまず触れなければならないのは、
仏教文化の伝統を破って、はじめて口語表現をとりいれた人。
そして中国体制下の社会を、はじめて写実的に描いて小説とした人。
トンドゥプジャです。
あとにつづく若手作家たちにとっては、伝説的存在。
1953年に生まれ、1985年に自ら命を絶ちました。

『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(勉誠出版)
短編集ですが、どの物語もエネルギーがすごいです・・・
語り口が洗練されているとは言えないけれど
そこがまた味になっていて
妙に印象深い本です。

b0253075_20424366.jpg次は、今たぶん、本土で最も成功しているチベット人の文化人、
映画監督でもあるペマ・ツェテン(1969~)の
『ティメー・クンデンを探して』(勉誠出版)
これも短編集ですが、なかなかおもしろかったです。
同名の映画も作られていて、東京では上映会もあったようですが
私はまだ観る機会をもてていません。

なぜかチベットの現代作家たちは、
ラサなどの中央部ではなく、
東の遊牧地域(アムド)出身の方が多いのです。
統制の目の、まだ少しは届きにくい地域に育ち、
まだ草原を自由に駆け回ることのできた子ども時代があったからこそ、
それが原体験となって、小説が書けるのかもしれません。

b0253075_20465092.jpgいちばん最近に出版されたのは、
やはりアムド出身タクブンジャ(1966~)の
『ハバ犬を育てる話』(東京外国語大学出版会)

これも奇妙におもしろかったです。
トンドゥプジャを引き継いでいるかのような、
ちょっと目まいがするような物語群。
私は、個人的に大好きなルーマニアのエリアーデの
幻想小説を思い出しました。


そして最後にご紹介するのは
ラシャムジャ(1977~)の『雪を待つ』(星泉訳・勉誠出版)

b0253075_20483045.jpg星先生が単独で翻訳された長編小説で
文句なく私のイチオシです!

帯にあるキャッチコピーが、

「ある雪の日、ぼくは文字と出会った」

どうです?このひとことだけで、
ぱぁ~っとチベットの風景が
目の前に広がるじゃありませんか!
(私だけ? ^_^;)


原題のチベット語は「チベットの子どもたち」なんですが、
これを「雪を待つ」と訳されたセンスは
もう素晴らしいとしか言いようがありません。
まさに Quantum Leap ですね。
まぁ読んでみてください、機会があれば。

前半は、1980年代のアムドの半農半牧の村の暮らしが
子どもの視点から生き生きと描かれています。

村の四つ辻にはケサル大王を物語る老人がおり、
穴のあいたズボンで走り回る少年や
ひとつの飴を取り合う幼なじみたちがいる。

小さな子どもをのみこんでしまう恐ろしい水場もあり
そういうところには、きっと魔ものが住んでいる。。。

遠い世界の話のはずなのに、なぜかよく知っている世界のような気がしてきます。

後半はうってかわって2000年代の都会。
成長したかつての幼なじみたちが
それぞれ思いもよらなかった人生の展開に失望しながらも、
でも故郷での再会を果たそうとします・・・

文学作品としても一級だと思います。
私選・今年の一冊です!(←何さま?笑)

小説という形でこそ表現できることが、確かにあるように思います。
チベット現代文学の作家たちは、したたかに
チベットの今を描いて
それはときには、中国語にも訳されているのです。

ラシャムジャがあとがきに

「今、私は息子の成長する環境に危惧を抱いている。私が子供の頃に経験したのと同じような暮らしを息子は繰り返すことはできないし、それはわれわれ民族にとっても同じだ。・・・(中略)・・・今は故郷を捨て去る時代である。私の息子が成長した時、私と同じように故郷、故郷といって懐かしむ場所も、振り返る場所もないだろう。息子は都会で生まれ、都会で育っていくからだ。しかし、故郷とは地理的な意味をもつ空間というだけではなく、われわれがつねに辿りつく場所でもある。」

と書いていますが

チベットの現実を考えると、
この文はたいへんな重みをもって胸に迫ってきます。
またさらに、この危機感は現代の日本の私たちにも重なるように思います。

チベットの作家たちは、こうして
チベットの危機を普遍化することに成功しているようです。

これからどうなっていくのか。
とうぶん目が離せません。
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# by prem_ayako | 2015-05-22 21:00 | tibet | Comments(0)

倉敷散策記

5月の連休明けから、倉敷と広島で2コース、
パセージ・プラスをやらせていただいております。

土曜は倉敷。
1泊して、日曜は広島。
基本、どちらも午後に3時間のコースです。

連続2コースってのは初めてですけど
ちょっと行楽気分で楽しいです♪


5月16日(土)の倉敷のコースは、
この日だけ会場の都合で、早くに始まって早くに終わりました。
こんな機会はめったにないので、
夕方までブラブラと、町を散策いたしました。

この日はちょうど、
倉敷市の裏山(鶴形山)にある阿智神社の、春期大祭でした。
お祭りに合わせ、市をあげていろんな催しが企画されていて
公園でフリーマーケットをやっていたり
アイビースクエアの中庭でダンスを見せていたり
ただでさえにぎわう新緑の観光地が、いつも以上に混み合っています。
(そのせいか倉敷の定宿もとれなくて、岡山に1泊することになりました)

大原美術館を再訪しようかと思っていたのですが
美観地区はあまりの人出で、触手が動かず。

メンバーや見学の方々から、
なんだか変わった古本屋さんがあるみたいに聞きましたので、
どうせ今日はヒマですし、とりあえずそこをめざして歩いてみることにしました。

倉敷本通り(川沿いの繁華な通りの1本裏の道)をずんずん東へ行くと
・・・ありました!
のれんのかかった小さな古本屋「蟲文庫」です。

b0253075_1111994.jpg


お店の前には、多種多様な多肉植物が並べてあって
引き戸の入り口から薄暗い中に足を踏み入れると、
黒縁メガネで黒い服のお姉さんがひとり、
奥で店番をしておられます。

目立つ場所には、顕微鏡や苔(!)のプレパラート、
私にはわけのわからない地味な生き物(の痕跡?)が並んでいて
かなりのあやしさを醸しています。

本の取りそろえは、まあ普通に古本屋さんで
へんにスピリチュアル系の本がないのを、好もしく感じました。

つうか、ある意味もっと深くてあやしいものが充満しているような。。。
苔とか地衣類関係?
ほ、胞子文学?
ええと、私の無意識はそのへんスルーして、あまり見ないようにしておりましたが
・・・やっぱりちょっと変わっているよね、ここ。。。

そういう私が手に取って、
買おうかどうしようかしばらく迷っていたのは
Ichonography in Egypt だとかいう英書。
ハードカバーで重たかったのと、
ん~今からエジプトの図像学やってもなぁと理性を取り戻しましたので、棚に戻しました。

なんとなく一回りして、もどったレジ前の一角には、
店主の好みか、数枚のCDが並び(私には見当がつかないジャンルw)
古本でない新刊ものが数冊置かれておりました。
その中に『わたしの小さな古本屋』なる本がありました。
あれ?これ、ここじゃん?
b0253075_10524675.jpgここの女の人が書いた本?

ちらりと店番のメガネの女性に目をやってから
ぱらぱらっとめくってみると、どうやらこの方、
21才のとき、仕事を辞めていきなり「古本屋をやろう!」と決めて
ほんとうにそのまま古本屋さんになられまして、
20年、ひとりでコツコツとやってこられたみたいなのです。

エジプト図像学の本はあきらめても、
この本は買っておかねばね、と思いました(笑)
彼女にこの本を差し出して、
「これください。おもしろそうだわ」と言いましたら
うふと小さく笑われました。

b0253075_1114134.jpg栞をいくつか添えてくださいましたが
それがまたあまりにも個性的で素敵なので
写真を掲載しておきます。
「龜」の書き順~w
胞子~w

私、苔とか亀とか菌類への愛はあまりもっておりませんが
このような偏愛をもつ方々への愛というか共感は、かなりあります。
また訪ねてみようと思っています。
だって、しばらく毎週この町に来るんだもん(^^)


それから本通り沿いにしばらく行ったり来たり
なんとなくウロウロしていたら、
「倉敷生活デザインマーケット 林源十郎商店」というお店に
足が向きました。

観光客に有名なお店みたいで、とても広いゆったりとしたスペースに
いろんなデザイナーのいろんな個性の生活雑貨を並べていて、
まるで次から次へと、掘り出し物の市を探検しているような楽しさがありました。
食器、カトラリー、衣類、袋もの、布、
みんなお洒落で、私のような凡夫の物欲を刺激するものばかり!
ゆっくり吟味して、白地に赤の鳥柄の手ぬぐいを1枚だけ
お土産に買いました。

b0253075_11222988.jpg2階のミュージアムカフェで、一休み。
椅子は北欧のデザイナーズチェア。
カフェオレのカップはArabia。
グラスやカトラリーはiittala。
穴場的なカフェだからでしょう、喧噪からも離れて静かで
とっても優雅な時間を過ごすことができました。


最後に、阿智神社にお詣りしておこうと思いました。
お祭り当日にこんなにゆっくり、
時間があるのも、何かのご縁でしょうから。

阿智神社は、倉敷の町を北側から抱くような丘陵地、鶴形山のてっぺんにあります。

b0253075_11154189.jpg私はその西の端の階段から上ってしまったので、
本殿まではかなり遠く、
さっきの本通りの、東の端ぐらいまでの距離を
また歩かねばなりませんでした。
本当は、蟲文庫の裏あたりで階段を上れば近かったのでしょう。

でもおかげで、うっそうとした緑の、誰もいない参道を
少しの間歩くことができました。

拝殿では、ちょっと多い目にお賽銭をあげて
パセージ・プラスの成功をお祈りいたしました(.人.)
あとで知ったのですが、この16日と17日両日は
いつもは閉まっている御本殿の扉が開かれていたのだそうです。
願いが聞き届けられること間違いなしですね!(^^)v

午後6時からは舞と神楽が奉納されるらしく、舞台が整っていました。
どこからか太鼓の音が聞こえてきます。
もう少しとどまりたい気もしましたが、
夜になってしまうし、翌日のパセージ・プラスもあることなので
お詣りだけにして、おとなしく山を下りました。

b0253075_1118438.jpgあらためて見ると、
本通りにはお祭りの提灯が並び、
商店街の軒には紙垂(しで)がかけられています。
お店を早仕舞いして
シャッターを閉めて出かけるご夫婦もおられます。

ああこの町の人たちは
阿智神社に守られているのだな、
幸福な町だな、と思いました。


さて倉敷から快速で岡山に出て、
駅前のホテルにチェックインしたら、6時すぎ。
まだお腹も空いていないし
思いたって、早いけれどお風呂に入ってしまうことにしました。

最上階の大浴場は、さすがにこの時間は誰もおらず、
私ひとりの貸し切り状態でした~♪
湯船の外の坪庭のシャラの木に夕日が差すのを眺めながら
あちこち迷い歩いて疲れた身体をやすめたのでありました。

「蟲文庫」の異空間
倉敷らしいお洒落ショップ
そして阿智神社と
とても充実した午後でした!

肝心のパセージ・プラスについては、また稿を改めて(^^)
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# by prem_ayako | 2015-05-21 12:08 | travel | Comments(0)
秘訣講座で、心理劇(サイコドラマ)の実習をさせていただきました。

ラッキーなことに3日目、
いちばんやりたかった心理劇の実習の
最後のひと枠が空いていたので
エントリーしました。
ドキドキドキ。。。

朝のお師匠さまのデモンストレーションと
私の前の4名の方の実習のおかげで
サイコドラマの骨格は、見えました。

ざっくり言ってしまうと
1)エピソードの再現ドラマ
2)クライエントの仮想的目標を誇張した競合的なドラマ
3)それに代わる協力的なドラマ
の順に進めるのですが、
3)が、むずかしい!

他の4名の方もでしたが、
私も、ここで失敗してしまいました。


なんせ、心理劇。
カウンセリングや心理療法でなら、
じっくりゆっくり導き出すその人の仮想的目標を
相当早い段階で見抜かなくてはなりません。
なおかつ
いつもならクライエントと相談しながら導き出す協力的目標を
迷わずにこちらから提示して、お芝居にしなくてはならないのです。
考えている時間はほとんどありません。

これには、才能が必要です・・・
才能とは、 Quantum Leap(量子跳躍)をする力です。
論理を積み上げ思考を重ねるだけでは見つからない答えに
届くためには、直感的な leap あるいは jump が必要です。

つまり心理劇の手順自体がわかっていても
jump して答えに至れなければ、心理劇の監督はできない!
ということです。

自分にできるかできないか
やってみなくちゃわからない・・・
で、やってみましたら
結果は
私が閃いて提示した案は、
やっぱり「競合的」だったのです・・・(>_<)

Jump どころか、まず「協力」の何たるかが自分にはわかっていない
ということが判明したのでありました Orz


これにはちょい落ち込みました。

まだまだやなあ。
なんで見えなかったんだろうなあ。
そもそも分かっていないんだなあ。
いちばん大事なところなのになあ。
などなど
まあ、今から考えたら、
お師匠さまほどの案を、私がその場で思いつけるはずはないのです。
これは「達成不可能な目標」というやつですね。

だいたい私、あんまりドラマティックな人じゃないし
サイコドラマの監督って、ものすごい気迫が必要なんだってやってみてよく分かったし、
私はサイコドラマティストに向いていないな。
やっぱり、個室でしんみりねっちり心理療法やってる方が向いているんだな。
サイコドラマにエネルギーを使うのはもうやめよう・・・

なんてことを、その日は考えておりました。
ひとりで劣等の位置に落ちていたわけです。


でも翌朝起きたらちょっと元気になって

サイコドラマの実習は、アドラー心理学のとてもとてもよい訓練になる。
なんせ、いかに早く、いかに的確に、クライエントの私的感覚を見抜くか、
本番待ったなしなんだから、ほとんど「苦行」に近い!
私はサイコドラマの監督にはなれないだろうけど、
ときどきリベンジで練習をさせていただこう!

と決めて、かなりすっきりしました。


そのまた翌日、アドラーネットを開けると
実習でクライエント役をやってくださった方が
私の適切な側面をたくさん見つけて、書いてくださっていました。

ウルウル。。

その方は私のことを「控えめで静かなエネルギー」と表現しておられて、
はっとしました。

私は私のままでいいんだ!
私が、あこがれのサイコドラマティスト、
イスラエルのアナベラや
アメリカのドロシー・ペブンや
野田先生のような迫力を身につけたとしたら(つかないけど)
それは私でありません。
私は私の個性のままで最善をつくせばよいのです。

また、そのクライエントさんは、私の間合いや距離のとり方についても、
適切な側面を見つけてくださいました。

そういえば、数年前の「かささぎ座・巣作りの段」で
1回だけサイコドラマの実習をしたとき、
監督としてのこの身体の動きを覚えたのだ、と思い出しました。

「かささぎ座・巣作りの段」は、それこそ大変な苦行で
緊張の連続、片時も気を抜けないワークショップでしたけれど、
(帰って寝込みました)
その分、学べていたんだ!
あのとき思いきって実習させていただいて、本当に良かった!って思いました。


適切な側面を言っていただくってことは、
ほんとうに、こんなにも勇気づけになるんですね~(T_T)

ありがとうございます!
これから私も、丁寧にエンカレッジカードを書いていこうと思いました。


ところで、なんだかものごとの流れは
「かささぎ座」に、また助監督をつけるという方に向いているようです。
そうなると、これはまた何か、新しいお仕事がやって来る可能性があります。。。
あぁでも、もしそうなったら
私きっと、3日間ずっと緊張しっぱなしだろうなあ。
3日間ずっとお腹こわしているだろうなあ(笑)

でも得るものも大きいはずです。
もしもご縁があるならば
前に進もう、と思います。
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# by prem_ayako | 2015-05-07 22:45 | psychology | Comments(4)

しゅんすけこうすけ

孫をいじりに
1週間ほど鳥取へ行ってきました。
なんと半年ぶりです!

娘からは、子どもたちが風邪をひいたり
お婿さんが出張したりするたびに
「手伝いに来て~」とコールがかかっていたのですが
ここ半年タイミングが悪く、外せない仕事が入っていたり
父の様子が心配だったりで、行けないでいました。

来月からまた少し忙しくなるし
ようやく両親ともに落ち着いてきたようなので
今、思いきって行ってしまおう~
だってぐずぐずしていたら、しゅんすけの赤ちゃん時代を見逃してしまうもの!

というわけで
久しぶりに思う存分ばばバカやりますっ
b0253075_2181410.png覚悟めされ~~

しゅんすけは4月末で8ヶ月。
こんなに大きくなりました♪

上手にお座りで遊べます。
はいはいもするし
おしりを上げて、高ばいもします。
もうちょっとで、つかまり立ちをするかも。

小さく産まれたので、抱っこが楽です(^^)
しかも性格がおだやかというか、
おむつやおっぱいや抱っこを要求するときだけは泣きますが、
それが満たされるとあっさり笑顔になります。
愛されキャラですな。

b0253075_204012.png


b0253075_21214892.pngちょうど1年前、娘は絶対安静任婦だったので
お婿さんがひとりで家事育児。
こうすけは早朝から夕方まで幼稚園で延長保育。
私は何度も手伝いに通い、
みんながたいへんな春でした。

そんな時期を乗り越えて
今や娘は、押しも押されぬ2児の母。
日々、感情制御の実践に精進しているようです(^^)
こうすけは4月から年中さんになり、
もうすっかりお兄さんです。

b0253075_20463636.pngしゅんすけも、お兄ちゃんが大好き!


し「お兄ちゃん、これなあに?」
こ「これはね、ぶどう組さんの名札だよ」
し「見せて、見せて」
こ「はい、どうぞ」
し「いいな、いいな」
こ「しゅんすけも大きくなったら幼稚園いけるよ
  幼稚園はね、たのしいよ」

ほっこり~(^^)


ところで下の写真は、
2年前にシンガポールで私が買って帰ったお土産です。
バティックの端布で作ったお手玉のようなもので
上に放り投げて掌で受けたり手の甲で受けたりして遊ぶんですけど、
こうすけは、それぞれに名前をつけておりました。

b0253075_2055729.png上から右回りに
きょーひるくん
どじたくん
でちたくん
ごまあぶらくん
くるみちゃん
というそうですww

私、こうすけのこういうところ大好き(^^)

ハイパーアクティブで口の達者なこうすけと
おだやかで愛想のいいしゅんすけと
この子たちの成長がとっても楽しみです。

b0253075_20443732.png

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# by prem_ayako | 2015-04-24 21:44 | family | Comments(2)

高野山 again

b0253075_2010791.jpg高野山に、またまた行って参りました。
あいかわらずチベット語のお勉強のためですが
今回は、山間にある先生のお宅にではなく、
高野山の繁華街(そんなのあるのか?)
もとい、観光客の多い一角に行きました。

朝8時難波発の特急「高野1号」。
列車のテンションは高いものの、私は眠い。。。

しばらく寝ていましたが
南下するにつれ、
車窓からの風景が魅力的になってきて、もう寝ておれなくなりました。

b0253075_19495611.jpg


桜、桜。
曇り空の下の、うすいピンクの桜。
桜が1本咲くだけで、
すべての風景が絵になります。

b0253075_19523686.jpg


大阪は雨だったのに、極楽橋に着く直前には日が射してきました!
吉兆吉兆。

b0253075_1952320.jpg


極楽橋から急勾配29°のケーブルカーで高野山駅へ。
そこからバスに乗って、高野山の中心街へ。

レッスンの会場は、以前ブログに書いたこともある梵恩舎の2階です。
この日は半日だけの予定で、2時間みっちり、
本当にみっちり、
アティーシャの「菩提道灯論」を読みました。
あ~疲れたよ~(>_<)

たった2時間のレッスンのために
はるばる高野山くんだりまで行ったわけですが
でもこれでよかったと思います・・・
これ以上の集中力持続は、無理!


梵恩舎でそのままお昼ごはんを食べ、コーヒーとケーキをいただき、
さあこれからどうしよう?ということになりました。
このまま帰るのはもったいないよね。


実は、少しでも交通費を安くあげようと、
往復の切符とバス券が割引セットになっている「世界遺産切符」なるものを買ったのです。
この切符には「記念大法会参拝志納」3000円也が2500円になるよという
500円割引券もついておりました。

知らなかったのですが、今年は高野山開創1200年(!)だそうで
4月2日から5月21日まで、記念の大法会がお山のあちこちで開かれているのです。
(なので高野山中、どこもかなりの人出でした)

記念参拝「志納」って、要するにお布施のことですね。
交通費を節約しておいて、ういたぶん以上をお布施にまわすなんて(^^;)
なんだか乗せられてる気がしないでもないですが
考えたら私、高野山にはずいぶんとお世話になっております。

ダライ・ラマ法王にはじめてお会いしたのが、ここ高野山でした。
2011年の11月にここで法王から金剛界灌頂をいただいたのが
チベット仏教とのご縁の始まりです。
その後、昨年の4月にも、ここで法王から胎蔵界灌頂をいただきました。

これも弘法大師さまが高野山を拓いてくださったおかげとありがたく思い、
フンパツして、お志を納めることにいたしました。
(500円引きで!笑)

お納めしてお返しに渡された紙袋には
全施設無料の招待券が入っておりました(^^)v

お友だちに誘われるまま、
高野山霊宝館に向かいました。

霊宝館は大正時代に建てられた、落ち着いた風情の博物館です。
収蔵品は天下の高野山の持ち物ですから、国宝級がぞろぞろ。
加えて今回は、開創法会の期間限定で
高野山三大秘宝(!)と八大童子像が一挙公開されていました。

三大秘宝ってのは何かっていうと
・弘法大師が唐から持ち帰られたという「諸尊仏龕」(ポータブル仏壇ですな)
・弘法大師が唐に渡られる前に記された「聾瞽指帰」直筆2巻(弘法の筆跡・・・)
・弘法大師が唐の海岸から日本に向かって投げたら、海を越えて、
 高野山の松の木の枝に引っかかったという「金銅三鈷杵(飛行三鈷杵)」

中でも「金銅三鈷杵」は右下が欠けていて、
キラキラに磨いてあって「おおっ」という感じでした。
とても大きくて、(これは投げるには重いやろう)と思いました(^^;)

不動明王に付き従う眷属の八大童子像も素晴らしく、
その中のあるお方が、ご一緒したお友だちの彼氏だそうで、
もう何度も逢瀬を重ねてこられたのだそうです。
たしかに男前!
私も心奪われそうになりましたが、お友だちに遠慮して
別のあるお方に、彼氏になっていただくことにいたしました♥

運慶作の六童子さまです。
さぁ、あなたはどのお方を彼氏になさいますか?(笑)

b0253075_2012072.jpg


そうしてお山を後にしたのが3時半ごろ。
帰りは特急に乗らずにとろとろ帰ったので
神戸に戻ったのはもう夕方。

b0253075_2033711.jpg家に帰ってゆっくり開けてみたら、
参拝志納セットには
きれいな天然石の腕輪、その他もろもろが入っていました。
腕輪はウレシイな。
やっぱり物欲です(笑)


実は今回の高野山行で、もうひとつ
私の大いなる物欲を充たす
たいへん目出度いニュースがあったのですが、
そのお話は、また後日。
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# by prem_ayako | 2015-04-09 20:37 | travel | Comments(2)
ご無沙汰しております。
当方、特にこともなく忙しく過ごしておりまする。

3月は、週末ごとにあちこち出かけてお勉強していました。
たくさんの学びを身に染みこませるべく、このごろは
しっかりエピソード分析をやってみています。
私自身の事例で、ね。

他の方のお話を伺ってエピソード分析させていただくことはよくあるのですが、
実は、自分自身のエピソードをきっちり分析したことは、あまりありませんでした。
だって、これって、自分ひとりでやるのは結構めんどくさいんですもん(^^;)
(自分で自分を分析できるようになるのがパセージプラスの目標です
 ってパセージプラスの最後で言っているのにね。
 ひどいリーダーだ orz)

でも、めんどくさくても実際にやってみたら
この効果はおそるべきものでした!
いや、ホント。


私がふだん陰性感情をもつのは、主に母に対してです。
ある日のある早朝のエピソードを、まずはお聞きください。

私が「おはよう」と2階に上がると、母がむずかしい顔をしています。
いつものことですが、この日は特に不機嫌な様子です。
その様子に私は陰性感情を抱いて、
そのまま「今日は8時ごろに出かけるから」と言いました。
母もむずかしい顔のまま「あ、そう」と答えたので
「じゃあね」と言って階下に降りました。


さて分析してみます(^^)

対処行動:「今日は8時ごろに出かけるから」
ライフタスク:母がむっとした顔をしていること
感情:-2(不安・怖れ)
考えていたこと:なんでそんな顔をしているの?
        私が何かした?
        何か文句を言われるんだろうか?

ここまで分析しただけで、
私は、母がむずかしい顔をしていると
何か私に対する不満や文句を言ってくるんじゃないか?と思って
本能的に身構えてしまう!

ということが分かりました(爆)
これって、娘時代からのクセですね~

そして仮想的目標はどうやら・・・
母がにっこり笑って「いってらっしゃい」と言うこと

だと分かりました。
なぁんだ。こんなことかい(爆)

要するに私は、母にご機嫌でいて欲しいんです。
怖い顔されると、ビクつくんです。
私が母に対してきつくなるのは
攻撃に備えて過剰防衛しているのだなと気がつきました。


さて、母ににっこり「いってらっしゃい」と言ってもらう
という仮想的目標は、協力的目標だと思われます。
これを実現するためには、
そう、私の方からにっこり!することですね!
これが協力的な代替案と思われます♪


で、いつもならこのまま出かけてしまうのですが、
この朝はもう少し時間があったので、
再度2階に上がって代替案を試してみることにしました。


もう一度母の部屋に行き、にっこりと「じゃいってきまぁす」と言いました。
でも、まだ母はむずかしい顔をしていたので、少し話を続けました。
「今日はお父さんところへ行くの?」
母はベッドにすわったままで「行く」と言いました。
「雨だから気をつけて・・・」
「・・・」


あかん(>_<)
まだ陰性感情が-1ぐらいあります。

下に降りて、再度分析しました(笑)

対処行動:「雨だから気をつけて」
ライフタスク:母がベッドで「行く」と言ったこと
感情:-1(今度はイライラです)
考えていたこと:何をしに来たの?って顔をしているな
        そんな顔しないでよ。じろじろ見ないでよ

仮想的目標は?
母が、明るい顔で「ありがとう!いってらっしゃい」と言うこと

なんだ、そうか(笑)
さっきとほとんどいっしょじゃん。

これを実現するには・・・
そう、さっきは私の声が小さかったのです。
(おそるおそる言っていた)
もっと母の近くへ寄って
母にはっきりと聞こえるように、
「雨だから気をつけてね!」と言う。
これが協力的な代替案ですね~♪

ぱちぱちぱち。
我ながら、上手に分析できました。


この日は、もう時間がなかったので
2つ目の代替案を実行することができませんでした。

でもね、このあと、母に対して陰性感情を抱くことが
ぐっと減ったのです。
まるで魔法のようです。

以前は顔を合わす度に陰性感情-3ぐらいが起こっていたのに
上記のエピソード分析をして以来、-1が1度だけ。
それも、分析すると仮想的目標はほとんど同じでした。
母がにっこり返事をしてくれること(笑)

自分がこんなにも小さなことを求めていたのかと思うと
笑ってしまいます。
子どもか!と思います(子どもです)

陰性感情がこれぐらい小さなうちにエピソードを分析してみると、
私が求めていたのは戦って勝つことではない、と分かります。
権力争いになったら目的が変わる、というのも本当にそのとおりですね。


人は、自分が何を求めているのか知らないことが多い。

かささぎ座の心理劇で、何度もこのこと見せていただきました。
ご多分に漏れず、私もそうでした。

自分の求めているものが分かれば
それを実現するための方法を考えることができます。

もうしばらく、自己エピソード分析を続けてみようと思います。
きっと、もう少し暮らしやすくなるんじゃないかな♪
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# by prem_ayako | 2015-04-03 21:48 | psychology | Comments(5)

KANO

b0253075_022499.jpg  今日はちょっと家族ネタを休憩して
  ひさしぶりに、映画の話をしますね。

  『KANO 1931 海の向こうの甲子園』

  台湾人監督による台湾映画です。
  なんだか前評判がすごく良いので、
  レディースデイの水曜日、
  ちょうど午前中はカウンセリングの予約が入ってなかったので
  これ幸いと観に行きました。

KANO(嘉農)とは、
台湾南西部にある嘉義農林学校野球部のことです。

一勝もできない弱小チームだったのですが、
日本人の鬼監督、近藤兵太郎(永瀬正敏)がやってきて
「俺がお前たちを甲子園に連れて行く!」と鍛えあげました。

日本による台湾統治の頃ですから、
まだ中国共産党はありません。
KANOは日本人と
台湾人(漢人)と
台湾原住民(高砂族)との3民族混成チームでした。

監督はそれぞれの特性をよく伸ばし、
KANOを台湾の地区大会で優勝させ、
ついには海を渡って、1931年、
本当に甲子園大会に連れて行きました。

甲子園でも決勝戦まで勝ち進んだのです。
惜しくも優勝しませんでしたが
その懸命なプレーで日本中を沸かせた
という実話です。

野球・・・本来、私ほとんど興味ないんですけど
この映画は良かったです!!
大きなタオルハンカチ必携ですよ~

なんといっても
男の子たちがいい!(←そこか)

主役のピッチャー呉明捷くん役だけは、俳優さんらしいです。
ツォア・ヨウニンくん。
かっこいいですねぇ~!
b0253075_072736.png


b0253075_0184576.pngあとの部員くんたちは、みな素人の
野球部の男の子たちだということです。
この子たちが、それぞれとってもかわいいんですww

どうでもいいことだけど
私は特に、平野くんのキャラが好き(笑)
どの子が好きかでガールズトークしたいものだわ~


そして、美しい水田の風景。
烏山頭ダムを建設し、嘉南平野の潅漑に尽くした八田與一さんが
「八田先生」として慕われるさまも描かれています。
(本当は1,2年、時期がずれているらしいですが、そのへんは脚色w)

この映画が台湾人により台湾で作られたことを考えると
この時代、本当に立派な日本人が多くて
実際に慕われていたのだろうなぁと思わされます。


映画は、台湾北部の基隆港から始まります。

基隆(きーるん)は、実はずっと以前に訪れたことがありまして
ここから九份(きゅうふん)という、
「千と千尋の神隠し」の舞台になったと言われる不思議な町まで
バスに乗って行ったことがあります。
個人的にとっても懐かしい土地です。

でも、映画では、きな臭い悲しい時代。
基隆から鉄道で台湾を南下し、南方戦線へ移送される兵士たちの中に
かつて甲子園で嘉農と対戦したピッチャーがいた、という設定です。
物語は彼の回想という形で進んでいくのですが
この彼は、おそらくこの先、南方で命を落とすのでしょう。

エンドロールの前に
実在の選手たちのその後の人生がテロップで流され、
私たちはその後の激動の時代に、
この子たちがどうなっていったのか知ることができるのですが

若い日本人の選手たちは、悲しいことに
ほとんど戦争で散ってしまいました・・・

しかし漢人や高砂族の選手たちは、
戦争を生き抜き、
戦後は、社会人野球で活躍したり
子どもたちを教育したりして、
それぞれに台湾における野球の振興に尽くされたようです。

野球にしても潅漑施設にしても
このように日本人が種を蒔いたことが
時を経ても残り、台湾の人々の役に立ったらしいことを知り
心から良かった!と思いました。


2年も前に台湾で大ヒットしているのに
しかもほとんど日本語でしゃべられているのに
日本では、『KANO』はなかなか公開されませんでした。
どこぞの国からの圧力があったのだろうと思われます。

ようやく今年になって全国でロードショーが始まりましたが
上映している映画館はあまり多くないみたいです。

野球のことと同じぐらい、
政治のこともよく分からないですけど

たぶんこの映画、
台湾の民族運動のひとつの現れなんでしょうね。
どこぞの力から逃れよう。
そのために日本が行った良い側面を思いだそう。
というムーブメントの、流れの上にあるような気がします。

2回も観光に行った台湾びいきの私としましては、
この運動は、大歓迎でございます。


それはともかく
It's worth watching!
是非機会があればご覧になってください。

私ももう1回観にいこうかなあ~♪

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# by prem_ayako | 2015-02-20 11:44 | others | Comments(2)

2月14日

父は施設の自分の部屋で
いつもベッドの横に足を降ろして腰掛け、
チェストの上に置いたテレビを見るか
じっと下を向いて坐っています。

理学療法士の先生は、
この姿勢だと背骨が曲がったままになるので
背もたれのある椅子に坐る方がいいとおっしゃいます。

先生の勧めに従って
自宅でいつも父が座っていた椅子と、
新聞などを置くための小さなテーブルとを
施設のお部屋に運び入れることになりました。

うちの家族で車を持っている者といえば、わが息子だけ。
ロードバイク通勤をしていた彼も
まわりの先生方に「雨の日どうすんねん。早よ車買え」と言われ(笑)
夏前に、中古の軽自動車を買いました。

2月14日のバレンタインデー、
ひょっとしたらデートを予定していたかもしれない息子に
無情な私は(^^)
お祖父ちゃんところに荷物を運んでくれるように頼みました。

机と椅子を後部に積み込み、
私は助手席に。
生まれて初めて、息子の運転する車というものに乗りこみます。

うう。
コワい?
いや、けっこう慎重な運転じゃん。
初めての道だし
荷物を積んでいたこともあるのかな。
それとも私を乗せているからかな?(^_^;)


そしてこの同じ日に、
娘の家族も鳥取から、
お婿さんの運転で神戸に来てくれました。

8月末に産まれたしゅんすけは
父にも、母にも、息子にも、会うのが初めてです。
なんせ、みんな神戸に来るのは、
去年のお正月(娘の妊娠が分かる前)以来なんですから!

お婿さんは出張から帰ったばかりだというのに、
コワい嫁(もとい、愛する嫁)の願いを汲んで
はるばる父に会いに来てくれたのです。


b0253075_1521258.jpgこうして父の居室に
私の大切な家族が集結しました。

息子と
娘と
お婿さん。
そして4歳のこうすけと
5ヶ月のしゅんすけ。

いつもは静かな老人ホームに
こうすけがスリッパでぱたぱた走る音と、
しゅんすけの泣き声が響きます・・・


父の記憶は、
子どもである私については、まだしっかりしていますけど
孫である娘や息子については、かなり曖昧になっています。

だから彼らのことを
それぞれ正しく認識できていたかどうかわかりませんし、
ましてや曾孫であるこうすけやしゅんすけについては
どこまで分かっていたか、あやしいです。

でもみんなが来て賑やかになって
父はとってもうれしそうでした。

娘がしゅんすけを抱っこして父の正面にすわると、
父は思わず、「おぉかわいい」と声をもらしました。

そして
「元気な子だ、いい子だ」と
頭をなぜ、足を持ち、
お乳はよく飲んでいるか?
よく泣いているか?と
おだやかに尋ねるのでした。

まるで問診をしているようです。

父は小児科医だったころに戻っているようでした。

横でぴょんぴょんはねているこうすけの頭もなぜて、
弟をかわいがっているかと尋ね、
さいごに
「いつまでも仲の良い兄弟でいてください」
と言いました。

50年続けた小児科のお医者さんペルソナが
ほんとうに自然に現れていました。

私は写真を撮りながら、
アドラー先生のようだと思いました。。。

b0253075_15233061.jpg


夕食の時間になったので父にお別れを言って
2台の車で家に帰りました。
そして私がご飯の用意をしている間、
息子と娘たちは2階に上がって、母のお相手をしてくれました。

急いで用意した
鯖の煮付けと
白菜と薄揚げの炊いたのと
豆腐の味噌汁と
小蕪の漬け物と
お米3合半は、
母乳で食欲旺盛の娘と
成長期(?)で食欲旺盛のこうすけと息子によって
あっという間に平らげられました・・・

息子はその夜のうちに帰りましたが
娘たちは、翌朝もまた父に会いに行ってくれました。
そして昼ご飯を食べて、慌ただしく鳥取に帰って行きました。


みんなほんとうに忙しい中、予定を合わせてよく来てくれました。
優しい息子と娘とお婿さんをもって
父も母も私もしあわせです。


あ、ついでながら
こうすけには、かわいいクッキーを
息子とお婿さんには、それぞれチョコレートを
用意したのは言うまでもありません!
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# by prem_ayako | 2015-02-19 15:37 | family | Comments(2)

父 その後

父が入所して、もうじき1ヶ月になります。
ようやく新しい生活に慣れてきたようです。

最初、父は自分の部屋をホテルと思ったのか
「ここは1泊いくらなのか?」と聞いてみたり
あるいは病院と勘違いしてみたり
かなり困惑していました。
(母が説明して本人が納得したということでしたが、
 やっぱり理解力が落ちていたのですね・・・)

「いつ帰れるのか」
「いつまでここに居るのか」
「なんでこんなところに居ないといかんのか」と、
行くたびに聞かれて辛かったです。

しかし10日もすると、
なんだか元気そうに・・・
血色が良くなってきました!

家ではベッドから起き上がるのもやっとのありさまだったのに、
すっと立ち上がれるようになりました。

食事やおやつのたびに、食堂までのわりと長い廊下を、
施設の人についてもらって歩行器を押して歩いていますが
これがちょうど良い運動になっているのかもしれません。

また、介助の方やケアマネさんや看護師さんや
いろんな方と会話をする機会が増えて
その刺激もよいのかもしれません。
しっかり受け答えできている時間が増えました。

入居したお部屋はさいわい南向きで暖かい上に
週に3回、大きなお風呂で「入浴」させてもらえます。
家のお風呂では浴槽をまたいで入ることができなかったので
ここ半年ほどずっとシャワーで辛抱していたのです。
久しぶりのお風呂は、本当に気持ちよかったことでしょう!

最初は嫌がっていたちょっとした塗り絵や
節分のフラワーアレンジメントなどにも、
誘われて参加するようになってきました。
(もともと器用なので)とても上手にやってのけて
みんなに誉められて得意そうです。


ひょっとしたら、もう
車椅子とかおむつになってしまうのではないかと
危惧していたのですが、

理学療法士さんによるリハビリや
定期的なマッサージを受けて
誰もが驚くほど、足元がしっかりしてきました。
この調子なら、上手に器具を使えば
ひとりで動くことも可能かもしれないと言っていただいています。


ただ、どうしても、コールを押して人に来てもらうのを面倒がります。
ひとりで立ってトイレに行こうとして
2,3度転倒してしまいました・・・Orz
顔を打ったり頭を打ったりしているようで
大事にいたらなくて良かったですけど。。。

足元にセンサーマットを敷いていただきましたが、
それでもうっかりすると、
カーテンを閉めに立つなど
部屋の中をこっそりひょいひょい動いているようです(>_<)

骨折の危険は常にあります。
・・・でも、あまり制限するのもね。。。
だって
いくら「ベルを押して人が来てから動いてね」と伝えても
「大丈夫だ」と自分で動いてしまうのです。


家にいたころは
母が「大丈夫?」「ここは痛くない?」「トイレは?」などと
いつもつきっきりで父の世話をやいていました。
母は、父がテレビのリモコンを取りに立つことさえ、
声をあげて制止していたのです。
「ここで転んで骨折したら、寝たきりになってしまうでしょ!」
というのが母の口癖でした。

母には母の思いがあるでしょう。

でもその母の一生懸命さがかえって
父の生活能力を奪い
母の体力を消耗させていたのだと
私は思っています。


いくら制止しても動きたい父と
なんとしても安全を確保したい母、という組み合わせ。

基本的に父と母の生き方は、
これからも父と母に任せるしかないので

子としてできることは、
2人に好きなように泳いでもらって(^^;)
起こることの後始末をすることなのかな?

と、最近はハラをくくってマス。
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# by prem_ayako | 2015-02-18 23:02 | family | Comments(2)

(5)実践仏教講座

お分かりと思いますが
私、そうとう怒っていました(^^;)

口には出しませんでしたが
義姉に対して
心の中には「悪口(あっく)」が渦巻いておりました。

しかもこれは、
ちょっとやそっとでは消え失せなくて(^^;)
先に書いたように、朝4時ごろまで続きました。

そもそも義姉との関係がこんなに悪いのは
私の不徳のいたすところであります。

瞋恚(怒り)の裏には我執(劣等感)があるので、
きっと、親孝行したいとか
邪魔されずサクサクと話を進めたいとかの
貪欲(仮想的目標)があったと思います。

はい、競合的です。。

しかし、いくら理屈で分かってはいても、
心の中の嵐は、なかなかおさまらず
義姉を裁き続けるのでした。

瞋恚を勢至菩薩さまに食べていただくという瞑想法も知っておりますが、
この時は、しようという気持ちになれませんでした。
なんといいますか、たぶん私は、まだしばらく
怒り続けていたかったのだと思います。

しかし、ひとり毒を吐き続けるのも苦しいことです。

私を救ってくれたのは、
毎日チベット語でお唱えして暗記していた
「四無量心」の教えでした。

虚空と等しき母なる一切衆生が
楽と楽因を得んことを
苦と苦因を離れんことを
苦のなき楽を離れざらんことを
愛憎を離れ平等に住せんことを

(大きなJ先生訳)

仏さまは、なんと正しく人間を理解しておられることでしょう。
キリスト教と違って、「敵を愛せよ」とは言っておられないのです。
ただ

しむ(相手が楽を得ることを願う)
しむ(相手の苦がなくなることを願う)
ぶ(相手の苦のない楽が続くことを願う)
てる(相手を裁く心から離れることを願う)

の4つの心を、この偈に示しておられます。

義姉は、人を疑ったり、感情を使って自分を強く見せることで
身を守り、社会に所属することができると
思い込んでいるのかもしれません。

そんなことをしていたら苦しいに決まっていますが・・・
彼女はまだ仏教に出会っていないし
ついでに言えば、ライフスタイル分析も受けていないので(^^)
この牢獄に囚われたままなのです。

まさに、神なき人の惨めさ・・・。
はじめて私は彼女のことを
憐れだと思いました。

いつか彼女が、世界を信頼することができればいいのに。
そうすればきっと楽になり、このような苦から逃れられるはず。
そうなることを私が喜べますように。

さらに、愛憎を離れとあるように
愛するとか憎むとかの話ではなく、
私が、彼女を裁いていることが問題なのです。
全ての判断から私自身が解放され、彼女と平等の位置に立てますように。

関連して次々と、
今まで学んできた数多くの言葉が思い出されました。
「三十七菩薩行」にも
「入菩薩行論」にも
同じことが繰り返し書かれています・・・

苦しい夜の明ける頃、
はじめてこれらの偈の一言一言が現実と繋がり、
力を持ち始めたのでした。

そしてようやく、気がつきました。
この出来事は、実はとても大切なレッスンだったのだと。



四魔(貪欲・瞋恚・邪見・傲慢)を断ち切る「チュー gcod」の修行を
おひげリンポチェに教わってから、約1ヶ月経ちました。

親族への愛や憎しみに翻弄されているこの状況は、
さぁ実際に解いてごらん?と
仏さまから差し出された
練習問題なのだと分かりました。

難解な問題ではありますが
まさに今を実践すべき時として
出してくださったレッスンなのでしょう。
ありがたく取り組ませていただきます(^^)


この後も、支払いプランなどについて
今度は兄が少しばかり頑なになり
すったもんだ、なかなか大変でした。

兄も義姉も、父の財産を無駄に使わないよう
極力考えてくれているのだと思います。

長男・長女さん方は
直感で動く脳天気な末子には、思いの及ばないところで、
なにかと苦労してくれているのでしょうね(^_^;)

そして、あの日から1週間たった1月16日、
相談員さんとケアマネージャーさんと看護師さんの3人が
父との面談のため、家に来てくださいました。
母も、少し安心したようです。
そして父の入所は、最初の電話で言っていただいた言葉どおり、
1月20日に決まりました。


今日(18日)になって
もうひとつ、鳥肌のたつようなことに気がつきました。

ポンクラを閉めることは、昨年11月に思い立ちました。
まさか父が年明け早々こんなふうになるとは、
そのときは全く予想していませんでしたが、
年内に終えることを決めたのです。

父の入所する1月20日は、第3火曜日なので
もしもポンクラをもう1ヶ月続けていたならば、例会と重なっていたはずです。
会場を借り、ご案内も出すので
例会をキャンセルするのは難しかったでしょう。
そうすると前後の関係から、あと1週間、父の入所は遅れたでしょう。
この状況での1週間は、母にしたら、とてもハードだったでしょう。

なぜ年内にポンクラをやめようと決心したのか。
答はここにあったようです。

流れは・・・人間に見えていないだけで
すでに決まっているのですね。
たぶん因果の理によって。

そして人間がただ信じていれば
委ねていれば・・・
仏さまはいちばん佳いようにしてくださるようです。


長い話になりました。
読んでくださって、ありがとうございました。
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# by prem_ayako | 2015-01-18 15:36 | family | Comments(2)

(4)心が世界をつくる

翌9日、予定通り
この老人ホームを見学させていただきました。

S林業の施設なので
内装にはふんだんに木が使ってあり
外観とエントランスは、まるでマンションのようでした。

1階は、入居者が誰でも利用できるロビーになっていて、
大きなテーブルや応接セット、
隅には新聞や碁盤が置いてありました。
壁の本棚にはたくさんの書籍が並んでいます。
机や棚が全てこげ茶色の木製なので、とても落ちつきます。

先日見学した施設が病院に近い雰囲気だったのと較べると、
ここはどちらかというと、小さなホテルのロビーのような感じでした。

2階と3階には、要介護の入所者のための個室が40あり、
4階から6階は、2人部屋の普通居室(介護なし)になっています。
厨房やお風呂も覗かせていただきましたが
お盆や食器にまで気が配られていて、
職員さんの動きもテキパキしていて、好もしく感じました。

神憑りな私は終始、
この施設に父は入ることになるだろうと思いながら
見学していました。

ですが、兄についてきた兄嫁の意見は、違いました。
あまりにも話がうますぎて「うさんくさい」と言うのです。

「文子さんは、最初から、おかしいと思わなかったんですか!?」と、
神憑り文子さんは怒られてしまいました(>_<)

え、どこがおかしいんですか?
これって父の福徳が引き寄せたお話なんですよ。

なんてこと、言ったらますます怒らせそうだから
口が裂けても言いませんでしたが

なぜか彼女の怒りはおさまらず、
挙げ句、優遇を申し出てくださっている相談員さんに
くってかかりました・・・(@_@)

ここで感情を使う目的が、私にはさっぱり分からないのですが
相談員の方には、あらためてご連絡しますからと
申し訳なさを全面にだしてお伝えし、
(こんなことで話が潰れてはかなわない!)
あたふたと施設を退散することになりました。
(兄は黙っていました。。。慣れてるのかしら?)

このころから、私は胃がキリキリと痛み始め、
その後数日の間は、食欲もありませんでした。
胃に穴が開いたかもしれません(^^;)


そして家に集合して、母を交えて話し合いました。

義姉が言うには、
友だちからこの施設の「よくないウワサ」を聞いていたので
相談員さんのお話が「きれいごと」すぎて
おかしいと思ったということです。

私には思いもよらないことだったので
あぁこの人は、
私と全く違うものを見ているのだなあと驚きました。

義姉は、父母が騙されないようにと心配してくれているのでしょう。
「舐められないように、言うことは言わなきゃいけないと思いますよ!」
とおっしゃるので、陰性感情を使うこともOKと思っているみたいです。

長らくアドレリアン・コミュニティの温室の中に
どっぷりと浸かっているものですから、
私は、身近にこのような言動を見て、とてもショックでした。

高額な買い物になるので義姉が神経質になるのも分かりますが、
疑い始めたら、何もかも疑わしくなるのでしょうか。。。
なんだか、全く違う世界の人と会話しているようで
激しい徒労感に襲われました・・・

言葉はあまり通じなかったかもしれませんが、
私は、自分の目で見たものを信じたいと伝えました。

さいわい兄も、この施設を実際に見て気に入ったようでした。
義姉からその「ウワサ」を聞いてはいたけれど
見たところ、そんなことはないように思う。
向こうも商売だから良いことばかり言う感じではあるが、
話半分で聞いて、あと注意しておればいいんじゃないかと言ってくれました。

義姉は突然、母の手を握らんばかりにキラキラ豹変して
「わかりました。ここにしましょ、お母さま!」と言いました(@_@)

はい、それで、
このケア付き有料老人ホームC候補に
父をお願いすることが決まりました。

すぐに件の親切な相談員さんに電話をして
義姉の非礼をお詫びし、入所希望の旨を伝えました。


この夜、私は朝の4時まで眠れませんでした orz

翌日からはパセージリーダー養成講座だったので
3日間、大阪に通いました。
そして家のことには、一切関わらないでおりました。

講座の参加者のみなさんが
勇気づけを糧にぐんぐん成長していかれるさまを
部屋の片隅からずっと見させていただいて

おかげで私自身が、限りなくエネルギーをいただきました。
胃痛もいつしか治っておりました!(^o^)

そうよね!
人の善意を信じていいよねっ

人間が環境を作り、環境が人間を作る。

この世界を作っているのは私の心です。
私の心よ、ぶれるな!
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# by prem_ayako | 2015-01-18 15:29 | family | Comments(0)
翌朝、母に、さりげなく(?)
月々どれぐらいまでお金が出せるか、
ぶっちゃけ聞いて確認しました。
私が探した候補施設は、みな
一昨日に見た施設の、2倍以上の費用がかかるのです。

しかし、父が働いて蓄えてきたお金は
今、このときのためのものです!
あるだけ、父と母のために使ってしまえばよい。
父にはそれなりのところで過ごしてもらいたいと、
母と兄と私の願いは一致していました。

さてどこから電話をしたものか?
(後で分かるのですが、このとき、少なからぬ神仏のお力が働いていたようです)

候補AはK製鋼の老人ホームで、とても良さそうですが
いくらなんでもというぐらい、破格にお値段が高いです。
ここは最後に回すことにしました。
(結局、電話はしませんでした)

まず、Bの老人ホームに電話をかけました。
若い女性が応対してくださり、無難に親切な感じでした。
大手Bネッセの施設なので、応対マニュアルがあるようです。
翌日の午前の見学をお願いしましたが
やたら細かい個人情報をいろいろと聞かれ、
見学なのに、ここまで?とちょっと思いました。
(ここも、結局見学をキャンセルしました)


その間に、父のケアマネさんから電話がはいって
父母の状態について少しお話をしました。
先日の施設について、入居を前提としたショートステイの話を進めていただいていますが、
私としては父のために、もう少し探してみたいこと、
平行していくつかの施設を見学しようと思っていることを伝えました。

ケアマネさんも賛成してくださいました。
母があまりにも早く決断したので、慎重に考えてくださっていて、
「まだお断りできますからね。いつでも言ってくださいね」
と気づかってくださり、ありがたかったです。


最後の候補施設CはS林業の持ち物で
ホームページによると、今のところ空きは全くないようでした。
でも、今話が進んでいる施設を父が気に入らなかったときの準備として
ここにも電話をしておこうと思いました。

電話にでられたのは、落ちついた感じの相談員さんでした。

B施設への電話で話したのと同じように、
年末から父の状態が悪くなって母が参ってきたので老人ホームを探していますと言うと
それはたいへんですね~と話を聞いてくださいました。
はい、ほとんど母ひとりでがんばってきたのですが
夜間頻尿がひどくなって、もう限界みたいなので・・・と言うと
「私も父を看ていたとき、ほんとうに大変でした。
 もう2人で死のうかとさえ思ったぐらいです」とおっしゃいます。
思わず「そうなんです。まさに母が今そう言っています」と答えました。

いろいろ聞いてくださるので、話の聴き方が上手だなあと思いながら、
入所した場合、夜間の1時間おきのトイレに
どう対応していただけるのか、尋ねてみました。

先日の施設では、
「コールしてもらえばできるだけ付き添いますが、おとなしい方ばかりではありませんからね」
という答えが返ってきており、
これでは実際には、おむつになってしまうだろうなと思ったのです。

今回のところでは、
おむつは最後の手段であり、
1時間おきでも、自分でトイレに行きたいと言うなら付き添いますということでした。
「そのとき出なくても、いいんです。ご自分で行きたいと言われることを大事にします」
と言っていただき、「そうそう!」と膝を打つ思いでした。

同様に食事に関しても、自分で食べたいと言う人には、
どれだけ時間がかかっても、「ご自分で食べていただきます」ということでした。

そのためか、わりと評価の分かれる老人ホームのようではありました。
こぢんまりしていて、リクリエーションもあまりしていないので
「厳しい」とか「暗い」とか嫌がる人もおられるのだとか。

でも父のように、デイのレクリエーションに馴染めなかった人にしたら、
静かに過ごせるこういう所の方が向いているのではないかと思いました。

全体の方針として入所者の意向を尊重しているようで、
言葉遣いに老人たちへの尊敬が感じられました。

・・・ここなら、ひょっとしたら父を託せるかもしれません。
ようやく納得できそうなところが見つかった気がしました。


さらに、驚くべきことが起こりました。
相「今、うちは12人待機中なのですが・・・」
私「ああ、そうでしょうねぇ・・・」
相「実は今朝ほど、おひとり退去されることが決まったのです」
私「?」
相「でもうちはご高齢の方や急ぎの方を優先しますので・・・もしも一度見ていただいた上で、よろしければ、最短で今月の20日ぐらいにはご入居いただけるかもしれませんよ」
私「えっ?!!それは・・・よろしいんですか?」
相「はい。これもご縁だと思いますので」

なんということでしょう!
「ともかく見学させていただいてから」と、
すぐに、翌日の午後の予約をとりました。

「明日の午後までは、他の待機の方に伏せておきます」
「すみません。兄とも相談しますが。。。助かります!」
「ほんとうにご縁です。すごいタイミングだったんですよ。
 ほんとに今朝、退去のご連絡があったところだったんです」

電話を昼前にかけたからこその
タイミングでした。

私はとても単純で神懸かりな人間なので
この出来事は、
父の積んできた福徳のおかげだと思い、
正直、鳥肌がたちました。

相談員さんは、父がこの地で50年開業してきたことなどご存知ありません。
ただ私との会話の中で、父を優先することを決めてくださったのです。

諸仏諸菩薩は、父を見捨てるようなことをなさらない!
そう確信しました。

すぐに兄に電話で報告し、
翌日午後の見学に同行してもらうことにしました。
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# by prem_ayako | 2015-01-16 11:55 | family | Comments(0)
翌7日はカウンセリング予約が3件入っていたので
とりあえず出かけて、目の前のクライエントさんに集中しました。
夕方にデパートに寄って、
頼まれていた母の財布と、父の靴下とを買って帰りました。

帰宅すると、もう2人は寝る支度をしていましたが
母は新しい財布の包み紙をまず開き、
「こんなのがほしかったの!うれしい!」と
少女のようにはしゃぎました。
そんな嬉しそうな母を見るのは、ずいぶん久しぶりでした。

頼まれたことをして「ありがとう」はよく言ってもらったけど
ご飯を作って「おいしい」ともよく言ってもらったけど

こんなふうに笑顔になってもらえるようなことを
私は、あんまりしてあげていなかったなぁm(_ _)m
とても申し訳なく思いました・・・


そのあと、疲れていたけれど
瞑想しました。
してよかったです。

心が落ち着くと、
家でお世話ができなくなったという事態の急転に
まず私がショックを受けているのだとわかりました。
私としては、できるだけ長く、できれば最期まで
父に家で過ごしてもらおうと思って、この家に帰ってきたのです。

しかしそうは言いながらも、私は週の半分ぐらいしか家に居ず・・・
結局、ほとんど全ての負担は母が背負っていたのでしたm(_ _)m

そして、この「家でお世話したい」という願いもまた
私の勝手な欲だということに、ようやく気がつきました。

父に幸せになってほしい
母に幸せになってほしい
というのは、しょせん貪欲であります。


昨年末のスピリチュアル・ワークで大きなJ先生に教えていただきました。
「仏教は親孝行を勧めてはいません」
「親の不幸は、親が自分で選んだカルマです」
親を幸福にする力は、子どもにはない。。。
親が幸福になるかどうかは、親自らの因と縁に依るのです。

徹底的な個人の主体性です。
そして全体の中で、あるべきように
すべては配置されていく。

父の今の身体の状態も、
母の今の精神状態も、
父が母に依存している今の2人の関係も、
ふたりが長い時間をかけて作り上げてきたもの。
彼らのカルマです。

流れが、父をどこかの施設に託すという方向で動いているのなら、
私にできることは、
少しでも父にとって快適な場所を、探し出すことです!


母が飛びついて決めた昨日の施設で
父が幸せな最期を送ることができるとは
残念ながら、私には思えませんでした。
父はやさしくて穏やかな人ですから、
母が頼めば我慢してくれるでしょうけれど・・・

誤解のないように言っておきますが、
決して悪い施設ではないんです。
きれいで親切なところなんですよ!
でも私の無意識は、しつこく私に告げていました。
「あそこに入ったら、父はあっという間だろう」と。。。

私は夢中になって
ケアマネさんが置いていった神戸市の施設一覧リストの中で
家から比較的近い施設(ケア付き有料老人ホーム)を、片っ端から検索しました。

母が会いに行き易い場所であること。
入所時に高額な一時金を徴収しない施設であること。
自分が入ってもよいと思えるようなところ・・・

仕事で研修宿泊施設を探すときの経験が、
少し発揮できたような気がします・・・

夜遅くまでかかってABC3つの候補を絞り込みました。
母を混乱させないように黙ったままで、
明日はこれらの老人ホームに連絡をとって
見学の手はずを整えようと考え、
ようやく眠りにつきました。
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# by prem_ayako | 2015-01-16 11:38 | family | Comments(0)

施設入所(1) 

昨年末から、父の介護がたいへんになってきました。
認知がここ半月ほどでかなり進んだ上に、
夜間頻尿も、1時間1回ほどのペースになってしまったのです。

「おしっこって言ったら側に行くから言うみたい・・・」
と母も気がつくぐらい、
父は、母の注目関心を引きたいようです。

さらに、背中が痛いとか食べ物の味がわからないとか
いろんなことを母に訴えます。
・・・ですが私が聞くと大丈夫だと言いますし
食事も、私と居るときは、しっかり食べています。

母はまた眠れなくなってきて、
もともと朝に高い血圧が、下がらなくなってしまいました。
かかりつけのお医者さんに薬を加減していただきましたが
一時ましになっても、あまり効果がでないようでした。

父よりも母の方が弱ってきてしまったので
年末、母担当のケアマネージャーさんに電話で相談しました。
少しでも夜間の負担を減らすために
父にポータブルトイレを使ってもらってはどうかと聞いてみましたが

母の性格を考えると、ベッド脇にポータブルを置いたところで
きっと起き上がって世話をするだろうし、その度に処理に立つだろう。
根本的な解決にはならないのでは?というご意見でした。
たしかに・・・
ケアマネさん、さすがに母のことをよく見て現実を分かっておられます。


お正月は、私の作ったおせち料理を囲んで
父は「おいしい、おいしい」とたくさん食べてくれ、
母は「何も作らなかったのは生まれて初めて!」と喜んでくれました。

その時じっくり母の話を聞くと
やはり相当煮詰まっているようで
早急になんとかしなければならないと感じました。

数日後、年始に来た兄が
「そんなにしんどいなら、ケア付きの施設(老人ホーム)に入ることを考えてみては?」と言うと
それまでずっと「2人一緒でなければダメ!」と拒否していた母が
父だけ施設に入ってもらおうかと言い出しました。

この時はじめて、母は父と離れることを口にしたのです。

私も兄も驚いて
今は疲れているからこう言っているだけで
少し休めば気が変わるのではないかと思いました。

でも母は、体力も気力も限界にきているみたいで
もう自分の力では父をじゅうぶんにお世話できない、と
すっかり勇気をくじかれているようでした。
専門家に任せた方が父は幸せだろうと言います。

私には、まだ何か工夫できそうに思えましたが、
兄は、これ以上母を頑張らせるのは酷だと言います。
そう言われたらそうかもしれませんが・・・
父はそれでいいのでしょうか?

ともかく、今までの支援体勢は限界のようです。
これまでは父中心に援助を考えていましたが
母の負担軽減を優先しなければならない時期にきたようです。

父担当の介護のケアマネージャーさんに連絡をつけ、
休みあけの1月6日、
母担当の支援のケアマネージャーさんと共に、
家に来ていただき、兄も交えて話し合いました。

どこのデイサービスも気に入らず、
ずっと家で過ごしてきた父ですから
兄も私も、この時点では、
いきなり父をどこかの施設に預けることには躊躇がありました。

しかし専門家さんたちのご意見は
どちらかというと、できるだけ早い時期の施設入所でした。

ショートステイやデイサービスを使うという方法もあるが、
むしろ母にとっては(母の性格を考えると)
その度にあれこれ準備が必要なことや、
曜日ごとにいろんな人が出入りすることへの
ストレスの方がはるかに大きいのではないか、ということでした。
「お母さまはそれでは休めないでしょう?」とおっしゃいます。
たしかにそうかもしれません・・・。

母は、父を1人で施設に入れる方に気持ちがすっかり傾いて
すでに父にも話をつけ、父は入ってもいいと答えたそうです。
(仕事早っ)

母がそうしたいと望み
父もそれでいいと答えたのなら
私が反対する理由はありません(T_T)

そして(兄夫婦は山手の方の老人ホームを候補に考えていましたが)
家の近所の施設を、ひとつ紹介していただきました。
母は、兄と私に判断を任せると言いますので、
すぐに見学に行きました。

明るいきれいな施設で職員さんたちも親切そうで
2部屋だけ空きがあり、
しかもお試しでショートステイもできますよと言ってくださるので

帰って母に報告すると、飛びつくように
そこにお願いしたい!と言います。
せめて1晩おいて、明日決めるようにと言いましたが、
すぐにケアマネさんに電話をして、
そこの施設への入所前提での、ショートステイの予約をしてしまいました。
(この人は、決めると早いのです)


こうして、とんとんと話は進んでいくのですが・・・
私としては、なんともいえず辛くて、悶々としてしまうのです。

こうするしかないのだろうか?
他の方法はないのだろうか?
母だって、せっかくここまでがんばってきたのに・・・
いきなり父を手放してしまうなんて・・・

近くにいながら、私の力が足りなかったのだと思いました。
母がこんなに切羽詰まるまで、気づいてあげられなかった。
私が無理にでもトイレ介助をしてあげるべきだっただろうか。
もっと早くに、私がケアマネさん方に連絡するべきだったのだろうか。
言葉で頼まれたことを手伝う、という方針でやってきたけれど
もっと積極的に手を出してあげるべきだっただろうか。

などと、いわゆる後悔と自責の念が果てしなく出てきて
ひどく気持ちが沈んで、考えは堂々巡りで
この夜は毎晩の瞑想さえもする気になれませんでした。
Orz
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# by prem_ayako | 2015-01-16 11:21 | family | Comments(0)

初詣

あけましておめでとうございます

2015年の年明けは、厳しい冷え込みでしたね。

私は初詣に出かけて冷え切ってしまったのですが、
なんとか持ち直したようで、
おかげさまでつつがなく過ごしております。


うちの両親は、まったく信心がないようで、
結婚するまで私は、家族と初詣に行ったことがありませんでした。
初詣どころか、
お宮参りや七五三のお祝いも、
してもらった覚えがありません(^^;)

不思議な人たちだなと今になれば思います。
流行りのニヒリズムですかね。。。
彼らの課題ですから何も言いませんけど。

といっても、
神さまに手を合わせることだとか
鳥居の中は特別な場所だとか
その程度の日本人として当たり前の知識は
伝えてもらっていました。

・・・思うに両親の時代の人たちは、敗戦を機に、
教わってきたことを180度ひっくり返されるという経験をしましたから
戦後の価値観に口を出したくなかったのかな。
価値を伝えることに自信を失っていたのかな。
・・・謎ですが。

で、結婚した先の婚家は、ふつうに神社仏閣に参詣する家庭でしたので
私も人並みに、お宮参りや七五三や初詣をするようになりました。
その頃親しんでいたのは、近所の「本(もと)住吉神社」で
5月の大祭には、子どもたちも「だんじり」を引いて参加したものです。


そういうわけで、私が神社に親しむようになったのは
大人になってからだったのですが、
神社のもつ独特の雰囲気は、とても好きです。
たしかに神さまの居られる神社は、あります。


神戸に戻って初めてのこのお正月。
さて私はどこの神さまになついていけばいいのかしら?
と、はたと考えたのでありました。

今住んでいるこの家の近くで、
これからお付き合いしていく神さまを探さなきゃ。
こういうのは「出会い」だと思うのですが、
近所をぶらついても、まだ「これ!」という神さまに
お会いできていないのです。。。

母に聞くと、この町内は「船寺神社」さんの氏子なのだけれど
「むかし、神主さんがお金持って逃げたことがある」のだとか(^^;)
真偽不明だけど、やめよっかな。

わりと有名なのでは、2駅ほど阪神電車に乗った所に
「敏馬(みぬめ or みるめ)神社」というのがあります。
ところが検索してみたら、どうやら縁切りの神さまみたいで(笑)
それも、今でもこの神社の前を花嫁行列は通らないというぐらい
本気で縁を切る神さまみたいなんで(^^;)
まぁ今さらあんまり関係ないんだけど、やめた方が無難かな?


迷った挙げ句、結局今回は2つの神社に
帰りましたのご挨拶をしておくことにいたしました。

まずは、「六甲八幡(やはた)神社」へ。
私の中学・高校時代には、
ちょっとしたデートスポットとして活用しておりました(笑)
息子の小学生時代には、彼の所属していた野外活動グループの
集合解散場所でもありました。

八幡さんだから戦の神さまですね。
また、厄神さんでもあるようです。
こういう神さまにはやはり、仁義を切っておかなければね。

寒いのにかなりの人出で
神前へ出るのに半時間ぐらい
六甲おろしのうなる中、並ばなくてはなりませんでした(>_<)


次は、「弓弦羽(ゆづるは)神社」へ。
今の家からだと、ひと駅、電車に乗らなければなりませんが
凍死しそうになりながら、がんばって行きました。

ここは、神戸の震災後2年ほど過ごしたマンションの近くにあって
子どもたちの学校・病院への行き帰りやお稽古の送り迎えなど
折あらば立ち寄って手を合わせていた神さまです。

こぢんまりとした美しいたたずまいで、
私の好きな神社です。
春の参道の桜は見事だし
秋は、幼稚園児たちがどんぐり拾いに訪れます。

「弓弦羽」という名前からして、戦の神さまですね。
このあたりには、神功皇后の新羅出兵のちなみで、
戦勝を祈願されただとか、船を停めただとか、
戦の神さま、海人の神さまが多いようです。

b0253075_10241270.jpg中でも弓弦羽さんは熊野系らしく、
八咫烏をシンボルにしておられます。

弓弦羽さんもとても混んでいて、
参道では、ちらちら雪も舞ってきました~(T_T)
元旦から雪が降るなんて、神戸ではほんとに珍しいのです。

うれしいことになんと、
八咫烏のおみくじを見つけました♪
かわいい!

巫女さんに500円お納めすると、
「どれかひとつお選びください」と言われまして、
ずらっと並んだ烏の中から、好きな子を一羽選ぶのです。
(選ぶの難しかったですww)

b0253075_10263469.jpg写真ではよく見えないかな。
爪の3つ描かれた足が、
ちゃんと3本あるのですよ。

この烏さん欲しさに
来年からも、弓弦羽さんに通おうかしら~(^o^)
というぐらい、気に入ってしまいました。
(商売上手な神社さん)

あ、ちなみにおみくじは小吉でした。
よかったですw
もし凶なんぞ出たら
500円出して買い直すのはちょっと痛いですもんね。


娘が言うに、私のブログには
1)オタクでしょうもないもの
2)オタクでおもしろいもの
3)感動もの
この3種しかないのだそうです。
本日の記事への評価は、さてどれになるでしょう?(^^;)
たぶん1)ですね。

そんな感じで、今年もつらつらと、
好きなことを書き散らして参ります。
もしよろしければお付き合いくださいませ~
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# by prem_ayako | 2015-01-05 10:35 | family | Comments(0)

年の瀬に

のんびりしていたら
今年ももうあと1日で終わりではないですか。
書きたいことはたくさんあったのですが
時間がないのでとりあえず棚上げにして、
簡単に今年1年を振り返ってみます~

1)家族

ひたすら、家族のために食事を作った1年でした。

これはまあ、でも、主婦なら当たり前のことですね(^^;)

私が離婚したのは息子が15、娘が19の時でした。
本来なら、まだもう少しの間、
彼らに食事を作ってあげるべきでしたのに
そのタスクから逃れてしまったわけですから
今ごろ、ツケがまわってきたのかもしれません。

娘が絨毛膜下血腫で絶対安静になってしまった2月末から、
無事しゅんすけが生まれて心おきなく動けるようになるまで
何度鳥取に通ったか!
行けば私は娘の家の台所の主となり
毎日、昼と夜の娘家族の食事のお世話をしたのでした。

お料理するのは好きなほうですし
喜んで食べてもらってるな~と感じることができたので
娘のところでは、ちっとも苦じゃなかったです。

3月末からは、両親と同じ神戸の家に住むようになったので
曜日を決めて夕食のタスクを引き受けました。

こちらの方はしかし、
母との関係が悪い時などには
たまに、あまり喜んでもらっていない感じの時もあって・・・

なんで私ばっかりが、食事の支度しなきゃいけないんだろう!
と黒い心が動くことがありました・・・

おっとっと。
今までどんだけ母の世話になってきたか。
お返しするのは当たり前のはず。

それに、
私の力を使って何かをする、ということに意味があるのです。
相手の反応に左右されることではありません。

たぶん何かのカルマを、こうやって返しているのでしょう。
惜しみなく、もらっていただきましょう!
そう、これは生き仏さまへのお供え。布施ですね。

はい、明日もお節料理、がんばりま~す!(^o^)

b0253075_20311989.jpg









2)チベット仏教

ありがたいことに、今年の終わり近くに
私がこれから死ぬまでの間中、
ずっとやり続け、極めるべき瞑想を学ぶことができました。

人それぞれに、体質に合った、または必要な
瞑想の種類があると思いますが、
私の場合は、それが チュー gcod なのだと思います。

観音成就法も好きですし
トゥンモの火も素敵ですし
また、好きなお経もたくさんありますから
これからも読んで学んでいくと思いますが

私のように業の深い・・・
貪欲で我執の強い人間が
少しでも浄くなり解脱に近づこうと思ったら、
チューしかない!

・・・というぐらい
私には合っている瞑想法だと思います。

いやぁ習いに行く前から、なんだかドキドキしていたんですよ。
(え、方向音痴だから? ちがうって)
ものすごく大事なものと出合う予感がしてたんです。

今はまだ、チューのチベット語テキストを
たどたどしく読むだけで精一杯ですが

来年はなんとか、もう少し流暢に
チベット語で歌いながら
深い瞑想に入れるようになりたいものだと思います。

さらに、今生のうちには、
瞑想しながら
右手でダマル(太鼓)、左手でティルブ(金剛鈴)を
美しく鳴らせるようになりたいものです!

かなり練習が要りそうですが
毎日やっていれば、いつかはできるでしょう。
がんばりま~す(^o^)



3)アドラー心理学

ポンクラを閉めたばかりなので、
この先、自分が自助グループ活動とどう関わっていけばよいのか
まだ全く見えないのですが

ただ、ずっと長いこと地元の閉じた空間で
自助グループやカウンセリングをしてきましたが、
今年は、もう少し外に向かうような、
新しい動きが出てきたのかな?と感じています。

実は今年は、少し離れた地域で、
お仕事をさせていただく機会が何度かありました。

初夏の金沢や、冬の名古屋。

特に名古屋でのお仕事については
私にできるだろうか?・・・いやできるはず!
と自分を奮い立たせながら(^^;)目下挑戦中です。

嬉しいことに、新しい経験をさせていただくたび、
お友だちが増え、
私自身の学びになり
また、少しは誰かのお役に立てているようで
かえってたくさんの勇気をいただいています。

来年も、もしまたそんな機会がいただけるのなら、
もともと私、怖がりで慎重派なんですけど
少し返上して挑戦してみようかと思います。


図らずも3項目とも
己を捨てて自分にできることをする。
というあたりが、来年の抱負となりました。
宣言しとこ(^^)

家族には、布施と忍辱を旨とし
チューで、禅定と智慧を目指し
アドラーは、なおもって精進すべし!


みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
これからもよろしくお願いいたします。
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# by prem_ayako | 2014-12-31 00:23 | others | Comments(2)
「秘境」といわれる地域で行うスピリチュアル・ワークは、
参加者がみんなとっても仲良くなるみたいに思います。

辿り着くまでに、すでに気分が盛り上がっていますし
轟く日本海が目の前に現れると、みな思わず歓声を上げてしまいます。

今回はそれに加えておいしい食べものが
さらにテンションを上げてくれました。

参加者のみなさんが持ち寄ってくださった、お土産のお菓子。
いつものことですけれど、とってもありがたいです!

寒さのせいか、お菓子の減り方もポットのお湯の減り方も著しくて、
用意していた瓶詰めの「しょうが茶」もドリップコーヒーも、
あっという間になくなってしまいました。

ところがなんということでしょう、
知らぬ間に、食べるものが増えていくのです(*_*)

あまりよく存じ上げない男性参加者が、
お昼休みに10分ほど歩いてコンビニに行ってこられて
さりげなくクッキーを差し入れてくださった時には、
心がほんわかあたたかくなりました。

それだけではありません。
いつの間にかインスタントコーヒーの瓶が、そっと置かれています。
どなたが頼んでくださったのか、みかんが一箱届けられます。

まるで空中から降ってわいたかのように、
みなが笑顔になるようにと、食べものが現れ出るのでした。
おんまにぺめふむ。


クリスマスということもあり、シュトーレンを2本もいただきましたので、
せっかくだからツォク(仏さまといっしょに食べ物をいただく会)
をやってみようということになりました。
3日目のおやつどきに、
お供えしていたシュトーレンを薄く切って、
梨、トマト、みかんなどと共に
少しずつ分け合って仏さまとみんなとで食べました。
ありがたさ倍増です(^o^)


そしてお宿のお料理が、また本当においしかったのです。
お刺身も、ごはんも、おつゆも、アツアツの天麩羅も
とっても心のこもったお料理でした。

温泉と海の幸がお宿の売りなのですけど、
毎晩カニ料理では、ワークとしては少し贅沢すぎるでしょう?
なのでお宿のお兄さんと相談して、3泊目の夕食だけを、
豪華料理(といってもこのお宿の正規の値段分)でとお願いしておりました。

b0253075_20344013.jpgこれが!
絶品!!

魚介類の海賊焼きと、さらに、カニすきまであるんです。
サザエもエビもカニも、全部おいしかったけれど、
なんといっても1人1個のアワビがぁぁぁ!

生きたアワビさんを炭火で焼くのは
不殺生を誓う仏教徒としてはたいへん心苦しかったのですけれど。
供されたものはありがたくおいしくいただくのが供養になると思いまして・・・
おんべんざさったふむ、と唱えながら
ありがたくおいしくいただきました(^_^;)

こんなにおいしいアワビくん、私は食べたことがなかったです~
伊勢志摩の高級ホテルのアワビより、ずっとおいしいというウワサでした。
今回のスピリチュアル・ワーク、
一番印象に残ってるのはアワビだったりして。

ごめんね、アワビくん~m(_ _)m
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# by prem_ayako | 2014-12-27 20:47 | travel | Comments(0)
丹後半島の間人(たいざ)という町へ
スピリチュアル・ワークに行って参りました。

いやぁ寒かった!!
冬の丹後をなめてはいけません。。。
しかし清冽な空気の中、
30人の参加者のみなさんと
ほんとうに美しい時間を過ごすことができました。

ワークで得たことを言葉にするには、
少し時間がかかりますので
まずは、旅の様子からお話ししましょう。


12月20日、モコモコに着こんで足元もかため、
カイロもバッチリ、
第一級の冬支度で旅立ちました。

b0253075_19134893.jpgJR福知山線で兵庫県を北上し、
豊岡にて、北近畿タンゴ鉄道というものに乗り換え
京丹後市の網野という駅へ向かいます。
高倉健さんが出てきそうな風情の鉄道です。

お宿は、網野という駅から、さらに
バスで20分ほども走ったところにある、
日本海を臨む施設です。

地元の方でも、ここまで足をのばすことはめったにないという
丹後の中でも「秘境」といわれるところでした。

ワークは、別棟の「伝習館」という50畳の大広間で行われました。
会場にはもちろん暖房があるのですが、
宿泊棟から移動する渡り廊下には雪が吹き込み、階段は凍りつき・・・
という厳しい寒さの中、
4日間、ここで瞑想三昧。
非日常の
贅沢な時間です。

b0253075_19185717.jpgお部屋から見えるのは
立岩とよばれる玄武岩の一枚岩。
と、日本海の荒波。

着いた日の夕方はこんな感じだったのですけど・・・

2日目はしんしんと寒さが増し
3日目は
吹雪いておりました!

b0253075_1920396.jpg


同室のお友だち達と、1時間ほどの朝のお散歩を計画していたのですが
(地元丹後の道案内人がひとりいらっしゃったのです!)
この雪では、慣れない者は歩けないだろうということで
泣く泣く延期にしました。

翌・最終日の朝は、少し雪が溶けて風もおさまったので
みぞれが降ったり止んだりというお天気でしたが、
朝食まで半時間ほどお散歩することができました。

竹野川を渡る橋から撮った立岩。

b0253075_20141824.jpg


なんとこの岩、河口を塞ぐようにそそり立っているのです。
鬼を封じ込めたという伝説もありますし、
何か邪気を防いでくれているのかもしれませんね。

それから竹野神社に向かいました。
平安時代からある古さびた神社で、
三の鳥居のある本殿まで登れば、
間人の町を見渡すことができるという話なのですが
残念ながら、朝ごはんに間に合いそうになかったため、一の鳥居で引き返しました。

また機会があれば行ってみたいです。

b0253075_20203779.jpg12月23日、
あっという間に至福の時間は終わり、
帰りの網野駅。

たぶん
おそらく
少しは
心が浄められた私たちは
ここから、京都方面・大阪方面に別れていきました。


私の乗った豊岡からの電車は播但線回りだったので、
兵庫県を南下したあと、明石から瀬戸内海岸を走りました。
おかげで同じ日のうちに、
丹後の海と、鏡面のようにおだやかな瀬戸内海の両方を見ることになりました。

着ぶくれた格好で防水の靴をはいているのが、
神戸に着くとなんだかおかしく思えます。
なんという違いでしょうね!

そして、慌ただしい年末の日常に戻るのですw
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# by prem_ayako | 2014-12-27 20:43 | travel | Comments(0)

The Last Ponkura

今週の火曜日、最後のポンクラを行いました。

朝から氷雨がしとしと降っている日で・・・

テンション下がるなぁ~
こんなお天気では、来る人いないかもしれないな・・・

と思いながら会場へ向かいました。

そうすると、一番テンション下がっていたのは自分だったようで

お久しぶりの方や
いつもの方など、
思いがけず何人かの方が来てくださいました。

遅れて駆けつけてくださったある方は、
朝、雨の中、わざわざ堂島ロールを買って
みんなのために持ってきてくださったのでした。

b0253075_183007.jpgロールケーキの端っこの切り落とし部分を
つないでひとつにしてある数量限定品で、
「ハートをつなぐ架け橋」という商品名だとおっしゃるので
(実は、これはこの方の思い違いで
「ハートをつなぐロール」が正式名称でしたが)

「ポンクラにぴったりのケーキじゃないですか♪」
とお一人が言ってくださいました。


そう、みなさまお忘れかもしれませんが、
ポンクラの正式名称は、ポント・クラージュ神戸。
pont は「橋」courage は「勇気」
pont au courage とは、「勇気への架け橋」という意味なのです。

ありがたいです~
こうやって、人数は少なくても
ポンクラのことを大切に思って
お別れに来てくださる方がいらっしゃる。

ポンクラをやってきて良かったな。。。
と思いました。

おいしいケーキを分け合ってまったりしてから
せっかくだから、ちゃんとお勉強もしました。

アルゴリズムに沿ってエピソード分析をして
1時間ちょっとで、きちんと代替案まで達することができました。
時間があったのでロールプレイもしました。
ポンクラ最後のロールプレイです。


13年前に自宅でポンクラを始めた頃は、
毎回毎回のロールプレイが、とても楽しかったものです。
感性豊かで役者上手の方が多かったということもありますが、
安心できる(自宅という)場の力もあったのでしょう、
ほとんど毎回が、「泣きのポンクラ」でした。

集まると「泣く」か「笑う」か、どっちかでしたね、私たち。
要するに、若かったということでしょうか(^^)


でこの日、最後のロールプレイは、
古くからときどき来てくださるメンバーさん
(アドラー学習歴が私よりも長いベテランさん)
が、子ども役を演じてくださいました。

エピソードを出してくださったのは、
2年ほど前からポンクラに来てくださって
1年前の私のパセージ・プラスを受けてくださった若いお母さん。

かたや、子どもの年齢30歳近く。
かたや、子どもは小学1年生。

13年という自助グループの歴史は、
アドラー心理学ムーブメント全体から見たら、まだまだひよっこなんですけど
13年やったからこその、この年齢層の厚さかもしれません(^^)

最後を飾るにふさわしい、
とても学びの深いロールプレイとなりました。
良かったです!


b0253075_18354716.jpg そうして淡々と最後の例会を終了いたしました。
みなさまからは温かいお言葉やメッセージをたくさん頂戴しました。
もったいないほどのプレゼントをくださった方もおられまして、
帰って開けてみてビックリしてしまいましたので、
この場を借りてお礼申し上げます。

やってきて良かったなぁとも思いますし、
止めたことへの悔いもありません。

私の勝手に最後までお付き合いくださいましたこと、
また、よい終わり方をさせていただけましたことに、
感謝の気持ちでいっぱいです。

b0253075_18374389.jpgほんの一時でもポンクラと一緒に歩いてくださった
遠くの、近くの、みなみなさま

どうもありがとうございました。
m(_ _)m
またどこかでご一緒しましょうね。
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# by prem_ayako | 2014-12-19 18:45 | friends | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako