アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

おうちのこと

引越から今日でちょうど2週間です。
戸惑うことも多々ありますが、
まるで2年2ヶ月住みついているみたいだと言われるほど
実はこのおうちにすっかり馴染んでおりまする。

それは、今まで使っていた家具たちを
そのまま連れてきたからかもしれません。

神戸の家で食器棚として使っていた古いケビントくん。
b0253075_20565066.jpgもちろん連れてきて、
明るいリビングに置きました。

たぶん私が生まれる以前から、
父が診察室で使ってきたものです。
本来は医療器具や薬剤を入れる棚ですが、
先日までは食器棚、
このたび、大量のCDやDVDやMDを入れる棚になりました。
グッジョブです。

左後ろに写っている窓のスクリーンは、
前の家でオーダーしたものを、そのまま持ってきました。
だってもったいないですもん。
少し幅が足りないのだけど、まあ許容範囲内ということで(^^;)


この家に私よりも2週間早くから住みついておられる先住民の大きなJ先生は
ご自分のパソコンを、いちばん日当たりのよいリビングの東の端に安置され、
そのあたりでお仕事をしておられることが多いです。
そしてこの一帯を「大極殿」と呼んでおられます。

私はといえば、その対極にある北西のサービスルームに、
パソコンと、父からもらった事務机とカルテ棚を置き、事務室にしました。

北西は家の鬼門にあたるので、J先生はこの事務室を「羅生門」と呼ばれます。
ええと・・・
私の仕事場が「羅生門」で、
先生のお仕事場が「大極殿」って
なんだかなぁ。。。。
まぁいいですけど。。。(-_-)

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大事なクンツサンポさまは、
引っ越し屋さんに頼まずに
自分で運びました。
直射日光のあたらない和室にお飾りし、
この家のメインの祭壇にしています。

瞑想は今のところ、夜、寝る前に
自分の寝室でしています。
これは私の部屋の小さな祭壇。


この窓の外の桟橋から出る遊覧船には
湖岸の紅葉を見に来た人たちでしょうか、
いつもある程度のお客さんが乗っておられます。
お客さんたちが船の上からエサをまくので、
大喜びで、ユリカモメたちが集まってきます。

少し北にいったところに漕艇場があるらしく、
毎朝、大学のボート部が練習しているのが見えます。

このあいだの土日は、なんと漕艇大会がありました。
「○○大学、よ~いドン!」「××ボート部、よ~いドン!」と拡声器の声が聞こえ
半日ほど、たくさんの若者たちが、
ボートやカヤックをあやつっていました。

b0253075_2192233.jpg


さらに15日(日曜日)の夜には
目の前で花火が上がりました(@_@)

いったい何のイベントだったのか、今もってわからないのですが
(漕艇大会の一環だったのかな?)、
午後7時頃にどーんどーんと音がするのでベランダに出てみたら、
すぐ北のJR鉄橋の向こう側から
見事な打ち上げ花火が上がっているのでした。

夏に花火大会があるとは聞いていましたが、
こんな季節に見れるなんて、うれしい誤算です(^o^)
予算がないのか、たった15分で終わってしまいましたが。


いやはや、窓から遊覧船やボート大会や打ち上げ花火を見ることができるなんて
要するにここはプチ観光地だったんだわ
と思い至ったのでありました。

冬になったら
窓から雪とコハクチョウが見れるかも。。
滋賀の冬は寒いというけれど、
それを楽しみに暮らします。
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# by prem_ayako | 2015-11-19 21:11 | others | Comments(2)

戸惑うこと

今までの人生、
ずっと兵庫県か大阪府に住んでいたので
いくつか戸惑うことがあります。

他の方にとっては、
全然たいしたことじゃなくって共感を得られないと思いますが(^^;)
書いておきます。
私にとっても、半年もしたら、きっとたいしたことじゃなくなるんでしょうね。

☆ 坂道 ☆

神戸では、言わずとしれた
北は山、南は海
という普遍的真理がありましたっ。

だから坂道が続くと、自動的に私は
上っていく方角は、北、
下っていく方角は、南、と考えます。

ところがここいらでは、
琵琶湖のある方に、坂道は下りていくのです。
当たり前ですが(^_^;)

そして琵琶湖は広く大きく丸いので
琵琶湖の南端にある大津では、
坂道を上がっていく方角は、南です。

これは神戸ネイティブから見ると、天地のひっくり返るような衝撃であります。
いや、旅行に行った先でなら、
頭の中で地図をいっしょうけんめい考えて、納得するんですけど

琵琶湖のある地形に、まだ慣れません~ Orz

しかもやっかいなことに、
大津市内でも私の住む石山駅あたりでは
瀬田川が東にあるので
瀬田川に向かって道は下っていき、
うちから駅まで行くには、西に向かって坂道を上がることになります。

いやぁ~ん、もう混乱の極み(>_<)
ただでさえ方向音痴なのにぃ。

そういえば、阪神大震災の後、堺市にしばらく住んでいたときも
混乱して道を覚えるのにだいぶ時間がかかりました。
あそこは山も坂道もなくて、
そのかわり、広い平坦な土地のあちらこちらに古墳が点在しており、
微妙に道が曲がって難しかったのでした。

全く新しい土地に老人が引っ越すと混乱するっていうけど、
たぶんこういうことなんでしょうね(違うか?)。
今ならなんとか適応していく(と思う)けど
もう少し経つと無理かもしれませんね・・・
きっと迷子になっちゃうわ。

☆ 駅と電車 ☆

神戸ー大阪間のJR神戸線は
けっこう空いていたんだ~
ということが今になって分かりました。

たぶん本数が多いこともあるのでしょう。
昼間は余裕、夕方でも
ずっと立ちっぱなしになるようなことは、まずなかったです。

こちら、滋賀から大阪へ走っているJR京都線。
これがいつも混んでいて、
昼間でもたいてい満員です!

特に大阪に向かう新快速に
石山から座れることなんて皆無で、
京都で少し人が降りる時に、うまくいけば座れるという具合。

仕事帰りは夕方のラッシュと重なってしまうので
座って帰れたら超ラッキー。
下手すると、45分間立ちっぱなしという事態も起こりえます。

大阪に行って帰ってくるだけで、
なんだか東京に行って帰るのと同じぐらい疲れます・・・?


さらにさらに
大阪でも神戸でも
エスカレーターに乗ったら、右側に立って
左側は、歩く人のためにあけておくのが、共通感覚でした。

これが阪神間だけの共通感覚だということは
知ってはおりました。

東京でも名古屋でも、岡山や広島でも
みんな左側に立って、右側を空けています。

まあねえ、新幹線に乗ってった先で共通感覚が違っていても
それはそうでしょうね、って思えるんですけど・・・
1日のうちであっちとこっちとが逆のルールだと
なかなか慣れることができません。

そう、滋賀も、全国的共通感覚に従っていて
エレベーターでは左側に立ち、右側を空けるのです!

阪神間だけが異常なの!(知ってはいたけれど)

地元の石山駅では左に立ち、
大阪の駅に着いたら右に立つ。
大阪の地下鉄でもずっと右立ちで
帰りの乗車駅でも右立ちで、
降りた石山駅では、左に立つ。
↑↑↑
この最後を、ついうっかり忘れてしまいます!

そして帰宅を急いでいる後続の人たちに
ちょっと邪魔ね、という目で見られてしまったりするのでした(ゴメンナサイ)

これだけ電車が混んでいるってことは、
滋賀ー大阪間を通勤している人が大勢いるはずです。
みんな矛盾を感じながら、共通感覚に合わせているのでしょうかぁ。


☆ 信号 ☆

JR石山駅から坂を下り、国道1号線に通じる道路を渡ると
瀬田川に出て、わが家があります。

国道1号線・・・!
ずっと国道2号線に馴染んできたので、
こういうところでしみじみと、
大阪より東に暮らしているんだなぁと感じます。

2車線だけの、けっこう細い国道ですが、
歩行者は押しボタンを押して、この道を渡ります。

この信号が・・・・・・
ものすごーく待たされるのです!

まだ計ったことはありませんが、
たぶん感知してから3分は待たされている!

この悠長さは、あり得ん!!

そして青になったかと思ったら、30秒ぐらいで点滅し始めるのです!

どこへ行くにも、この国道を渡らなければならないので
この信号は鬼門です。
待ち時間がなければ駅まで歩いて6,7分だと思うのですが、
待たされるの必定なので、10分以上見込んでおかなければいけません。
開かずの踏切、みたいな感じ。

このあいだ、角の植え込みに座ってタバコをふかしているおじさんを見ました。
何かと思ったら、単なる信号待ちでした(笑)


かと思えば、駅前のロータリーの横断歩道には
信号機がなかったりします。
路線バスが次々出入りしているんですけど、
ここでは歩行者優先、鷹揚に通してくれるのです。


大阪に住んでいたころ、
青信号は、当然渡る。
赤信号は、気をつけて渡る。
という個人の主体性重視の共通感覚を身につけたものですが、

ここではそんな恐ろしいことはいたしません。
ちゃんと郷に従っております。

しかしほんとに、所変われば・・・ですね~!
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# by prem_ayako | 2015-11-19 16:23 | others | Comments(0)

空と水

大津への引っ越しが完了しました。

前の記事を書いた時点では、
母の入所はまだ決まっていなかったのですが、
10月25日に施設から部屋が空いたという連絡があって
兄が速、入居を決め、
10月30日に、母はあわただしく出ていきました。
すばやいです(@_@)

ミニキッチンつきの広い部屋で、母はご機嫌で暮らしています。
父の施設まで歩いて行ける近さなので、
今までよりは頻繁に、父に会いに行ってくれるのではないかしら?

というわけで私は、
後顧の憂いなく、神戸を後にすることができました。
いつもながら絶妙のタイミングでありました。


これから私が生きていく土地は
滋賀県大津市の、中心部からはだいぶ離れた
瀬田川のほとりのマンションです。

2階なのでちょうど目の高さに、
玄関のサクラの色づいた葉が見えます。
腰をおろせば雲の流れる空が、
立ち上がれば対岸の紅葉とそれを映す川面、
浮かぶ小ガモやユリカモメの乱舞が見えます。

ときどきJRや国道の音が聞こえてきますが
それらはただ流れていく音。
私に直接呼びかける声ではありません。

この家にいると、守られていると感じます。
あぁ実家にいる間、私は落ちつけなかったんだなぁ。。。

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振り返れば私はずっと、
窓から外を眺めて
いろんなことを感じ考えて
生きてきました。

早期回想に、その頃の実家の2階の窓から外を眺めて・・・
というものが2つも3つもあります。
基本、わりと病弱で内向的でしたから
窓を通して眺める外の世界が大切だったのかもしれません。

アドラーの自助グループを始めた時に住んでいた
神戸のマンションの8階からの眺めは、本当に素晴らしかった!
晴れた日には、遠く泉州沖まで見渡せたし、
雷雲が海の向こうからこちらへ迫ってくるスペクタクルも見えたものです。

離婚後5年半住んだ大阪のマンションも
上町台地のてっぺんに建つ10階だったので、
眼下の公園のクスノキやサクラ、
そして遠くに連なる生駒山系が美しかったです。


・・・ところがここ1年半、
実家の窓ガラスは全部すりガラスだったし
前が車道だったので閉めきることが多く、
外の景観が全く見えませんでした。

小さい頃と違って毎日のように出かけていましたし、
それなりに暮らしやすいように工夫していましたが、

私はなんだか、窮屈で
小さくなってしぼんでいたように思います。

自分の育った土地だからといって
自分の両親の傍だからといって
くつろいで暮らせるかというと、
それはまた別のものなのかもしれませんね。。。

いくらお金をかけて快適にしつらえても
光が足りないというか
空気が足りないというか
今から思うと、苦しかった。

今になってこんなふうに思うのは、
このおうちに来て
ほんとうに久しぶりに、
胸に息が入る!と感じたからです。

ここは、すぐそこにきれいな水が流れています。
光が移り
風が通り
この土地の「気」に、癒やされています。

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# by prem_ayako | 2015-11-14 21:42 | family | Comments(4)

引っ越し準備

引っ越しは、11月5日になりました。
決まると気分はワクワクしますが
準備を考えると、気分は滅入ります。

なんといっても面倒ですからねぇ。
しかしもっとも面倒なのは、
荷物の段ボール詰め以前の
不要品の処理!であります。

私の持って行くものと捨てるもの・・・は、わりとすんなり決まるのですが
問題は、当分ここに住むつもりで越してきたため、
私のものと、もともと実家にあったものとが混在していることです。

親に「使って」と言われて使ってきたものを
引っ越し先に持って行ってもよいものなのか、
ここに置いていかなくてはならないのか、
それとも捨てた方が母にとっても助かるのか?
今になって、ひとつひとつ仕分けしていかねばなりません。

母の意向を聞いてみると
電気製品は、全部処分して行ってくれ、ということでした。
ラジャー。
家具類は、「少しなら置いて行ってもいいけれど」という微妙な言い方。
「少しなら」ってどれぐらいなんだろう?
耳が遠くなっていることもあり、細かい話があまり通じません。
たぶん何も残さないのが望ましいんだろうな。

ともかくひとつひとつ、処理していくしかありません(>_<)



1)古いパソコン

使えなくなったパソコン、いくつもあるんですよ・・・。
ディスプレイがひとつ
ハードディスクをぬいたパソコン本体がひとつ
ノートパソコンがひとつ、
眠っておりました。

使っていない古いCDコンポも、この際処分したい・・・。

神戸のゴミ出しのルールは、わりと厳格に決まっていて
「ワケトンBook」という、ゴミ出しルールの冊子が各戸に配られております。
(ワケトンって、ゴミの分別大好きなブタくんの名前です。
 悪い子キャラに、ヤラヘンとかワケヘンくんなどがいて、
 少しだけ笑えます・・・なんで自治体ってこういうのに力入れるんだろーね)

これで調べてみるに、
市はパソコンを回収しないので、メーカーに連絡すべし、とのこと。
CDコンポは「燃えないゴミ」として出せるけど、
規程のビニール袋に入る大きさで、かつ20kg以内であること、と書かれています。

小さなスピーカー2つは、
ビニール袋を二重にすれば、なんとか「燃えないゴミ」で出せそうですが、
コンポ本体は重すぎて、ヤバいです。
計るものがないので20kg以内かどうかはわかりませんが、
回収ステーションまで運ぶのも、私の力では難しそうです。

しかも「燃えないゴミ」回収日は月に2回、
うちのあたりは第1金曜と第3金曜なので、
引っ越し日までなら、10月16日の朝が最終チャンスとなります。

困ったな。
急いでなんとかしないと。


いろいろ調べて、
「無料パソコン回収」のサイトをいくつか見つけました。
たぶんパーツにばらして、中国や韓国に運んで再利用するんでしょうね。
でなきゃ送料向こう持ちで引き取ってくれるはずがない。

でも抜かれて困る情報は何ひとつ入っていませんし、
同梱できるなら他の電気製品も(携帯でもオーディオでもなんでも!)
まとめて送って全然OK、とか書いてあります。
背に腹は変えられない、今回はこれに頼ってみます!


ディスプレイを梱包するのに少し手こずりましたが、
石油ファンヒーターの空き箱がちょうどよいサイズでした。
緩衝材もその箱に入っていたのを利用して、
画面をもうひとまわり保護して、これで1箱。

それからパソコン本体1個とノートパソコン1個と、
めちゃ重い古いCDコンポ、
これらが奇跡のようにもう1箱にきっちりと収まりました。

そしてY運輸さんに電話をして
「○○宛のパソコン回収お願いします。料金は着払いで」と言うと、
その日のうちに取りに来てくれて、
10月14日、不要のパソコン類とコンポは無事に持って行ってもらえました(^o^)

小さなスピーカー2個も、16日の朝、
エッチラオッチラ「燃えないゴミ」に出すことができました(^o^)


2)見積もり

総会前夜、15日の晩に
不動産屋さんからの紹介で
ア○さんマークの引っ越し社さんに来てもらいました。

ざざっと荷物を見てもらってから、

・不要の電気製品とアドラーギルドの台車(これがまた重いんです!)を処分するのに、いくらかかるか
・同時にその他の家具類もいくつか処分するとしたら、いくらかかるか

を見積もってもらいました。

前者なら1万6千円ほど。
他の家具も入れて処分する場合は、2トントラックを1台頼むので5万円と消費税。
ということでした。

ここでがんばって negotiation しました。
「う~ん、それなら、2トントラックに入るだけもう少し入れても
 5万円+消費税は変わらないんですか?」
「そういうことです。まだ余裕ありますから、お得だと思いますよ」

引っ越し社のおじさんは、トラックの確認のために社に電話をかけると言い、
私は、母に相談してみると言って2階に上がりました。
どちらも、お互い駆け引きと知りつつやってるんですけどね。

母は案の定、こまごまとしたものを残されるよりも
2トントラックですっきり処分してもらう方がいいと言います。
そしてそのぶんの費用を出すと、言ってくれました。

これで費用についても折り合ったので、
電気製品以外の細々した古い家具や古い布団なども、
いっしょに処分できることになりました。

立つ鳥後を濁さず、
母が満足するように、できるだけさっぱりして出て行けるなら
それに越したことはありません。


3)古本

ここの家はスペースがあるものですから
(アドラーギルドの台車もでしたが)
アドラーギルドの蔵書を、た~くさん預かっておりました。

このたび大きなJ先生がお引っ越しされることになり、
また私も引っ越しすることになったので
これらの本を大量に処分しなくてはなりません。

というわけで、前もって先生に本を仕分けていただいて
そこに私自身のいらない本も少し加えて
1室に積み上げておきました。

さて、どこに引き取ってもらおうか。。。


近所に、ときどき私が自転車で立ち寄る
「口笛文庫」という古本屋さんがあります。

初めてそこで買い物をした日、私はなんとお財布を忘れて出かけていました。

こんなこと、めったにないんですよ。
というか、たぶん一生で初めてのポカです。。。
レジで気がついて、たいへん慌てている私に
ここのまだ若い男の店主さん、
「財布忘れたら、ちょっと動揺しますよね・・・」と
なんだかゆったりと言ってくださって、
たいへん救われた気持ちになったものです。

それで、このたびの本の処分を、
この「口笛文庫」さんににお願いすることにしました。

今朝ほど、お店を開ける前に軽トラックで
店主さんは軽やかにやって来られました。

大切な蔵書たちとのお別れですから、
お忙しい中、大きなJ先生もやって来て立ち会われました。

私の聞いたことのない
『タウラー説教集』とか
『市川白玄全集』とか
日本国中、2,3人ぐらいしか買い手がつかなさそうな
シュタインガスの『ペルシャ語・英語辞典』とか
ガフィオの『ラテン語・フランス語辞典』とか

あまりにもJ先生のご本が多岐にわたっているので、
店主さん、びっくりしてしまって、
「いったいどういうご職業ですか?
 ただ者でないなということだけはわかりますが」(笑)

だけど口笛文庫さん、
あなたもかなりマニアックだと思いますよ・・・
タウラーとか市川白玄とか知ってたもん。

そして、本は、しめて1万6千円にもなりました(^^)
J先生は、二束三文だろうと覚悟をしておられましたが、
やっぱり大切な本たちに価値を見いだしてもらえて
また誰かの役にたつかもしれない、となると、
かなりご満足のご様子でした。


といっても実は、まだまだ本は残っているのです。
なんせ引っ越し屋さんが置いていった段ボール箱は
大きい方40箱と小さい方40箱で、計80箱!

しかも「小さい箱に入りきらなかったら、大きい箱にも本入れて構いませんから」
と言い置いて帰られたほどです。

引っ越し現場のお兄ちゃんたちが困るでしょうから
そんなことはしませんけど、
よっぽどの量と見積もられたみたいです(^^;)


さて、処分すべきはあらかた終わったので
あとはひたすら、機械的な箱詰め作業です。
あんまり早くから始めてもしようがないので
来週になってからにしようかなっと。

こうやって私は、いつも仕事を後回しにする・・・(^^;)
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# by prem_ayako | 2015-10-20 22:04 | others | Comments(4)

終の棲家

なかなか人生、落ち着かないもので・・・
また引っ越しをすることになりました。

生まれ育った神戸の家で、当分暮らせるものと思っていたんですけどねぇ。。。


うちの両親にしても、そのつもりだったと思うんです。
私が帰るのを決めたときは、2人ともすごく喜んでくれましたし、
<それならもうこの家を売らなくていいわ!
 ずっとここに居ましょう、ねぇお父さま!>
と母も言っていた。

将来を見越して私も、
車椅子で移動できるように動線を考えて
1階の改修工事を行った。

でもちょっと遅すぎたのかもしれません・・・(^^;)

思ったより早くに父の身体状態が悪くなり、母がギブアップしました。
父が施設に入ったら、母はもとの元気で明るい母に戻るかと思ったら
予想に反して、精神的な不安が強くなってしまいました。


私が出張や旅行をするときは
私が鍵をかけて出ていった後、
母は内から、さらに二重三重に鍵をかけます。
そして私が帰宅する日に、また開けます。

私が玄関前の植え込みに、つる性の植物を這わせると、
<草が繁ると、その陰に人が潜んでも分からなくなる>と
引き抜こうとします。

悪質な売り込みのファックスがきた時は、
<脅迫状がきた!>と思い込んで、電話を抜いてしまいました。
しばらく気がつきませんでしたが
電話が通じないのを心配して、福祉センターの方が
私の携帯に連絡してこられて分かりました。。。


母の望んでいるのは、たぶん24時間、私が家にいて、
つねに母が呼べば応える範囲で
母の気に入るように暮らすことなのでしょう。
それは分かっておりますが

それでは私の生活が成り立ちませんし
今度は精神的に、私の方が参ってしまいます。

そして何よりもたいへん残念なことに、
(自分の人生をしばらく犠牲にしてでもこの母に尽くしたい)
という心を、私は育てることができていません。


夏頃に兄も交えて話し合いました。

本来、近所にいる兄と兄嫁が
母の生活をサポートするのがよいのでしょうが、
兄が病気を持っているので、今もそれは無理だと言います。

この家の戸締まりや管理が、想像以上に母の負担になっているようなので
できるだけ早くに母の気に入る施設を探して、
空きを待って入ってもらうのが良いということになりました。

そしてこの家は、母が出ていったら売りに出すことになりました。
そのへんの手配は、ぜんぶ兄がやってくれるということです。

入所先については、私としては
父と母が最期まで少しでも長くいっしょにおれるように
父と同じところがいいのではないかと強く思うのですが、
兄たちの意見は違うようです。

「幸せ」についての考え方があまりに違うので、
もう何も言わないことにします。
今度はすべて任せるので、
好きにやってもらいましょう。


40代半ばまで、ずっと神戸に住んでいて、
その後、尼崎と大阪で暮らしている間
神戸の山と空がなつかしくてなりませんでした。
こうやって1年半、戻ってみて、踏ん切りがつきました。

お別れするために、この期間が必要だったんでしょうね。
神戸とも
母とも。



母の施設入所と私の退去とが、
同じタイミングであればいちばん良かったのですが
母の入るところの部屋はまだ空かず、
先に、私の引っ越し先が決まりました。

できれば11月初め、遅くとも今年中には、
引っ越したいと思っています。

また詳細が決まればお知らせしますね。
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# by prem_ayako | 2015-10-06 19:56 | others | Comments(0)

ニンジョム

しゅんすけからもらったお風邪の菌は
急にひどくなったわりには早く楽になったんですけど、
そのあと、まだ少し喉の腫れと咳が残っています。

今朝は、起きたら声が出なくなっていて
しかも喉の痛みが増したようでした(>_<)

冬場だったら大根蜂蜜を作り置きしているのになぁ。
生姜シロップも切らしているし、
何か喉によいものを飲みたいのだけど。。。

b0253075_19343174.jpg
  でも、ありましたありました!
  これこれ!
  シンガポールで買って
  そのまま戸棚の奥で怪しく眠っていた
  蜜煉川貝枇杷膏。
  ニンジョムっていうみたいです。



これ、シンガポールのアミデワ・リトリートの食堂の隅には
必ず何本か置いてあるのです・・・

中の液体は、ほとんど黒に近い褐色で
どろりっと濃厚。
瓶の口やまわりがベタベタしていて
その上なにやら強烈な匂いを放っています。

見ていると、人々はこれをスプーンで紙コップに少量うつし入れ、
お湯を注いでぐるぐるしつこくかき混ぜて飲んでいます。

リトリートでは、ずっと阿弥陀仏真言を唱え続けるので
喉を痛める人が多いのです。
そのために常備してあるようでした。

といっても、1度目のリトリートでは、私は手を出す勇気がでず・・・
今年、大きなJ先生に勧められて(先生はすでに前回から試飲中)
思いきって飲んでみました。

b0253075_19423899.jpgうわー何これ!?っていうのが
正直なところ最初の感想でしたけど

まぁなんていうか

まずいと言うほどではないし
おいしいとも言えない。

たしかに喉がすっとします。
蜂蜜ベースに、いろんな薬草が入っているみたいです。
右の絵にあるような・・・

不思議なもので
たびたび飲んでいると、
慣れて、だんだん、はまってきました。

何度も言うけど、おいしいってほどのものではない。
ただ、シンガポールの味って感じで・・・
(あかん、味覚がやられているかも)

1つ買って帰ろうかなぁとまで思い始めて
食堂で瓶を手にとって眺めていたら、
親切なシンガポーリアンの女性が、
「それ、いいでしょ」って話しかけてこられました。
「ええ、とてもいいわ。どこで売ってるのかしら?」と聞くと、
「どこでも!薬局でもスーパーでもどこででも!」と請けあってくれました。

で、ある日のお昼休み、
大きなJ先生と、ニンジョムを買い出しに行きました。

長~い廊下を歩いて会議室エリアを抜け、
巨大なショッピングコンプレックス内、
はなやかなモールをきょろきょろ見渡せど、
あるのはグッチとかスゥオッチなどの、おしゃれな店ばかり。

薬局なんてないぞ~、と
とりあえず突き当たりまではるばる歩いて、
たまたま見つけたコンビニ(7-11)に入ってみたら
あっけなくも、ありました!

あのおばちゃんの教えてくれた通り、
目立つ棚にずらり並んで、大きな顔して売られていました。

そして先生1本、私も1本、それぞれにゲットしたというわけです。

割れないように注意して持ち帰ってみたものの、
私に関して言えば、喉に異常がないかぎり
わざわざ飲みたいと思うほどのものでもなく。。。
うちのニンジョムは、そのままお蔵入りしていたのでありました。
賞味期限のくる前に開封できてよかったです。

こうして初秋の一日、
ふうふう、熱いニンジョムをすすりながら
シンガポールのあれこれを思い出すことができましたしね。


ところがね、Amazonでも売られてたみたいなんですぅ~
なんということ Orz
(Nin Jiom Pei Pa Koa で検索してみてください)
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# by prem_ayako | 2015-10-04 19:56 | travel | Comments(2)

しゅんすけの対人関係

1歳1ヶ月のしゅんすけは
お母さんに対しては、とっても甘えんぼさんのように見受けられます。

娘も、もう育児に慣れたお母さんなので、
気軽にひょいっと抱っこしたまま家事をこなしますし、
抱っこしたまま自分もご飯を食べたり、
離乳食を食べさせたりというのが、
同じ時期のこうすけのときよりも、多い気がします。

まぁ甘えたいしゅんすけと
甘えさせたいお母さんとで目標が一致しているのだから、
私の方に言うことは何もないのです。
(もともと私も甘々ですし~)


私が鳥取に行った翌日、こうすけは少し咳が出ていたので
午前中に小児科で診てもらってから幼稚園に行くことになりました。
私としゅんすけは、お家でお留守番です。

連休明けで、案の定すごく混んでいたらしく、
けっきょく3時間ぐらい2人で過ごしたのですが、
その間しゅんすけは一度も泣かず、
ずぅっと楽しく私と遊んでいました。

b0253075_2338538.jpgお兄ちゃんがお留守だと、しゅんすけは
自由に恐竜のおもちゃを触れます。
お兄ちゃんが置いていった折り紙も、舐めたり握ったり
くちゃくちゃにしたりできるのです(^^)v

しゅんすけはゆっくりと
おもちゃ箱からいろんなものを引っぱり出しては、
1個ずつ検討を加えていきます(笑)

おもちゃのラッパは、私が息を吹きこみ、
しゅんすけがボタンを押さえて、はじめて音が鳴ります。
私たちふたりの、初めての協働作業かもしれない。
なんだかウレシイ。

ウサギのぬいぐるみを手渡してくれたので
♪タラッタ ラッタ ラッタ ウサギのダンス♪
と踊らせてみたら、とっても喜んで
何度も何度もウサギのダンスをやらされました(^^)

小さな缶を見つけて
開けてっていう顔をするので開けてみたら
中からくちゃくちゃの紙の切れ端がでてきました。
しゅんすけ、ほぉ~と驚いた顔!

その紙をまた中に入れて、ふたを閉めようとするのだけど
小さなおててでは、なかなかうまく入りません。
ふたも、逆さま向きだったりして、なかなかはまりません。

本当にちょっとしたことも、
すべて、指や手の力をうまく制御することで、
やっと出来るようになるんですねえ。
で、今の時期の赤ちゃんって、こういう動きをひとつひとつ
自分でやってみて覚えていくんですねえ。

2階への階段は
最初はこわごわ
しだいに大胆に上ります。

見ていると、一段ごと、身体を持ち上げるのに、
もう全力を使って、汗びっしょりになっています。
真剣な顔で、一生懸命上っていきます。

上がったはいいけれど、下りるのは難しく
おむつのお尻をこちらに向けて
足のつくところをそろそろと探ります。

上の3段はカーブしているので
隅っこが三角で、足のつくところが狭いのです。
そこを慎重に、そろそろと足で探って
一段下りては広い部分に座り込んで、
上を見上げたり板を触ったりしています。

なんかもう、仔猫か仔犬みたいでほんとに可愛い(^^)

で、おそらく彼の限界までやったのでしょうね、
おもむろに「ん」と両手をあげて抱っこを求めてきました。

抱っこをしたら、今度は壁のその高さにある
電気のスイッチやインターホンのスイッチが気になって

近くを通ると足をぴょこぴょこさせて
なんとしてもそっちへ行ってくれとせがみます。

インターホンのスイッチを触らせていたら、
何かの拍子に外の景色が映りました。
まぁ、またそのときの驚きよう。
動きが止まって、まばたきもせずに外の景色を眺めています。
その後、もう必死になって私の腕の中でばたばたして
あれこれボタンを押しまくっていました。

はい、私、思うように操られております(^^;)


この日、お留守番がまったくOKだった(ように思えた)ので
次の日のこうすけのピアノのレッスンのときも
娘は私としゅんすけを置いて行きました。

そうしたら!
2人が出ていったとたん、
しゅんすけは大泣きして、
すごい勢いで玄関前まで這っていき
そこでぺたんと座り込んで動きません。

けっきょく1時間近く、そこで泣き続けました。

抱っこしても反っくり返ってギャン泣きするし
かえって危ないので、ベビーベッドの柵の中に入ってもらいました。

少し落ち着いてきたところに
お母さんとお兄ちゃんが帰ってきてベルの鳴る音がすると・・

「あっおかあさんだ!」って表情が変わって、
とたんにまた、ギャン泣きし始めました。

うぅむぅ。。。
しゅんすけさん、これはいったいどういうことですか?
お母さんに会いたくてさっきまで泣いていたんなら、
お母さんが帰ってきたらご機嫌になってもいいはずじゃないですか?
「ボクね、ボクね、辛かったんでしゅ~」って訴えるために今泣くのかな?
それとも、置いて行かれたのを怒っていたのかな?

b0253075_2346478.jpgまた、お兄ちゃんの関心を引くときも、明らかに違います。
バンバンと、わりと乱暴に何かを叩いたり
キャーッと大きな声を出したり
そんなときは表情も、お兄ちゃんに似ています。

こんなに小さくても、しゅんすけさん、
私と2人でいるときと
お母さんといるときと
お兄ちゃんといるときと
声も表情も態度も違うのです。

やっぱり対人関係なんですね~
社会統合論!


その後しゅんすけは、
ちょっとでもお母さんの姿が見えなくなると
泣いて追いかけるようになってしまいました(^^;)
見えるところにお母さんが居さえすれば、
ご機嫌良く遊ぶんですけどね。

まぁその頃から風邪気味で
体調が悪かったせいもあるかもしれません。
こういうとき、やっぱりおばあちゃまじゃダメみたいです~(=_=)


そしてなんとしゅんすけの風邪菌は強力で、
私が神戸に帰る日の朝、起きると、
娘と私とふたりともに彼の鼻風邪が感染っておりました。

そりゃ、あんだけひっついて暮らしてたら感染るわね。。。

娘より私の方が重症で
帰宅したらもうヘロヘロ、
久しぶりに夜中に熱発してしまいました。

この週末は、めずらしく仕事が入っていないので
ゆっくり養生いたします。

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# by prem_ayako | 2015-10-03 00:07 | family | Comments(2)

こうすけは恐竜博士

b0253075_23171716.jpg9月末の1週間、鳥取の娘の家に行っていました。
ゴールデンウィークやお盆にはみんなで来てくれましたが
私から向こうに行くのは、4月以来、5ヶ月ぶりです。
やっぱり思いきってお休みをとって行く方が、
こうすけやしゅんすけの
いつもの遊び場を見ることができて、楽しいです。

しゅんすけは8月29日に満1歳になりました\(^o^)/
写真は、運転する気満々のキノコしゅんすけ・・・(笑)

娘は9月に、ついに三十路に。。。
こうすけは来月、5歳になります。

そういうわけで、たくさんお土産を携えて行きました。

しゅんすけには、娘のリクエストで、
ファースト・シューズをあげました。


こうすけは、なぜかシャーペンが欲しいと言っていたので
8mm芯のシャープペンシルを
バルタン星人の絵のコットンの筆入れとともにプレゼントしました。

こうすけは、ひとつのことに、一時期ほんとに夢中になるタイプみたいです。
本人がそれに飽きるまで、親たちが自由にやらせるので、
冬の頃などは、家中が、こうすけの制作した
空き箱や紙コップやストローなどの工作ですごいことになっていました。
「ボク、なんだって作れるよ!」と言っていたのだそうです。

春頃からは、折り紙熱におかされて、
うちに来たときも、色紙さえあれば、いつまでも何か折っていました。
なかなかキッチリとは折れないんですけれど、
彼の目には、「これは、○○。これは、□□」と
ちゃんと、その形体に見えているみたいです。

そして今は、夏休みに「恐竜博」に連れて行ってもらって以来、
恐竜ブームが到来しているようです。
恐竜図鑑が愛読書で、
恐竜のDVDを繰り返し見ていて、
着ているシャツはいつも恐竜柄。
折り紙で折るのも、恐竜!!

恐竜!と思って私はこうすけにバルタン星人の筆入れを選んだのだけど
ゴメン・・・おばあちゃまは無知でした orz
バルタン星人は「怪獣」であって「恐竜」ではありませんでした。
(しかしこの違いを認識している幼稚園児って・・・?)


今回持参したおみやげの中で
いちばんウケたのは、
ビニールの恐竜たちでした。

偶然、梅田の雑貨屋さんで見つけたものですが、外国製で、
空気を入れてふくらませたら、けっこう大きなリアルな恐竜になります。
ペタンとした状態で売っていて、ひとつ500円ほど。
4種類ほどあった中から、
茶色のプテラノドンと緑色のトリケラトプスを選びました。

さぁこうすけ、喜んだ喜んだ。

b0253075_2326736.jpg


b0253075_23271274.jpgさっそく恐竜同士の戦いが始まります。

こうすけ博士によると
トリケラトプスは草食恐竜で、
プテラノドンは、肉食恐竜らしいです。
なので、主にプテラノドンが空からトリケラトプスを襲うという設定になります。

ビニール製なので、人や物に当たっても
ぜんぜん大丈夫。
はげしい戦いも思う存分できます。
このおもちゃは大正解でした(^^)

こうすけの本やDVDを見せてもらって、
無知な私もいろいろ学ばせてもらいました。

私のイチオシは、スーパーザウルス。
長さ33mの巨大草食恐竜で、100年とか200年生きたらしいですよ。

こうすけの好きなのは、ティラノザウルス・レックスに進化する直前の
ディロングという名の、毛の生えた肉食恐竜だそうです。
(マニアック!)


b0253075_23311219.jpg大きくなったら北大へ行って
恐竜の化石を発掘して、
恐竜の遺伝子を研究して
ほんとの恐竜博士になるんだそうです(^^)


こ「しゅんすけ、恐竜の共同研究しようね!」
し「ぎょーうー」
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# by prem_ayako | 2015-10-02 23:35 | family | Comments(2)

岩手の文人たち(2)

さて、花巻には「宮沢賢治記念館」もあるのですが、
3年前、スピリチュアル・ワーク後に訪れたのでパスして
代わりに盛岡にある、賢治ゆかりの「光原社」を訪れました。

「光原社」は、大正13年、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を出した出版社です。
会社のあった盛岡市材木町に
今ではその名を冠した工芸品の店や、カフェや、無料のギャラリーがあり、
ちょっとした観光スポットになっています。

ギャラリーには、『注文の多い料理店』出版の資料が展示されていました。
はじめて知ったのですが、
教科書発刊を手がける小さな出版社の社長だった及川四郎という青年が、
当時花巻農学校の教師だった宮沢賢治から大量の童話の原稿を見せられて、
ふたつ返事で出版を決めてしまったのだそうです。

b0253075_0524213.jpg意気揚々と、賢治は出版社を「光原社」と名づけ、
理想を追う及川さんは、
資金もあまりないのに、絵本の装幀にこだわり・・・

でも賢治はまだまったく無名ですし、
たいした販路はないし、
書価も高くなってしまって、
当然、本は売れませんでした。
「光原社」は大量の在庫をかかえ、泣く泣く賢治の実家が買い取ったといいます。

『注文の多い料理店』は、賢治の生前に出た唯一の童話集となりました。
ある意味世間知らずの、若者たちの無謀さが、この名作を生んだといえるのですね。

b0253075_0541192.jpg「光原社」併設のカフェは、小さいけれどとても居心地がよくて
盛岡にいる間に2度も通いました。
お店の裏庭は北上川に面していて
泊まっていたホテルからはぶらぶらと歩いていけました。

一杯ずつ淹れてくれるコーヒーも、とてもおいしくて
ちょっとした癒やしの空間でした。





最後に、多田等観のことを。

多田等観は、もともとは京都の西本願寺の僧侶で、
大谷光瑞にインドに遣わされ、ダライ・ラマ13世に謁見。
その後チベットに潜入し、ラサのセラ寺で10年修業、
日本人でありながらなんとゲシェー(仏教博士)の学位まで得て
大正12年に帰国した方です。

帰国後は東京帝大で、持ち帰ったチベット大蔵経の整理などしていましたが、
やはり終戦の年に疎開して
昭和22年から26年まで、花巻の円万寺観音堂境内に住んでおられました。

円万寺観音堂は、人里はなれた小高い山の上にあり、
今でさえ、クマなどが、かなりの頻度で出没しそうな気配です。
チベットに10年も暮らした等観には、なにほどのこともなかったでしょうけど。

b0253075_0581870.jpg梵鐘には、チベット文字が刻みつけられておりました。
観音堂には、ダライ・ラマ13世からいただいた観音像が収められていると聞きます。
私は、そういうところにいちいち感動しておりました(^^)


さきの『山居七年』に、多田等観との親交が書かれています。
大田村山口で、小学校の校長先生か誰かから多田等観を紹介され、
のちに光太郎が等観をこの阿弥陀堂に訪ねます。
b0253075_0575921.jpg 
(昭和22年9月5日)
 3人(光太郎他2人)は2っ堰に出て、そこから北にすすむ道に入りました。前方杉の木の茂った小高いところが円万寺山です。一粁半程も歩いたでしょうか、そのふもとで左手に八坂神社とかいた鳥居があり、傍に観音堂由来記の掲示や2つ3つ石碑が建ててあります。
 3人はそこから参道に入り、茂みの山に入りました。幾百かの段を上り終り、息をととのえて見渡せば一望千里の眺望です。
b0253075_1143612.jpg 鳥居をくぐると正面の奥に観音堂、左手に社務所。社務所にいた多田等観さんは3人を迎えました。挨拶がすむなり洗面器に水を汲んで出しました。先生は
「ここはいいところですなあ。」
 と喜びの声をあげました。多田さんは
「木があって見渡すのにじゃまになるようです。」
「木は伐らない方がいいです。」

 ジャガイモの皮をむきニンジンやネギを切り、魚を切身にし、お吸いものも煮魚もでき御飯も炊きました。いよいよ会食とあり、気の合った3人はみはらしの社務所で手作りのご馳走を喜び会いました。
 会食が終わってから多田さんは観音堂を案内し、御詠歌をあげ、チベット伝来の塑像千手観音や、花巻人形の観音、馬頭観音、地蔵尊について説明しました。
 本堂を出て、千年以上になるという柵がまわしてあるウバ杉のわきを通り、八坂神社の前から杉のこんもり茂っている中の細い道を100メートルばかり奥に進みますと、わき水があり、高い山の上なのにきれいな水がこんこんとわき流れています。

b0253075_134574.jpg とうとう参道の鳥居のところまで来ましたが、3人の話はつきませんでした。陽が山の方に傾いたのを見て、先生たち3人は楽しい1日を謝し、雨もよいの風景の中を帰路につきました。



花巻の町を見渡す絶景。
終戦から2年目に
多田等観と高村光太郎らが眺めたのと同じ景色が
今も変らずここには残っているようです。
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# by prem_ayako | 2015-09-01 10:20 | others | Comments(2)

岩手の文人たち(1)

盛岡でのパセージ・プラス、
前半はゆっくりと隔日に進んだので
オフ日や午後の空き時間を利用して

宮澤賢治ゆかりの光原社
多田等観の住んだ円万寺観音堂
高村光太郎の住んだ高村山荘と、高村光太郎記念館
を訪れることができました。

この3人、意外なことに同時代人で
それぞれに縁があって実際に会っているのですよ。
なんだか不思議で、
点が線につながったような感じでおもしろいので
少し書いてみたいと思います。

まずは高村光太郎のことから・・・


高村光太郎。
「智恵子抄」の詩人、彫刻家、
戦時中に戦意を鼓舞する詩を書いたと批判され、戦後7年間蟄居。
その後、十和田湖畔に「乙女の像」を完成させ、73歳で亡くなりました。

この、戦後7年間蟄居していたのが、
花巻市郊外の、大田村山口に今も残る「高村山荘」なのです。

訪れてみると山荘とは名ばかり、
それはビックリするぐらい本当に粗末な掘っ立て小屋でした。

もと炭焼き小屋だったのを払い下げたのだそうで、
天井も張っていないし、囲炉裏の小さな部屋と、台所になる土間があるだけ。
お客が来れば、主の座る場所などないぐらい・・・
冬は障子紙のすき間から風が吹き込み、
寝てるあいだに枕元に雪が積もったといいます。
高村光太郎はここに、62歳から69歳まで一人で暮らしました。


なんで東京生まれ東京育ちの光太郎が花巻にまで来たのかというと、
光太郎は宮沢賢治と、少々のご縁があったからなのです。

賢治の遺作集の装幀を手がけたり
賢治の詩碑の揮毫を書いたり
そんな中で光太郎は、花巻の宮沢清六氏(賢治の弟さん)と知り合いになります。

そして東京大空襲でアトリエが焼失してしまったとき
光太郎は誘われて花巻に疎開してくるのです。

ところが、賢治の実家の宮沢家もまた、空襲で焼かれ、
今度は土地の人々の好意で、郊外の大田村山口に暮らすことになりました。

きびしい人生ですねえ・・・
最愛の妻智恵子もすでになく、子もなく、
家を失い財産をなくし、
ただ親切な人々に頼るしかない、漂泊の詩人。

近くの「高村光太郎記念館」に入って、たくさんの資料を見ました。
そして『高村光太郎 山居七年』(花巻高村光太郎記念会)という本を見つけたので、
買って帰って読みました。
光太郎がどんな思いで、この山の中のあばら屋に暮らしたのか
知ってみたいと思ったからです。

とてもよい本でした。
なんていうか・・・何もかもなくしても
人ってきれいに生きていけるんだな。というか。

これは、光太郎を何かと助けた佐藤隆房さんという花巻のお医者さんが
光太郎の手紙や、自分の記憶や、いろんな人の思い出を、たんねんに時系列にまとめたもので、
ちょっと、以前に翻訳した『アドラーの思い出』みたいな構成をとっています。
この時代の市井の人々の、生の声が聞こえてくるような本でした。

b0253075_041325.jpg光太郎は小屋の前に小さな畑を作り、
季節のよいときは裏山を散策しました。
ときに智恵子の名を呼ぶ夜もあったといいます。

村の人たちは光太郎のことを、ただ「偉い先生」としか知らなかったのですが、
光太郎は腰を低くして自分の方から村人に声をかけ
小学校の子どもたちと交わったりして、次第にとけこんでいきます。

雪ぐつを編んでもらったり
野菜の育て方を教わったりしたお礼にと、
光太郎はいちいち丁寧に、ありあわせの紙に書をしたため
頼まれたら詩を詠み、法事や式典で挨拶をしました。

本当に村人に慕われ、大事にしてもらっていたようです。
十和田湖畔の「乙女の像」を制作する話がきたとき、
東北では冬に粘土が寒さから固まってしまうため、やむなく東京に移って、
けっきょくそのまま東京のアトリエで亡くなりました。

b0253075_0455643.jpg地元の人たちは、光太郎を偲んで
今にも崩れそうな小屋を覆う形で蓋屋を建て、
「高村山荘」と名付けたのです。

   つづく・・・
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# by prem_ayako | 2015-09-01 01:24 | others | Comments(0)

盛岡は美味い

7月半ばから8月にかけての阪神間の暑さといったら、
大袈裟ではなく命がけでありました。

盛岡も8月はじめは相当暑かったようですが
10日の夜の飛行機で花巻空港に着いたら
やっぱり全然違いました。

滞在中の1週間は
暑い日でも最高気温が31℃ぐらい。
雨模様の日は25℃ぐらいだったりして、朝夕は肌寒いほど。
当然、熱帯夜などありません。

おかげで身体がとっても楽で、
夜はホテルのエアコンを切っても、ぐっすり眠れました。
そして食欲も出ました。

盛岡のお世話役のRちゃんが
盛岡の麺文化をぜひ味わってくださ~い♪と
三大麺(冷麺、そば、じゃじゃ麺、だそうです)を勧めてくださったので、
そのうちの2つまでは制覇できました。
おいしかったです~!

しかし盛岡の食文化の奥の深さは
三大麺どころではなかった。ように思います。

食材が、ほんとに新鮮なんですもの!
加えて大きなJ先生は、
おいしいお店を見つけるのが、とてもお上手です(^o^)


パセージ・プラス初日の火曜日は正午で終わりだったので、
お昼間はゆっくりして、夕方からぶらぶらと出かけ、
盛岡城趾あたりを散歩して、
それから大通り商店街で、おいしそうなお店を物色しました。

先生が「ここだ☆」と目をつけられたのは、イタリアン。
ガストロ・スケゴロウっていう、
けっこう広くて、人がいっぱいで、賑やかなお店でした。

カウンター席しか空いていなくて、そこに通されましたが
シェフたちのきびきびした動きがよく見えました。

b0253075_20133039.jpgお通しは、立派なブロッコリーをまるのまま茹でたもの。
白いお皿にドン!と乗っています。
はい? こ、これは盛岡の共通感覚ですか?
(うぅむ写真では大きさがわからないですね)

新鮮魚介のカルパッチョが品切れだったので
しかたなく、適当に
桃とモッツァレラのカプレーゼとかいうのを頼んだら、
これが絶品で、めちゃくちゃ気に入ってしまいました。
私は思わずお皿を引き寄せ、ひとりで平らげそうになりました。
(貪欲~)

続いては三陸岩牡蠣です!
大きな岩牡蠣を殻のまま焼いたものが、ガサッと出てきました。
ナイフでこじ開けて
ぷっくりした身に、たっぷりレモンをかけて、アツアツを口に入れると
うぅぅぅ~至福~~!

でっかい岩牡蠣6個がたったの880円なんですよ!
これも盛岡の共通感覚なんでしょうか・・・?

さらにピッツァやお肉が出てきましたが、
私はもうあまり食べられませんでした。
ともかく「桃とモッツァレラ」と「牡蠣」で
大・大・大満足でした。

・・・これだけで、ひとり2850円です!!
なんてお安いんでしょう~
b0253075_2094666.jpg

翌水曜日はオフだったので、
秋田県の角館へ遠足に行きました。

緑あふれる美しい武家屋敷が有名です。
途中でいっとき豪雨が降ったので
空気が湿気を含んで
緑がいっそう濃くなりました。

b0253075_20104074.jpg

ここは実は、もと武家屋敷のおそば屋さん。
秋田名物の稲庭うどんを食べました。
出汁が京都風で、実においしかったです。
でも場所代もあるのかな、稲庭うどん一杯が1080円もしました。
・・・金銭感覚、混乱しますぅ。


はい、ほとんど食い道楽の旅になっております。
翌木曜日も、飽食のレポートは続きます(^^;)

この日は、そろそろお魚とか、和食が食べたいですよね~と
居酒屋的なところを探しました。

先生が「ここだ☆」と決められたのは、
「南部炉端焼き」という、なんだか名前そのまんまのお店。

予約していないので、ここでもカウンターに通されましたが
焼いてるおじさんの動きがよく見えて、とてもいい感じです。

b0253075_20202920.jpgお通しは、各人の前に小さな火鉢を持ってきてくれて、
イカの塩辛を小さな昆布に載せたものを、
ぱりぱりになるまで焼いて食べました。
ちょっとしたことですが、塩辛ダメな私もおいしくいただけました。
どのお店も、お通しに工夫を凝らしておられますねぇ。

何はともあれお造りを、と頼んだら、
これがまたすばらしくおいしくて!
たこのお刺身なんて絶品です。
さすが三陸のお魚、鮮度抜群ですね~

焼き物は、私は鮭のハラスを、
先生はサンマの丸干しを頼まれましたが
焼き具合が、もう感涙もの~
外はずいぶん焦げているけど、中はふっくらしていて・・・
焼き係のおじさん、ほんとにいい仕事しておられます!

手作りさつま揚げや
長芋の唐揚げなども、とってもおいしくいただきまして
しめて、ひとり2730円也!!

すごいなあ。
大阪や神戸の食事の値段はいったい何なんだろう・・・
と、バカらしくなります。


なにげに他のお店で定食を頼んでも
出てくるのはど~んと巨大なハンバーグだったり
お皿からはみ出しそうな山盛りの唐揚げだったりで、
そのたびに驚かせてもらいました。

総じてお値段のわりに量が多く、
ほんとに盛岡は人を太らせる町なのでした。


最後は、福田パンで〆ました。
学校の売店などに入っている、
みなさまにお馴染みのパン屋さんみたいで
ときどき名前を聞いておりましたので、

最終日の朝、駅で売っているのを見つけて
パセージ・プラスの会場で食べるお昼ご飯用に買いました。
いろんなクリームをはさんだ、少し甘いめのコッペパンです。

私がひそかに食べていると
もう一人のお世話役のEちゃんが、
「あ!福田パンだ!」とすぐに気がつかれました。
よく見ると、けっこうたくさんの方が福田パンをもぐもぐしておられます。

「食べてもらえてうれしい~」
「仲間だ~」
と、Eちゃんがやたら感動してくれました(^o^)

福田パン、岩手県人のソウルフードみたいです。

いや人間って、
食文化を共有したとき、しみじみ仲間だと感じるのかもしれません。

今回の旅、
麺に始まり、福田パンに終わる(笑)

その間いろいろ豪勢な食事をいただきましたが、
新鮮な海の幸と、豊かな山の幸、
すべてが美味しくてすばらしかったです。


盛岡の食べ物にも町にも、ずいぶん詳しくなったので、
こうなると、また訪れたくなります♪
お城もあるし、大きな川が流れているし、
盛岡は、緑の多い美しい都会です。

しかしいくらなんでも、こんなに毎日飽食していてはいけませんね。
煩悩の虜です・・・
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# by prem_ayako | 2015-08-19 20:46 | travel | Comments(6)

パセージ・プラス@盛岡

1週間、盛岡に行って参りました。
開発者J先生による集中パセージ・プラスのコース見学
および避暑
のためです(^^)v

ちょっぴり太って帰ってきました。
が、そのお話はあとにして・・・
忘れないうちに、お勉強!
学んだことをシェアしておきますね~


J先生のパセージ・プラスのコースは、
2013年2月の大阪でも見学させていただきましたが、
リーダー養成を目的としたものではない
実際に子育て中のお母さん方を対象としたコースは
このときが初めてだったはずです。

もちろんテキストは手作り感満載、
右ページもついていませんでした。

その後、先生は三重や滋賀や奈良、関東や福岡にも出張されて
パセージ・プラスを開催されましたが、
私自身は見学のチャンスがないまま
4回、コースを開かせていただきました。

自分でやってみて、その上で
あらためて先生のコースを見学させていただくと、
本当に本当にお勉強になりました。

先生は、「東北に種を蒔く」という菩提心から
激しい速度で(^^;)
詰め込みで(^^;)
集中性思い切り高く(^^;)
1章につき6ケース扱うなんていう離れ業をなさいましたので・・・
このようなコース運びは、
よい子はマネをしない方がよいと思います(笑)

私ども一般のリーダーは、
ひとつずつの事例をゆっくり丁寧に味わいながら
みんなでいっしょ~に学んでいくことを
今までどおり、目指すのがよいと思います。

ただ、今回、リーダーとして、けっこう致命的なところで
誤解していたことや発見したことがあったので
その部分をシェアしておきたいと思います。


1)be(状態)

ライフスタイル分析をするときには、プラス側はいつも
I should be であって I should do ではないと、
気をつけていましたが、

テキストにはそこまで書かれていないけれど、
仮想的目標においても、be(状態)を意識しておくのがよいと学びました。

仮想的目標の4つの特徴はそらで言えるわ~というぐらい
分かっていたつもりだったんですけどね・・・
このポイントは、押さえそこねておりました orz
はい、私はまだまだ未熟なリーダーですm(_ _)m

仮想的目標の特徴②:行為を含まない
対処行動がすでに成功してしまっているイメージですから、それ以上なにかを「する」必要はありません。行動はすでに終わってしまっています。「○○が達成されてしまっている」というイメージです。


リーダーは、「このとき子どもさんがどう答えてくれたらキラキラしますか?」
などと尋ねて子どもの台詞(や行為)を考えてもらって、
それを仮想的目標とするのですが

仮想的目標の特徴②は、
厳密に言うと、
そういう台詞を言う子どもが、お母さんの理想の「状態」を達成しているかどうか
というのがポイントだったようです。

たとえば、お母さんの理想の「やる気のある子ども」状態を達成しているからこそ
子どもの台詞は、「うん、お母さん、すぐに宿題するよ!」のようになりますし、
あるいは、お母さんの理想の「成長した子ども」状態を達成しているからこそ
台詞は「ボク、自分で歩いていくよ!」というようなものになるのです。

つまり、仮想的目標は相手の行動や台詞として取り出しますが、
そこに達成され、完成された「状態」がイメージされていること。
それが、「行為を含まない」の真の意味だったのです。

自分が、もうそれ以上何かをする必要がないというだけでなく、
子どもも、もうそれ以上変わる必要のない理想状態。
自分の行為も子どもの行為も、それ以上はもう要らない
っていうイメージだったんだ!と気がつきました。

おもしろいです。
深いです。


2)行為と人格の分離

行為と人格を分離するページでのJ先生の詰め方は、
それはそれは見事で
思わずメモりました。

アドラー心理学では、子どもが不適切な行動をするのは、1)適切な行動のやり方を知らないか、2)知っていても適切な行動をする勇気をくじかれているか、のどちらかだと考えます。どちらにしても子どもを罰するべきではなく、子どもを勇気づけるべきです。子どもは適切な人格をもっているのに、わけがあって、たまたま不適切な行動をしたのだと考えるようにしてください。

この、「わけがあって」というのが
ポイントですw

たとえば、「子どもがごはんをさっさと食べないんです」というお母さんに。

子どもは1)ごはんをさっさと食べる方法を知らないのか
    2)方法を知っていても適切な行動をする勇気をくじかれているのか
どちらだと思いますか?と問いかけます。

「さっさと食べる日もあるので、たぶん、方法は知っています」
とお母さんが答えたとすると、

そうすると、この子の人格は適切なのだけれど、
たまたまこの時、不適切な行動をする”わけ”があったのですね。
その”わけ”とは何でしょうね。
誰かがこの子の勇気をくじいたのかもしれませんね。
さてその誰かとは誰でしょう?

・・・お母さん「わ、私?」
(爆)

あぁ、さらりと書いてあるこの4,5行の文言を
こんなふうに使うんだ~と感激してしまいました。
まるで詰め将棋です。
でもテキストに沿っていますから
お母さんは納得するしかありません。

そして、実のところすべては仮想だけれども、
「この子は本当はいい子なんだけど、
 自分がこの子の勇気をくじいているんだ」と思うと
問題を解きやすくなります。
だって「私」が変わればいいんですから。

これは技術的な学びでした。


3)肯定文の力

補正項にも書かれていますが、
今回のコースで、先生が特に強調しておられたのは、
すべての文章を肯定文で、ということでした。

仮想的目標も、私的感覚も、代替案も
徹底的に肯定文で言うお稽古をしました。

まず仮想的目標について。
私は、私のパセージ・プラスのコースを受けられた方々に懺悔しなければなりません。

仮想的目標の特徴④:否定文ではなく肯定文
仮想的目標は肯定的・積極的なもので「○○でない」とか「○○がなくなる」とかいうような否定形の感じでなく、「○○になる」とか「○○が起こる」とかいうような肯定形の感じをもっています。


ここについて、誤解しておりました。
申し訳ありませんっm(_ _)m

たとえば「『ごめんなさい、もう2度とこんな失敗はしないよ!』と明るく子どもが言う」
というような仮想的目標を、私は今まで採用していたと思います。
「『 』と言う」は肯定文だから、
『 』内の内容が否定文でもOKだと思っていたのです。

ですが今回、この『 』の中身も、肯定文にするべきだと教わりました。

そして確かに、たとえば上の『 』内の否定文を、
「『ごめんなさい、これからは周りをよく見て気をつけるよ!』と明るく子どもが言う」
というふうに置き換えると、
それはそのままで、スムーズに代替案になります。

だって、ここでひと手間かけて肯定文に考え直すという作業は、
すでに次のステップの
協力的な仮想的目標に向かう準備になっているのですから!

なんて美しく
協力的な暮らしにむかって
導くことができるんでしょう!

これは、ほんとに基本的なところです。
それに気づかずにいたリーダー・・・
(私だけ?)ご、ごめんなさいっ!!

ただ、言い訳になりますが、
初期の頃には先生は、あまり細かいことはおっしゃらなくて
ざっくりでいいんだよ、ざっくりで、と
こういうのも容認しておられたように思います・・・


次に、私的感覚。
私的感覚は2章で学びますが
J先生は、全コースを通し全エピソードについて、
全員の私的感覚を見つけていかれました。

それはもう鮮やかに。
スパスパスパっと、
まるで手のひらの上で音もなく豆腐を切るかのように・・・!
(この秀逸な喩えは青森のNさんからいただきました ^^)

で、この私的感覚のマイナス側も、やはり肯定の形で表すと、
とても美しく豆腐が切れます。
もとい、美しく援助ができます。

「言葉の限界が世界の限界を決める」
と教わりましたが
たしかに私的感覚のプラス側・マイナス側ともに肯定文で表すと、
その方の世界がぐっと拡がるようでした。

ときに、その気づきに涙する方もおられました。
「ああそうだったんだ。私はずっとこれを大事にしてきたんだ」
と気がついた時、人は自分のことを理解し、
自分のことを受け入れることができるのかもしれませんね。

これも、以前は
プラス側「○○である」、マイナス側「○○でない」でもOKだというように
習った気がするのですが・・・(言い訳です)

要は、必ず肯定文でなければならない、というよりも
よりよい分析とよりよい援助のためには
肯定文を使うのが有効だ、ということだと思います。

私たちは幸いなことに
最も進化した
最も高度のデモンストレーションを見せていただいたわけです。


そして代替案。
代替案までに、ひと手間もふた手間もかけて
仮想的目標や私的感覚を肯定文に変換しているので
もう、あとは
プラス側の肯定形の願いを、そのまま相手に伝えれば
基本的にそれが代替案になるのです。

おお!なんてシンプル。
協力的な代替案がなかなか見つけられなくて困っていましたが
これからは肯定文を意識することで、解決するかもしれないですね!
・・・なんて簡単に思えるのは
たぶん先生のデモが鮮やかすぎて
私もまだ魔法にかかってるからかもしれません。


そんなこんなで、マニュアル無視の超速コースでしたが、
燃え尽きて頭がまっ白になったのは、私を含めて
主にリーダー資格を持った方たちで、
若いお母さん方は、楽しんでジェットコースターに乗っておられたようです。

最後のシェアリングをお聞きしていると
「みんなのために私にできることは何か」という思想の部分が
しっかりみなさんの中に根を下ろしたみたいで
感動的なお話をたくさんお聴きしました。


とってもよいコースでした!
実にハードでしたけど(笑)
外様の私も暖かく迎えていただき、うれしかったです。
みなさま、どうもありがとうございました!
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# by prem_ayako | 2015-08-18 09:58 | psychology | Comments(4)

蔵出し旅写真


b0253075_957723.jpg梅雨のころから撮りためていた写真を
まとめてアップしてしまいま~す。

こういうのは、すぐに出さないとダメですね。
文章をつけてから、なんて考えているうちに
もう何ヶ月も経ってしまいました・・・(^^;)






b0253075_9514432.jpgまずは九州、島原市内の武家屋敷。
小雨模様の静かな町。
そんなに暑くもなく、
いい湿り具合で
植物はみんな喜んでいました。

b0253075_1045022.jpg












緑に目が洗われます~





b0253075_1083481.jpg海を渡った天草の、崎津。

b0253075_10104218.jpg細く曲がりくねった道の果て、
岬のどん詰まりの誰も近づけない土地に
キリシタンたちは隠れました。

路地の向こうは、海しかありません。










肉体の死よりも精神の死を怖れることができるのが
他の動物にはない、人間の強さです。

b0253075_1012113.jpg





b0253075_10322272.jpg7月、合宿ワーク前日の鎌倉。

律宗のお寺、極楽寺を訪れました。
このお寺はほんとうに美しかったのですが、
境内は撮影禁止でした。

その後、切り通しの道をぶらぶら歩いていたら
こんなに見通しのよいところに出ました。

ちょうど台風が
関西を北上していたので
由比ヶ浜の波も高いです。





b0253075_10451410.jpg




こちらは御霊神社(ごりょうじんじゃ)
またの名を鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ)
というのだそうです。

鎌倉には、日本画家の瓜南直子さんが住んでおられました。
ツイッターに、ご自宅近くで撮った写真を載せておられたので
(ただの1ファンなのですが)
「この切り通しは、なんだか『ツィゴイネルワイゼン』に出てくるような道ですね」とコメントしたことがあります。

b0253075_10422480.jpg「鎌倉は岩盤が柔らかいので、あちこちに、こんな切通しや「やぐら」があります。」
と気さくにお返事をくださいました。

それだけのご縁で
まもなく亡くなってしまわれましたけど
鎌倉を歩くと彼女の気配を感じます。



肉体が滅んでも精神は生き続ける。
それがたとえとしてではなくて
真実、そうなのだと思えるならば
何も怖いものはないのかもしれません。
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# by prem_ayako | 2015-08-05 09:47 | travel | Comments(2)

仏さまと暮らす

スピリチュアル・ワーク@鹿島の前日、
ちょっと鎌倉に寄り道して散財してきました。

鎌倉には、モンゴル人のおじさんが経営している
チベット仏具屋さんがありまして、
一種の「欲望の館」なのでありますよ(そのスジの者にはネ)。
少しお高いけど、いい物があるんです。

手に入れたのは、
ずっと前から欲しかったけど買えなかった、
閼伽(あか)供養の7つの水器です。

本来、チベットの仏さまにお献げする供物は
1)漱口水(サンスクリット語で、あーがむ=閼伽)
2)洗足水(ぱーでぃあむ)
3)華(ぷしゅぺー)
4)焼香(どぅーぺー)
5)灯明(あろけー)
6)塗香(げんでー)
7)飯食(ねうぃでー)
8)奏楽(しゃぷた)
ということになっています。

これは毎回、手印とともに観想しますが
実物をお供えすることができれば、なお良いかしらね、と思い

今まで、なんとなく散漫に、
いろんな器に
お水を入れたり、
お花を挿したり、
いただきもののお菓子を置いたりしてきました。

b0253075_21104959.jpgまあそれでも全然かまわないんですけど、
そうしていると仏壇が
どんどんカオスになってきまして・・・(^_^;)

しかもシンガポールで、マニ車とかお数珠とか買っちゃったし。

額装のすんだクンツサンポさまもおいでになられたことですし♪
お仏壇を調えるよい機会かなと思いました。


さてこういうときのバイブル、
『実践 チベット仏教入門』(春秋社)には
「これらの供物を捧げる代わり、閼伽水だけを七つの仏器に並べて供養してもよいでしょう」
と書いてあります。

なんで8つのお供えが7つのお水になるねん?
という私の素朴な疑問にも、この本は
「『七つ』という数は、簡易な形式で供養する際の、一応の目安である」
とちゃぁんと註釈をつけてくれています。親切ですねぇ。

で鎌倉で、ついに
真鍮の仏器を7つ買いました。
1個1000円也でした。

いやしかし、
美しい~~(^o^)
満足じゃ。

b0253075_2116733.jpg




「チベットの習慣では、朝の勤行時に閼伽水を供え、日没時にはこれを下げて仏器も収納するのが一般的です。もし、下げずに供えたままの場合は、翌朝、並べてある仏器にわずかずつ瓶水を注ぎ足すのです。」『実践 チベット仏教入門』
ということですので

b0253075_21185160.jpgこの器を手に入れてから、
私も朝、
なにはともあれ出かける前に
仏さまにお水をさしあげることにいたしました。

ほんのちょっとしか時間がとれなくても、
お作法どおり、静かにお水を注いでいくと
とても心が落ち着きます。

そして(日没時は無理なので)夜、
寝る前の瞑想が終わってから、
お水を捨てて、器を拭き、
重ねて収めるようにしています。
これもまた、1日の終わりとして、とてもよい時間です。

暮らしが少しだけ丁寧になったような気がします。
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# by prem_ayako | 2015-07-25 21:31 | tibet | Comments(3)
こうして倉敷のコースは6月6日に
廿日市のコースは7日に無事終了いたしました。

倉敷コースは、
お手伝いの方や見学のみなさん、
お母さんといっしょに来てくれた小さな子どもさんたちと共に
みんなで大広間でお昼を食べたり、お茶やお菓子をいただいたりして、
とても楽しく学べたグループでした。

これから、子どもさんたちとの関わりに
パセージ・プラスで学んだことを
生かしていっていただけたらうれしいです!


廿日市のコースは、
結果的には、とても活発で、
学びの深いコースとなりました。
いろんな突っ込んだディスカッションができましたし、
倉敷より多くのケースについて、私的感覚に踏み込んで考えることができました。

みなさんが楽しんで吸収していかれるのを見て
私自身が、いちばん楽しんでおりました!

リーダーとしての私を成長させてくださったみなさんに
心から感謝申し上げます。


個人的には、
パセージ・プラスというコースは
1章と2章は山で、それを越すと
3章は少し楽で
4章は「葛藤解決」なので、もうひと山(小さいのが)あって、
そこを越すと
5章6章は、めちゃ楽しい!
と思っています。

パセージと、パセージ・プラスの4章までとは、
「ここでは、まだこの言葉は習っていない」
「この技法は、まだここでは使えない」
という「しばり」がわりとたくさんあるのですが、

パセージ・プラスの第4章が終わったら、
・・・実はね、
あとはもう、やりたい放題だと思います(^o^)

メンバーさんは全員、
パセージのテキストもパセージ・プラスのテキストも持っておられますから、
パセージに戻って復習することもできるし
パセージ・プラスの前のページに戻ることもできます。

あるいは、事例を出したメンバーさんによっては
ちょっと新しいことを試してみてもいいかもしれません。
(たとえば4章までは絶対に扱わなかった
 夫婦関係や職場の人間関係のエピソード分析など)
なんでも自由自在というわけです。

しばりがないので、私、5・6章はかなりリラックスしております。
どうしても日程の調整がつかないとき、
私が5・6章をまとめてさせていただくのは、こういう理由なのですw


最初は学ぶことが多くて、少しハードに思えるパセージ・プラス。
でも本当にテキストがよくできているので、
最後には、ああ楽しかった~!もう終わってしまうんだ~
と言ってくださる方が多いです。

変なたとえですが、私にとってはお産みたいなもので(笑)
毎回、最初は「え~ん」と思ったりもするのですが
終わってみると、「またしたいな~」と思います。
1年に1回ぐらい、こんなチャンスがまたいただけたら、うれしいです。


さて、別に誰にも求められておりませんが
最後に決算報告を少し。

今回、2コースさせていただいて、
両コースともたくさんの方に参加していただいたおかげで
思っていたよりも多くのお金を頂戴しました。

まぁ新幹線代とホテル代で1コース分近くは消えるんですけど、
おかげさまで1コース分ぐらいは残りました。

今までは、こういったお金はいつのまにか消えていってました。
それももったいないなと思ったので
今回はこれをすべて、
ネパール支援の寄付と
チベット仏教関係のお布施に使わせていただくことにしました。

ネパール大地震の復興支援については、
どこに寄付したらよいものか、だいぶ迷ったのですが
確実に必要なところに届けていただけそうな
中原一博さんの「ルンタ・プロジェクト」に託すことに決めました。

それから、おひげリンポチェのおつきの僧侶の方から
ディクン・カギュのご本を送っていただいていましたので、
その方のアメリカのセンターにお布施しました。

それからシンガポールへ行きましたので、
ガルチェン・リンポチェに、直接お布施をお渡しし、
またリトリート主催のお寺へもお布施しました。

さらにシンガポール到着時に、3万円をシンガポールドルに換金して、
お札も小銭も、すべて、
リトリートの会場内で売っていた本やお守りの支払いに、
あるいは僧の方々へのお布施に、
並んでいる仏像へのお賽銭に、
使い切って帰ってきました。

さらに、クンツサンポさまを描いてくださった絵師のMさんに。
さらに額装代に。
・・・あれっ?足出てるじゃん(爆)

こういうお金の使い方、
いつもというわけにはいきませんけど
爽やかでした。
たまにはいいですね。
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# by prem_ayako | 2015-07-04 17:23 | psychology | Comments(2)

リーダーの目標

廿日市のコースをどう軌道に乗せるか
1週間、私はそればかり考えていました。
反省もし、傾向と対策も考えましたが、
そういうこととは別に
大げさな言い方をするなら、
ひとつ、悟ったことがありました。

リーダーとして、今までなんとなく
「よいコースにしよう」と心がけてきていました。。。
よく言いません?
「よいコースになった」「よいコースができた」って。

でもよいコースって何だろう?
みんなが仲良くなって、みんなが協力的なグループになって、
みんなが横の関係で、お互いに勇気づけあって、
最終章ではちょっと泣いちゃったりするようなのがよいコース?
逆に悪いコースって?

ここでハッと気がつきました。
「よいコース」を作ることは、目標ではないのです!
「よいコース」は、結果として生じる雰囲気にすぎません。

リーダーの目標は、メンバー同士仲良くなってもらうことではないし
ましてやリーダーが尊敬されたり好かれたりすることでもない。

どうすれば最もわかりやすく、正しく、
今目の前にいる人たちに
パセージ・プラスを学んでいただけるか、だけが問題なのです。

パセージ・プラス・リーダーの目標は、
パセージ・プラスを、正しく伝えること。

パセージ・リーダーの目標は、
パセージを、正しく伝えること。

そのために、
必要のない質問は切り捨てるべきだし、
適切でない事例は取りあげるべきではないのです。

ごくごく当たり前のことでした。
そしてこの目標を言語化することによって、
私の腹が据わりました。


5月17日、廿日市コースの2週目。
今回は、気力体力ばっちりです。

第2章では、私的感覚を学びます。
パセージ・プラスの山場であり
リーダーとしては、最もやり甲斐のあるところです。

お部屋に入ったら、まず座る位置を考えました。
前回は入り口近くに座っていたのですが、
今回は、全体を掌握できるいちばん奥の角っこに座を占め、
リーダーの定位置としました。

リーダーの腹が据わるとグループも変わるもののようです。

細部への質問はあまり出ず
みんなが学ぶのに適切な事例が次々と出てきました。

廿日市のグループは、子育て真っ最中の倉敷のグループと違って
どうやら、知的にアドラー心理学を理解したいタイプのメンバーが多いようです。
そのためもあって1週目はギクシャクしたのですが、
パセージ・プラス2週目の私的感覚についての学びは、
まさにメンバーたちの知的好奇心を刺激したようです!
みなさんの表情が、この前よりも生き生きしてきました。

いや、おもしろいなあ!
私的感覚ってそういうことなのか!
なんていう呟きが聞こえてきて、とてもうれしかったです。

そうそう、私はこれをお伝えしたかったの♪
ようやく、「つかみはOK」の状態になったのでした(^o^)



いっぽう、倉敷のコースの方は、
出だし好調で、おおむねうまく進んでいったのですが、
ひとつだけ、気にかかることがありました。

ある意味、廿日市と逆パターンとも言えます。。。
パセージが好きで好きで、
パセージ・プラスにどうも馴染めない~
と感じているみたいなメンバーさんが、ひとりおられたのです。

たとえばこの方は、3章で学ぶ「共同体感覚の育成」という言葉を、
とても重たく感じるとおっしゃいました。
パセージの1-Lの子育ての目標の言葉ならしっくりくるのだけれど・・・と。

さいわい、他のメンバーさん方が
「おおげさなことではないんじゃないでしょうか?」と
身近な生活の中での子どもの貢献や責任について
いろんな例をあげてくださったので、とてもよい話し合いができました。

こんなふうに、この方のおかげでみんなが学べることもたくさんあったのですが
ときに、エピソード分析の手順の最中に
パセージではこう考えるのでは?とおっしゃったりもしました。

パセージ大好きなのはとってもとっても素敵なことです。
それで全然OKなんですけど
私の今のお仕事は、ともかく全力で
パセージ・プラスをお伝えすることですから

これは是非、この方ご自身のエピソードで、
エピソード分析を体験していただきたいものだと
願って(狙って?)おりました。

ついに最終日、ようやくそのチャンスが巡ってきました!
ほんとうに初めて、「子どもに対して陰性感情をもちました」と
彼女がおっしゃったのです。
時間は押していましたが、
構わず、その事例を取りあげることにしました。

ベテランのお世話役さんが手をあげて、分析の実習をしてくださいました。
そしてこのコース最後のエピソード分析にふさわしく、
お手本のように美しく解決してくださったのでした。

よかったです~
ありがとうございました!

これでもう、心残はりありません(^o^)

(まだつづく)
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# by prem_ayako | 2015-07-04 17:09 | psychology | Comments(2)

グループは生き物だ!

あまりにいろんなことがあったので取り紛れておりましたが
忘れないうちに、先日行ったパセージ・プラスの振り返りをしておきたいと思います。
私にとって、グループを動かすことに関して
学ぶことがとっても多かったのです。


5月から6月にかけて
1章から4章までは、毎週1章ずつ、
最後の第5章と第6章は、1日に2章分ずつ行いました。
なので、連続5週間、
土曜日は岡山県倉敷市、
日曜日は広島県廿日市市に通いました。

どちらのコースも10人ずつメンバーが集まってくださいましたが
当然、メンバーも会場も雰囲気も異なります。
(おひとりだけ、両コースともに参加されたメンバーさんがおられました。
 この方には、なんと私のすべてをご覧いただいたことになります~ 汗)

倉敷は、岡山にあるいくつかの自助グループのお世話役さん方が
協力して子育て中のお母さんたちを集めてくださいました。
公共施設の広~い和室が会場で、
託児もあり、託児ボランティアの方、会場のお世話の方、
そして見学の方々を含めると
メンバー以外の人数の方が多いぐらいで・・・

5月9日の倉敷コース第1章は、めっちゃ緊張しました。
私には、ともかく最初のつかみが大事!っていう信念があるんです。

幸い、ぴっちぴちのお母さん方が
子育てのお話をどんどん話してくださったので
エピソード分析をたくさんやって、
みなさんの表情もおおむねいい感じで、
(まずはつかみOK!)と、ほっとしてホテルに入ったのでした。


それで、倉敷でうまくいったから、廿日市でもきっとうまくいく!
だって同じテキストを使ってやるんだも~ん♪
と思っていたら、それが甘かったのです。。。orz

5月10日に始まった廿日市のコースは
ある学校の先生が、是非パセージ・プラスを受けたい!と
お仲間やお知り合いを集めてくださって、成立しました。
この方の熱意のたまものです。
会場には、ご自宅の和室を使わせてくださいました。
学校の先生や保育士の方が多く、子どもの年齢も高く、男性も2人おられます。

・・・とこうやって書いてみると全然違いますよね。
でもそれをあまり考えず、ともかく突き進んでみたら

なぜか昨日うまく流れたところが流れず
昨日誰もひっかからなかったところにひっかかる人が現れ
いつもなら洞察してもらえるところが抵抗され
散々でございました。

やはりメンバーが違えばグループも全く違う生き物となることを
痛感したのでした(>_<)

帰り道は、ヨロヨロでした~


しかし、なんとか立て直さなくてはなりませぬっ。
考えてみると失敗の要因は、
次の2点だったようです。

1)枝葉末節の質問に答えようとした

テキストの言葉の細かいところに注目して質問をしてくる方が
このコースでは何人かおられました。
一語一句、一生懸命学ぼうとしておられるのだなと思って、
いっしょに考えるようにしたのですが

これは不要なことだったと思います。

初めて受ける方々と細部をディスカッションすることは、
百害あって一利なしだったかもしれません。
なぜなら、メンバーさんたちには、まずざっくりと、
パセージ・プラスの全体をつかんでいただくことが、先決だからです。

細部に時間をとられている間に、
エピソード分析をもう1個してみせた方が、
第1章では、断然メンバーさんたちの役にたったはずです。

次回からは、大筋に関係のない質問は、あっさりと流そう。
「どうしてそこを疑問に思われるんですか?」なぁんて
「開いた質問返し」したりして。

2)事例の選び方が適切でなかった

みなさんから出されたいろいろなお話の中から、
このお話ならみんなが学べるだろう
というようなエピソードを選ぶのが、リーダーの裁量なのですが、

これが今回はことごとくはずれてしまった(汗)感があります。
勘が鈍っていたというか、冴えがなかったというか。

まぁ言い訳になりますが、
この日はめずらしく、体調管理に失敗していました。
でも、どんな状態でも力を出せるようでないと
プロじゃないですよね・・・m(_ _)m

やむを得ない部分もあったとは思うのです。

ほとんどが初対面の10人グループで
1日目から、おひとりおひとりを見極めることはできません。
聴いてほしそうな方のお話は、とりあえず
初回は聴いておくのが安全だったとは思います。

ある程度時間をかけてお話におつきあいしたからこそ、
たとえば次回からは、
「パセージではどう習いましたか?」って復習するのがいいよね、
なんていうことが分かるのですから。

・・・と、むりやり自分の出来ている部分に正の注目をして
できるだけ個別に傾向と対策を考えて
ドキドキしながら第2週に備えました。

(つづく)
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# by prem_ayako | 2015-07-04 17:00 | psychology | Comments(0)

Deadlock

デワチェン(極楽)とは
阿弥陀さまのおそばで
悟りに至る修行のできる場所だということです。

b0253075_22102570.jpg何度考えても、
ガルチェン・リンポチェという菩薩にお目にかかり
リンポチェのお声を聞いて
お体に触れ、エネルギーをいただけることそれ自体が
デワチェンなのだと思います。

ただ、デワチェンと違うところが一点だけあります。
それは、私には
リンポチェのお言葉がわからないということです。

デワチェンでは
どのような生き物でも
阿弥陀さまの教えを理解して
学びを積んでいけるというのに!


せめてリンポチェから直接教えを受けた教典を
リンポチェが唱えられるままの言葉で読みたくて、
一生懸命チベット語の古語を学んでいます。
ここ数年のお勉強の成果で、
お経であれば、かなりスラスラと読めるようになりました。
ですが、リンポチェの話される口語のチベット語はわかりません。

そして今回、思い知ってしまったのは、
たとえ英語に通訳してもらっても
私には、リンポチェのお話が理解できないということです Orz

ある程度までは、英語でわかるのですよ。
部分的には、わかるところがあります。

2年前に来たときは、ある程度までわかることに安心していたのですが
どうやらその頃と同じあたりで理解が止まっていて、
次の段階、もうひとつ上のレベルのお話になると
やっぱり、さっぱりついていけないことに気がつきました。

何度もお聴きして馴染んでいる空性に関するお話や
ミラレパの言葉の引用などは
耳が開いて頭に入ってきて
そこから思索をめぐらせたりイメージをふくらませたりできるのですが

それ以外の、自分のつかめないところは、
おどろいたことに
何度録音を聞き直しても、そのたび寝てしまうのです(^^;)
わからないものだから眠くなるのですね・・・

・・・行き詰まっております。

b0253075_944277.jpgこれはつまり、
リンポチェのお教えを吸収していくだけの能力が、
悲しいことに私にはないということだと思います。

今の私はまるで、聖アントニウスに説法されている魚。
あまりに愚かな衆生なので、
仏の教えを理解できないのです(泣)

大きなJ先生は
英語の通訳を正確に理解される上に
中国語の翻訳を読んで確認され、
日本語に訳して衆生のために尽くそうとしておられます。

過去に積まれた福徳の故に
J先生にはそのような尊いお仕事がおありなのでしょう。

私の福徳は今生では
リンポチェのお顔を間近に見て
お手の暖かさをこの身に感じ、
いただいたいくつかのお言葉を覚える
そこまでのこと。
それ以上を望むのは貪欲でありましょうし
それだけで十分に幸せだと思います。

が・・・
私はやっぱり、リンポチェのお言葉をわかりたい。
リンポチェのお話をすべて理解できるだけの知恵が欲しい!


はい、貪欲です(^_^;)
それを認めた上で(笑)
ここで能力のなさを嘆いていても仕方ありませんね。
何か対策は考えられないかな?

いっそ現代チベット語会話を学んで
リンポチェのお話を直接聞き取れるようにがんばりましょうか?
でもね、言語の問題じゃない感じですよね。。。
たとえチベット語がぺらぺらになったとしても、
仏教の精妙なお話になったら、やっぱりわからないんじゃないかな。
だって、日本語でもわからないかもしれないんだから。

それならば、いっそ仏教を基礎から学んでみましょうか?
(あぁそういえば、お友だちにひとり、
 佛教大学の通信学部に入って学んでいる方がおられます。
 彼女もこういった経緯で決断なさったのかもしれないなと、いま気づきました・・・)
でも日本仏教学んでもねぇ、などと不遜なことを考えてしまう私。。。

そんなことを、シンガポールから関空に帰り着いて
天王寺への電車の中で大きなJ先生にぶつぶつ申し上げていたら、
「英語で仏教語を学びなさい!」とのアドバイスをいただきました(@_@)

なるほど・・・
今さらチベット語会話や仏教をいちから始めるより、
私の場合、英語の能力を上げる、という道が
もっとも手っ取り早いかもしれません。

そういえば「言語能力を上げるには、まず単語力!」というのが
大きなJ先生のご持論で、
はじめて ICASSI に行く生徒さんたちにも
いつも、「アドラー心理学用語を英語で覚えてから行きなさい」とアドバイスしておられます。

たしかにアドラー心理学関連の英語についていえば、
10年前の NASAP にはじまって何度か ICASSI に行って、
いつのまにか、アドラー心理学の話題であれば、自由に英語で話せるようになりました。

そもそも、たいがいの仏教国に住む信徒にとっては常識である仏教用語が、
私にとっては、日本語でさえ常識ではないのです。
チベット仏教に出会うまでまったくの仏教処女(?)でしたからね~
こういうところで福徳を積んできていないのです。

しかも仏教用語は、日常使わない特殊な言い回しでもって翻訳されることが多いです。
その独特の英単語や英語表現に、私はいちいちひっかかってしまって、
通訳を聞いていても、本を読んでいても
そのたびに一瞬フリーズしているように思います。
そのせいで、全体が見えなくなってしまうのかもしれません。

チベット語:日本語の
仏教用語だけの単語帳は
すでに作っているのですが

これにもうひとつ
英語を対応させればいいわけだ!

Deadlock 突破の
道はみえたぞ!(^o^)

いつもながら、
的確なアドバイスを惜しみなく与えてくださるJ先生に
心から感謝申し上げます。


まずは、ガルチェン・リンポチェの英訳を一手に引き受けている感のある
Ina Bieler の言い回しを覚えていくことにします。
Ina の訳したリンポチェの本を丁寧に読んで
アンダーラインを引くことから始めましょう。

アドラー心理学を学び始めて基礎講座とパセージを受けたばかりの頃
事例検討会で先輩たちが話しておられることが全くわからず、
ほんとうに、全く全くわからず
呆然としていた私が
それから17年たって
少しは人にお伝えできる程度に、わけがわかるようになったのですから

時間をかければ
ガルチェン・リンポチェのご法話も
きっと理解できるようになるでしょう。

・・・もしも間に合わなかったとしても
それもまた幸福な人生であると思います。


b0253075_9523473.jpg

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# by prem_ayako | 2015-06-25 09:54 | tibet | Comments(0)

Evelyn

彼女に会ったのは、リトリート2日目の昼食どきでした。
あたたかい菜食のお弁当をひとつずつ受け取って
いくつもの大きな丸テーブルの中から空いた席を選んで
大きなJ先生と並んで座ろうとしたとき、

そのテーブルに座って食べていたかわいい女性が
いきなり「こんにちは」と話しかけてきました。

「私、日本語を大学で習いました。日本人大好きです」
と流暢にどんどん話されます。

なんだか状況がよく理解できなくて
なんで私たちが日本人だとわかったのですか?と
まず英語で尋ねてしまいました。
外国で外国の方に日本語で話しかけられることって
まぁめったにないことなので・・・
どの程度日本語を使ってよいのか分からなかったのです。

彼女は恥ずかしそうに「あ、ごめんなさい。
昨日、後ろでお話、聞いていました」と言います。

それでお互いに自己紹介をしたあと
しばらく彼女は日本語
私は英語
という奇妙なやりとりを続けましたが
そのうちに、ふたりとも英語に落ち着きました。

ときどき日本語を交えることもできるので
ラクチンです(^^)

彼女はシンガポーリアンで
オーストラリアのメルボルン大学で日本語を専攻したそうです。
そのときの日本人教授がとても親切ないい人だったと
エピソードを交えて話してくれました。
だから日本人が大好き!
何度も日本に行ったけど、行くたびに日本が好きになります!
日本人はやさしいし日本は清潔だし、と
熱く語ってくれました。

そんなふうに言ってもらえると、嬉しいですね。
シンガポールの方たちも親切ですね~と私が言うと
彼女もとても喜んでくれました。

お昼を食べながら彼女は、
「私、ここのホテルに泊まっています。ラッキーなことに50階なんです。
 その景色がとてもきれいなので、よかったら後で私の部屋に来ませんか?
 大丈夫です、昨日は別の友だちを誘って来てもらったんです。
 ほんとうに、もしよかったら」
って熱心に誘います。

最初はご遠慮しましたけど、
あんまり言ってくださるので、甘えることにしました。
大きなJ先生は、さすがにためらっておられましたので
私だけ、行かせていただくことにしました。

いつ?
じゃぁ今日の夕食後、
6時半に出口のところで。
と待ち合わせしたのでした。


さて今年のリトリートの会場は、
シンガポール湾に面した「巨大な」ショッピングセンター、
マリーナ・ベイ・サンズの地下の一角です。

マリーナ・ベイ・サンズがどれほど巨大かというと、
地下階に人工の水路が流れていて
ふつうの大きさのボートが移動に使われている
というぐらいのスケールです。

彼女の泊まっているマリーナ・ベイ・サンズ・ホテルへは、
リトリート会場から10分間歩いてショッピングモールを抜け、
ようやくホテル専用エレベーターに到るという具合です。

b0253075_17364536.jpgこの10分間、
私たちは、ミソサザイよろしく
ピピピピピーピーとしゃべり続けました!

彼女は大学で日本語とドイツ語を専攻した語学の専門家。
母国語は英語と中国語なのでしょうが、
考えるときはいつも英語だといいます。
アルバイトで日本人に英語を教えているそうで、
私の英語をとてもほめてくれました。

ガルチェン・リンポチェのリトリートに来るのは彼女も2回目で
前に来たのは2013年、私たちが来たのと同じ年です。
「なんてすごい偶然!
 あの年のあの会場でもいっしょだったのね!
 もしもどっちかが去年来ていたら、今こうして会えなかったわね!
 ねえ、なんて私たちって似ているのかしらん♪」
と彼女、大はしゃぎです。


超特急のエレベーターで上がった50階の彼女の部屋は
旦那さんが翌日に来られるそうで、
とってもゴージャスなツインルーム。
なんと1泊600シンガポールドルですって!
(=1泊5~6万円・・・)

(シンガポールには超・超・お金持ちがいるって聞いてますけど
 そういうご一族なんでしょうね~
 お洋服も、カジュアルだけど芦屋マダムっぽいデス)

このお部屋、鍵を開けて中に入ると自動的に!!
正面の窓のカーテンがうぃ~んと開いて
シンガポール湾が一望になるのです。
Wow!これはすごい!
どうぞどうぞ、入って、ベランダにも出て見て!と
一生懸命 treat してくれる Evelyn。
(出れるのか!50階のベランダ。怖いぞ)

b0253075_1722815.jpg

どうですか、この船の数。
This is Singapore!!
きゃあきゃあ言って大急ぎで写真を撮って

さらに彼女が提案するには
ねぇ、まだ5分あるから
57階のプールに行ってみない?
Residents しか入れないんだけど、私のカードを使えばいいから。
もう、すごい景色なのよ!

というので、私もそれにあっさりのりまして(笑)

57階までまた上がって、
プールの入り口に彼女を残し、私だけ入れてもらって、
プールサイドを少し歩かせてもらいました。
ここの眺望は超有名で、ガイドブックによく載っています。
(右下の写真は借りてきたものです)

b0253075_17255252.jpgどうだった?
Amazing!! The edge!!
Yes, the edge!!
と、これだけの単語で話が通じる心やすさ(^o^)

それからまた超スピードで歩きながらおしゃべりして、
午後7時きっちりに、
間に合って会場に帰り着きました。
お礼を言って握手して、
それぞれの席に戻ったのでした。


なんだか私、今回のリトリートはやたらと眠くて
リンポチェの有り難いご法話の間も
「Om Ami Dewa Hri!」とマントラの時も
ときどきものすごい睡魔に襲われて
しっかり声を出して唱えていたのに次の瞬間にはカクッと眠ってしまう、
ということの繰り返しだったのですが

Evelyn と出会って彼女の活気に触れたおかげでしょうか、
ようやく気分が高揚して
少し目が覚めた感じになりました。
よい刺激でした♪


3日目には、遅れて来られた旦那さまともご挨拶を交わし
最終日にもう一度いっしょに写真を撮って、
再会を約してメルアドを交換しました。

私にしては
これだけ短時間でこれだけうちとけることのできた相手も、珍しいです。

メールによると、彼女にとってもある程度そうだったようです。

b0253075_17281836.jpgIt was like the meeting of old friends, and that we were trying to update each other as much as we could. Those precious thirty minutes were vibrant with joy and laughter, to say the least. Indeed, I was like pouring my whole life story to you...hehehehe!

年末には大阪に来るということなので
ものすごく賑やかな2羽のミソサザイになりそうです。
さあどうやって treat してあげようかな~♪
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# by prem_ayako | 2015-06-24 17:45 | friends | Comments(0)

Peak Experience

リンポチェとお会いするのは2年ぶりです。

2年前は7月に東京で教えを受け、帰依戒も受け、
8月にシンガポールでもお会いできたのですが、
昨年はお会いできるチャンスがありませんでした。
ダライ・ラマ法王にお会いしたことで運を使い果たしたみたいで。

でもこの2年の間に、
リンポチェの御前でどうふるまえばよろしいものなのか
チベット式のしきたりを、少しは覚えました(^^)v

お部屋に入ったら、まず、五体投地。
そしてしのばせていたカタを献げて
祝福をいただきます。

五体投地を3回している間、リンポチェは
そんなんせんでええのに、早よう座らんか、とばかりに手を振られ、
足をくずせ、とか、椅子はいらんのか、とか
いろいろと気を配ってくださいます。
(もちろんチベット語でおっしゃってるのですが、なぜか関西弁に思えるw)

ああ、なつかしい
リンポチェのあたたかいお手。。。
いつもの笑顔。。。
大きな大きな存在感。。。

リンポチェのチベット語は私にはほとんどわかりません。
ずっと英語通訳の Ina がついて翻訳してくださいますが、
お声の響きを感じとりながら、
Ina の英語を理解するのは、なかなかに困難です。

だから私はひたすら、触覚と視覚を使います。
全身の皮膚でリンポチェのエネルギーを感じ
お姿を目に焼き付けようとします。
ですから頭は麻痺して、ひたすらうっとりです(笑)

まず大きなJ先生が
お母さまのお写真を出されてお供養をお願いされました。
それからリンポチェのご本を翻訳することについて
許可をいただかれました。

私の番になったので
クンツサンポのタンカを筒から取り出して、
Consecration(チベット語でラプネ rab-gnes)をお願いしました。

絵をご覧になったリンポチェは
おおクンツサンポ・・・
クンツサンポは虚空と同じ、それで青いのじゃよ
とおっしゃいました。

用意していたお米とカタを出そうとすると
リンポチェの blessing ではそれはいらないと言われました。

そういえば3年前に初めてリンポチェとお会いしたとき、
そのころ買ったばかりだった水晶の数珠にお加持をいただいたのですが
そのとき使われたのと同じ、小さな壷に入った摩訶不思議的軟膏を
クンツサンポのお腹のチャクラと
その裏側とに塗りつけられました。

そしてリンポチェの指に残った軟膏を
私の鼻の下にも塗りつけられました。

お数珠のお加持のときもこうやって鼻に塗りつけられたな・・・
思えばあのときにリンポチェに「匂いつけ」されちゃったんだな・・・
などとぼんやり考えていました。

リンポチェが絵を元通りに巻いて差し出してくださったので
リンポチェに支えていただいたまま
金色の紐で縛ろうとするのですが
なかなか、ちょうちょ結びができません~(>_<)

「私、緊張しています~」と言うと
おお~なに緊張することがあるねん?と笑われます。

なんだか他にもいろいろおっしゃっていたかもしれないんですけど
すみません、忘れました(笑)

もう時間があまりなくて
時間に obsessive なシューさんが急かしているのは分かってたんですけど
どうしてもそのとき伝えたかったことがあって、無視しまして(笑)

日本に来られたときにたくさんお話をしていただきましたけど
難しいことは私にはわかりません。
ただひとつ、私がずっとあれ以来覚えているのは
リンポチェが両手の親指と人差し指で輪っかを2つ作って見せてくださって
私たちはみんなこんなふうに separate しているけれども、
指を開くと、ほら、ひとつになるんだよって、
ジェスチャーで示してくださったことです。

と英語で言いました。
本当に実際に、今までに私がリンポチェから学んだことは
これに尽きると思うのです。

リンポチェはニコニコと微笑まれて
そうそう、こうやってひとつになるんじゃよ
と、両手の親指と人差し指で大きな1つの円を作って
示してくださいました。

あぁこのときのお姿を思い出すと
今も涙があふれそうです。

なんせ聴覚全滅、視覚が頼りですから
こうやってリンポチェにジェスチャーで教えていただくのが
私にはもっともよくわかるのです。
_人_


こうしてうっとりぼんやりと退出して
それから大きなJ先生とどこでどうしたのだったか、
どうもよく思い出せません。
ともかくお茶を飲んだかな?ご飯はどうしたんだったかな?
たぶんホテルでしばらく休んで、
夕方の「白ザンバラの灌頂」に間に合うように、出かけたのだったと思います。
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# by prem_ayako | 2015-06-17 21:42 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako