アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

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マハームードラ

東京では、5日連続でリンポチェのお話がありました。
もっとも私の滞在拠点が東京駅近くだったというだけで、
実際の会場は、最初の3日間は横浜市内のお寺の道場、
後の2日間は、赤羽のビルの一室にある禅堂でした。

まず土・日は、
「ガンジス川のマハームードラ」についての詳しい解説でした。
昨年教えていただいたのと同じテキストですが、
1日だけのお教えでは、もう全く、ちんぷんかんぷんだったのです。
そういう意見が多かったのでしょうか
今年は2日かけて、ゆっくりと教えていただきました。

マハームードラというのはサンスクリット語です。
「マハ」はマハラジャのマハで、大きい。
「ムードラ」とは、手で作る印形のことをいいます。
チベット語では、「チャギャ・チェンポ」
中国語で表すと、「大手印」となりますが
タイトル聞いてもさっぱり分かりませんよね。

内容を聞いても、それがやっぱりよく分からないのですよ(^^;)
いや、ひょっとしたら、めちゃくちゃ単純な真理なのかもしれませんが、
つかみどころがないというか・・・
なにせ「マハームードラは何ものにも依らず、言葉で表すこともできない」
で始まるのです。。。
うーむ、うーむ、抽象的思考はムズカシイです。

b0253075_16583928.jpg要するに、「松」レベルのお話なのですわ。
俗人がそう簡単に理解できるわけありません。
今生で出会えただけ幸せと言えましょう。

仏教の教えの最上のものは3つあるそうで、
ひとつは無上瑜伽タントラ
ひとつはマハームードラ
ひとつはゾクチェン
それぞれ、ゲルク派、カギュ派、ニンマ派が
継承しています。

マハームードラは、つまり我がリンポチェのお家芸。

去年と今年、教えていただいたのは、
今から1000年ほど昔、ガンジス川のほとりで
大成就者ティローパが、弟子のナローパに伝えたものです。

しかし「ガンジス川のマハームードラ」といっても、
中にいろんなバージョンがあるみたいで
大筋は同じだけど、順番が入れ替わっていたり、
少し言葉が違っていたりします。
口伝ですからね。

残念なことに、お世話の方が去年配ってくださったテキストは、
リンポチェが読んで教えてくださっているテキストと
かなり違ったものでした。

細かな違いはどうでもいいとは、私は思えなくて
お師匠さまから教えていただいた通りに一語一句理解したい人なんで
(だからチベット語を勉強しているわけでして)
そのためには、どうしても
お師匠さまと同じテキストを手に入れたいと思いました。

去年のいつ頃だったでしょうか・・?
教えを受けた後、折あるごとにインターネットで検索していて
あるとき、どこかに入り込んで、とても似ているものを見つけました。
照らし合わせて確認するのは時間がかかるので、
とりあえず2部だけプリントアウトしておきました。

これが、だいぶ後になって調べたら、
どんぴしゃ!一字一句同じテキストだったのです!

ところがその後、2度とそのサイトに辿りつけないでいます。。。
何度もトライしたのですが、どこにそれがあったのか分からない。。。
そのうちに、誤って全ファイルを削除するという悲劇も起こしましたし
パソコン自体も新しいものに変えましたし
今では、どうやってもそのサイトは見つかりません。

ああ、平安時代の日本のお坊さまなら、
インターネットならぬお寺の蔵に分け入って
チベット語ならぬ漢文の経典を根気よく探し回ったのでしょう。
せっかく見つけたのに、片付けた場所を忘れた、
なんていう愚かなお坊さまは、昔にもいたかしら?(>_<)


さて、そういうわけで
その部数限定の、貴重な紙媒体のテキストを読みながら
リンポチェのお教えを受けましたので
日本語訳や英語訳のニュアンスに惑わされることなく
チベット語そのままの教えの意味が、少しだけ見えた気がします。
ほんの少しだけですが・・・。

それでいきなり思い出したのですが、
和尚(Osho Rajneesh)の本の中で、私がいちばん好きだったのが
『存在の詩』TANTRA: The Supreme Understanding で、
これは「ガンジス川のマハームードラ」をもとにした講話でした。

なんだ私、ずぅっと前から、知っていたんだわ・・・

ご縁をいただいているようなので、
ゆっくり録音を聴き直して、勉強していこうと思います。
(めざすぞ、松中組・・・)


余談ですが
となりに座っていた、同じチベット語先生についているお仲間の方が
小さな本の形のチベット語マハームードラ・テキストを持っておられたので
それどうしたの?って尋ねると
「あ、これ?いります?去年、リンポチェにもらったんです。
 見たら置いてあったんで、それください、って言って」
と、さらっと言われたので、びっくり。
うう、脱力~ orz

(いざという時「それください」ぐらいは言えるように
 私も現代チベット語会話を習うべきだろうか?
 ちがうか・・・)
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by prem_ayako | 2013-07-30 17:03 | tibet | Comments(0)

しゅくだいの出来

福島→会津若松から帰って
酷暑の大阪で2、3日働き
金曜の夜にはもう東京のホテルにおりました。
土曜日から、
いよいよガルチェン・リンポチェとお会いするのです。

あまりにいろんなことがありすぎて・・・
でもまずは、懸案の宿題(長寿祈願文の暗誦)の話からしましょうか。

暗誦は、スラスラっとはいきませんが、
ゆっくりとなら、間違えずに言えそうなぐらいにはなりました。

問題は、タイミングでしてね。。。
リンポチェのおそばにまかり出るのは
失礼のないようにしなければならないし、
しかもできるだけ、静かな状況が望ましいと思っていましたので
初日はチャンスがありませんでした。
とりあえず、カタ(お献げする白い布)だけゲットしておきました。

2日目の朝、なるべく早く会場に行って
前の方に座り、リンポチェが到着されるのを待ちました。

もーこうなったら、出たとこ勝負よ!
と、心理療法士試験の前みたいな気分です・・・

いらっしゃいました!
リンポチェが高座につかれたら、
私たちは五体投地。
少しざわめきがおさまって
まだ始まるまで10分ほどある、というタイミングで、

思い切ってリンポチェの前に、ひとりで進み出ました。
跪いてカタを差し出すと、
「おぉ、」と、受け取って私の首にかけてくださり、
リンポチェのいつもの流儀で、おでこをごっつんこしてくださいました。
大きなお手で私の耳から頭を支えておられます。

もうこれだけで私は舞い上がってしまったのですけど
(ともかく宿題です!)
このごっつんこの姿勢のまま、合掌して
「ぱぁぺーゆーなあーやでーわしぇ」とお唱えを始めました。

「ほっほっほっ、あーやでーわしぇ!」とリンポチェはすぐにお分かりになって
(よかった、発音大丈夫みたい!)
「どかむちょーす」と、先を言ってリードしてくださったのです!!
こ、これは想定外!!!

私「あわわ、どかむちょぉす、がるぎりぃすーどぅ・・」
リンポチェ「じてん・・・」
私「じてんごんぽ、えーとえーと」
リンポチェ「とぅせー」
私「とぅせー(焦っ)ちょでぃんぱ、ぺんでんがるちぇん、とぅせー、あ、いや・・」
リンポチェ「くつぇー」
私「あ、あ、くつぇ、けぎゃるてん!」

その間ずっと、リンポチェのあたたかいお手が
私の頭を抱いてくださっていました。
お顔は、とても見ることはできませんでしたが、
ほほえんでおられることは分かっていました。
(そもそもこのお方がほほえんでおられないことはないのです)

もう一度合掌して下がりましたが
しばらくはドキドキして、ほどなく始まった講義も上の空でした・・・


宿題の出来は、このように、むちゃくちゃでございましたのよん。

でもリンポチェとご一緒に、声を合わせてお唱えしちゃったもんで、
なんだかすっご~~~く幸せ(*^_^*)

チベット語の師からの宿題のおかげで、
こんな素敵な体験をさせていただきました。
ありがたいですぅ~
もう一度言います。
宿題いやがってごめんなさいでした!m(_ _)m
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by prem_ayako | 2013-07-30 00:27 | tibet | Comments(2)

会津若松

b0253075_1953971.jpgスピリチュアル・ワークのあと、
会津若松に寄り道しました。

戊辰戦争で会津藩はたいへんな目にあっています。
新政府軍が攻めてきたとき、
力尽きて飯盛山で自決した白虎隊は有名ですが、
城下では、たくさんの婦女子が自刃しました。。。
降伏した後は領地を奪われ、斗南(となみ)藩(青森県東部)に移住させられ
あまりの寒さと飢えで亡くなった方が多かったといいます。

以前、柴五郎大佐の伝記を読んで
この時代の会津の方々のご苦労に驚いたことがあります。
学校の歴史では、あまり詳しく教えていないですね。
でも靖国の遊就館には、
戊辰戦争の犠牲者もお祀りしてあります。

また会津には、武士の子が十歳になったら必ず入る日新館という藩校があり
そこの少年教育はすばらしかったようです。
素読はもちろん、剣術、弓術、馬術、槍術、砲術、
なんとプールでの水練まであったそうです。
柴五郎大佐も日新館にあがる前、
近所の子弟と集団で学んだと書いてありました。


さて磐梯熱海駅から郡山と反対方面に快速で1時間ほど、
会津若松駅に着いたら、
なにやら大きなポスターが、あちらこちらに貼ってありました。

八重の桜とか。

あー、私も先生も、テレビを見ないので
まったく知らなかったのですけど(恥)
NHKの大河ドラマって、今年はここが舞台みたいっすね。
八重って誰?
知らな~い。
(コモンセンスの甚だしい欠如・・・)

しかしキャッチコピー「ならぬことはならぬものです」は、
「什の掟(じゅうのおきて)」からとった言葉ですよ。
『よみがえる 日新館童子訓』という冊子を買いましたので、
そこから引用しますね。

会津藩幼年者 什の掟

 これは藩校日新館に入学する前の遊び仲間(六才~九才)が毎日午後の集合遊びの前に話し合う自治的な定めで制裁もある。十才の日新館入学後の日新館童子訓による学校教育の前提となるもの。

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ。
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
三、嘘言を言ふことはなりませぬ。
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ。
六、戸外で物を食へてはなりませぬ。
七、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。


あーこの言葉が、多くの人の口の端にのぼり
日本人の意識を少しでも変えてくれるならいいですねえ。

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会津若松は、緑の深い美しい町でした。
戊辰戦争で焼け野原になった後に建てられた
明治風の洋館がたくさん残っています。
それらはおしゃれなレストランやアンティークショップになり。
格子窓の日本家屋は、造り酒屋や
手描きろうそくのお店として、そのまま使われています。

駅前は賑やかで、ビルやホテルが並んでいますが、
少し外れると、高いビルはほとんどありません。

ぶらぶら歩くと、入ってみたいお店が、あそこにも、ここにもあります。
田舎だと思っていたら、とんでもない!!
たまたま入ったイタリアンレストランでは
フォカッチャもコーヒーも、
大阪・北浜のパン屋さんよりもおいしいぐらいでした(^o^)

b0253075_1914978.jpg中心部をはずれると、広々と、
風が吹き渡ります。

乗り放題の周遊バス券をゲットして
急ぎ足で会津若松城(鶴が城)
会津武家屋敷
お薬園(おやくえん)
を見て回りました。


武家屋敷は、幕末の家老西郷頼母(たのも)の屋敷を忠実に再現したもので
なかなか見応えがありました。

でも私がいちばん気に入ったのは、お薬園。
会津藩主松平氏の別荘だったそうです。
蓮池もちょうど見頃で
お茶室に入ってお抹茶をいただきました。

こういう土地の暮らしこそ、「文化」といえるのではないでしょうか。
どこも同じような看板ばかりが並ぶたいがいの地方都市と、
ここは一線を画しているように感じました。

明治の廃藩置県の際に、若松ではなく福島を県庁所在地にしたのは
当時の明治政府(薩長)の嫌がらせだったそうですが、
b0253075_19161962.jpgおかげで会津若松には新幹線も通らず
美しいままで残ることができたのですね。

老後は私、こんな町に住みたいなあ~と
たぶん実現することはないでしょうけど、
漠然と思うほど、気に入ってしまったのでした(^^)

お城やお屋敷などを見て回って感じるのは
会津の人たちは、とても会津のことが好きで
会津に誇りをもっておられるのだなあということです。

維新のときに弾圧され冷遇されたので、
なんとしても名誉を回復しようとしたのでしょう。
西南戦争で抜刀隊として戦ったのは、かつての会津藩士たちですし、
柴五郎、山川健次郎、山本覚馬、野口英世、新島八重、大山捨松
など、郷土の英雄がほんとうにたくさんいるのです。

自分の国を愛する土台となるのは、
やっぱり教育なんですね~
んー自分の国を愛することを教えない日本の現状、
なんとかしなくては。。。

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by prem_ayako | 2013-07-19 16:37 | travel | Comments(0)

いもうとライフスタイル

今回のスピリチュアル・ワークは
直前の宣伝効果で参加者が増えて
ありがたいことに、ほぼ満員御礼状態でした♪

どのお部屋も4人ずつになったので、
私は「お姉さま方」のお部屋に入れていただきました。

「お姉さま方」というのは、
古くからアドラー心理学に関わっておられて、
有資格者向け講座やワークにはあまり来ておられない、
人生の先輩方です。

この「お姉さま」部屋が、私にはとても居心地よかったのです(^o^)

うん十年前の野田先生との出会いをお聞きするのも楽しかったし
アドラー心理学がどんなふうにその方の人生を変えたかのお話も
それぞれにすごいな~と感動しました。
また、その日のワークについて、
カウンセラーやリーダーなど供給者側の目線ではない
「素の」感想を伺えたのも、新鮮でした。

それと、なんていうかやっぱり私、
末子の位置が落ち着くんです~!


アドラーを学び始めたばかりの最初のころは
まわりはみ~んな先輩でした。
見るもの聞くもの新しいことばかりで
目を見開いて耳をダンボにして過ごしました。
楽しかった!
(ドーパミン脳です 笑)

ですがそのうちだんだん月日が経って・・・
ふと気がつけばカウンセラー資格をとってから、はや11年。
アドラーに出会ってからだと、もう23年?

11年前にいっしょに学んでいたお友だちの中で
今も熱心にワークに参加しておられる方は、
残念ですが、ほんとうに数えるほどです。
ワークや講座でしょっちゅうお会いする方たちは、
しだいに私より若い方、新しい方になってきました。

そうすると、私、どう振る舞っていいのやら・・・
私がお姉ちゃんをする方がいいのか
妹でいていいのかが、
わからなくなるんですわ。

賢いお兄ちゃんお姉ちゃんのお話を聞いてついて行くのが大好きな妹が
年をとって自分が「賢い」側にまわることを期待されちゃうと
(いや誰も期待なんかしていないかもしれんが)
ちょっと困ってしまうわけです。

ということは逆に、
教えたりお世話したりするのが大好きなお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、
年をとって人に助けてもらう側になったときに、
同じように困られるのかもしれませんね。。。


アドラー心理学の先輩という役割を求められたとき
つまり仕事のタスクのときには、私も
少し無理してでもお姉ちゃん役をやっているように思います。
(たとえばちょっとリードしなければいけないときの自助グループとか
カウンセラー仲間に何か尋ねられたときとかね)

だから、たぶん私は交友のタスクになると、
自分の立ち位置に迷ってしまうのだと
このたび、やっと気がつきました。

お姉さま方に混ぜていただくと
ごくごく自然に私は妹になって動いていますし、
お姉さま方も、それぞれに
いちばん上のお姉ちゃんとか、下のお姉ちゃんとかの役割を
とっておられます。
おもしろいですね!

妹の位置は、もう馴れたもので
お姉さま方にかわいがっていただくと
達成感、あります!(笑)
これが、私のもっとも落ち着く所属の形みたいですw

末子的なライフスタイルであることと
その場で求められていること(ライフタスク)とが、混乱していたのを
きちんと分離して使い分ければ
私はもっと割り切って、楽に過ごせるようになる気がします。

スピリチュアルとは関係のない小さな出来事でしたけど、
これは部屋割りのおかげの
おまけの収穫でした♪
お姉さま方、ありがとうございました~m(_ _)m
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by prem_ayako | 2013-07-19 01:11 | psychology | Comments(4)

タッピング

スピリチュアル・ワーク@福島に行ってきました。
会場は、郡山からバスで半時間ほど
猪苗代湖近くの磐梯熱海温泉です。
小さなホテルですが、お料理がおいしくて
特に、100%源泉掛け流しの温泉がとってもよかったですよ♪

ワークは、脳内物質のお話から始まりました。
めちゃくちゃかいつまんで言ってしまうと、
ワクワク感を生み出すのは、ドーパミン
イライラ感を生み出すのは、ノルアドレナリン
ゆったり感を生み出すのは、セロトニンだそうです。

仏教的には、
ドーパミンは貪欲
ノルアドレナリンは慎怒
セロトニン不足は邪見や無知と関わっています。

アドラー心理学的に言うと
物欲(ドーパミン)や怒りや不安(ノルアドレナリン)から抜けだして、
共同体感覚をもって協力的に生きるには、
セロトニンを増やす必要があります。

セロトニンを増やすためには、
瞑想や
軽い運動や
日光浴などがよいそうですが、
ひとつの方法として
タッピングを教えていただきました。

ふたりずつペアになって
背中や腕を軽~く軽~くタップ、タップ、タップ。
音楽に合わせてタップ、タップ、タップ。
何も考えず、軽く相手の体に触れるだけなのに
15分も続けていると、あら不思議
タップする方もされる方も、
すっかりセロトニン放出状態になりました。。。

小さいころ、寝る前に背中をとんとんしてもらいましたよね。
子どもたちが小さいときも、寝つくまで背中とんとんしましたね。
あれです、あれ。

やっていただくと
力の入っていた背筋が
溶けてぐにゃぐにゃになっていくw
委ねてしまうw
・・・という感じです。

私のタッピング前と後の絵をシェアしますね。
上下とも、左の絵はタッピング前、
右の絵はタッピング後に描いたものです。

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こんなふうに
閉じていたものが開き、
内にためていたものが外に出ていき、
ざわついていたものが静まり、
固まっていたものが溶けていきました~


私は主催者側ですので、自分は参加しないときもあって、
そんなときは、参加者のみなさんがタッピングしあっている様子を
部屋のすみから拝見していました。

される側は、気持ちよさそうに目を閉じておられます。
する側は、ペアの相手の人だけを感じて
無心に、ひたすらに、手を動かしておられます。
それは、とってもとっても美しい光景でした。

みなさんとても穏やかな表情をしておられて、
それを眺めていると
人は、人とふれあうために、近づくために、
生まれてきたのだな・・・と感じました。

何も特別の瞑想をしなくても、
明るい昼の光の中で
ただとんとんとんと叩いているだけで
こんなに美しく優しくなれるなんて・・・!


2日目の朝、会場に集まってこられた参加者の方々の
笑顔の美しかったこと・・・!
もう最終日かしら?と思うぐらい
とけ合って、仲良くなっておられました。

人はふれあって生きることが幸せなのですね。

お母さんは子どもさんに
夫婦はお互いに
ぜひ、タッピングをしてくださいませ。
円満の秘訣です~
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by prem_ayako | 2013-07-19 00:57 | psychology | Comments(0)

しゅくだい

チベット語の個人レッスンは、
だいたい2週に1回のペースで続いています。

当初、徹底的に発音を直されましたが、
だんだん指摘を受けることが少なくなってきました。
とはいっても、未だ未だ、まだまだですが・・・

今週末はスピリチュアル・ワークで福島へ、
来週末はガルチェン・リンポチェにお会いしに東京へ行きます。
なので今日のレッスンでは、
ガルチェン・リンポチェ長寿祈願文を教えていただきました。

わ~いわ~い
と楽しくお勉強していたら、

先生が「ひとつ宿題出していいですか?」とおっしゃいました。

「いいですか?」と聞かれたのだから、
「いやです」と言う選択肢もあったのかしら?

しかしコモンセンスにあふれている私は、
ここではいちおう「はい?」と答えました。

「この祈願文を覚えて、東京へ行ったら、
 ガルチェン・リンポチェの前で唱えてきてください」

えええええぇ~っ!
そ、そんなチャンスがあるのかしらっ
いやそんなことできませんっ

と抵抗しながら、あ、私、ヘンな動きしてるな、と感じまして
いやーうーほんとにするんですか?などとぶつぶつ言いながら
けっきょくは覚えることになりました。
(おばさんパワー全開ですな(^^;))
先生のほうは、ただ「いや、できますよ」とおっしゃるだけなんですが
こういう静かな圧力は強いですね。。。

どうも私、師に対する態度があまりよろしくないようでいけません。
こういうときに、素のわがままが出てしまうんですねえ。。。(>_<)

祈願文は、本当はものすごく長いのですけど、
よく唱えられているものは、4行×2スタンザです。
「2つ・・・は、多いですか?」
「うー、多いです!
 今回は1つだけにして、
 シンガポールへ行くときまでには、2つ覚えますっ」
・・・交渉してどうする。

「暗誦というのは、僕らもチベットでものすごくさせられて、
 いきなり本を閉じて、だ~っとみんな言っていくんです」
・・・それは存じていますけれどね、
年が違うでしょ?私を何才だと思っているんですか?
と言いたかったです。。。


しかしまぁ冷静に考えたら、4行ぐらい
1週間かけたら覚えられますわ。

暗記するのがいやなわけではなく、
それをリンポチェの前で唱えるというのが、
その緊張感が、いやなんですね、私。


仲良しのチベット仏教徒のお友だちは
私と違う派のリンポチェのお弟子さんになって修行しておられます。
そこのリンポチェは、なんと毎回、試験をなさるのだそうです。
教えをちゃんと理解しているかどうかを試験で確かめて、
合格したら次の段階に進まれるそうで、お友だちは
そういうきっちりとしたやり方が好きなのだそうです。

その話を聞いて、
あぁ、私のリンポチェは試験をなさらない方で良かった~
と心底、私は思ったのでした(^^;)
世の中には、試験があるからがんばれるという人と、
私のように、試験があると萎える人とがいるのですw


実は試験なんかじゃないのですから、緊張しなくてもいいのでした。
リンポチェにカタを献げるとき、
心からリンポチェの長寿をお祈りすることは、
大きな功徳になるでしょう。
それをチベット語で唱えれば
リンポチェも、きっと喜んでくださるでしょう。

先生、宿題を嫌がってすみませんでした m(_ _)m

福島への道中で、録音を聴きながら覚えるといたしましょう。
同室のみなさん、しょっちゅうぶつぶつ言っている
アヤシイ私を許してね。

ぱぁぺーゆーな・あーやでーわしぇ
どかむちょぉすー・がるぎりぃすーどぅ
じぃてんごんぽ・とぅせぇちょでぃんぱ
ぺでんがちぇんくつぇ・けぎゃるてん!!!
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by prem_ayako | 2013-07-12 00:42 | tibet | Comments(4)

ウイグル

6月末の水曜日の夕方、
クリニックから歩いて行けるほど近い会場で
世界ウイグル会議総裁ラビア・カーディルさんの講演会があったので
行ってきました。
(大阪の中心部に住んでいるメリットです)

日本の5都市でラビアさんの講演を企画したのは
ジャーナリストの有本香さんや
もと国会議員の長尾たかしさん等です。
長尾さんは、昨年、ダライ・ラマ法王が来日された際に
国会議員たちとの集会をセッティングした人です。

舞台には、日の丸と、水色の東トルキスタン国旗が並べて架けてあって
とっても美しかったです。
登壇のたびに、有本さん他の方々が
国旗に向かってきちんと一礼されるのが、また清々しかったです。

b0253075_0221028.png
ウイグルはチベットよりさらに10年前、
1949年に中共の支配下に置かれました。

私が小学校で世界地図を習ったときには、
すでに「新疆ウイグル自治区」と記載されていたと思います。

チベットは、まだその頃は「チベット」で、
小学生の私はひとつの国として認識していました。
私の生まれた年と、中共のチベット侵攻とはほぼ同時期でしたから
まだ地図に反映されていなかったのかもしれませんね。
(年がばれますね)

チベット人は、ご存知のように敬虔な仏教徒がほとんどですが、
ウイグル人はトルコ系で、ほとんどがイスラム教徒です。
無抵抗のチベット人に対してあれほど残虐な仕打ちをする中国共産党が
武器をとって戦う雄々しいイスラムの人々に対して
どれほどのことをするか・・・

少しさわりを聞いただけで、私は
晩ご飯を食べる意欲を完全に失いました。

人間が、人間に対して
なぜそんなに酷いことをできるのでしょうか?

b0253075_0241410.jpgラビア・カーディルさんは、ご高齢です。
もとは成功した資産家で、
中国内で重要なポストにおられたようですが
ウイグル人の雇用や教育に力を注いだため
政治犯として6年間投獄され、
資産をすべて没収されました。
アメリカに亡命されてからは、
世界でウイグルの現状を訴え続けておられます。

2人の息子さんは、今現在も、
中国共産党の牢獄に囚われておいでです。

この人がその肩に担っておられるのは、ご自分の家族ではなく、
全ウイグル人の未来です。
「ウイグルの母」とも呼ばれる彼女のスピーチは
聞く人を突き動かす力に満ちていました。


残念なことに私たちのお隣の国は、
ウイグルをわがものとし、チベットをわがものとし、
インドにもブータンにも手を伸ばし、
冷静に考えれば、次は日本にも同じことをするでしょう。

会場に集まった人々はその危機感をもっているので
日本が次のチベットやウイグルにならないよう
かの国の体制を一刻も早く崩壊させなければ!
という方向に話は進みました。

ラビアさんが日本に求めておられることも、
日本が経済力でもってかの国の言いなりにならないこと、
ウイグルのために力を貸してほしいということで、
中共打倒という点で、両方の目標は一致していました。

抑圧された人々からの、日本にかける期待は大きいです。
今、ウイグルやチベットを援助することは
とりもなおさず未来の日本を守ることになる。
というのが、生の声を聴いた人々の共通認識でした。


ですが私は、中共の崩壊が問題の解決になるとは思いません。

たしかに、ウイグルが独立して東トルキスタン国になれるかどうか、
チベットに法王がお帰りになって再び国として自立できるかどうかは、
中国共産党崩壊の混乱に乗じて・・・というのが現実的で、
おそらく唯一可能なシナリオだろうと思います。

一刻も早く・・・!
今この時も行われている前時代的な虐殺や拷問を止めるためには
そのシナリオに沿う以外ないのでしょうけれども。


今回の集会が整然と進行したのは、
ひとえにラビア・カーディルさんの迫力と
有本香さんのカリスマ性、
そして大きな日の丸や犠牲者たちのお写真などによるものだったと思います。

この日お行儀よく意見を言っているその同じ人も
時と場合によっては、どれほどの凶暴さをむき出しにするか。
主催者側に、その場を治める能力がないと
あるいは、節度を守り合おうという場の設定が不十分だと、
人間はいとも簡単に、たて関係に陥り、闘争するものであると、
残念ですが、こと政治が関わってくるとそうなる可能性が高い、と
私は考えています。

底知れない人間の愚かさ。。。
国の体制が変わっても
人間の欲が同じだけあるならば
また同じような事を
今度はまた別の所で繰り返すでしょう。

それでも、少しでもましになるように
何かをしなければなりません。


政治家のどなたかが、「私たちは連帯して、手をたずさえて行きましょう!」と
スローガンのように言っておられました。
それ自体はたいへん空疎な言葉だと思いますが、
ふと、去年の夏に訪れた、バルトの国々のことを思い出しました。

エストニア、ラトビア、リトアニアの人々は
ソ連邦崩壊前の1989年、200万もの人々が手をつなぎ、
600キロにおよぶ人間の鎖を作って世界にアピールしました。
その後も血は流れましたが、苦難を乗り越え、
1990年~91年に、あいついでソ連からの独立を勝ちとりました。



人間には、そのような力もあるのです。。。

バルト3国は、ヨーロッパの支持を得てソ連から独立しました。
ではウイグルは?チベットは?
アジアの人々の中国からの独立を支持するのは、
日本人の役目ではないでしょうか??

細かい意見の違いには、とりあえずはこだわらず、
喘いでいる人々のために
ひとりでも多くの人間が手をつなぐこと。
そのためには、まず、そこで一体何が起こっているのか
ひとりでも多くの人に知らせること。

私にできることが
小さいけれどもありました。
絶望している時間はありません。


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by prem_ayako | 2013-07-04 00:34 | tibet | Comments(1)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako