アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

チベット語会話

5年ぐらい逃げ回っていたタスクと
b0253075_1626912.jpg向き合わねばならないときが
ついにやってきたようデス・・・

いやなに、
チベット語会話なんですけどね。

もともとチベット仏教に興味をもった時点では
まさか自分がチベット文字を読むようになるとは考えておらず

まさか自分にチベット語を教えてくださる方々が
身近に
次々と
現れるとは思っておらず

さらに、今度は
まさかチベット語会話を学ぶはめに陥るとは・・・

どうやら私は、
いつも師から
上手に勇気づけられてしまうという
星の下に生まれたようです(-_-)


ドルズィン・リンポチェは
来日されたその日から
「チベット語会話も習たらええのに。そしたら俺ら、喋れるやん」
ておっしゃっておられました。
(ホントはきっと、もうちょっと丁寧な英語)

その後も、やっぱりたびたびそうおっしゃいます。
1週目の前行が終了した日、
晩ご飯を膳所のご飯屋さんで済ませてホテルに帰る道すがら
「ほんまに会話もやりぃや。
 ゆっくりゆっくりでええから勉強し。
 そしたらある日、チベット語が、あっというほど分かるようになってるで」
って、しみじみおっしゃいました。
(なんでこんなに大阪弁で聞こえてしまうのかしらん)

それでね、ときどきテストもされたんです。
ポットを運んでたら、「何が入ってるんや?」
「空です」
「Empty! Good! In Tibetan?」
あのね。
英語喋ってるときは英語脳になってるの。
いきなり言われてもチベット語単語出てこないの。
「え~と、えーっと」
「とんぱ やんか」
「あ、そうだった、とんぱです~」

「正確には、とんぱは empty、とんぱにーが emptiness やねんで」
「はい~」
みたいな。


もっと若い頃にチベット語を習い始めていたなら別ですが、
なんせ50台から始めていますからね、
今生でチベットに行くことはないだろうと思っているのです。

だけど、まさか、こっちへチベットの方をお招きすることになるなんてね。
こうなると、ほんとに少しぐらいは日常会話できる方が便利ですね。

アドラー博士も、60才になってから英語を学び始められたと聞きます。
そしてアメリカで講演し、アメリカの大学で教職につかれたのです。

それを思えば・・・私も、今ならまだ間に合うかも。
何も難しいご法話を分からなくていいので、
ただ、「その壺をとれ」とか「小皿は6枚必要だ」とかが分かればいいのです。
逆に、今を逃せば、もう無理かもしれません。

つうわけで、W先生にお願いして
現代チベット語会話を学び始めることにしたのです!


先週の火曜日、
チベット語会話初回のレッスン。
テキストは、ちょうど出版されたばかりの『ニューエクスプレス チベット語』でした。

レッスン1は「Hi, I'm Ayako」のレベルですが(^^;)
おお!ドルズィン・リンポチェに習った
「くすでぽいんぺ~(お元気ですか?)」が
ちゃんと本に載っています。
スペルがわかってうれしい♪

だいたい、リンポチェは「けらん(あなた)」を「ちぇらん」って発音しておられたし。
「らまけんのー(上師よ見そなわせ)」も「らまちぇんのー」だったし。
テキストにはラサ発音のCDがついていますが、これは、ほぼ役に立ちません。
私の師たちは、残念ながらみなさんカム訛りなので!

b0253075_16274427.jpgさらに言われて急ぎ購入したのが、
『旅の指さし会話帳 チベット』という本です。
単語力アップに良さそうです!

1時間ばかりW先生にみっちりレッスンしていただいて、
と~っても楽しかったのですが、
あと、ひじょーに頭が疲れていました。
そりゃそうよね。。。

1ヶ月に1回ぐらいのペースで「ゆっくりゆっくり」続けて
1年後のドルズィン・リンポチェ再来日のみぎりには
うふふ・・・チベット語のお喋りを披露したいと思いますw


それから数日たったある日、携帯がぴろん!と鳴って何かメッセージが届きました。
見たらドルズィン・リンポチェからでした!

b0253075_16302865.jpg「たしでれ~ Ayako も Jalsha も元気でやっておるか?
 わしは今、日本食のレストランで食事をしておるところじゃ。
 たいへんおいしいぞ。
 チベット語の勉強をしっかりするのじゃぞ」

・・・と、チベット語で書いてありました!
解読に数分かかりました(=_=)
(なぜかチベット語は老僧風・・・)

お写真つきです(^o^)

こうなったらチベット語でお返事を書こうと思いましたので、
お返事を出すまでに、またかなり時間がかかりました(>_<)
『旅の指さし会話帳 チベット』をめくって「おいしそう!」というフレーズを見つけ、
「リンポチェ、たしでれでございます。
 私ども2人はとても元気にしております。
 とてもおいしそうでしゅね」などと書きましたとさ(笑)


ちなみに、大きなJ先生ところにチベット語メッセージは送られてきません。
どうやらチベット語会話については、私がターゲットになっているもようです。

いやーなかなかに楽しい暮らしです(T_T)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-04-09 16:33 | tibet | Comments(2)

阿難と摩訶迦葉

b0253075_22345231.jpg私に一体いかなる福縁があったのでしょうか?
今生で生きた仏陀であるガルチェン・リンポチェとお会いでき
生きた菩薩であるドルズィン・リンポチェのお世話を
少しばかりさせていただけたなんて。

チベット仏教に興味を持ち始めたのは
2011年秋。
思えばもう5年半も前になるのですね。
もちろんその頃は、未来の私がこんなことしているなんて(^^;)
想像もしませんでしたよ。

2013年夏にはじめてシンガポールに行って
ドルズィン・リンポチェにお会いしました。
b0253075_2237178.jpgこんなにお近づきになれたことも、ほんとうに不思議です。

あの時は、ただただガルチェン・リンポチェにお会いしたい!
それだけの思いでシンガポールに飛んだのです。

強い陽射しの中、今よりもう少し細身だったドルズィン・リンポチェが
ダルゲ・リンの前に立っておられた姿を思い出します。
 What is your lineage?と聞かれたので、
 - Garchen Rinpoche.と答えると
 Garchen Rinpoche? So do I. Same.
と笑われました。


俗世のご縁でいえば、
もちろんアドラー心理学の師匠である大きなJ先生とのご縁が深いですし
そのおかげでさまざまなお仕事をいっしょにさせていただいておりますが

その他にも、まるで目まいがしそうなほど
さまざまな縁と因とが互いに絡みあい結びあいしているように感じるのです。


今回のリトリート開催にあたって、
ほとんど全日、通訳を勤めてくださった素敵なWさん。

Wさんとのご縁が結べたのは、
アドラーのお友だちのNさんが
チベット語をいっしょに学ぼうと私を誘ってくださったからです。

そもそもNさんがチベット仏教を学んでおられることを、当時私は全く知らず、
2011年にはじめて行った大阪のポタラカレッジで、
私の前の席にNさんが偶然、座っておられたのです。
不思議ですよねぇ!

私たちの最初のチベット語の先生はタンカ絵師のMさんでしたが
2015年から、Wさんにお願いして学んでいます。
そのご縁で、このたびの通訳をお願いしました。
引き受けてくださってほんとにほんとに助かりました!

今回のリトリートの成功要因は、文句なしに、
W先生の美しく分かりやすい日本語通訳でした!
ね!!(^_^)v


また、チベット風の祭壇用の布を調達できたのも、
Wさんが、お知り合いの広島龍蔵院のラマさまにお願いしてくださったからなのです。
なんと畏れ多いことに、私たちディクン・カギュ派なのに
ゲルク派のラマさまに、ネパールでのお買い物をお頼みしてしまいました(^_^;)


さまざまなご縁を
ほんの少し考えてみただけでも、
予想もしない以前からの因が熟して
この2週間のリトリートに結実していたことが分かります。

当然それは私だけでなく、
参加者のみなさんも、それぞれの因と縁とがそれぞれに実って
今生で、生きているダルマに出会われたのです。

アドラー心理学を学んでこられた方が多かったわけですが、
どうですか? こんなところに辿りつくなんて~
予想しないですよね、ふつう(*_*)



少し話は変わりますが、
お釈迦さまの晩年のお弟子に
マハーカーシャパ(摩訶迦葉)という方と
アーナンダ(阿難)という方がおられました。

マハーカーシャパはクールで実際的な方だったようで
たいへん賢くて政治的な配慮に長けていて
お釈迦さま亡きあとのサンガは、
マハーカーシャパの下でうまくまとまっていったそうです。

アーナンダは、お釈迦さまのことが好きで好きで大好きで
ずっと身の回りのお世話をしていました。

阿含を読むと、お釈迦さまの亡くなる前後の
アーナンダの後悔や悲しみが細やかに描かれていて胸を打ちます。

マハーカーシャパは優秀で、お釈迦さまご存命のうちに悟りを開きました。
アーナンダは多聞第一と言われ、
お釈迦さまのおそばでたくさんのお言葉を聞いて学びましたが
お釈迦さまご存命の間は悟りませんでした。

喩えるのも畏れおおいことですが・・・
おそらく
ライフスタイルの傾向としては、
私はアーナンダの方で、
J先生はマハーカーシャパさまなのだろうなと思うのです。


サンガにはどちらの個性も必要です。
サンガには、
どんなときも醒めた理性を維持できるマハーカーシャパのような人が何人か必要だし
私のようにうっとり系の(少しばかり)狂信的な信者も
情の部分の受け皿として必要だと思います。

しかしアーナンダだけでは組織が立ち行かないし、
マハーカーシャパだけでは、つまらないでしょう。


サンガ(教団)を運営する主体の側になるとは思ってもいませんでしたが

なんと私、はじめてシンガポールに行った直後の2013年9月のブログ
Sanghaという記事の後半に
既にそんなことを書いておりました・・・!

ということは、
こうなるべくしてこうなったんでしょうね。。。

今後も私たちは、根本上師ガルチェン・リンポチェのお教えを
類い稀なる兄弟子ドルズィン・リンポチェから、学んでいきます。

J先生は知の部分、私はその他の部分で
お仕事をしていくことになるのかな、と思います。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。
 
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# by prem_ayako | 2017-04-02 22:49 | tibet | Comments(2)

生きているダルマ

歩き疲れたので
東寺内の小さな喫茶店にみんなで入りました。

ひなびたお店でしたが、窓の外に鯉の池があり、
西日がやわらかく差す席で、
リンポチェはとてもくつろがれたご様子でした。

ミュージアムをいくら見ても仕方がない、ということなのでしょう、
「他の寺にはもう行かなくていいよ。I am happy here」
とおっしゃるので、風が強くて寒い日でしたし、
ここでゆっくりと過ごすことにしました。


日本の仏教はたしかに死んでいます。
人々は死んだ目をして毎日の生活に追われています。
でも心では本当のダルマを教えてくださる人を探し求めていました。
日本に生きた教えを伝えてくださってありがとうございます。
とみんな口々に、リンポチェにお礼を言いました。

日本は仏教国だ。
日本人には、もともと仏教に対する信仰がある。
正しいダルマを知れば、日本人は変わるだろう。
とリンポチェはおっしゃいました。

リンポチェが来てくださって本当にありがたい。
私たちはほんとうに渇いていたんです。と言うと、
Thirsty? Then, drink water!
と混ぜっ返されます(^_^;)

あるいは、質問したり
自分たちのセッション中の体験をシェアしあったり
リンポチェもあれこれくつろいだお話をしてくださったりして、
とっても楽しい美しい時間でした。


リンポチェがお話をなさっていると、
外の池の鯉も、窓際のリンポチェの方に泳いできましたし
鳩もリンポチェの窓の外に飛び降りました。

本当に起こっていたのですよ。

私たちは、ほんものの、生きたブッダにお会いしていたのです。
人身得難く正法逢い難し。
私たちはこの2つともに得るという、奇跡の中にいたのです。

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夕日の中、京都駅まで歩いてもどって
荷物を受け取り、
ご一緒してくださった○さん、Bさま、Kちゃんとお別れし、
私はリンポチェと特急「はるか」に乗り込み、一路、関西空港に向いました。

2人掛けの席で、もちろんリンポチェには窓側に座っていただき、
私が切符をお預かりして、ゆっくり休んでいただきました。

お疲れのリンポチェは真っ直ぐにお座りになったまま目を閉じて
関空に着くまでの1時間半、
物音ひとつさせず、深い眠りに入られたようでした。

私もリンポチェの眠りを妨げないように
静かにこの2週間のことを思い出しておりました。

ともに過ごさせていただいて、ようやくコミュニケーションが取れるようになりました。
思えば最初に来られた日には
私たちがリンポチェの英語のアクセントに慣れていなくて、
なかなか意思疎通がうまくいきませんでした。
来日早々、リンポチェは困ったもんだと思われたかもしれません。
今ようやく、ちょっとこみいった話でも
あるいはざっくばらんな個人的な話でも
気軽にできる関係ができたのに
もうお帰りになってしまわれる。

私たちは信じられないような日々を過ごしましたが、
リンポチェのおられない日々もまた、信じられないような気がします。


終点が近づくとリンポチェは自然に目を覚まされて、
I had a good sleep.
と微笑まれました。

凄いですね。
お休みになるときも
覚者とはこういうふうなのですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-04-01 23:59 | tibet | Comments(2)

東寺

全部のプログラムが26日に終わって
翌日の月曜日は、
リンポチェを囲んで、数人で京都ツアーに行きました。

リンポチェをいちど京都にお連れしたかったし
あまり混むところは避けて
とりあえず空海建立の密教寺院、東寺と
時間が余れば東福寺も、と考えていました。

11時にチェックアウトしていただいて、
リンポチェのスーツケースを○さんがひっぱってくださって
膳所まで歩き、ローカル電車に乗って京都へ。
ものすごい人混みの京都駅で荷物をあずけて
さあ出発!

リンポチェは、京都駅の大きさにびっくりされたようで
日本でいちばん大きい都市は?
2番目は? 3番目は? といろいろお尋ねになります。
1番大きいのは東京で、政治・商業すべての中心。
2番目は大阪で、商業都市。
京都は3番目で、明治になるまで長く天皇のおられたところです。
(と答えたけれど、合ってます?)

日本の天皇についても、あやしい知識と英語でご説明しました。
2500年間、ひとつの lineage で続いていることや
戦乱で京都におられなかったときを除き、
ほぼ1200年京都にお住まいだったことなどお伝えしました。
(合ってます?)

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白木蓮の花が咲いていて、
リンポチェはこの花から薬ができるのではないかなと、
花びらの匂いをかいでおられました。
咲いている姿はとても美しいのに
歩道に落ちた花びらは残念なことに汚れていて
空と無常の現れだ、など
とってもリラックスしておしゃべりされました。


道ぞいの食堂できつねうどんや親子丼を召し上がっていただいて
(なんでいつもこんなにローカル ^^;)
ようやく東寺につきました。

手水場で私たち俗人は、手と口をすすがなくてはなりませんが、
リンポチェはお坊さまなのでその必要はありません。
でもリンポチェは、「それはよい習慣だ」とおっしゃって
いっしょに手と口をすすがれました。

まずは食堂の十一面観音さまにお参り。
リンポチェはお堂に入られたらすぐに毛糸の帽子を脱がれます。
観音さまの前で真言を唱えられ
日本の習慣にしたがって、お賽銭をあげられました。

それから有名な講堂の立体曼荼羅へ。

大きな空間に、大日如来を中心とした迫力ある立体曼荼羅。
私なんぞはリンポチェとこの空間にご一緒することだけで
もう感動しちゃうのですが

リンポチェはさっさと歩かれて
少し真言を唱えられただけで外へ出られました。

金堂の大きな薬師如来も見ましたが
あまり興味は示されず
「ここに僧は住んでいるのか?」とお尋ねでした。
「たぶん住んでいません」
「観光客だけ?」
「そうですね。在家の信者が年に何度か集まって法要をしているようですが」
「僧は住んでいない?」
「いないようです」
「そうか」

宝物殿にも行きましたが、入ったとたんにリンポチェは
Ah, museum! と呟かれました。

大きな梵鐘の前でおっしゃったお言葉は忘れられません。

Before, monks beat it and everybody came.
Now, it is in the museum and nobody comes.
(昔は、この鐘を僧たちがつくと人が集まった
 今、鐘は美術館におさまって、誰も来ない)

おっしゃる通りです。

私たちは何も考えていなくて
リンポチェと日本のお寺でご一緒していることだけで喜んでいたのですが、
リンポチェは常に、dharma が生きているかどうかを見ておられたのです。


それから五重の塔の前で記念撮影などしてぶらぶら歩いていると、
幼稚園児がピヨピヨと整列しているところに出会いました。

リンポチェ、めずらしく
「あの子どもたちと写真を撮ってくれ。先生に頼んでくれないか」と
リクエストされました。

若い先生にお願いしてみましたが、
子どもの顔がネットに流れるのを気にしてる様子・・・
でも、その間にリンポチェは、
もう子どもたちの後ろに並んでしまわれました。

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とたんに、子どもたち、きゃぁきゃぁ大喜びです。
リンポチェのお顔もものすごくうれしそうで、
今まで拝見したことのない、くっしゃくしゃの笑顔です!

子どもたちはもう、嬉しくてたまらない様子で
リンポチェの頭を叩いたりさわったり、ひっぱったり、
なんていうんでしょうか
いきなり大きなエネルギーが現れたのを感じ取ったみたいで
ものすごく活気づいているのです。
子どもには、わかるんですね!

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この一瞬の変化!
驚くべき変化でした!

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# by prem_ayako | 2017-04-01 23:52 | tibet | Comments(0)

限界をこえて

大きなJ先生と私は、以前にも
海外からアドラー心理学の先生をお呼びして
日本に滞在していただいたことがあります。

2009年秋に2ヶ月間、ラトヴィアのヨランタさんと娘のナラさん
2010年秋に、スイスのイヴォンヌ先生と旦那さんのハインツさん
をご招待しましたし、
さらに今年の秋には、アメリカからウォルトン先生と奥さまとを2週間、
お呼びすることになっています。

ですので事前のメールのやりとり、
会場やホテルの手配、
送迎や接待などについて、
少しばかりのノウハウがありました。

ですが・・・
今回のドルズィン・リンポチェのご滞在に関しては
今までの経験はほとんど役に立たなかったデス!

なぜかというとまず、言葉がほとんど通じなかったから・・・(-_-)

リンポチェの英語は
ご自分ではブロークンだとおっしゃいますが、というよりもむしろ
チベットの訛りのせいで、私にはとても聴き取りにくかったのです。

ほんとに何回聞き直して言いなおしていただいても分からなくて、
リンポチェにかなりのご迷惑をかけてしまいました。

チベット語は、学んではいますが
「お経を読む」ということに特化してずっとやってきましたので
会話はまるっきりダメなんです!

そもそも今生で、チベットの方とさしでお話しする機会があろうとは
昨年の夏頃まで想定してなかったわけで。
(こんな事態になるなんて~人生わからないもんです)


さらに、リンポチェをどのように遇すればよいかもよく分かっておらず・・・

貴人でおられることは確かなので
お家を浄め
新しいスリッパやコップをそろえ
在家の主婦として考えられる限りのおもてなしはしたつもりなのですが

やっぱり、あれこれ失礼があったと思います。
何があってもリンポチェは全然気になさらなくて
いつも「とても快適だ」と言ってくださっていましたが
今になって、ああすればよかった、こうすればよかったと思うことが多いです・・・

また前にも書きましたが、祭壇のしつらえとか
儀式がどう進んでどこでお手伝いが必要かだとか
もうほんとうに手探りで、出たとこ勝負で、
よくまあ無事に終わったものですw

寛容で、
フロンティア精神に溢れたドルズィン・リンポチェだからこそ
お許しいただけたのでした~(^^;)


逆に、リンポチェからの予定変更もありました。

たとえば、前半最初の「三十七の菩薩行」のご法話が
時間が足りなくて途中までしかできなかったことが
リンポチェはとっても心残りだったみたいで、
「前行」の始まる日、「ぜひ今日、続きを教えたいのだが」と言い出されました。

それはたいへんありがたいお申し出なのですが!

「前行」の参加者は「三十七の菩薩行」の参加者と半分ほど入れ替わってますので
「三十七の菩薩行」の続きを「前行」の日にしていただくわけにはいきません。

リンポチェのご意向を実現するためには
(それはぜひ実現しなければならないのですが)
可能な時間帯(現実には翌週の水曜の午前しかなかったです)の会場を確保し
その時間も通訳のWさんに来ていただくようにお願いをし
「三十七の菩薩行」に来ておられた方全員にメールで連絡して
お返事を待って名簿をつくり

その中の午後も続けて参加する人たちのために
お弁当の手配をして・・・などなど

ひとつの変更に伴って、さまざまなお仕事が発生しました。


そんなこんなで
前半の週末あたりが、私にとっては疲れのピークでした。

毎夜10時過ぎて帰宅して
帳簿をつけて
翌日必要なものをかばんに入れて
お風呂に入ったら、とっくに日付は変わっています。
泥のように眠る日も興奮して眠れない日もありましたが、
なんとなく慢性の睡眠不足状態。
・・・ともかく毎日精一杯でした。

そんな中でふと思いついたことがあったら、
直感にしたがって
ともかく実行するようにしました。
そうすると、たいていみなさんに喜んでいただくことができました。


なんとかなる。
自分のことを考えないで
周りのことを考えて動いておれば
それでうまくいく、ということを学びました。

私の手に余るときは
「どなたかお手伝いしてくださいませんか?!」と呼びかけたら
何人もの方が、すぐに手を挙げてくださいました(T_T)
ほんとうに、ありがたいことでした。

そうして、
すべてがうまくいきました。

仏さまの加持力と
衆生の請願力と
法界の縁起力
のおかげです~ 
 
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# by prem_ayako | 2017-04-01 23:43 | tibet | Comments(0)

ハサミとペン

これも儀式のお手伝いのときのお話です。

灌頂よりも前でした。
1週目の前行講座の3日目に
仏道に入ることを決めた参加者たちのため
リンポチェが帰依戒を授けてくださることになりました。

戒を受ける者は、髪の毛を少しハサミで切っていただいて、
今後ブッダの境地を得るまで仏法僧に帰依することを誓います。
日本でいうところの「お髪剃り」だと思います。
そしてひとりひとり、戒名(ダルマ・ネーム)をいただきます。
とても美しい、感動的な儀式なんです。
(私自身は、2013年7月にガルチェン・リンポチェから帰依戒をいただきました)


リンポチェから戒を受ける者の人数を教えてくれと言われましたので
(お名前を考えてくださるのだろう)と思って
希望者を把握し、男性が何人で女性が何人で、と前夜にお伝えしました。

当日の朝、座につかれたリンポチェにお湯をお出しすると、
リンポチェが小さな声でおっしゃいます。
「I need scissors and a pen」
「Oh.... Scissors and a pen....」とバカのように繰り返す私。
「When?」
リンポチェちょっと笑われて「Now」
(@_@)
「これに書かなきゃならないから」と示されたのは、
目の前に積まれた白紙の帰依カードです。
なんと!今から書かれるんだ!

・・・ペン、ペンはすぐにお渡しできるけど
ハサミね、ハサミは、私、今日持ってきてないと思う・・・
探してみたけど、やはりありません。まいったね。
帰依戒のことは前もってシンガポールと打ち合わせてあったのに、
絶対に必要なハサミを持ってきておられないなんて~

・・・とか考えながら、ともかくペンをすぐにお持ちすると
「ハサミはそんなにすぐでなくてもいいよ。Perhaps about one hour」と言われ、
私はなぜか、たぶん動転していたからでしょう、
1時ぐらいでいいんならお昼に買いに出ればいいわと
思いこんでしまいました。

でもどうやら儀式はどんどん進んでいくし
あら、1時じゃなくて1時間っておっしゃっていたのか!
とやっと気がつき

これはいかんと慌てて、
前に座っていた○さんに
「ねえ、ハサミ持ってる?」って聞いたら
「ハサミ?あっ~!!」
「下で借りてきます!」とすぐに走りだそうとされました。
ところがお隣に座っていたNさまが
「ハサミ?ちょっと待ってね(バッグをごそごそ)これでいい?」
と魔法のように、
小さな年代物のハサミを差し出してくださったのです(感謝!!)

まぁ~これもほんとにギリギリのところですw

おかげで帰依の儀式はとどこおりなく進み、
みなさんリンポチェに少しずつ髪を切っていただきました。、
切られた髪は、リンポチェが今までに帰依戒を与えた方々と同じ袋に納まりました。

Nさまはご自分のハサミで
ご自分の髪を切っていただき、戒を受けられたのでした(随喜!)


このときのペンとハサミはすぐに返していただいたのですが
ちなみにその後もリンポチェは、
いろんな人からその都度ペンを借りておられて、
そのままになっちゃったものが多かったみたいです(^^;)
みんな、リンポチェのお役にたつならと喜んでペンを供出したので
返ってこなくってもむしろ喜んでおられるのですけどね。

最終日の片づけ後、持ち主不明のペンが2、3本残っていましたので
とりあえず私が預かっております。
お加持つきのペンです(笑)
心当たりの方はお申し出くださいね。

私もさらにもう1本、求められてお貸ししたのですが
それはご帰国当日の朝、返していただきました(笑)
大事にします。


帰依戒の希望者は、2週目にも何人かおられたので
最終日、もう一度、帰依の儀式をしていただくことになりました。

2度目ですから、ハサミが要ることは織り込み済みです。
前夜、家にあった私の小さなハサミをアルコールで拭いてきれいにして
当日、リンポチェのお机にそっと置いておきました。
はい、とどこおりなく使っていただくことができましたよ(^^)v

でもね、今度はそのハサミ、
とても使いやすかったとリンポチェがお気に召されて
もらって帰っていいかな?とお尋ねになるのです(笑)
もちろん、そんなものでよろしければ!

無印良品の、刃先だけケースに入るタイプの小さなハサミです。
(今はもう取り扱っていないかもしれません)
このケースが旅で持ち歩くのに便利そうだ、ということです。
前の晩にきれいにしておいてよかったですぅ~


だいたいにおいてリンポチェ、無印良品グッズがお気に入り?みたいで
床に座られるときにとお持ちした無印の焦げ茶のクッションなども、
けっきょくは使われなかったのですが
「シンガポールに持って帰って使おうかな」
「え、いやそれなら新しいの買いますよ」
「いや、冗談、冗談」と笑われるのでした。

総じてお茶目なリンポチェなのでした(^^)
 
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# by prem_ayako | 2017-03-30 16:47 | tibet | Comments(0)

灌頂のお手伝い(2)

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失敗もありました。

私にご用があるとき、
リンポチェは目で私を捜されます。

だいたいは反応できていたのですが、
一度だけ、最終日のターラー成就法の日だったかな。
その前の座で、あまりにも瞑想がうまくいったため
ちょっと虚脱してしまって
午後から、リンポチェのお声を聞きながら目をつぶって、少し眠ってしまったのです。

そしたらちょうどそのときに、リンポチェは私を捜されたみたいです(>_<)
あやこさん、と前の席の方に言われて
はっと気がついたときには、
大きなJ先生が代わりに動いてくださっていました。

あわてて立ち上がって、ばつ悪くまた座った私をご覧になって
リンポチェは笑っておられました。

・・・2週間のセッション中、私が眠って意識をなくしたのはこのときだけなのですが、
ちょうどそこにお仕事がやってくるんですね~
仏さまはよく見ておられます。

なんだかすべてが修業だったのだなぁと
今になったら、よく分かります。


ところで、灌頂は観音菩薩と白ターラー菩薩と2ついただいたのですが、
2回目の白ターラー菩薩灌頂のときは、
みんなで協力して、とても手際よく祭壇を用意することができました。

1回目の祭壇を写メして記録しておき、
そのとおりにまた作ったのです。

このときはリンポチェ、少し離れたところに座ってじっと見ておられ、
ときどき前に出て来られて気になる部分を直されました。

祭壇も美しくできましたが、
みなさんの協力もとても美しかったです。
リンポチェもご満足そうでした。

日本人は、よく学ぶ民族なのです!(^-^)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-03-30 16:45 | tibet | Comments(0)

灌頂のお手伝い

さてどのお話から始めましょうか。。。

チベット仏教の瞑想法のひとつ、
成就法(サーダナ)の前には、いつも灌頂があります。
灌頂は密教の大切な儀式です。
今回は、2週目に観音菩薩とターラー菩薩の成就法を学ぶので、
灌頂も授けていただきます。

私自身、いろんなところで何度か灌頂を受けましたが
リンポチェ方にはたいてい、お手伝いの随行の僧がついてこられますし
昨年秋おひとりで来日されたアヤン・リンポチェも
ご法話のときはおひとりでも、
やはり灌頂の際には、もと僧侶のラマ・ウゲンがお手伝いをしておられました。

ですから
どなたかしかるべき方にお手伝いしていただかなくてはと思っていました。
実は心当たりの方にお願いをしたのですが、
残念ながら無理だったのです。

ドルズィン・リンポチェご自身は、
全くかまわない、自分ひとりでするから気にするな、と言ってくださるのですが、
本当にどうなることかとひやひやしながら当日を迎えました。


ご法話の際の祭壇のしつらえにしたって、
いろんな方のご協力で布だけはなんとか3枚調達していましたが、
あとは初日にリンポチェにご指示いただいて、
あれこれ配置してどうにか格好をつけたのです。

b0253075_206481.jpg

灌頂となるとさらに、リンポチェご持参の
何に使うのか謎な金属製の法具たちが
たくさん別のテーブルに並びます。

今まではただ灌頂を受けるだけでしたから
儀軌の進行次第も法具の配置も、全く意識していませんでした。
いざ主催者側に立った今、何もイメージできないのでした。
とにかく、その場で言われた通りにするしかないのです・・・

前日の夕方、明日持ってくるようにとリンポチェに言われたのは
 果物
 ビスケット
 小さなお皿
 きれいな水(サフランなどを入れて黄色くした水)
 割り箸
 セロテープ
 水差し
 口をゆすいだ水を吐き出す器
などなどでした。

(実は後でまだ増えました。100%ジュース2種類とか、白い布とか。
 ・・・謎でしょ?)
何に使うのかよく分からないと、揃えるのも難しいものです(/_;)
できるだけ早くに帰宅して家捜しして、
ともかく持って行きました。

朝10時前に会場に集合して
机を移動し、いつものように祭壇を作り、
おいでになったリンポチェのご指示に従っていたところ、
「小皿は3枚必要だ」と言われまして(*_*)
あら~てっきり1枚だと思っていましたわ!
枚数を確認していなかった~っ

でも慌てていると、
Nさまが走って、ホテルのレストランで借りてきてくださいました(T_T)

また、家にあったサフランは古かったのでクチナシの実を持っていったのですが、
冷たい水を黄色く染めるのはあまりうまくいかず・・・
でもこれも、通訳のWさんが念のためにサフランを買ってくださっていたので
助かりましたm(_ _)m

なんかもう、ギリギリのところで切り抜けている感じです。
(結局、毎日毎日、最後までこうだったんですが・・・)

ようやくサフランで染めた黄色い水が出来上がり、
2つの壷にそれを満たして、祭壇に並べます。

一度目は壺に入れた水の量が少なすぎるとダメ出しされ、
そうかといって満タンにすると運ぶときに口から水がこぼれ、
まったくもって大変でした(汗)

じっとご覧でお待ちになっていたリンポチェからすれば、
大勢であたふたと、さぞや不手際で不細工だったことでしょう!

準備がすべて整うと、
リンポチェは1時間半ほど瞑想に入られ

その後お昼をはさんで
灌頂が始まったのは午後1時からでした。

b0253075_20151939.jpg

リンポチェは印を結び、真言を唱え、鈴やダマルを鳴らされます。
ときどき通訳のWさんに指示を出されます。
チベット語がわかるのはWさんだけですから
申し訳ないけどお任せするしかないな~と見ていたら、

そのうちに私も呼ばれ、
Wさんと一緒に、みなさんの手のひらに
お清めの水を注ぐ役をおおせつかりました
うまく適量を注げなくて、
注ぎすぎてテキストを汚してしまった方、本当にごめんなさい!!
懺悔しますm(_ _)m

こういうことに使うと分かっていたら、
もっと注ぎやすい水差しを考えたのですが・・・後の祭り。

また、果物とビスケットを少しずつ載せた例の小皿を
折々に、外に施餓鬼に持って出るというお仕事もありました。
最初はWさんがしてくださっていたのですが、
通訳のお仕事があるので
「アヤ」と呼ばれて私も何度かさせていただきました。

結局小皿は3枚どころか、5、6枚も使われたように思います(^^;)
リンポチェは私を見て、それから小皿を見て
ひとこと「offer」と言われるので、
たぶんこう?と思いながら外に持って行って、
琵琶湖畔の公園の、適当な木の根本に置きました。
そして少しだけおんまにぺめふんを唱えて
また会場に戻る、を繰り返しました。

あるいは祭壇の壺を
リンポチェの前のテーブルに移動させたときもありました。
ひとこと「ブンパ」と言われるので、
乏しいチベット語の知識から
「ブンパは確か壷よね」ってゲッシングして、動きます。
間違うと、「それじゃなくてこっちの壺だ」って身振りをされます。

なんといいますか、もう、究極的に阿吽の呼吸ですね。。。
いや~修業になりました。


しかし在家で未熟なこんな私が
灌頂のお手伝いをさせていただくなんて、
ほんとによかったんでしょうか?

よかったんだとすれば、
これはなんという福縁でしょう!
過去生の善業の果を使いきってしまったんじゃないでしょうか~

そのときは夢中でただ動いていたのですが、
今になって、はい。
これは、本当に
ありがたい機会をいただいていたのだ、としみじみと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-03-30 16:42 | tibet | Comments(0)

吉祥の日々

ドルズィン・リンポチェは3月28日朝の飛行機で発たれ
シンガポールに無事お帰りになりました。
まずはこの2週間のもろもろの福縁に随喜したいと思います。

大きなJ先生にしても私にしても、このような法会を営むのは初めてで、
参加のみなさんにはたくさんのご迷惑をおかけしたことと思います。
にもかかわらず、みなさんに多大なご協力をいただきました。
それなしには、とてもとても無事に終えることはできなかったです。

毎日の会場設営と片付けは居合わせたみなさんが手際よく進めてくださいました。
ゴミは会場のホテルに泊まっているみなさんが、手分けしてお部屋に持って帰ってくださいました。
大きなお花や割れ物も、毎日誰かがお部屋で預かってくださいました。
さまざまな荷物は毎日、○さんが台車で運んでくださいました。

リンポチェとみなさんにお出しするお茶は、通訳のWさんが毎日作って持ってきてくださいました。
そのお茶を配ったり、お供えのお菓子や果物を分けたりなど、
水屋のお仕事はAちゃんとSちゃんが中心になってくださいました。
足りないものがあったら、気づいた方が隣のホームセンターまで買いに走ってくださいました。
お弁当がらの処理も、みなさんそれぞれが気を配ってくださいました。

とてもとても、とてもとても助かりました(T_T)
本当にありがとうございました。
次回の法会からはもっとスムーズにことを運べるよう、今回の反省点を生かしたいと思います。


私は、J先生とともに、毎日毎日をリンポチェと過ごしました。
3月14日に来日されて
15日・16日は午後からご法話。
17日から20日まで4日連続の前行講座。
1日オフ日をはさんで(お昼をご一緒)
22日午前はご法話の続き、午後は瞑想講座。
23・24日は観音菩薩の灌頂と成就法。
25・26日は白ターラー菩薩の灌頂と成就法。
そして27日はオフで(京都ツアー・J先生は本業のお仕事のため欠席)
28日に離日。

満月の日においでになり新月の日に帰られた
この吉祥なる日々。

リンポチェとご一緒でいることが
もう当たり前のようになってしまっていたので
いま、喪失感がハンパないです。

27日の晩、ホテルのレストランで夕食後に
リンポチェの後ろ姿に向かって、
Ah, Rinpoche, I will miss you.
と呟いたら振り向かれ、
歩きながら
You can call me. You can also send message to me.
You can ask questions about things I taught and we can discuss on them.
And maybe you will learn Tibetan and I will learn Japanese also....
と淡々と話されました。

なんてお優しいんでしょう(泣)

本来ならばご一緒に並んで歩くなんてできないような方なのに。


ほんとうにいろんなことが起こったので、
まだまとめることができないのですが
思いつくまま書き留めてみようと思います。
よろしければお付き合いくださいませ。
 
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# by prem_ayako | 2017-03-30 15:48 | tibet | Comments(0)

丹後の雪

1月後半から、毎週、
丹後に通ってパセージをやっています。

なんでこんな寒い時期に?と思わないでもなかったんですが
「冬がいいんです!冬は、みんなお勉強意欲が湧くんですぅ」
と、お世話役さんがアレンジしてくださいました。
たしかに気候のよい時は、お母さんも子どもたちも、
他のイベントがいろいろとありそうですものね。

おかげさまで、若いお母さんが10人も集まってくださって
とても楽しいパセージをさせていただいております。
子どもさんの最高年齢は、なんと6歳!
まだ小学校にも上がっていないんです。
事例がかわいくって、すっかりおばあちゃん目線でリーダーやってます(^o^)


それはそれとして、
京都から丹後の宮津まで、特急電車で2時間かかります。
私は窓からの景色を、毎週とっても楽しみにしているんです。

1月から3月。
季節はゆっくりと春に進みます。。。


京都駅を出た電車は、
大阪方面に向かういつもの進路をとらないで、
二条、太秦、嵐山へと北に向います。

嵐山の渓谷を抜け、トンネルをいくつか過ぎると
窓からの景色が一変します。
京都で青空が見えていたような日でも、亀岡に入ると
吹雪いていたり
冷たい霧が出ていたり
地面が凍っていたりで、
ああ~雪国に向かっているんだなぁと実感するのです。
(私、なんだか北へ向かう電車の景色が好きみたい・・・)

それから電車は、京都府北部の、園部、綾部、福知山へと走ります。
パセージ初日は、ここらあたりはず~っと雪景色でした。

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b0253075_20221971.jpg 福知山で、京丹後鉄道に乗り換えます。
 快速電車「あおまつ」という小さな列車で
 鬼退治で有名な大江山を越え
 天橋立の一つ手前の駅が、目的地の宮津です。

 京丹後鉄道はなかなかがんばっているようで
 私の乗る時間帯は、天橋立に向かう観光客でいつもいっぱいでした!
 1両の「あおまつ」も超かわいいけれど
 帰りに乗る「丹後の海」という2両編成の特急電車も
 内装が凝っていて、自由席にソファがあったりして、快適なのでした。


b0253075_2025968.jpg真冬に丹後に通うということで、
雪の影響だけを心配しておりました。
なにせ最終章の翌週からは
ドルズィン・リンポチェのリトリートが始まりますから、
もう何がなんでも予定どおりに開始して終了しなければなりませぬ。
大雪でも電車が動かなくても
ともかく延期はできないのです・・・

ところが、ほんとうにみなさまのおかげで
今のところ、毎週ずっとセーフでいけてます!

1月末の大雪も、やり過ごせましたが
すごかったのが先日の、何十年ぶりかの大雪。
第4章は案外あたたかい日で不思議に思っていたら、
翌日から、地元の方たちもびっくりするような大雪で警報発令。
数日間はどかどかと降り続いて、たいへんだったようなのです。

なんせ行く2日前になってもまだ、
「福知山から浜坂方面へのご旅行はお見合わせください」
なんて駅に出ていましたから・・・どうなることかと思いました。

でも第5章の日は、またもや晴天復活で
「あやこさん、晴れ女!」と称えていただきました(笑)
いえいえ、
メンバーみなさんの熱意のおかげです!


大雪の後、宮津の駅前には
巨大な雪のかたまりが積み上がっていましたし
雪を運ぶトラックを何台も見かけました。
あらゆるスペースに、雪かきした雪が積み上がっていました。
会場の駐車場も、なんとか雪を寄せて使えるようになっていたけれど
いつもの半分ほどの広さになっていました。

積もりたての雪はふかふかしていて軽いけれど
積み上げた雪が凍ってガチガチになってしまうと
すごく重たくて、とても雪かきなんてできない。
最終的にはつるはしじゃないと壊せないとか聞きました。

1日で2mも積もった雪が
これでも1/4ほどになったんですよ、という話。
溶けたんじゃなくて、水分が落ちて嵩が減ったというわけで、
そりゃあ固くて重たいです。

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たまに訪れるだけでは分からない毎日のたいへんさが
毎週通っているうちに、いろいろと見えてくるのでした。

たとえば雪の少ない土地からお嫁に来たお母さんたちは、
慣れない暮らしにどんなに心細く感じるだろうか、と思います。
だからこそ、この土地で
安心できるコミュニティを作っておられるお世話役さんの活動が
ほんとうに大切なんだなあと感じます。


5章の行き帰りは、そんな大雪の後の景色だったのですが
このあいだの6章のときは
畑がうっすら緑になっているのを見ました!

この前、あのガチガチにまっ白だった地面が
たった1週間で緑になっている!

なんだかめちゃくちゃ感動してしまいました。

福知山まではまったく雪がなかったのですが
大江まで来るとやっぱり雪が残っています。
でも、地面には小さな葉っぱが芽吹いてきているのです。

確実に、春は訪れるのですね~

雪国に住む方々の気持ちが少し分かる気がしました。


3月に入ったら、あと2章残すだけ。
もう大雪もないでしょう。
パセージのこの旅を、もう少し楽しみたいと思います♪

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# by prem_ayako | 2017-02-25 20:48 | travel | Comments(2)

天青色

b0253075_21545880.jpg先週、すばらしいものを見ました。

青磁の焼き物です。

大阪市立東洋陶磁美術館という素敵な施設が
北浜のクリニック近くにあり、
そこで今、「台北國立故宮博物院 北宋汝窯 青磁水仙盆」
という特別展が催されています。
青磁は好きなので、カウンセリングの合間に行ってみました。

前日にインターネットで調べたところ、
展示品数6・・・
ろ、ろく? それで入館料1200円?とビックリしたのです。

でも、行って良かったです!
水仙盆はたしかに6つだけでしたが、
他に「宋磁の美」特別展と
平常展「安宅コレクション中国陶磁・韓国陶磁」も同時開催だったので
しっかり見応えありました。

「人類史上最高のやきもの」という謳い文句の
「青磁無紋水仙盆」が、やっぱり凄かった!

雨上がりの空の色を「天青色(てんせいしょく)」というのだそうですが、
なんと表現すればいいのでしょう、この淡い色~
うす~い水色ですが、少し緑がかっているようにも見えます。
ふちの、釉薬のうすくなっているところは、かすかにピンク色です。
全体に透明な膜がかかっているような、宝石のような輝きです。

北宋の時代、この色あいの焼き物を作り出すために、
皇帝御用達の汝窯(じょよう)では釉薬に瑪瑙の粉末を入れていたそうです。
それでも、どれひとつとして同じ色は出ません。

天青色に焼き上がった器はとてもとても貴重で
なかでも「無紋」、
つまりほとんど貫入(細かい釉薬のひび割れ)の入らない器は
「神品」と呼ばれました。

b0253075_2157317.jpg今回出展された6つの水仙盆の中で無紋はひとつだけでしたが、
「人類史上最高のやきもの」とは、言いすぎではない!
と感じるぐらい、ほんとうに美しかったです。

水仙盆って何なんでしょうね?
実際に水仙を活けていたんだとか
犬のエサ入れだとか、
あるいはただ鑑賞するためのものだとか、諸説あるようです。

よく分からない形ですが、
後生大事にケースに陳列された水仙盆ばかり、
音声ガイドの蘊蓄を聞きながらじっくり眺めていると、
なんだかとてもバランスのとれた器に思えてくるから、不思議です(^_^;)


汝窯が天青色の青磁を生み出し頂点を極めた、その600年ほど後、
清の乾隆(けんりゅう)帝はこの無紋の器をこよなく愛し、
底部に自らの詩を彫り込ませ、
b0253075_2214822.jpg専用の台座を作り、中に自筆の書画を納めました。

この台座がまた凄いのです。
紫檀に細かく金で模様を描いているのですが、
あまりにも精緻で、木でできたものとは思えません。
ガラスケースがもどかしい・・・触ってみたかった。

乾隆帝の書画も、見る人が見れば凄いものなんでしょうが
無知なもんで良さがわかりませんでした(^^;)

さらに乾隆帝は、清の技術を結集させてレプリカまで作らせました。
このレプリカも出展されているので、じっくり見比べることができました。
同じ天青色、同じ形、
でも見比べると、無紋の宝石のような輝きはありません。
やはり神品というのは凄いものだと思いました。


水仙盆以外の展示品では、
金の釣窯の「澱青釉紫紅斑 杯」が素敵でした。
天青色に似たうすい水色の杯の内側に
釉の加減か、ピンクの羽のような色が何ヶ所か飛んでいるのです。

この器を見たとき、
・・・オタクな話ですが、
私の大好きな吉田健一の小説『金沢』にでてくる
ある印象的な器を連想しました。

吉田健一の書いたあの器は、きっとこんな器だわ!と。
文章の力によって私の頭の中に浮かんでいるその器は
家に帰って調べると、次のように描写されていました。


・・・「これは如何です、」と言った。それが宋の青磁であることは内山にも解った。そして青磁と言ってもその色がその名器毎に違っていると思った方がいいことも知っていたが、その湯呑みを少し大きくした位の形の器は淡水が深くなっている所の翡翠の色をしていて寧ろそういう水溜りがそこにある感じだった。それを手に取って見るとその底に紅が浮んでいた。そうとでも言う他なくて、それはその紅に水を染めるものが底に沈んでいるのでもよかったが何かがそこにあってその辺が黒に近い緑色でなくて紫に類する紅になっていることは確かだった。どうしてそのように黒ずんだ色調のものが合さってそれ程に明るいものに見えるのか。内山は自分が手に持っているのが青磁の碗とは思えなかった。併し重みがあるから土を焼いた碗であってその形式と約束でそこに別天地があった。


どうやら私が見た器よりも少し色が濃いようですけれど、
「紫に類する紅」が青磁に飛んでいる湯呑みという点は同じ。
吉田健一は「澱青釉紫紅斑 杯」をどこかで見て、
上のような宋の紫紅斑杯を創作したのかもしれないなぁ~
と、うれしくなったのでした。


さて台湾台北の故宮博物院というと、
私は2度も訪れ見学しているのですが、
水仙盆の記憶がありません。

それでも「台北の國立故宮博物院が誇る神品至宝」と謳っているのですから
見たのだろうなあ。

これも帰宅してから、故宮博物院のミュージアムショップで買った
「天工寶物」という本(日本語版)を探してみました。
残念ながら、水仙盆の写真はありませんでしたが、
汝窯については、詳しい記載がありました。


北宋の王朝はかつて「汝州に青磁の焼成を命ずる」、「不合格品のみ民間での使用を許可する」とされ、汝窯は御用窯としての性質を帯びていたため、今に伝わる作品は多くありません。釉色は晴れ渡った晴天の如く澄み切っており、青色を基調とした青磁の伝統を切り開きました。外観は優雅で洗練されており、落ち着いた静寂さが漂い、宋代の人々の風流な趣を具体的に表現したものと言えるでしょう。

汝窯の器は、きっと見ているのでしょうが
あまりにもいろいろ派手な宝物があったので、忘れちゃったのでしょうね。

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しかし宋の青磁、いいなあ~
(目だけは肥えていく・・・)


 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-01-21 21:50 | others | Comments(0)

今年の雪

年があらたまってまだ半月ちょっとなのに
なんだか数ヶ月経ったような気がしています。
いろ~んなことがあったような気が。。。なんでやろ?

元旦は朝早くに起きてポワをしました。
私は私で自室でポワ、
大きなJ先生は先生で、別のお部屋で観音成就法。
わが家はあちこちからアヤシい修業の声が聞こえます(^^;)


2日は神戸の父の施設を訪ねました。
母と息子夫婦、娘一家、総勢10人!が大集合して、
父に息子の結婚式の写真など見せて楽しく過ごしました。

父ももう92歳ですから・・・
滋賀や鳥取やあちこちから、みんなが集まるのです。
あと何回? こんなふうに一緒にお正月を迎えられるんでしょうね。

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4日は野田家の新年会で、天王寺に中華料理を食べに行きました。
アドラー心理学やチベット仏教に興味をもって
協力を申し出てくださる方もおられて、とてもありがたいです。


7日から9日までは花巻へ、メルヘン・セラピーに行きました。
がんがん暖房を使わせていただきましたが、やっぱり冷えましたね。
雪は3日目の朝、
私にしたら「わ~積もってる~♪」ってテンション上がったのですが
地元の方にしたら「う~っすらね~」ってな感じだったみたいです。
・・・これが今年の雪の始まりでした。


今週からの大寒波で、
北海道も東北も甲信越も北陸も山陰も
えらい大雪でたいへんだと聞きます。

それに比べたら、ほんの「小雪」と言われそうですが
大津の雪もかなりのものでした!

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一昨年の11月に引っ越して以来、雪が積もったのは去年一度きり。
それも、朝は吹雪いてたけど、1日で溶けました。


今年の雪はねえ

まるでほんとの雪国でした。

朝8時前に家を出て京都に向かったのですけど、
当然、JRは遅れています。

さらさらのパウダースノーが強風にあおられて、
駅舎の屋根から煙のように落ちるのを見ました。
遅れて入ってくる快速電車も雪を巻き上げて
ちょうどそこに斜めに日が射しこんできて、
まるで映画の1シーンのようでした。
写真に撮りたかったけど、手袋を脱いでスマホを取り出す余裕がない
・・・ぐらい、寒かったデス。

b0253075_2143406.jpg京都もすごい雪でした。

だいたい神戸人や大阪人の常識では、
雪って積もっても昼には溶けるものなんですよ。
でもこの日の雪は、夕方になっても溶けませんでした!
むしろ、帰りもまた吹雪いて


翌16日も降ったり止んだりの雪で、
もはやパウダーでなくなった雪を踏んで駅に出て、
電車に乗って大阪に行ったら

青空が出ている~!
地面が乾いてる~!!

どうも境目は、山﨑の盆地を越えて高槻に入るあたりみたいです。
ここから大阪・神戸方面は、瀬戸内式気候。
ここから京都・滋賀・奈良にいくと、内陸性気候。
なんだろうな~
とぼんやり小学校で習ったことを思い出したのでした(^^)

で、大阪でふつうにお仕事して帰りの電車に乗り込んだら、
今度は、京都を越したら、急に自動ドアから入ってくる風が冷たくなって
大津でついに雪になりました Orz

はい。自宅近くは相変わらず雪もようでした。
2日も3日も雪が降るなんて、阪神間に住んでいた頃には考えられない事態です。
やっぱあっちは温暖だったんだなぁ~


b0253075_2211494.jpgこんなにきびしい(?)地域で暮らすようになってしまった(泣)
私の足を守ってくれるのは、
年末に買った The North Face のショートブーツです。
一目惚れして衝動買いしたら、
お正月に会った息子のお嫁さんも色違いを履いてました(笑)
撥水加工してあるウールで、中綿入りでめちゃくちゃ暖かいのです。
履くときにちょっと苦労するのですけどね・・・

それから、去年の夏に
家中の窓を二重サッシにしてもらったありがたさも
冬になってようやくわかりました!
暖房効率が全然ちがいます。
外気温がマイナスでも、結露しません。
降り積む雪や寒そうなカモさんたちの姿を、
ぬくぬくのお家の中から眺めることができるのは幸せデス。


ところで
明後日から、雪国、丹後でのパセージが始まります。
今のところ20cmほどの積雪だとか。
今年の冬は雪とご縁があるようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-01-17 22:02 | others | Comments(0)

赤い龍の谷

 ジクメは、父と2人で黒い湖のそばに住んでいた。母はジクメを生むとすぐに亡くなったので、父はこの湖の岸でヤクの乳を飲ませてジクメを育てた。ときおり夏に遊牧民がくる以外、野生の鹿や鳥、そして飼っている羊やヤクのほかに住むものはいない。

 ある春の夜、家の外で父を呼ぶ大きな声がした。聞き覚えのある声の男が表に来ていて、何か差し迫った話があるらしかった。「お願いだ・・・」「・・・だがあの子はまだ・・・」「でも娘が・・・」しばらくくぐもった話し声が続いて、最後に父が「わかった」と言うと、男の去って行く足音がした。

 家に戻った父はしばらく火を見つめていた。その間、ジクメは毛布の下で息をひそめて待っていた。おそろしいことが起こる予感がして、押さえようとしても身体が震えた。「ジクメ」とうとう父が言った。「起きているんだろう。こっちへおいで。」ジクメは毛布から這いだして、父の前に立った。「ジクメ」ジクメの両肩に手を置いて、父はもう一度名を呼んだ。「お前の名はジクメ。『恐れを知らぬ者』だ。この名をもつ者は、同じ年まわりの者が助けを求めたら、命を賭しても助けに行かねばならない。それは知っているな?」
 ジクメは口がカラカラに渇いて返事ができなかった。
「さっき来たのは牛飼いのノマだ。娘のデキが赤い龍にさらわれたという。デキはお前と同じ戌年の生まれだそうだ。わかるね?
「お前はまだ11歳だ。父さんはつらい。だが断ったら、お前は一生意気地なしと呼ばれる。それもつらかろう」
 ジクメはかろうじてうなずいた。
「では明日、夜明け前に発つんだ。赤い龍からデキを取り返してこい」

 夜明け、ジクメは言われたとおり身支度をして戸口にいた。父はノマから預かったデキの守り紐をジクメの腰にくくりつけた。「これがお前を導いてくれるはずだ。」かみしめ続けたジクメの唇はついに切れて、血の味がした。

 ジクメの家は黒い湖の西の山すそにあった。湖は四方を山に囲まれており、なだらかな斜面には牧草が豊かに育ち、さらに一帯をセンゲ川が潤している。南の聖なる山々は険しくて、岩肌に残る雪は、そのときどきでさまざまな動物に形を変えた。対岸の東の山の向こうには都があり、さらに向こうには父と母の故郷があると聞いていた。
 夜明けの湖は不気味な黒い鏡のようだった。昼間は透明に澄んでいる水も、今はとろりとぬめって、重たくまとわりつくように見えた。たくさんの水鳥が、まだまるくなって眠っていた。岸のジクメの足跡は、砂とともにさらさら崩れてゆく。風がジクメの背中を押したが、ジクメの足はのろかった。
 前に見える北の山は、ねじくれた灌木におおわれた低い山で、今はとげを生やした巨大な動物がうずくまっているように見えた。赤い龍は、あの山の向こうの谷に住むと言われている。だが、龍の実際の姿を見た者はいないし、一匹だけなのかたくさんいるのかもわからなかった。

 センゲ川を越えると湖から離れ、北の山が近づいてきた。と、ふもとの灌木の中で人影が動いた。「誰?」腰の短剣に手をやりジクメは叫んだ。振り向いて顔を出したのは見たことのない少年だった。長くのばした髪を頭の上で無造作に束ねている。木の実を摘んでいたのか、編んだかごを腰に結わえている。
「お前こそ何だ? そうカリカリするなよ。俺はドゥワン。ぼっとしてないでこの実を植えるのを手伝ってくれ」
「ドゥワン・・・。僕はジクメ。何を植えてるの?」
「天人の成る木さ」
「て、天人の成る木?」
「そうさ。この山の木はみんなそうだよ。みんなねじくれて背が低いだろ? 育った天人が上でらっぱを吹くからどうしてもこうなるんだよ」
「・・・」
「でも天人のためには、こういう山もいくつかは必要だよね。あれ? 知らなかったの? ずいぶん世間知らずだなあ」
「父さんは教えてくれなかったもの」ジクメは若者のかごをのぞいてみた。少し大きめのドングリに似た実がたくさん入っていた。
「あまり深く植えないでね。天人の翼が開きにくくなっちゃうから」
ドゥワンの指示に従って、ジクメは午後おそくまで実を植えるのを手伝った。

「ありがとう。ところでジクメはどこへ行くの?」
「僕は・・・この山の向こう」
「向こう?」
「赤い龍にとらわれたデキという女の子を助け出さなくちゃならないんだ」
「おや。そんな仕事があるんだ。ご苦労さま」
「仕事じゃないよ。ただ、しなきゃならないんだよ」
「だから仕事なんじゃないか」
「・・・そうなのかな」
「そうさ。じゃ足を止めて悪かったね」
「いいよ・・・どうせあんまりしたくない仕事だもの」
 ドゥワンは薄い色の目でジクメを見て言った。「でもしなきゃいけないんだろ? その子のために」
「・・・そうさ。だけど僕はその子の顔も知らないし、うまくいくかどうかも分からない」
 ドゥワンは急に目をきらきらさせて言った。「いい仕事だなあ! よし、手伝ってもらったお礼に、いっしょに行ってやるよ」
「え、ほんとに?」
「ああ! どうせ山のこっち側は植えつくしちまった。俺も新しい土地を開拓しないとな。行こうぜ!」

 2人は灌木の斜面を難なく登っていった。尾根まで上ると、ジクメが見たことのない景色が広がった。背後には、ジクメの見慣れた黒い湖とまわりの山々。目の前にあるのは、いくつもの谷と、重なりあったなだらかな山々で、その中にひとつ、とても奇妙な谷間があった。もう暮れかかっているのに、その一角だけは明るく輝いて眩しいばかりだった。たくさんの星をその谷間に集めて投げ捨てたようにも見えた。
「あれ何?」
「分からない・・・前にはなかったと思うんだけど、おかしいなあ」
 その一角は何かが絶えず蠢いているように見え、それは巨大なひとつの生き物が息づいていのか、あるいは小さな生き物が大勢で這い回っているのか、ここからでは分からなかった。
「あれ・・・ひょっとして赤い龍?」
「うーん、そうかも。そうでないかも。分からないなあ。ともかく朝になるまで待ってでかけようぜ」

 その晩はねじ曲がった天人の木の下で野宿した。朝は天人のらっぱの音に起こされたと何度もドゥワンは主張したが、残念ながらジクメには聞こえなかった。

 斜面の反対側を下り、昨夜見た奇妙な谷間に向かって歩いていくと、ひとつ小さな建物が見えてきた。それはヤクの糞を固めて作ったジクメの家とも、遊牧民のテントとも全く違った、灰色の四角い小屋のようだった。その小屋の壁の真っ黒の穴のような戸口から、カーキ色の服を着た人間が出てくるのが見えた。服の襟には赤い星の飾りがついていた。その男は口元に笑みを浮かべながら、ゆっくりと2人に向かって歩いてきて、近づくとジクメの知らない言葉で何か言った。「なんだって?」ジクメはドゥワンに尋ねた。ドゥワンは黙って男を見ている。男はまだ笑いながら、もう一度何か言った。「何?」ジクメが叫ぶと男はそのままの表情で腰のホルダーに右手をのばした。よく見ると左手にずっと握っているのは太い棍棒だった。

 轟音が響いた。足下の砂がえぐれた。

「逃げろ!」ジクメとドゥワンはやみくもに走った。走って走って息がきれてもまだ走って、もう大丈夫というところまで走って、疲れ切って止まった。すでに湖は見えず、天人の林も見えない。ふたりはどこかの山に迷い込んでしまったのだ。「だからこんな仕事したくなかったんだ!」ジクメはドゥワンの胸をつかんで泣いた。

 ドゥワンは呆けたようにジクメをかかえていたが、やがて身を離して聞いた。「怖いのかい?」
「そりゃそうさ!君は怖くないのか?」
「怖かったさ。というか、びっくりした。怖くなったのは、その後だ。でももう終わった」
「終わってない。もう二度と、あんな目にあいたくない!」
「でもさっきのは終わった」
 ジクメは少し考えてみた。「そうかもしれない。どっちみち、今ここにあいつはいない。・・・これからどうしよう」
「どうするかはもう決まってる。その子を助けに行くんだろ」
「でも」
「その仕事は、あいつがいてもいなくてもできるところまでやんなきゃなんないんだろ」
「・・・そうだ。でもどうやって」
「考えるさ。大事なのは、じっとしてても何も起こらないってことだ」
 ドゥワンは立ち上がって歩き出した。
「どっちへ行けばいいかわかるの?」ジクメが聞くと、「上だ。山の上に出たらまわりが見える」

 小高い頂に上ると、たしかにまわりの様子が分かった。2人はあの奇妙な谷間を見下ろすいちばん近い山に、裏側から上ってきたらしかった。急斜面の岩肌にはいくつも穴があいていたので、2人は手近な洞穴に入りこんで谷のようすを観察した。近くで見ると龍は、あの灰色の小屋の大きいのや小さいのが無限に連なっているようだった。小屋の間をカーキ色の服を着た人間が蠢いている。それがみな襟に星をつけ、口元に笑みをうかべて、棍棒を手に歩いているのだった。ジクメはぐったりと洞穴の壁にもたれかかって呟いた。「だめだ。あいつがいっぱいいる」

「そうでもないかもよ」
 誰もいないと思っていた暗い奥からいきなり声がしたので、2人は飛び上がった。
「あら、驚かせたかしら。でも実はあんたたちの方が私の家に侵入してるのよ」
 幾才ぐらいか、ぴったりとした派手なピンク色のワンピースを着た大柄な女が立っていた。ジクメはあわてて立ち上がった。「ごめんなさい!ここは・・・?」
 女は愛想良く答えた。「あんたのもたれてた壁ね、そこは私の大切な香水置き場。だいぶコレクションを倒してくれたようね」
 気がつくと、ジクメの父が作ってくれた皮の上着に、なんともいえない濃く甘いにおいがしみついていた。「くさっ」ドゥワンが鼻をおさえて叫んだ。
「失礼ね。ミツコって高いのよ。まあいいわ。さっきから聞いてたんだけど、あんたたち、あそこへ行きたいの?」
 2人は同時に答えた。「はいっ!」
「調子いいわね。そうね、あんたたちかわいいから、いいこと教えてあげる。あの町に入るにはちょっとしたコツがいるのよ。あんたたち、何を持ってる?」
「?」
「あの町に行かなくちゃいけないことを示す大切な何かよ」女はいらいらしたふうに繰り返した。
「町・・・って言うんですか、あれ」
「そうよ。なんだ何も持ってないの?」
「あの、こういうものだったら・・・」ジクメは腰からデキの守り紐を解いて女に見せた。
「あ、これでいいわ。ありがと。じゃぁ、よく聞いてね。町へ入るのは簡単なの。自分で考えなさい」
「えーっ!そんなのありですか!」2人は同時に叫んだ。「その紐とっといてその答えはないでしょう!」
「うるさいわね。じゃ、その棚にある瓶、どれでもひとつ持ってっていいわ」
 2人は顔を見合わせた。「おい、どうする」「いらねえよ、こんなくせえもの」「だけどいらないなんて言ったら、あのおばさん怒るよ」「今だってじゅうぶん怖いぜ」
「ちょっとあんたたち何ぶつぶつ言ってんの。早く1本もって出てってちょうだい!」
 ほら怒らせた・・・と、ジクメは手元にあったガラス瓶を1本ふところに突っ込んで、あわてて外に出た。

「あっ!」足を踏み出したところに地面はなくて、体が宙に浮いた。「ジクメ!」後ろでドゥワンの叫ぶのが聞こえた。ああ、終わりだ。あの龍の町の真ん中へ、たったひとりで落ちていく・・・。
「大丈夫」耳元で声がした。「私たちが支えててあげるわ。」薄い衣をまとった小さな手がいくつも、ジクメの体を下から支えている気がした。それとも耳元を切る風の音だったのか。いや、竜だ。故郷の南の山の残雪の、白い竜がジクメを乗せて、真っ青な空をどこまでも飛んでいくようだった。

 気がつくと、ジクメはさっきの山の斜面に横たわっていた。そばにドゥワンが座ってジクメを見守っていた。「けがはないね。ものすごく強い風にあおられて、この木の上にそろりと落ちたんだ。びっくりしたよ。ジクメは運がいいな」
「いや、そうじゃない」ジクメは首を振って起きあがった。「天人が助けてくれたんだ」
「あいつら、いい仕事するなぁ」ドゥワンは心からうれしそうに言った。「・・・でもお前まだくさいぜ」

 2人は下の町に入る作戦を練った。洞窟の女は入るのは簡単だと言ったが、カーキ色の人間が何を言っているのか、ジクメたちには分からない。
「適当に答えとこうぜ」
「分からないのに?」
「ああ。気にするから気になるんだよ」
「なるほどな・・・。あそこの門が入り口だな。人が出入りしてる」
「よし、あそこから堂々と入ろう。入ったらデキを探すんだ」

 2人は斜面を下り、服の埃をはらって町の門に向かった。入り口には、カーキ色の服を着た門番が2人立っていた。ジクメの胃はきゅっと縮まったけれど、ドゥワンの方は平気で歩いていく。右の門番が何か言ってきたが、ドゥワンはただ「ああ、いい天気だ」と答えて過ぎた。次はジクメだ。左の門番が声をかけてきたので、思い切って「そうさ!もちろん!」と答えてやった。何も起こらなかった。本当に難なく、2人は町に入ることができた。

 町の中央にひときわ大きな灰色の建物がある。デキがとらわれているとしたらそのあたりだろうと2人は見当をつけた。建物は4棟あって、殺風景な広場を囲んでおり、その広場の真ん中のベンチに、黒い髪をふたつのお下げにした女の子が座っていた。カーキ色の服の町の人の中で、チベット服の少女はとても目を引いた。「デキ?」
「そうよ。誰? 私に用?」
「君の父さんに言われて君を助けにきたのさ」
「私を? どうして? 私、そんなに困ってるのかしら」
「だって、君の父さんは君が赤い龍にさらわれたって言ったぜ」
「赤い龍? ああ、この町のことね。私、お乳をしぼって牛を追うだけの毎日が嫌になってここへ来たの」
「なんだって。君が自分でここへ来たってこと?」
「そうよ、退屈だったんだもの。ここはほら、きらきらしていて、私、山から眺めてあこがれていたの」
 ジクメとドゥワンは顔を見合わせた。「なんてこった」「デキ、ここはそんなにいいところかい?」
「・・・そうでもなかったわ。家はみんな同じつくりだし、道もみんな同じふう。どこがどこだかさっぱり分からないから、私、ずっとここに座っているしかないの。だって迷っちゃうんですもの。それにここにいる人たちも、みんな同じ服を着て同じ顔つきだから、区別がつかないの。牛の方がまだ分かるわ」
「デキ、センゲ川の谷に帰らない?」
「だって、帰ったらまた前と同じ暮らしでしょ。毎日お乳をしぼって牛を追うのよ。つまらないわ・・・」
「じゃあここにずっといるの? ここに座って?」
「そのうちに慣れるんじゃないかしら。そのうちに、私もここの人の言葉が分かるようになって、少しはましになるかもしれないわ。だってここは埃っぽくないし、獣の匂いはしないし・・・あら、でもあなたは山の人なのにいい匂いがするわね」とジクメの方を見た。
「ぼ、僕? そう?」横のドゥワンが必死で笑いをこらえている。
「ええ。甘くてとってもいい匂いよ」
「デキ、僕らといっしょに帰ろう」
「父さんは怒らないかしら?」
「僕から言ってあげるよ。君が困っていたんだって。君は新しいものに惹かれて古い生活を捨てた。でもそれはきらきらしているけど、ほんものじゃないってことに気がついた。それでいいんじゃないかい?」
 デキはジクメをまっすぐに見て言った。「あんたってやさしいのね」
「いい匂いだしね」ドゥワンが言ってこらえきれず吹き出した。

 3人は笑いながら手をつなぎ、灰色の広場を抜け、灰色の建物を出た。町の灰色の門が見えてきた。ところが、そこにはたったいま着いたばかりの灰色の馬と、カーキ色の服の男がいて、門番に何かを伝えているようだった。その男は振り向いてジクメとドゥワンを見つけ、指さして何か大声で叫んだ。男の右手がまた腰にのびた。ジクメの心は縮み上がった。「逃げろ!」

 3人は離ればなれにならないように固まって、灰色の道をどこまでも走った。すれ違う人間はみな3人を見ると声をあげ、棍棒を振り上げ追いかけてきた。追っ手の数はみるみるふくれ上がり、ついには道幅いっぱいに両側から迫ってきた。「さっきの庭へ!」ドゥワンが叫び、3人は見覚えのある横道から灰色の広場へ転がり込んだ。すぐに四方からカーキ色の人間が押し寄せ、3人はみる間に真ん中のベンチに追いつめられた。「もうだめだ」「あきらめるな」「怖い、助けてジクメ!」

 僕の名はジクメ。助けを求められたら、命を賭けても守る。「それが僕の仕事。」

 そのとき、ふところの冷たいガラス瓶が肌に当たった。洞窟で手に入れた瓶だ。とっさにジクメはベンチに上り、頭上高くにガラス瓶を掲げて叫んだ。「おおい! これが欲しいか!」カットガラスの瓶は夕日を反射してきらきら輝き、五色の光を十方にまき散らした。カーキ色の群れは歓声をあげ、手を伸ばしてこの美しい瓶をほしがった。「ほら、欲しいか!」ジクメが瓶を振ると、それに合わせて群れも揺れてうねった。その混乱に押されて瓶はジクメの手からすべり落ち、地に落ちて一瞬にして砕け散った。そのとたん、割れた瓶から霧のようなものが立ちのぼり、霧は光を受けて虹のように輝いた。あっけにとられた大勢の人間の目の前で、霧はゆっくりと広場をおおった。

  耳にて死を聞き 目にて死を見たる
  世間の人は あまさず死にいたる
  尊きチェンレシ 彼らを導きて
  極楽浄土に往生させたまえ

「ドゥワン!」澄んだ声で歌っているのはドゥワンだった。光の粒でできたような霧に目をふさがれ、ドゥワンの歌声に耳をふさがれ、カーキ色の群衆は動かなくなった。

  地獄と 餓鬼と 畜生 阿修羅たち
  天人 人間 三界有情たち
  尊きチェンレシ 彼らを導きて
  極楽浄土に往生させたまえ

 そのまま3人は歌いながら灰色の広場を出た。灰色の門を出て、谷を抜け、山を越え、黒い湖の見える北の山に帰ってきた。
「ここでお別れだ」ドゥワンは天人の木の林の中に消えていった。

 ジクメとデキは夕暮れの最後の光の中、ジクメの家のある西の山のふもとに向かった。
「ねえジクメ、私、ずっと不思議だったんだけど、どうしてあんな灰色の町のことをみんな赤い龍なんて呼ぶのかしら」
「うん・・・住んでると、だんだん灰色だってことが分からなくなるんじゃないかな。いくら表面をきらきらさせたって、ほんとうは灰色なのにね」
「怖いわね」
「ほんとうに怖いのは忘れちゃうことかもしれないな。あいつらも、きっと最初はわかってたんだよ。でもいつのまにか全部忘れちゃったんだ。僕も大事なことを忘れるところだった。君だってもう少しあそこにいたら、僕らの言葉を忘れてたかもしれないよ」
「あら、見て!」デキの指さす方を見ると、7つの峰に抱かれた黒いマンダラ湖に円い月が映っていた。

「ただいま。デキを連れてきたよ」ジクメは父に向かって言った。


2017年1月10日 脱稿

 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2017-01-10 17:16 | merchen | Comments(0)

2016年ふりかえり

あっという間にもう明日は大晦日です。
今年は年末の瞑想系ワークがなかったぶん、ゆっくりできるかと思いきや
娘一家が押し寄せてきたので全然ゆっくりできませんでした・・・
まぁよろしい。楽しかったし(^o^)

で、昨日の午後は、掃除機のあと床を雑巾がけして
(幼児がいるとなんでこんなにベタベタになるんだろう?)
大量のバスタオルを洗濯して

今日はお布団を片づけて
黒豆を炊いて
ごまめ(田作り)をつくって
きんとんも仕上げました。

明日はお煮染めとお魚を
ちまちまと出来る範囲でやっつけようと思います。

さてさて、今年もいろいろありました。

FAMILY

b0253075_11561771.jpgじゃじゃ~ん♪
息子が6月に結婚しました!

お嫁さんは息子と同い年で、ものすごぉ~い美人さんです。
いやホント!
しかも、とってもいい子で
しっかりしているし、やさしいし
お料理も上手と聞いています。
つくづく息子は果報者。

娘も息子も、
それぞれに最良のパートナーを見つけて
佳き家庭を築いています。
親として、これにまさる幸せはありません(T_T)

親の離婚という失敗を見て学んだのかもしれませんがね・・・(^^;)

娘の方の孫っちくんたちも大きくなって
こうすけはもう来年、小学生。
今年の夏はふたりで旅行もしたし
先日はふたりで鉄道博物館へお出かけしたし

こうやって仲良しでおれたら、
もう数年もしたら、ひとりで特急電車でやってきて
夏休みをうちで過ごしたりするかもしれません。
そいでもって大学は京都あたりに進学して、
この近所に下宿して、たまに夕ご飯を食べにきて・・・
とか、夢はふくらみます(笑)

アドラー心理学のおかげで
子どもや孫の世代と、いい関係をつくることができています。

PUBLIC TASKS

なんだか年々忙しくなる気がします。
おかしいなぁ。。。

ご存知のように
私は数年前から「有限会社アドラーギルド」の社員で
社長付秘書なんですけど

今年の10月から、「日本アドラー心理学会」事務局編集部の
編集長になりました。

かっこよく聞こえるかもしれませんけど、
「アドラーギルド」社はひとり社員、
「日本アドラー心理学会」事務局編集部も、ひとり部員です(笑)

しかもですよ。
「日本ガルチェン協会」という任意団体まで動きだしまして、
ここも会長以下、ひとり会員なので
ここの事務仕事もやるようになりました(爆)

つまり私のメールボックスには
「アドラーギルド」と「学会編集部」と「ガルチェン協会」と、
もとから持っている私個人のメルアドと、
4つのアカウントが並んでおりまして、
この4つに毎日けっこうな量のメールがくるのです。

なんでこんなことになってしまったんだろうなあ・・・(遠い目)
まあ、必要とされている間は働かせていただきます。
ありがたいことですわ。

さらに
長いこと「APEの会(アドラー心理学を英語で学ぶ会)」でこつこつ進めてきた
フランク・ウォルトン先生のご本の翻訳が
来年ようやく、日の目を見ることになりそうです。
今、最後の仕上げをしていますので、春頃かな?
学会から出版していただく予定です。
楽しみにしていてくださいね。

ウォルトン先生は「アドラーギルド」の招聘で、
来年10月の総会に来日されますし、

3月には「ガルチェン協会」の招聘で
ドルズィン・リンポチェが来日されます!

どちらも、要するに、私が受け入れ側です(汗)

てんてこまいでございますが
まーひとつひとつこなしていけば、なんとかなるでしょう。
今までもそうでしたから、これからもそうでしょう。
お節料理といっしょですね(^_-)

PRIVATE TASKS

今年は、8年ぶりぐらいで、
『パセージ』を初夏の金沢でさせていただきました。
『パセージ・プラス』も、11月から12月にかけて
三重県桑名市でさせていただきました。
また7月にはご縁をいただいて、
丹後で合宿ワークをやらせていただきました。

どれも、とっても楽しかったです!

来年は既にいくつかお話をいただいていますので
『パセージ』の年になるかもしれません。
(ドキドキ・・・いまだに『パセージ』はちょっと苦手。
 『パセージ・プラス』の方がずっと気楽な私です。。。)

もともとは、個人でひっそりカウンセリングをするのが好きなんですよね。
でも、マニュアルがあるにせよないにせよ、
グループを動かすお仕事は、またそれなりの醍醐味があることが分かりました。
これも少しずつ、修業させていただけるといいなと思います。


毎週1回の、クリニックでの心理療法も続けています。
こちらはもう、ほんとにひっそりとやっています。
だんだん難易度の高い患者さんを紹介していただくようになったので
悩むことも多いのですが、うまくいったときの手応えも大きいです。

またアドラーをよく学んでいるお友だちの
ライフスタイル分析をさせていただく機会もありました。
総会では、クライエントであるお友だちとセラピストである私とがいっしょに壇上に上がって
体験を総括することができました。

こうして振り返ってみると、ひっそりやったりグループを扱ったり
けっこうバランスのとれた、充実した1年だったなと思います。
ご縁をいただいたみなさまに感謝いたします!


ところで昨年までは、1年の振り返りというと
「家族」「アドラー」「チベット仏教」と
きれいに3つに分けることができたんですけど、
なんとまあ、今年は
「アドラー」も「チベット仏教」も、ひとつの括りに入ってしまいました。

アドラー心理学の勉強も
チベット仏教の勉強も
もともとは個人的な趣味でやっていたものなのに、
いつのまにか、責任をもって人々に伝えていくべきもの、
私のするべきお仕事になったみたいです。

縁とは不思議なものです。
そして、
つくづく私は果報者だと思います。


今年も私の気まぐれなブログに
お付き合い下さりありがとうございました。
来年も、こんな調子で続けていくつもりですので、
よろしければ、またどうぞご訪問くださいね。

2017年がみなさまにとって佳き一年となりますように。

Sarva Mangalam
 
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# by prem_ayako | 2016-12-30 22:47 | others | Comments(0)

Phowa 2

東京から帰って2週間、
毎朝ポワを行じました。
しかも言われたとおり夜明けに・・・
熱があっても
声が嗄れていても。
・・・ようやるわ。

このおさぼりの私が
なんでこんなに真面目にやったのか?
まるで何かに憑かれていたようです。

夜、寝ていてもずっと、リンポチェの読経のメロディが聞こえていて
朝、目覚めると同時に、お経のリフレインがそらで出てきます。
ある意味おそろしいですねぇ。。。


アヤン・リンポチェに言われたのは、
「このコースに出て
 未だポワのサインの出ていない者は、
 あと2週間、修行を続けなさい。
 できれば夜明けにするのがよい。

 2週間しても未だポワのサインが出ない者は
 さらに2週間続けなさい。

 ポワのサインが出たら、
 そのあとは月に2回、続けて修行するのじゃよ。」

ポワのサインっていうのはですね、
よーするに、ほら、あれですよ。。。

チベットのフィルムなどで、
頭に草の茎をつっ立ててる
完全に目のいっちゃった行者さんたちの映像を
見たことありません?

頭頂にね、第10の門が開くんです。
意識を阿弥陀浄土へ飛ばすことのできる門がね。。。
それははっきりとした穴で、草を刺すことができるほどなのだそうです。

これを clear phowa sign といいます。

そんなバカな!
瞑想で変えれるのは、せいぜい意識の状態でしょう?
physical sign なんて、出っこない
・・・と思っておりました。

実際、私の参加した東京のポワ・コースでは
コース中に明らかなポワ・サインの出た方は、いなかったように思います。
確かなことは分かりませんが。


まあ、私はどうせ前行50万回というのが控えておりますから(^^;)
今年いっぱい、つまり4週間はとりあえず朝ポワをして、
来年になったら本格的に前行をしようかな、
と考えておりました。

ポワは・・・そんな私の思い込みの斜め上をいく
ものすごく力のある修行なのでした。


2週間、毎朝行じ続けていると
さすがにいろいろなことが起こります。

最初はお唱えの文句をたどるのに必死で
次は、観想することに必死でしたが

そのうちだいたいのやり方が分かってくると、
もうリンポチェのお声の録音を聞かないで、
自分のペースで進める方が、観想がくっきりするようになりました。

むしろ録音を聞かないでいる方が
リンポチェのお声が、どこからか聞こえてくるような気がします。
そのときに必要な説明が聞こえて・・・
あぁそうだ、これはこういうことだったんだ
って気がついていきます。


なぜ頭頂の門から阿弥陀さまのところへ意識を飛ばすのか?
自分が死ぬときに極楽浄土へ生まれ変わるためでしょうか?
それもあります。
でも、ポワをしっかり修行していたら、
大切な人の死の際に
その人が極楽浄土へ生まれ変わるのを手伝うことができるのです。


リンポチェに教えていただいたポワの歴史によると、
そもそもディクンのポワは、
8世紀後半に、火事で多くの人や生き物を失ってしまったある大臣のために
グル・リンポチェが秘密で授けた修行なのだそうです。

その300年ほど後、この大臣の生まれ変わりの遊牧民の少年が
家畜が死ぬたびに嘆き悲しむのをご覧になって、
かわいそうに思った阿弥陀さまが現れて
同じ教えを直接お授けになりました。

その後その少年は、グル・リンポチェが埋めて隠した
行法を書いた教典(テルマ)を掘り出して、
それ以降、多くの人にポワの教えが広まるようになったということです。

だから、もともとポワは
自分が極楽へ行くための修業ではなくて、
他者を極楽へ行かせるための修業だったのです。


私もちゃんとポワを行じられるようになれば
これまでに亡くなった人、これから亡くなるであろう人、
すべての人が幸せな転生を得られるように
私の力を使うことができるのです。

そのことを信じられたときに、
この上ない喜びが湧きました。
だからどうか今、私がこの行を完成させるために力をお貸しください。

と祈れば、
これはそのまま、帰依と菩提心なのでした。

リンポチェのお声が聞こえます。
「阿弥陀仏と系譜のラマたちへの揺るぎない信心、
 この世のすべての衆生に対する思いやりの心。
 それが、修行でもっとも大切なことなのじゃ。」


心からそのように思い行じれば
ほんとうに我が意識は虚空へと飛んでゆき
阿弥陀さまかお釈迦さまかガルチェン・リンポチェか
どなたか大きな存在に
まみえたような気もします。

そんなことを何度か繰り返すうちに
Physical sign についても、いつしかなにがしか現れました。

頭に穴があくとか血がでるとかいうような
美容院でびっくりされちゃうほど clear なサインではありませんがね・・・ご心配なく!(笑)

それでも驚くべきことです。
意識のあり方ひとつで、
現実に身体の一部が変化するなんて。
それが自分に起こるなんて。


風邪はずっとしつこく続いてたんですが

明日で2週間目という日の前日の土曜は、まだ
お出かけにもティッシュが手放せないような状態だったんですが
満願の日曜日、目覚めると、ここ2週間で初めて
頭の霧が晴れてすっきりしており
寒気も抜けて鼻も通り、完治していたのでした。

2週間、私は夢うつつの中にいたんだな。
きっとこれが必要だったんだな。

たぶん、2週間の風邪とポワへの熱中は
ヨーギニー(女ヨガ行者)になるための通過儀礼だったのでしょう。

さて、にわかヨーギニーは風邪も治ったことですし
遅ればせながら、前行をそろそろちゃんと始めなくてはなりません。
でないと死ぬ迄に間に合わないからねぇ。
 
 
 
 
 
  
 
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# by prem_ayako | 2016-12-17 23:04 | tibet | Comments(0)

Phowa

アヤン・リンポチェは、すべて英語でお話しされます。
インド訛りの、とてもゆっくりした英語なので
少し慣れれば、誰でも聞き取れます。

師の生のお言葉を聞いて仏法を学ぶという体験は、初めてです。
いつもは、チベット語 → 日本語
あるいは、チベット語 → めちゃ高速の英語
でしたからね。
ワンチャンスを逃したら、謎のまま過ぎ去ってしまうという。。。

ゆっくりお話しになるので、しっかりノートが取れましたし、
今回は日本語通訳もついていたので、英語 → 日本語
つまり同じことを2度聴いて、確認していくことができました。

♪♪
隅から隅まで理解してお話を聞けるって、なんて幸せ!

しかもリアルタイムで師のお言葉が理解できると、
師の表情や身振りから、タイムラグなく、
さらにたくさんの情報を得ることができます。
言葉の力って本当に大きいですね。


また、多くのチベットの高僧は、来日されても
灌頂と、簡単なお唱えのやり方とを教えてくださるだけで、帰ってしまわれます。

それは、プログラムが週末だけだったり、
テキストが整っていなかったり、
要するに主催者側の考え方や準備に問題のあることが多いからなのですが・・・

これだと、せっかく教わった尊い教えも
後どう実習していけばよいのか、分からないという事態に陥りがちです。

例えて言えば、アドラー心理学の講座に出ただけでは
頭で知識を理解したというだけであって、
あとどう実践していけばよいのか分かりません。
その状態で離れてしまうと、身につかないままで終わってしまいます。

アドラー心理学を自分のものにするためには、
自助グループに出たり事例検討で揉まれたりして
実際に使っていかなくてはなりませんよね。

それとまったく同じで・・・
リンポチェ方の教えを聴いて、すご~く良かった!って感動しても
あとのフォローがなければ消えていきます。
つまり、身近に教えを学ぶ仲間がいて、
いっしょにテキストを読んで復習するとか、
分からないところを先輩に聞くとか、
そういう日常の実践がいちばん大切なんだと思います。

そういう意味で(手前味噌ですが)
日本ガルチェン協会は、道を間違っていないと思うのです。



ありがたいことにアヤン・リンポチェは、
私たちが自分で修業を続けられるように、という目的に向けて
コースを組み立てておられました。

まずポワの瞑想法を具体的に教わり、
次に口頭伝授をしていただき、
さらに実習を2,3回させていただき、
コース後の注意点を教えていただく時間も設けられており、
それはそれは懇切丁寧でした。

そして、全てのチベット語テキストをいただくことができました。

テキストは、短いもので6枚程度
長いものでは100ページ以上!
(終わって東京から帰るとき、どんだけ重かったか!!)
しかし、宝の山をいただいた思いです。

b0253075_16325965.jpg今回のように、全テキストをいただいて
きっちりと修業の隅々まで教えていただけたコースは初めてです。
しかもリンポチェのお言葉が理解できたし!
本当に得がたい機会だったと思います。
思いきって参加して良かった!

(写真は、百均で買ったお経置き。本来台所用品。
 とても便利で、毎日使う人が増えていきました)


こうして教えていただいたポワの行は
最低でも2週間、毎日1座続けるようにと言われました。
それも夜明けがよいのだそうで・・・
(>_<)つ、つらい。

でも考えようによっては、今は最も夜明けの遅い季節ですから
チャンスかもしれません。。。と無理にでも思い込んで、
はい、先週月曜の夜明けから
毎日1座やっております。

熱があっても
声が出なくても
毎朝ポワ(^_^;)

フルにすると1座に1時間40分ほどかかります。
短縮バージョンだと1時間ちょっとで済むので
そろそろお唱えのメロディも録音なしで歌えるようになってきたことだし、
1週間目あたりからは短縮バージョンでやっています。


思うのですけどね
このようなサマヤ(約束)がなければ
私は金輪際、朝5時とか6時に起きて修業をしたりはしなかったでしょう。
厳しいリンポチェに、当然のことのように「しなさい。」と言われたから
だから
まだ暗い中、寒い中、続けるのです。

「どっちでもええぞ。大事なのは菩提心じゃからの」と
やさしく言われちゃっていたら、
私の性格としては、絶対、やっていません!(^_^;)

で、やっているとえらいもんで
だんだん上手にできるようになってきました。
観想もクリアになってきましたし
どこに意識を置いたらよいかが感覚的に分かってきました。

これも、お稽古ごと。
毎日することで分かってくることがあるのですね。

あ~私には、こういう厳しい師が必要だったのだ!

アヤン・リンポチェの厳しさに
心の底から、感謝が湧いてくるのです。

・・・もっとも、ルート・ラマは、お優しいガルチェン・リンポチェですw
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-12-05 16:37 | tibet | Comments(0)

Ngondro

b0253075_16165055.jpgポワの教えに入られる前に、リンポチェは
「この中で前行を終えている者は何人いるか?
 前行を始めたけれどまだ終えていない者は何人いるか?
 前行をまだ全く始めていない者は何人いるか?」
とお尋ねになりました。

前行?知ってますよ。
「帰依」
「菩提心」
「グルヨガ」
「金剛さった百字真言」
「マンダラ供養」
の5つでしょ。

帰依と菩提心の祈りは毎日お唱えしているし、
グルヨガは月に1,2回しています。
百字真言も、できる日は21回お唱えしているし
マンダラ供養も、簡単なのだったら毎日しているし・・・と思って、
私はうっかり、「前行を始めているけれどまだ complete していない者」という時に
手を挙げてしまいました。

ですが、この complete というのが、重要語句だったのです(>_<)

前行をすでに終えた人は3人、
始めたけれどまだ終えていない人は、私を含めてやはり3,4人
残りは全くしていないということでした。

リンポチェは続けておっしゃいました。
「私のポワ・コースを受ける者みなに言っていることじゃが、
 本来は、ポワの伝授の前に、前行を全て終えている必要がある。」
「前行を終えている者はそれでOKじゃが、
 まだ終えていない者は、できるだけ早くに
 ・・・そうじゃな3年以内を目処に、必ず終えると約束しなさい。
 まだ始めていない者は、今からすぐに前行を始めて3年以内を目処に終えるか、
 あるいはそれが無理だというなら、最低限、
 阿弥陀仏真言15万回と、金剛さったの百字真言15万回とを、将来必ず唱えること。
 これを約束できる者だけが、儂のポワの伝授を受けることができる。
 ポワを学びたい、でも前行も真言もしないというのは、not admitted じゃ」

えっ? 数?

それから前行の詳しい説明が始まりました。
「帰依」は五体投地10万回(心が散漫な場合もあるから、念のため11万回)。
「菩提心」は「帰依と菩提心」の祈りを10万回。
「金剛さった」は百字真言10万回。
「マンダラ供養」10万回。
「グルヨガ」10万回。
これら50万回で「前行を complete した」というのだそうです!

し、知らなかったびー(T_T)

在家にこのような要求がされるとは、思ってもいませんでした。

前行始めてるって手を挙げちゃったけど、
今までやってたの、全然数えてなかったし。
あーでも、リンポチェこっち見てたしなあ(>_<)
いちから始めて3年で終えなきゃいけなくなっちゃった!
(もっとも、3年というのは絶対ではなくて、努力目標のようですが)
真言唱えるだけでお茶を濁すというわけには、いきそうにありません!



かくも厳しいリンポチェには
はじめてお会いしました。

ガルチェン・リンポチェにお尋ねしたならきっと
「おお前行か。できるならとても善いことじゃぞ。
 しかしいちばん大事なのは、菩提心じゃからの
 無理ならしなくてもええ、ええ」
とおっしゃることでしょう・・・たぶんね。


しゃあない!
アヤン・リンポチェと promise しちゃったんですから!
まずは五体投地だぁ~~~
近頃太ってきたので、ちょうどいいかも(ヤケクソ)

マンダラ供養など、他の前行の詳しいやり方は、
ドルズィン・リンポチェに3月に教えていただけますから、
これもちょうどいいのです。

ちょっと計算してみたんですけど、
1日に100回五体投地したとして
3年で10万9500回、ほぼ11万回になります。
でも1日100回の五体投地、今の私には無理です。
他にまだ4つやることありますし・・・
お寺に籠もってするのでなくては、3年で complete はかなり難しいです。

まあ死ぬ迄に必ずやり遂げる、という決意で
ともかく始めてみることですよね。
リンポチェも、決意してまず始めることだと言っておられました。


さて11月27日遅くに帰宅して
翌朝、10回五体投地(100回じゃなくて10回デス ^^;)しただけで
息が上がって汗が出ましたん。

その後風邪もひいたのでほとんど進んでいましぇん。
ひどく咳がでるので、肋間神経が痛いのか
五体投地で腹筋にきて痛いのかすら、さだかでありません。
カウンターで数えながら、ぼちぼちやってます。


腹筋が割れてきたら見にきてね(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-12-05 16:14 | tibet | Comments(0)

Ayang Rinpoche

お年は76歳。
鼻筋の通った立派なお顔だちで、
杖も何も持たず、優雅に歩かれます。

少し、怖いです。

最初は、特に、ご機嫌よろしくなかったデス。

海外のリンポチェのコースには多くの参加者が集まるのに、
今回は通し参加の人が少ないことを、不満に思っておられるようでした。

「日本人は、目覚めていないようだ。
「知識はたくさんあって technology もすごいが、materialism にとらわれている。
「時間がないないと言うけれど、日本は自殺率がひどく高いと聞くぞ。
「幸福になりたいんじゃろう? だったらダルマの道に入りなさい。It's clear!
「今生においても来生においても必ず幸福になる道があるというのに、なぜダルマを選ばないのか?
 死は誰にだって訪れる。そのとき持っていけるのは、自分の意識と、善業と悪業の果だけなんじゃぞ!」

いちいちごもっともでございますm(_ _)m

リンポチェが日本人を理解できないとおっしゃるのも分かりますが、
勤め人が10日間連続で休みを取るのがどんだけ難しいか。
リンポチェのお言葉にそのまま従っていたら、
チベット仏教を学びに来ることができるのは、
定職をもたない自由人だけになってしまうでしょう。

仕事に責任をもちながらも
家庭を大切にしながらも
修業を続ける在家の道もまた、大切だと私は思うのです。

まぁでも、筋はリンポチェのおっしゃる通りですので
一言もありません。。。

b0253075_15583071.jpg


このように、最初はとってもプンプンだったリンポチェなのですが
日を追うごとに、明らかにご機嫌が良くなってこられました。

「人が多くても少なくても、儂が使うエネルギーは変わらない。
 50人でも1000人でも、儂は同じことを教えておる。
 だから直接会える機会に、できるだけ多くの者に教えを伝えたいんじゃよ」

そのお言葉どおり、リンポチェは本当に一生懸命で、
朝早くから晩遅くまで、丁寧に丁寧に、
同じことを何度も何度も繰り返し、
手取り足取り教えてくださいました。

厳しい表情がときおり緩んで
「ちょっと喋りすぎたな。すまない。useless talk じゃった」
と首をすくめたりされると、
「可愛い♪」と思ってしまったりもしました。

最終日に全てのお経を読み終えて
最後の「ちゃんちゅぷせむちょくりんぽちぇ」を唱えるときには、
あぁこの方とご一緒できる時間もこれで終わりだなぁ
と思って、ふと泣きそうにもなりました。

厳しいけれど、この上なくありがたい師だということが
だんだん分かってきたのです。

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# by prem_ayako | 2016-12-05 16:05 | tibet | Comments(0)

トーキョー・リトリート

11月19日から27日まで、9日間、東京に行っていました。
アヤン・リンポチェという方から「ポワ」の教えを受けるためです。

本来は10日間連続のコース。
部分参加という方もおられましたけど
リンポチェご自身は、あまり好ましく思っておられないみたいでした。

東京に住んでいる人なら部分参加も考えられるでしょうけど、
私は東京まで行ったり来たりするなんて不経済なので
初日の一般講演だけをパスさせてもらって、
2日目からずっと、連日参加しました。

いや~ハードな日々でしたっ

毎日朝9時から夜まで
日によって、10時半になっても帰れない夜もありました(>_<)
こんなの信じられますぅ??

b0253075_21322179.jpg教えの内容もぎっしり!
キャパオーバー・・・・・
これほど大量にノートをとるとは思ってなかったので
途中、百均でノートを買い足しましたわ。

また、滞在中に2度、早朝に福島沖で地震がありましてね。
ホテルの9階で寝ていた私は、思わず荷造りして万一に備えましたよ。

しかも11月にしては50年ぶりとかの積雪までありました。
思わず閉店間際のUNIQLOにとびこんで
ヒートテックの極暖タイツを買いましたよ。
(写真は、降り始めてわずか30分後の会場付近。
 このあとどんどん積もった)


「ポワ」というのは、
聞いたことのある方も多いでしょうが
死の際に意識を飛ばす(移動させる)ということです。

ディクン・カギュ派は、この「ポワ」の行がとても有名なんです。
結果がすぐに出て簡単だと評判で、
チベットでは伝統的に12年に1度、申年に、
ディクン・ポワ大祭というものが開かれます。

世が世なら、チェツァン・リンポチェとチュンツァン・リンポチェのお2人の導師が
チベット全土から集まる数千人規模の衆生を導かれるのだそうですが
今は、本土でポワ大祭を取り仕切られるのはチュンツァン・リンポチェお1人。
チェツァン・リンポチェは、チベットから出ておられるので
諸外国を回ってポワを教えておられます。

今年は申年ですから、ポワの年にあたります。
私は7月に、シンガポールで、チェツァン・リンポチェご本人から
また9月には台湾で、ガルチェン・リンポチェから、この教えを授かりました。

しかし、基本的なところが分かっていないので・・・
つまり○○に変身して、と言われてもその○○に馴染みがない。。。
観想の手順や、マントラや
逆に観想を消していく定型的な手順などが、よく分かっていない。。。
ので、短時間のお教えでは、自分ひとりで行じるところまでいかなかいのです。


アヤン・リンポチェという方は、ディクン・カギュ派の高僧で
主にヨーロッパやアメリカで、
外国人向けに何度もポワ・コースを開催している方です。
以前は日本にも何度も来ておられたそうで、お名前をお聞きしたことはありました。
そのアヤン・リンポチェが15年ぶりに来日され
10日間にわたってみっちりポワを教えてくださるというのですから、
このチャンスを逃す手はない!と思いました。

ご縁あって、ディクン法王からも
ガルチェン・リンポチェからも、教えていただいたんですもん。
せっかくだから、きちんと身につけたいです。

それで諸方面にご協力いただき、仕事の都合をなんとかつけて、
ほぼフル参加することにいたしました♪



しかし疲れました。
東京滞在中はある種の緊張状態にいたため元気だったのですが
帰って2日ほどしてから、すっかり風邪をひいてしまいました。

1週間以上、30人ほどの人たちと座ってたんですもんねえ。
しかも睡眠時間短かったし。

修業の内容を書くことはできませんが、
あれこれを数回に分けてお喋りしていこうと思います。
よろしければお付き合いくださいませ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-12-04 21:35 | tibet | Comments(0)

シャプテン

 
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今年5月にダライ・ラマ法王が来日されて
大阪で『入菩薩行論』のご法話をしてくださいました。

その後、できる限り毎日・・・つまり
週に2日ほどになってしまうときもあるのですが、できうる限り毎日、
少しずつ『入菩薩行論』を読んでいます。

『入菩薩行論』は
8世紀のインドの聖者シャンティデーヴァの著した論書で
どのように自分の心を教化するか
微に入り細に入り、
具体的論理的実践的に説かれています。

この本の中の言葉を、法王はいろんなところで引用されますし、
法王だけでなく、どの派のリンポチェもよく言及されます。
チベット仏教徒の「常識」「基礎教養」って感じみたいです。

前から日本語の訳本は買って持っておりましたが、
ご法話でチベット語版を手に入れて
さらになぜか英語版もいただいてしまったので、
(この英語版は以前から持っていた英訳本よりわかりやすい♪)
せっかく3種類の言語がそろったのだから
チベット語 → 日本語 → 英語を対照させて、
ひとつひとつ意味をとって、ゆっくりゆっくりと読んでってます。

今ようやく、第六章「忍辱波羅蜜」の終盤あたり
全体の半分ぐらいまで至りました。

いやぁ・・・なかなかね
厳しいんですよ忍辱波羅蜜。。。

「忍辱(にんにく)」って、忍耐するってことね。
「波羅蜜(はらみつ)」は、完成させるってこと。

はじめて「三十七の菩薩行」を読んだ方は、
ひぇ~悪口言われても、相手を誉めるだって?
侮辱されても頭をつけて伏し拝むだって?
頭を切り落とされても、罪を担ってあげるだって?
って驚くし
先生の方も、まぁこれは極端ですけどねってやわいこと言ったりなさるけど

実はあそこに書いてあること、本気の本気なんですよ(^^;)


「三十七の菩薩行」は、『入菩薩行論』のエッセンスを
短くわかりやすくまとめたものですから、
もとの『入菩薩行論』を読むと、さらにもっと厳しいです。
そしてそれをめちゃくちゃ具体的論理的実践的に証明してありますから
・・・だんだん洗脳されてきて・・・
いや、でも私できない、無理!ってところにいるもので

精神内界に葛藤はない
というアドラー心理学の理論と矛盾するようですが・・・
(いやたぶん、こうやってブログに書くことで補償していると思われるので
 やはり内的葛藤はないのでしょう)

「こうあるべき」という理想の姿と
自分の現実、劣等の位置との乖離がはげしくて
なかなか苦しいです。

たとえば今朝読んだ十偈ほどを簡単にまとめてみると、

 解脱に向かいたいなら、忍耐を与えてくれる者に対してどうして怒るのか
 敵に対して喜ぶべきである
 忍耐という苦行をして得た福徳は、まずその敵に与えるべきであろう
 仏を喜ばせるためには、衆生を喜ばす他に道はないのだから

というようなことを連綿と書いてあって
(うわぁぁぁぁこんなこと聞きたくなかった)状態になりました(T_T)


正直な話、山の中におこもりして
ポワやチューの修業をしている方が、ある意味ラクかもしれないと思います。

ほんとうに厳しい道は
現実の対人関係の中で、自分の心を矯めること。。。
どんな状況でも怒りや欲に屈さずに
相手の楽を喜び、相手を尊敬すること
・・・ですよね。


なんでこういう話をしているかというと

一昨日ダライ・ラマ法王がご体調を崩され
来週末に大阪で予定されていた秘密集会灌頂が中止になったという報があったからです。
(ご来日は予定どおりですが、灌頂の内容が、よりご負担の少ないものに変更になりました。
 高野山の不動明王灌頂や、横浜の講演会は今のところは変更ないもようです。)

私のルート・ラマ(根本上師)はガルチェン・リンポチェですが
チベット仏教に興味をもってすぐにいただいた最初の灌頂が
ダライ・ラマ法王の金剛界曼荼羅灌頂でしたし
その後も胎蔵界曼荼羅、文殊菩薩の灌頂をいただきました。
それらの大きなご恩がありますし

なにより法王は、チベット人の希望の星です。
まだまだ長生きしていただいて、
チベットの人々の歓呼の声に迎えられてラサにお帰りになる
そのお姿を、お写真でもなんでもいいから拝見したい!
と強く願っております。

そんなことを思いながら今朝も『入菩薩行論』を読むと
ああ、ほんとうに法王は観音菩薩でいらっしゃるんだな、と
お若いときから今まで、たゆまず忍辱波羅蜜を続けておられるのだな、と
しみじみと感じたのでありました。


心をこめてシャプテン(長寿祈願)を唱えます。

 かんりーらーうぇ・こるうぇ・しんかむす
 ぺんたんでわまる・じゅんうぇーねー
 ちぇんれーすぃわん・てんずぃんぎゃつぉい
 しゃぷぺーすぃーてーぱるとぅ・てんぎゅるち

 雪の山々囲める国土にて
 すべての利益と喜びもたらせる
 観世音なるテンズィン・ギャツォが
 輪廻の果てまでおわしますように


 
 
 
 
 
 
 
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# by prem_ayako | 2016-11-04 21:46 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako