アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

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チベット現代文学

昨年からぼつぼつ、現代のチベット文学
(チベット本土に住むチベット人によるチベット語で書かれた文学)
を、見つけ出しては買って読んでいます。

ダライラマ法王その他の僧侶による仏教関連の本を別にすれば、
巷に出ている最も一般的なチベット本は、旅行のガイドブックでしょう。

また、西洋人から見たチベットについての本なら
みなさまよくご存じの『セブン・イヤーズ・イン・チベット』 や
『ヒマラヤを越える子供たち』などがあります。

あるいは、亡命チベット人によって記されたものでは、
リンチェン・ドルマ・タリンの『チベットの娘』(中央公論新社)が
中国侵攻前のラサ貴族の暮らしを伝えてくれています。

しかし、今現在、チベット本土に住むチベット人が
どのように考えどのように生きているのか知ることのできる本は、
ツェリン・オーセルさんの『チベットの秘密』(集広舎)くらいしか
私は知りませんでした。
オーセルさんは、ご自身の思いを勇気をもって直截的に書かれるので
しばしば、自宅軟禁という憂き目にあっておられます。


一昨年の晩秋に京都・大谷大学で催された映画会
ペマ・ツェテン監督による『静かなるマニ石』を観に行ったとき、
会場で「セルニャ」なる雑誌(非売品)をいただきました。
それを読んで
チベットに現代文学が生きていること
何人もの小説家が、中国支配下のチベットで活躍しているということ、
それをコツコツ翻訳してくださっている日本人の研究チームがあるということを
知りました。

中心になっておられるのは、東京外大の星泉先生と
三浦順子さん、海老原志穂さんら「チベット文学研究会」のみなさんです。
この方たちがとても丁寧なよい仕事をしてくださるおかげで
辺境の地(日本の、しかも関西)にいても、
佳い本に次々と出合うことができるのです。
感謝~!

たぶん、今現在日本で手に入れることのできるチベット現代文学の本を
4冊とも私は読んでいると思うので、
(みなさまの興味関心にはおかまいなく・・・)
勝手にご紹介しちゃいます!


b0253075_20414044.jpgまず触れなければならないのは、
仏教文化の伝統を破って、はじめて口語表現をとりいれた人。
そして中国体制下の社会を、はじめて写実的に描いて小説とした人。
トンドゥプジャです。
あとにつづく若手作家たちにとっては、伝説的存在。
1953年に生まれ、1985年に自ら命を絶ちました。

『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(勉誠出版)
短編集ですが、どの物語もエネルギーがすごいです・・・
語り口が洗練されているとは言えないけれど
そこがまた味になっていて
妙に印象深い本です。

b0253075_20424366.jpg次は、今たぶん、本土で最も成功しているチベット人の文化人、
映画監督でもあるペマ・ツェテン(1969~)の
『ティメー・クンデンを探して』(勉誠出版)
これも短編集ですが、なかなかおもしろかったです。
同名の映画も作られていて、東京では上映会もあったようですが
私はまだ観る機会をもてていません。

なぜかチベットの現代作家たちは、
ラサなどの中央部ではなく、
東の遊牧地域(アムド)出身の方が多いのです。
統制の目の、まだ少しは届きにくい地域に育ち、
まだ草原を自由に駆け回ることのできた子ども時代があったからこそ、
それが原体験となって、小説が書けるのかもしれません。

b0253075_20465092.jpgいちばん最近に出版されたのは、
やはりアムド出身タクブンジャ(1966~)の
『ハバ犬を育てる話』(東京外国語大学出版会)

これも奇妙におもしろかったです。
トンドゥプジャを引き継いでいるかのような、
ちょっと目まいがするような物語群。
私は、個人的に大好きなルーマニアのエリアーデの
幻想小説を思い出しました。


そして最後にご紹介するのは
ラシャムジャ(1977~)の『雪を待つ』(星泉訳・勉誠出版)

b0253075_20483045.jpg星先生が単独で翻訳された長編小説で
文句なく私のイチオシです!

帯にあるキャッチコピーが、

「ある雪の日、ぼくは文字と出会った」

どうです?このひとことだけで、
ぱぁ~っとチベットの風景が
目の前に広がるじゃありませんか!
(私だけ? ^_^;)


原題のチベット語は「チベットの子どもたち」なんですが、
これを「雪を待つ」と訳されたセンスは
もう素晴らしいとしか言いようがありません。
まさに Quantum Leap ですね。
まぁ読んでみてください、機会があれば。

前半は、1980年代のアムドの半農半牧の村の暮らしが
子どもの視点から生き生きと描かれています。

村の四つ辻にはケサル大王を物語る老人がおり、
穴のあいたズボンで走り回る少年や
ひとつの飴を取り合う幼なじみたちがいる。

小さな子どもをのみこんでしまう恐ろしい水場もあり
そういうところには、きっと魔ものが住んでいる。。。

遠い世界の話のはずなのに、なぜかよく知っている世界のような気がしてきます。

後半はうってかわって2000年代の都会。
成長したかつての幼なじみたちが
それぞれ思いもよらなかった人生の展開に失望しながらも、
でも故郷での再会を果たそうとします・・・

文学作品としても一級だと思います。
私選・今年の一冊です!(←何さま?笑)

小説という形でこそ表現できることが、確かにあるように思います。
チベット現代文学の作家たちは、したたかに
チベットの今を描いて
それはときには、中国語にも訳されているのです。

ラシャムジャがあとがきに

「今、私は息子の成長する環境に危惧を抱いている。私が子供の頃に経験したのと同じような暮らしを息子は繰り返すことはできないし、それはわれわれ民族にとっても同じだ。・・・(中略)・・・今は故郷を捨て去る時代である。私の息子が成長した時、私と同じように故郷、故郷といって懐かしむ場所も、振り返る場所もないだろう。息子は都会で生まれ、都会で育っていくからだ。しかし、故郷とは地理的な意味をもつ空間というだけではなく、われわれがつねに辿りつく場所でもある。」

と書いていますが

チベットの現実を考えると、
この文はたいへんな重みをもって胸に迫ってきます。
またさらに、この危機感は現代の日本の私たちにも重なるように思います。

チベットの作家たちは、こうして
チベットの危機を普遍化することに成功しているようです。

これからどうなっていくのか。
とうぶん目が離せません。
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by prem_ayako | 2015-05-22 21:00 | tibet | Comments(0)

倉敷散策記

5月の連休明けから、倉敷と広島で2コース、
パセージ・プラスをやらせていただいております。

土曜は倉敷。
1泊して、日曜は広島。
基本、どちらも午後に3時間のコースです。

連続2コースってのは初めてですけど
ちょっと行楽気分で楽しいです♪


5月16日(土)の倉敷のコースは、
この日だけ会場の都合で、早くに始まって早くに終わりました。
こんな機会はめったにないので、
夕方までブラブラと、町を散策いたしました。

この日はちょうど、
倉敷市の裏山(鶴形山)にある阿智神社の、春期大祭でした。
お祭りに合わせ、市をあげていろんな催しが企画されていて
公園でフリーマーケットをやっていたり
アイビースクエアの中庭でダンスを見せていたり
ただでさえにぎわう新緑の観光地が、いつも以上に混み合っています。
(そのせいか倉敷の定宿もとれなくて、岡山に1泊することになりました)

大原美術館を再訪しようかと思っていたのですが
美観地区はあまりの人出で、触手が動かず。

メンバーや見学の方々から、
なんだか変わった古本屋さんがあるみたいに聞きましたので、
どうせ今日はヒマですし、とりあえずそこをめざして歩いてみることにしました。

倉敷本通り(川沿いの繁華な通りの1本裏の道)をずんずん東へ行くと
・・・ありました!
のれんのかかった小さな古本屋「蟲文庫」です。

b0253075_1111994.jpg


お店の前には、多種多様な多肉植物が並べてあって
引き戸の入り口から薄暗い中に足を踏み入れると、
黒縁メガネで黒い服のお姉さんがひとり、
奥で店番をしておられます。

目立つ場所には、顕微鏡や苔(!)のプレパラート、
私にはわけのわからない地味な生き物(の痕跡?)が並んでいて
かなりのあやしさを醸しています。

本の取りそろえは、まあ普通に古本屋さんで
へんにスピリチュアル系の本がないのを、好もしく感じました。

つうか、ある意味もっと深くてあやしいものが充満しているような。。。
苔とか地衣類関係?
ほ、胞子文学?
ええと、私の無意識はそのへんスルーして、あまり見ないようにしておりましたが
・・・やっぱりちょっと変わっているよね、ここ。。。

そういう私が手に取って、
買おうかどうしようかしばらく迷っていたのは
Ichonography in Egypt だとかいう英書。
ハードカバーで重たかったのと、
ん~今からエジプトの図像学やってもなぁと理性を取り戻しましたので、棚に戻しました。

なんとなく一回りして、もどったレジ前の一角には、
店主の好みか、数枚のCDが並び(私には見当がつかないジャンルw)
古本でない新刊ものが数冊置かれておりました。
その中に『わたしの小さな古本屋』なる本がありました。
あれ?これ、ここじゃん?
b0253075_10524675.jpgここの女の人が書いた本?

ちらりと店番のメガネの女性に目をやってから
ぱらぱらっとめくってみると、どうやらこの方、
21才のとき、仕事を辞めていきなり「古本屋をやろう!」と決めて
ほんとうにそのまま古本屋さんになられまして、
20年、ひとりでコツコツとやってこられたみたいなのです。

エジプト図像学の本はあきらめても、
この本は買っておかねばね、と思いました(笑)
彼女にこの本を差し出して、
「これください。おもしろそうだわ」と言いましたら
うふと小さく笑われました。

b0253075_1114134.jpg栞をいくつか添えてくださいましたが
それがまたあまりにも個性的で素敵なので
写真を掲載しておきます。
「龜」の書き順~w
胞子~w

私、苔とか亀とか菌類への愛はあまりもっておりませんが
このような偏愛をもつ方々への愛というか共感は、かなりあります。
また訪ねてみようと思っています。
だって、しばらく毎週この町に来るんだもん(^^)


それから本通り沿いにしばらく行ったり来たり
なんとなくウロウロしていたら、
「倉敷生活デザインマーケット 林源十郎商店」というお店に
足が向きました。

観光客に有名なお店みたいで、とても広いゆったりとしたスペースに
いろんなデザイナーのいろんな個性の生活雑貨を並べていて、
まるで次から次へと、掘り出し物の市を探検しているような楽しさがありました。
食器、カトラリー、衣類、袋もの、布、
みんなお洒落で、私のような凡夫の物欲を刺激するものばかり!
ゆっくり吟味して、白地に赤の鳥柄の手ぬぐいを1枚だけ
お土産に買いました。

b0253075_11222988.jpg2階のミュージアムカフェで、一休み。
椅子は北欧のデザイナーズチェア。
カフェオレのカップはArabia。
グラスやカトラリーはiittala。
穴場的なカフェだからでしょう、喧噪からも離れて静かで
とっても優雅な時間を過ごすことができました。


最後に、阿智神社にお詣りしておこうと思いました。
お祭り当日にこんなにゆっくり、
時間があるのも、何かのご縁でしょうから。

阿智神社は、倉敷の町を北側から抱くような丘陵地、鶴形山のてっぺんにあります。

b0253075_11154189.jpg私はその西の端の階段から上ってしまったので、
本殿まではかなり遠く、
さっきの本通りの、東の端ぐらいまでの距離を
また歩かねばなりませんでした。
本当は、蟲文庫の裏あたりで階段を上れば近かったのでしょう。

でもおかげで、うっそうとした緑の、誰もいない参道を
少しの間歩くことができました。

拝殿では、ちょっと多い目にお賽銭をあげて
パセージ・プラスの成功をお祈りいたしました(.人.)
あとで知ったのですが、この16日と17日両日は
いつもは閉まっている御本殿の扉が開かれていたのだそうです。
願いが聞き届けられること間違いなしですね!(^^)v

午後6時からは舞と神楽が奉納されるらしく、舞台が整っていました。
どこからか太鼓の音が聞こえてきます。
もう少しとどまりたい気もしましたが、
夜になってしまうし、翌日のパセージ・プラスもあることなので
お詣りだけにして、おとなしく山を下りました。

b0253075_1118438.jpgあらためて見ると、
本通りにはお祭りの提灯が並び、
商店街の軒には紙垂(しで)がかけられています。
お店を早仕舞いして
シャッターを閉めて出かけるご夫婦もおられます。

ああこの町の人たちは
阿智神社に守られているのだな、
幸福な町だな、と思いました。


さて倉敷から快速で岡山に出て、
駅前のホテルにチェックインしたら、6時すぎ。
まだお腹も空いていないし
思いたって、早いけれどお風呂に入ってしまうことにしました。

最上階の大浴場は、さすがにこの時間は誰もおらず、
私ひとりの貸し切り状態でした~♪
湯船の外の坪庭のシャラの木に夕日が差すのを眺めながら
あちこち迷い歩いて疲れた身体をやすめたのでありました。

「蟲文庫」の異空間
倉敷らしいお洒落ショップ
そして阿智神社と
とても充実した午後でした!

肝心のパセージ・プラスについては、また稿を改めて(^^)
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by prem_ayako | 2015-05-21 12:08 | travel | Comments(0)
秘訣講座で、心理劇(サイコドラマ)の実習をさせていただきました。

ラッキーなことに3日目、
いちばんやりたかった心理劇の実習の
最後のひと枠が空いていたので
エントリーしました。
ドキドキドキ。。。

朝のお師匠さまのデモンストレーションと
私の前の4名の方の実習のおかげで
サイコドラマの骨格は、見えました。

ざっくり言ってしまうと
1)エピソードの再現ドラマ
2)クライエントの仮想的目標を誇張した競合的なドラマ
3)それに代わる協力的なドラマ
の順に進めるのですが、
3)が、むずかしい!

他の4名の方もでしたが、
私も、ここで失敗してしまいました。


なんせ、心理劇。
カウンセリングや心理療法でなら、
じっくりゆっくり導き出すその人の仮想的目標を
相当早い段階で見抜かなくてはなりません。
なおかつ
いつもならクライエントと相談しながら導き出す協力的目標を
迷わずにこちらから提示して、お芝居にしなくてはならないのです。
考えている時間はほとんどありません。

これには、才能が必要です・・・
才能とは、 Quantum Leap(量子跳躍)をする力です。
論理を積み上げ思考を重ねるだけでは見つからない答えに
届くためには、直感的な leap あるいは jump が必要です。

つまり心理劇の手順自体がわかっていても
jump して答えに至れなければ、心理劇の監督はできない!
ということです。

自分にできるかできないか
やってみなくちゃわからない・・・
で、やってみましたら
結果は
私が閃いて提示した案は、
やっぱり「競合的」だったのです・・・(>_<)

Jump どころか、まず「協力」の何たるかが自分にはわかっていない
ということが判明したのでありました Orz


これにはちょい落ち込みました。

まだまだやなあ。
なんで見えなかったんだろうなあ。
そもそも分かっていないんだなあ。
いちばん大事なところなのになあ。
などなど
まあ、今から考えたら、
お師匠さまほどの案を、私がその場で思いつけるはずはないのです。
これは「達成不可能な目標」というやつですね。

だいたい私、あんまりドラマティックな人じゃないし
サイコドラマの監督って、ものすごい気迫が必要なんだってやってみてよく分かったし、
私はサイコドラマティストに向いていないな。
やっぱり、個室でしんみりねっちり心理療法やってる方が向いているんだな。
サイコドラマにエネルギーを使うのはもうやめよう・・・

なんてことを、その日は考えておりました。
ひとりで劣等の位置に落ちていたわけです。


でも翌朝起きたらちょっと元気になって

サイコドラマの実習は、アドラー心理学のとてもとてもよい訓練になる。
なんせ、いかに早く、いかに的確に、クライエントの私的感覚を見抜くか、
本番待ったなしなんだから、ほとんど「苦行」に近い!
私はサイコドラマの監督にはなれないだろうけど、
ときどきリベンジで練習をさせていただこう!

と決めて、かなりすっきりしました。


そのまた翌日、アドラーネットを開けると
実習でクライエント役をやってくださった方が
私の適切な側面をたくさん見つけて、書いてくださっていました。

ウルウル。。

その方は私のことを「控えめで静かなエネルギー」と表現しておられて、
はっとしました。

私は私のままでいいんだ!
私が、あこがれのサイコドラマティスト、
イスラエルのアナベラや
アメリカのドロシー・ペブンや
野田先生のような迫力を身につけたとしたら(つかないけど)
それは私でありません。
私は私の個性のままで最善をつくせばよいのです。

また、そのクライエントさんは、私の間合いや距離のとり方についても、
適切な側面を見つけてくださいました。

そういえば、数年前の「かささぎ座・巣作りの段」で
1回だけサイコドラマの実習をしたとき、
監督としてのこの身体の動きを覚えたのだ、と思い出しました。

「かささぎ座・巣作りの段」は、それこそ大変な苦行で
緊張の連続、片時も気を抜けないワークショップでしたけれど、
(帰って寝込みました)
その分、学べていたんだ!
あのとき思いきって実習させていただいて、本当に良かった!って思いました。


適切な側面を言っていただくってことは、
ほんとうに、こんなにも勇気づけになるんですね~(T_T)

ありがとうございます!
これから私も、丁寧にエンカレッジカードを書いていこうと思いました。


ところで、なんだかものごとの流れは
「かささぎ座」に、また助監督をつけるという方に向いているようです。
そうなると、これはまた何か、新しいお仕事がやって来る可能性があります。。。
あぁでも、もしそうなったら
私きっと、3日間ずっと緊張しっぱなしだろうなあ。
3日間ずっとお腹こわしているだろうなあ(笑)

でも得るものも大きいはずです。
もしもご縁があるならば
前に進もう、と思います。
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by prem_ayako | 2015-05-07 22:45 | psychology | Comments(4)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako