アードラーの夢

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ラサへの歩き方

b0253075_224295.jpg映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」を見てきました。
原題は「カン・リンポチェ(=カイラス山)」です。

とても美しく、
そしていろいろ考えさせられる映画でした。


これは中国人監督による中国映画です。
北京生まれ、40歳前の張楊(チャン・ヤン)監督は、
チベットに惹かれ、
五体投地で巡礼する人々にに興味をもちました。

監督は、およそのプロットを決めて、
イメージに合う俳優を求め、チベットを走り回りました。
そして四川省の小さな村で
幼い少女から老人まで、計11人の村人を起用しました。

演者は全員、お互いによく知った村人同士です。
監督は喋ってほしい台詞の内容を、まず中国語で指示し、
それを通訳が中国語からチベット語に訳し、
演者たちはそれを自分たちの言葉(方言)で演じたということです。

なのでフィクションなのに、
まるでドキュメンタリーフィルムを見ているようでした。

政治的メッセージは皆無です。
中国共産党の姿は一切画面に現れませんし
逆にダライ・ラマ法王のお姿も、一度も出てきません。
非現実的ですが、上映のためには仕方ないことでしょう。
・・・あくまで、フィクションなのです。

村人たちは五体投地しながら、聖都ラサへ巡礼します。
四川省の村からラサまで、1200km。
大きな荷物(テントや布団、食料・調理道具など)はトラックに積んで、
老人と運転手と妊婦さん以外はみな、五体投地で進みます。
ラサからさらにカイラスまで足をのばして、1200km。
カイラス山に着いたところで映画は終わります。


全身での五体投地。
額・喉・胸で合掌し、
そのままザーッと身体を道の上に投げ出します。

皮でつくったエプロンのようなものを身につけていますが
当然、全身ほこりまみれになります。
すぐ脇を、すごいスピードでトラックが通り過ぎます。
でも村人らは、ひたすら五体投地を繰り返し進みます。

冬は吹雪の峠を越し、
夏は緑の草原を縫い、
ときには、ルンタはためく峠で祈ります。

夜は道端にテントをはってキャンプをします。
男たちは重い支柱を立て、女たちも手伝い、水を汲んで料理をします。
子どもも老人も、自分にできる仕事をします。

毎晩みんながそろって食事をして、
夜が更ければ年長者が「祈ろう」と言い
みなが「レー(そうしよう)」と答え
そろって長いお祈り(「二十一ターラ礼賛偈」?)を唱え
あとはそれぞれの寝袋にもぐりこんで眠ります。

毎日毎夜のこの繰り返しが、1年続きます!!!



あるとき、無謀な車に、トラックが追突されてしまいました。
エンジンは大破し、修理ができる町までは遠すぎます。
ラサまであと数日というところ。
「しかたがない。荷台をはずして、押して運ぼう」
老人の言葉に、みなが従います。

引く者と押す者とに分かれ、汗みずくになって男たちが運びます。
そして荷台を置いたら、引きはじめた地点にまで戻って、
そこからもう一度、五体投地で進みなおすのです。
どんな事情があろうとも、「五体投地をしないで歩く」という選択肢はありません!

重い荷台を引いて険しい坂を上るのはたいへんです。
「女たちも押してくれ!」
その言葉にすぐ女たちが走り、先を行く荷台に取りつきます。
男はみな前に回って引き、女はみな後ろから押します。
全員で、力を合わせて坂を上りながら
自然と歌声があがります。

それはたぶん、村人なら誰もが知っている古い歌。
日本でいうならたぶん、「○○のためならえ~んやこ~ら」的な歌ではないかしら。

ようやく峠を越して水辺の草原にでたとき、
若者たちは喜びのあまり、同じ歌を歌いながら輪になって踊ります。
この場面はほんとうに美しかったです!



映像的には、チベットの山々は雄大で、ほんとうに素晴らしく、
私はつい、『指輪物語』の風景を思い出しておりましたが
・・・雰囲気がまったく違うことに気がついて、はっとしました。
あの映画の基調は、恐怖でした。
でもこちらの映画は、とてもとても明るい。
たいへんな苦労をしているはずなのに、とてもおだやかで明るいのです。

生老病死の波は次々と現れますが、
それらは起こるべきことであって、敵ではないのです。
もちろん少しばかり感情は波立ちますが、人々は受け取り、対処します。
恐怖はありません。

この強さはどこからくるのでしょうか?


ひとつ思うのは、
この映画に登場する村人はみな
人生について、共通の信念をもっているということです。
それはたぶん、善因善果と悪因悪果・・・カルマの法。
善い行い(因)が善い結果(果)をもたらし、悪い行い(因)が悪い結果(果)をもたらすというもの。
これを疑う外道は、ここにはいません。

ではいったい善い行いは何で悪い行いは何か?ということについても
みなが、共通の理解をもっています。
たとえば善行とは、
仏教を信じること。
他者を思いやること。
子どもをかしこく育てること。
老人を敬うこと。
リーダーには従い、お互いにできることを協力すること。

人が人と共に生きていこうとするとき、
まず守らなければならないこれら基本的なことへの、
素朴な信念が、まったく揺るがないのです。

だから彼らは勇気があります。
淡々と善行を行おうとし、
人々の善行を勇気づけ
いつも正直であろうとします。
価値観が共有されて価値観を疑う必要のない生活は
とても安定しているのではないでしょうか。


ひるがえって現代の日本を考えると
世代によって異なる価値観があり・・・
地域によっても多様な基準をもち・・・
善悪よりも快不快で決まることが、あまりにも多い社会です。
現実のチベットだって、
この映画のような理想郷ではなくなっているかもしれませんが

あくまで物語として
あくまで理想の物語として

老若男女が同じひとつの美しい価値観をもち
それを守り伝えようと生きている姿は、とても爽やかでした。

そしてその美しさを映像に残しておこうとする監督が
漢人であったというのは、
ひょっとしたら、小さな希望のかけらなのかもしれません。


「ラサへの歩き方 祈りの2400km」予告編

 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-08-22 21:58 | tibet | Comments(0)

Meditation

少し前になりますが、6月末から7月はじめにかけて
シンガポールでまたもや、アミデワ・リトリートに参加してきました。
もう3度目です。

過去のリトリートを思い返せば
1度目は、何も分からずただ夢中で「おんあみでわふりー」を唱えていて
(それはそれで、ものすごいシャマタだったと思うのですが)
瞑想で観音菩薩さまに変身することとか
目の前に阿弥陀さまをイメージすることとかは、
ほとんど出来ていませんでした Orz

昨年、2度目は、ただただ疲れておりまして
お唱えしながら眠っていました Orz

でも今回は、全く眠くならなかったのです。
意識が逸れそうになるたび
ぴゅんっと、Chenrezig(観音菩薩)のイメージに戻ることができました。

今回は、野田先生渾身の韻文和訳テキストがあったので
細かいところまでよく理解できたのです。
瞑想のどこの部分で、自分が観音菩薩さまに変身するか、とかね。

今まで、灌頂を受けていても、穢れ多きこの身が観音さまになるなんて
そんなこととても無理!
観音さまもきっとお許しにはならない・・・と思い込んでおりました。
視覚型なんでイメージはすぐにできるんだけど、
本心から観音さまになりきることはできていませんでした。

でも今回、テキストの

  ああ|輪廻と涅槃の万法一切空|これを知らずに輪廻に迷うなり|

という和訳を読んだとき、
・・・ああそうか。
輪廻と涅槃の区別も実はないんだ。
すべてが空なんだ・・・
となんとなく納得し、続けて

  空と光明慈悲とが結合し|自心が白い Hri と顕現し|変じてわが身は観世音菩薩|

とはっきり書いてあるのを読んで
これはそうするべきなのだと、思いました。

今までだってテキストのこの部分、
チベット語と英語で何度も読んでいたのですが・・・
信じられなかったと言いますか・・・
日本語で言われてやっと説得されました、という感じです(^^;)

で、確信をもって、
自信を持って、変わってみました。
こういうのを「本尊慢」というのかな。。。


そうして私は白き身体、四手の観音菩薩になり、
左右対称に美しく座して、
合掌しただ一心にマントラを唱えているのでした。

もう1回お唱えすると、それによってもう1人衆生が救われるのだと信じ、
ひたすら多くのマントラを唱えていると
目の前に、いつしか、三次元立体の
輝く大きな阿弥陀さまが顕れました。
透明なルビー色の丸みが美しいです。

3日目ぐらいまで、このような体験が繰り返し起こりました。
意識はぎんぎんに冴え、とてもよい状態ですが
瞑想に深く入れば入るほど、人と話をするのが苦しくなりました。
b0253075_1045026.jpgとても感じやすくなっていて、
ガルチェン・リンポチェとご一緒に極楽誓願の唄を歌えたときは
感動して泣いてしまうほどでした。。。

3日目の夜、全員が灯りをもって
大きなセッションルームを供養のためにコルラ(巡回)した時には、
おかけいが来て「わぁきれ~い♪」と喜んでくれた気がしました。


そんなふうに機が熟していって
4日目の午前、最後のアミデワ・セッションの時、
はじめて、あることが起こりました。

どう説明したらいいのかよく分からないのですが

マントラを唱え続ける中で、
意識が、深く深く入っていったのだと思います。
たぶん自分の心の奥に。

入っていって、気がつくと、
そこにガルチェン・リンポチェがおられました。
リンポチェのお心がありました。


我執にまみれているとき、心は固い氷のようになっている。
本当は、すべての衆生のこころは海の水のようにひとつなのに
それを知らずに、私たちは孤独に波に揺られ漂っている。
我を捨て去ったとき、固い氷は溶けて海の水と同じになり、
私たちはひとつになる。

何度も何度もリンポチェからお聞きしたお話です。

ようやくこの意味を知りました。

観音菩薩のご加護で、我執から一瞬離れることができたのでしょう。
リンポチェと同じ大海にとけいっておりました。

Whenever you meditate, our mind is one.

ああ、リンポチェ、こういうことだったのですね。
嗚咽が出そうで
お唱えを続けることができませんでした。


ほんの少しの時間でした。

でも分かりました。知りました。
我執を捨てることさえできれば
本当に、2つの別々の輪っかが開いて、
ひとつの大きな輪っかになるのだということを。



ふりかえって考えるに、
マントラを何千回唱えるという瞑想そのものは、
昔アスミでよくやったダイナミック瞑想とほぼ同じ原理のもので、
マインドを停止させ、ある種の恍惚感をもたらします。
このとき、たぶん自分という意識も消えるでしょう。
これがひとつ。

ですがここに、慈悲の要素を入れるからこそ・・・!
つまり観音菩薩になって心から衆生済度を願うからこそ、
はじめて我執が、自他の区別が、消えるのです。

瞑想と慈悲。
この両方が必要です。


垣間見た世界は、
いろんな条件が整わないと到達できないけれど
今生のうちに、また必ず訪れたい。

そしてもし機会があったら、
心からの感謝をリンポチェに申し上げたいです。
 

 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-07-23 10:20 | tibet | Comments(2)
例年、年末のスピリチュアル・ワークは
その年のカレンダーの具合で
2泊3日にしたり3泊4日にしたりしていましたが
昨年末のスピリチュアル・ワーク@比叡山坂本は
思いきって、前後半に分けた4泊5日で企画してみました。

事務仕事は煩雑でしたが、
半分だけ参加された方も、通しで参加された方も
それぞれにメリットがあって満足していただけたようでした。

私自身も、
ふだん主催者側にいるとなかなか瞑想に没入できないのですが、
今回は1日だけでしたが「黙想」行を行うことができましたし、
できあがったばかりの「三十七の菩薩行」をみんなでお唱えすることもできて
とっても良かったです!

ところでワーク中、先生から「今の気分を絵に描いてください」
という指示が出ることがあります。
各自、そのたびに何の変哲もないA4のコピー用紙を1枚ずつとって
心のおもむくままただ描いて、
誰かに見せることもないまま持ち帰るのですが

・・・今回、後になって順に並べて見てみると
下手な絵なりにけっこう面白かったのでした。
なので、ちょっとばかり振り返ってみたいと思います。
もしよろしければお付き合いください。

(1)ワーク初日、開始後すぐに描いた絵。
b0253075_21144555.jpgまず山をふたつ描きました。
空を半分おおう雲。
そして川(湖?)の岸を歩く人物。

人(=私)は画面の下の方にいて、
全体の景色からいうと、とても小さな存在です。
雲はなにか、襲ってくるような不穏な形をしています。


(2)同日、瞑想後に描いた絵。
b0253075_21175812.jpg同じく山ふたつですが、
その間を川が流れ
谷間を歩く人がいます。
空は晴れてお日さまが出ています。

私は谷川に沿って
画面の向こう側へ進んでいるようです。
この向こうには何があるのかな?
少し希望をもっているようですね。

(3)ワーク2日目の夜、何度も瞑想をした後の絵。
b0253075_21185649.jpg逆巻く大きな波ふたつ。
それとも波ではなくて山なのでしょうか?
その上を、走っているような飛んでいるような人物がひとり。
雲から出ているのは光でしょうか?稲光?

観音菩薩さまのご存在をありありと感じる
そんな体験の後に描いたので
もっとおだやかな
お悟りのひらけた絵になるかと思いきや・・・

なんだかたいへんなことになっているみたいです。
「今の気分」は混乱中なのでしょうか。
我ながら謎な絵です。

(4)ワーク3日目。
b0253075_21194593.jpg波一つない水面。
月と太陽が並んで出ていて
それぞれ水面に影を落としています。
手前に水鳥が2羽、浮かんでいます。

今までと同じように心の向くままに描いたのですが、
描き終わってからこの絵を眺めて
私は泣きそうになりました。

この絵の構図は、
うちにあるクンツサンポ(法身普賢)のタンカと同じです。

この真ん中の空間に
月と日とに荘厳された
クンツサンポさまがおられるのでしょう。

法身は見上げるほどに巨大で
虚空と同じで虚空に融け入っていて
私の目には見えないのだけれど
たしかにこの空間におわします。

これは法身顕現の絵ではないでしょうか。
・・・そのことに
私の無意識さんは、確信をもっているようです。

それを眺める水鳥は、うちの窓の外のカモさんたちでしょうか。

おりしもクリスマス、しかもチベット暦満月の夜。
この後、露天風呂から、首が痛くなるほど高くに上った満月を眺めながら
何度もこの絵を思い出して幸せにひたったのでありました。

(5)ワーク4日目、最後の夜。
b0253075_21212383.jpg月が出ています。
平らな地平線に立っているのは(絵が下手でスミマセン)
十一面千手観音さまです。
しっかりした道が観音さまに向かって通じていて
私はどうやら、観音さまとお会いしたようです。

最初の方の絵にあった2つの山は
波のように激しく揺れて崩れていったのでしょうか。
もうどこにもありません。
ただもう、まっすぐな線になりました。

そんなむずかしいことを考えながら描いたわけでは全くありません。
頭ではなく、手が描いた感じでした。

やっぱり4泊5日も瞑想を繰り返すと
私の心も、こんなふうに鎮まるみたいです。
絵にその過程が現れているようで、とてもありがたいです。
おんまにぺめふむ。。。

しかし単純な絵だ・・・(^_^;)
(絵はクリックすると少し大きくなります)
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by prem_ayako | 2016-01-02 21:37 | tibet | Comments(0)

Drupwang Rinpoche

6月にシンガポールで出会った Evelyn 夫妻と
この日曜日、大阪で再会しました。

旦那さまの Dr.Lee は、病院経営者でもある内科のお医者さま。
Evelyn は、大学で日本語を専攻した日本びいきです。
親戚たち9名(!)のグループで
2週間の日本旅行を楽しんでいるんだそうで、

来日してすぐに和歌山、串本、伊賀の忍者屋敷を巡り、
この日の昼間は京都の清水寺を訪れて、
翌日からは広島に行くんだとか。
その後、名古屋にも東京にも。
Crazy~~~(^_^;)

お豆腐料理を食べながらいろいろお喋りしましたが、
私にとって、この日いちばんの収穫・・・というか、
karmic bond(前世の因縁?)を感じたのは

ドゥプワン・コンチョク・ノルブ・リンポチェ(Drupwang Konchok Norbu Rinpoche)のお話です。

ドゥプワン・リンポチェは、ディクン・カギュの高僧でいらっしゃいますが
ただの高僧ではなくて、まごうことなき siddha(成就者)であられます。

b0253075_1194165.jpg頭の上に巻いた髪は、お籠もりの印・・・
何年も何年も山奥の洞窟などに籠もって
修業をされた証しです。

お写真を拝見するだけで、
私などはもう、ゾクゾクしてしまうのです。
(大きなJ先生の表現では、
 fell in love しているという・・・)

この方には、いつも小鳥が寄ってくるとか
重たい石のマニ車を手を触れずに回されたとか
岩に足跡をつけられたとか
いろんな逸話が伝えられています。

ダライ・ラマ猊下のことを大好きで
また猊下もリンポチェをとても頼りにされていて
「まだあっちへ行ったらあかんぞ」と何度も
お引き留めになられました。
それで、ご自分のおつもりよりも
少し、長生きをしておられたのです。


そしてここからが、この日 Dr.Lee から伺ったお話です。

ドゥプワン・リンポチェはシンガポールで
何度かマニ・リトリートを開いておられました。
2007年12月のクリスマス前、
シンガポールの空港に降り立ったリンポチェは
すでに相当、具合が悪くなっておいででした。

すぐに、市内のディクン・カギュのセンターに運ばれて、
センターの一番近所に住んでいたお医者さんが呼ばれました。
その医者が、Dr.Lee のお友だちだったのです。

リンポチェの状態は、もうとてもお悪くて
意識不明になられました。
お医者さんは、すぐに救急措置を施さなければなりませんでした。

病歴など全く分からないまま、
近所に住んでいるからというだけで
海外から着いたばかりのチベット僧に
いきなりの心臓マッサージ。

それでもベストを尽くされたのですが
その甲斐むなしく・・・リンポチェは遷化してしまわれました。
86歳だったということです。
ガルチェン・リンポチェはじめ、多くのディクン・カギュの高僧方が
その後移された病院に、続々と集まってこられたといいます。


そのお医者さんは、仏教信者でもなんでもなかったのですが、
ご自分の初期治療が悪かったためにリンポチェを救えなかったのではないかと
とても心苦しく思われたそうです。
そしてディクン・カギュの信者になりました。

それからわずか2年後、
まだ若いそのお医者さんが
末期癌であることが分かりました。

Dr.Lee を含む友だちや同僚の方々は
彼のベッドを取り囲み、
みんなでオンマニペメフンを唱えて彼を看取りました。
誰もディクン・カギュではありません。
ただ、死んでいくその彼が望むので、
小乗仏教(テーラバーダ)の友だちも、彼に聞こえるようにマニを唱え、
クリスチャンの友だちも、彼の目の前に観音菩薩の絵をかかげて見せました。

彼は幸せそうに逝ったといいます。

Very touching story....

ドゥプワン・リンポチェがシンガポールに来て亡くなられたのは
この彼をディクン・カギュに帰依させ彼の魂を救うため
そのためだけだったのではないかしら?

というのが、Evelyn の意見です。


私は残念ながら、ドゥプワン・リンポチェにお会いしたことがありません。
YouTube の Yogis of Tibet でお姿を拝見しただけです。

このビデオにはディクン・カギュのリンポチェ方が大勢出演しておられて、
お若いガルチェン・リンポチェも、サーモグラフィーの実験に協力しておられます。
しかし、当時の私がもっとも強く惹かれたのは、
ガルチェン・リンポチェではなく
ドゥプワン・リンポチェでした。

あぁこのような方のお側にいたい・・・と感じていました。
(まぁ、ほぼ小鳥と同じレベルですね)
すでに亡くなっておられると知って、とても残念でした。

Evelyn に言わせると、それもまた karmic bond なのだそうです。
「だって私たちは3度も(マニ・リトリートで)お会いしたけれど
 ドゥプワン・リンポチェに fell in love しなかったもの」


今年6月、あれだけ多くの人のごった返すその中で
声をかけられ親しくなって
さらに半年後、日本で会う機会を得たこの人たちが、
実際にドゥプワン・リンポチェとまみえ、
深いご縁のあったお友だちのお話をしてくださるとは!

ほんとうに不思議なことです。
ほんとうに珍しいことです。



つい昨日もまた、
あるチベットがらみのお友だちが
ガルチェン・リンポチェの「ガンジス川のマハームードラ」のテキストを
送ってきてくれました。

マハームードラのテキストはインターネットにいくつか落ちていますが、
<ディクン・カギュの><ガルチェン・リンポチェの>テキストそのものは、
やはりネットでは手に入りません。
微妙に語尾や語順が異なっていることがあるので
私としては、ぜひ<リンポチェの>ものをコピーして
ゆっくりと勉強していきたいと思い、お願いしてみたのです。

なんとありがたいことに!
彼女は貴重なご自分の冊子を、そのまま送ってきてくださいました。
彼女の為された福徳に随喜いたします。


小さな縁が、確実に何かを紡いでいっている・・・
私はこうして少しずつ
何かの糸をたどっていっている・・・
なんだかそんな気がしています。

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by prem_ayako | 2015-12-16 11:27 | tibet | Comments(0)

仏さまと暮らす

スピリチュアル・ワーク@鹿島の前日、
ちょっと鎌倉に寄り道して散財してきました。

鎌倉には、モンゴル人のおじさんが経営している
チベット仏具屋さんがありまして、
一種の「欲望の館」なのでありますよ(そのスジの者にはネ)。
少しお高いけど、いい物があるんです。

手に入れたのは、
ずっと前から欲しかったけど買えなかった、
閼伽(あか)供養の7つの水器です。

本来、チベットの仏さまにお献げする供物は
1)漱口水(サンスクリット語で、あーがむ=閼伽)
2)洗足水(ぱーでぃあむ)
3)華(ぷしゅぺー)
4)焼香(どぅーぺー)
5)灯明(あろけー)
6)塗香(げんでー)
7)飯食(ねうぃでー)
8)奏楽(しゃぷた)
ということになっています。

これは毎回、手印とともに観想しますが
実物をお供えすることができれば、なお良いかしらね、と思い

今まで、なんとなく散漫に、
いろんな器に
お水を入れたり、
お花を挿したり、
いただきもののお菓子を置いたりしてきました。

b0253075_21104959.jpgまあそれでも全然かまわないんですけど、
そうしていると仏壇が
どんどんカオスになってきまして・・・(^_^;)

しかもシンガポールで、マニ車とかお数珠とか買っちゃったし。

額装のすんだクンツサンポさまもおいでになられたことですし♪
お仏壇を調えるよい機会かなと思いました。


さてこういうときのバイブル、
『実践 チベット仏教入門』(春秋社)には
「これらの供物を捧げる代わり、閼伽水だけを七つの仏器に並べて供養してもよいでしょう」
と書いてあります。

なんで8つのお供えが7つのお水になるねん?
という私の素朴な疑問にも、この本は
「『七つ』という数は、簡易な形式で供養する際の、一応の目安である」
とちゃぁんと註釈をつけてくれています。親切ですねぇ。

で鎌倉で、ついに
真鍮の仏器を7つ買いました。
1個1000円也でした。

いやしかし、
美しい~~(^o^)
満足じゃ。

b0253075_2116733.jpg




「チベットの習慣では、朝の勤行時に閼伽水を供え、日没時にはこれを下げて仏器も収納するのが一般的です。もし、下げずに供えたままの場合は、翌朝、並べてある仏器にわずかずつ瓶水を注ぎ足すのです。」『実践 チベット仏教入門』
ということですので

b0253075_21185160.jpgこの器を手に入れてから、
私も朝、
なにはともあれ出かける前に
仏さまにお水をさしあげることにいたしました。

ほんのちょっとしか時間がとれなくても、
お作法どおり、静かにお水を注いでいくと
とても心が落ち着きます。

そして(日没時は無理なので)夜、
寝る前の瞑想が終わってから、
お水を捨てて、器を拭き、
重ねて収めるようにしています。
これもまた、1日の終わりとして、とてもよい時間です。

暮らしが少しだけ丁寧になったような気がします。
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by prem_ayako | 2015-07-25 21:31 | tibet | Comments(3)

Deadlock

デワチェン(極楽)とは
阿弥陀さまのおそばで
悟りに至る修行のできる場所だということです。

b0253075_22102570.jpg何度考えても、
ガルチェン・リンポチェという菩薩にお目にかかり
リンポチェのお声を聞いて
お体に触れ、エネルギーをいただけることそれ自体が
デワチェンなのだと思います。

ただ、デワチェンと違うところが一点だけあります。
それは、私には
リンポチェのお言葉がわからないということです。

デワチェンでは
どのような生き物でも
阿弥陀さまの教えを理解して
学びを積んでいけるというのに!


せめてリンポチェから直接教えを受けた教典を
リンポチェが唱えられるままの言葉で読みたくて、
一生懸命チベット語の古語を学んでいます。
ここ数年のお勉強の成果で、
お経であれば、かなりスラスラと読めるようになりました。
ですが、リンポチェの話される口語のチベット語はわかりません。

そして今回、思い知ってしまったのは、
たとえ英語に通訳してもらっても
私には、リンポチェのお話が理解できないということです Orz

ある程度までは、英語でわかるのですよ。
部分的には、わかるところがあります。

2年前に来たときは、ある程度までわかることに安心していたのですが
どうやらその頃と同じあたりで理解が止まっていて、
次の段階、もうひとつ上のレベルのお話になると
やっぱり、さっぱりついていけないことに気がつきました。

何度もお聴きして馴染んでいる空性に関するお話や
ミラレパの言葉の引用などは
耳が開いて頭に入ってきて
そこから思索をめぐらせたりイメージをふくらませたりできるのですが

それ以外の、自分のつかめないところは、
おどろいたことに
何度録音を聞き直しても、そのたび寝てしまうのです(^^;)
わからないものだから眠くなるのですね・・・

・・・行き詰まっております。

b0253075_944277.jpgこれはつまり、
リンポチェのお教えを吸収していくだけの能力が、
悲しいことに私にはないということだと思います。

今の私はまるで、聖アントニウスに説法されている魚。
あまりに愚かな衆生なので、
仏の教えを理解できないのです(泣)

大きなJ先生は
英語の通訳を正確に理解される上に
中国語の翻訳を読んで確認され、
日本語に訳して衆生のために尽くそうとしておられます。

過去に積まれた福徳の故に
J先生にはそのような尊いお仕事がおありなのでしょう。

私の福徳は今生では
リンポチェのお顔を間近に見て
お手の暖かさをこの身に感じ、
いただいたいくつかのお言葉を覚える
そこまでのこと。
それ以上を望むのは貪欲でありましょうし
それだけで十分に幸せだと思います。

が・・・
私はやっぱり、リンポチェのお言葉をわかりたい。
リンポチェのお話をすべて理解できるだけの知恵が欲しい!


はい、貪欲です(^_^;)
それを認めた上で(笑)
ここで能力のなさを嘆いていても仕方ありませんね。
何か対策は考えられないかな?

いっそ現代チベット語会話を学んで
リンポチェのお話を直接聞き取れるようにがんばりましょうか?
でもね、言語の問題じゃない感じですよね。。。
たとえチベット語がぺらぺらになったとしても、
仏教の精妙なお話になったら、やっぱりわからないんじゃないかな。
だって、日本語でもわからないかもしれないんだから。

それならば、いっそ仏教を基礎から学んでみましょうか?
(あぁそういえば、お友だちにひとり、
 佛教大学の通信学部に入って学んでいる方がおられます。
 彼女もこういった経緯で決断なさったのかもしれないなと、いま気づきました・・・)
でも日本仏教学んでもねぇ、などと不遜なことを考えてしまう私。。。

そんなことを、シンガポールから関空に帰り着いて
天王寺への電車の中で大きなJ先生にぶつぶつ申し上げていたら、
「英語で仏教語を学びなさい!」とのアドバイスをいただきました(@_@)

なるほど・・・
今さらチベット語会話や仏教をいちから始めるより、
私の場合、英語の能力を上げる、という道が
もっとも手っ取り早いかもしれません。

そういえば「言語能力を上げるには、まず単語力!」というのが
大きなJ先生のご持論で、
はじめて ICASSI に行く生徒さんたちにも
いつも、「アドラー心理学用語を英語で覚えてから行きなさい」とアドバイスしておられます。

たしかにアドラー心理学関連の英語についていえば、
10年前の NASAP にはじまって何度か ICASSI に行って、
いつのまにか、アドラー心理学の話題であれば、自由に英語で話せるようになりました。

そもそも、たいがいの仏教国に住む信徒にとっては常識である仏教用語が、
私にとっては、日本語でさえ常識ではないのです。
チベット仏教に出会うまでまったくの仏教処女(?)でしたからね~
こういうところで福徳を積んできていないのです。

しかも仏教用語は、日常使わない特殊な言い回しでもって翻訳されることが多いです。
その独特の英単語や英語表現に、私はいちいちひっかかってしまって、
通訳を聞いていても、本を読んでいても
そのたびに一瞬フリーズしているように思います。
そのせいで、全体が見えなくなってしまうのかもしれません。

チベット語:日本語の
仏教用語だけの単語帳は
すでに作っているのですが

これにもうひとつ
英語を対応させればいいわけだ!

Deadlock 突破の
道はみえたぞ!(^o^)

いつもながら、
的確なアドバイスを惜しみなく与えてくださるJ先生に
心から感謝申し上げます。


まずは、ガルチェン・リンポチェの英訳を一手に引き受けている感のある
Ina Bieler の言い回しを覚えていくことにします。
Ina の訳したリンポチェの本を丁寧に読んで
アンダーラインを引くことから始めましょう。

アドラー心理学を学び始めて基礎講座とパセージを受けたばかりの頃
事例検討会で先輩たちが話しておられることが全くわからず、
ほんとうに、全く全くわからず
呆然としていた私が
それから17年たって
少しは人にお伝えできる程度に、わけがわかるようになったのですから

時間をかければ
ガルチェン・リンポチェのご法話も
きっと理解できるようになるでしょう。

・・・もしも間に合わなかったとしても
それもまた幸福な人生であると思います。


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by prem_ayako | 2015-06-25 09:54 | tibet | Comments(0)

Peak Experience

リンポチェとお会いするのは2年ぶりです。

2年前は7月に東京で教えを受け、帰依戒も受け、
8月にシンガポールでもお会いできたのですが、
昨年はお会いできるチャンスがありませんでした。
ダライ・ラマ法王にお会いしたことで運を使い果たしたみたいで。

でもこの2年の間に、
リンポチェの御前でどうふるまえばよろしいものなのか
チベット式のしきたりを、少しは覚えました(^^)v

お部屋に入ったら、まず、五体投地。
そしてしのばせていたカタを献げて
祝福をいただきます。

五体投地を3回している間、リンポチェは
そんなんせんでええのに、早よう座らんか、とばかりに手を振られ、
足をくずせ、とか、椅子はいらんのか、とか
いろいろと気を配ってくださいます。
(もちろんチベット語でおっしゃってるのですが、なぜか関西弁に思えるw)

ああ、なつかしい
リンポチェのあたたかいお手。。。
いつもの笑顔。。。
大きな大きな存在感。。。

リンポチェのチベット語は私にはほとんどわかりません。
ずっと英語通訳の Ina がついて翻訳してくださいますが、
お声の響きを感じとりながら、
Ina の英語を理解するのは、なかなかに困難です。

だから私はひたすら、触覚と視覚を使います。
全身の皮膚でリンポチェのエネルギーを感じ
お姿を目に焼き付けようとします。
ですから頭は麻痺して、ひたすらうっとりです(笑)

まず大きなJ先生が
お母さまのお写真を出されてお供養をお願いされました。
それからリンポチェのご本を翻訳することについて
許可をいただかれました。

私の番になったので
クンツサンポのタンカを筒から取り出して、
Consecration(チベット語でラプネ rab-gnes)をお願いしました。

絵をご覧になったリンポチェは
おおクンツサンポ・・・
クンツサンポは虚空と同じ、それで青いのじゃよ
とおっしゃいました。

用意していたお米とカタを出そうとすると
リンポチェの blessing ではそれはいらないと言われました。

そういえば3年前に初めてリンポチェとお会いしたとき、
そのころ買ったばかりだった水晶の数珠にお加持をいただいたのですが
そのとき使われたのと同じ、小さな壷に入った摩訶不思議的軟膏を
クンツサンポのお腹のチャクラと
その裏側とに塗りつけられました。

そしてリンポチェの指に残った軟膏を
私の鼻の下にも塗りつけられました。

お数珠のお加持のときもこうやって鼻に塗りつけられたな・・・
思えばあのときにリンポチェに「匂いつけ」されちゃったんだな・・・
などとぼんやり考えていました。

リンポチェが絵を元通りに巻いて差し出してくださったので
リンポチェに支えていただいたまま
金色の紐で縛ろうとするのですが
なかなか、ちょうちょ結びができません~(>_<)

「私、緊張しています~」と言うと
おお~なに緊張することがあるねん?と笑われます。

なんだか他にもいろいろおっしゃっていたかもしれないんですけど
すみません、忘れました(笑)

もう時間があまりなくて
時間に obsessive なシューさんが急かしているのは分かってたんですけど
どうしてもそのとき伝えたかったことがあって、無視しまして(笑)

日本に来られたときにたくさんお話をしていただきましたけど
難しいことは私にはわかりません。
ただひとつ、私がずっとあれ以来覚えているのは
リンポチェが両手の親指と人差し指で輪っかを2つ作って見せてくださって
私たちはみんなこんなふうに separate しているけれども、
指を開くと、ほら、ひとつになるんだよって、
ジェスチャーで示してくださったことです。

と英語で言いました。
本当に実際に、今までに私がリンポチェから学んだことは
これに尽きると思うのです。

リンポチェはニコニコと微笑まれて
そうそう、こうやってひとつになるんじゃよ
と、両手の親指と人差し指で大きな1つの円を作って
示してくださいました。

あぁこのときのお姿を思い出すと
今も涙があふれそうです。

なんせ聴覚全滅、視覚が頼りですから
こうやってリンポチェにジェスチャーで教えていただくのが
私にはもっともよくわかるのです。
_人_


こうしてうっとりぼんやりと退出して
それから大きなJ先生とどこでどうしたのだったか、
どうもよく思い出せません。
ともかくお茶を飲んだかな?ご飯はどうしたんだったかな?
たぶんホテルでしばらく休んで、
夕方の「白ザンバラの灌頂」に間に合うように、出かけたのだったと思います。
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by prem_ayako | 2015-06-17 21:42 | tibet | Comments(0)

Kuntuzangpo

法身普賢、
チベット語ではクンツサンポ
サンスクリット語では、サマンタバドラ
といいます。

日本の普賢菩薩と違って
チベットの法身普賢は原初仏です・・・
空性そのものが
とりあえず仏のお姿をとって現れたもの、
だからこそ一糸まとわぬ姿で
多くの場合、明妃を抱いた父母尊の形で描かれます。

カギュ派は持金剛(ドルジェチャン)を頂点に置くことが多いのですが、
私はどういうわけか
インターネットで初めて「クンサン・モンラム(法身普賢の誓願)」の歌を聞き
そのお姿を拝見して以来、
ずっとクンツサンポさまに惹かれておりました。

ガルチェン・リンポチェは、この「クンサン・モンラム」を
小さな冊子にして配ってくださったり、
ご法話の中で引用されたり、
何度もお唱えするようにと勧めておられます。

なのでますますクンツサンポさまへの憧れは強まり、
お側に来ていただきたいものだと思いました。


2年以上前、まだ大阪の私の家でチベット語のレッスンをしてもらっていた頃、
タンカ絵師であるチベット語の先生Mさんに
法身普賢を描いていただけないかとお願いしました。

注文はしたものの
Mさんは時間をかけて丁寧に描く方ですし
それに加えてこの2年ほどの間、
Mさんは引っ越しや出産や子育てなどで本当にお忙しかったので・・・
半分冗談で、まあ1年に1色塗っていただけたらいいかなぁ
ひょっとしたら10年ぐらいかかるかな?と
あんまり期待しないでおりました。

そうしたら思いがけず、
4月のはじめに高野山でチベット語レッスンを受けた時に
そろそろ完成できるかもしれません、と伺いました。

まぁうれしい!
クンツサンポさまが、本当に私のもとに来てくださる♪♪

しかもシンガポール行きの切符をとった頃だったので
絵が間に合えば、
ガルチェン・リンポチェにシンガポールで開眼供養をしていただくことができます!


b0253075_20582733.jpgチベットの仏画、タンカは
仏さま方の色彩・印形・持ち物・まわりのご眷属など、
それはそれは厳密な決まりにのっとって描かれています。
ひとつでも間違えると、絵師は地獄に落ちると言われます。

絵が完成しても、そのままではまだ仏さまではありません。
仏さまの額・喉・胸にあたる部分の裏側に
3つの種字(おん・あー・ふーむ)を書き記さなければなりません。

さらに仕上げに
力のある僧に加持祈祷していただくことによって
絵の仏さまに魂が入ります。
これが開眼供養ですね。

私の注文したはじめてのタンカ、
大好きなクンツサンポさまに
ガルチェン・リンポチェの blessing をいただけるなら
これはもう priceless です!


b0253075_20595871.jpgさて、案の定というかなんというか
4月末に絵を受け取れるかもというお話だったのですが
もう少し時間をかけたい・・・ということで、完成が大幅に遅れました。

シンガポールに発つのは6月10日夜の飛行機。
ですが私も5月末から6月にかけてたいへん忙しくなり
行けるかどうかも危ぶまれる状態になりました。

これもご縁ですから、
シンガポールに行けなくて今回リンポチェとお会いできないのなら
私にはそれだけの福徳しかないということでしょうし、
行けたとしても、もし絵が間に合わないのならば、
それも、それだけの福徳だということなのでしょう・・・

と半ば腹をくくっておりましたら
結局どちらもギリギリで間に合いました(@_@)

なんと出発前日6月9日の夕方、
私はお葬式から神戸に戻るその途上、
黒服にショールといういでたちで
難波でMさんと落ち合って、無事に完成した絵を受け取ったのでした。
なんて thrilling なこと!


b0253075_2105283.jpg晩ご飯をご一緒しながらMさんは、
とっても大変だった時期に書き始めたこの絵を
完成できたことが、本当にうれしいです!とおっしゃいました。

思えば、Mさんのご妊娠中に注文させていただいたのです。
ここ何年かの彼女の人生の変転を
ずっとクンツサンポさまは見守っておられました。

この絵を注文して完成していただいたことが、
Mさんの絵師復帰のお役に立てたのなら、本当に良かったです!
Rejoice!
そのことが、絵が手に入ったこと以上にありがたいことだと思いました。


そうして出来立てほやほやのクンツサンポさまは
大切に大切に筒におさまって、
シンガポールへと飛びたったのでした♪
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by prem_ayako | 2015-06-17 20:54 | tibet | Comments(0)

チベット現代文学

昨年からぼつぼつ、現代のチベット文学
(チベット本土に住むチベット人によるチベット語で書かれた文学)
を、見つけ出しては買って読んでいます。

ダライラマ法王その他の僧侶による仏教関連の本を別にすれば、
巷に出ている最も一般的なチベット本は、旅行のガイドブックでしょう。

また、西洋人から見たチベットについての本なら
みなさまよくご存じの『セブン・イヤーズ・イン・チベット』 や
『ヒマラヤを越える子供たち』などがあります。

あるいは、亡命チベット人によって記されたものでは、
リンチェン・ドルマ・タリンの『チベットの娘』(中央公論新社)が
中国侵攻前のラサ貴族の暮らしを伝えてくれています。

しかし、今現在、チベット本土に住むチベット人が
どのように考えどのように生きているのか知ることのできる本は、
ツェリン・オーセルさんの『チベットの秘密』(集広舎)くらいしか
私は知りませんでした。
オーセルさんは、ご自身の思いを勇気をもって直截的に書かれるので
しばしば、自宅軟禁という憂き目にあっておられます。


一昨年の晩秋に京都・大谷大学で催された映画会
ペマ・ツェテン監督による『静かなるマニ石』を観に行ったとき、
会場で「セルニャ」なる雑誌(非売品)をいただきました。
それを読んで
チベットに現代文学が生きていること
何人もの小説家が、中国支配下のチベットで活躍しているということ、
それをコツコツ翻訳してくださっている日本人の研究チームがあるということを
知りました。

中心になっておられるのは、東京外大の星泉先生と
三浦順子さん、海老原志穂さんら「チベット文学研究会」のみなさんです。
この方たちがとても丁寧なよい仕事をしてくださるおかげで
辺境の地(日本の、しかも関西)にいても、
佳い本に次々と出合うことができるのです。
感謝~!

たぶん、今現在日本で手に入れることのできるチベット現代文学の本を
4冊とも私は読んでいると思うので、
(みなさまの興味関心にはおかまいなく・・・)
勝手にご紹介しちゃいます!


b0253075_20414044.jpgまず触れなければならないのは、
仏教文化の伝統を破って、はじめて口語表現をとりいれた人。
そして中国体制下の社会を、はじめて写実的に描いて小説とした人。
トンドゥプジャです。
あとにつづく若手作家たちにとっては、伝説的存在。
1953年に生まれ、1985年に自ら命を絶ちました。

『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(勉誠出版)
短編集ですが、どの物語もエネルギーがすごいです・・・
語り口が洗練されているとは言えないけれど
そこがまた味になっていて
妙に印象深い本です。

b0253075_20424366.jpg次は、今たぶん、本土で最も成功しているチベット人の文化人、
映画監督でもあるペマ・ツェテン(1969~)の
『ティメー・クンデンを探して』(勉誠出版)
これも短編集ですが、なかなかおもしろかったです。
同名の映画も作られていて、東京では上映会もあったようですが
私はまだ観る機会をもてていません。

なぜかチベットの現代作家たちは、
ラサなどの中央部ではなく、
東の遊牧地域(アムド)出身の方が多いのです。
統制の目の、まだ少しは届きにくい地域に育ち、
まだ草原を自由に駆け回ることのできた子ども時代があったからこそ、
それが原体験となって、小説が書けるのかもしれません。

b0253075_20465092.jpgいちばん最近に出版されたのは、
やはりアムド出身タクブンジャ(1966~)の
『ハバ犬を育てる話』(東京外国語大学出版会)

これも奇妙におもしろかったです。
トンドゥプジャを引き継いでいるかのような、
ちょっと目まいがするような物語群。
私は、個人的に大好きなルーマニアのエリアーデの
幻想小説を思い出しました。


そして最後にご紹介するのは
ラシャムジャ(1977~)の『雪を待つ』(星泉訳・勉誠出版)

b0253075_20483045.jpg星先生が単独で翻訳された長編小説で
文句なく私のイチオシです!

帯にあるキャッチコピーが、

「ある雪の日、ぼくは文字と出会った」

どうです?このひとことだけで、
ぱぁ~っとチベットの風景が
目の前に広がるじゃありませんか!
(私だけ? ^_^;)


原題のチベット語は「チベットの子どもたち」なんですが、
これを「雪を待つ」と訳されたセンスは
もう素晴らしいとしか言いようがありません。
まさに Quantum Leap ですね。
まぁ読んでみてください、機会があれば。

前半は、1980年代のアムドの半農半牧の村の暮らしが
子どもの視点から生き生きと描かれています。

村の四つ辻にはケサル大王を物語る老人がおり、
穴のあいたズボンで走り回る少年や
ひとつの飴を取り合う幼なじみたちがいる。

小さな子どもをのみこんでしまう恐ろしい水場もあり
そういうところには、きっと魔ものが住んでいる。。。

遠い世界の話のはずなのに、なぜかよく知っている世界のような気がしてきます。

後半はうってかわって2000年代の都会。
成長したかつての幼なじみたちが
それぞれ思いもよらなかった人生の展開に失望しながらも、
でも故郷での再会を果たそうとします・・・

文学作品としても一級だと思います。
私選・今年の一冊です!(←何さま?笑)

小説という形でこそ表現できることが、確かにあるように思います。
チベット現代文学の作家たちは、したたかに
チベットの今を描いて
それはときには、中国語にも訳されているのです。

ラシャムジャがあとがきに

「今、私は息子の成長する環境に危惧を抱いている。私が子供の頃に経験したのと同じような暮らしを息子は繰り返すことはできないし、それはわれわれ民族にとっても同じだ。・・・(中略)・・・今は故郷を捨て去る時代である。私の息子が成長した時、私と同じように故郷、故郷といって懐かしむ場所も、振り返る場所もないだろう。息子は都会で生まれ、都会で育っていくからだ。しかし、故郷とは地理的な意味をもつ空間というだけではなく、われわれがつねに辿りつく場所でもある。」

と書いていますが

チベットの現実を考えると、
この文はたいへんな重みをもって胸に迫ってきます。
またさらに、この危機感は現代の日本の私たちにも重なるように思います。

チベットの作家たちは、こうして
チベットの危機を普遍化することに成功しているようです。

これからどうなっていくのか。
とうぶん目が離せません。
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by prem_ayako | 2015-05-22 21:00 | tibet | Comments(0)
<千駄ヶ谷慈母会館>

b0253075_21194760.jpg2日目と3日目の会場・慈母会館は、
千駄ヶ谷の駅から10分ばかり歩かなくてはならない場所でした。

近所まで行ったら、ちょうど道路工事中で
そこからの道が分からず途方にくれましたけど、
親切な道路工事のおじさんが道を指し示してくださいました。
ありがたい~この方も仏さまだったかもしれません。
ちゃんと間に合って、前の方の席に坐ることができました。

慈母会館でのお教えは、チュゥ(gcod)。
ミラレパより少し前のチベットの女性行者、
マチク・ラプドンが広めた修行法です。

説かれることの、わりとめずらしい教えのようで
遠方からの参加者がたくさんおられました。
私も、是非この教えを受けたいと、目当てにやってきたひとりです。

しかもお世話役さんは、定員を超えて受け付けをされたようで(^^;)
会場は、身動きできないほどぎゅうぎゅう詰めでした。
そこで丸2日かけて、尊いお教えを受けました。

チュゥは、顕教と密教の両方の心髄を備えているということで、
顕教では般若心経の流れ
密教ではマハームードラの流れ
を受け継いでいます。

なんともありがたいことに、
私は昨年と1昨年に、ガルチェン・リンポチェからマハームードラの教えを、
昨年はおひげリンポチェから、般若心経の教えをいただいています。

その都度、これはぜひとも参加しなければならないと感じて
駆り立てられるようにして学んできたご法話が
今、ひとつに結びつきました。。。(T_T)

私がここにこうしているのは
何かの因縁で決まっていたことなのでしょう。
その証拠に、ここで教えを受けるにあたって、
大きなJ先生をはじめ、道路工事のおじさんや、その他多くの人々が
無償で助けてくださいました。

ひとつひとつ、何を学んでいくかについても
ちゃんと道がついていたのでしょう。
私はただ、信じて歩いていきさえすれば
必要な教えが世界の側から訪れました。

もうこれ以上、いろいろなことを知る必要はない。
私は今生の終わるまで、この教えを正しく実践していこう。
堅くそう思いました。


昨年、ガルチェン・リンポチェからお名前をいただく少し前に
このおひげリンポチェからも私はお名前を頂戴しました。

ガルチェン・リンポチェにいただいたお名前があまりに立派だったので
おひげリンポチェにいただいたお名前のことをあまり大事にしていなかったのですが
(スミマセン!)
えらいもので、おひげリンポチェの御前に坐っていると、
その半ば忘れていた名前が、胸に浮かびます。

あぁ私はこの方の弟子でもあるのだ
それもまた決まったことであったのだ
この方にもついていこう、と
心に決めました。


ガルチェン・リンポチェは慈愛でもって
私の心を開いてくださいました。

一方、おひげリンポチェは力強く、
迷いから抜け出すための確実な智慧を与えてくださいます。

お2人の類い稀なる素晴らしいラマにお会いすることができて
今生の私は、本当に果報者です。

最後のおんまにぺめふむ唱和の際には、
あたま真っ白のまま
なぜか声がつまり、泣けました。

何が起こったのか、わからないままでいいと思います。
ただ、この一瞬が得がたい。
ただ、ありがたい。
それだけの感覚でした。

南無南無南無。


<東京駅>

毎度、チベット仏教の集まりでは、時間が読めません。

最終日の終了時刻は午後8時頃と聞いていましたけれども
それを信じて9時台の最終の新幹線を予約しちゃったりしたら
絶対に間に合わなくなるよ・・・と、私にはわかっておりました。

せっかくの教えの機会を最大限に生かすにはどうしたら?
ホテルにもう1泊して、翌朝の新幹線で帰るのが一番簡単なんですけど、高くつくしね。
それで、その夜遅くの夜行バスで、神戸に帰ることにしました。

これが私の今回の旅の、最後のハードルでした。
午後11時半に、ひとりで
東京駅近くの夜行バス集合場所までどうやって辿り着くか!?

教えを受けるまでは、諸仏諸菩薩が守ってくださいましたけど
受け終わってからは、お助けはないかもしれませぬ(笑)

・・・ま、初めてのことって、いくつになってもドキドキするものです。


ちょうど、10時過ぎの別の夜行バスに乗るというお友だちがおられたので、
ごいっしょに東京駅構内で軽く食事を済ませてお別れし、
いざ私の集合場所へ!

まず東京駅を、正しい出口から出るというところで、つまづきました(^^;)
八重洲北口がわからん!!
東京駅、工事してるし!
だんだん閉まる店が増えていくし!

いつもながら、自分の方向音痴ぶりには感心します。
でもね、たっぷり時間があるから、落ちついて迷っていて大丈夫!
( ↑ ヘンな自信)

かなり歩き回ってようやく見つけた八重洲北口から外に出て
プリントアウトしてきた「八重洲北口からの行き方」の写真を見つつ
小雨の中、ようやく、アヤシい雑居ビルのVIPラウンジにたどり着きました。

ラウンジは、ちょっとしょぼいけど
一応パウダールームや着替えのお部屋があるので便利です。

お湯でお化粧をすっきり落として
コンタクトレンズをはずして眼鏡にかえて、
ゆっくり本を読みながら、出発時刻を待つことができました。

あとは寝るだけ~
最後の難関もクリアです!(^^)!
諸仏諸菩薩、みなさまのご加護に感謝!!



b0253075_21234825.jpgあれから少し日が経って
少し印象が薄れてはきましたが、

まだ耳にはリンポチェのお声や太鼓や鐘の音が響き、
胸にはおんまにぺめふむの感動がうずまいておりまする。

ご法話のありがたさと感じとったことのありがたさと、
道中のおまぬけぶりとの乖離が、激しいのですけれど(^^;)

ほんとうに善き旅でした。
ナモナモ
合掌。
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by prem_ayako | 2014-12-15 11:01 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako