アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

中越一周?

シンポジウムは無事終わりまして
その後、帰りの夕方の飛行機まではだいぶ時間があったので

大きなJ先生とタクシーで
良寛さまの住んでおられた五合庵に行こうということになりました。

ところが、ホテルで呼んでもらったタクシーの運転手さんに、
「五合庵は行ったことねえな」って言われてしまいました。
・・・方言がきつくて、あんまり分からなかったんですけど、
「行ったことないからどうするかね
 海岸沿いに行くほうがいいでしょ
 一度ぐらい行ったことあったけどな
 行ってもあそこたいしたことないで」
とか、総じて否定的です(笑)

で結局、「弥彦神社だったらすぐそこだけどな」
って言うので、それにJ先生が乗って
「じゃ弥彦神社に行こう」ということになりました。
・・・すぐそこったって、かなり走りましたけどね。

弥彦神社は広大な越後平野にそびえたつ弥彦山の麓にあって、
ほんとうに立派な大きな神社でした。
なんにも知らなかったけれど、新潟県一のパワースポットだそうです。

ただ、この日は七五三詣りの子ども連れが多く、
私たちも大きな荷物をガラガラ引っぱっての参拝で
あまりゆっくりとできませんでした。

参拝を終えて、さてどうやって空港まで戻ろうかと考えて、
とりあえず歩いて10分ぐらいのところに弥彦線の弥彦駅があるので
そこまでガラガラ引っぱって歩いて行きました。

弥彦駅からの時刻表をみると
・・・1時間後です。
しかもそこからまた乗り換えなくては新潟駅に出られません。

じゃあタクシーを見つけて相談してみるか、ということになりましたが
駅前にタクシー乗り場なんてありません。
どうすればいいかな~
(タクシーについては、先日来、台湾でさんざん苦労したので悪い予感)
とりあえず電話ボックスをのぞいたりしていましたら

あら。
不思議なことに、さっきは見なかったのに
今見たら、
駅の真ん前にタクシーが停まっています。
どっからわいてきた?

ともかく乗り込んで新潟駅に戻るすべを相談したところ、
今度の運転手さんはマスクをかけた親切な女性で、
車で燕三条に出て、そこから新幹線を使うのが一番とのこと。

ではそうしましょうと
いろいろお喋りしながら、
楽しく燕三条まで走らせてもらいました。

・・・こっちが寺泊かな、寺泊に友だちがいるのでね、とJ先生が言えば
この道を右に行けば、すぐ寺泊ですよ、と運転手さん。

川に上がってくる鮭の話や
おいしいお酒の話や、
運転手さんのお家のネタまでご披露いただき・・・
またぜひ新潟へおいでください~ご縁がありましたら~と明るく送られて
燕三条駅の良寛さまの銅像の前で車を降りました。


新潟までの自由席切符を買って待ってたら
10分ほどで、Max「とき」の2階建てがやってきました。

まあ、なんといいタイミングで素敵な電車に乗れたこと♪
だいたい私、上越新幹線に乗るのはじめてですし♪

で、新潟駅で新幹線を降りて構外に出て
今度は新潟空港行きのバス乗り場に行ってみたら、
2分とたたないうちに、リムジンバスが来たので乗りました。


バスの中で思うに。
え~と。
私たちは、結局弥彦神社にお詣りするためだけに
広い新潟県内をぐるっと回ったのですけど
どうやらこれは必然だったようですね。

どう考えてもおかけいが

ーじゃるしゃ~あやちゃ~ん、五合庵、今日はやめときなよ~
 それより弥彦神社にお詣りしときなさいっ
 ほらっいいとこでしょ。せっかくいいお天気なんだからさぁ
 ぐるっと回っておいきよ。新幹線も乗ってねっ
 2階建てだよ~あやちゃん景色見るの好きでしょ

って、私たちを連れ回したようにしか思えませんです(^^;)


伊丹に帰る飛行機は少し遅れましたけど、
伊丹空港から京都までのリムジンバスも、すごくよいタイミングで乗れましたし
京都駅からうちまでのJRも、すごくよいタイミングで乗れました。

おかけいの力恐るべし?
いや、いくらなんでもこんなとこまではパワー届きませんよね(^^;)


それにしても、新潟の3日間は、とてもとてもよいお天気でした。
タクシーの運転手さんも、明日からはくずれるみたいだと言っていましたから
やっぱりおかけいが、
全国から集まるアドレリアンを歓迎してくれていたのだと思います。


この次に新潟に行くときは今度こそゆっくり時間をつくって
五合庵を訪れてみたいと思います。
今度は協力してね。おかけい。
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-10-19 23:34 | travel | Comments(0)

新潟総会

第33回日本アドラー心理学会総会に参加するため、
先週末、新潟へ行きました。

ずっと病気療養中で会えていなかった友、おかけいに
この総会ではきっと会えるだろう、と楽しみにしていましたが

おかけいは4月に亡くなってしまいました。


そろそろ、おかけいのことを書くことができそうです。

おかけいが肉体を離れてから、
シンガポールでも台湾でも、ガルチェン・リンポチェの法要で
いつもおかけいのことをお祈りしていました。
もうすでに極楽に生まれ変わっているに違いない、とも思っています。

でもやっぱり
新潟に行って、良かったです。
おかけいに会えて、きちんとお別れができたような気がします。


しばらく雨が続いていたのが
新潟に着くと、とてもいいお天気!
ホテルへの送迎バスから見る越後平野の広がりはとても美しく、
すでにこの時点で、おかけいが歓迎してくれているんだなあ~と感じました。

総会の会場に入ると、
会場のいちばん後ろに
彼女の遺影が飾ってありました。
そのお写真の、綺麗だったこと!(T_T)

あとで知ったのですが、ご主人からお借りしてきたものだったようです。

ほんとうに美しい、やわらかな笑顔で
タートルネックのセーターがよく似合っていて
私のよく知っている元気なころのおかけいでした(T_T)

このおかけいが、後ろの席からずっと総会を
見守っていてくれました。

いろいろと重要事項の決議もあり、いつになく気の張る総会だったのですが
・・・たぶん、おかけいを知る人はみな、
おかけいの存在を感じていて
彼女のために和していこうとしていたように思います。
空中に、おかけいのエネルギーが充満していたと思います。


私の出番は、最終日の午前9時から12時までのシンポジウムでしたが
その日は早朝からなぜか目が覚めておりました。

ホテルの部屋の外に大きな池があって、その方向から
「こーこー」と、渡ってきたばかりの白鳥の声が聞こえます。
その声を聞きながらお布団の中で、
おかけいのことをたくさん思い出しました。

パセージリーダー養成で出会って友だちになったこと。
その後、大阪で会ってはおしゃべりしたこと。
長電話もいっぱいしたこと。
離婚前の私の家に、何度か泊まりにきてくれたこと。
そういえば、私のパセージを見学にも(!!)来てくれたこと。

そして私がカウンセラーになりたての頃・・・
事例検討会で事例を出すたびに先輩や先生方から
出来ていないことをたくさんたくさん指摘され落ちこんでいた頃。
おかけいも、「う~ん」と首をかしげて
私の下手さ加減に不満を示しながらも、
私が食らいついていくと、時間をつくって相手になってくれました。
そうして私を鍛え、勇気づけてくれました。
私があの時期に諦めず、アドラー心理学を学び続けることができたのは
おかけいのおかげです。

月日が流れて私が心理療法を臨床でするようになった頃、
ひとり暮らしの大阪の家にも泊まりに来てくれました。
夜おそくまで、ケースについて語り合いました。
たのしかった。本当にたのしかったです。


心理療法士試験を受けたときも、その場にいて、見ていてくれました。
だから私の心理療法士認定書には
認定者として、おかけいと野田先生と、おふたりの名前が記されているのです。

合格した翌日、しみじみと
ーあやちゃん、昨日の夜、事例検討会でいろいろあったこと思い出してさあ、
 ほんとよくがんばったなぁって思ってさ~
って言ってくれました。。。

この日が、おかけいに会えた最後だったんです。
またきっと会えると信じていたのに・・・・・


こうして学んできた、ひとつの区切りになるのが
ひょっとしたら今日のシンポジウムかもしれないな、と思いました。
まだまだ、ほんとにまだまだの私だけれど、
おかけい、私、ここまできたんだよ。
見ていてくれるね?


シンポジウムが始まると、
一匹のハエが、私たちのまわりを飛び回り始めました。
私を含め6人のシンポジストが壇上にいたのですけど、
話をしているシンポジストのまわりを、このハエが飛ぶのです。

「ハエ、五月蠅いな」と言ってる人もいましたけど(^^;)
休憩時間に、シンポジストのひとりが
「あ、おかけいさんだね」と言いました。

そう。
おかけいは菩薩ですから、ハエに転生するはずはありません。
でもこの日は、もう遺影が引き上げられていましたから、
たぶんおかけいはハエを依り代にして、ハエの体を借りて
私たちを見守ってくれたのでしょう。

私が発表する番になると、
やっぱりこのハエさんは私の眼の前にきて
手をすり足をすりし、しばらく留まっていたのでした。

ハエさんを愛しく観察したのは
これが生まれてはじめてでした(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-10-19 23:20 | psychology | Comments(2)

台湾(6)Blessings

(できれば台湾(1)から読んでいただけると嬉しいです)

b0253075_2111997.jpg最終日は、午前に Amidewa Recitation が2座あり
午後に死者供養と Mandala Offering があって、
賑やかにカタを振って、リンポチェとお別れしました。

この日の・・・朝の「おんあみでわふりー」の時です。

朝、何かの話の折りに大きなJ先生が、
「ガルチェン・リンポチェは十地の菩薩だと思う」
とおっしゃいました。
十地の菩薩というのは、
いつでも悟りを開いて涅槃に入ることができるのだけれど
衆生のために、こちら側に留まっておられる菩薩さまのことで、
ほとんど仏さまと同じ境地でいらっしゃいます。
ガルチェン・リンポチェは、そういう菩薩さまだと。

その後のセッションのとき、ちょっと眠くなってヴィジョンを見ました。

私は観音菩薩となって一心に真言を唱えていますが、
壇上の阿弥陀仏の姿のリンポチェと、真言の輪っかでつながっています。
気がつくと、リンポチェの周りの僧侶の方々も
フロアーの人々も、全員が観音菩薩の姿になっていて、
中心のリンポチェと赤い輪っかでつながっています。

ああまるで、般若心経が説かれた霊鷲山みたいな景色だな、
と一瞬思ったけれど
なんだかよく見ると、海の底みたいなのでした。

上を見ると、氷山がいくつかぷかぷかと浮かんでいます。
我執に凝り固まった堅い心。
これが溶けさえすれば大海の水とひとつになれるのに。

われわれの「おんあみでわふりー」真言から出た光が
その氷山に下から当たると、氷はこなごなに砕け、
いくつかの氷山が溶けて私たちと同じになりました。。。


そうして気がついたんです。

こうしていれば、私たちはひとつだ。

リンポチェは、弟子と結んだ縁は、決して切れることはないとおっしゃいました。
悟りを開くまでずっと一緒だと。

私は今まで、リンポチェの肉体とお会いするために
あちこち追っかけをしてきました。
ただひたすら、生身のリンポチェに触れたくて。

でも、それは大事なことではないのかもしれない。

こうして瞑想の中で、私たちはひとつになることができます。
この体験こそが意味のあるものではないかしら。

大切なのは、この体験をどれだけ重ねていけるか、ということであって、
それがリンポチェとのご縁を強くしていくのじゃないかしら。
実際にリンポチェとお会いする回数は問題ではないんじゃないかしら。

だとしたら、私はもっときちんと瞑想に励んで
お家にいても、どこにいても、
リンポチェのお心とひとつになる体験を増やしていかねばなりません。

だって今生でも来生でも、ゆっくりゆっくり進むしかないけれど、
リンポチェは、私がそこに行き着くまで、
他の姿のリンポチェに生まれ変わっても
待っていてくださるんですもの。

Lama chen-no!!



12日(月)の飛行機は朝8時40分に台北桃園空港発なので
ホテルのフロントで、明朝6時にとタクシーを頼みました。

逆算すると、5時20分には起きた方がよいでしょう。
そうして目覚ましをかけました。

ベッドに入っても私はなかなか寝付けず、
そうだ、金色の仏像を手荷物で持ち込むのは無理かもしれないな!と思いつきました。
とても大事なものなので、ずっと手で運ぶつもりでいましたが、
あれって銅かなにか、ともかく鋼製ですよね。。。
高さは約21㎝、かなり重たいです。
凶器になると判断されたら、没収される可能性が高いです!!!

まずいまずい、リンポチェからいただいた仏さまを没収されるわけにはいきません!
これはこっそり何食わぬ顔で
キャリーバッグに忍ばせて預けてしまうのが得策かもしれません。

どんどん気になってきたので、スマホで調べて
やっぱり預け入れ荷物にしてしまうのがよかろうと思いました。

そしてかなり遅くなってから眠ったら
なんということでしょう!今までこんなことは一度もなかったのに
目覚ましが鳴らなかった?!

なんとなく嫌な予感がしてぼーっと時計を見ると
5時54分でした!!

私「え?何時に起きるんだっけ?」
J先生「!まずい」

そこから2人とも海兵隊員よろしく飛び起きて
着替えて化粧はあきらめ、
J先生に相談する暇もないので、仏さまを私のキャリーバッグに入れこんで、
洗面所やテーブルまわりに散らばった荷物をバッグに放り込んだら
「車が来ましたよ」とフロントから電話がかかってきて、
J先生が何食わぬ声で Ye-s, we are coming!と返事して
ここまで10分!われわれはすごい!

タクシーに飛び込んで空港へ向かったのでありました。
車の中で仏さまの運び方について先生と相談し、
やっぱり手荷物は危険なので預けてしまおうということになりました。

カウンターで「おんあみでわふりー」とお唱えしながら
荷物とお別れしたのは言うまでもありません。

関空でちゃんと荷物が返ってきて、どれだけほっとしたか!
税関審査の後さっそくベンチでキャリーバッグを開けて、
仏さまを取り出しましたよ(^o^)


奇跡のように私たちをお守りくださる力は、まだ他にもありました。

月曜は淀屋橋のクリニックでのお仕事日なので、
関空からそのまま、家に帰らず仕事に向かったのですが

重たいキャリーバッグと、仏さま。それに疲れているし~
関空から南海電車ラピートで難波へ。そこから御堂筋線で淀屋橋へ。
というのが普通のルートだと思うのですが、

ラピート内で、とつぜんJ先生が思いつかれました。
「天下茶屋で降りよう。そこから堺筋線で北浜に出ればいい」

ありがたや~難波の喧噪を避けることができましたし
堺筋線は御堂筋線に比べたら、ずっと空いています。
しかもクリニックは、淀屋橋より北浜からの方が近いのです。


こうやって、大事に大事に仏さまをお運びして
事故なく1週間ぶりに、滋賀の家に帰ってきました。

ぐるぐるに巻いたカタをはずし、
梱包のプチプチをはずし
お目を塞いでいたティッシュをそぉっとはずしたら

出てきた金色の仏像は、
ずっと阿弥陀仏と思いこんでいたのに、
美しい美しい男前の釈迦牟尼仏でした。
あれあれ?お釈迦さまにご変身あそばした?

リンポチェお加持のお釈迦さま、
これほどの blessing は他にないでしょう。

めずらしいことです。
すばらしいことです。

ダルマセンターが出来るまで、
うちの祭壇でお預かりさせていただきます。


長い話を読んでくださってありがとうございました。

追記: 私たちが台湾を発ってすぐの9月14日、
巨大台風14号ムーランティが台湾南部を直撃し、
死者を含む甚大な被害が出たということです。
台湾で出会った方々のご無事をお祈りするとともに
被害にあわれたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。


 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-09-16 20:44 | tibet | Comments(0)

台湾(5)Refuge Vow

いろんな方との出会いが、ここ台湾でもありました。

シンガポールで何度も会ったベトナム人のお兄さんも来ておられて、
再会を喜び会いました。
彼はいつどこで会っても同じアミデワTシャツを着ているので、すぐに分かります(^^)

ロビーをうろついていると、Japanese? と声をかけられ、
なんで私が Japanese やって分かるねん?と思ったら、
見覚えのあるシンガポールのスタッフが何人か、
財神の壺やお守りを売りに出張って来ていました(笑)

それから、もうお一人日本人女性が参加しておられて、声をかけてくださいました。
ご主人が台湾の方なので、海外法友席ではなく後ろの方に座っておられて、
後ろから、ずっと私たちのことを観察しておられたそうです(笑)
で、アヤシいものでないことが分かったみたいで、話しかけてきてくださいました。
ありがとう!(でも実はアヤシいかもよ・・・)
また東京あたりでお会いできるかもしれませんね♪


3日目の土曜日に、希望者がリンポチェから帰依戒を受ける儀式が行われました。
私は3年前に東京で受けたので前に出ませんでしたが、
シンガポールでもここ台湾でも、延々と人が並びます。

今までは・・・たいへん罰当たりなことだったと思うのですが
正直、長いなあ~まだ終わらないのかなあ
と心の中で考えていました。

でもこの度は違いました・・・
とてもよい席に座っていたこともあります。

戒をお授けになる、弟子の髪の毛を1本切り取るときの
リンポチェの真剣なお顔と、
それをお手伝いされるチメードルジェ・リンポチェのお顔が
よく見えます。

そして、法名の書かれたカードをいただき、
もとの席に戻ろうと振り返って顔を上げた瞬間の人々のお顔も、
逐一観察できる席に、私はいたのです。

どなたのお顔も、ほんとうに美しい。

何が起こったのか分からないような、ちょっと戸惑った顔。
淡々と無表情な、あるいは無表情を装った顔。

あるいは、上気した満面の笑顔。
感動で歪んで今にも泣き出しそうな顔。

ときには親子いっしょに。夫婦いっしょに。
幼児も、あるいはお腹にいる赤ちゃんもいっしょに。
ときにはペットの犬もいっしょに。

スタッフTシャツを着た若者が待っていたのは
慣れないしぐさで戒を受けた壮年の父親でした。
肩を並べて帰って行きます。

あるいは娘が、父親や母親と
ガルチェン・リンポチェとの縁をつないでいます。

身体の不自由な方が、足を引きずりながら
杖をつきながら
あるいは痙攣しながら
リンポチェの前に進み出て、戒を受けておられます。

みなさんひとりひとりのお顔をずっと見ていると
ひとつひとつに美しいドラマがありました。
感動でまた泣けてきました。


リンポチェは・・・
 私が戒を授けた者の髪は、みんなこの袋に入れて保存している。
 毎日この袋を見ては、
 かけがえのない私の弟子たちの幸福を祈っている。
 なぜなら私と結んだこの縁は、
 みなが菩提を得て悟りを開くまで、決して途切れないのだから。
とおっしゃいました。


この人も、あの人も、みんな知らない人たちだけれど、
みんなが楽を得ることができますように。
来生では今よりも、苦を離れられますように。
その楽が続きますように。
すみやかに、平等の境地に行けますように。

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# by prem_ayako | 2016-09-16 20:43 | tibet | Comments(0)

台湾(4)Amidewa Recitation

法会では毎日、
午前中は Five-fold Path of Mahamudra のご法話があり、
午後からは Amidewa Recitation が2座あり、
夕方の半時間ほどは、Phowa の教えとその実習をする
という流れでプログラムが組まれていました。

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シンガポールと、ここ台湾と、プログラム自体はそう違いはありませんが、
大きく違うのは、場の雰囲気です。

おおざっぱに言ってしまうなら、
混乱雑多のシンガポールと
規律整頓の台湾、といった感じでしょうか~

台湾では休憩時間であっても、ボランティアさんたちが
会場内では「黙想念誦」の札を掲げ
外の廊下やロビーでは「請軽声細語」という札を掲げて立っています。
少々の話し声はありますが、総じて参加者全員とても静かにしています。

かたや、シンガポールの休憩時間の喧噪といったら!(^^;)

シンガポールで休憩時間の人混みがしんどかった私としましては、
台湾の落ち着いた雰囲気の方が、数倍、過ごしやすかったのでした。

中国語って、迫力があるんですよね。
「請軽声細語」の札がなかったら、台湾でも同じようにうるさくなってしまうのか
あるいは札がなくてもシンガポールよりは静かなのか、
私には検証のしようがありません・・・

台湾のサンガの所長さんは華(ふぁ)さんとおっしゃり、
センターで金色の仏さまを包む時、とてもお母さん的に手伝ってくださった方です。
リトリート中のアナウンス
(静かにしてくださいとか、もうすぐリンポチェが来られますなど)
はすべて華さんがしておられましたが、
とっても上品な美しい発音で、華語と英語を話しておられました。
この方の個性も、参加者をまとめる上で大きいのかもしれません。


次に、お経の読み方が違います。
台湾ではチベット語に華語を重ねて読む。
シンガポールは、チベット語・中国語・英語と、同じ経文を3回読む。
ここでJ先生もY先生もかなり驚いておられましたが

私はむしろ、真言「おんあみでわふりー」の唱え方の違いに驚きました。

シンガポールでは、最初しばらくリンポチェがゆっくり真言を唱えられ、
その後大部分の時間は、リードを担うウンゼーが、真言を繰り返します。
これがものすごい高速で、どんどんみんなのテンションを上げていきます。
アッパー系ですね。

台湾では、リンポチェがゆっくり真言を歌うように唱えられる時間が長く、
その後のウンゼーさんも、規則正しい速さで繰り返します。
決して高速にはなりませんでしたし、
リンポチェがリズムを刻まれてることもありました。

同じリンポチェのリトリートなのに、
なんでリンポチェご自身のお唱えの仕方がこんなに変わるのか。
凡夫には分からない謎ですw

でも実は私は、台湾風のお唱えの仕方がとっても気に入ったのです。
リンポチェのゆっくりした節つきの「おんあみでわふりー」が
とても吉祥なるものだということに、
何回目かに気がつきました。

・・・リンポチェのお歌、音程もリズムも、とっても微妙です(^^;)

 おんあーみーでーわぁふりーぃぃ
 おんあーみぃでぇわぁふりー
 おんあみ・でーわぁふりーー・・・
 おんあーみーでーわぁふりーぃぃ

この微妙な節回しをできるだけ真似してですね、
リンポチェの呼吸に合わせて、いっしょに歌ってみたのです。
音が少々変になっても狂っても気にしない!
ただリンポチェと同時に息を吸い、同じだけ息を吐いて歌うのです。

そうしたら! とってもとってもいい感じ!
気がつけば会場にいる人がみんな、リンポチェといっしょに歌っていました!
リンポチェの呼吸、リンポチェの声にみな一心に耳を傾け
衆生の心がひとつになっていたのです。

感動でした(涙)
シンガポールで、リンポチェのお心とひとつになった体験をしたと書きましたが、
今度はリンポチェだけでなく、すべての衆生とひとつになった気がしました。


リンポチェは分かっておられるのでしょう。
人々が満足するまで、何度も何度も真言を歌われ、
よい頃合いになると、
低い声のウンゼーに、リードを渡されました。


素晴らしい体験でしたよ。
毎日2座ずつ、これを繰り返すことが出来たのですから、
どんだけ私が幸せだったか、
ご想像できるでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-09-16 20:42 | tibet | Comments(0)

台湾(3)Ximen

9月8日(木)から4日間、
台北の福華国際文化会館という施設で
ガルチェン・リンポチェの法会があります。

最寄り駅は、MRT松山新店線の「台電大楼」駅なので、
通いやすいように考えて、同じ線上の「西門」駅近くにホテルをとりました。

台南と違って、台北、とくに西門界隈は都会です!!
どうやらオタク文化の街で、イっちゃってる系の若者の数が多かったです。
まず女性の服装が違いますし、男の子の髪型も違う。
駅からホテルまでの徒歩10分圏内にコンビニが3軒あるのも、台南と段違いです。
やっぱこういう便利さは助かりますわ~

木曜日は Fivefold Mahamudra の灌頂をいただく日で
午後1時から入場できると書いてあったので
台南を朝に出て、昼前に台北中央駅に戻って西門のホテルに荷物をあずけ、
自由席なので早い目に会場に行きました。

まず受け付けで名前を書いて、ラジオ式の翻訳受信機を借り、
講堂のような広いホールに入りました。
階段状になっていて、2階席もあります。

ふと前の方に、「海外法友」と紙を貼った席が見えました。。
案内のボランティアさんが、どうぞどうぞと言ってくださったので
ちゃっかり、その席に座らせていただきました(^^)
「海外法友 Dharma friends from abroad は通訳の電波が届くようなるべく前へどうぞ」とアナウンスもありました。

この席は正面に向かって右よりではありますが、、
前の2列はお坊さまたちがお座りになる「僧衆席」でしたから
在家ではいちばん前(3列目!)になります。

思いがけず、こんなに良いお席!
シンガポールでは人数がもっと多いこともあるけれど、いつもかなり後ろの席で、
正直、望遠鏡を使わなければリンポチェのお顔が見えません。
これは、自分の土地の法友をまず優先させるか海外法友を優先させるか、
という方針の違いに依るのでしょう。
なんにせよこの度は、とっても優先していただけて、
とってもとっても有り難かったです!!

だってガルチェン・リンポチェのご存在が近くにあって
ご表情もありありと見えるし
リンポチェの波動が・・・エネルギーがびんびんに届く距離なのですww

もちろんこうなったら、一睡もできません!
ずっとぎんぎんに冴えて、4日間を過ごしました。

b0253075_217432.jpg

驚いたことに、私たちより一足早くその席についておられたのが、
東京のチベット仏教関連の法会をいつもサポートしておられる
仏教学者のY先生でした。
Y先生の方は、私の名前などご存知ないと思いますが、
はじめて東京でガルチェン・リンポチェにお会いした折りも、
この方のおかげで、わずかな資料をいただくことができたのです。
ご挨拶をして、以降4日間、ずっとお隣に座らせていただきました。


さて、こちらの法会は午後6時に終わるので、
MRTで西門に帰り(交通費、片道60円ほど!)
初日だけ、近くのレストランでちょっと豪華に夕食をとりました。

翌日からは、朝8時入場開始なので、
前日の帰りに買っておいたベーカリーのパンを、ホテルの部屋で食べて行きました。

また、いつも解散時に「夕食にどうぞ」と大きな手作り野菜饅頭をいただいたので
西門で揚げたての胡麻団子などを買い足して、
ホテルでお湯を沸かし、頭頂烏龍茶を入れて夕食にしました。

お昼はお昼で、けっこうな量のある素食(=菜食)弁当を配ってくださるので
食生活はとっても充実していました!
瞑想に集中できてありがたかったです!
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-09-16 20:41 | tibet | Comments(0)

台湾(2)Tainan/Anping

台湾を訪れるのは、実は私は3度目になります。
前は2度とも純粋に観光目的で、
故宮美術館や、九扮や、東岸の花蓮にまで足を伸ばしもしました。
でも、台北以外の土地に泊まったことはありませんでした。

今回は大きなJ先生のご希望で、台南を訪れてみることになっていました。
台南を拠点に活躍した国民的英雄、鄭成功(ていせいこう)に
興味がおありだからです。

「台北中央」駅から台湾の新幹線・高鉄に乗れば「台南」駅まで2時間たらず。
私はずっと、リンポチェからいただいた仏さまを、
ひざに乗せて抱っこしておりました。

ところが私たち、夢見心地になっていたためか、
ホテルは台鉄の「台南」駅の方だという事実を
すっからかんと失念しておりました(>_<)

高鉄のインフォメーションのお姉さんに教えてもらって
仕方がないので台鉄に乗り換えて、
ごとごとと揺られているうちに、外はえらい雨になっていました。

めざす台鉄「台南」駅についた時には、もうどえらい豪雨。
駅の地下道はすでに雨漏りしていて、床にブリキのバケツが置いてあります。
昨今なかなか見ない風景です・・・

亜熱帯の台湾、雨の降り方が日本とちょっと違います。
土・砂・降り!
ほとんどの人が大きな合羽をすっぽりかぶっています。

やっとつかまえたタクシーの運転手さんにホテルの番地を見せました。
「この路地を奥に進めばホテルあるからね」と親切に示して降ろしてくれたものの
行けども行けども、それらしき宿は見つかりません。

豪雨の中、大きな荷物を引いて行きつ戻りつして困っていたら
路地の入口に、壁代わりの透明ビニールを吊った、小さな飯屋さんがありました。
ビニール越しに、出先から戻って傘を閉じようとしているおかみさんと、
粗末な椅子に腰掛けた、白いランニングシャツのおじさんが見えました。

J先生がビニールのすき間から中に声をかけて、道を尋ねました。
まず奥さんが顔をしかめて番地と地図を眺め、
おじさんの方が横からのぞきこんで、「あ、わし、ここ知ってる」と言いました。

「知ってる知ってる。わしが案内したるわ」と(なぜか関西弁に聞こえる)
おじさんは奥さんのビニール傘をひったくり、
さっと先に立って、「こっちこっち」と案内してくれたのでした。
!なんていい人なんでしょう! こんな雨の中、わざわざ出てきてくれるなんて!
「日本人? ここすべるからね、ゆっくり。ゆっくり」

私たちは、この雨ではほとんど役に立たない折りたたみ傘をさし、
すでにびしょ濡れです。
さらに不幸なことに、私はビルケンシュトックのサンダルを履いておりまして orz
サンダルも靴下もずぶ濡れで、グチョグチョと音がするほどです。。。。。
リンポチェからいただいた仏さまを入れたバッグを必死でかばいながら
すべらないように用心して、後をついて歩きました。

細い路地をずいぶん奥まで歩いて、さらに分かれたもっと細いすき間に入っていくと
こんな場所、誰が分かるか!というような所に、私たちのお宿はありました。
でも実は、表通りからならすぐに分かるのに、
タクシーの運転手さんが裏側に回ってしまったようなのでした。

「ここやで、じゃぁな!」
おじさんは身を翻して、雨の中、ひょいひょいっと帰って行きました。

こうしてチェックインできたのは、もう午後8時ごろ。
高鉄の「台南」駅を降りてから、1時間半も経っていましたよ(T_T)
まだ夕ご飯を食べていなかったので、
このあと、再度雨の中に出かけなくてはならなかったのですが・・・
もう特記するような事件はこの日はありません(これ以上あってたまるか)

散々ではありましたが、昼間のリンポチェの笑顔を思うと心がポッと明るくなります。
明日は明日の風が吹く・・・
とりあえずは清潔なお布団でぐっすり眠りました。

b0253075_20345598.jpg

・・・翌朝も土砂降りでした。

今回学んだことですが、
ガイドブックに載っていないような小さな台湾のホテルって
「朝食付き」と書いてあっても、実は近所の店の食事割引券をくれるだけで
その近所の店ってのも、閉まっていたり見つからなかったり、
ちょっと入るのをためらうような所だったりで、あまり使えないことが多いんですね。

まあそれでも、もらった割引券8枚中、2枚使えたんだから良い方かな。。。
台湾風サンドイッチの露店でテレビニュースを眺めていたら、
「注意喚起 強風大雨 河川増水 低気圧」などとテロップが流れます(>_<)

良識ある私はホテルへ戻ろうと提案しましたが、
大きなJ先生は、このまま市内観光しようとおっしゃり、
とりあえず、すぐそこに見えている Chihkan Tower(赤かん楼)だけは行きましょか。
ということになりました。
Chihkan Tower は、鄭成功の台南における城のひとつです。

晴雨兼用の折りたたみ傘をこれ以上酷使するのは可哀相すぎるので、
私はまず、コンビニで長傘を買いました。
警報が出ているような豪雨の中、
芝生の庭は池となり、れんがの階段は滝となる中を歩き(渉り?)
(今日も可哀相なビルケンシュトック!)
なんとか建物内に入りました。

それでもすでに何人かの観光客がいたのですから、驚きですね。
私の良識を越える人々が、けっこうおられるということだわ(笑)


ここで雨宿りしているうちに小止みになってきましたので
そのまま市内散策を強行することにいたしました。
(こうなりゃヤケクソですわ)

b0253075_2049479.jpg祀典武廟(関帝廟の総本山)
大天后宮(媽祖廟の総本山)
鄭成功の家廟、
孔子廟、などなど。

道を曲がるたびに現れるお堂やお寺を
片っ端から見て回り

お昼にはいったんホテルに帰って休みました。


午後、もう雨の峠も越しただろうというご意見に従い、
今度は台南市の北西の端にある、安平という海沿いの観光地に行きました。
ここも、鄭成功がオランダから奪い取って拠点にしていた所です。

美しい安平古堡(ゼーランディア城)にいる間はよかったのですが
その後、またもや土砂降りの雨になりました。
安平樹屋に入園し、古の貿易会社の建物に避難して
1階テラスの、まだ足元の乾いていたベンチに座って雨を避けましたが

あまりの雨に床上浸水してきてw
一時は、このまま降り続いたらベンチの上に立って救助を待つのか。
下手に屋内に入って、ここで溺死なんてことになったら困るわね。
なんて妄想するぐらいの激しさでした・・・

しかし仏さまのご加護もあり、そのうち水は引いてきて、
観光客たちはまた、何ごともなかったように見物を再開し
私たちも、お目当ての樹屋を見ることができました。

樹屋は、崩れた倉庫にガジュマルの巨木が覆い被さって茂るさまが売りなのですが
いやはや、豪雨の合間で空は薄気味悪い暗さで
床は池というよりも、もはや海、
天井を覆うガジュマルの根っこからはボタボタと水滴が落ち・・・という
このタイミングで見物するには、ちょっと恐ろしいような所でしたね。。。

樹屋に付属のお土産物屋さんで、
昨夜の飯屋のおじさんにと、お土産を買い求めました。
売り子のおばさんも、一生懸命でとってもいい人だったです~

b0253075_20464555.jpg

豪雨の合間、と書きましたが、
この後またもや大雨になりましてね。
帰りのタクシーがつかまらなくて、雨の中立ちっぱなしで1時間。
ようやくバスで市内に戻り、
ヘトヘトではありましたが、
おじさんにお土産を渡そうと件の飯屋さんに立ち寄りました。

相変わらず白いランニングシャツのおじさん、
「これ、わしに?」とすごく驚いて、「ありがと、ありがと」の連発です。
Thank you very much, YOU helped us much!
例の路地を宿に向かって歩き出すと、
バタバタと追いかけてきてバナナを1本差し出してくれました。
「知ってるか?これ、バナナ。おいしいおいしいよ!」


b0253075_20383428.jpgありがたくいただいて、お夜食に先生と半分ずつ食べました。
日本で食べる台湾バナナと、ほとんど同じ味でした(^^)

こうして人情豊かな
タクシー事情の悪い
雨の台南とはお別れです。

翌朝は、やっと雨も上がりましたが
ここまで来ることは、もうないかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-09-16 20:40 | travel | Comments(0)

台湾(1)Xindian

1週間ほど、台湾に行ってきました。

今年は6月末から7月にかけて、
シンガポールでガルチェン・リンポチェにお会いすることができましたが

実は私たちの参加したアミデワ・リトリートの前後にも
かの地でリンポチェは、さまざまな教えを授けておられました。
次のご訪問先の台湾でも、たくさんのリトリートを予定しておられます。

よく調べると、ちょうど私たちの空いている9月のはじめに、
台北にて、またアミデワ・リトリートを開催されることが分かりました。
しかも admission free(入場無料)no registration(申込不要)と書いてあります!
それだと自分たちでホテルをとって、気軽に参加することができます。
いちおう英語通訳が付くかどうか確認したかったので、
台湾のサンガにメールして、海外参加者としてJ先生と登録しました。

この旅は
私にとっては、はじめてリンポチェとお会いした時と同じぐらいの
衝撃がありました。

ゆっくりお話ししていきますね(^^)


9月6日(火)午前9時10分発の台北行き飛行機で
台北桃園空港に着いたのが、現地時間11時過ぎ。
時差は1時間なので、3時間のフライトです。
シンガポールよりずっと近いから、ずっと楽です!

空港から台北中央駅までバスで移動。
駅で軽くお昼を食べて、大きな荷物をあずけて
MRTに乗って、Garchen Dharma Institute のセンターを訪ねました。

めざすセンターは、いちおう台北市内(新店区)ですが、
MRTからまた支線に乗り換えた「小碧潭」という駅にあります。
わりと郊外で、実際行ってみると、ん~っと・・・
大阪で言えば御堂筋線(北大阪急行)の「千里中央」って感じかな。

駅からは地図と番地を見ながら、探し探し行きました。
あたりは高級住宅街で、探し当てたビルの入り口はオートロック。
高い天井のエントランスには制服の門番が詰めています。
Garchen Dharma Institute は、13階と14階の2フロアーを使っているようで
とても清潔でセレブな場所なので、びっくりしてしまいました。

私たちは、ここでまたリンポチェと、個人インタビューを組んでもらっていました。

今回ずっとメールでやりとりしてきたのは
Claudia という、背の低い、短髪で眼鏡の女性でした。
「ここは in a mess なので、リンポチェとお会いするのは下の階よ」
とおっしゃるのですが

いやいや(^_^;)シンガポールのディクン寺 Dargye Ling に比べたら、
ここはちっとも mess なんかじゃありません。
脱いだ靴だって、玄関の木の格子の靴箱にみんなちゃんと入れているし
(シンガポールだと、脱ぐ場もないぐらい扉の前に靴が散乱してます 笑)
大きな法会の前だというのに、とても整然としています。

それでもさすがにチベット風、話はころころ変わります。
他のグループが先だからあなたたちは3時半よ、とまず言われ、
くつろいでいたら、いきなりここにリンポチェがおいでになると言われ、
慌ててカタを出して用意していたら、結局リンポチェはおいでにならず、
あなたたち先に行きなさいと2時45分に言われて、すぐに下の階に降りたのでした。


リンポチェは下の階のお部屋の中、
大会社の社長さんが使うような大きな事務机の向こうに座っておられて
いつものように「おおよく来た、よく来た」とお顔をくしゃくしゃになさり、
机ごしに、私のほっぺたにキスしてくださいましたv(^o^)v

今回のリンポチェとのインタビューの目的は、
日本にガルチェン・リンポチェのダルマセンターを作りたいこと
その手始めに、ドルズィン・リンポチェに来て教えていただくことのご報告と、
Garchen Institute Japan という名称を使うご許可をいただくこと、の2つです。
事務的なことなので、どちらもJ先生が英語でお話しされました。

若いお兄さんが通訳してくれている間、
リンポチェは次々と、いろんなものを手渡してくださいます。
まずは美しい石で飾られた腕輪。J先生にはグレイの玉のお数珠。
それから、『白ターラ母七讃』の小冊子。
私はそれらを手にとって感動したり、
リンポチェと微笑みあったり合掌したりするのに忙しく
やっぱり、ほとんど通訳さんの英語を聴き取れませんでした(^^;)

でも、「おお~ダルマセンターか、善き哉、善き哉」とか
「もちろんわしの名前など、いくら使ってくれてもよいぞよ」とか
おっしゃっていることは、お声の調子と所作とで、よぉく分かりました。

また、前回のシンガポールのリトリートで瞑想中、
リンポチェと心がひとつになったような気がしましたと申し上げると、
リンポチェは目を細め、両手の親指を立てて、Good job! のポーズをなさいました。

そして『法身普賢の誓願』と『白ターラ母七讃』に
詳しく書かれているから読んでおくようにとおっしゃいました。

はい!師よ、読みます! Lama chen-no...

そしてそして最後には・・・
リンポチェはお付きのラマに合図して金色の仏像を持ってこさせ、
白いカタでくるむようにして、私たちの前に差し出されました。
(@_@)
ダルマ・センターに置くようにと、くださったのです!
So-o precious!! 思いもよらぬことでした。


さぁ大変です。
時間が来たので促され、おいとまして上の階に戻ると

そのままでは持って帰れないでしょう?と、
センターの所長さんや居合わせたアニ(尼僧さん)たちが
仏像のお目を塞ぎ、梱包してまたカタで包み、
袋に入れるのを手伝ってくださいました。


J先生も私も舞い上がってしまって、
用意してきたお布施をお渡しするのをすっかり忘れていたことに、
小碧潭駅まで戻ったときにやっと気がついて

きびすを返してまたセンターに戻り、
Claudia には「なんでまた戻ってきたん?」とか言われながらw
ちゃんとお布施を渡すことができました。


「ダルマセンターを作るのは大変じゃぞ。
 立ち上げるのももちろん大変じゃが、
 維持していくのも、とても大変じゃ。
 しかし衆生のためにダルマセンターを作るということ、
 それだけでも、
 大きな大きな福徳じゃ。
 たとえ道半ばで終わっても、その福徳は計り知れない。
 がんばるのじゃよ」
リンポチェは力をこめて励ましてくださいました。

これから先、何度も何度も
私は今日のこの場面を思い出すでしょう。
台北の新店のあのお部屋、
リンポチェのお姿、いただいた腕輪と金色の仏さま。
それらを思い出しては
そのたびにまた、私は力をいただくことでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-09-16 20:39 | tibet | Comments(0)

LS分析を体験して

今年のカウンセラー養成講座は
心理療法士試験を受ける方が何人かおられましたので、
はじめて、心理療法(=ライフスタイル分析)のクライエントをさせていただきました。

ず~っと前から、実は
私もライフスタイル分析を受けてみた~い!
と叫んでいたのです。
自分のライフスタイルを知っておくことって
他の方のライフスタイル分析をする上で
とっても大事なことなんです!
だって、知らないうちに
自分のライフスタイルが影響してしまってはいけませんからね。

私を分析してくださったセラピストさんは
とってもやさしくやわらかく、話を聴いてくださいました。
ほんとうに勉強になりました!
ありがとうございました。


まず、母に対して陰性感情がわいた最近のできごとをお話ししました。
私のある行動に対して、母が不満を言ったというエピソードです。
一言二言のやりとりでしたが、
いつものように母にも私にも若干の陰性感情が残り、
こういうことを繰り返したくないなあと思いました。

「その出来事はあなたの性格と関係があるように思うので、
 小さいころの出来事をお聞かせいただけますか?」とセラピストさんに促され、
早期回想をお話ししました。

よろしければお読みください。

【よくない早期回想】

4歳か5歳だったと思います。
めずらしく外で遊んでたら、はじめて会った男の子と仲良くなって
家の外の塀につかまりながら、へばりついて遊んで、すごく楽しかったんです。(+4)
帰ってきたら、母は「あの子とはあまり遊ばない方がいいと思うよ」と言いました。(-2)
私が「なんで?」とか聞いたら、
そのうち母は「あの子とは遊ばないようにしなさい」と言いました(-4)
で、すごく嫌だったんですけど、結局その子とはもう遊びませんでした。

【よい早期回想】

家の前の路地で、兄とインサイというボール遊びをしていました。
お気に入りの普段着を着ていて、それがとてもうれしかったです。
グレーとモスグリーンのギンガムチェックで、薄いウールだったと思うんですけど、大人っぽくて、気に入っていました。
(母が着せてくれた服でした)


まず、私にとってのマイナスの価値を考えました。
じゃまされること。
押しつけられること。

うん、それはそうよね。
お外で楽しく遊んで、明日も遊ぼ!と帰ってきたところで
なんだかわけのわからないことを押しつけられたからイヤだったんですよね。
ここまでは、すんなり分かったんですが

私にとってプラスの価値は?というところで
セラピストさんも私もちょっと道に迷ってしまって
遠からず近からずのところ(自分で決めるべきだ、とか、自由であるべきだなど)
をウロウロしてしまいました。

で、途中で大きなJ先生が入ってこられました。
「解釈を言ってもいいですか? 
 この人にとってのプラスは
 私のいちばんいいようにみんなが決めてくれること、じゃないですか?」

こう言われたときに、ばっちーんと認識反射が出ました!
笑ってしまいましたわ。
そうそう!そうだわ!って。

「じゃまされる」の反対は、
私の場合、「自分で決める」ではないんです。
「私にいちばんいいように決めてもらう」、なんですねえ!!
私って、ほんとに passive な人なんだ~

お気に入りの服を用意してくれたのは、母。
お気に入りの遊びをセッティングしてくれたのは、兄。
私にとって、とても良いものを、みんなが提供してくれる状態が、
理想なんです!!!

私のライフスタイルの目標は
 私のことをよく理解してくれる人々と居て
 その人に、良いように決めてもらう「よきにはからえ」状態
  I should be a Little Princess.
  I should be treated well.


逆に劣等の位置は
 私は、ものごとを自分で決める力がない
 人々は、私にとって良いように決めたり、悪いように決めたりする


おおお。は、恥ずかしい・・・(-_-;)

きっと人さまには丸見えだったんでしょうけど。。。
こうあからさまに言葉になると、とっても恥ずかしいものです~

でも当たってます・・・
当たってます・・・
当たってます・・・

母は、私のことを私が望むほど理解していないので
私の気に入らないことを、しばしばするのです。
現在の問題についても、母は私のことを理解せず
自分のことばっかり話すので、
(もうちょっとこっちの事情も考えてよ!)と陰性感情がわくのですね。

あらら・・・(>_<)
どっちがワガママやねん。
いたたたた・・・

たぶんこの信念には、大きな見落としがあるのではないかと思います。
理解してくれる人が、いつもいちばんいいように決めてくれるとは限らないし
理解してくれていない人が、いつも私の気に入らないことをするとも限らない。
たぶん、私のことを理解してくれる人と私によいようにしてくれる人との関連性は、
私が思い込んでいるほどは、ない。。。


あんまり痛いから、この件については、しばらくぶら下げて
ひとりワーキングスルーをいたします・・・


さて、今回、クライエント側に立ったおかげで、
セラピスト側に立ってばかりでは気づけなかったとても大切なことが
ひとつ、分かりました。

それは、セラピストが行き先を少し間違えた場合、
セラピストの誘導が上手であればあるほど
クライエントは、いっしょに道に迷ってしまうものなのだ、ということです。

どんぴしゃ命中でなくても、クライエントにしてみたら
セラピストとの関係が良ければなおさら、
そう言われてみればそうかしらんという気がしてしまうのです。
だって、その価値も確かに大切にしているものですから。

だけど、本当にどんぴしゃのプラスの価値、人生目標を見つけてもらうと、
これは明らかな認識反射が、出ます!出るものなのです。

・・・ということを、身をもって知りました。

逆に言うと、今まで私が分析させていただいたクライエントさん方で
明らかな認識反射が出なかった方の場合は、
ぴったりの目標を見つけ損ねている、ということになります。

どーしよぅー(>_<)真っ青。

特に初期の頃のクライエントさんには、そういう方が多々おられたように思います。
だって私、すごくお下手だったもの Orz
ごめんなさい!<(_ _)>

最近のクライエントさんについても、今一度見直す必要があるかもしれません~
もうお会いしない方々については今さらどうしようもないので、
これから精進することで許してくださいませ!

本当に、何回見学してもお勉強になる
カウンセラー養成講座なのでありました。

まったくよい体験でありました。
いたたたた・・・(/_;)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-09-04 23:21 | psychology | Comments(0)

ラサへの歩き方

b0253075_224295.jpg映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」を見てきました。
原題は「カン・リンポチェ(=カイラス山)」です。

とても美しく、
そしていろいろ考えさせられる映画でした。


これは中国人監督による中国映画です。
北京生まれ、40歳前の張楊(チャン・ヤン)監督は、
チベットに惹かれ、
五体投地で巡礼する人々にに興味をもちました。

監督は、およそのプロットを決めて、
イメージに合う俳優を求め、チベットを走り回りました。
そして四川省の小さな村で
幼い少女から老人まで、計11人の村人を起用しました。

演者は全員、お互いによく知った村人同士です。
監督は喋ってほしい台詞の内容を、まず中国語で指示し、
それを通訳が中国語からチベット語に訳し、
演者たちはそれを自分たちの言葉(方言)で演じたということです。

なのでフィクションなのに、
まるでドキュメンタリーフィルムを見ているようでした。

政治的メッセージは皆無です。
中国共産党の姿は一切画面に現れませんし
逆にダライ・ラマ法王のお姿も、一度も出てきません。
非現実的ですが、上映のためには仕方ないことでしょう。
・・・あくまで、フィクションなのです。

村人たちは五体投地しながら、聖都ラサへ巡礼します。
四川省の村からラサまで、1200km。
大きな荷物(テントや布団、食料・調理道具など)はトラックに積んで、
老人と運転手と妊婦さん以外はみな、五体投地で進みます。
ラサからさらにカイラスまで足をのばして、1200km。
カイラス山に着いたところで映画は終わります。


全身での五体投地。
額・喉・胸で合掌し、
そのままザーッと身体を道の上に投げ出します。

皮でつくったエプロンのようなものを身につけていますが
当然、全身ほこりまみれになります。
すぐ脇を、すごいスピードでトラックが通り過ぎます。
でも村人らは、ひたすら五体投地を繰り返し進みます。

冬は吹雪の峠を越し、
夏は緑の草原を縫い、
ときには、ルンタはためく峠で祈ります。

夜は道端にテントをはってキャンプをします。
男たちは重い支柱を立て、女たちも手伝い、水を汲んで料理をします。
子どもも老人も、自分にできる仕事をします。

毎晩みんながそろって食事をして、
夜が更ければ年長者が「祈ろう」と言い
みなが「レー(そうしよう)」と答え
そろって長いお祈り(「二十一ターラ礼賛偈」?)を唱え
あとはそれぞれの寝袋にもぐりこんで眠ります。

毎日毎夜のこの繰り返しが、1年続きます!!!



あるとき、無謀な車に、トラックが追突されてしまいました。
エンジンは大破し、修理ができる町までは遠すぎます。
ラサまであと数日というところ。
「しかたがない。荷台をはずして、押して運ぼう」
老人の言葉に、みなが従います。

引く者と押す者とに分かれ、汗みずくになって男たちが運びます。
そして荷台を置いたら、引きはじめた地点にまで戻って、
そこからもう一度、五体投地で進みなおすのです。
どんな事情があろうとも、「五体投地をしないで歩く」という選択肢はありません!

重い荷台を引いて険しい坂を上るのはたいへんです。
「女たちも押してくれ!」
その言葉にすぐ女たちが走り、先を行く荷台に取りつきます。
男はみな前に回って引き、女はみな後ろから押します。
全員で、力を合わせて坂を上りながら
自然と歌声があがります。

それはたぶん、村人なら誰もが知っている古い歌。
日本でいうならたぶん、「○○のためならえ~んやこ~ら」的な歌ではないかしら。

ようやく峠を越して水辺の草原にでたとき、
若者たちは喜びのあまり、同じ歌を歌いながら輪になって踊ります。
この場面はほんとうに美しかったです!



映像的には、チベットの山々は雄大で、ほんとうに素晴らしく、
私はつい、『指輪物語』の風景を思い出しておりましたが
・・・雰囲気がまったく違うことに気がついて、はっとしました。
あの映画の基調は、恐怖でした。
でもこちらの映画は、とてもとても明るい。
たいへんな苦労をしているはずなのに、とてもおだやかで明るいのです。

生老病死の波は次々と現れますが、
それらは起こるべきことであって、敵ではないのです。
もちろん少しばかり感情は波立ちますが、人々は受け取り、対処します。
恐怖はありません。

この強さはどこからくるのでしょうか?


ひとつ思うのは、
この映画に登場する村人はみな
人生について、共通の信念をもっているということです。
それはたぶん、善因善果と悪因悪果・・・カルマの法。
善い行い(因)が善い結果(果)をもたらし、悪い行い(因)が悪い結果(果)をもたらすというもの。
これを疑う外道は、ここにはいません。

ではいったい善い行いは何で悪い行いは何か?ということについても
みなが、共通の理解をもっています。
たとえば善行とは、
仏教を信じること。
他者を思いやること。
子どもをかしこく育てること。
老人を敬うこと。
リーダーには従い、お互いにできることを協力すること。

人が人と共に生きていこうとするとき、
まず守らなければならないこれら基本的なことへの、
素朴な信念が、まったく揺るがないのです。

だから彼らは勇気があります。
淡々と善行を行おうとし、
人々の善行を勇気づけ
いつも正直であろうとします。
価値観が共有されて価値観を疑う必要のない生活は
とても安定しているのではないでしょうか。


ひるがえって現代の日本を考えると
世代によって異なる価値観があり・・・
地域によっても多様な基準をもち・・・
善悪よりも快不快で決まることが、あまりにも多い社会です。
現実のチベットだって、
この映画のような理想郷ではなくなっているかもしれませんが

あくまで物語として
あくまで理想の物語として

老若男女が同じひとつの美しい価値観をもち
それを守り伝えようと生きている姿は、とても爽やかでした。

そしてその美しさを映像に残しておこうとする監督が
漢人であったというのは、
ひょっとしたら、小さな希望のかけらなのかもしれません。


「ラサへの歩き方 祈りの2400km」予告編

 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-08-22 21:58 | tibet | Comments(0)

伊根

世屋の合宿のあとは、丹後のお世話役Uさんのおすすめで
若狭湾に面した海辺の町、伊根へ移動しました。

むか~しから私、(思えば、高校で写真部だった頃から)
伊根に残る舟屋に泊まってみたいと思っていたのです。

b0253075_2342693.jpg舟屋というのは、舟の倉庫のようなもので
ご覧のように、たいへんフォトジェニックなのでございます。

私の高校時代は、泊まれる宿もあまりなく
交通も今よりまだずっと不便だったので、
合宿で行きたかったけど、調べるすべももっておらず
(インターネットなかったもんね)結局あきらめたのでした。

○十年経って、チャンス到来!と思いました。

はじめ、娘+こうすけ+しゅんすけを誘ったんですが、
紙オムツなど荷物が大変だからと、娘にはふられてしまいました。
「ひとあし先に帰っているわ~」だって。
帰っているわったって、自分の鳥取の家にではなく、滋賀の家になんですけどね(^^;)

でもこうすけは、「ぼくはもう1泊したいなあ」
「おばあちゃまは(ぼくと一緒で)喜ぶ?」
とかわいいことを言って気にしているみたいなので

胸きゅんの私は、
さっそく娘のスマホに、こうすけへのメールを送りました。

こうすけさん
おばあちゃまは こうすけさんといっしょだと、とてもうれしいです。
おかあさんと しゅんすけぱんは のだせんせいのおうちへいって、
おばあちゃまと こうすけさんは、もうすこし たんごであそびましょうか(^^)
それで いいですか?
おばあちゃま


(^o^)こうすけ、とっても喜んでくれました。
それが5月ごろの話。
こうして彼と私との2人旅が実現したのでした。



世屋からはるばる伊根までは、Uさんが車で送ってくださいました。
お世話になりっぱなしで申しわけなかったのですが・・・
でも車でなければなかなか行けないところですし
私もこうすけも合宿でけっこう疲れていましたから、とっても助かりました!
同じく合宿に参加しておられたYさんも、ご一緒です♪
雲海が見える山の中から、一気に海抜0メートルの海へ!



舟屋のお宿についたら、まずお風呂に入って汗を流し、
さっぱり生き返った気分になりました♪
こうすけは、「ぼく、なんでもできるよ!」のお兄ちゃんなので
身体を洗うのも拭くのも、まったく手がかかりません。

b0253075_2364890.jpg
夕食のレストランも、お部屋の窓からも、目の前が海。
対岸の舟屋に明かりが灯り
波間のブイに止まって休むウミネコがすぐそこに見えます。

テレビも何もないお宿なので、とても静かです。
階下から、ちゃぽんちゃぽんと波の音が聞こえます。

子どもたちの歓声が常に聞こえていた合宿の後ですから、
なおさら、この海辺の町の静けさがしみ入りました。
ああ、ここにもう1泊して良かったな~
ひと仕事終わったな~ゆったり~


ところで今夜ここで一緒に眠るのは、
お母さんと離れた5歳児のこうすけさんです。
寝るときはどうしたらいいのかな。。。そうだ、聞いてみよう。

「ねぇこうすけさん、お布団は敷いてありますが、どうやって寝たらいいと思う?」
「ぼく分かるよ! 歯磨きして~パジャマに着替えて~お布団にごろんとして~
 電気消して~おやすみって言って、寝るんだよ!」
「そっか~、そうやって寝るんだね!それで、今日は何時に寝たらいいと思う?」
「う~んと~、いつもは8時半に寝るよ」
「そうなんだ。じゃあ、いま7時半すぎだから、8時になったら、歯磨きとかして寝る準備しよっか」
「うん!」

と、こうすけさんと目標が一致したので
「8時だよ」と声をかけると
さっさと歯磨きして、パジャマに着替えて、お布団にごろんして、
私が電気を消して、おやすみって言って、寝てくれました(^o^)
私もその時間からぐっすり寝てしまいました(^^;)


翌朝は、宿のおかみさんオススメで
「舟屋めぐり・海上タクシー」なるものを呼んでみました。
大人2人以上でないと頼めないのですが、
Yさんがご一緒してくださったおかげで、お願いすることができました。
お宿の前(というか海側の裏口)まで小さな船が来てくれて
30分1000円で、伊根湾内をぐるっと一巡りしてもらえるのです。

b0253075_2392154.jpg船長のおじさんは、冗談好きで饒舌で
(こうすけには通じない冗談がほとんどでしたが)
ウミネコにあげるかっぱえびせんも用意してくださっていて
そもそも初めて船に乗ったこうすけは、大喜びです!

b0253075_23112833.jpg波止場のお散歩もしました。
岸壁のウニやフナムシや、
イカ釣り船や消防艇を観察しました。

それからまたUさんが迎えに来てくださって
彼女のイチオシのお店で至福のお昼をいただいて・・・

午後3時前の特急で、思い出のいっぱいできた
丹後の地に別れを告げたのでした。


おうちでは、のだせんせいと、お母さんとしゅんすけが待っていて
こうすけは、おいしかったお昼ごはんのことや
ウミネコにかっぱえびせんをあげたことや
船長のおじさんがおもしろかったことや
波止場で釣りのお兄さんたちにゴカイを触らせてもらったことなどを
一生懸命、お母さんに報告するのでした。

かくして、おばあちゃんと孫っちの初旅行は、大成功に終わったようです!

この子は、自分には能力があると絶対に信じているし、
お母さん以外の人も、仲間だと思っています。
アドラー育児で育てると、5歳から旅行に連れて行けるって分かりました(^o^)

よしよし。またどっか行こうね、こうすけ!

b0253075_23132539.jpg

 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-08-06 23:22 | travel | Comments(0)

世屋

b0253075_22115269.jpg7月末に丹後半島に行ってきました。
前半はお仕事、後半はお遊びの旅でした。

ひょんなことから、ありがたいことに私にお声がかかり
思いきってお引き受けすることにしたのは、
1泊2日でアドラー心理学のワークショップを行うお仕事なのですが

それが地元の人もほとんど行かないような山の中、
丹後の「世屋(せや)」という集落にある古い大きな民家での、親子合宿なのです。
大人(母親たち)はアドラーのワークショップ、
子どもは「セヤノコプログラム」に入らせてもらう、というものです。

たとえば子どもたちは、畑に野菜を取りに行って
年齢に応じたお仕事をしながらおかずを作り、
かまどに火をおこしてお釜でご飯を炊きます。

その間親たちは、子どもたちと完全に別れて
別棟でアドラー心理学のお勉強をします。
夕食や昼食は、子どもたちが作ってくれたご飯をいただきます。

子どもたちの面倒は、「セヤノコ」というグループの方々が
全面的に責任をもって引き受けてくださいます。

なかなかに素敵なプログラムだと思ったので、
(自分がしなければならないワークのことはさておいて)
かなり早い段階で、わが娘と孫っちたちを誘ってみたのでした。
案の定、5歳のこうすけがめちゃくちゃ乗り気になって、
私は講師、娘と孫2人は参加者ということで、
親子3代で世屋に向かったのでした。


京都から天橋立まで、特急で約2時間。
お世話役のUさんにお迎えに来ていただいて、
海辺から、車はどんどん山ふところへと分け入ります。
どんどん道が細くなって・・・森と棚田の緑がまぶしいです。

山の上は、クーラー不要の涼しさ。
鳴いている蝉も、カナカナカナ・・・と、ヒグラシのようです。

最年少はなんと、うちの孫っち、しゅんすけ(1歳11ヶ月)さんでした!
いちばん大きな子どもで10歳ぐらいだったでしょうか。
お母さんと何時間も別れ、年長の子どもたちの中で大丈夫かな?と思いましたが
こうすけお兄ちゃんも一緒でしたし、
全然平気で、生き生きと走り回って(転び回って?)いたようです。

お兄ちゃんたちは楽しくて楽しくて、興奮がおさまりません。
相撲をしたり、意味もなく側転をやり続けたり
もうエネルギー全開!という感じ。

思う存分遊びもしますが
しっかり働いてもくれます。
お膳立てしたり、お膳を下げたり。
食器を拭いたり片づけたり。
お風呂も薪を焚いてわかすのです。

b0253075_2283489.jpg夜は広い座敷で、寝袋を使ってみんなで雑魚寝ですが、
しゅんすけさんは、さすがに一番にダウンしました・・・(笑)

ようやく子どもたちが寝ついてから、大人だけで輪になって、
アドラー心理学との関わりとか、自分がどう変化したかとか
夜中まであれこれとお喋りをしました。
(いち参加者の顔をしていた娘と私との関係をカミングアウトしたりしてw)
この時間のおかげで、お互いのことがもっとよく分かったし、
参加者のみなさんとの距離がぐっと近くなったように思います。

それから私も持参の寝袋にもぐりこみ、
寝ぼけたこうすけに、ときおり蹴られながら
他の子どもにお母さんと間違えられたりしながら
うとうとと眠って

朝は6時半からラジオ体操~ ←これはちょいキツかった(笑)

次の日もおとなは別棟でワーク、子どもは子どもで活動です。
お昼ご飯はネパール風カレーで
しゅんすけは玉ねぎの皮をむいて、
こうすけは玉ねぎを切ったそうです。

感心したのは、昼食後の最後のお掃除を
子どもも含めて全員で行ったことです。
子どもたちは、「僕も!」「私も!」と手をあげて
お風呂掃除や板の間の雑巾がけなどを
積極的に引き受けてくれました(スバラシイ!)

いくら涼しいとはいえ、火を使いますし、大人も子どもも汗だくなのですが
子どもらは一様に、「また来たい!」と言います。
ここではじめて出会った子ども同士が、
「また来年も絶対会おうぜ!」と約束しています。
目がキラキラしています。
なんなんでしょう~この高揚感(^^)

b0253075_227672.jpg


さて、セヤノコプログラムは斯くの如くとっても素敵なのですが
私にとってはこのたびのお仕事、はじめてのことづくしで
けっこう緊張しておりました。

壱:丹後のグループの方々とごいっしょすること
弐:合宿で、2日間にわたるワークをすること
参:実の娘がワークに参加すること

これだけはじめてのことが重なると、
メンタル弱いもんで、小さな胸をドキドキさせて臨んだのでした(^o^)

結果的にはとても楽しかったし、けっこううまくいったような感触で、
いつものことですが、不安に感じていたことは全て杞憂に終わりました。
わが娘には(ダメ出しをくらうのではないかと密かに私は恐れていたのですが)
ワーク中、いいタイミングで発言してくれるなどして、たくさん助けてもらいました!

どうやら私、事前にいっぱい緊張して準備をすることがいつも必要みたいです。
だってねぇ、すべてを自分で選んでいるんですもんね。

ワークの参加者は13名。
そのうち前から知っている人は、お世話役さんと娘を含めて4名でした。
パセージリーダーさんが3名おられ、
他の方々も全員パセージを受講済みでした。

前年度の講師さんは「ライフスタイル診断ワーク」をなさったようですが、
今回私は、ライフスタイルを扱わないことにしました。
私にとって初対面の方々の早期回想やライフスタイルを扱うのは
少し危険かもしれない(=勇気づけにならないかもしれない)と思ったからです。

1日目の午後のワーク(4時間)は、「エピソード分析」をしました。
パセージプラス未受講の方がほとんどなので、最初の1時間は、
ブレークスルー・クエスチョンズをご紹介してパセージの復習にあてました。
その後、エピソード分析で仮想的目標を見つけるところまで学んでいただきました。
小グループに分かれてもらって、交替で練習していただきました。

4時間はあっという間に過ぎてしまって、
おひとりの私的感覚を見つけるデモを私がやって、
もっと知りたい方はパセージプラスを受けてね、で終わりました。

エピソード分析にもっと時間をかけてもよかったかもしれませんが
まぁザイガロニック効果ということで許してたもれ(^^;)

2日目の午前のワーク(3時間)は、気分を変えて「ファミリー・ラボ」をしました。
用意していた粘土を配って
「あなたが6歳の頃のご家族のイメージを、この紙の上に自由に作ってください」
とだけ指示をして、しばらく黙って制作していただきました。
みなさんそれぞれに、ものすごぉい力作が出来上がりました!

これはICASSIでイヴォンヌ・シューラ-先生から習った技法で、
いつも心理療法をする際にやっているので慣れているのですが、
グループでするのは、昔むかしに自分の自助グループで1度やったきりです。

また昨日の「エピソード分析」は手順がありましたが、
今日のワーク「ファミリーラボ」は、ここから先、出たとこ勝負です。
オリジナル・ファミリーの家族布置と現在の状況とを
うまく結びつけることができたなら、おなぐさみ。。。

ただいくつか留意したことがあって
それはたとえば、徹底的にプラスの面に焦点が当たるように誘導したこととか、
はっきりと意思表明した方だけのお話を伺うようにしたことなどです。

結果、4名の方の、大切な大切なご家族のお話を
ゆっくりお聞きして共有することができました。
みんなでその方のご家族のストレンクスを見つけ出し、
そこで学んだ価値を今の生活にどう生かしておられるか、考えました。

出会ってすぐの昨日の午後だったらうまくいかなかったかもしれませんが、
やっぱり一晩いっしょに過ごした後でしたから、
あったかい雰囲気で進めることができました。
それでもう、よしとしましょう。。。Anyway, I did my best.


思いきって「はじめてづくし」のことに挑戦させていただいたおかげで
私の数少ない芸の幅を拡げることができましたw

丹後のみなさま
あたたかく迎えてくださって、本当にありがとうございました!
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-08-04 22:13 | psychology | Comments(0)

Meditation

少し前になりますが、6月末から7月はじめにかけて
シンガポールでまたもや、アミデワ・リトリートに参加してきました。
もう3度目です。

過去のリトリートを思い返せば
1度目は、何も分からずただ夢中で「おんあみでわふりー」を唱えていて
(それはそれで、ものすごいシャマタだったと思うのですが)
瞑想で観音菩薩さまに変身することとか
目の前に阿弥陀さまをイメージすることとかは、
ほとんど出来ていませんでした Orz

昨年、2度目は、ただただ疲れておりまして
お唱えしながら眠っていました Orz

でも今回は、全く眠くならなかったのです。
意識が逸れそうになるたび
ぴゅんっと、Chenrezig(観音菩薩)のイメージに戻ることができました。

今回は、野田先生渾身の韻文和訳テキストがあったので
細かいところまでよく理解できたのです。
瞑想のどこの部分で、自分が観音菩薩さまに変身するか、とかね。

今まで、灌頂を受けていても、穢れ多きこの身が観音さまになるなんて
そんなこととても無理!
観音さまもきっとお許しにはならない・・・と思い込んでおりました。
視覚型なんでイメージはすぐにできるんだけど、
本心から観音さまになりきることはできていませんでした。

でも今回、テキストの

  ああ|輪廻と涅槃の万法一切空|これを知らずに輪廻に迷うなり|

という和訳を読んだとき、
・・・ああそうか。
輪廻と涅槃の区別も実はないんだ。
すべてが空なんだ・・・
となんとなく納得し、続けて

  空と光明慈悲とが結合し|自心が白い Hri と顕現し|変じてわが身は観世音菩薩|

とはっきり書いてあるのを読んで
これはそうするべきなのだと、思いました。

今までだってテキストのこの部分、
チベット語と英語で何度も読んでいたのですが・・・
信じられなかったと言いますか・・・
日本語で言われてやっと説得されました、という感じです(^^;)

で、確信をもって、
自信を持って、変わってみました。
こういうのを「本尊慢」というのかな。。。


そうして私は白き身体、四手の観音菩薩になり、
左右対称に美しく座して、
合掌しただ一心にマントラを唱えているのでした。

もう1回お唱えすると、それによってもう1人衆生が救われるのだと信じ、
ひたすら多くのマントラを唱えていると
目の前に、いつしか、三次元立体の
輝く大きな阿弥陀さまが顕れました。
透明なルビー色の丸みが美しいです。

3日目ぐらいまで、このような体験が繰り返し起こりました。
意識はぎんぎんに冴え、とてもよい状態ですが
瞑想に深く入れば入るほど、人と話をするのが苦しくなりました。
b0253075_1045026.jpgとても感じやすくなっていて、
ガルチェン・リンポチェとご一緒に極楽誓願の唄を歌えたときは
感動して泣いてしまうほどでした。。。

3日目の夜、全員が灯りをもって
大きなセッションルームを供養のためにコルラ(巡回)した時には、
おかけいが来て「わぁきれ~い♪」と喜んでくれた気がしました。


そんなふうに機が熟していって
4日目の午前、最後のアミデワ・セッションの時、
はじめて、あることが起こりました。

どう説明したらいいのかよく分からないのですが

マントラを唱え続ける中で、
意識が、深く深く入っていったのだと思います。
たぶん自分の心の奥に。

入っていって、気がつくと、
そこにガルチェン・リンポチェがおられました。
リンポチェのお心がありました。


我執にまみれているとき、心は固い氷のようになっている。
本当は、すべての衆生のこころは海の水のようにひとつなのに
それを知らずに、私たちは孤独に波に揺られ漂っている。
我を捨て去ったとき、固い氷は溶けて海の水と同じになり、
私たちはひとつになる。

何度も何度もリンポチェからお聞きしたお話です。

ようやくこの意味を知りました。

観音菩薩のご加護で、我執から一瞬離れることができたのでしょう。
リンポチェと同じ大海にとけいっておりました。

Whenever you meditate, our mind is one.

ああ、リンポチェ、こういうことだったのですね。
嗚咽が出そうで
お唱えを続けることができませんでした。


ほんの少しの時間でした。

でも分かりました。知りました。
我執を捨てることさえできれば
本当に、2つの別々の輪っかが開いて、
ひとつの大きな輪っかになるのだということを。



ふりかえって考えるに、
マントラを何千回唱えるという瞑想そのものは、
昔アスミでよくやったダイナミック瞑想とほぼ同じ原理のもので、
マインドを停止させ、ある種の恍惚感をもたらします。
このとき、たぶん自分という意識も消えるでしょう。
これがひとつ。

ですがここに、慈悲の要素を入れるからこそ・・・!
つまり観音菩薩になって心から衆生済度を願うからこそ、
はじめて我執が、自他の区別が、消えるのです。

瞑想と慈悲。
この両方が必要です。


垣間見た世界は、
いろんな条件が整わないと到達できないけれど
今生のうちに、また必ず訪れたい。

そしてもし機会があったら、
心からの感謝をリンポチェに申し上げたいです。
 

 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-07-23 10:20 | tibet | Comments(2)

金沢でパセージ

久しぶりにパセージをさせていただきました。
8年ぶりぐらいでしょうか? 自分でもはっきりしません(>_<)

サブリーダー研修もすることになったので
事前には、けっこう真面目に準備を整えて臨みました。
やっぱり久しぶりのことで緊張しましたわ。
(おまけに途中でシンガポール旅行が挟まるという・・・)

しかしおかげさまで、先日の日曜日に無事終了いたしました。
そして、すばらしいリーダーさんが誕生されました。
今の私にできる最大限のことは、させていただけたのではないかと思います。


さてタイトルを裏切り、今回もお遊びの話です。
2年前のパセージプラスで遊んでいただいたお話は、ここに書きました。
今回も「遊びましょうよ♪」と誘っていただいて、
ほんとにいいんですかぁ?と思ったんですけど・・・
末子としては甘えるの得意ですから、ありがたくお誘いに乗っかりました(^^)


b0253075_2038434.jpg6月11日(土曜日)午後、パセージ3・4章の前日、
観光担当大臣のTさんが計画してくださったのは、
なんとまあ、金沢城の石垣めぐりでした!!

私の「ツボ」をはずさない!!
そのお心遣いがホントにうれしかったです。

ボランティアガイドさんを頼んでくださっていて、
金沢城じゅうを歩き回り、現物を見ながら
お城の歴史とか、石を切り出した山のこととか、石組みの種類とか、
じ~っくり解説をお聞きできたのです。

金沢城の石垣って、すごいんですよ。
前のブログに書いた穴太衆積みは、最も古い石垣に残っていました。
自然石積みは、やっぱり好きです。

少し時代が下ると、切石積みになります。
作業分担を示す刻印の残った石もあります。
もっと時代が下ると、きれいに縁取りした「金場取り残し積み」だとか
石の高さや向きに趣向をこらした「色紙短冊積み」だとか
防火の願いをこめて亀を表す六角形の石を組み込んだものとか、
さまざまな美しい石垣があります。
(オタクの世界?)
まさに金沢城は、石垣の宝庫であるようです~

また私たちを案内してくださったガイドさんは、
「金沢城の石垣にかけてはこの人の右に出る者はいない」
というぐらい有名なボランティアガイドさんだったみたいで
と~ってもお勉強になりました!

晴天の下、1時間以上歩き回ってヘトヘトになったので
白鳥路ホテルの喫茶室に入って、お茶にしました。
グラスに入った氷を見て、一緒に歩いて回ったIさんがひとこと
「もう石垣にしか見えん・・・」って。
はい、石垣熱は伝染性のようです 笑


その後、大樋美術館で、飴釉(amber glaze)で有名な大樋焼きを鑑賞しました。
奥のお座敷でお茶をいただいたのですが、
b0253075_20391557.jpg器もよければお庭もよし、
お菓子も美味しくて、ホント贅沢な時間を過ごしました。

夕方には金沢の若いリーダーさん方が集結して、
翌日のパセージの打ち合わせを一緒にやりました。
こんなふうに、チーム金沢が協力してくださったからこそ、
パセージをスムーズに進めることができたのです。
感謝しています!(^^)v


b0253075_20425239.jpg今回のお宿は、会場である近江町市場の裏手の
小さなホテルをとっていましたが、
これがわりと正解で
必要最低限のものがそろってお値段はリーズナブル、
とても居心地よく過ごすことができました。
写真はお部屋に下がっていたポトスちゃん。
お部屋にも廊下にもグリーンが多くて、落ち着きましたよん。


2週間後、パセージ5・6章前日6月25日(土)も、
すっかり甘えてお任せしっぱなしの金沢観光(^_^;)

まずはホテル近くの主計町(かずえまち)から
紫陽花の咲く暗がり坂を通って、浅野川へと歩きました。
借り物の写真ですが、こんな感じです。
b0253075_20452442.jpg

本当に金沢は美しい町ですね。
新幹線が通って大都市化が進んでいますが、
こんな裏通りや坂道がいつまでも残ってくれることを願います。

この日のテーマは、加賀の伝統工芸めぐりということで♪
実は私、有閑マダムであった遠い昔に、
少しですが陶芸をたしなんだことがございましてね・・・
器、好きなんです。買えませんけど。
今回も、きっちり私のツボを押さえてくださっているのでした~(^o^)

タクシーで、石川県立美術館を目指します。
ここのイチオシは、野々村仁清の色絵雉香炉(国宝)と雌雉香炉(重文)。
むかし、切手になっていましたよね? が、本物ははじめて。
香炉にしてはデカイなと思いましたが、見事なものでした。
b0253075_2048274.jpg

b0253075_2050738.jpgそして古九谷の大皿の数々!
気迫があります・・・!
大臣は、加賀友禅の展示が少ないと残念がっておられましたが、
私としてはじゅうぶんに堪能いたしました。

それからぶらぶら歩いて兼六園に入り、
加賀前田家奥方の御殿、成巽閣(せいそんかく)に行きました。

奥方や子どもたちの過ごすお屋敷だからか、
絨毯にしても、障子の腰板の絵にしても
身近なセンスでどれも素敵でした。
有名な群青の間の青は、やはり素晴らしかったです。
松の間の障子にはめこまれたオランダ渡来の硝子絵は、
すごくお洒落で自分の部屋に欲しいぐらいでした。

そんなこんなで充実した時間を過ごし、
夕方からはまた、熱くパセージについて語り合い、
お気に入りのホテルに再度投宿したのでありました。




ところで・・・パセージ最終日、
ありがたいことに私のような拙いリーダーにも
エンカレッジカードをくださったメンバーさんがたくさんいらっしゃったのですが
中に、ごいっしょに散策した若いリーダーさんからのカードがありました。

じゃ~ん!
手作りです~ 石垣と雉!(^o^)!
b0253075_20575271.jpg


なんかめっちゃうれしいです。
入場券の半券やチラシを切り貼りして、作ってくださったのですね~
このカードを見ると、8週間の金沢パセージのこと、全部思い出せる気がします。
大切にします♪

金沢のみなさん、佳き時間を本当にどうもありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-07-12 21:15 | friends | Comments(1)

米ぬかの功徳

少し前に、精米器を買ったんです。
というのも、
お米どころの玄米をたくさんいただいたので。

圧力鍋で玄米を炊くのも大好きなんですけど、
毎日玄米だと、なんだか胃に負担がかかるような気がいたします。
よく噛んで食べればいいんだけど・・・
やはり白米を食べる日の方が多いです。

それで、小さな精米器をひとつ買ってみました。
おかげでこのごろ、その日に食べるぶんだけを精米して
毎日つきたてのお米を美味しくいただいておりまする(^o^)

それはそれとして、
こうなると、毎日新しいぬかが出来ますよね。

米ぬかの利用法って、検索したらいろいろ出てきますが、
これはやっぱり美容に活用しなくては!!

・・・というわけで
毎日生産され増殖していく米ぬかさんに
おとろえめだつ私のお肌をお助けいただくべく
実験を繰り返したのでありました。


まずは、百均のお茶袋に米ぬかを入れ
それをそのまま浴槽に入れて、お風呂に入りました。
お風呂のお湯はみるみる濁り、しっとりして、いい感じ。

もちろんこれだけでもいいんだけど、
米ぬかってお肌を白くするとか、しみをとるとか、
いろんな功徳があるみたいなんですよぉ

やはり人様の目に触れるところを、
しっかりケアしたいじゃないですか!

そう思って、このお茶袋でお肌をこすってみましたが
みなさまご想像のとおり、肌触り悪かったですw
それにゴシゴシやっていると破れて、ぬかが出てきてしまいました。
お茶袋はダメなようです。没。


そうだ、ず~っと以前、娘からぬか袋をもらって使ったことがありました。
「まかないこすめ」さんの「もち肌・洗い袋」というものでしたが、
とってもスルスルして気持ちがよかったのです。
あれってどんな生地だったっけ?と娘に尋ねてみましたら、
すぐに1個、新しいものを送ってきてくれました。
持つべきものは、気前のよい娘です(^^)

まずは1週間ほど、その新しいのを使いました。
濡らすと、ガーゼの袋から白い液がしみでてきて、
この液のおかげで、お肌がもっちりしっとりふくよかになります♪
とても快適。ぬか袋の理想型ですな。

ただし、同じぬかを数日間、
濡らしては乾かし、濡らしては乾かしして使うことになるので、それだけがちょっとね。
できれば毎日、新しいのに取り替えられたらいいですね。

1週間ほど使うと、
中のぬかはすべて流れ出ておしまいになりました。
これからこの袋に、うちの米ぬかさんを入れて使うのです!
と、期待に打ち震えつつ
この巾着袋に自家製の米ぬかを適量入れ
わくわくしてお風呂に持ち込みましたが

・・・あれ?
・・・あれ?
白い液が出てきません。

白玉粉のようなあの白い液がしみでてこない状態では、
ガーゼの袋でも、やはり肌触りは悪いものでございます Orz

あかんなぁ。

つまり、お化粧品屋さんの商品は、
袋の生地の目の間から、ちょうどいい具合にぬかが出てくるように
細かい細かい粒子にしてあったということなんですね~
それでこそあの感触が得られていたのだと分かりました(-_-;)

うちの米ぬかさんは、精米器で分離しただけなので、
目の洗い百均のお茶袋程度ならよいけれど、
布袋なら、もっともっと細かくしないといけないのでしょう。

がっかりしていたら、
大きなJ先生が、「まかせなさい!」と
台所の上の棚からミルを出してきてくださいました。
「さぁ、これで君の米ぬかを粉砕すればよいのじゃ」

おぉ!Good idea かも。

ありがたく科学の恩恵を受け、
ミルで米ぬかを30秒ほど粉砕してみました。
それを巾着袋に入れて
また期待をこめてお風呂に持ち込みました。

結果は。

前よりはマシだったものの、やはり
売ってる商品ほどの滲出度合いを得ることはできませんでした。
まだ足りないようです。

こうなりゃ意地で
次の晩は、
少し多いめの米ぬかを、1分間粉砕してみました。
米ぬかが、きなこのようになりました(^^)

せっかくの巾着袋ですが、これには少量しか入りませんし、
いちいち口の紐を結ぶのも面倒なので(濡れた紐をほどくのもまた面倒)
最近ほとんど使うことのない布のハンカチに
細かくしたぬかを、たっぷり、キュッと包みこみました。

・・・今度はうまくいくかしら?

米ぬか入りの、逆てるてる坊主のような形になったセリーヌのハンカチ。
これを湯船にぽんと放り込むと
いい感じでお湯が白濁していきました。

真ん中のぬかの部分を肌に当てて滑らせてみると、
今までの実験の中では、いちばんいい具合かも・・・

ようやく納得いく結果が得られましたぞ(^o^)

誰にも求められていませんが、まとめますと。

・精米によりできた米ぬかは、ジップロックに入れて冷凍庫で保存
・その日に使う米ぬかを、ミルで1分間粉砕
・洗いざらしのブランドハンカチで包むのがベスト
・多い目に包んで、よくお湯を含ませて使う
・最後にきれいなお湯で、肌に残ったぬかを洗い流す


これで、今年はだんだんと、肌の状態がよくなってきたような気がします。
全体に乾燥しなくなったし(どっちみち梅雨だけど)
少し色白になった気がするし(しみはなくならないけど)
なにより、化粧水を使う必要がないのです!(毎年、夏は使わんけど)

最初はすごぉく肌質が変わった気がして、
このままどんどんきれいになるかと夢想しましたが(笑)
まさかそんな奇跡はおこりません。
それなりのところで留まっております。年相応(/_;)

まあ市販の商品にはいろんな成分が入ってるでしょうから
それに匹敵するほどの成果は望めませんが、
「ただの」米ぬかでこの効果は、なかなかにステキだと思います。
しばらく米ぬかさんと
楽しくお付き合いしてみます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-06-24 20:11 | others | Comments(3)

推拿(すいな)

お友だちに紹介してもらった
東洋医学のサロンに、先月行ってみました。

なにやら推拿(すいな)とかいう施術をやってもらえるそうで、
お友だちがあんまりにも「気持ちいい~!」っておっしゃるので、
なんだか分からないけれど気になりましてね(^^)
だって、美容院とか歯医者さんとか、それからこういうサロンとかは、
体験者の言が何よりですからね!

そのサロンは、大阪の北浜駅の近くにあります。
大阪に住んでいたらごく近所だったのですが、
ここ数年、神戸・大津と転々としていたものですから
仕事で毎週この界隈に通っているとはいえ、
なかなかチャンスが巡って来ませんでした。

ようやく5月連休、大阪にホテルをとった秘訣講座の中日に
講座終了後、午後7時からの予約を入れることができました。


さて推拿とは、中医学に基づくマッサージの一種です。
経絡整体と推拿の違いは施術に気を伴っているかどうか、だそうで・・・
単に経絡を刺激したり、ツボをおすだけなら、経絡整体。
推拿は気功整体なので、軽く触れたり撫でたりしているだけで、
身体が温まり血流が良くなるし、効果も長続きする。
らしいです。。。

まぁ何はともあれ、試してみませう!(^^)v


お洒落なお店の並ぶ高麗橋(こうらいばし)界隈。
その少し南のはずれにある高級マンションの1室で、
白衣のお姉さんがただひとり、私を待っておられました。
こういう場所に不慣れな私は、ちょっとドキドキです。

玄関を入ったところのスペースに籐の椅子とテーブルが置いてあり、
出された漢方茶をいただきながら問診票を書き、
ゆっくりとインテークをとられました。
お姉さんはマスクをしているので目しか見えないのですが、
ナチュラル系のきれいな方みたいです。

私の主訴としては
ときどき(半年に1回ぐらい)急に血圧と体温が下がって調子を崩すこと。
日常的に、足先がとても冷えることと、目が疲れやすいこと。
ぐらいで、特に他は問題ないように思っていたのですが

いろいろ尋ねられたり答えたりしているうちに、
そういえば、午前中にお小水が近いなとか、
ストレスがかかるといつもお腹がゆるくなるなとか、
疲れると、もうまったく食欲がなくなるなとか、
いろいろ症状があるようなのを思い出しました。
・・・こんなの、もう仕方がないと思ってたんですけどね。


用意されたTシャツとジャージに着替えて施術台に寝転びました。
「腎」と「肝」が弱っているのかもしれませんね
とおっしゃりながら、きれいなお姉さん、もとい、先生は、
まず脈診をとられました。

それから私の右足の甲の内寄りにそっと触られました。
・・・あれ?なんか感じる。
しばらく右足を撫でるというか触れるというかされた後、
次に左足の甲のある1点に、そっと指をあてられました。

うおぉっ・・・ジンジンくる。

そのまましばらく指を置いておられます。
私 「あの~なんかすごい感じます」
先生「きてますね」
私 「熱いものが・・・あ、今あがってきて、腿の方まできました」
先生「今、反応が変わりましたね。これ、肝のツボです。さっきのは腎のツボでしたけど、こっちが反応強いですね」
私 「触ってらっしゃるだけですか?」
先生「?はい」
私 「えーっ。いや、すごいですね」
みたいな会話をしました。

この指鍼(ゆびはり)という技術、私にはとても衝撃的でした。
ほとんど魔法です!

それからタオルで包みながら、ゆっくりと足を揺らしたり
脚全体を撫でたり揺さぶったりされました。
腿の表側に特に固いところがあって、
触られている私にもゴリゴリしているのがよく分かりました。
ここは、胃の経絡と関係しているそうです。

手から腕にかけても、同じように撫でたり揺らしたりされました。
気持ちもたいへん良いのですが、
触られているところとまったく離れた場所に
思いがけない感覚が起こったりするのが、とても不思議でした。

その後うつぶせになって、背中側をゆっくり施術していただきました。
「うわ。今、頭の後ろが冷たくなりました。おかしいのかしら?」
「いえ、それでいいんです。胃の経絡です」
「今はお腹が熱いです!」
「きいていますね。お腹は温まって頭は冷たいのがいいんですよ」
わりと大騒ぎです。

あれやこれや質問すると、なんでも丁寧に教えてくださるのですが
その後、首から頭までも施術していただき、
気がつくとずいぶん時間が経っていたので、眠っていたみたいで
会話をはっきりと思い出せません。

どこで学ばれたのですか、とお訊きしたら
東京にある中医学の学校だそうです。
私はてっきり、中国で学んでこられたのかなと思いましたが。
ともかく、良い腕をもっておられると思います。

私は過去に1度だけ、南の島のリゾート施設で
全身のアロマトリートメントを受けたことがあるぐらいで、
その他には、お金を払ってマッサージを受けた体験はないのですが、

ず~っと昔、子宮筋腫と内膜症で苦しんでいた頃、
アドラー関係で施術者をめざして勉強していた人に、タダで(^^;)
何度も身体を触っていただきました。

今は独立してしっかり開業しておられますが、
当時から、彼はいわゆる Healing Hand を持っておられました。
彼の施術は、「痛・気持ちいい」タイプでしたが、
ツボをぴたりと当て、的確にほぐしてくれて、ずいぶん助かりました。

このサロンの女の先生も、Healing Hand をお持ちなのだなと思ったのでした。
しかも、さらにブラッシュアップするため、
今も別の学校で学んでおられるのだそうです。

良い方と出会いました!(^o^)

起き上がって着替えてお支払いを済ませると
もう9時を回っておりました。
いちおう予約は60分コース、初回なので長くて1時間半のつもりでしたが・・・
良心的で、申し訳ないぐらいです。


その夜はホテルで熟睡しました。
翌朝、気分的にはめちゃくちゃスッキリ目覚めましたが、
身体のバランスが急激に変わったからでしょうか、
急いで歩くと少し動悸がして、身体が重たい感じがしました。

1日で治まりましたが
どうも、出張中の仕事の合間のサロン通いって、あんまりよろしくないですね。
施術の翌日はゆったりと過ごさなきゃ・・・(^^;)


この1週間後、ちょうどダライ・ラマ法王のティーチングが大阪であったので
夕方に予約を入れて再度行きました。

以前に比べて、ずいぶんデトックスが進んだ感じです。
血行も全体的に良くなっているようでした。
特に、今までは本当に目が疲れやすく、
すぐ充血して、帰宅したら即コンタクトをはずしたいぐらいだったのが、
いつの間にか気にならなくなっています。


できれば月に1度ぐらい、ここに通う時間を作りたいものです。

これからは、もう少しだけ身体に気をつけて整えていかなくちゃ。
年齢的にもそうしないと、ですよね・・・
 
もしも興味をもたれて行ってみたい方は、私にお尋ねくださいませ。
お友だち割引きがつきますから(^^)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-06-02 20:55 | others | Comments(2)

近江学・石

以前から興味があった穴太衆(あのうしゅう)の石積みを見るべく、
比叡山の麓、坂本の町へ行ってきました。
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滋賀に引っ越してきてまもなく
地元の銀行へ口座開設の手続きに行ったのですが、
待ち時間に銀行の本立てにさしてあったのが、
『近江学』という聞いたことのない名前の雑誌でした。

どうやら、地元にあるらしい成安造形大学に附属する
「近江学研究所」とやらが、年に1冊出している機関誌のようです。

ぱらぱらとめくって、美しい写真としっかりした文章に驚きました。
帰ってからネットで検索して、
最終的に、創刊号から第8号まですべて大人買いしました。
われながらオタクです。。。
でも、いつ廃刊になっちゃうかわからないしね(失礼!)

どの号も充実の内容でしたが、
特に最初に手に取った第4号の特集「石のある風景」はすばらしかったです。
縁あって滋賀に住むことになったのですから、
この号に詳しく紹介されている坂本の町を
ゆっくり散策してみたくなりました。

琵琶湖の西岸、滋賀県大津市中部。比叡山東麓の坂本、穴太(あのう)とその周辺に、古代より高度な技術をもつ石工の集団が居住し、独自の石積み文化を形成していた。彼らは戦国時代になると「穴太衆」と呼ばれ、安土城、大阪城、伏見城、江戸城大改修を始めとする全国各地の城郭石積みによって、一躍その名が広まっていく。現在坂本を拠点に、千年を超える伝統的な石積みの技術を継承するため、研鑽を積み、活動を続ける穴太衆最後の石匠の一家がいる。「石の声を聴け」。代々この家に伝わる家訓だ。この言葉は、身の丈を超えた巨大なシステムや力に依存し、自然界の声に耳を傾けることを忘れた私たちの生き方に見直しを迫る。 「文化誌近江学 第4号 2012.01」成安造形大学附属近江学研究所 サンライズ出版

なんかすごぉく気合い入ってないですか?
いったい誰が読むんや~!と思いながら、
私自身たいへんはまってしまって、すみずみまで楽しく読んだのでありました。

この本は、なんと穴太衆の石積み方法まで
詳細にイラストで説明してくれているのです。
それによると、
見えている石垣の表面【石表(いしおもて)】の奥には
【グリ石】と呼ばれる石が、
石垣の高さの3分の1の奥行きまでびっしり埋めてあるのだそうです。

石垣の一番上に置いてある石を【天端(てんば)】といい、
そのひとつ下の石は【天下(てんした)】、
その下の石垣の勾配を作る重要な石を【艫介石(ともかいいし)】といいます。
ちなみに地面に接するところの石は【根石】、
地面の下に埋めてある石は【捨石】といいます。

1個の【艫介石(ともかいいし)】を置くにも、まわりにいくつもの石が必要です。
すき間を埋める細かい石は【グリ石】、
艫介石の脇を支える石は【脇石】
艫介石と艫介石の胴部分のすき間を埋める石は【胴介石】というのだそうです。

で、穴太衆積みの技術の伝承者は、
山から運び出して現場の隅に積んである石を眺めただけで、
「あの石、そこ」「その石、ここ」と、あっという間に選んで
どんぴしゃりと納めていくのだそうです。
「石の声」が聞こえるんだそうです!

こういう技術に私、惹かれますわ~っ!
(ヘンかしら?・・・ヘンですね)

でもね、それぞれの石に、役割に応じた名前がつけてあって、
経験と勘で、その石の納まる位置を瞬時に見分けていく
・・・って、凄い技ですよね。
どことなく、カウンセリングや心理療法に通じるものもありそうな・・・。


b0253075_13595544.jpgさて、少し暑すぎるぐらいの初夏の1日、
大きなJ先生と出かけました。

うちの最寄り駅からだと、
琵琶湖の南岸をぐるりと廻って、
のどかな路面電車で30分ほどです。

b0253075_1421036.jpg







駅を降りると、どこもかしこも石垣ばかり!
大小さまざまの野積みの山石の、暗い灰色と、緑の苔。
すき間から生え出る草花が美しいです。




b0253075_1453353.jpg



これらの石は、運び出した自然石を
ほとんど削らずそのまま使っているそうです。









私たちは削り取った石灰岩を砕いて
水と砂と混ぜてコンクリートにして、
それを固めて建てた家に住んでいるわけですが・・・


b0253075_1484391.jpg
なんだか、大地への根づき具合が全然違いますねえ。


こんな近所に
こんなにも落ち着いた美しい町があるのは、ありがたいことです。



b0253075_1420425.jpg










秋の紅葉、
冬の雪景色のころ、

また訪れたいと思いました。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-05-26 14:22 | travel | Comments(0)

おかけい

あなたが逝って半月経ちました。

なぜか、もう何ヶ月も経ったような気がします。

4月7日木曜日の夕方、新潟のHさんが連絡をくださいました。
J先生が応対されて、何が起こったのかをお聞きして
いてもたってもいられず、すぐまたHさんに電話をかけました。
なんとかお別れに行きたいと思ったのです。

でも自分で電話をかけておいて、うまく言葉が出ず
Hさんも「急なことで」を繰り返され
結局、場所的にも時間的にもむずかしく
予定も入っていたので、あきらめました。


あの日は新月でしたね。
真っ暗な夜。
朝から嵐のような雨風で、
夜になって雨は収まったけれど、烈しい風が満開の桜の木を揺らしていました。

四月七日
  朔(ついたち)の風のはげしき夕ぐれに桜とともに友はゆきたり

少し前から短歌を始めていたのですけど、不思議ですね。
「新月」って古語ではなんていうのだろう?と調べたりして。
こんなときに何を私はしているんだろう?って思いました。

だけど、そんなふうに何かに頭を使っていると
その間だけは、悲しみから距離をおくことができたのです。
・・・文学の力を、ちょっと実感しました。

出来た歌を自分で読んで、泣きました。

それからJ先生と、あなたのためにお経をあげてお勤めをしました。
いっぱいいっぱい泣きました。


あなたのことばかり考えて
悲しくてしょんぼりしていましたが、

ふと抜け出したような気持ちになったのが、
これも不思議なもので
ちょうど9日の告別式の終わったぐらいの時間でした。

おそらくあなたの肉体が役目を終えた頃だったのでしょう。

だってあなたはもう十分すぎるほど頑張ったんですから
肉体から離れて自由になって良かったんです。
今ごろ、「あーすっきりした!」って喜んでるんじゃないでしょうか。

四月十一日
  遠きゆえ久しく会えぬ友なりき菩薩となりてここに来たまふ

鳥のさえずりや
桜のひとひらに
あなたの訪れを感じます。


あなたはいつも明るくて
あなたがいるだけで、そこに笑顔があふれましたね。
どれだけ身体がしんどくて辛くても
仕事になったらしゃきん!として、本当にプロでした。
アドラー心理学にぞっこんで
「私わがままだから~」なんて言いながら
やっていることはいつも「みんなのために私に何ができるか」でしたよね。

だから私は、あなたの姿が観音菩薩さまと重なって見えるのです。
またアドラー心理学の近くに転生してきてほしいって言う人もいるけど、
私は、あなたはきっとデワチェンにまっしぐらだと思うな(^^)

四十九日の間は
上等のお香を焚いて
きれいな和ろうそくを灯して
あなたを偲びます。

四月二十日
  灯(ともしび)は旅で求めし絵ろうそくピンクの蓮を友も好まむ


本当にたくさんのことをあなたから教わりました。
あなたへの年賀状に何度も書きましたけど、
私はアドラーの後輩たちと接するとき、いつも
「こんなとき、おかけいならどうするかな?」と考えて動いています。
これからもきっとそうすると思います。
力を貸してくださいね。


あなたとの楽しかった思い出を書き出すには、まだ少し時間が要りそうです。

今はただ、
あなたと出会えてよかったということだけ。

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# by prem_ayako | 2016-04-23 21:42 | friends | Comments(1)

タオの勲(いさおし)

 ある夏の夜明け、ひとりで水を汲みに出たタオは、水場のすみで眠っている人影を見て、驚いて桶を落としそうになった。それは灰色の毛織りのマントをまとった老人で、タオを認めるとしわがれた声で名を呼んだ。「タオ。」
 恐ろしさのあまり吐き気がこみあがるのをこらえて、タオは言った。
「お、お前はこの村の者じゃないな。誰だ?」
 老人が笑うと、まるで喉に穴があいているみたいに、ひゅうひゅうと音がした。
「そうとも。村人ならばこんなところでお前を待ちはせぬ。」
「誰だ? なんで俺の名前を知っている?」
 老人は、今度は笑い声をたてず、灰色の濁った目でまっすぐにタオを見た。
「わしはお前を生まれる前から知っている。お前が知らなかっただけだ。」
「死んだ父さんの知り合いか? 草原の向こうに隠者がひとり住んでいるって、母さんに聞いたことがある。」
「まあそんなものだ。」
 そう言う老人の目をふちどる、まつげも眉もすべてが灰色だとタオは思った。そして大好きだった父の知り合いならば、恐れることはないのだと、体がゆるむのを感じた。
「でも俺に何の用? 母さんなら、たぶんヤクの世話に出ているよ。」
「タオ、わしはお前に頼みごとがあって来たのじゃ。草原の先、川の向こうの岩山に、聖なるミラレパ尊者の洞窟があるのを知っておろう。お前の生まれる少し前、わしはお前の親父とふたりでその洞窟を訪れたことがあるのじゃが、そのことは聞いているかな?」
「ううん。父さんは俺が5つのときに死んでしまったけど、そんな話は聞いたことがない。」
「では教えてやろう。お前の母御はもともと体が弱くてな、お前の親父はお前と母御がお産で命を落とさぬよう、ミラレパ尊者に願をかけたのだ。」
「・・・そうだったんだ。でもその父さんは、雪解けの川に落ちて死んでしまった。」
「タオ、お前と母御の命を救ったその父が、ミラレパ尊者の洞窟に残した形見の宝物を、手にしてみたいとは思わぬか?」
「形見の宝物・・・?」
「そうじゃ。」
「それは何?」
「それは自分の目で見て確かめるがいい。とてつもなく尊いものじゃ。」
 タオはまた胸がむかむかしてきた。
「どうじゃ。お前の親父が死んで7年経つが、世の中はますます悪くなってきた。わしはのう、あの宝物を取り出す時がきたように思うんじゃ。」
「でも・・・」
「でも、何じゃ?」
「どうしておじさんはそんな大事なことを俺に頼むの? 何故おじさんが自分でそこへ行かないの?」
 老人は首をふって言った。
「さあそれよ。わしは年をとって目が見えなくなってきた。あの洞窟まではもうとても行き着けん。しかもあの洞窟はヤルンツァンポ川を臨む崖の上にある。先年の大洪水で流れがずいぶん変わったと聞く。もしあの崖が崩れれば・・・」
「父さんの宝が、流されてしまう?」
 それは厭だ、とタオは激しく思った。
「おじさん、どうすればいい? 俺はこんなに青白くて弱っちいんだ。友だちが1里行く間にも俺は半里しか歩けない。俺は、でも、父さんが俺と母さんのために捧げた宝を救いたい。父さんを救うことが、俺にはできなかったのだから・・・!」
「ほんとうにそう願うなら」老人は霞のかかった灰色の目を、ひたとタオに注いで言った。「必ず観音菩薩のご加護があるじゃろう。」

 2日後、タオは灰色の老人に言われた道を、ヤクのニンジェといっしょに南を指して歩いていた。母さんは1週間分の食料を用意してくれた。昼は、食料と少しの荷物をニンジェの背に振り分けて歩いた。夜は、ニンジェの運んだ毛布にくるまって、この大きな獣のごわごわした首の毛に顔をおし当てて眠った。
 見渡すかぎりはるかかなたまで、なだらかな丘が続いている。波打つ草の緑の海に近づいてみると、色とりどりの花がまるで燃える火の玉のように咲いている。雲が、タオの先へ先へと飛んでいく。その雲の落とす影もまた、草の上をタオの先へ先へと流れていく。聞こえるものは、ニンジェの背に乗せた荷物のふれあう音だけだ。ときおり皮袋の水を飲むために立ち止まると、足もとの花に群がる虫の羽音がわきあがってくるのだった。

 3日目、草原を越えて大きな川に出た。ヤルンツァンポ川だ。父を飲み込んだ川、ミラレパ尊者の洞窟のある崖を今まさに削りとろうとしている川。この川の上流に1カ所だけ歩いて渉れる場所があるという。
 その男は、岸の赤っぽい大きな岩にもたれて立っていた。ほとんど裸で、日に焼けた肌はつやつやと黒く光っていた。そばに頑丈そうな筏が引き上げられている。男からは魚のにおいがした。
「乗っていくか?」男は愛想よく言った。
「ありがとう。でも、上流に行けば歩いて渉れると聞いている。」
 男の白い歯がぎらりと光った。「上の浅瀬まで行くつもりかい? うんと遠回りになるぜ。ここで渡れば楽だよ。」
 タオは迷った。川幅は広く流れは速かったが、筏はしっかりしているように見えた。ところが、いつもいうことをきくニンジェが、このときは怯えてどうしても筏に乗ろうとしない。「どうした? おいで、怖くないよ。」タオは一生懸命彼女を説き伏せようとしたが、ニンジェは4本の足を力の限りふんばって一歩も動くまいとするのだった。
「そんな役立たずはおいていけよ。」船頭の男は言った。「ここは草がたっぷりある。岩につないでおけば、おとなしく待ってるだろうよ。」
 タオはニンジェの目を見た。「いや、おいてはいけないよ。友だちなんだ。」
 男は肩をすくめた。「そうかい、じゃ勝手にしな。」
 
 タオは男と別れて上流に向かった。しばらく行くと、川辺の灌木の陰に若い男がひとり座っていた。その男は長い髪を後ろにひとくくりにして、白い木綿の服を着ていた。彼はなにやら歌っていたが、タオに気がつくと歌うのをやめて「やあ」と言った。「こんなところで人に会うとはな。しかもガキがヤクと連れだって。」
 タオはむっとした。「俺はガキじゃない。ちゃんとした名がある。」
「じゃあ聞かせてもらおう。」
「そういうお前が先に名乗れ。」
 若者はにやっとして、まあ横に座れとタオを招いた。「俺はレパ。巡礼だ。」
 巡礼は、山を越え谷を越え、ひたすら聖地をめぐって功徳を積んでいる。巡礼を敬うことは、すなわち仏を拝むことになる。タオはレパと名乗る巡礼に三拝して横に座った。「俺はタオといいます。このヤクはニンジェ。この先の岩山にあるというミラレパ尊者の洞窟へ行くところです。」
「それならお前も巡礼か?」
「いいえ。」タオは灰色の老人に会ってから3日の間のできごとを残らずレパに話した。黙って聞いていたレパはタオが話し終えると、よくとおる声で歌いだした。
 「ああ、めずらしきかな。
  しかるべき供えをすれば
  どんな願いも叶えられ、
  あやまった供えをすれば
  命さえも奪われる。
  恐ろしきジェツン・ミラレパの洞窟を
  確かめ行くは勇者タオ。」
 歌い終わるとレパは立ち上がり、自分の荷を腰につけた。「タオ、俺に食うものをくれ。明日はいっしょに川を渉ろう。」

 その夜は雨が降った。一行は川筋を避けて樫の林の中で寝た。翌朝のヤルンツァンポ川は水かさが増して、足をすべらせればたちまち流されてしまいそうだった。4つ足のニンジェは楽々と足場を見つけるので、タオとレパはニンジェの後について川を渡った。
「見ろ、タオ、あれが尊者の洞窟だ。」レパの指さす先、切り立った白い崖のおもてに小さな黒い入り口が見えた。「ロープはあるか?」
「はい、ニンジェに積んでいます。」
「よし、ロープを持ってこっちへまわれ。ニンジェには、悪いが崖の下で待っていてもらおう。」
 崖の下に着くと、ニンジェはおとなしく待つことに決めたようだった。
「タオ、崖に道があるのが見えるか?」
「崖に道が?」
「そうだ。昔から何百人の行者がこの崖をのぼって尊者の洞窟に詣でた。その者らのつけた手の跡、足の跡が、岩肌に金色の筋となって残っているのが見えないか?」
 タオは一心に目を凝らして岩肌を眺めた。はじめは何も見えなかった。が一瞬、雲が切れて朝の光が斜めに崖を照らしたとき、かすかに点々とくぼみが光った気がした。
「・・・あっ。」
「見えたか。」そしてレパはまた歌った。
 「ああ、めずらしきかな。
  ひとつは闇を払うまことの道
  ひとつは闇に誘うよこしまの道。
  まことを求める勇者だけ
  正しき道の跡を見る。
  恐ろしきジェツン・ミラレパの洞窟を
  確かめ行くは勇者タオ。
道は必ず見つかる。行け、タオ、上るのだ。」

 タオは、そのかすかに光る金色のしるしをたよりに崖を上った。レパがついてきているかどうか、分からなかった。はるか下で、ニンジェが体を震わせ音をたてたのを聞いたような気がした。そして、腕も肩も、もうどうしても動かせないと思ったそのとき、指先が洞窟の入り口にかかった。最後の力でタオは身体を持ち上げ、暗い穴の中に転がり込んだ。
 タオは疲れ果て、しばらく息をつくことができなかった。やがて目が慣れると、洞窟の中がぼんやり見えてきた。ミラレパ尊者の洞窟は3畳ほどの広さで、正面にあるのは尊者の像と祭壇のようだった。まず三拝だ。そう思って立ち上がったタオは、またもや息がとまりそうになった。「誰だ!?」
 今まで気づかなかった奥の暗がりに、黒い影がうずくまっていた。その影はゆらゆらと立ち上がり、白い歯を見せた。「俺だよ。」覚えのある匂いがして、あの船頭だとタオは思った。また吐き気がしてきた。
「よくここまで来たな、坊や。ほめてやろう。このあいだは、もう少しのところであの獣にじゃまをされたがな。でも、ここまでだ。とっとと帰れ!」
 タオはかすれた声で叫んだ。「い、いやだ。俺は、父さんの宝を・・・父さんの生きたあかしを、確かめに来たんだ。じゃまするな。」
 男は大口をあけて笑った。すえた魚のにおいが強くなった。「バカ、死んだ者のことなど放っておけ。今さら何をしても無駄さ。」
 タオはかっとして叫んだ「無駄じゃない!」しかし、男の言葉は思いがけずタオの心を貫いた。男から視線をはずし尊者の前の供物の山に目をやったとき、タオはそこに横長の木箱があるのに気がついた。木箱のふたには、母さんの晴れ着と同じウパカラの花の模様が彫られていた。
 次の瞬間、タオはその木箱に飛びついた。
「それにさわるな!」男が差し迫った声で叫んだ。「さわってはいかん! 元に戻すんだ! でないとひどいめにあうぞ!」
「いやだ! 俺はこれを持って帰る。」
「許さん! 戻せ!」
「これは父さんからの供物だ! お前には関係ないだろう。」
「いや、それを持ち出すとたいへんなことになる。呪われるぞ。バカ野郎! 元の場所に戻せ!」
 この男が飛びかかってきたら、タオはたちまち箱を奪われてしまうだろう。だが男は、恐ろしい顔で手を振り回して怒鳴っているが、タオに近づいてこようとはしない。何故だ?
「戻せ!」
「いやだ!」
 タオは、いきなり木箱を男に向かって突き出してみた。男は「あっ」と後ろに跳びのいた。
「そうか! お前はこれにさわれないんだな? 中身は何なんだ?」
 タオはゆっくりと箱を下に置き、男から目を離さないように気をつけながら、手探りで木のふたを開けにかかった。
「や、やめろ!」
 掛けがねがカチッと音をたて、タオは箱のふたを開けた。その瞬間、中からまばゆい五色の光が放たれ、一瞬のうちに、何年も闇に沈んでいた洞窟は、隅々まで光に洗われた。「だめだ! ああっ!」光を浴びて、男の姿はもはや人間ではなかった。ふくれた腹、飛び出た目玉、小さな口・・・餓鬼だ。「封印が解かれた・・・もう駄目だ・・・」餓鬼の体はしだいに縮んでゆき、ついに塵となって消え果てた。
 木箱はまだ仄かに光を発していた。我に返ったタオは、ミラレパ尊者に三拝してから箱の中を調べた。入っていたのは、幾重にも包まれた古い教典だった。

 それからタオは木箱をしっかりとふところに入れ、洞窟の入り口に生えている樫の木にロープをかけ、ゆっくりと崖を降りていった。下ではニンジェが、のんびりと草を食んでタオを待っていた。レパの姿はどこにもなかった。タオはニンジェの首を叩いて言った。「ただいま、ニンジェ。俺が見たのは夢だったのかな。」


 7日目に、タオとニンジェは村に帰ってきた。その後1度だけ、タオは草原の向こうに住む灰色の老人に会いに行った。老人は震える手で木箱の中を確かめた。この経典は迫害を予知したグル・リンポチェが、1200年前に土に埋めたテルマの1つだという。タオの父さんは埋蔵教典を掘り出す力を持つテルトンという血筋の者で、老人もそうだった。そしてタオも。
 タオがミラレパ尊者の洞窟から取り出した埋蔵経は、ゴンカン寺に納められた。経典を一読した僧は驚きを隠さなかった。このテルマは、悪霊を払うきわめて強い力をもっている。世に出れば衆生に大きな利益をもたらすだろう。
 巡礼のレパには2度と会うことがなかった。だが「タオのいさおし」は今もこの地で歌い継がれている。ヤルンツァンポ川はその後氾濫を繰り返し、あの洞窟に近づく者はもう誰もいない。
 


2016年4月4日 脱稿
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-04-04 22:11 | merchen | Comments(2)

短歌教室

私的感覚を見つけるには文学的なセンスが必要。
そのセンスを磨くために、ぜひ短歌を学びなされ。

と、むかしから師に言われ続けておりましたが
先日のかささぎ座でもまた言われ、
たくさんのお仲間が、NHKの短歌教室にお申し込みされました。

それってテレビ?
うち、テレビないし。
NHK訴訟団が身内にいるし。

でも、私も日本語力を鍛えなくちゃな~
と呟いたら、
「君は先生がそばにいるんだから、私に教わればいいじゃないか」
と言っていただきました。
あ、その手あり?
「私だってそう上手くはないが、初心者に教えることぐらいはできる」
わーい、ありがとうございます!
「では来週の今ごろまでの間に、まず1首作ってくるように」

は~い(^o^)

ところで短歌って、季語とかあるんですか?
「ありません。なんでもいいの」

というわけで、3首作って
3月27日に、師に提出し、
徹底的に添削していただきました(^_^;)
同学の方々のお役にたつかもしれないと思い、、
恥をしのんで公開させていただきます。

1)白雪をいただく比良の山風に さからうごとくバンの2羽ゆく

講評:「白雪をいただく」というのが陳腐すぎます。
こういう紋切り型をできるだけ避けたいのですじゃ。
現にさからって飛んでいるのだったら、「ごとく」もおかしいです。

→ 白雪の残れる比良の山風にさからいながらバンの2羽ゆく

2)船だまり 波の打ちよす音聞けば 馴れし夜道もあやしくぞ思う

講評:初句切れはダメです!よっぽどの覚悟をもって使わねば。
「打ちよす」(連用形)が「波」(体言)にかかるのも文法的におかしいです。
「打ちよする波」が正しいだろうが、これでは字が余ります。
こういうときは、順序を変えるなど工夫してください。
「馴れし」など変に古語を使うより、現代語の方がいいです。
「あやしくぞ」も紋切り型でペケ。

→ 冬去れど馴れた夜道の船だまり波音たかくあやしくも思う

3)春の陽にふくらむつぼみの枝越しに 黒き上着の夫(つま)が釣りする

講評:「枝越しに」釣りをするんか!?
いくら私が名人とはいえ、そんな器用なことはできません。
これも順番を変えましょう。

→ 釣りをする黒き上着のわが夫をふくらむつぼみの枝ごしに見る

講評:いいなぁ愛にあふれた歌だなあ。

?・・・・・

ちょっとどころかだいぶ手を入れていただきましたが、
少しの工夫で、なんだか格好がついたように思います。

気をよくして、これからも
1週に1首ぐらいのペースで作ってみようかなと思っております。
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-03-29 15:54 | japan | Comments(1)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako