アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

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アドラーの場

娘が初めてのパセージを受講しています。
昨日が第1章でした。

ものすごぉく楽しくて面白かった!と
興奮して電話してきました(^^)

パセージのテキスト通りの子育てなんて、とても私はできなかったし
またやっちゃった~!と失敗ばかりでしたし
感情的になることもしばしばだったので・・・
「パセージで育てました」なんて言えないのですが
少なくとも、「アドラー心理学を知って子育てをしました」
とは、言えます(^^;)

だから娘は、アドラー心理学の理想と
その不完全な実践例とを
見て育ってきたと言えます・・・

そんな娘が、今、子育て真っ最中にパセージを受けて
どんな感想を抱くのか、とても興味がありました♪


まず、テキストの内容については
「よく理解できた」「そんなにびっくりしなかった」ということでした。
まぁ、昨年秋に基礎講座理論編を受けていますからね。

それよりも、他のメンバーさんたち(全員初受講?)の
「目から鱗の落ちよう」がスゴかったそうで
それが驚きだったようです。
「あ~、ふつうはこれを初めて学ぶのか!」と思ったそうで、
今まで「自分の個性」だと思っていたものの見方や考え方が
実はアドラー的なものの見方だった、ということが
初めてわかったのだそうです。

そうなんだ~。と私もビックリ。

とはいっても、
どういうときに自分の感情が動くのかなどの気づきがあったそうで、
今後、しっかり課題シート書いて
いっぱい事例を出しておいでね~
ロールプレイもぜひやっておいでね~
とオススメしたのでした。


娘が特に感動していたのは(実はテキストではなく)
グループの面白さだったようです。

大学でグループ・ディスカッションなどをする場合は、
「他の人の意見を否定しないように」などと注意してから始めなければ
必ず誰かが、誰かを攻撃したり貶めることを言ったりするのだそうです。
(あぁなんて競合的・・・)
でもパセージ・リーダーさんは、「協力的」なんて一言も言っていないのに
メンバーは自然と協力的に動いて
とても居心地のよい安心できる場ができていたといいます。
それが、凄い、と。

素晴らしいですね~!
・・・いきおい長電話になりました。

そんな素敵な場ができたのは
まずリーダーさんの力量、ということがありますよね。
リーダーのRさんは、私がアドラー心理学を学び始めた頃
すでに深く実践し活躍しておられた大先輩です。
今回もRさんが久しぶりに鳥取でパセージを開いてくださると聞いて
本当に安心して、娘に薦めた経緯がありました。
Rリーダーなら(魔女さんですから(^^))
たぶんやすやすと、安心できる場を作り出されるでしょう。

次に、これはどのリーダーも教え込まれていることですが、
リーダーの言葉のはしばしに
メンバーを尊敬していること、
信頼していること、
感謝していることが
表われていたのだと思います。

子どもに対しても、
子ども扱いする言葉づかいをすれば子どもは子どもとして振る舞うけれど
大人扱いする言葉づかいをすれば、子どもは大人として振る舞う・・・
ということを、私たちは親子カウンセリングで学びました。
だからきっと
リーダーの言葉づかいひとつで
メンバーの構えが決まるでしょう。

それから、目標の一致もあるでしょう。
学校は競争社会ですから
学生たちは「自分が人より優れている」ことを証明しようとしますが、
パセージに来られるメンバーさんたちの目的は
たぶん・・・「人よりよい子育てをしよう」ではなくて
「今自分がやっている子育てを、よりよいものにしよう」でしょう。
テキストの「パセージへようこそ」の読み合わせは
最初に目標を一致させる仕掛けではないかしら。


まぁそんなことをあれこれお喋りして
真夜中に電話を切ったのですが
今朝起きて、朝ご飯を食べていて、はっと思いつきました。

人はきっと、本来、協力することが好きなのです!

何か一石が投じられると
憑かれたようにハシゴを上り始めてしまうけれど。
競争する必要がなければ、
人はみな、愛し合い信じ合い協力して生きていきたいものなのだ
ということを信じたい。

特にむずかしいことではなくて、
リーダーがヨコの関係にさえおれば
メンバーたちは本来もっている共同体感覚を発揮できるのではないかしら。
だってそれが、幸福なときの人間の自然な姿なのだから。


この↑仮説は、ありがたいことに
この日の午後、さっそく証明されました(^^)

今日は大阪の弁天町で、公開の親子カウンセリングがありました。
昨日の講演会もでしたが、今日も
常連さんでない方、新しい方がたくさん来ておられました。

終了後すぐ、何も言わないのに、
ある参加者の男の方が私のそばに来て
「机、戻すんですか?」と聞いてくださいました。
「あ、そうなんですw・・・」
「はい、どんなふうに?」

そして2人で動き始めたら、また別の男の方が
また別の方が・・・
最初の設営は私と大きなJ先生とでしたものですから、
帰りも先生とふたりでやってしまうつもりでおりましたが・・・
こうなったら、私も近くの方々に声をかけてお願いしました。
結果、多くの方が少し残って手伝ってくださって
あっという間に片付きました。

さらに、昨日今日はじめてアドラーの勉強会に参加された方が
帰りぎわ、クライエントさんにあたたかい声をかけておられるのを見ました。
ああ、いい場ができているなぁと思いました。

しかもみなさん
とってもさわやかなお顔で、輝いておられるのです!


人間は、協力したい生き物なのです!
じゅうぶん勇気づけられたなら
みな自然にやさしくなるのです!


楽観論でしょうか?
でもこのことを発見して
私はまた、とっても幸せです。
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by prem_ayako | 2014-01-19 23:58 | psychology | Comments(2)

『私の大阪八景』

昨日はカウンセリングの予約の間がけっこうあいていて
しかもまずいことに本も音源も何も持ってきていなかったので
時間つぶしの本を探そうと、クリニックの本棚を物色してみました。

そうしたら軽いめの文庫本、
田辺聖子『私の大阪八景』というのが目にとまりました。

気軽に読み始めたら、これが止まらなくて!
時間つぶしどころか
昼休みも、帰り道でも、帰ってからも読み続けて
夕ご飯の頃に読み終えました。

これもご縁だったのかなと思います。


『私の大阪八景』は、田辺聖子の
かなり初期の自伝的小説のようです。

田辺聖子は大阪市福島区の大きな写真館の娘さんでした。
(昭和3年生まれですから私の母よりひとつ上ということになります)
屈託なく裕福に暮らした少女時代。
そのうちに従兄弟が出征していき
女学校の授業がなくなって、伊丹の旋盤工場で勤労奉仕します。
終戦の年6月の大阪大空襲により、生家が焼失し、
知り合いの多くが亡くなります。

・・・そこは田辺聖子さんですから、
表現は闊達で明るくて、ときに笑いもまじえます。

私は夢中になって読んでいましたが、
いつしか、神戸の
やはり大きな商家に生まれ育った母の人生と重ね合わせていました。
母も、神戸の空襲で生家を失いました。


戦線がじりじりと本土へ近づくにつれ
人々はみなちりぢりばらばらになっていきます。
主人公の「トキコ」は、純粋に
自分も命をかけて祖国と陛下をお守りするのだと考えます。


新太郎兄ちゃんも陛下のお召しにはせ参じて戦争へいったのだ。母ちゃんがいくらいやだといっても、いまにマサルも召されて戦争へいく。いや、それまで日本はもたないかもしれない。十三のマサルも十五のトキコも四十一のお父ちゃんも、みんなアッツ島やマキン島の兵隊のように、玉砕かもしれない。陛下のお名で戦い、陛下のために死んでいくのだ。陛下万歳。
 メガネの陛下のお顔がだんだん途方もなくひろがって、やがて日本の空いっぱいに黒く掩ってしまう。皆が玉砕したあと、一木一草もない国土に、そのとりとめもなくひろがったお顔だけが残る。



こんなふうに、死に向かっていることを
はっきりと意識していた、特に若い人たちが
家も思い出もみな失って、
戦争に負け、
小さくなって生きていかねばならなくなりました。

この時代を生きた人々。。。
今話題の『永遠の0』は、
戦場で戦って亡くなっていった方々のお話ですが、
田辺聖子さんのこの本を読むと
あの時代を日常のものとして生きていた
ごくふつうの人々の暮らしが、とても身近に感じられます。

母もこんなふうだったのでしょうか。
女学校で友だちとお喋りに興じ、
本を回し読み(ひょっとしたら詩など書いて)
やがて学校から工場へ行かされ
空襲にあう・・・
家は焼けたが家族は無事だった。
そして玉音放送が流れ

やがて父と結婚した。

今日は1月17日です。
19年前の今日、神戸の町は再び焼け野原になりました。

あのときの恐ろしいほどの喪失感は
あれを体験した者でないと分からないかもしれません。
同じく、戦災を体験した父母や田辺聖子さんたちは
この喪失体験を共有しているのでしょう。。。


終戦後、天皇陛下は全国を行幸され、大阪にもおいでになりました。
学校の奉安殿の奥深くに飾られていた両陛下のお写真を、
少女時代の「トキコ」はのぞいて見たくてたまらなかったのですが
勤めていた店の前を車で通られた陛下のご尊顔を
この日はじめて拝します。


 お車の中にはソフトを振って答えられる眼鏡の陛下のお姿が見えた、とうとう見えた、陛下を見た。
 無数の腕が狂気のように振られる。「陛下、陛下ッ」と群衆はロープを押しきって、なだれを打って陛下のお車をかこもうとする。お車はちょっと立ち往生のような形になった。(中略)
 「わてな、大連出航後まなしに、船の中で陛下のご健在をきいて一同、誰からともなくバンザイを叫びましたんや」
 トラさんは泣き泣きいった。突然、大きな声を張りあげて、
 「陛下、――苦労しなはったなあ、お互い、まあえらい目に会いましたなあ。長生きしとくなはれやア、陛下、これからだっせ、陛下――」
 もみくちゃにされながら去ってゆくお車に向かってどなった。
 周囲の人は笑った。笑いながらトキコもポロッと涙がこぼれた。トラさんの叫びは、日本の敗戦以来、誇りを失ってくじけていた日本人の心にぴたッとくるひとすじの暖かさがあったのか、またはちょうど皆のいいたいことを代弁してくれたのか、笑いながらみんな泣いた。



この下りを読むと、
数年前、奈良で、
イヴォンヌ先生のワークショップ会場の前をお車で通られた
今上天皇皇后両陛下を拝したときの感動を思い出します。

そしてまた19年前の阪神大震災の後、
両陛下が神戸を訪れてくださったときの映像を
避難先のテレビで見て
涙が止まらなかったことも、思い出されます。


大きな喪失から人が立ち上がっていくときに
力となりえるものは何なのか
そのヒントが、ここにあるような気がします。
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by prem_ayako | 2014-01-17 22:26 | japan | Comments(3)

変化の年

2014年が明けました。
平成でいうと26年?
いちいち確認しなければ自信がない今日この頃です(笑)

実は、今年の3月後半から4月前半、
スイスのイヴォンヌ先生とハインツさんの来日が決まっていたのですが
残念なことに先生のご都合でキャンセルになってしまいました。
それでこの時期の土日のスケジュールが、ぽっかりと空きました。

アドラーギルドの社員になってからこの1年、
平日は、行事の会場取りや事務が主な仕事ですが
休日は、行ってお世話をすることも多く、
連続して土日の予定がないというのは、かなり稀なことです。

それでこの機会をとらえて、
4月に、神戸の実家に引っ越すことを決めました。


父は今年90歳で、会うたびに弱ってきているのが分かります。
つきそう母はまだ元気ではありますが、こちらも85歳。

何かあったら私がすぐ帰って世話をするから・・・
と数年前から伝えているのですが
(「じゃぁその時はお願いね!」と頼まれているのですが)
近頃の父の弱りかたを見るにつけ
これは、何かある前に
帰っておく方がいいのではないかと思うようになりました。

まだどうしても介護の手が要るというほどの状態ではない今のうちに
そばにいるようにすれば、
安心して、ちょっと元気になるかもしれません。。。

そう思いながらも、
月に一度顔を見に行くだけで
なかなか踏ん切りがつかなかったんです(^^;)

私が実家を出てから、軽く30年経っております。
気ままな1人暮らしをするようになってからは、9年!
なんせ、いつでも好きなときに瞑想して
勉強して
食事して
という夢のような(笑)生活を9年やってきましたから
これを手放すには、相当勇気が要りますwww

また、30年前は私の荷物は一部屋におさまっていたわけですが
今、私の荷物はふくれあがっております。。。

父と母だって、今の生活を、
不自由なこともあるけれど、エンジョイしているので
父母のペースを乱さないように、
侵入しないようにしたいものだと思います。
これはつまり、私自身も侵入されたくないということでして

お互いのプライバシーをできるだけ守りながら
上手に協力できる暮らし方を、ずっと考えていました。

幸い、と言うか何と言うか
父は長年開業医をやっていて
実家の1階は、
10年ほど前に閉院したそのままの状態でおいてありました。
小さな台所や着替えのための和室もあります。
兄が跡を継ぐかもしれないから一応残してあったのですが
兄も身体を悪くしましたので、もうここを使う人はいません。

話し合った結果、この1階部分を
私が使わせてもらうことになりました。
両親の居住区は2階なので、適当な距離をとりながら、
必要な部分を手伝っていきます。
(もちろん何かがあったときには、素早く対応できるでしょう)

ただ、いくらかのリフォームが必要です。
なんせ診察室や待合室や薬室って・・・
床は冷たいし
不要なカウンターや棚があったりするので
床、壁、扉も付け替えなくてはならないかも。。。
これにどれぐらいお金がかかるものか見当つきませんワ・・・

ともかく、1月中はあれこれゆっくり考えて
2月になったら見積もりをお願いして
できれば3月から工事
(工事期間中が、たぶんいちばんややこしく忙しいでしょうね)
4月中には引っ越し
という段取りで考えています。

折しも、4月から大阪のクリニックの仕事日が変更になりますので
ポンクラなど自助グループの曜日も変えることになります。
また、息子も4月から社会人になるので、たぶん引っ越しするでしょう。
家族が変わる時期が、またやってきたみたいです。

元旦に引いたおみくじには

○普請さわりなし
○転宅大いによし

とありました!
すべてうまくいきますように。

みなさまのご愛顧の方はどうぞ相変わりませず(^^)
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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by prem_ayako | 2014-01-12 18:46 | family | Comments(4)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako