アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

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KANO

b0253075_022499.jpg  今日はちょっと家族ネタを休憩して
  ひさしぶりに、映画の話をしますね。

  『KANO 1931 海の向こうの甲子園』

  台湾人監督による台湾映画です。
  なんだか前評判がすごく良いので、
  レディースデイの水曜日、
  ちょうど午前中はカウンセリングの予約が入ってなかったので
  これ幸いと観に行きました。

KANO(嘉農)とは、
台湾南西部にある嘉義農林学校野球部のことです。

一勝もできない弱小チームだったのですが、
日本人の鬼監督、近藤兵太郎(永瀬正敏)がやってきて
「俺がお前たちを甲子園に連れて行く!」と鍛えあげました。

日本による台湾統治の頃ですから、
まだ中国共産党はありません。
KANOは日本人と
台湾人(漢人)と
台湾原住民(高砂族)との3民族混成チームでした。

監督はそれぞれの特性をよく伸ばし、
KANOを台湾の地区大会で優勝させ、
ついには海を渡って、1931年、
本当に甲子園大会に連れて行きました。

甲子園でも決勝戦まで勝ち進んだのです。
惜しくも優勝しませんでしたが
その懸命なプレーで日本中を沸かせた
という実話です。

野球・・・本来、私ほとんど興味ないんですけど
この映画は良かったです!!
大きなタオルハンカチ必携ですよ~

なんといっても
男の子たちがいい!(←そこか)

主役のピッチャー呉明捷くん役だけは、俳優さんらしいです。
ツォア・ヨウニンくん。
かっこいいですねぇ~!
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b0253075_0184576.pngあとの部員くんたちは、みな素人の
野球部の男の子たちだということです。
この子たちが、それぞれとってもかわいいんですww

どうでもいいことだけど
私は特に、平野くんのキャラが好き(笑)
どの子が好きかでガールズトークしたいものだわ~


そして、美しい水田の風景。
烏山頭ダムを建設し、嘉南平野の潅漑に尽くした八田與一さんが
「八田先生」として慕われるさまも描かれています。
(本当は1,2年、時期がずれているらしいですが、そのへんは脚色w)

この映画が台湾人により台湾で作られたことを考えると
この時代、本当に立派な日本人が多くて
実際に慕われていたのだろうなぁと思わされます。


映画は、台湾北部の基隆港から始まります。

基隆(きーるん)は、実はずっと以前に訪れたことがありまして
ここから九份(きゅうふん)という、
「千と千尋の神隠し」の舞台になったと言われる不思議な町まで
バスに乗って行ったことがあります。
個人的にとっても懐かしい土地です。

でも、映画では、きな臭い悲しい時代。
基隆から鉄道で台湾を南下し、南方戦線へ移送される兵士たちの中に
かつて甲子園で嘉農と対戦したピッチャーがいた、という設定です。
物語は彼の回想という形で進んでいくのですが
この彼は、おそらくこの先、南方で命を落とすのでしょう。

エンドロールの前に
実在の選手たちのその後の人生がテロップで流され、
私たちはその後の激動の時代に、
この子たちがどうなっていったのか知ることができるのですが

若い日本人の選手たちは、悲しいことに
ほとんど戦争で散ってしまいました・・・

しかし漢人や高砂族の選手たちは、
戦争を生き抜き、
戦後は、社会人野球で活躍したり
子どもたちを教育したりして、
それぞれに台湾における野球の振興に尽くされたようです。

野球にしても潅漑施設にしても
このように日本人が種を蒔いたことが
時を経ても残り、台湾の人々の役に立ったらしいことを知り
心から良かった!と思いました。


2年も前に台湾で大ヒットしているのに
しかもほとんど日本語でしゃべられているのに
日本では、『KANO』はなかなか公開されませんでした。
どこぞの国からの圧力があったのだろうと思われます。

ようやく今年になって全国でロードショーが始まりましたが
上映している映画館はあまり多くないみたいです。

野球のことと同じぐらい、
政治のこともよく分からないですけど

たぶんこの映画、
台湾の民族運動のひとつの現れなんでしょうね。
どこぞの力から逃れよう。
そのために日本が行った良い側面を思いだそう。
というムーブメントの、流れの上にあるような気がします。

2回も観光に行った台湾びいきの私としましては、
この運動は、大歓迎でございます。


それはともかく
It's worth watching!
是非機会があればご覧になってください。

私ももう1回観にいこうかなあ~♪

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by prem_ayako | 2015-02-20 11:44 | others | Comments(2)

2月14日

父は施設の自分の部屋で
いつもベッドの横に足を降ろして腰掛け、
チェストの上に置いたテレビを見るか
じっと下を向いて坐っています。

理学療法士の先生は、
この姿勢だと背骨が曲がったままになるので
背もたれのある椅子に坐る方がいいとおっしゃいます。

先生の勧めに従って
自宅でいつも父が座っていた椅子と、
新聞などを置くための小さなテーブルとを
施設のお部屋に運び入れることになりました。

うちの家族で車を持っている者といえば、わが息子だけ。
ロードバイク通勤をしていた彼も
まわりの先生方に「雨の日どうすんねん。早よ車買え」と言われ(笑)
夏前に、中古の軽自動車を買いました。

2月14日のバレンタインデー、
ひょっとしたらデートを予定していたかもしれない息子に
無情な私は(^^)
お祖父ちゃんところに荷物を運んでくれるように頼みました。

机と椅子を後部に積み込み、
私は助手席に。
生まれて初めて、息子の運転する車というものに乗りこみます。

うう。
コワい?
いや、けっこう慎重な運転じゃん。
初めての道だし
荷物を積んでいたこともあるのかな。
それとも私を乗せているからかな?(^_^;)


そしてこの同じ日に、
娘の家族も鳥取から、
お婿さんの運転で神戸に来てくれました。

8月末に産まれたしゅんすけは
父にも、母にも、息子にも、会うのが初めてです。
なんせ、みんな神戸に来るのは、
去年のお正月(娘の妊娠が分かる前)以来なんですから!

お婿さんは出張から帰ったばかりだというのに、
コワい嫁(もとい、愛する嫁)の願いを汲んで
はるばる父に会いに来てくれたのです。


b0253075_1521258.jpgこうして父の居室に
私の大切な家族が集結しました。

息子と
娘と
お婿さん。
そして4歳のこうすけと
5ヶ月のしゅんすけ。

いつもは静かな老人ホームに
こうすけがスリッパでぱたぱた走る音と、
しゅんすけの泣き声が響きます・・・


父の記憶は、
子どもである私については、まだしっかりしていますけど
孫である娘や息子については、かなり曖昧になっています。

だから彼らのことを
それぞれ正しく認識できていたかどうかわかりませんし、
ましてや曾孫であるこうすけやしゅんすけについては
どこまで分かっていたか、あやしいです。

でもみんなが来て賑やかになって
父はとってもうれしそうでした。

娘がしゅんすけを抱っこして父の正面にすわると、
父は思わず、「おぉかわいい」と声をもらしました。

そして
「元気な子だ、いい子だ」と
頭をなぜ、足を持ち、
お乳はよく飲んでいるか?
よく泣いているか?と
おだやかに尋ねるのでした。

まるで問診をしているようです。

父は小児科医だったころに戻っているようでした。

横でぴょんぴょんはねているこうすけの頭もなぜて、
弟をかわいがっているかと尋ね、
さいごに
「いつまでも仲の良い兄弟でいてください」
と言いました。

50年続けた小児科のお医者さんペルソナが
ほんとうに自然に現れていました。

私は写真を撮りながら、
アドラー先生のようだと思いました。。。

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夕食の時間になったので父にお別れを言って
2台の車で家に帰りました。
そして私がご飯の用意をしている間、
息子と娘たちは2階に上がって、母のお相手をしてくれました。

急いで用意した
鯖の煮付けと
白菜と薄揚げの炊いたのと
豆腐の味噌汁と
小蕪の漬け物と
お米3合半は、
母乳で食欲旺盛の娘と
成長期(?)で食欲旺盛のこうすけと息子によって
あっという間に平らげられました・・・

息子はその夜のうちに帰りましたが
娘たちは、翌朝もまた父に会いに行ってくれました。
そして昼ご飯を食べて、慌ただしく鳥取に帰って行きました。


みんなほんとうに忙しい中、予定を合わせてよく来てくれました。
優しい息子と娘とお婿さんをもって
父も母も私もしあわせです。


あ、ついでながら
こうすけには、かわいいクッキーを
息子とお婿さんには、それぞれチョコレートを
用意したのは言うまでもありません!
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by prem_ayako | 2015-02-19 15:37 | family | Comments(2)

父 その後

父が入所して、もうじき1ヶ月になります。
ようやく新しい生活に慣れてきたようです。

最初、父は自分の部屋をホテルと思ったのか
「ここは1泊いくらなのか?」と聞いてみたり
あるいは病院と勘違いしてみたり
かなり困惑していました。
(母が説明して本人が納得したということでしたが、
 やっぱり理解力が落ちていたのですね・・・)

「いつ帰れるのか」
「いつまでここに居るのか」
「なんでこんなところに居ないといかんのか」と、
行くたびに聞かれて辛かったです。

しかし10日もすると、
なんだか元気そうに・・・
血色が良くなってきました!

家ではベッドから起き上がるのもやっとのありさまだったのに、
すっと立ち上がれるようになりました。

食事やおやつのたびに、食堂までのわりと長い廊下を、
施設の人についてもらって歩行器を押して歩いていますが
これがちょうど良い運動になっているのかもしれません。

また、介助の方やケアマネさんや看護師さんや
いろんな方と会話をする機会が増えて
その刺激もよいのかもしれません。
しっかり受け答えできている時間が増えました。

入居したお部屋はさいわい南向きで暖かい上に
週に3回、大きなお風呂で「入浴」させてもらえます。
家のお風呂では浴槽をまたいで入ることができなかったので
ここ半年ほどずっとシャワーで辛抱していたのです。
久しぶりのお風呂は、本当に気持ちよかったことでしょう!

最初は嫌がっていたちょっとした塗り絵や
節分のフラワーアレンジメントなどにも、
誘われて参加するようになってきました。
(もともと器用なので)とても上手にやってのけて
みんなに誉められて得意そうです。


ひょっとしたら、もう
車椅子とかおむつになってしまうのではないかと
危惧していたのですが、

理学療法士さんによるリハビリや
定期的なマッサージを受けて
誰もが驚くほど、足元がしっかりしてきました。
この調子なら、上手に器具を使えば
ひとりで動くことも可能かもしれないと言っていただいています。


ただ、どうしても、コールを押して人に来てもらうのを面倒がります。
ひとりで立ってトイレに行こうとして
2,3度転倒してしまいました・・・Orz
顔を打ったり頭を打ったりしているようで
大事にいたらなくて良かったですけど。。。

足元にセンサーマットを敷いていただきましたが、
それでもうっかりすると、
カーテンを閉めに立つなど
部屋の中をこっそりひょいひょい動いているようです(>_<)

骨折の危険は常にあります。
・・・でも、あまり制限するのもね。。。
だって
いくら「ベルを押して人が来てから動いてね」と伝えても
「大丈夫だ」と自分で動いてしまうのです。


家にいたころは
母が「大丈夫?」「ここは痛くない?」「トイレは?」などと
いつもつきっきりで父の世話をやいていました。
母は、父がテレビのリモコンを取りに立つことさえ、
声をあげて制止していたのです。
「ここで転んで骨折したら、寝たきりになってしまうでしょ!」
というのが母の口癖でした。

母には母の思いがあるでしょう。

でもその母の一生懸命さがかえって
父の生活能力を奪い
母の体力を消耗させていたのだと
私は思っています。


いくら制止しても動きたい父と
なんとしても安全を確保したい母、という組み合わせ。

基本的に父と母の生き方は、
これからも父と母に任せるしかないので

子としてできることは、
2人に好きなように泳いでもらって(^^;)
起こることの後始末をすることなのかな?

と、最近はハラをくくってマス。
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by prem_ayako | 2015-02-18 23:02 | family | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako