アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

カテゴリ:tibet( 74 )

動きだした

この夏は、ICASSIをパスすることにしました。
チベットと
アドラー心理学と
それだけに染まる夏になりそうです。

本当はガルチェン・リンポチェにお会いするために
アメリカでもインドでもロシアでも、
どこまででも追っかけしたいところなのですが、
こちらの仕事の都合もありますので、なかなかチャンスがありませんでした。

そのうち、同じディクン・カギュ派の別の高僧の方が
6月に来日されることが分かりました。
般若心経の解説と灌頂をしてくださるということなので
ちょっと迷ったのですが、参加することにしました。
2週連続で、行きは夜行バス(うわさのVIPライナー)、
昼までご法話をお聴きして、新幹線で帰ります。
(翌日は死んでいるかも・・・)

それから前の記事に書いたように、
ディクン・カギュ派のチベット語の先生との、ご縁ができました。

なんだか、この頃から
停滞していた物事が、急に動き始めたような気がするのです。

たぶん私たち凡夫には見えないところで
さまざまな因と縁とが
パズルのように組み合わさっているのでしょうね。。。

一歩、新しい出会いに向かって
自分が動いたことによって
ガタリ、と大きな車輪が回ったことを感じます。


新しいチベット語の先生との2度目のレッスン日、
ガルチェン・リンポチェの8月末のスケジュールが判明しました。
シンガポールに1週間ほど滞在なさるようです。
カウンセラー養成講座の翌週なので、タイミングはばっちりです!
シンガポールなら英語の通訳がついてくれるでしょう。

わーい、リンポチェと、この夏にお会いできますv(^o^)v
ICASSIを申し込まずに
情報を待っていた甲斐がありました。


それが先週の木曜日のことでした。

4日後の月曜日、
夏に新しいワークとケースセミナーをするぞ!と
急に大きなJ先生が言い始められました。

・・・火曜日、
私は速やかに会場を押さえ
朝令暮改のJ先生の要求を満たしました。。。。。

これで終わりかと思いきや、

水曜日の朝、今度は
「ガルチェン・リンポチェ急遽来日決定!」
というニュースが流れてきたのですっ

おおっ一度は来られないと確定していたようでしたが
変更になったのですね。
(いかにもチベット・・・)
でも、こちとら朝令暮改には慣れておるのです。
何の文句もございません!

もちろん、
お会いしに参ります。


というわけで
6月の週末は
今週は、京都へ公開カウンセリングを見に行って
次の週は東京へチベット仏教のお勉強
その次の週ももう一度東京でお勉強
最後の週は岐阜へ公開カウンセリングを見に行きます。

7月は
第2週が福島でスピリチュアル・ワーク
第3週は東京でガルチェン・リンポチェにお会いして♪♪♪
第4週は大阪で「教師のためのアドラー心理学」を開催します。

8月になると
第1週はまた大阪で「ケースセミナー」
お盆をはさんで、第3週、第4週は「カウンセラー養成講座」
そのあと、すぐにシンガポールへ飛んで
ガルチェン・リンポチェにお会いするのです!

こんなタイトな夏のスケジュールが完成しました。
いいでしょぉ(←違うか)

この上にアドラー心理学の自助グループ2つ、
チベット語のグループレッスン、個人レッスン、
全て穴を空けないように継続していくつもりですから、
体調管理を万全にしなくてはね。

きっと大丈夫。
流れが向いているので。
と、また根拠なく楽観しています。

さぁてこうなると
それなりの洋服やお化粧品が要りますから(日焼け止めとかねっ)
いろいろと揃えていかなくっちゃ♪ (←それか)
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by prem_ayako | 2013-06-07 00:53 | tibet | Comments(3)
タンカ絵師の先生のもと、
チベット語のグループレッスンはとても楽しく続いております。
最近では、女4人、お昼ごはんを持ち寄って食べたり
レッスンの合間にみんなでお散歩に出たりしています♪
直前は予習で忙しいけれど、
レッスン自体は、すっかりくつろいで過ごせるようになりました。

ところが、今日から私は、
またまた別の先生の
チベット語のレッスンを受けることになりました。

いやー、
新しいことを始める際のストレスを
また味わうことになってしまったのでした~(>_<)

なんでこうなったかというと・・・

私が師とあおぐガルチェン・リンポチェというお方は
チベット仏教の中でも少数派の
ディクン・カギュ派の系統にいらっしゃいます。
この派のお寺、あるいはセンターのようなものは
日本にはまだありません。

チベット仏教全般は
ゲルク派の「ポタラ・カレッジ」という
ダライ・ラマ猊下公認のセンターで学ぶことができますが、
毎日のお勤めのやり方は、派によって少しずつ違うようなのです。

どうでもいいといえばいいようなことですけど
私は、できれば、私のリンポチェのなさるのと同じやり方で
毎日の礼拝をしたいと思うのです。。。

どうやったらそれが学べるのか?
なかば諦めていたのですが

縁あって、あるチベット語の先生のことを知りました。
彼は、なんと、インドにて
ディクン・カギュ派の得度を受けたお坊さんでいらっしゃるのです!
この方に習わずしてどうしますか?!

ってことで、連絡をとって、お願いして、
特別にディクン・カギュ派の常用儀規を
個人的にお教えいただくことになりました!


今日は、待ちに待った第1回目のレッスン日♪
いつものグループレッスンの調子で気軽に行きました。

・・・・・

今までは、たどたどしくてもいいから
お経の意味をとれるようになればいい、ということで
1年半勉強してきました。
・・・が、
新しい先生は、発音にとてもとても造詣の深い方なのです。

最初にこんなお話をされました。

「有名なあるリンポチェが、いつも僧たちに厳しくおっしゃっていたのは、『真言は一文字たりとも間違えてはならない!』ということでした」
「でも在家に関しては、こんな話があります。ダライ・ラマ何世かの治世、とても熱心に真言をお唱えしているお婆さんの頭上に、聖なる日傘が現れました。でもそのお婆さんは真言を間違えていました。ラマが真言の間違いを正すと、お婆さんの頭上の日傘は消えてしまいました。真言にとらわれてしまうのはいけなくて、信仰が大切だ、ということです」

・・・とりあえず私としましては、
「できるだけがんばります」と言うしかありません~(^^;)

そして、私の発音は
徹底的に直されました(T_T)

チベット語、ひとつひとつの発音も
日本語にない音はむずかしいのですが、
特に、ひとまとまりの単語になったときの音の高低など、
初めて知ることばかり!

1音節目がどうであれ、2音節目は高くなるだとか、
ある前置字がつくと3列目の音は無気音になるだとか
え~そんな規則があったんですかぁ!
と驚いてばかりでした。

男の先生って、決して妥協してくれないのですよね~
3回くり返すお唱えだったら
ちゃんと3回くり返して唱えさせられて、
しかもそのたんび、同じ箇所で読み方を直されます。
そんなにすぐに直らないよぉ~と思うのですが、
正直に、「うーん」と不満を表現してくださいますので、
たいへん困ります・・・

先生から見れば
変な発音でお唱えしても意味はないのでしょう。
ディクン・カギュの礼拝の仕方を教えてくださいってお願いしたのですから
そこには当然、発音の矯正も含まれる、というわけです。

「あやこラ(=さん)の発音の弱いところは~~」と、一生懸命
いろんな説明で教えてくださるのですけど
それでもなかなかうまく出来ない自分がもどかしいです。
あぁ~たいへんだ orz

この次は録音させていただいて、家でみっちり聞き直そうかな。
この先生にしばらくついて学ぶからには
なんとか苦手を克服する以外、許してくれなさそうなので
(許してくれるのだったら、私の性格だと克服しないままで済ませます)
だったら、早い目にクリアできるよう
がんばるしかないみたいですw

まったくねえ、なんの因果で
こんな次々課題がやってくるのかしらん?

・・・あ。自分で求めてるのか(>_<)

まぁ、いいチャンスではあります。
がんばります!
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by prem_ayako | 2013-05-19 22:52 | tibet | Comments(2)

龍蔵院巡礼

タンカ絵師であるチベット語の先生のお供をして
広島にある龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院に行ってきました。
日本で唯一の、正式のチベット仏教の僧院です。

(他にチベット寺院だと称しているお寺がありますが
中国共産党公認だったりするので、ご注意を)

広島駅からタクシーで約10分。
さらに山へ向かって小道を登ったところにある
高野山真言宗牛田山龍蔵院
そこに、インドの再建デプン寺ゴマン学堂から派遣された
3人のチベットのお坊さまが住んでおられます。

前から一度訪れたいと思っていたところ、
先生が描きあげたタンカ(仏画)を持って行かれると聞いたので
急遽、便乗させていただくことにしたのです。
せめて私は荷物持ちを・・・と思い
美しいターラー菩薩さまの絵を運ばせていただきました♪

b0253075_081568.jpg


五色のタルチョがチベット世界への境界・・・
特にチベット風のお寺が建っているわけではなく、
ただ山の上の古いお堂と小さな庵を使っておられるのです。。。

がらがらと和風の引き戸を開けると
えんじ色の衣を召したお坊さま方が迎えてくださいました。

あとでホームページで確認して、私がお会いしたのは、
赤いフリースのパーカーを着ておられたのはゲンギャウ師
(インド・ザンスカール生まれ)
えんじ色Tシャツの上にえんじ色ジャージをはおっておられたのはアポさん
(チベット・カムのリタン生まれ)、そして
ひとり白の毛糸の帽子を被ってなぜか竹とんぼをもてあそんで
ほとんどお話に入られなかった方はゲンチャンパ師
だったと分かりました。
(おぉ、なんて視覚型の覚え方)

まずは本堂にお参りさせていただきました。
日本建築ですが、飾り付けや仏さま方は、みなチベタンです。
中央に釈迦牟尼仏、まわりに剣を振り上げた文殊菩薩や四手の観音菩薩。
バター灯明も並べ灯されて
写真や映像で見るチベット寺院の壮大さに比べればとてもつつましやかですが
本物のチベットのお堂に詣らせていただけて、嬉しかったですw

お坊さま方が生活しておられるのも、ほんとうにつつましい庵です。
玄関を開けてすぐの和室の壁には
最近の法王のお写真や、お若いころのお写真、
ここを創られたケンスル・リンポチェ(昨年ご遷化)のお写真、
法王とケンスル・リンポチェのツーショットなどが
ところせましと飾られていました。

畳の上にはホットカーペット。
その上に和机がふたつ。
お茶やお下がりのお菓子や本やめがね。
壁のホワイトボードの予定表には
ひらがなで「そうじ」「16じ ほうよう」などと書いてありました。
生活感、あふれてます(^^)

となりの台所でお湯をわかし
ゲンギャウさん自ら、大きなやかんからチャイをふるまってくださいました。


タンカ絵師である私のチベット語の先生は
ダラムサラに9年も住んでおられたので
チベット人と見紛うばかりにチベット語ぺらぺらです。
ゲンギャウさんもアポさんも楽しそうに
チベット語でぺらぺらぺら・・・。

日本語も少しはお分かりになるようなので
私も、「タシデレ(=こんにちは)」ぐらい言えばよかったのですが
なんかもう日本語で「こんにちは」とご挨拶をしたあとは、
チンと座ってみなさんの会話を聞いておりました。
久しぶりに末子的立場で
大人たちの会話を目を丸くして聞く子どもになっていました(^^)

さて本来の目的、
ターラー菩薩の開眼供養をしていただくときは、
ゲンギャウさん、僧服に着替えてこられました。

とたんに、放たれるエネルギーが
変わりました。

開眼のお経を読まれながら
お米をぱらぱらと額装のガラスの上に撒かれると
途中から、ターラー様の美しいお顔が
生き生きと表情をもって微笑まれたように感じました。

b0253075_01712100.jpg
命が吹き込まれた・・・

私の妄想かもしれませんが
そんなふうに見えました。


それが終わると
またゲンギャウさん、もとの赤のフリース姿に戻り(笑)
お茶を飲みながら
ゆる~い時間を過ごしました。

ゲンギャウさんが5月から赴任される故郷ザンスカールの僧院のこと、
アポさんの故郷カム、リタンのこと、
先生が昨夏に本土、ラサに行かれたときのこと、
共通のダラムサラのお知り合いのこと、
お経についてのちょっとした質問、など
あれやこれやあれやこれや

もちろん、私には全くわかりません。
ちんぷんかんぷんです。
(それにしては話題はある程度つかめていたから
 やっぱり少しは単語を拾っていたのかな?)

先生にお願いすれば通訳していただけたのですが
私が加わって何か言うような話ではなかったし
それよりも、チベット語の抑揚を味わったり
内容によって変化するお坊さま方の表情を見ているのが楽しくて、
じゅうぶん満足でした。

楽しそうにおしゃべりしておられるみなさんを見ているのが
楽しかったのです~

時に、とても不思議な気持ちになりました。
ここにいるのは
インド生まれの仏教博士と
20年前にヒマラヤを越えて亡命した若い僧侶と
チベットに出会いチベットの仏さまを描く職業を選んだ日本女性と
そして、まったく言葉を解していないこの私です。
なぜか日本の広島のひとつの小部屋で
座っていっしょにチャイを飲んでいるのは
なんだか奇跡のようだと思いませんか・・・?

さらに不思議なことに、
このとき私は言葉が分からないことについて全くストレスがなく、
話題によって、波のように、彼らの感情がはなやいだり静まったり
彼らの思いが雲のようにたゆたったりするのを
言葉を介さずに、ただ感じていました。

時に、ふと声のトーンが下がり
「そうだね・・・」「ああ、まったくね・・・」と
誰もが無口になり考え込む瞬間があったり。。。
あるいは、ふと私にほほえみかけ
お茶やお菓子を大きな手を振ってすすめてくださったり。

相手の言っていることを理解しなくては、とか
ちゃんとわかって上手に反応しなくては、とか
緊張したり焦ったりする気持ちが全くなくなっていて、
それがとても心地よく、楽でした。


b0253075_024156.jpg2時間ほどそうやって時を過ごしてから
ゆるゆると腰を上げ、
またターラーさまの額を抱えて先生と帰ってきました。

いい時間でした。
また行きたいな。

ゲンギャウさんとの写真を撮っていただきました。
それが今生であるかどうかは別として
またお会いできますように・・・!
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by prem_ayako | 2013-04-24 00:37 | tibet | Comments(0)

Shapaley

TwitterとかFacebookとかでチベット関係を追っかけていると
自然といろんな情報が入ってきます。

そんな中、私の最近のお気に入りはシャパレくん。
彼の動画は偶然見つけました。



この "Tsampa" という曲、
最初見たときは、赤い tsampa bag に目が釘付けでした(笑)

ツァンパというのは、裸麦とか大麦の粉です。
Wikipediaによると

チベット人の主食で、日に3回ほど食べる。年間を通じて食べられる保存食でもある。遊牧生活をしているチベット人は、粉にしたものをヒツジの皮袋に入れて保存、携行している。日本のはったい粉(麦焦がし)とほぼ同じものであるが、調味の方法が異なる。 ジャ(チベット語でバター茶のこと)、または、湯とヤクバター (英語: Yak butter)を加えて練り、粘土状にしてから食べる。水分、ヤクバターの配合比率が適切であれば、器の中できれいにまとまるが、多すぎたり、少なすぎたりすると、べたべたするか、ばらばらのままとなるので、慣れない者は、徐々に水分を足してゆくと良い。

だそうで~。
「慣れない者は○○してゆくと良い」って
いったいどういう読者を想定しているんでしょうね。。。

車はいらないよ。仕事に行くときはヤクに乗るから。
  I don't need a car.
  When I go to work, I ride my yak!
時間に間に合うことなんて不可能さ。
だって僕は草原の遊牧民、ツァンパ・イーターなんだから!
  But it's also why I'm often late
  and sometimes it's even impossible to be on time.
  Listen, I'm a nomade from the grassland,
  a son of the land of snow, a tsampa eater!

なんてあたりが超おかしいです(^o^)

後半の歌詞はぐっときます。
  I am a tsampa eater from Tibet.
  I am a child of the land of snow.
  If you are from Tibet, shout it out loud:
  Tsampa eater, tsampa-tsampa eater.

  Even though we have a long way to go
  let's walk with our heads high
  Even if the sky is dark
  behind the clouds the sun still....

シャパレくんは、いつも優しくさりげなく、
彼のアイデンティティを歌い
そして仲間たちに呼びかけます。

個人的に、↑これは名曲だと思うなあ。


そして最近見つけたのがこの動画 "Made in Tibet"



補正項に歌詞とともに紹介されましたので
ご覧になった方は多いと思いますが
私は、歌詞よりも(もちろん歌詞も良いですが)
途中何度も挿入される
合掌する人々の姿にぐぐっ!ときてしまうのです。

おだやかな笑顔と
合掌する姿。
なんて美しいんだろう
と思います。

なんだかDNAを揺さぶられるような気がするのです。
東洋人だからかな
仏教徒だからかな
視覚型だからかな。

この人々の姿そのものが
仏教用語で言うところの智慧と慈悲、
アドラー心理学用語で言うところの共同体感覚を
体現しているような気がして、感動してしまうのです。

特に3分2秒~3秒のおじさんが好き❤
私もこんなふうに美しく合掌したいものだと
鏡の前で真似しちゃったりしました(^_^;)
(激しく視覚型です)

b0253075_1853599.jpgシャパレくんも、なかなか格好いいですよね。
どうやらハーフで、
スイスとかオーストリアで活動しているらしいです。
最近、ダラムサラのステージで
チュパ(チベットの服)を着た写真がありました。
かわいい♪

彼が売れてブームになって
世界の耳目が
もっとチベットに集まればいいなあ。
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by prem_ayako | 2013-02-23 18:21 | tibet | Comments(2)
先日、チベットのお正月(ロサ)の直前に
お友だちと勉強してきたチベット語テキスト(チベット語文語文法)が
全課程修了しました!

いやめでたい
チベット人は、1冊本を読み終わったら、
知り合いを呼んでパーティーをするのだそうですが
ほんとにそんな気分ですよ(^o^)

b0253075_21492324.jpgこの日のレッスンは先生のご都合で、
私の家ではなく
京都のお友だちのお家でさせていただきました。

すごく寒い日で、大阪は晴れていたのに
出町柳で地上に出ると雪景色。
私はすっかり旅行気分です♪

出町柳で、叡山電鉄という
1両きりの電車に乗り込みました。
乗ってみて思い出しましたが
今までの人生で、たぶん3回、この線に乗ったことがあります。
20代と、30代と、40代に、1回ぐらいずつ
鞍馬や貴船へ行くときに使いました。

・・・ということを思い出したのは、私の場合、外の景色を覚えていたからです。
つまり、車窓から見える風景の感じが、
そうひどくは変化してなかったってことですね。
京都、偉大!

b0253075_2322440.jpgお友だちにいただいた詳細な地図を頼りに
小雪の舞う中を10分ほど歩いて
あたたかいお家に到着しました。
ダウン、ブーツ、帽子、手袋の装備をといて
さぁお勉強。

いつもそうなのですけど
チベット語のレッスンは特に
最初はりきって始めても、お昼を過ぎると、
「分かっていたはずのことが分からなくなる」魔の時間帯が(笑)
みんなの上に訪れます。

細かい字が読みにくくなるぅ~(T_T)
日本語を聞いてもついていけなくなるぅ~(>_<)

この日は「レッスン14」から始めましたが
例文が難しくてなかなか前に進みません。

たった1個の助詞や助動詞の使い方を説明するために
「般若心経」「入中論」「ラムリム」などのおそろしく難解な文章を
3,4行にもわたって引用してある・・・なんてことがざらなので
日本語で読んでもわけわかりません!
自分ひとりだったら、
ぜぇったいに、読めなかった(=読まなかった)と確信しております。

私たち生徒の空気を読んでか読まずか
先生は、
この日のうちに最後まで終わる!と固く決心しておられたようで(^^;)

「え~やるんですかあ」の雰囲気をものともせず、どんどん進まれて
なんとか夕方までに、最終章の「レッスン17」までやりとげました!
ぜえぜえぜえ。

いっしょに学んでくださった
先生と、同道のお友だちに、心の底から感謝です!

インターネットからダウンロードしたこのテキスト
めちゃくちゃ難しかったですが、
めちゃくちゃ無理して読んだおかげで
いくつもの素敵な偈頌(詩の形になった教え)に出会うこともできました。

書き留めて覚えておきたい宝のような言葉・・・

ただ、私の書くチベット文字は、きれいに揃っていなくて、
まあ言ったら、小学生のように幼稚な字です Orz
お習字して美しく書けるようになりたいものです。
それともいっそ、チベット語の入力プログラムを買ってしまおうかな、などと
真剣に考えているところです。
・・・ここまでくると、かなりのオタクですね。。。


さぁてこれからも、このお仲間たちと
チベット語で仏教関連のものを読むお勉強が続きます。
次は何を読もうかな♪
とってもとっても楽しみです~~(^o^)

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by prem_ayako | 2013-02-14 21:51 | tibet | Comments(0)

『チベットの秘密』

だいぶ前に手に入れた
ツェリン・オーセル/王力雄 著 劉燕子 訳
『チベットの秘密』をようやく読み終わりました。

オーセルさんの詩、
オーセルさんのエッセイ、に続いて
王さん(オーセルさんの夫)の論文、
そして最後に劉さんによるツェリン・オーセル文学論
というちょっと変わった構成です。

第3部の論文「チベット独立へのロードマップ」
になかなか手がつけられなくて
それで読み終わるのに時間がかかっていたのでした。
政治関係苦手なもんで・・・(^^;)
実際読んでみたら、けっこうおもしろかったけど。。。


オーセルさんの詩やエッセイについては、
野田先生が2日にわたって詳しく補正項に書いてくださっていますので
付け加えて申し上げることはほとんどないのですが

ひとつ、泣けてしかたがない詩篇とエピソードがありましたので
それだけシェアしたいと思います。

「私は俗世では生長しない花を抱く
 枯れ萎む前に急ごう
 目に熱い涙をたたえながら、急いで行こう
 一人のえんじ色のご老人に捧げるためだけに
 一すじのほほえみが、世々代々を
 一つに結ぶ」

「えんじ色の僧服をまとったご老人、
 私たちのエシェ・ノルブ(宝物)、
 私たちのクンドゥン、私たちのコンサ・チョク(偉大な法王様)
 私たちのギェルワ・リンポチェ(ダライ・ラマの尊称)」

多くのチベット人は、このえんじ色のご老人にお会いして
お説教を聴き、加持を受けることを渇望しています。
それはもう心から、何十年も待ち焦がれています。
でも、それができません。
申請してもパスポートを入手できないからです。

(仮に運良く正規のパスポートが入手できたとしても、
えんじ色のご老人にお会いするには相当の覚悟が必要です。
たとえば昨年のお正月、
インドのブッダガヤで法王のカーラチャクラ灌頂を受けるため出国したチベット人の多くは
帰りの国境で、なけなしの持ち物、法具、お土産、すべてを奪われ、
ひどい場合にはそのまま連行されました。
当局の気にいらないことをあえてすればどんな目に遭うか。
あとで見せしめにするのは、あの国ではよくあるやり方のようです。)

このことを考えると、
ダライ・ラマ法王が日本を頻繁に訪れてくださること、
日本が猊下の来日を許可していること
(アジアのほとんどの国は猊下へのビザを発行しません)、
お話を直接お聞きする機会をもてることが
どんなに貴重で稀なことか。
ありがたく、また申し訳なく感じます。

でも、ある日、オーセルさんは、猊下にお会いすることができました。
インターネットを通じて!

2011年1月4日、インターネットのビデオチャットを使って
北京にいる、人権問題に取り組む弁護士2人と王力雄と
ダラムサラにおられる法王との対話が実現したのです。

オーセルさんは、北京の自宅で、
夫の王さんの後ろに張りつくようにして、
一語一語に耳を傾けていたといいます。

「私は涙があふれるばかりでした。チベット人のやり方で頭を三度床につけ、祈祷の言葉を口ずさみながら、両手でカタを捧げ持ち、パソコンの前でひざまずきました。涙目のぼんやりした視界の中で、尊者がはるばると両手を伸ばしてカタを受け入れ、さらに、私に加持祈祷をしてくださったかのように見えました。言葉では言い表せない深い感動を覚えました・・・」


チベット人の精神性の高さは
宗教によるものです。
そして宗教を持たなければ、
b0253075_14145445.jpg人は人に限りなく残酷になってしまう。
中共のやり方を知れば知るほど
悲しいことですが、つくづく感じざるをえないのです。

この本はできるだけ多くの人に読んでいただき
どのようなことが現在チベットで進行しているか
知っていただきたいと思います。
知ることが必要だと思います。
・・・心は暗くなりますが。
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by prem_ayako | 2013-01-15 14:18 | tibet | Comments(1)

不殺生

スピリチュアル・ワーク@光では、もうひとつ
大きな学びがありました。

今回いただいたテキストの「教典」の部には
チベットのガンポパ尊者の『解脱の宝飾』から引用して
十の悪業道が並べてありました。

・身業は殺生・偸盗・邪淫の三つ、
・口業は妄語・両舌・悪口・綺語の四つ、
・意業は貪欲・瞋意・邪見の三つです。

ねえ、これを読んで、
意業については犯さないようにするのはとても難しいことだけれど
口業については気をつけておればなんとか犯さないでおれるのではないか、
そして身業については、
私には関係ないことだわ、私はこんな恐ろしい罪は犯さないもの。
と思われませんでしたか?

それがそうでもないのですよ。。。

仏教に一切有情という言葉がありまして
「心のある生きとし生けるものすべて」という意味です。
ですから一切有情には、地獄で苦しんでいる生き物も
私たちの目に見えない餓鬼も
動物も虫ももちろん人間も、すべて含まれています。

一切有情が輪廻から解放されるように
自分が菩提心を起こしましょう、というのが大乗仏教徒の願いです。

一切有情を殺してはなりません。

で。
アリなんです。

今回のお宿はお料理よし、温泉よし、お部屋よし、スタッフの対応よし。
会場は、海に面した広い会議室に畳を入れていただきました。
置き畳なので、上で暴れると多少ずれますよ、と注意を受けていましたが
アスミじゃないので大丈夫。
そう、畳がずれるのは、たいした問題ではなかったのです。

参加者のみなさんが各地のおみやげを持ってきてくださったので
今回はいつも以上にお菓子がたくさんありました。
あらかじめこちらで用意したおやつの袋を開けなくても
初日は十分すぎるぐらい、おいしいおやつが並びました。

いつものように、会場のすみっこにテーブルを並べて
湯茶の用意と、おやつ類、ゴミ袋などをセットしました。

始まってすぐに畳の上を小さな小さなアリさんが歩いているのを見かけましたが
ほんの1,2匹のように思いました。。。

お菓子があるのは、座卓ではなくて足の高いテーブルですが
夕方頃には、斥候のアリさんが場所をかぎつけたようでした。。。

これは少しまずいかもと思い、
夜のセッション終了時にはお菓子類をすべて箱に片づけ、
さらにビニール袋に入れて口をしばって
アリが入らないようにしました。

でも私は気になって気になって・・・
今まで何度も合宿ワークをやってきましたが、
こんなにアリが出たのは初めてです。
夜の間はいったん退却するでしょうが
朝になってお菓子を出したら、また現れるでしょう。

主催者側の責任として
こんなにアリのいる環境でセッションを続けるのは参加者に申し訳ない、
なんとかしなければ、と思いました。
これはアドラー心理学の合宿における共通感覚であり、
共同体感覚でもあるのではないかと思いました。

施設に言って駆除していただくか?
そうすると殺生を犯すことになります。
仏教の共通感覚では、これは十悪業の第一番目です。
たとえ一寸もないアリでも、殺生は殺生です。
部屋を移動させていただくとしても、
理由を言えば、いずれにしても殺生は行われるでしょう。


そこまで考えて、翌朝、先生に
「施設の人に言った方がいいでしょうか?」とご相談しました。
先生は「そう?僕は全然気にならないけど」とおっしゃって、
これはみんなにとって、とてもよい学びになっているのだと
セッションの中でもお話しされました。
「そんなことしたら大量虐殺でしょう。
それをあなたが引き受けるのなら言ってもいいけど」

そして私たちは、アリさんと共存する道を選びました。

祭壇のお供えものにも
アリさんが道をつけて登っていきます。
お供えの水の中にも、アリさんはダイブしています。
水は甘露に変わっていたのでしょうか?

お菓子のテーブルの上はアリさんたちの饗宴です。
個包装のお菓子の中には入らないので、
みんな、外側のアリを手で払って、気をつけて食べました。

個包装だから大丈夫というわけでもなくて、
隙間があるらしいきなこ味のお菓子には、アリさんが集中しました。

アリさんは道をつけてその上を歩くので、畳の上にはあまりいません。
でも瞑想していると、たまに首や手に何かを感じるのです。
そっとさわると、指にアリがつきました。
ほんの2,3mmなので、すぐにつぶれてしまいます。
4日間で2匹ほど、私はそうやって殺してしまいました。
おんまにぺめふん!

夜は、さらに厳重にお菓子を片づけて、
申し訳ないけれどきなこ味のお菓子の箱と
それについたアリさんたちにはそのままゴミ袋に入ってもらい
(おみやげを持ってきてくださった方、ごめんなさい!)
あちこちに置いてある紙コップも集めて捨てて
ゴミ袋の口を固くしばって、部屋の外に出しました。

直接には手をくだしていないけれど、
ゴミ袋に入ったアリさんたちは、いずれ死ぬでしょう。
まあ、どこにいても、私たちも、いずれ死ぬのですけれど。
おんまにぺめふん。
部屋に帰って、罪ほろぼしに金剛薩埵の百字真言を21回唱えました・・・


3日目になると、私を含めてみんなもう慣れたのか
あまり気にならなくなりました。
前の記事に書いたように、
みんな上手にシャマタに入れるようになっていったのです。

アリさんと共存なんて、今までの自分では考えられないことなのですけど・・・
考えたらチベットの僧院や修行の洞窟には
アリどころか、もっと恐ろしい虫さんがたくさん歩いていることでしょう。
チベットの草原にだって
チョウチョがいれば、アリもミミズもいるでしょう。

ほんとうに一切有情と共存するとは、どういうことなのか。
現実には、不快なことだって起こるのです。
快適に空調をかけておやつも用意して瞑想?
・・・
アリさんは、観音菩薩さまからのプレゼントだったのかもしれません。
(ああ、これが椿大神社のときのようなヒルさんや
羽のはえた茶色い大きな虫さんでなくてよかったあ~)


それにしても、私はお金を払って来ておられる参加者の方々に申し訳なくて
先生の許可を得て、
買ってきたお菓子をすべて持って帰っていただくことにしました。
3日目の夕方に、袋のまま、開けずにそのまま分け合っていただきました。
あっという間になくなりましたよ(^^)
最後の夜ですから、お部屋で食べていただけたんじゃないかしら。


b0253075_2332159.jpg4日目、もうアリさんはほとんどいません。
あの子たちはどこから来たんでしょう。
畳についてきたのだとか
壁紙の中に巣があるとか諸説ありましたが
確認した者はいません。

祭壇のお供えを片づけてしまうと
まるでアリなんてどこにもいなかったかように
きれいなお部屋になりました。
こうして施設の方には何も知られないまま
アリさんたちは無事に冬を越すのでしょう。

それとも、あれはほんとうは幻だったのかもしれません。
おんまにぺめふん!
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by prem_ayako | 2012-12-30 23:33 | tibet | Comments(2)
年末21日から24日まで、山口県光市に行っておりました。
スピリチュアル・ワーク@光、
全室オーシャンビューです!(そこか?)

いえ、でもロケーションは大事だと思います。
せっかく海のそばの施設に泊まるなら
ワークの会場も
(寝るだけだけど)お部屋も
お風呂も
海が見えててほしいですもん(視覚型のこだわり)

b0253075_22515893.jpg


全国各地から20名ほど集まり
3泊4日、ひたすら「オン・アー・フーム」と瞑想していました。
アスミのように跳んだり跳ねたりがなく、
歌やダンスや旋回もなく、
ひたすら座って瞑想しました。


瞑想って外から見たら中で何が起こっているか全くわかりません。
でも実は、じっと座っていても
はげしく体育会系のトレーニングなのだということが
今回よ~~く分かりました。

自分を律するというか、
自分の怠け心に負けないというか
軟弱者の私には大きな学びがあったのです。


今回、ルン(風・気)を動かす瞑想法にじっくり取り組みました。
慣れるまでは、なかなかたいへんです。
なんでもそうでしょうが、最初はうまくいきません。

あれ?息が続かない、こうかな?ああかな?うぅん、うまくいかない。
あ、今うまくいったぞ。よしこの感じかな?いや違うな、やっぱりだめだ。
ではこうしてみたらどうか、うまくいったぞ。

・・・なんてことを微動だにせず半跏趺坐のまま(笑)
内部でいろいろ工夫しておりました。
(参加していない方には何のことかちっとも分かりませんねm(_ _)m)

こんなこと考えて工夫している間は、もちろん瞑想になっていませんから
サマーディも何もあったものじゃなくて
ちっとも感じよくありません(>_<)
要するに、なかなかうっとりの境地に達しないのです!
でも、最初にルンの動かし方を覚えるのが、今回のテーマです。
う~めんどくせぇ=

他人にはどうせばれないし
何もかも放り出して
寝てしまおうと思えば、寝てしまうこともできます。
いい加減で済ませて、
中途半端でもよしとしてしまうことだってできます。

でもそれをしないで自分をごまかさないところが
まず最初の修行なんだろうなあ・・・なんて思ったり。
私って、ほんとに最少の努力でラクをしたい人なんです!

正直、1日目には帰りたくなった方もおられたのではないかと思います。。。
でも最後まで、全員、やり遂げましたよ!
2日目になるとちょっとずつ感覚がつかめてきて、
時間が早く経つように感じてきました。
3日目にはカウンセリングを何ケースも見せていただきましたし、
4日目になると、もうすっかり場にも瞑想にも馴染んで
みんなと別れて帰るのが惜しくなっていました。

振り返ってみると、
あっという間の4日間でした!

b0253075_23124465.jpg


うまくいっているのかどうか客観的なところは分かりませんが
少なくとも主観的には(^^;)
ルンが背中の中央脈管を通るのを、
わりとありありと感じられるようになりました。
繰り返し繰り返しトレーニングしたおかげだと思います。
やっと、自転車に乗れるようになった段階ですね(^^)

だからどうなのかというと、
どうということもないのであります。
ルンを動かせるということが大事なのではなく、
これによって深い瞑想状態(シャマタ)に入れるから大事なのです。

ひとつの方便として、ルンを使うのはかなり有効です。
3日目の夜に、お遊びとして、
以前に通いの瞑想ワークでもやったことのある
嫌いな人を嫌う心を火にくべて、自分の心を浄化する瞑想をやったのですが、
ものすご~くうまくいきました。
たぶんお腹のチャクラにルンをうまく入れることができたからだと思います。
もうその「嫌いな人」は、真っ白け・・・
少しだけ菩提心に近づけたかも。


今朝ほど、お経を詠む前に、
今回習ったルンのやり方を21回繰り返したら
すっかり心が鎮まりました。
いい感じです。
この状態になってから、ヴィパッシャナに入るよう
つづけていきたいと思います。
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by prem_ayako | 2012-12-30 23:18 | tibet | Comments(0)

チベットな週末(2)

その次の週末、連休のプラサードをパスして(^_^;)
京都の北野天満宮の近くへ2日間通いました。
またもや「三十七の菩薩の実践」の講義を受けるためです。

このたびはニチャン・リンポチェとおっしゃる
ニンマ派の高僧から教えていただきました。

われながら、これ!と思ったものに対しては、しつこいです。
「三十七の菩薩の実践」は
これで、カギュ派、ゲルク派、ニンマ派と
チベット四大宗派のうち日本で受けられる三つを踏破したことになります(笑)

おかげでテキストも正しいチベット語版がゲットできたし
内容についても、だんだん納得してきました。
チベ語で読む速度も、ちょっとずつ速くなってきましたよ♪

ニチャン・リンポチェは1935年生まれなので御年77歳。
1974年に高野山大学の講師として来日され、今は関東にお住まいのようです。
ですから、日本語がぺらぺらです。

ニンマ派のラマから教えを受けるのは初めてでしたが
印象としては
ゲルク派のラマたちはとても分析的で理系の感じなのですが、
ニンマ派のこの方は、ご自分の師から教わった言葉をそのまま記憶しておられて
分析的というより、包括的、
日本語も英語もサンスクリット語もご堪能で、文系の感じがしました。

とても良いおじいさんで
ご自分の師のお話をなさるときに、感極まって声を詰まらせたりなさって、
謙虚で誠実でお優しくて
私は、後ろにガーリンポチェが透けて見えるような気がしたものでした。

ですが、
もうこの派の集まりに行くことはないでしょう。

リンポチェをお呼びした京都のグループの人には
このリンポチェに対する帰依心、
平たく言うと、尊敬や信仰が、あまり感じられなかったのです。

私が過敏すぎるのかなぁ。。。
でも、まるで大学の先生を扱うみたいに
自分の解決したい細部についてリンポチェのお答えを求めて
お答えなさったことに対してさらに反論したりするのは
私の感覚では考えられないことで、
なんか違うんじゃないかなぁ~と思ったのでした。

他者のために解脱をめざすはずの大乗仏教徒が
自己の成長を追求するあまりに、
師への感謝をないがしろにしているのではないか・・・

そして、そこに感情を波立たせている私もまた、
何も言わないけれど心の中で人を裁いているのですから、
ここに私の業というか、罪があるのだと思います。

ああ人間ってなんて業が深いんでしょう(>_<)
みんなひょっとしたら、もとはよい意図だったかもしれないのに
ある人は感情を使って人を動かそうとし
ある人は感謝を忘れて貪欲になる。
そして私は人を判断し上に立とうとしている。

ある側に傾きすぎるとそちら側に落ち
別の側に傾きすぎるとこちら側に落ち
細い尾根を歩くように
綱渡りをするように
いつも気をつけてバランスをとっていなくては。。。

ああ、むずかしい!


三連休の最終日の日曜は、大阪でポタラ・カレッジがありました。
いつもと同じ会場のお寺に着くと、数人がロビーに立っていました。
どうやら手違いで、会場がダブルブッキングになってしまっているようです。
(をを、この事態は、私がお仕事上いつもうなされる悪夢です~)

東京からクンチョク先生がやってこられました。
事務的な仕事を手伝う方が付いてこられる日もあるのですが、
この日は先生おひとりで
たいへん困っておいででした。

どこか、12,3人の人が入れる静かな場所が必要です。
私も心当たりの施設を頭の中でざっと数えてみましたが
今頼んで今入れるような会場は、大阪市内ほとんどありません。

「どこか、知らない?」と先生に尋ねられたある若者が
「ええ~、うちの店に来ますか?」と申し出てくださいました。

1ヶ月前に彼ひとりで壁を塗ってオープンしたばかりの
メニュー1つだけのレストランだそうです。
「で、でも、めっちゃ狭いですよ。みなさん入れるかどうか。椅子、足らんかもしれません。立ってしてもらわなあかんかもしれません」と
言い出しておいて、焦りだしたお兄さん。
「他にないから・・・」とクンチョク先生。
「と、遠いですよ」
「タクシーで行きましょう」と先生。

それでみんなでタクシーに分乗し、彼の小さなお店に向かいました。
お店の表には「本日は都合により休業」と書いてありました(笑)
天井からは、タオルがたくさんぶら下がっていました。
・・・た、たしかにこの狭さ、大丈夫かな?と
先発隊で着いた私もちょっと不安になりましたが
スピーカーの台にしていたスツールも使い
彼が他から椅子を借りてきもして、なんとか格好がつきました。
テーブルの上の調味料や箸立ても移動させました。

いつもと違ってぎゅうぎゅう詰めの中、
30分遅れで、授業は始まりました。

この日の講義は、「ミラレパの教え」です。
クンチョク先生「今日は私たち、ミラレパになったみたいね」
みんな大爆笑!
ミラレパは、一生洞窟の中で修行した聖者として有名なのです(^^)

私は冒険が大好きです。
こんなふうに
困った事態が起きたときに
人々が自然に力を出し合い
協力して解決していくのが、
本当に、とても好きです。


答えは、ここにしかないと思います。

困っていたら、みんな自然に助け合うでしょう。
恩を受けたら、返すでしょう。
いいことをしたら、嬉しいでしょう。

暴力や、支配や、言い争いや、我欲や、傲慢や、
それに対治する答えがここにあります。


1日この洞窟のようなレストランでお勉強をして
夕方、いつもより少し遅い時間に解散となりました。
先生と他のみんなは最寄りの駅まで歩き、
私は、もとの会場に自転車を置きっぱなしにしてきたお兄さんといっしょに
タクシーに乗りました。
私はそこから歩いて帰れるからです。

タクシーの中で、お兄さん。
「いや、ほんっと、びっくりしましたよ。まさか先生が来られるなんて」
「ありがとうございました~。先生すごく困っておられたから、ほっとされたと思いますよ~」と私。
「そうですか?いや、入れるかなあと思って。自分で言うといてなんやけど」
「あったかくて良かったですよ~」
「それなら良かったです!うち、こんなにお客さん入ったの初めてなんですよ!いつもほとんどお客さんないんで・・・」
よかったね~
よい福徳を積まれましたね~
これで道が付いてお客さん増えるでしょう。
と、私はヘンに自信をもって予言したのでありました(笑)


まとめてしまうとありきたりですが
相互尊敬・相互信頼・協力。
そして目標の一致(これが一番難しい)
けっきょく、これだけです。
アドラー心理学はすごいです。
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by prem_ayako | 2012-11-27 18:01 | tibet | Comments(0)

チベットな週末(1)

11月はいろんなイベントがあったので
2週続けて、チベットがらみであちこちへ行きました。

そしていろいろと、めずらしいことを体験しましたデス


まずは11月半ば、とある金曜の夜のこと。
ツェリン・ウーセルというチベット人作家の新作の
日本語訳の出版記念会が
なんと家から歩いて5分ほどの小さな福祉会館で開かれました。

この情報を得たのは Twitter でしたが
ウーセルさんのお名前も Twitter でよく見かけていましたし
何かのご縁と思い、出かけてみました。

ご本人は、もちろん来ておられません。
ふだんは北京のご自宅で、当局により軟禁状態におかれています。
理由は、彼女がチベット「族」であり、
チベットがどのように破壊されていったかを
詩や文章を通じて訴え続けておられるからです。

それでも旦那さんが漢人であるおかげでしょうか、
彼女には世界の耳目が、いくらか集まっているせいでしょうか、
投獄されたり殺されたりしておられないのは、幸いと言えるでしょう。

『チベットの秘密』というその本は
中国語で書かれ、勇気ある漢人女性によって日本語に訳されました。
留学生として来日したこの翻訳者・劉さんは、
もう故郷に戻れないでしょう・・・

11月になってからチベット本土はますますひどいことになっています。
ほぼ毎日、ひとりの人間が
いえ、日によっては、2人、3人の方が
チベットの自由とダライ・ラマ法王のご帰還を叫びながら
自らの身体を燃やしています。
(11月27日午後6時現在、内地焼身者87人。内外合わせ焼身者90人、内死亡確認73人。今月4日から26日までの23日間に23人)

チベットのために何かできることはないだろうか?
居ても立っても居られず、
初めて、チベット仏教関連でない集まりに行ってみたわけですが、
この出版記念会は、かなり政治的なものでした。

チベットのことを考える人がみな仏教徒というわけではありません。
ちょっと考えれば分かることだったのですが
私の認識は甘かったです。。。

会場に集まった100名ほどの人たちは、みな
チベットのことを考えているというその一点は共有していましたが、
極左あり極右あり、憲法破棄論者あり擁護論者あり。。。
思想、というよりも、おそらくは自分自身の利害のために
面と向かって大きな声を出し相手を威嚇し、罵倒する人が何人かいました。

ことさらイヤな感じを受けたのは、
この人たちが、相手を脅かすという目的のために
自分の感情を「使っている」ことが、よくよく見えたからです。
(そういえば、国会中継でも同じことをやっていますね -_-;)

ウーセルさんや翻訳者の劉さんは
文字の力をたよりに、社会を変えようとしている。
その人たちを支援する集まりなのに
来ている人は暴力と陰性感情にたよろうとしている。

こんなやり方では、絶対に、決して、何一つ、解決に向かいません。
私はすっかり疲れてしまって、悲しくなりました。


アードラー先生は軍医として第1次世界大戦に赴き
戦争の不毛さを目の当たりにされました。

殺し合わずに、
戦わずに、
怒鳴り合わずに、
感情を使わずに、
話をすることを学ばなければならない。

だから、育児と教育なのです。
親や教師がまず学び、
子どもたちの共同体感覚を育てないといけないのです。

気が遠くなるほど遠い道だけれど
私たちはみんな、大人にならなくてはなりません。
どんなに小さく思える関係でも、ひとつひとつをていねいに扱っていくこと。
やっぱりこれしかないのです!(T_T)


その翌日は、名古屋のポタラ・カレッジへ行って
クンチョク先生の「三十七の菩薩の実践」の講義を受けました。

ああ、仏教を学ぶ人たちのエネルギーは
なんて清らかなんでしょう~!

まるっきり前夜の人たちと違います。
あまりの違いにくらくらして、
そしてまた少し、勇気がわいてきました(^^)

何が違うのか?

前夜のあの人たちは(もちろん全員がそうだとは言いませんが)
相手を変えようとしていました。
自分は正しくて相手は間違っている。
だから力で相手を圧倒し、相手を正そうとする。

仏教徒は
自分を変えようとしています。

それはアドラー心理学も同じ。
まず自分を変えることからです!

相手を力ずくで変えようとするのは、安易な方法ですね。
反対に自分を変えるのは、困難で勇気の要る方法ですね。
・・・でも、人が協力し合い勇気づけ合うことができるのは
自分自身が正しくあろうとするときですね。

ここ数年、
ほとんどアドラーの集まりか
仏教関係の集まりにしか参加していなかったので
すっかり箱入り(?)になっておりました。

どろどろとした所に知らずに飛び込んで、エライ目に遭いました。
おかげさまで体験から学びましたが、
ありがたい学び(?)はまだ続きます。
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by prem_ayako | 2012-11-27 17:53 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako