アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

おさんぽしゅんすけ

先週末にあった基礎講座応用編後半にも、
娘としゅんすけはやって来ました!

今回は、金曜の午後、私が神戸まで出て待ち合わせ、
いっしょに父の施設と母の施設へ行きました。
ふたりとも孫と曾孫に会うのはお正月以来なので、とても喜んでくれました。
これぐらいの小さな子どもって、
ほんとにお年寄りを癒やす力がありますね~

土日はまるで春のような暖かさで
お天気も良かったので
しゅんすけと、たっぷり外で遊びました♪

朝、大きなJ先生と娘が「行ってきまぁす」と出かけるときだけ、
しゅんすけはちょっと泣き顔になります(^^)
でも、抱き上げていっしょにお見送りをしたり
好きなものを食べさせたりしていたら
すぐに切り替えて機嫌を直してくれます。

朝ごはんの片付けを終えて、
「さっ、しゅんすけ、お外へ行こうか?」と声をかけると
しゅんすけ、ぱっと顔を輝かせて
「たーた、たーた」と自分のくつ下を探して持ってきます。

はかせてあげると、そのまま玄関扉まで突進します。
「おくつ、はこうね~」
でも足の指を曲げるので、履かせにくい・・・
ちゃんと履けているのかどうかよくわからない・・・

しゅんすけ、気がはやっています(^^;)
(う~ん、仔犬みたい♪)
外の階段で抱っこすると、行きたい方を指さし
「あっち」と明確に指示を出してくれます。

「よし、あっちへ行こう。おんりして歩こうね」
手をつないで、川沿いの道をゆっくりゆっくり歩きました。

犬がいると、しゅんすけはキュッと緊張します。
行き交う方々が、けっこう声をかけてくださるのですが
そのたびに固くなって立ち止まってしまいます(^^)
人見知りというやつですな。

ときどき抱っこしたり、また歩いてもらったりしながら
ちょうど琵琶湖から瀬田川が流れ出るところ、「なぎさ公園」まで来ました。
そこでしゅんすけの選んだベンチに座って、の~んびり過ごしました。

いいお天気の土曜日なので
ジョギングのお兄さん、
筋トレのおじさん、
ロードバイクの父子、
コマなし自転車の練習をする家族連れ
いろんな人が行き過ぎていきます。

私は輝く湖面を眺め
ユリカモメやカイツブリを眺め
春になって動きだした遊覧船を眺め

しゅんすけはおとなしくおすわりして
自転車やよその子どもをぼーっと見ています。

たくさん歩いて疲れたのかな?
もってきたお水を飲ませて「バナナ食べる?」と出してみせると
「バナナ!」とかぶりつきました。

b0253075_1143584.jpg食べ終わると、自分のくつの点検(笑)
それからベンチの点検・・・

そのうちベンチから降りて
ちょっとずつ周りを探索し始めました。

この程度までこの場に慣れるのに
30分ぐらいかかってるんじゃないかな。
私もよく待ったもんです。
忙しいお母さん時代だったら、間違いなく帰っていたと思います。。。

ベンチの脚を点検・・・
おっ、これは何だ?
b0253075_11451257.jpg


b0253075_11474731.jpgしゅんすけくんの影なんですけど
不思議だねえ

そのうち、広い公園をぐるぐる歩き出して
足元の石を調べたり
水辺をのぞきこんだり
やわらかい芝生の起伏を楽しんだりしました。

b0253075_1154441.jpgいっぱい歩いたので、帰りはずっと抱っこ。
帰ったら、待ったなしに「まんま!まんま!」
あぁ思い出したぞ。
お母さんは、かくも大変だってこと(>_<)


昼ごはんの片付けをしていると
また外へ行きたいということなのでしょう、
「たーた、たーた」と言って
玄関の自分のくつを一生懸命かかえて
台所にいる私のところへ、よいしょと持ってきました。
あらま。

「ちょっと待っててね」と言うと
文字どおり、そこで待っていてくれるのですが(^^;)
かなりのプレッシャーを感じます。
それに、くつねぇ。
「あのぉ、そのおくつ、玄関に置いてきてもらえますか?」
と疑問形のお願い口調で頼んでみたのですが、
残念ながら、共同の課題にはしてもらえませんでした。。。


片付けを済ませてまた外へ。
少し眠たそうなので、あまり遠出はせず
(だって帰り道に抱っこするの大変ですもん)
家のすぐ前のベンチにすわって、カモさんやボートを眺めました。
しゅんすけはご機嫌で
またベンチの構造を調べたり、お歌を歌ったりしていました。

なんということもないお散歩でしたが
しゅんすけ、すごく楽しかったみたいで
娘が帰ってきてもテンションが上がっていて
寝かせつけるのが大変だったようです。


翌日曜日は、暖かいけれども曇り空。
夕方までに荷造りして新大阪に連れて行かねばならないので
午前中に、またお散歩しました。

今度は瀬田川沿いに南の方へ向かい、唐橋の手前あたりまで歩きました。
しゅんすけ、私と歩くことにもすっかり慣れて
川沿いの草の生えた道を、とことことことこ歩きます。

ある程度歩くと「とん!」と言ってベンチに座り
しばらくするとまた「あっち!」と言って歩き
また「とん!」と言って別のベンチに座り
の繰り返し(^^)
川沿いを行きつ戻りつして遊びました。

いちど、大きなハシボソガラスが目の前に舞い降りてきて
大きな声で「かあーかあーかあー」と鳴きました。
しゅんすけも私も、じっと目をこらして烏の動きを追いました。
烏が飛んでいってしまってから
「しゅんすけ、大きなカラスだったねえ。
 かあーかあーかあーっていったねえ」と話しかけると、
まるで大人のように
「ったねえ!!」とお返事してくれました。
(^o^)会話、できたねえ!


b0253075_11565053.jpg  このように至福の2日間はあっという間に過ぎ去り
  夕方に新大阪の会場へしゅんすけを連れて行くと
  娘の抱っこひもの中にすっぽりとおさまって、
  J先生やみんなに愛想をふりまきながら
  バイバイして行ってしまったのでした(;_;)

  あとに残ったのは、
  しゅんすけの気配だけが残るおうちと
  私の腕の筋肉痛・・・
  なのでした(T_T)


孫は来てよし往(い)んでよし
と言いますが、たしかに
まるまる1人でずっとおもりするのは、2日が限度かも。

これで、こうすけは3歳のとき2日×2回(娘の理論編受講時)
しゅんすけは1歳半で、2日×2回(同じく応用編受講時)、
濃密に私とお付き合いしたことになります。

娘はしっかりアドラー心理学のお勉強ができたみたいですし
私の方は、こうすけ・しゅんすけと仲良くなれるし
こんなふうにときどき預かると、みんながハッピー。
とっても嬉しいです。
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-03-13 11:59 | family | Comments(0)

スィートしゅんすけ

娘としゅんすけがやって来た金曜日の夜は
岡山からいただいたお大根を大きなJ先生が炊いてくださって(美味!)
しゅんすけご機嫌で、平和な夜がすぎました。
娘には忘れないよう、翌日の応用編の受付を頼みました。
家内産業です(笑)

土曜日、しゅんすけの朝ご飯の最中に
さりげなくJ先生と娘は出かけて行きました。。。
さぁ今から夕方6時すぎまで、おばあちゃまと2人だよ~


b0253075_073092.jpgしゅんすけは右手にしっかりとスプーンを握りしめ、
あいた方の手で(^o^)パンやチーズをつかんでお口に運びます。

ほとんど1人で食べてくれますが
ほっておくとどんどんつめこんでオエッとなってしまうので
少しずつ、お皿に置いてあげます。

すごい勢いで食べて、すぐに「ん」と指さして次を要求します。
「もうちょっともぐもぐしてからにしようね」
「ん!」
「そぉ?大丈夫かな・・・はい、どうぞ」
・・・ぱくぱくぱく「ん!」
「早いね・・・はい、どうぞ」
・・・ぱくぱくぱく「ん!」
「もぐもぐ、もぐもぐは?」
「ん!ん!ん!ちーじゅ!」
「あ、チーズね、はいどうぞ」
幸せそうに手にとって「ちーじゅー・・・」とうっとりしています。
きゃ、きゃわいい(>_<)

あらかたお腹が満ちてくると、ご機嫌にお話ししてくれます。
飾ってある写真を指さして「ん?」と尋ねるので
「それはダライラマ法王だよ~」(変な家かも?)
並べてある小物を指さして「ん?」「ん?」
「それは何かな~ランプでしょ、お薬のびんでしょ・・」
出窓の植木鉢をさして「ぱっぱ?」
「そう、はっぱだね~」
「ぱっぱー!」

それからもっともっとご機嫌がよくなると、突然
「ちゃ、ちゃ、ちゃ ちゃ、ちゃ、ちゃ」と歌い出しました。
おお、その音階は!?
ひょっとして、こうすけお兄ちゃんがピアノで練習している
『アビニヨンの橋の上で』ではないでしょうか?
ためしに歌ってみると、当たりだったようで、大喜び。
いっしょに「ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃ、ちゃーちゃちゃちゃ、ちゃーちゃちゃちゃ」
と歌いました♪

しゅんすけのお歌、
かわいくて萌え死にしそうです~~

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こうやってゆっくりご飯を食べ終わって
「おてて洗いにいこうか?」と言ってみると
「ん!」と抱っこを要求します。
ハイチェアーから抱き上げて洗面所で
小さな手を洗って拭いてあげました。

戻ってきて「おむつ替えようか?」と聞いてみると
「メ○ーズパンツタイプ」の袋を置いている場所まで
私を引っぱってってくれました(笑)
しかも袋から1枚取り出して、渡してくれます(笑)
はいはい、これはラクだわ(^^)


それからまた抱っこを要求され、おうちの中の探検に出かけました。
ひとりで歩いて探検するのは、まだちょっと恐いのかもしれません。
b0253075_9121445.jpg特に気に入ったのは私の寝室だったみたいで
ベッド横の窓から外の川を飽きずに見ています。

ずっと立って抱っこしているのもしんどいので
出窓に飾ったリンポチェのお写真や仏具に移動していただいて
そこにしゅんすけを座らせました。
「ほら、鳥さんいるよ」
「がぁが・・・」
「そう、がぁがぁだね。あ、ボートだ。お舟だよ」
いっしょうけんめい見ています。


娘は「おばあちゃまといっしょにいてね」とお話ししていたようですが
ちゃんと分かっているのかなあ。
お母さんがいないことについて、全く大丈夫なようです。

結果、一度も
ほんとうに一度も泣かずに
2日間、彼はご機嫌に過ごしてくれたのでした。
なんて協力的なんでしょう!

b0253075_0152870.jpg

パソコンやオーディオや
あちこち戸棚の引き出しを
もちろんしゅんすけは触りに行きました。

お兄ちゃんそっくりないたずら顔です!


でも対策はたててありますから、
注目しないで傍のソファーで本を読んでいたら

いつの間にか遊び疲れて眠っていました。
おおお♪♪ たまりませんなぁ。。。


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ばばバカにお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

b0253075_0193397.jpgまた来週も来るからね! by しゅんすけ♪

  <追記>
   大きなJ先生が一読され、
   「ばばバカすぎて涙が出るぅ~」と
   言われてしまいましたっ (^^;)

   ちょっとだけ反省して
   後日、パセージ的にどう対応したのか、などなど
   あらためて書かせていただきます(^^)
       
      
      
      
      
       
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# by prem_ayako | 2016-02-29 09:13 | family | Comments(2)

しゅんすけがやってくる

2月から3月にかけて、新大阪で基礎講座応用編を開催中ですが、
この応用編を鳥取に住む娘も受講したいと希望してきました。

娘は、理論編の方は、こうすけが3歳になってすぐに受講しています。
そのとき、私はこうすけのおもりを引き受けて
彼と大阪のあちこちにお出かけしたのでした。
その時のことはここにも書きましたが
私にとってもこうすけにとっても(^^)しあわせな思い出です。


娘が講座に参加して勉強するためには、まわりの協力が必要です。
私ひとりで子ども2人をみるのはちょっと大変なので
5歳のこうすけは、残っておうちでお父さんと過ごしてもらうことになりました。
1歳半のしゅんすけは、今度はこの滋賀のお家で、私が面倒をみるのです。
ええ、ええ、協力しますともっ♪


ただ、しゅんすけにとっては
自分のおうち以外でお母さんと離れるなんて、生まれてはじめての体験です。
これは大冒険であります。

寒い時期だから、あまり外で遊ばせられないし
それにまだ、外歩きはヨチヨチであぶなっかしいです。
しゅんすけはこうすけほど私に慣れていませんし
3歳のこうすけを連れ回したときとは、勝手が違います。

しゅんすけもかなり長時間泣き続ける力があるので(^^;)
下手をするとお母さんが帰ってくるまで
1日中泣き続けることになるやもしれません。

まぁそうなったらそうなったで泣かせ続けるしかないよね、と
娘も私もハラはくくっているのですが

子どもって、陰性感情にとらわれるとどんどんエスカレートしていくから
(あ、これは大人も同じか ^_^;)
彼にとって慣れないおうちだから、危険なこともあるかもね。。。

ともかく、しゅんすけさんをお迎えするために
できるだけ環境を整えることにしました!


お正月に来たとき、しゅんすけはあやうく
大きなJ先生のパソコンをダメにするところでした。

はじめ、オーディオの電源スイッチを触り始めたころは
大きなJ先生も「まあ大丈夫でしょう」と静観しておられたのですが、
そのうち連続してオンオフし始めて
しかもオーディオから移動してパソコンの電源までもオンオフしだして・・・
「おっとそれは」と思ったときはもう遅く、
とりあえずコンセントを抜いて対応しましたが
彼が夜寝た後、復旧するのに、相当、時間がかかりましたm(_ _)m

ボタンを押すのが大好きなお年頃なんです~
しかも、押したら光ったり色が変わったりすると
もう夢中です。。。
まぁその気持ちもわかります。

これらの経験から学びましたので
オーディオもパソコンも
もとのコンセントから、電源を抜いておくことにしました。
スピーカーにはちゃんとネットをかぶせておきます。
触ってほしくない細々としたものは、すべて手の届かないところに上げました。
(1歳半ですからね。
 椅子を持ってきてそれに乗って触るという知恵は、まだありません(^_-)


お昼ご飯は、私としゅんすけと2人きりになりますので、
しゅんすけの好きなもの。これ大事!

事前に娘にリサーチしました。
少しアトピーがあるので
牛乳、牛肉、ヨーグルトは食べられません。
バターは大丈夫です。
好きなものは、チーズ、バナナ、パン、
にんじん、トマト、ブロッコリー、ほうれん草、とうもろこし。
じゃがいも、さつまいも♪
お魚も大好き。

応用編の前日の金曜日までに
大量の食材を買い込んで
もちろん草津でお気に入りの食パンもゲットして
準備完了です!

さぁ、いつでもいらっしゃ~い(^o^)
          
           
            
            
             
               
                 
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# by prem_ayako | 2016-02-29 00:03 | family | Comments(0)

Family Bond

年末から年始にかけて
この家にも、いろんなお客さんがいらっしゃいました。

大晦日には、大きなJ先生の娘さんたちが来てくれました。
よく食べ、よく喋り、数時間過ごして
お正月をお母さん(先生の元妻さん)の家で過ごすべく帰っていかれました。

年始には、J先生の姪の、新婚のMちゃんが
旦那さんといっしょに来てくれました。

同じ日、娘が孫2人を連れてやってきました。
娘とMちゃんとは初対面だったのですが
すっかり意気投合したみたいで、メルアド交換までしていました。

彼女たちは2人して、自分たちの関係は何なんだろう?
と首をひねっていました。
血はつながってないけど
いとこ?はとこ?
親類が離婚したり結婚したりすると、ややこしいよね
って(^^;)


娘はそれから3泊したので、
来客用に整えてあったわが家も、
あっという間に孫っちくんたちに荒らされてしまいましたが(笑)

b0253075_1063094.jpgJ先生とこうすけはラブラブの仲良しなので
ふたりでスーパーへ買い物に行ったり
川へ釣りの練習に行ったりして
男同士の時間を堪能していたようでした。

私と娘は、家の中で床暖房をつけてぬくぬく。
しゅんすけのお守りをしながら
女同士(+しゅんすけ)の時間を堪能しました。

娘一家は、年末から大移動をしてきていて
まず、旦那さんの実家の香川に行って4泊。
年明けに神戸の父親(私の元夫さん)の家に移動して1泊。
その際、元夫方の祖父母の家へ挨拶に行って、
私の両親のそれぞれの施設へも寄ってくれて

その後、旦那さんは車で鳥取に戻ってお仕事。
娘たちは電車で滋賀まで来たのです。

「いろんな家に行ったけど
 お母さんの家がいちばん落ち着く
 J先生と2人でいても全然緊張しないし」
と娘は言います。

b0253075_1093849.jpg 不思議なものですね。
 家族って何なんでしょう?

 血がつながっているから気が合うとか
 血がつながっていないから気が合わないとか
 そういうことではないんだなぁ、と
 だんだん思うようになりました。

私は11年前離婚したとき
家族を失ったと思いました。

子どもたちとの血のつながりは切れませんが
名前は変わりますし、法律上の親でなくなりますから、
「家族」でなくなってしまったように、考えていました。

でも、そうではなかったようです。

家族は、血のつながりでもないし
法律の上のことでもないし
また、一緒に暮らしているかどうかで
決まるものでもないようです。

あえて言うなら、絆 bond ・・・
つながり続けたい!という意志が形になったものを
家族と呼ぶのかもしれません。


離婚して元夫と家族であることに
自分の意志で終止符をうったとき、
実は子どもたちとは家族のままであったのに
勇気がくじかれていて、そうは思えなかったみたいです。

そうではなく
子どもたちにとって私はずっと家族だったし
私にとっても子どもたちはずっと家族だったのです。
何も失ってはいなかったのです。


家系図は、基本、下にいくほど広がりますよね。

父や母の代はやがて消えますが
子どもたちが結婚すれば、その家の方たち同士がまたつながり
家族は増殖していきます。

この絆を大事にしよう。
家族だけでなく
師弟関係も、友だち関係も
縁あって出会った人たち。
自ら決断して断ち切らない限り、
絆が切れることはありません。

b0253075_10115554.jpg

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# by prem_ayako | 2016-01-23 10:18 | family | Comments(2)
例年、年末のスピリチュアル・ワークは
その年のカレンダーの具合で
2泊3日にしたり3泊4日にしたりしていましたが
昨年末のスピリチュアル・ワーク@比叡山坂本は
思いきって、前後半に分けた4泊5日で企画してみました。

事務仕事は煩雑でしたが、
半分だけ参加された方も、通しで参加された方も
それぞれにメリットがあって満足していただけたようでした。

私自身も、
ふだん主催者側にいるとなかなか瞑想に没入できないのですが、
今回は1日だけでしたが「黙想」行を行うことができましたし、
できあがったばかりの「三十七の菩薩行」をみんなでお唱えすることもできて
とっても良かったです!

ところでワーク中、先生から「今の気分を絵に描いてください」
という指示が出ることがあります。
各自、そのたびに何の変哲もないA4のコピー用紙を1枚ずつとって
心のおもむくままただ描いて、
誰かに見せることもないまま持ち帰るのですが

・・・今回、後になって順に並べて見てみると
下手な絵なりにけっこう面白かったのでした。
なので、ちょっとばかり振り返ってみたいと思います。
もしよろしければお付き合いください。

(1)ワーク初日、開始後すぐに描いた絵。
b0253075_21144555.jpgまず山をふたつ描きました。
空を半分おおう雲。
そして川(湖?)の岸を歩く人物。

人(=私)は画面の下の方にいて、
全体の景色からいうと、とても小さな存在です。
雲はなにか、襲ってくるような不穏な形をしています。


(2)同日、瞑想後に描いた絵。
b0253075_21175812.jpg同じく山ふたつですが、
その間を川が流れ
谷間を歩く人がいます。
空は晴れてお日さまが出ています。

私は谷川に沿って
画面の向こう側へ進んでいるようです。
この向こうには何があるのかな?
少し希望をもっているようですね。

(3)ワーク2日目の夜、何度も瞑想をした後の絵。
b0253075_21185649.jpg逆巻く大きな波ふたつ。
それとも波ではなくて山なのでしょうか?
その上を、走っているような飛んでいるような人物がひとり。
雲から出ているのは光でしょうか?稲光?

観音菩薩さまのご存在をありありと感じる
そんな体験の後に描いたので
もっとおだやかな
お悟りのひらけた絵になるかと思いきや・・・

なんだかたいへんなことになっているみたいです。
「今の気分」は混乱中なのでしょうか。
我ながら謎な絵です。

(4)ワーク3日目。
b0253075_21194593.jpg波一つない水面。
月と太陽が並んで出ていて
それぞれ水面に影を落としています。
手前に水鳥が2羽、浮かんでいます。

今までと同じように心の向くままに描いたのですが、
描き終わってからこの絵を眺めて
私は泣きそうになりました。

この絵の構図は、
うちにあるクンツサンポ(法身普賢)のタンカと同じです。

この真ん中の空間に
月と日とに荘厳された
クンツサンポさまがおられるのでしょう。

法身は見上げるほどに巨大で
虚空と同じで虚空に融け入っていて
私の目には見えないのだけれど
たしかにこの空間におわします。

これは法身顕現の絵ではないでしょうか。
・・・そのことに
私の無意識さんは、確信をもっているようです。

それを眺める水鳥は、うちの窓の外のカモさんたちでしょうか。

おりしもクリスマス、しかもチベット暦満月の夜。
この後、露天風呂から、首が痛くなるほど高くに上った満月を眺めながら
何度もこの絵を思い出して幸せにひたったのでありました。

(5)ワーク4日目、最後の夜。
b0253075_21212383.jpg月が出ています。
平らな地平線に立っているのは(絵が下手でスミマセン)
十一面千手観音さまです。
しっかりした道が観音さまに向かって通じていて
私はどうやら、観音さまとお会いしたようです。

最初の方の絵にあった2つの山は
波のように激しく揺れて崩れていったのでしょうか。
もうどこにもありません。
ただもう、まっすぐな線になりました。

そんなむずかしいことを考えながら描いたわけでは全くありません。
頭ではなく、手が描いた感じでした。

やっぱり4泊5日も瞑想を繰り返すと
私の心も、こんなふうに鎮まるみたいです。
絵にその過程が現れているようで、とてもありがたいです。
おんまにぺめふむ。。。

しかし単純な絵だ・・・(^_^;)
(絵はクリックすると少し大きくなります)
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# by prem_ayako | 2016-01-02 21:37 | tibet | Comments(0)

2015年大晦日

あれこれ書きたいことはあるのですけど
もうタイムリミット(>_<)
駆け込みで、ざざっと2015年のまとめをいたします。

FAMILY

激動でした。。。

1月に父が施設入所(要介護)。
10月末に母も施設入所(要支援)。
そして私は、11月初めに滋賀へ転居。

去年の年末は、
父が何をするのにも母がつきっきりで世話をしていて、
両親ともに疲れ切っていました。

今の父は、スタスタ歩いて自分で用を足しますので、
施設に入って自立度はずいぶん上がったように思います。
認知の方は、年相応にだいぶ進んだようですけど・・・。

母の方は、あれだけ父のお世話をしていたのに
別居したら父への関心が薄れてしまったのか・・・?
それでもよく食べるし
しゃきしゃき動いているようなので、とりあえずは安心です。

結局、両親と同じ家でお正月を迎えたのは1度きりになってしまいました。
去年がんばってお節料理を作って、たくさん食べてもらえたので、
本当に良かったなぁと今になって思います。

そういえば、1年前には大きなJ先生のお母さまにも
作ったお節を持って行って、食べていただいたのでした。
お母さまは6月に亡くなられたので、
これは本当に最後になってしまいました。

老いや死について
考えることの多い年でした。。。


今年嬉しかったことの筆頭は、
娘が本気でアドラー心理学を学び始めたということです。

彼女が基礎講座理論編を受けたのは一昨年、
パセージを受けたのは昨年ですが、
今年は、一歩すすんで
鳥取市内でアドラーの仲間を増やすべく
パセージを計画したり、プレ・パセージを開催したり、
来年からは、小さな自助グループを始めようとしています。

5才のタフなこうすけと
1才の小タフなしゅんすけの子育てを通して
娘は本当にタフなお母さんに育ちました!(笑)

思うに、この娘だからこそ
こうすけが母親として選んで生まれてきたのではないかしらん。
(でないと、こうすけのあり余るエネルギーは不適切な方向に発揮されてしまうかも)
娘のブログも面白いので、機会があれば読んでやってくださいませ。


私自身については、ついに
大きなJ先生と同じおうちで暮らすようになりましたが
今のところ、けっこうそれぞれのペースで動いておりまして、
なんというか、シェアハウスしているみたいで快適です。

それに、規則正しい生活習慣をもった方が家の中におられると
私の方の生活も、いきおい規則正しくなりますね。
ひとり暮らしだとお昼ごはんを抜いちゃったり、
食べた後の食器を、洗って伏せたまま寝ちゃったりしてたけど

こちらへ越してきてからは、
毎朝だいたい決まった時間に起き出して
3食きっちり食べているし
食器やお鍋もそのたんびに、きちんと片づけるようになりました。
なにより、日課の瞑想をさぼりにくくなりました!

どんだけ怠惰やってん!
って感じですけど・・・


ADLERIAN PSYCHOLOGY

ありがたいことに今年は
ライフスタイル分析のお仕事をあれこれさせていただきました。

近頃とみに感じるのは、
ライフスタイル分析を終了されたクライエントさん方の、めざましい成長ぶりです。
もう私などの手の届かないところへ、ぐんぐん伸びていかれます。
それはもう感動的なほど!
セラピスト冥利につきると申せましょう。

クライエントさん方は、ある時点でふっと、
ご自分の本来の居場所に気がつかれるのでしょう。
ああ、私(セラピスト)を越えられたな、と感じる瞬間があります。

私のお仕事って、
鮎の川上りのお手伝いみたいなもので・・・
堰のところでちょっと滞っている方々を
ちょっとだけ助けて堰を越していただくことなのかもしれません~

私はずっと川のその場所にいて、移動しないんです。
成長もせず、ただそこで見張っていて
落ちてきた鮎さんをひょいひょいっとすくっては、上に上げてあげる。
そして、元気になって旅を続けるみなさんの後ろ姿を見て、喜ぶの。

これは、本当にいいお仕事だと思います。
この力と貢献の機会とを私に与えていただけたことに
心から感謝します。


ライフスタイル分析以外にも、パセージ・プラスを、
おかげさまで今年は2コースさせていただきました。
やっぱり私はパセージ・プラスが大好きなので、
来年もまたどこかでご縁がありますように(^人^)

またこのところ、パセージ開催のご依頼をいただくこともありまして
(まだ実現していませんが)
実は私、長年パセージを開いていませんし
自助グループも1年前にやめてしまいましたので

これはいかんな、と思いまして。

1月から某所で
パセージのサブリーダー研修を受けることに決めました。

・・・「なんて下手くそなの?不合格!」って言われたらどうしましょう?
そんなことにならないよう
これからみっちり予習復習いたします。

というわけで、来年もアドラー心理学のお勉強、忙しくなりそうです!


TIBETAN BUDDHISM

チベット語に関しては

2011年12月から4年にわたって手とり足取り教えてくださったM先生が、
第2子のお目出度のため
残念ながらレッスンを続けるのはご無理ということになりました。
チベット語のあいうえおから、ここまで読めるようにしていただいて、
本当に感謝しています。

ラサ語の発音をスパルタ特訓してくださったR先生も
今は連絡がつかず、

しばらく休憩かなと思っていたら
なんとお友だちが、早速次の先生を見つけてきてくださいました。

すでに先日から、新しい先生とのレッスンが始まっています。
新しいW先生は、あまりチベット人気質じゃなくてきちんとしておられるので(笑)
ちゃんと予習していかないとたいへん困ったことになるということが、
初回のレッスンで判明しました。

なので、来年も細々と
チベット語の勉強を続けていくでありましょう。

しかしいかなるご縁なんでしょうねぇ?
チベット語に関しては、めっちゃいい加減なのに
次々と学ぶ機会がやってくるというのは・・・。


今までのレッスンで学んだノートを総動員して
J先生にお伝えし、
先生に「三十七の菩薩行」の韻文和訳を完成していただけたのは
今年、私にとってもたいへん嬉しかったことの1つです。

私のゆるゆるとしたお勉強も
少しはお役に立てていただけたわけで・・・(^^)v

ちなみにJ先生のこの和訳はホントに素晴らしいもので
後世に残る菩薩行だと確信しています。
夢中になって読んでいると、鳥肌がたちますし、
チベット語原文と韻文のリズムがぴったり合っているので
日本語から原文が浮かんでくるほどです。

ありがたいありがたい。


過去にここにも書きましたが
仏さまに見守られているという感覚は
今年6月と秋とに、ピークに達しました。

J先生のお母さまが亡くなられた直後に
ガルチェン・リンポチェとお会いするためシンガポールへ飛びました。
これだけでも滑り込みギリギリのタイミングでしたが、
その上に私はお母さまのお葬式後の夕方に、
M先生にお会いして完成したタンカを受け取り、
それを持って行って、リンポチェのご加持をいただくことができたのです。

お母さまのご寿命、
M先生のタンカ制作の進み具合、
1年以上前から決まっているリンポチェのスケジュール、など
いろんな大きさのいろんな歯車が、
J先生がリンポチェにお母さまのご供養をお願いし
私がリンポチェにタンカへのお加持をお願いした
シンガポールのお寺のあの一室での15分間に、ぴったり噛み合いました。

稀有なり世尊・・・

ものごとの流れは、私たち衆生には分からない大きなところで決まっています。
これをダルマと呼ぶのかもしれませんが、
そこには、絶対的な「善意」が存在しています。
別の言い方をすれば、
それは「観音さまに守っていただいている」ことだといえます。

同じようなことが、引っ越しを巡っても起こっておりまして

神戸の家を私が出るという方向で、兄と話をしたのが8月。
9月に転居先は決まったものの母を置いていくのが難しく、
それでもいいからと兄が言うので
引っ越し日を先に決めてしまいました。

そうしたら10月25日に施設の部屋に空きがでて、
10月30日に母が入所。
私は11月5日に引っ越すことができたのでした。

神懸かり?
いえむしろ、
いつもずっと見守っていただいているのに
私たちの方が、なかなか気がつかないだけなのでしょう。
気をつけていれば、この世はかなり奇跡的なのかもしれません。。。



さて今年もあと数時間です。

来年は、親族みなが息災でありますように。
一切衆生のために私の力を使えますように。
日々散乱することなく仏さまとともに暮らせますように。

今年一年お世話になり、どうもありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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# by prem_ayako | 2015-12-31 17:17 | others | Comments(2)

ギリシア悲劇

春の秘訣講座で心理劇の練習をさせていただきました。
そのときのことはここに書きましたがが、
その後カウンセリングの中で何度か
サイコドラマを使ってみました。

ところがですね、
ある程度こなせるんですけど、
なんといいますか、「ドラマ」になっていない・・・ のです。
手順を追って解決までいくのに精一杯で
ちっともおもしろくない!
と自分で思うのです。。。Orz

これじゃ、ロールプレイを大がかりにしただけじゃん。
サイコドラマって、もっとこう、ぐっと情緒に訴えかけてくるものでしょ。
でないと、威力がないもの。

・・・そうなんです。
これは違うよね、ということろまでは自分でも分かるんですけど、
ではどうやったら正しいものにになるのか、それが分かりませぬ。

などとぶつぶつ言っていたら、
大きなJ先生がヒントをくださいました。
「君はギリシア劇を読んだことある? 読んでみたら?」

ほ。ギリシア劇?

素直な私は、さっそく検索して
『ギリシア劇集 田中美知太郎編』という古本を
800円で手に入れました。
有名なアガメムノン、オイディプス、メーディア等の悲劇8編と
喜劇4編と、全部で12編が収められています。

そしてさっそく読み始めたのですが、これが面白くて面白くて。
夢中になって、暖房のきいた床にぺたんと座り込んで、どんどん読んでおります。
(これで800円は安い!)

で、とりあえず悲劇8本を読み終えましたので、
サイコドラマとの関係について考えたことを少しまとめておきます。

【主訴】

ギリシア悲劇は、なにはともあれ
「悪いあなた、可哀相な私」で話が始まります!

共同体感覚ゼロです(笑)
思い切りタテ関係です。

どのお話も
運命の酷さを呪ったり
極悪非道な仇を口をきわめて罵ったり

こんなにも私は耐え忍んでいるのに
なんでこんなにも惨めな状況なの?!
それはあの人が悪いからよっ!!
というモノローグから、たいていは始まります。

いつも、とことん嘆くか怒るかしています。
なかなかすごいです。
まぁこれがないと話にならないんでしょうけど。

つまり・・・主人公がもしアドラー心理学を知っておれば
話は始まらないんですよね。

主人公は感情を制御せず
権力争いあるいは復讐に突っ走りますので
当然のことながらピンポンゲームあるいは復讐の連鎖となり
まわりも本人もさらに不幸になっていきます。
(そのへんの盛り上がりがドラマ)

だからこそ、
まず最初にクライエントさんの出された問題を
思いっきりおおげさに増幅してみせることで
ドラマが始まるのですね~

クライエントさんの問題を
客観的に、何が起こっているか俯瞰して見ること。
それをカリカチュアライズして示して見せること。。。
ここをつかむのが大事なんだなって思いました。


【技法】

ギリシア劇に独特の技法としてコロス(コーラス)というものがあります。

たとえば「オイディプス王」では、
オイディプスや預言者やイオカステなどの役者の他に、
テバイの長老たちからなる合唱隊(コロス)というものがつきます。

物語の進行役は、
このコロスかもしれません。

各々の登場人物は、それぞれ自分の考えに捕らわれて
勝手なことを語りますが

コロスは全体を外から眺めて
ときに、登場人物が語らない過去のいわれや伝承を唱います。

当時のコモンセンスからみて、この出来事は善なのか悪なのか
作者はどういう立ち位置にいるのか
登場人物は気の毒なのか愚かなのか
あるいはやむを得ないことなのか、
そういうこと全て、コロスが語ってくれます。

コロスによって、今起こっている出来事が
全体の中で何を意味するものなのかが、明らかになるのです。

役者同士の緊迫した対話や独白。
無駄のないこれら台詞の力もすごいのですが

その合間合間にはさまれるコロスが
役者の行為や感情への客観的なコメントとなっていて、
とてもおもしろいと思いました。

2500年前の物語がこうやって今に残っているのもすごいですけれど、
ドラマというものの基本の骨格は、まさにギリシア悲劇にあるんだ~
ということが分かりました!


【結末】

ギリシア悲劇には、平等の位置の結末がありません。
必ず犠牲が出ます(>_<)
それもかなり血みどろです。

ギリシアの神々はときに人間をたいへん惨い目にあわせますし
他の部族の神々に対しても、たいへん競合的です。

むかぁしむかし、たまたまテレビで
「クナウカ」という日本の劇団が「アンチゴネ」を上演していたのを見ました。
ものすごくおもしろかったのですが、
あまりのおどろおどろしさに
しばらくうなされました(泣)

蜷川幸雄さんもギリシア悲劇がお好きみたいですが、
むかし、何かの舞台写真を一度見まして
その衝撃に、今でもその画を忘れられません・・・
いやもう、恐くて、とても舞台など観に行けません。
(視覚型だからでしょうか、映画でも刺激の強いものを見ると
 映像が蘇って夜寝られないことが多いのです。子どもか!)

字で読むだけで、はい、じゅうぶん恐いです~

・・・・・・・
で2500年たって現代の私たちは
ここから少し成長していなくてはなりません。

アドレリアン・サイコドラマと呼ぶに値するものは、
ギリシア悲劇を越えるもの
ギリシア悲劇を否定するものでなくてはならないと思います。
私たちは競合的な結末を、
幸せな平等の物語に書き換えなくてはなりません!

が、これはこれで、また別の修業が必要です(^_^;)

結局は、暮らしの中で「平等であること」を学んでいくのが
キモなんですね~


ともあれ、800円の古本でずいぶん勉強できました。
さんくすあらっと。
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# by prem_ayako | 2015-12-22 21:35 | psychology | Comments(1)

Drupwang Rinpoche

6月にシンガポールで出会った Evelyn 夫妻と
この日曜日、大阪で再会しました。

旦那さまの Dr.Lee は、病院経営者でもある内科のお医者さま。
Evelyn は、大学で日本語を専攻した日本びいきです。
親戚たち9名(!)のグループで
2週間の日本旅行を楽しんでいるんだそうで、

来日してすぐに和歌山、串本、伊賀の忍者屋敷を巡り、
この日の昼間は京都の清水寺を訪れて、
翌日からは広島に行くんだとか。
その後、名古屋にも東京にも。
Crazy~~~(^_^;)

お豆腐料理を食べながらいろいろお喋りしましたが、
私にとって、この日いちばんの収穫・・・というか、
karmic bond(前世の因縁?)を感じたのは

ドゥプワン・コンチョク・ノルブ・リンポチェ(Drupwang Konchok Norbu Rinpoche)のお話です。

ドゥプワン・リンポチェは、ディクン・カギュの高僧でいらっしゃいますが
ただの高僧ではなくて、まごうことなき siddha(成就者)であられます。

b0253075_1194165.jpg頭の上に巻いた髪は、お籠もりの印・・・
何年も何年も山奥の洞窟などに籠もって
修業をされた証しです。

お写真を拝見するだけで、
私などはもう、ゾクゾクしてしまうのです。
(大きなJ先生の表現では、
 fell in love しているという・・・)

この方には、いつも小鳥が寄ってくるとか
重たい石のマニ車を手を触れずに回されたとか
岩に足跡をつけられたとか
いろんな逸話が伝えられています。

ダライ・ラマ猊下のことを大好きで
また猊下もリンポチェをとても頼りにされていて
「まだあっちへ行ったらあかんぞ」と何度も
お引き留めになられました。
それで、ご自分のおつもりよりも
少し、長生きをしておられたのです。


そしてここからが、この日 Dr.Lee から伺ったお話です。

ドゥプワン・リンポチェはシンガポールで
何度かマニ・リトリートを開いておられました。
2007年12月のクリスマス前、
シンガポールの空港に降り立ったリンポチェは
すでに相当、具合が悪くなっておいででした。

すぐに、市内のディクン・カギュのセンターに運ばれて、
センターの一番近所に住んでいたお医者さんが呼ばれました。
その医者が、Dr.Lee のお友だちだったのです。

リンポチェの状態は、もうとてもお悪くて
意識不明になられました。
お医者さんは、すぐに救急措置を施さなければなりませんでした。

病歴など全く分からないまま、
近所に住んでいるからというだけで
海外から着いたばかりのチベット僧に
いきなりの心臓マッサージ。

それでもベストを尽くされたのですが
その甲斐むなしく・・・リンポチェは遷化してしまわれました。
86歳だったということです。
ガルチェン・リンポチェはじめ、多くのディクン・カギュの高僧方が
その後移された病院に、続々と集まってこられたといいます。


そのお医者さんは、仏教信者でもなんでもなかったのですが、
ご自分の初期治療が悪かったためにリンポチェを救えなかったのではないかと
とても心苦しく思われたそうです。
そしてディクン・カギュの信者になりました。

それからわずか2年後、
まだ若いそのお医者さんが
末期癌であることが分かりました。

Dr.Lee を含む友だちや同僚の方々は
彼のベッドを取り囲み、
みんなでオンマニペメフンを唱えて彼を看取りました。
誰もディクン・カギュではありません。
ただ、死んでいくその彼が望むので、
小乗仏教(テーラバーダ)の友だちも、彼に聞こえるようにマニを唱え、
クリスチャンの友だちも、彼の目の前に観音菩薩の絵をかかげて見せました。

彼は幸せそうに逝ったといいます。

Very touching story....

ドゥプワン・リンポチェがシンガポールに来て亡くなられたのは
この彼をディクン・カギュに帰依させ彼の魂を救うため
そのためだけだったのではないかしら?

というのが、Evelyn の意見です。


私は残念ながら、ドゥプワン・リンポチェにお会いしたことがありません。
YouTube の Yogis of Tibet でお姿を拝見しただけです。

このビデオにはディクン・カギュのリンポチェ方が大勢出演しておられて、
お若いガルチェン・リンポチェも、サーモグラフィーの実験に協力しておられます。
しかし、当時の私がもっとも強く惹かれたのは、
ガルチェン・リンポチェではなく
ドゥプワン・リンポチェでした。

あぁこのような方のお側にいたい・・・と感じていました。
(まぁ、ほぼ小鳥と同じレベルですね)
すでに亡くなっておられると知って、とても残念でした。

Evelyn に言わせると、それもまた karmic bond なのだそうです。
「だって私たちは3度も(マニ・リトリートで)お会いしたけれど
 ドゥプワン・リンポチェに fell in love しなかったもの」


今年6月、あれだけ多くの人のごった返すその中で
声をかけられ親しくなって
さらに半年後、日本で会う機会を得たこの人たちが、
実際にドゥプワン・リンポチェとまみえ、
深いご縁のあったお友だちのお話をしてくださるとは!

ほんとうに不思議なことです。
ほんとうに珍しいことです。



つい昨日もまた、
あるチベットがらみのお友だちが
ガルチェン・リンポチェの「ガンジス川のマハームードラ」のテキストを
送ってきてくれました。

マハームードラのテキストはインターネットにいくつか落ちていますが、
<ディクン・カギュの><ガルチェン・リンポチェの>テキストそのものは、
やはりネットでは手に入りません。
微妙に語尾や語順が異なっていることがあるので
私としては、ぜひ<リンポチェの>ものをコピーして
ゆっくりと勉強していきたいと思い、お願いしてみたのです。

なんとありがたいことに!
彼女は貴重なご自分の冊子を、そのまま送ってきてくださいました。
彼女の為された福徳に随喜いたします。


小さな縁が、確実に何かを紡いでいっている・・・
私はこうして少しずつ
何かの糸をたどっていっている・・・
なんだかそんな気がしています。

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# by prem_ayako | 2015-12-16 11:27 | tibet | Comments(0)

神戸は美味しい

先週末は、神戸へ基礎講座理論編のお手伝いに行きました。

会場を予約した時点(7月ごろ)では
大きなJ先生は大阪に住んでおられたし
もちろん私もまだまだ神戸にいるつもりでしたので
神戸の会場が便利よねっと思っていました。

でも突然年内に引っ越してしまったので、
自然の結末により、大津から神戸まで
早起きして通わねばならないことになりました(-_-;)


おおかたの読者の期待をうらぎるのではないかと怖れておりますが
今日はアドラー心理学のお勉強のお話ではなく
(あ、いつものことか・・・)

やっぱり神戸はおいしいお店が多いわ~
という
神戸グルメ情報をご提供したいと思います。
誰にも求められておりませんが(^^;)


神戸といえばケーキ屋さんですよね~♪
中でも、抜群に美味しいケーキ屋さんを見つけました!
ブランジェリー・コムシノワ

むかしむかし・・・といっても結婚した後ですが、
お正月や息子の小学校入学のお祝いなど、特別な日に、
両親がこのお店を予約してくれて、よくご馳走になりました。
そのころはケーキ屋さんじゃなくて
南京町にある小さなフランス料理屋さん「コムシノワ」だったのです!

理論編の会場から少し歩いたところに
ほんとに偶然このお店の看板を見つけて、
コムシノワといえば・・・!と記憶が蘇り、
「ここだったら絶対においしいから!」と、
しばらく席が空くのを待って
その上、半ば強制的に、先生やお友だちにも
ケーキを食べるように勧めたのでした。

私は洋なしのタルトを食べたんですけど
キンキンに冷えたお皿にのってきた、そのタルトのおいしいこと!
クリームが全然違うわ~(うっとり)
軽くて、あっさりしていて、
まるで何も食べていないようです!(そんなはずはないが)
口の中にただおいしさだけが残る、そんな感じ~

大阪にもおいしいケーキ屋さんはたくさんあります。
もっとずっとお高い有名店でいただいたこともありますけど
ケーキに関しては、やっぱり神戸のが私の口には合うようです・・・

死ぬ前に「け、け、ケーキを食べたい」ともし言ったとしたら
誰かここのを買ってきて(笑)

先生もお友だちも満足してくださったようで、良かったです♪


そしてもう一軒、
トアロード・デリカテッセン

実は私、朝の受付のお仕事を済ませてから
受講生のみなさんが一生懸命お勉強なさっている間に・・・
いろいろ神戸での用事を片付けるべく
こっそり?外出させていただきました。

父に会いに施設に行ったり
孫っちくんたちのクリスマスプレゼントを物色したり
などのためです(^_^;)

それでひとりでランチもしたんですけど
デリカテッセン2階のサンドイッチハウスに初めて入りました。

1階のお店はむかしからよく来ていて、
手土産用にやらお正月用にやら、まとめ買いをしたものです。

私のコールドミート好きは、このお店の味がルーツかもしれない
というぐらい、
ここのスモークサーモンやパテは美味しいのですよ!

サンドイッチでは多いかなと思ってランチプレートにしたんですけど、
1080円でこんなにボリュームがありました。

b0253075_1621167.jpg
パンはあつあつのふわふわ(^^)
ハム各種にチーズ、ローストビーフ、
サラダには私の大好きなスモークサーモンがのっかっていました(^o^)

ここも、誰かを誘ってまた行く価値がありますね~
ただ12月は
サンドイッチハウスの方はお休みのようです。
1階の店舗が忙しくて手一杯なんでしょう。


トアロードにはお洒落なお店が多くて
以前書いたことのあるラクシュミという紅茶専門店も、
デリカテッセンから少し北に上がったところにあります。
ここで、お気に入りの「はちみつ紅茶」を買うこともできました。


こうすけとしゅんすけには
Perzyというウィーンのメーカーのスノードームを買いました。
スノードームが欲しいとリクエストをもらっていたのです。

あれこれ迷ったあげく、
こうすけには森の中のおうち、
しゅんすけには雪だるまさんを選びました。

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美味しくて充実した楽しい週末でした。
さて2週間後の理論編後半ではどこへ行って遊ぼう?
違うか・・・(^_^;)
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# by prem_ayako | 2015-12-03 20:48 | others | Comments(0)

レインブーツ

子どもが小さい頃は、
幼稚園の送り迎えとか学校行事とかいろいろあったので
それなりにレインブーツや
雨の日用のパンプスを持っていました。

でも、古くなったし
雨の日に絶対出かけなきゃいけない機会も減ったので、
いつしかさよならしました。

それ以降、
まぁ毎日通勤するわけでもなし
ずっと町中に住んでるわけだし
レインシューズがなくても、なんとかしのいできました。

昨年末、スピリチュアル・ワークで雪の丹後半島を訪れる機会があって
急遽「ふつうのズック靴に見えるけど、実はゴム引きのレインシューズ」
ってものを買ってみました。

かわいいデザインで
丹後半島でもとっても役だったし
その後も重宝してるんですけど

ただ、丈が短くて足首まわりが広いので
ひどい雨だと、上から雨が入ってきてしまいます。

それにちょっとサイズが大きくて、少し重たくもあり、長く歩くと疲れます。


舗装道路しか歩かないような生活を長くやっていますけど、
コンクリートの道といえど、これでなかなか・・・
まったく平坦な道というものはない、ということが、
雨の日にはよく分かります。

最近は長いめのレインブーツがはやりなのか
少しの雨でも長いブーツを履いている人が多いですね。
むしろ車で移動しない街中でこそ、レインブーツが必要なのかも。
しっかりした雨靴を履いている人を見かけると
あ~あの人は足が濡れなくていいなあ~とうらやましく思います。

うっかりミネトンカなんか履いて出ちゃった日にはもう、
水たまりに足を突っ込まないよう、全神経を集中して歩かねばなりませぬ。
日が暮れてからの黒く光る水たまりに
つい入ってしまったときの敗北感といったら・・・(大げさ?)

はい、足もとが濡れるの、大っ嫌い!!なんですぅ。


大津に越してきて
やっぱり、ちゃんとしたレインブーツを買おう!と思いました。

なんででしょうかね、
そばに川があると
雨の日の「雨感」がハンパない気がします・・・(意味不明)

ともかく
今回は妥協しないぞ!
履きやすい、足の濡れない、
私の足にぴったりあった、
しかもお洒落なレインブーツを買うのだ!
という覚悟で
梅田あたりであれこれ見ましたが

どれもなんだかゴツすぎて
しっかりしているけれど、たいがい重たいのです・・・
下駄箱で場所をとりそうだし。

なかなか、これ!というものが見つかりません。

あ~またレインブーツを買わないまま今年も暮れてゆくのかなぁ
・・・なんてあきらめかけていたある晩、
なにげにインターネットを見ていて目に飛び込んできたのが、
日本野鳥の会の「バードウォッチング長靴」というものでした。

b0253075_10584076.jpg


即買いました(^o^)

この、機能的なデザインがいいよね。
とても軽くて
足の部分はしっかりしているんですが、
足首から上はとても柔らかくて
くしゃくしゃっとたたんで長さを調節できます。
ブーツインもできるし
ぎゅっと絞ることもできる。
しかもたたんで持ち運ぶための袋までついている!

色は迷ったあげく、ネイビーにしました。
昨夜、届きました。
うふふ(^o^)


なんとなく、「日本野鳥の会オリジナル」ってところも
私のツボだったみたいです(笑)

このところ毎朝、双眼鏡で水鳥さんを見ているのですが、
「水辺の鳥」などの図鑑で調べてみるに、
小ガモさん、
カイツブリさん、
そしてたぶん、ハシビロガモさん
たちがうちの前に来ているようです。
あ、それとユリカモメさんも。

本格的にバードウォッチングをする予定はないですけど
でもこの長靴があれば、濡れた草地でもどんどん歩けると思います。
いやいや、しませんよ、そんなアウトドアなこと。
・・・でもできますよね(^^)
そう思うだけでなんだか楽しいのでした。
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# by prem_ayako | 2015-11-30 11:16 | others | Comments(0)

おうちのこと

引越から今日でちょうど2週間です。
戸惑うことも多々ありますが、
まるで2年2ヶ月住みついているみたいだと言われるほど
実はこのおうちにすっかり馴染んでおりまする。

それは、今まで使っていた家具たちを
そのまま連れてきたからかもしれません。

神戸の家で食器棚として使っていた古いケビントくん。
b0253075_20565066.jpgもちろん連れてきて、
明るいリビングに置きました。

たぶん私が生まれる以前から、
父が診察室で使ってきたものです。
本来は医療器具や薬剤を入れる棚ですが、
先日までは食器棚、
このたび、大量のCDやDVDやMDを入れる棚になりました。
グッジョブです。

左後ろに写っている窓のスクリーンは、
前の家でオーダーしたものを、そのまま持ってきました。
だってもったいないですもん。
少し幅が足りないのだけど、まあ許容範囲内ということで(^^;)


この家に私よりも2週間早くから住みついておられる先住民の大きなJ先生は
ご自分のパソコンを、いちばん日当たりのよいリビングの東の端に安置され、
そのあたりでお仕事をしておられることが多いです。
そしてこの一帯を「大極殿」と呼んでおられます。

私はといえば、その対極にある北西のサービスルームに、
パソコンと、父からもらった事務机とカルテ棚を置き、事務室にしました。

北西は家の鬼門にあたるので、J先生はこの事務室を「羅生門」と呼ばれます。
ええと・・・
私の仕事場が「羅生門」で、
先生のお仕事場が「大極殿」って
なんだかなぁ。。。。
まぁいいですけど。。。(-_-)

b0253075_2114543.jpg
大事なクンツサンポさまは、
引っ越し屋さんに頼まずに
自分で運びました。
直射日光のあたらない和室にお飾りし、
この家のメインの祭壇にしています。

瞑想は今のところ、夜、寝る前に
自分の寝室でしています。
これは私の部屋の小さな祭壇。


この窓の外の桟橋から出る遊覧船には
湖岸の紅葉を見に来た人たちでしょうか、
いつもある程度のお客さんが乗っておられます。
お客さんたちが船の上からエサをまくので、
大喜びで、ユリカモメたちが集まってきます。

少し北にいったところに漕艇場があるらしく、
毎朝、大学のボート部が練習しているのが見えます。

このあいだの土日は、なんと漕艇大会がありました。
「○○大学、よ~いドン!」「××ボート部、よ~いドン!」と拡声器の声が聞こえ
半日ほど、たくさんの若者たちが、
ボートやカヤックをあやつっていました。

b0253075_2192233.jpg


さらに15日(日曜日)の夜には
目の前で花火が上がりました(@_@)

いったい何のイベントだったのか、今もってわからないのですが
(漕艇大会の一環だったのかな?)、
午後7時頃にどーんどーんと音がするのでベランダに出てみたら、
すぐ北のJR鉄橋の向こう側から
見事な打ち上げ花火が上がっているのでした。

夏に花火大会があるとは聞いていましたが、
こんな季節に見れるなんて、うれしい誤算です(^o^)
予算がないのか、たった15分で終わってしまいましたが。


いやはや、窓から遊覧船やボート大会や打ち上げ花火を見ることができるなんて
要するにここはプチ観光地だったんだわ
と思い至ったのでありました。

冬になったら
窓から雪とコハクチョウが見れるかも。。
滋賀の冬は寒いというけれど、
それを楽しみに暮らします。
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# by prem_ayako | 2015-11-19 21:11 | others | Comments(2)

戸惑うこと

今までの人生、
ずっと兵庫県か大阪府に住んでいたので
いくつか戸惑うことがあります。

他の方にとっては、
全然たいしたことじゃなくって共感を得られないと思いますが(^^;)
書いておきます。
私にとっても、半年もしたら、きっとたいしたことじゃなくなるんでしょうね。

☆ 坂道 ☆

神戸では、言わずとしれた
北は山、南は海
という普遍的真理がありましたっ。

だから坂道が続くと、自動的に私は
上っていく方角は、北、
下っていく方角は、南、と考えます。

ところがここいらでは、
琵琶湖のある方に、坂道は下りていくのです。
当たり前ですが(^_^;)

そして琵琶湖は広く大きく丸いので
琵琶湖の南端にある大津では、
坂道を上がっていく方角は、南です。

これは神戸ネイティブから見ると、天地のひっくり返るような衝撃であります。
いや、旅行に行った先でなら、
頭の中で地図をいっしょうけんめい考えて、納得するんですけど

琵琶湖のある地形に、まだ慣れません~ Orz

しかもやっかいなことに、
大津市内でも私の住む石山駅あたりでは
瀬田川が東にあるので
瀬田川に向かって道は下っていき、
うちから駅まで行くには、西に向かって坂道を上がることになります。

いやぁ~ん、もう混乱の極み(>_<)
ただでさえ方向音痴なのにぃ。

そういえば、阪神大震災の後、堺市にしばらく住んでいたときも
混乱して道を覚えるのにだいぶ時間がかかりました。
あそこは山も坂道もなくて、
そのかわり、広い平坦な土地のあちらこちらに古墳が点在しており、
微妙に道が曲がって難しかったのでした。

全く新しい土地に老人が引っ越すと混乱するっていうけど、
たぶんこういうことなんでしょうね(違うか?)。
今ならなんとか適応していく(と思う)けど
もう少し経つと無理かもしれませんね・・・
きっと迷子になっちゃうわ。

☆ 駅と電車 ☆

神戸ー大阪間のJR神戸線は
けっこう空いていたんだ~
ということが今になって分かりました。

たぶん本数が多いこともあるのでしょう。
昼間は余裕、夕方でも
ずっと立ちっぱなしになるようなことは、まずなかったです。

こちら、滋賀から大阪へ走っているJR京都線。
これがいつも混んでいて、
昼間でもたいてい満員です!

特に大阪に向かう新快速に
石山から座れることなんて皆無で、
京都で少し人が降りる時に、うまくいけば座れるという具合。

仕事帰りは夕方のラッシュと重なってしまうので
座って帰れたら超ラッキー。
下手すると、45分間立ちっぱなしという事態も起こりえます。

大阪に行って帰ってくるだけで、
なんだか東京に行って帰るのと同じぐらい疲れます・・・?


さらにさらに
大阪でも神戸でも
エスカレーターに乗ったら、右側に立って
左側は、歩く人のためにあけておくのが、共通感覚でした。

これが阪神間だけの共通感覚だということは
知ってはおりました。

東京でも名古屋でも、岡山や広島でも
みんな左側に立って、右側を空けています。

まあねえ、新幹線に乗ってった先で共通感覚が違っていても
それはそうでしょうね、って思えるんですけど・・・
1日のうちであっちとこっちとが逆のルールだと
なかなか慣れることができません。

そう、滋賀も、全国的共通感覚に従っていて
エレベーターでは左側に立ち、右側を空けるのです!

阪神間だけが異常なの!(知ってはいたけれど)

地元の石山駅では左に立ち、
大阪の駅に着いたら右に立つ。
大阪の地下鉄でもずっと右立ちで
帰りの乗車駅でも右立ちで、
降りた石山駅では、左に立つ。
↑↑↑
この最後を、ついうっかり忘れてしまいます!

そして帰宅を急いでいる後続の人たちに
ちょっと邪魔ね、という目で見られてしまったりするのでした(ゴメンナサイ)

これだけ電車が混んでいるってことは、
滋賀ー大阪間を通勤している人が大勢いるはずです。
みんな矛盾を感じながら、共通感覚に合わせているのでしょうかぁ。


☆ 信号 ☆

JR石山駅から坂を下り、国道1号線に通じる道路を渡ると
瀬田川に出て、わが家があります。

国道1号線・・・!
ずっと国道2号線に馴染んできたので、
こういうところでしみじみと、
大阪より東に暮らしているんだなぁと感じます。

2車線だけの、けっこう細い国道ですが、
歩行者は押しボタンを押して、この道を渡ります。

この信号が・・・・・・
ものすごーく待たされるのです!

まだ計ったことはありませんが、
たぶん感知してから3分は待たされている!

この悠長さは、あり得ん!!

そして青になったかと思ったら、30秒ぐらいで点滅し始めるのです!

どこへ行くにも、この国道を渡らなければならないので
この信号は鬼門です。
待ち時間がなければ駅まで歩いて6,7分だと思うのですが、
待たされるの必定なので、10分以上見込んでおかなければいけません。
開かずの踏切、みたいな感じ。

このあいだ、角の植え込みに座ってタバコをふかしているおじさんを見ました。
何かと思ったら、単なる信号待ちでした(笑)


かと思えば、駅前のロータリーの横断歩道には
信号機がなかったりします。
路線バスが次々出入りしているんですけど、
ここでは歩行者優先、鷹揚に通してくれるのです。


大阪に住んでいたころ、
青信号は、当然渡る。
赤信号は、気をつけて渡る。
という個人の主体性重視の共通感覚を身につけたものですが、

ここではそんな恐ろしいことはいたしません。
ちゃんと郷に従っております。

しかしほんとに、所変われば・・・ですね~!
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# by prem_ayako | 2015-11-19 16:23 | others | Comments(0)

空と水

大津への引っ越しが完了しました。

前の記事を書いた時点では、
母の入所はまだ決まっていなかったのですが、
10月25日に施設から部屋が空いたという連絡があって
兄が速、入居を決め、
10月30日に、母はあわただしく出ていきました。
すばやいです(@_@)

ミニキッチンつきの広い部屋で、母はご機嫌で暮らしています。
父の施設まで歩いて行ける近さなので、
今までよりは頻繁に、父に会いに行ってくれるのではないかしら?

というわけで私は、
後顧の憂いなく、神戸を後にすることができました。
いつもながら絶妙のタイミングでありました。


これから私が生きていく土地は
滋賀県大津市の、中心部からはだいぶ離れた
瀬田川のほとりのマンションです。

2階なのでちょうど目の高さに、
玄関のサクラの色づいた葉が見えます。
腰をおろせば雲の流れる空が、
立ち上がれば対岸の紅葉とそれを映す川面、
浮かぶ小ガモやユリカモメの乱舞が見えます。

ときどきJRや国道の音が聞こえてきますが
それらはただ流れていく音。
私に直接呼びかける声ではありません。

この家にいると、守られていると感じます。
あぁ実家にいる間、私は落ちつけなかったんだなぁ。。。

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振り返れば私はずっと、
窓から外を眺めて
いろんなことを感じ考えて
生きてきました。

早期回想に、その頃の実家の2階の窓から外を眺めて・・・
というものが2つも3つもあります。
基本、わりと病弱で内向的でしたから
窓を通して眺める外の世界が大切だったのかもしれません。

アドラーの自助グループを始めた時に住んでいた
神戸のマンションの8階からの眺めは、本当に素晴らしかった!
晴れた日には、遠く泉州沖まで見渡せたし、
雷雲が海の向こうからこちらへ迫ってくるスペクタクルも見えたものです。

離婚後5年半住んだ大阪のマンションも
上町台地のてっぺんに建つ10階だったので、
眼下の公園のクスノキやサクラ、
そして遠くに連なる生駒山系が美しかったです。


・・・ところがここ1年半、
実家の窓ガラスは全部すりガラスだったし
前が車道だったので閉めきることが多く、
外の景観が全く見えませんでした。

小さい頃と違って毎日のように出かけていましたし、
それなりに暮らしやすいように工夫していましたが、

私はなんだか、窮屈で
小さくなってしぼんでいたように思います。

自分の育った土地だからといって
自分の両親の傍だからといって
くつろいで暮らせるかというと、
それはまた別のものなのかもしれませんね。。。

いくらお金をかけて快適にしつらえても
光が足りないというか
空気が足りないというか
今から思うと、苦しかった。

今になってこんなふうに思うのは、
このおうちに来て
ほんとうに久しぶりに、
胸に息が入る!と感じたからです。

ここは、すぐそこにきれいな水が流れています。
光が移り
風が通り
この土地の「気」に、癒やされています。

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# by prem_ayako | 2015-11-14 21:42 | family | Comments(4)

引っ越し準備

引っ越しは、11月5日になりました。
決まると気分はワクワクしますが
準備を考えると、気分は滅入ります。

なんといっても面倒ですからねぇ。
しかしもっとも面倒なのは、
荷物の段ボール詰め以前の
不要品の処理!であります。

私の持って行くものと捨てるもの・・・は、わりとすんなり決まるのですが
問題は、当分ここに住むつもりで越してきたため、
私のものと、もともと実家にあったものとが混在していることです。

親に「使って」と言われて使ってきたものを
引っ越し先に持って行ってもよいものなのか、
ここに置いていかなくてはならないのか、
それとも捨てた方が母にとっても助かるのか?
今になって、ひとつひとつ仕分けしていかねばなりません。

母の意向を聞いてみると
電気製品は、全部処分して行ってくれ、ということでした。
ラジャー。
家具類は、「少しなら置いて行ってもいいけれど」という微妙な言い方。
「少しなら」ってどれぐらいなんだろう?
耳が遠くなっていることもあり、細かい話があまり通じません。
たぶん何も残さないのが望ましいんだろうな。

ともかくひとつひとつ、処理していくしかありません(>_<)



1)古いパソコン

使えなくなったパソコン、いくつもあるんですよ・・・。
ディスプレイがひとつ
ハードディスクをぬいたパソコン本体がひとつ
ノートパソコンがひとつ、
眠っておりました。

使っていない古いCDコンポも、この際処分したい・・・。

神戸のゴミ出しのルールは、わりと厳格に決まっていて
「ワケトンBook」という、ゴミ出しルールの冊子が各戸に配られております。
(ワケトンって、ゴミの分別大好きなブタくんの名前です。
 悪い子キャラに、ヤラヘンとかワケヘンくんなどがいて、
 少しだけ笑えます・・・なんで自治体ってこういうのに力入れるんだろーね)

これで調べてみるに、
市はパソコンを回収しないので、メーカーに連絡すべし、とのこと。
CDコンポは「燃えないゴミ」として出せるけど、
規程のビニール袋に入る大きさで、かつ20kg以内であること、と書かれています。

小さなスピーカー2つは、
ビニール袋を二重にすれば、なんとか「燃えないゴミ」で出せそうですが、
コンポ本体は重すぎて、ヤバいです。
計るものがないので20kg以内かどうかはわかりませんが、
回収ステーションまで運ぶのも、私の力では難しそうです。

しかも「燃えないゴミ」回収日は月に2回、
うちのあたりは第1金曜と第3金曜なので、
引っ越し日までなら、10月16日の朝が最終チャンスとなります。

困ったな。
急いでなんとかしないと。


いろいろ調べて、
「無料パソコン回収」のサイトをいくつか見つけました。
たぶんパーツにばらして、中国や韓国に運んで再利用するんでしょうね。
でなきゃ送料向こう持ちで引き取ってくれるはずがない。

でも抜かれて困る情報は何ひとつ入っていませんし、
同梱できるなら他の電気製品も(携帯でもオーディオでもなんでも!)
まとめて送って全然OK、とか書いてあります。
背に腹は変えられない、今回はこれに頼ってみます!


ディスプレイを梱包するのに少し手こずりましたが、
石油ファンヒーターの空き箱がちょうどよいサイズでした。
緩衝材もその箱に入っていたのを利用して、
画面をもうひとまわり保護して、これで1箱。

それからパソコン本体1個とノートパソコン1個と、
めちゃ重い古いCDコンポ、
これらが奇跡のようにもう1箱にきっちりと収まりました。

そしてY運輸さんに電話をして
「○○宛のパソコン回収お願いします。料金は着払いで」と言うと、
その日のうちに取りに来てくれて、
10月14日、不要のパソコン類とコンポは無事に持って行ってもらえました(^o^)

小さなスピーカー2個も、16日の朝、
エッチラオッチラ「燃えないゴミ」に出すことができました(^o^)


2)見積もり

総会前夜、15日の晩に
不動産屋さんからの紹介で
ア○さんマークの引っ越し社さんに来てもらいました。

ざざっと荷物を見てもらってから、

・不要の電気製品とアドラーギルドの台車(これがまた重いんです!)を処分するのに、いくらかかるか
・同時にその他の家具類もいくつか処分するとしたら、いくらかかるか

を見積もってもらいました。

前者なら1万6千円ほど。
他の家具も入れて処分する場合は、2トントラックを1台頼むので5万円と消費税。
ということでした。

ここでがんばって negotiation しました。
「う~ん、それなら、2トントラックに入るだけもう少し入れても
 5万円+消費税は変わらないんですか?」
「そういうことです。まだ余裕ありますから、お得だと思いますよ」

引っ越し社のおじさんは、トラックの確認のために社に電話をかけると言い、
私は、母に相談してみると言って2階に上がりました。
どちらも、お互い駆け引きと知りつつやってるんですけどね。

母は案の定、こまごまとしたものを残されるよりも
2トントラックですっきり処分してもらう方がいいと言います。
そしてそのぶんの費用を出すと、言ってくれました。

これで費用についても折り合ったので、
電気製品以外の細々した古い家具や古い布団なども、
いっしょに処分できることになりました。

立つ鳥後を濁さず、
母が満足するように、できるだけさっぱりして出て行けるなら
それに越したことはありません。


3)古本

ここの家はスペースがあるものですから
(アドラーギルドの台車もでしたが)
アドラーギルドの蔵書を、た~くさん預かっておりました。

このたび大きなJ先生がお引っ越しされることになり、
また私も引っ越しすることになったので
これらの本を大量に処分しなくてはなりません。

というわけで、前もって先生に本を仕分けていただいて
そこに私自身のいらない本も少し加えて
1室に積み上げておきました。

さて、どこに引き取ってもらおうか。。。


近所に、ときどき私が自転車で立ち寄る
「口笛文庫」という古本屋さんがあります。

初めてそこで買い物をした日、私はなんとお財布を忘れて出かけていました。

こんなこと、めったにないんですよ。
というか、たぶん一生で初めてのポカです。。。
レジで気がついて、たいへん慌てている私に
ここのまだ若い男の店主さん、
「財布忘れたら、ちょっと動揺しますよね・・・」と
なんだかゆったりと言ってくださって、
たいへん救われた気持ちになったものです。

それで、このたびの本の処分を、
この「口笛文庫」さんににお願いすることにしました。

今朝ほど、お店を開ける前に軽トラックで
店主さんは軽やかにやって来られました。

大切な蔵書たちとのお別れですから、
お忙しい中、大きなJ先生もやって来て立ち会われました。

私の聞いたことのない
『タウラー説教集』とか
『市川白玄全集』とか
日本国中、2,3人ぐらいしか買い手がつかなさそうな
シュタインガスの『ペルシャ語・英語辞典』とか
ガフィオの『ラテン語・フランス語辞典』とか

あまりにもJ先生のご本が多岐にわたっているので、
店主さん、びっくりしてしまって、
「いったいどういうご職業ですか?
 ただ者でないなということだけはわかりますが」(笑)

だけど口笛文庫さん、
あなたもかなりマニアックだと思いますよ・・・
タウラーとか市川白玄とか知ってたもん。

そして、本は、しめて1万6千円にもなりました(^^)
J先生は、二束三文だろうと覚悟をしておられましたが、
やっぱり大切な本たちに価値を見いだしてもらえて
また誰かの役にたつかもしれない、となると、
かなりご満足のご様子でした。


といっても実は、まだまだ本は残っているのです。
なんせ引っ越し屋さんが置いていった段ボール箱は
大きい方40箱と小さい方40箱で、計80箱!

しかも「小さい箱に入りきらなかったら、大きい箱にも本入れて構いませんから」
と言い置いて帰られたほどです。

引っ越し現場のお兄ちゃんたちが困るでしょうから
そんなことはしませんけど、
よっぽどの量と見積もられたみたいです(^^;)


さて、処分すべきはあらかた終わったので
あとはひたすら、機械的な箱詰め作業です。
あんまり早くから始めてもしようがないので
来週になってからにしようかなっと。

こうやって私は、いつも仕事を後回しにする・・・(^^;)
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# by prem_ayako | 2015-10-20 22:04 | others | Comments(4)

終の棲家

なかなか人生、落ち着かないもので・・・
また引っ越しをすることになりました。

生まれ育った神戸の家で、当分暮らせるものと思っていたんですけどねぇ。。。


うちの両親にしても、そのつもりだったと思うんです。
私が帰るのを決めたときは、2人ともすごく喜んでくれましたし、
<それならもうこの家を売らなくていいわ!
 ずっとここに居ましょう、ねぇお父さま!>
と母も言っていた。

将来を見越して私も、
車椅子で移動できるように動線を考えて
1階の改修工事を行った。

でもちょっと遅すぎたのかもしれません・・・(^^;)

思ったより早くに父の身体状態が悪くなり、母がギブアップしました。
父が施設に入ったら、母はもとの元気で明るい母に戻るかと思ったら
予想に反して、精神的な不安が強くなってしまいました。


私が出張や旅行をするときは
私が鍵をかけて出ていった後、
母は内から、さらに二重三重に鍵をかけます。
そして私が帰宅する日に、また開けます。

私が玄関前の植え込みに、つる性の植物を這わせると、
<草が繁ると、その陰に人が潜んでも分からなくなる>と
引き抜こうとします。

悪質な売り込みのファックスがきた時は、
<脅迫状がきた!>と思い込んで、電話を抜いてしまいました。
しばらく気がつきませんでしたが
電話が通じないのを心配して、福祉センターの方が
私の携帯に連絡してこられて分かりました。。。


母の望んでいるのは、たぶん24時間、私が家にいて、
つねに母が呼べば応える範囲で
母の気に入るように暮らすことなのでしょう。
それは分かっておりますが

それでは私の生活が成り立ちませんし
今度は精神的に、私の方が参ってしまいます。

そして何よりもたいへん残念なことに、
(自分の人生をしばらく犠牲にしてでもこの母に尽くしたい)
という心を、私は育てることができていません。


夏頃に兄も交えて話し合いました。

本来、近所にいる兄と兄嫁が
母の生活をサポートするのがよいのでしょうが、
兄が病気を持っているので、今もそれは無理だと言います。

この家の戸締まりや管理が、想像以上に母の負担になっているようなので
できるだけ早くに母の気に入る施設を探して、
空きを待って入ってもらうのが良いということになりました。

そしてこの家は、母が出ていったら売りに出すことになりました。
そのへんの手配は、ぜんぶ兄がやってくれるということです。

入所先については、私としては
父と母が最期まで少しでも長くいっしょにおれるように
父と同じところがいいのではないかと強く思うのですが、
兄たちの意見は違うようです。

「幸せ」についての考え方があまりに違うので、
もう何も言わないことにします。
今度はすべて任せるので、
好きにやってもらいましょう。


40代半ばまで、ずっと神戸に住んでいて、
その後、尼崎と大阪で暮らしている間
神戸の山と空がなつかしくてなりませんでした。
こうやって1年半、戻ってみて、踏ん切りがつきました。

お別れするために、この期間が必要だったんでしょうね。
神戸とも
母とも。



母の施設入所と私の退去とが、
同じタイミングであればいちばん良かったのですが
母の入るところの部屋はまだ空かず、
先に、私の引っ越し先が決まりました。

できれば11月初め、遅くとも今年中には、
引っ越したいと思っています。

また詳細が決まればお知らせしますね。
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# by prem_ayako | 2015-10-06 19:56 | others | Comments(0)

ニンジョム

しゅんすけからもらったお風邪の菌は
急にひどくなったわりには早く楽になったんですけど、
そのあと、まだ少し喉の腫れと咳が残っています。

今朝は、起きたら声が出なくなっていて
しかも喉の痛みが増したようでした(>_<)

冬場だったら大根蜂蜜を作り置きしているのになぁ。
生姜シロップも切らしているし、
何か喉によいものを飲みたいのだけど。。。

b0253075_19343174.jpg
  でも、ありましたありました!
  これこれ!
  シンガポールで買って
  そのまま戸棚の奥で怪しく眠っていた
  蜜煉川貝枇杷膏。
  ニンジョムっていうみたいです。



これ、シンガポールのアミデワ・リトリートの食堂の隅には
必ず何本か置いてあるのです・・・

中の液体は、ほとんど黒に近い褐色で
どろりっと濃厚。
瓶の口やまわりがベタベタしていて
その上なにやら強烈な匂いを放っています。

見ていると、人々はこれをスプーンで紙コップに少量うつし入れ、
お湯を注いでぐるぐるしつこくかき混ぜて飲んでいます。

リトリートでは、ずっと阿弥陀仏真言を唱え続けるので
喉を痛める人が多いのです。
そのために常備してあるようでした。

といっても、1度目のリトリートでは、私は手を出す勇気がでず・・・
今年、大きなJ先生に勧められて(先生はすでに前回から試飲中)
思いきって飲んでみました。

b0253075_19423899.jpgうわー何これ!?っていうのが
正直なところ最初の感想でしたけど

まぁなんていうか

まずいと言うほどではないし
おいしいとも言えない。

たしかに喉がすっとします。
蜂蜜ベースに、いろんな薬草が入っているみたいです。
右の絵にあるような・・・

不思議なもので
たびたび飲んでいると、
慣れて、だんだん、はまってきました。

何度も言うけど、おいしいってほどのものではない。
ただ、シンガポールの味って感じで・・・
(あかん、味覚がやられているかも)

1つ買って帰ろうかなぁとまで思い始めて
食堂で瓶を手にとって眺めていたら、
親切なシンガポーリアンの女性が、
「それ、いいでしょ」って話しかけてこられました。
「ええ、とてもいいわ。どこで売ってるのかしら?」と聞くと、
「どこでも!薬局でもスーパーでもどこででも!」と請けあってくれました。

で、ある日のお昼休み、
大きなJ先生と、ニンジョムを買い出しに行きました。

長~い廊下を歩いて会議室エリアを抜け、
巨大なショッピングコンプレックス内、
はなやかなモールをきょろきょろ見渡せど、
あるのはグッチとかスゥオッチなどの、おしゃれな店ばかり。

薬局なんてないぞ~、と
とりあえず突き当たりまではるばる歩いて、
たまたま見つけたコンビニ(7-11)に入ってみたら
あっけなくも、ありました!

あのおばちゃんの教えてくれた通り、
目立つ棚にずらり並んで、大きな顔して売られていました。

そして先生1本、私も1本、それぞれにゲットしたというわけです。

割れないように注意して持ち帰ってみたものの、
私に関して言えば、喉に異常がないかぎり
わざわざ飲みたいと思うほどのものでもなく。。。
うちのニンジョムは、そのままお蔵入りしていたのでありました。
賞味期限のくる前に開封できてよかったです。

こうして初秋の一日、
ふうふう、熱いニンジョムをすすりながら
シンガポールのあれこれを思い出すことができましたしね。


ところがね、Amazonでも売られてたみたいなんですぅ~
なんということ Orz
(Nin Jiom Pei Pa Koa で検索してみてください)
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# by prem_ayako | 2015-10-04 19:56 | travel | Comments(2)

しゅんすけの対人関係

1歳1ヶ月のしゅんすけは
お母さんに対しては、とっても甘えんぼさんのように見受けられます。

娘も、もう育児に慣れたお母さんなので、
気軽にひょいっと抱っこしたまま家事をこなしますし、
抱っこしたまま自分もご飯を食べたり、
離乳食を食べさせたりというのが、
同じ時期のこうすけのときよりも、多い気がします。

まぁ甘えたいしゅんすけと
甘えさせたいお母さんとで目標が一致しているのだから、
私の方に言うことは何もないのです。
(もともと私も甘々ですし~)


私が鳥取に行った翌日、こうすけは少し咳が出ていたので
午前中に小児科で診てもらってから幼稚園に行くことになりました。
私としゅんすけは、お家でお留守番です。

連休明けで、案の定すごく混んでいたらしく、
けっきょく3時間ぐらい2人で過ごしたのですが、
その間しゅんすけは一度も泣かず、
ずぅっと楽しく私と遊んでいました。

b0253075_2338538.jpgお兄ちゃんがお留守だと、しゅんすけは
自由に恐竜のおもちゃを触れます。
お兄ちゃんが置いていった折り紙も、舐めたり握ったり
くちゃくちゃにしたりできるのです(^^)v

しゅんすけはゆっくりと
おもちゃ箱からいろんなものを引っぱり出しては、
1個ずつ検討を加えていきます(笑)

おもちゃのラッパは、私が息を吹きこみ、
しゅんすけがボタンを押さえて、はじめて音が鳴ります。
私たちふたりの、初めての協働作業かもしれない。
なんだかウレシイ。

ウサギのぬいぐるみを手渡してくれたので
♪タラッタ ラッタ ラッタ ウサギのダンス♪
と踊らせてみたら、とっても喜んで
何度も何度もウサギのダンスをやらされました(^^)

小さな缶を見つけて
開けてっていう顔をするので開けてみたら
中からくちゃくちゃの紙の切れ端がでてきました。
しゅんすけ、ほぉ~と驚いた顔!

その紙をまた中に入れて、ふたを閉めようとするのだけど
小さなおててでは、なかなかうまく入りません。
ふたも、逆さま向きだったりして、なかなかはまりません。

本当にちょっとしたことも、
すべて、指や手の力をうまく制御することで、
やっと出来るようになるんですねえ。
で、今の時期の赤ちゃんって、こういう動きをひとつひとつ
自分でやってみて覚えていくんですねえ。

2階への階段は
最初はこわごわ
しだいに大胆に上ります。

見ていると、一段ごと、身体を持ち上げるのに、
もう全力を使って、汗びっしょりになっています。
真剣な顔で、一生懸命上っていきます。

上がったはいいけれど、下りるのは難しく
おむつのお尻をこちらに向けて
足のつくところをそろそろと探ります。

上の3段はカーブしているので
隅っこが三角で、足のつくところが狭いのです。
そこを慎重に、そろそろと足で探って
一段下りては広い部分に座り込んで、
上を見上げたり板を触ったりしています。

なんかもう、仔猫か仔犬みたいでほんとに可愛い(^^)

で、おそらく彼の限界までやったのでしょうね、
おもむろに「ん」と両手をあげて抱っこを求めてきました。

抱っこをしたら、今度は壁のその高さにある
電気のスイッチやインターホンのスイッチが気になって

近くを通ると足をぴょこぴょこさせて
なんとしてもそっちへ行ってくれとせがみます。

インターホンのスイッチを触らせていたら、
何かの拍子に外の景色が映りました。
まぁ、またそのときの驚きよう。
動きが止まって、まばたきもせずに外の景色を眺めています。
その後、もう必死になって私の腕の中でばたばたして
あれこれボタンを押しまくっていました。

はい、私、思うように操られております(^^;)


この日、お留守番がまったくOKだった(ように思えた)ので
次の日のこうすけのピアノのレッスンのときも
娘は私としゅんすけを置いて行きました。

そうしたら!
2人が出ていったとたん、
しゅんすけは大泣きして、
すごい勢いで玄関前まで這っていき
そこでぺたんと座り込んで動きません。

けっきょく1時間近く、そこで泣き続けました。

抱っこしても反っくり返ってギャン泣きするし
かえって危ないので、ベビーベッドの柵の中に入ってもらいました。

少し落ち着いてきたところに
お母さんとお兄ちゃんが帰ってきてベルの鳴る音がすると・・

「あっおかあさんだ!」って表情が変わって、
とたんにまた、ギャン泣きし始めました。

うぅむぅ。。。
しゅんすけさん、これはいったいどういうことですか?
お母さんに会いたくてさっきまで泣いていたんなら、
お母さんが帰ってきたらご機嫌になってもいいはずじゃないですか?
「ボクね、ボクね、辛かったんでしゅ~」って訴えるために今泣くのかな?
それとも、置いて行かれたのを怒っていたのかな?

b0253075_2346478.jpgまた、お兄ちゃんの関心を引くときも、明らかに違います。
バンバンと、わりと乱暴に何かを叩いたり
キャーッと大きな声を出したり
そんなときは表情も、お兄ちゃんに似ています。

こんなに小さくても、しゅんすけさん、
私と2人でいるときと
お母さんといるときと
お兄ちゃんといるときと
声も表情も態度も違うのです。

やっぱり対人関係なんですね~
社会統合論!


その後しゅんすけは、
ちょっとでもお母さんの姿が見えなくなると
泣いて追いかけるようになってしまいました(^^;)
見えるところにお母さんが居さえすれば、
ご機嫌良く遊ぶんですけどね。

まぁその頃から風邪気味で
体調が悪かったせいもあるかもしれません。
こういうとき、やっぱりおばあちゃまじゃダメみたいです~(=_=)


そしてなんとしゅんすけの風邪菌は強力で、
私が神戸に帰る日の朝、起きると、
娘と私とふたりともに彼の鼻風邪が感染っておりました。

そりゃ、あんだけひっついて暮らしてたら感染るわね。。。

娘より私の方が重症で
帰宅したらもうヘロヘロ、
久しぶりに夜中に熱発してしまいました。

この週末は、めずらしく仕事が入っていないので
ゆっくり養生いたします。

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# by prem_ayako | 2015-10-03 00:07 | family | Comments(2)

こうすけは恐竜博士

b0253075_23171716.jpg9月末の1週間、鳥取の娘の家に行っていました。
ゴールデンウィークやお盆にはみんなで来てくれましたが
私から向こうに行くのは、4月以来、5ヶ月ぶりです。
やっぱり思いきってお休みをとって行く方が、
こうすけやしゅんすけの
いつもの遊び場を見ることができて、楽しいです。

しゅんすけは8月29日に満1歳になりました\(^o^)/
写真は、運転する気満々のキノコしゅんすけ・・・(笑)

娘は9月に、ついに三十路に。。。
こうすけは来月、5歳になります。

そういうわけで、たくさんお土産を携えて行きました。

しゅんすけには、娘のリクエストで、
ファースト・シューズをあげました。


こうすけは、なぜかシャーペンが欲しいと言っていたので
8mm芯のシャープペンシルを
バルタン星人の絵のコットンの筆入れとともにプレゼントしました。

こうすけは、ひとつのことに、一時期ほんとに夢中になるタイプみたいです。
本人がそれに飽きるまで、親たちが自由にやらせるので、
冬の頃などは、家中が、こうすけの制作した
空き箱や紙コップやストローなどの工作ですごいことになっていました。
「ボク、なんだって作れるよ!」と言っていたのだそうです。

春頃からは、折り紙熱におかされて、
うちに来たときも、色紙さえあれば、いつまでも何か折っていました。
なかなかキッチリとは折れないんですけれど、
彼の目には、「これは、○○。これは、□□」と
ちゃんと、その形体に見えているみたいです。

そして今は、夏休みに「恐竜博」に連れて行ってもらって以来、
恐竜ブームが到来しているようです。
恐竜図鑑が愛読書で、
恐竜のDVDを繰り返し見ていて、
着ているシャツはいつも恐竜柄。
折り紙で折るのも、恐竜!!

恐竜!と思って私はこうすけにバルタン星人の筆入れを選んだのだけど
ゴメン・・・おばあちゃまは無知でした orz
バルタン星人は「怪獣」であって「恐竜」ではありませんでした。
(しかしこの違いを認識している幼稚園児って・・・?)


今回持参したおみやげの中で
いちばんウケたのは、
ビニールの恐竜たちでした。

偶然、梅田の雑貨屋さんで見つけたものですが、外国製で、
空気を入れてふくらませたら、けっこう大きなリアルな恐竜になります。
ペタンとした状態で売っていて、ひとつ500円ほど。
4種類ほどあった中から、
茶色のプテラノドンと緑色のトリケラトプスを選びました。

さぁこうすけ、喜んだ喜んだ。

b0253075_2326736.jpg


b0253075_23271274.jpgさっそく恐竜同士の戦いが始まります。

こうすけ博士によると
トリケラトプスは草食恐竜で、
プテラノドンは、肉食恐竜らしいです。
なので、主にプテラノドンが空からトリケラトプスを襲うという設定になります。

ビニール製なので、人や物に当たっても
ぜんぜん大丈夫。
はげしい戦いも思う存分できます。
このおもちゃは大正解でした(^^)

こうすけの本やDVDを見せてもらって、
無知な私もいろいろ学ばせてもらいました。

私のイチオシは、スーパーザウルス。
長さ33mの巨大草食恐竜で、100年とか200年生きたらしいですよ。

こうすけの好きなのは、ティラノザウルス・レックスに進化する直前の
ディロングという名の、毛の生えた肉食恐竜だそうです。
(マニアック!)


b0253075_23311219.jpg大きくなったら北大へ行って
恐竜の化石を発掘して、
恐竜の遺伝子を研究して
ほんとの恐竜博士になるんだそうです(^^)


こ「しゅんすけ、恐竜の共同研究しようね!」
し「ぎょーうー」
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# by prem_ayako | 2015-10-02 23:35 | family | Comments(2)

岩手の文人たち(2)

さて、花巻には「宮沢賢治記念館」もあるのですが、
3年前、スピリチュアル・ワーク後に訪れたのでパスして
代わりに盛岡にある、賢治ゆかりの「光原社」を訪れました。

「光原社」は、大正13年、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を出した出版社です。
会社のあった盛岡市材木町に
今ではその名を冠した工芸品の店や、カフェや、無料のギャラリーがあり、
ちょっとした観光スポットになっています。

ギャラリーには、『注文の多い料理店』出版の資料が展示されていました。
はじめて知ったのですが、
教科書発刊を手がける小さな出版社の社長だった及川四郎という青年が、
当時花巻農学校の教師だった宮沢賢治から大量の童話の原稿を見せられて、
ふたつ返事で出版を決めてしまったのだそうです。

b0253075_0524213.jpg意気揚々と、賢治は出版社を「光原社」と名づけ、
理想を追う及川さんは、
資金もあまりないのに、絵本の装幀にこだわり・・・

でも賢治はまだまったく無名ですし、
たいした販路はないし、
書価も高くなってしまって、
当然、本は売れませんでした。
「光原社」は大量の在庫をかかえ、泣く泣く賢治の実家が買い取ったといいます。

『注文の多い料理店』は、賢治の生前に出た唯一の童話集となりました。
ある意味世間知らずの、若者たちの無謀さが、この名作を生んだといえるのですね。

b0253075_0541192.jpg「光原社」併設のカフェは、小さいけれどとても居心地がよくて
盛岡にいる間に2度も通いました。
お店の裏庭は北上川に面していて
泊まっていたホテルからはぶらぶらと歩いていけました。

一杯ずつ淹れてくれるコーヒーも、とてもおいしくて
ちょっとした癒やしの空間でした。





最後に、多田等観のことを。

多田等観は、もともとは京都の西本願寺の僧侶で、
大谷光瑞にインドに遣わされ、ダライ・ラマ13世に謁見。
その後チベットに潜入し、ラサのセラ寺で10年修業、
日本人でありながらなんとゲシェー(仏教博士)の学位まで得て
大正12年に帰国した方です。

帰国後は東京帝大で、持ち帰ったチベット大蔵経の整理などしていましたが、
やはり終戦の年に疎開して
昭和22年から26年まで、花巻の円万寺観音堂境内に住んでおられました。

円万寺観音堂は、人里はなれた小高い山の上にあり、
今でさえ、クマなどが、かなりの頻度で出没しそうな気配です。
チベットに10年も暮らした等観には、なにほどのこともなかったでしょうけど。

b0253075_0581870.jpg梵鐘には、チベット文字が刻みつけられておりました。
観音堂には、ダライ・ラマ13世からいただいた観音像が収められていると聞きます。
私は、そういうところにいちいち感動しておりました(^^)


さきの『山居七年』に、多田等観との親交が書かれています。
大田村山口で、小学校の校長先生か誰かから多田等観を紹介され、
のちに光太郎が等観をこの阿弥陀堂に訪ねます。
b0253075_0575921.jpg 
(昭和22年9月5日)
 3人(光太郎他2人)は2っ堰に出て、そこから北にすすむ道に入りました。前方杉の木の茂った小高いところが円万寺山です。一粁半程も歩いたでしょうか、そのふもとで左手に八坂神社とかいた鳥居があり、傍に観音堂由来記の掲示や2つ3つ石碑が建ててあります。
 3人はそこから参道に入り、茂みの山に入りました。幾百かの段を上り終り、息をととのえて見渡せば一望千里の眺望です。
b0253075_1143612.jpg 鳥居をくぐると正面の奥に観音堂、左手に社務所。社務所にいた多田等観さんは3人を迎えました。挨拶がすむなり洗面器に水を汲んで出しました。先生は
「ここはいいところですなあ。」
 と喜びの声をあげました。多田さんは
「木があって見渡すのにじゃまになるようです。」
「木は伐らない方がいいです。」

 ジャガイモの皮をむきニンジンやネギを切り、魚を切身にし、お吸いものも煮魚もでき御飯も炊きました。いよいよ会食とあり、気の合った3人はみはらしの社務所で手作りのご馳走を喜び会いました。
 会食が終わってから多田さんは観音堂を案内し、御詠歌をあげ、チベット伝来の塑像千手観音や、花巻人形の観音、馬頭観音、地蔵尊について説明しました。
 本堂を出て、千年以上になるという柵がまわしてあるウバ杉のわきを通り、八坂神社の前から杉のこんもり茂っている中の細い道を100メートルばかり奥に進みますと、わき水があり、高い山の上なのにきれいな水がこんこんとわき流れています。

b0253075_134574.jpg とうとう参道の鳥居のところまで来ましたが、3人の話はつきませんでした。陽が山の方に傾いたのを見て、先生たち3人は楽しい1日を謝し、雨もよいの風景の中を帰路につきました。



花巻の町を見渡す絶景。
終戦から2年目に
多田等観と高村光太郎らが眺めたのと同じ景色が
今も変らずここには残っているようです。
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# by prem_ayako | 2015-09-01 10:20 | others | Comments(2)

岩手の文人たち(1)

盛岡でのパセージ・プラス、
前半はゆっくりと隔日に進んだので
オフ日や午後の空き時間を利用して

宮澤賢治ゆかりの光原社
多田等観の住んだ円万寺観音堂
高村光太郎の住んだ高村山荘と、高村光太郎記念館
を訪れることができました。

この3人、意外なことに同時代人で
それぞれに縁があって実際に会っているのですよ。
なんだか不思議で、
点が線につながったような感じでおもしろいので
少し書いてみたいと思います。

まずは高村光太郎のことから・・・


高村光太郎。
「智恵子抄」の詩人、彫刻家、
戦時中に戦意を鼓舞する詩を書いたと批判され、戦後7年間蟄居。
その後、十和田湖畔に「乙女の像」を完成させ、73歳で亡くなりました。

この、戦後7年間蟄居していたのが、
花巻市郊外の、大田村山口に今も残る「高村山荘」なのです。

訪れてみると山荘とは名ばかり、
それはビックリするぐらい本当に粗末な掘っ立て小屋でした。

もと炭焼き小屋だったのを払い下げたのだそうで、
天井も張っていないし、囲炉裏の小さな部屋と、台所になる土間があるだけ。
お客が来れば、主の座る場所などないぐらい・・・
冬は障子紙のすき間から風が吹き込み、
寝てるあいだに枕元に雪が積もったといいます。
高村光太郎はここに、62歳から69歳まで一人で暮らしました。


なんで東京生まれ東京育ちの光太郎が花巻にまで来たのかというと、
光太郎は宮沢賢治と、少々のご縁があったからなのです。

賢治の遺作集の装幀を手がけたり
賢治の詩碑の揮毫を書いたり
そんな中で光太郎は、花巻の宮沢清六氏(賢治の弟さん)と知り合いになります。

そして東京大空襲でアトリエが焼失してしまったとき
光太郎は誘われて花巻に疎開してくるのです。

ところが、賢治の実家の宮沢家もまた、空襲で焼かれ、
今度は土地の人々の好意で、郊外の大田村山口に暮らすことになりました。

きびしい人生ですねえ・・・
最愛の妻智恵子もすでになく、子もなく、
家を失い財産をなくし、
ただ親切な人々に頼るしかない、漂泊の詩人。

近くの「高村光太郎記念館」に入って、たくさんの資料を見ました。
そして『高村光太郎 山居七年』(花巻高村光太郎記念会)という本を見つけたので、
買って帰って読みました。
光太郎がどんな思いで、この山の中のあばら屋に暮らしたのか
知ってみたいと思ったからです。

とてもよい本でした。
なんていうか・・・何もかもなくしても
人ってきれいに生きていけるんだな。というか。

これは、光太郎を何かと助けた佐藤隆房さんという花巻のお医者さんが
光太郎の手紙や、自分の記憶や、いろんな人の思い出を、たんねんに時系列にまとめたもので、
ちょっと、以前に翻訳した『アドラーの思い出』みたいな構成をとっています。
この時代の市井の人々の、生の声が聞こえてくるような本でした。

b0253075_041325.jpg光太郎は小屋の前に小さな畑を作り、
季節のよいときは裏山を散策しました。
ときに智恵子の名を呼ぶ夜もあったといいます。

村の人たちは光太郎のことを、ただ「偉い先生」としか知らなかったのですが、
光太郎は腰を低くして自分の方から村人に声をかけ
小学校の子どもたちと交わったりして、次第にとけこんでいきます。

雪ぐつを編んでもらったり
野菜の育て方を教わったりしたお礼にと、
光太郎はいちいち丁寧に、ありあわせの紙に書をしたため
頼まれたら詩を詠み、法事や式典で挨拶をしました。

本当に村人に慕われ、大事にしてもらっていたようです。
十和田湖畔の「乙女の像」を制作する話がきたとき、
東北では冬に粘土が寒さから固まってしまうため、やむなく東京に移って、
けっきょくそのまま東京のアトリエで亡くなりました。

b0253075_0455643.jpg地元の人たちは、光太郎を偲んで
今にも崩れそうな小屋を覆う形で蓋屋を建て、
「高村山荘」と名付けたのです。

   つづく・・・
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# by prem_ayako | 2015-09-01 01:24 | others | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako