アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:tibet( 70 )

ソンタルジャ

しばらくとっても忙しかったんです。
いやもちろん、4月末は2泊3日の「かささぎ座」、
5月連休は4日連続の「秘訣講座」、
さらに9日から箕面でのパセージが始まったということもありますが・・・

それに加えて
というか、その合間をぬって
連日大阪まで映画を観に行っていたからでございます(^^;)

書記のお仕事をさぼったり
秘訣講座を途中で抜けだしたり
チベット語レッスンの時間を遅らせてもらったり(滅茶苦茶やっとるなぁ)
あれこれ諸方面にご迷惑をかけまくってm(_ _)m
そこまでして観たかった映画って何?

実は、大阪の第七藝術劇場という映画館で、
「チベット映画傑作選」と銘打って
毎日、日替わりで、今日までチベット映画が上映されていたのです。
b0253075_22501646.jpg
先日から、『草原の河』という
チベット人監督による、チベットで撮影された、チベット語の映画が
日本ではじめて劇場公開されています。

それに合わせて
今まで日本で観る機会のほとんどなかったチベット映画が、
1日1本ずつ(^^;)上映されていたのです。

こんなチャンス、逃すわけにいかんでしょ。
いつまた上映されるか分からないんですから。

まあ、オタクな世界でしてね。
第七藝術劇場(通称ナナゲイ)は知る人ぞ知る小さな映画館でして
私はかつてここで、観客たったの3名という経験をしたことがありますが、
今回は、もう少し多くて、いつも10人以上は観客がいましたね(^^;)
土日はさすがに30人ほど入っていましたけど、平日になるとぐっと減りました。
しかもだいたい同じお顔ぶれでしたね。。。


そして私は、すっかりはまってしまったのです!

・・・それで、誰も求めてはいないけれど 笑
私のイチオシのソンタルジャ監督について、熱く語ることにいたしましょう(^^;)


ソンタルジャは
第一作が『陽に灼けた道』2010年
第二作がいま絶賛全国公開中の『草原の河』2015年

私は、どちらかというと第一作の『陽に灼けた道』の方に、
より深く引き込まれました。

陽に灼けた道 予告編

どのカットも無駄なく美しく、
もうかたときも目を離せなかったんです。
息苦しいほどに、集中して観ておりました。。。
台詞も、音響も、考え抜かれ
不要なものがそぎ落とされ、
クライマックスで、静かに静かに涙が溢れてくるという・・・
第一作にして、ものすごく完成度の高い映画でした。

そして最後のシーンの語るものは何か・・・
それからずっと後を引いて、考え続けています。
どこかでチャンスがあるなら、また必ず観たいと思っています!

第一作『陽に灼けた道』の全力投球度に比べると、
『草原の河』の方は、きっと意図的に、少し「遊び」があって
まだ少し、息がつけました。
(しかしこれも完成度めちゃ高いです!オススメです!)

なんといっても主人公の女の子が可愛いくて可愛くて。
可愛すぎてせつなかったです。。。

草原の河 予告編

どちらの映画も、
生まれることと死ぬことをストレートに扱っていて
その背景が
埃っぽい道だったり
草原だったり
凍った河だったり
現実の、今現在のチベットなのでした。


ところで、数年前に観たペマ・ツェテン監督の『静かなるマニ石』2005年が、
私とチベット映画との出会いでしたが、
今回、ペマ・ツェテンの『草原』2004年と『ティメー・クンデンを探して』2008年も
観ることができて良かったです。

実は、ペマ・ツェテンの映画の撮影をしているのは、ソンタルジャなのです!

彼らは同じ北京電映学院の出身で
ペマ・ツェテンは脚本、監督、
ソンタルジャは撮影、
もうひとり、ドゥッカル・ツェランは録音技術を学んで
3人でタッグを組んで、次々とチベット映画を撮ってきています。
すごい友情ですよね~

『ティメー・クンデンを探して』における
ソンタルジャのカメラワークは、すばらしいです!

会社社長が自分の初恋の物語を話している間、
じっと黙っている後部座席のスカーフの娘。
窓ガラス越しに、この娘の目がうるんで見えるところとか

b0253075_2251578.jpg


社長の初恋の語りが佳境に入ったころ、
いきなり現れた羊の群れが道を塞ぐところとか

そして最後、娘が別れた恋人と再会するところ。
遠くからロングで校庭を見下ろすカメラ。
あえて、ふたりの会話や表情が見えないように。

うまいなあ!
と、すっかりソンタルジャのカメラに魅せられた私は思うのでした。


でも、こうやって書いているうちに、

私がなぜソンタルジャを
カメラワークだけでなく、監督として好きなのかが
分かってきました。

ソンタルジャの映画の基調になっている感情が、「悲しみ」だからだと思います。

たぶんそのせいで、
彼の映画は、とても深いところに触れてくる感じがします。

どうしようもない運命にであった人間が
その悲しみから立ち上がっていく過程を描くことが、
いつも彼のテーマなのじゃないかな・・・

じんわりと、あとに効いてくる
よい映画とであいました。
みなさまも、機会があれば、ぜひ。
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-05-12 22:41 | tibet | Comments(0)

チベット語会話

5年ぐらい逃げ回っていたタスクと
b0253075_1626912.jpg向き合わねばならないときが
ついにやってきたようデス・・・

いやなに、
チベット語会話なんですけどね。

もともとチベット仏教に興味をもった時点では
まさか自分がチベット文字を読むようになるとは考えておらず

まさか自分にチベット語を教えてくださる方々が
身近に
次々と
現れるとは思っておらず

さらに、今度は
まさかチベット語会話を学ぶはめに陥るとは・・・

どうやら私は、
いつも師から
上手に勇気づけられてしまうという
星の下に生まれたようです(-_-)


ドルズィン・リンポチェは
来日されたその日から
「チベット語会話も習たらええのに。そしたら俺ら、喋れるやん」
ておっしゃっておられました。
(ホントはきっと、もうちょっと丁寧な英語)

その後も、やっぱりたびたびそうおっしゃいます。
1週目の前行が終了した日、
晩ご飯を膳所のご飯屋さんで済ませてホテルに帰る道すがら
「ほんまに会話もやりぃや。
 ゆっくりゆっくりでええから勉強し。
 そしたらある日、チベット語が、あっというほど分かるようになってるで」
って、しみじみおっしゃいました。
(なんでこんなに大阪弁で聞こえてしまうのかしらん)

それでね、ときどきテストもされたんです。
ポットを運んでたら、「何が入ってるんや?」
「空です」
「Empty! Good! In Tibetan?」
あのね。
英語喋ってるときは英語脳になってるの。
いきなり言われてもチベット語単語出てこないの。
「え~と、えーっと」
「とんぱ やんか」
「あ、そうだった、とんぱです~」

「正確には、とんぱは empty、とんぱにーが emptiness やねんで」
「はい~」
みたいな。


もっと若い頃にチベット語を習い始めていたなら別ですが、
なんせ50台から始めていますからね、
今生でチベットに行くことはないだろうと思っているのです。

だけど、まさか、こっちへチベットの方をお招きすることになるなんてね。
こうなると、ほんとに少しぐらいは日常会話できる方が便利ですね。

アドラー博士も、60才になってから英語を学び始められたと聞きます。
そしてアメリカで講演し、アメリカの大学で教職につかれたのです。

それを思えば・・・私も、今ならまだ間に合うかも。
何も難しいご法話を分からなくていいので、
ただ、「その壺をとれ」とか「小皿は6枚必要だ」とかが分かればいいのです。
逆に、今を逃せば、もう無理かもしれません。

つうわけで、W先生にお願いして
現代チベット語会話を学び始めることにしたのです!


先週の火曜日、
チベット語会話初回のレッスン。
テキストは、ちょうど出版されたばかりの『ニューエクスプレス チベット語』でした。

レッスン1は「Hi, I'm Ayako」のレベルですが(^^;)
おお!ドルズィン・リンポチェに習った
「くすでぽいんぺ~(お元気ですか?)」が
ちゃんと本に載っています。
スペルがわかってうれしい♪

だいたい、リンポチェは「けらん(あなた)」を「ちぇらん」って発音しておられたし。
「らまけんのー(上師よ見そなわせ)」も「らまちぇんのー」だったし。
テキストにはラサ発音のCDがついていますが、これは、ほぼ役に立ちません。
私の師たちは、残念ながらみなさんカム訛りなので!

b0253075_16274427.jpgさらに言われて急ぎ購入したのが、
『旅の指さし会話帳 チベット』という本です。
単語力アップに良さそうです!

1時間ばかりW先生にみっちりレッスンしていただいて、
と~っても楽しかったのですが、
あと、ひじょーに頭が疲れていました。
そりゃそうよね。。。

1ヶ月に1回ぐらいのペースで「ゆっくりゆっくり」続けて
1年後のドルズィン・リンポチェ再来日のみぎりには
うふふ・・・チベット語のお喋りを披露したいと思いますw


それから数日たったある日、携帯がぴろん!と鳴って何かメッセージが届きました。
見たらドルズィン・リンポチェからでした!

b0253075_16302865.jpg「たしでれ~ Ayako も Jalsha も元気でやっておるか?
 わしは今、日本食のレストランで食事をしておるところじゃ。
 たいへんおいしいぞ。
 チベット語の勉強をしっかりするのじゃぞ」

・・・と、チベット語で書いてありました!
解読に数分かかりました(=_=)
(なぜかチベット語は老僧風・・・)

お写真つきです(^o^)

こうなったらチベット語でお返事を書こうと思いましたので、
お返事を出すまでに、またかなり時間がかかりました(>_<)
『旅の指さし会話帳 チベット』をめくって「おいしそう!」というフレーズを見つけ、
「リンポチェ、たしでれでございます。
 私ども2人はとても元気にしております。
 とてもおいしそうでしゅね」などと書きましたとさ(笑)


ちなみに、大きなJ先生ところにチベット語メッセージは送られてきません。
どうやらチベット語会話については、私がターゲットになっているもようです。

いやーなかなかに楽しい暮らしです(T_T)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-04-09 16:33 | tibet | Comments(2)

阿難と摩訶迦葉

b0253075_22345231.jpg私に一体いかなる福縁があったのでしょうか?
今生で生きた仏陀であるガルチェン・リンポチェとお会いでき
生きた菩薩であるドルズィン・リンポチェのお世話を
少しばかりさせていただけたなんて。

チベット仏教に興味を持ち始めたのは
2011年秋。
思えばもう5年半も前になるのですね。
もちろんその頃は、未来の私がこんなことしているなんて(^^;)
想像もしませんでしたよ。

2013年夏にはじめてシンガポールに行って
ドルズィン・リンポチェにお会いしました。
b0253075_2237178.jpgこんなにお近づきになれたことも、ほんとうに不思議です。

あの時は、ただただガルチェン・リンポチェにお会いしたい!
それだけの思いでシンガポールに飛んだのです。

強い陽射しの中、今よりもう少し細身だったドルズィン・リンポチェが
ダルゲ・リンの前に立っておられた姿を思い出します。
 What is your lineage?と聞かれたので、
 - Garchen Rinpoche.と答えると
 Garchen Rinpoche? So do I. Same.
と笑われました。


俗世のご縁でいえば、
もちろんアドラー心理学の師匠である大きなJ先生とのご縁が深いですし
そのおかげでさまざまなお仕事をいっしょにさせていただいておりますが

その他にも、まるで目まいがしそうなほど
さまざまな縁と因とが互いに絡みあい結びあいしているように感じるのです。


今回のリトリート開催にあたって、
ほとんど全日、通訳を勤めてくださった素敵なWさん。

Wさんとのご縁が結べたのは、
アドラーのお友だちのNさんが
チベット語をいっしょに学ぼうと私を誘ってくださったからです。

そもそもNさんがチベット仏教を学んでおられることを、当時私は全く知らず、
2011年にはじめて行った大阪のポタラカレッジで、
私の前の席にNさんが偶然、座っておられたのです。
不思議ですよねぇ!

私たちの最初のチベット語の先生はタンカ絵師のMさんでしたが
2015年から、Wさんにお願いして学んでいます。
そのご縁で、このたびの通訳をお願いしました。
引き受けてくださってほんとにほんとに助かりました!

今回のリトリートの成功要因は、文句なしに、
W先生の美しく分かりやすい日本語通訳でした!
ね!!(^_^)v


また、チベット風の祭壇用の布を調達できたのも、
Wさんが、お知り合いの広島龍蔵院のラマさまにお願いしてくださったからなのです。
なんと畏れ多いことに、私たちディクン・カギュ派なのに
ゲルク派のラマさまに、ネパールでのお買い物をお頼みしてしまいました(^_^;)


さまざまなご縁を
ほんの少し考えてみただけでも、
予想もしない以前からの因が熟して
この2週間のリトリートに結実していたことが分かります。

当然それは私だけでなく、
参加者のみなさんも、それぞれの因と縁とがそれぞれに実って
今生で、生きているダルマに出会われたのです。

アドラー心理学を学んでこられた方が多かったわけですが、
どうですか? こんなところに辿りつくなんて~
予想しないですよね、ふつう(*_*)



少し話は変わりますが、
お釈迦さまの晩年のお弟子に
マハーカーシャパ(摩訶迦葉)という方と
アーナンダ(阿難)という方がおられました。

マハーカーシャパはクールで実際的な方だったようで
たいへん賢くて政治的な配慮に長けていて
お釈迦さま亡きあとのサンガは、
マハーカーシャパの下でうまくまとまっていったそうです。

アーナンダは、お釈迦さまのことが好きで好きで大好きで
ずっと身の回りのお世話をしていました。

阿含を読むと、お釈迦さまの亡くなる前後の
アーナンダの後悔や悲しみが細やかに描かれていて胸を打ちます。

マハーカーシャパは優秀で、お釈迦さまご存命のうちに悟りを開きました。
アーナンダは多聞第一と言われ、
お釈迦さまのおそばでたくさんのお言葉を聞いて学びましたが
お釈迦さまご存命の間は悟りませんでした。

喩えるのも畏れおおいことですが・・・
おそらく
ライフスタイルの傾向としては、
私はアーナンダの方で、
J先生はマハーカーシャパさまなのだろうなと思うのです。


サンガにはどちらの個性も必要です。
サンガには、
どんなときも醒めた理性を維持できるマハーカーシャパのような人が何人か必要だし
私のようにうっとり系の(少しばかり)狂信的な信者も
情の部分の受け皿として必要だと思います。

しかしアーナンダだけでは組織が立ち行かないし、
マハーカーシャパだけでは、つまらないでしょう。


サンガ(教団)を運営する主体の側になるとは思ってもいませんでしたが

なんと私、はじめてシンガポールに行った直後の2013年9月のブログ
Sanghaという記事の後半に
既にそんなことを書いておりました・・・!

ということは、
こうなるべくしてこうなったんでしょうね。。。

今後も私たちは、根本上師ガルチェン・リンポチェのお教えを
類い稀なる兄弟子ドルズィン・リンポチェから、学んでいきます。

J先生は知の部分、私はその他の部分で
お仕事をしていくことになるのかな、と思います。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。
 
b0253075_22311353.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-04-02 22:49 | tibet | Comments(2)

生きているダルマ

歩き疲れたので
東寺内の小さな喫茶店にみんなで入りました。

ひなびたお店でしたが、窓の外に鯉の池があり、
西日がやわらかく差す席で、
リンポチェはとてもくつろがれたご様子でした。

ミュージアムをいくら見ても仕方がない、ということなのでしょう、
「他の寺にはもう行かなくていいよ。I am happy here」
とおっしゃるので、風が強くて寒い日でしたし、
ここでゆっくりと過ごすことにしました。


日本の仏教はたしかに死んでいます。
人々は死んだ目をして毎日の生活に追われています。
でも心では本当のダルマを教えてくださる人を探し求めていました。
日本に生きた教えを伝えてくださってありがとうございます。
とみんな口々に、リンポチェにお礼を言いました。

日本は仏教国だ。
日本人には、もともと仏教に対する信仰がある。
正しいダルマを知れば、日本人は変わるだろう。
とリンポチェはおっしゃいました。

リンポチェが来てくださって本当にありがたい。
私たちはほんとうに渇いていたんです。と言うと、
Thirsty? Then, drink water!
と混ぜっ返されます(^_^;)

あるいは、質問したり
自分たちのセッション中の体験をシェアしあったり
リンポチェもあれこれくつろいだお話をしてくださったりして、
とっても楽しい美しい時間でした。


リンポチェがお話をなさっていると、
外の池の鯉も、窓際のリンポチェの方に泳いできましたし
鳩もリンポチェの窓の外に飛び降りました。

本当に起こっていたのですよ。

私たちは、ほんものの、生きたブッダにお会いしていたのです。
人身得難く正法逢い難し。
私たちはこの2つともに得るという、奇跡の中にいたのです。

b0253075_1152659.jpg


夕日の中、京都駅まで歩いてもどって
荷物を受け取り、
ご一緒してくださった○さん、Bさま、Kちゃんとお別れし、
私はリンポチェと特急「はるか」に乗り込み、一路、関西空港に向いました。

2人掛けの席で、もちろんリンポチェには窓側に座っていただき、
私が切符をお預かりして、ゆっくり休んでいただきました。

お疲れのリンポチェは真っ直ぐにお座りになったまま目を閉じて
関空に着くまでの1時間半、
物音ひとつさせず、深い眠りに入られたようでした。

私もリンポチェの眠りを妨げないように
静かにこの2週間のことを思い出しておりました。

ともに過ごさせていただいて、ようやくコミュニケーションが取れるようになりました。
思えば最初に来られた日には
私たちがリンポチェの英語のアクセントに慣れていなくて、
なかなか意思疎通がうまくいきませんでした。
来日早々、リンポチェは困ったもんだと思われたかもしれません。
今ようやく、ちょっとこみいった話でも
あるいはざっくばらんな個人的な話でも
気軽にできる関係ができたのに
もうお帰りになってしまわれる。

私たちは信じられないような日々を過ごしましたが、
リンポチェのおられない日々もまた、信じられないような気がします。


終点が近づくとリンポチェは自然に目を覚まされて、
I had a good sleep.
と微笑まれました。

凄いですね。
お休みになるときも
覚者とはこういうふうなのですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-04-01 23:59 | tibet | Comments(2)

東寺

全部のプログラムが26日に終わって
翌日の月曜日は、
リンポチェを囲んで、数人で京都ツアーに行きました。

リンポチェをいちど京都にお連れしたかったし
あまり混むところは避けて
とりあえず空海建立の密教寺院、東寺と
時間が余れば東福寺も、と考えていました。

11時にチェックアウトしていただいて、
リンポチェのスーツケースを○さんがひっぱってくださって
膳所まで歩き、ローカル電車に乗って京都へ。
ものすごい人混みの京都駅で荷物をあずけて
さあ出発!

リンポチェは、京都駅の大きさにびっくりされたようで
日本でいちばん大きい都市は?
2番目は? 3番目は? といろいろお尋ねになります。
1番大きいのは東京で、政治・商業すべての中心。
2番目は大阪で、商業都市。
京都は3番目で、明治になるまで長く天皇のおられたところです。
(と答えたけれど、合ってます?)

日本の天皇についても、あやしい知識と英語でご説明しました。
2500年間、ひとつの lineage で続いていることや
戦乱で京都におられなかったときを除き、
ほぼ1200年京都にお住まいだったことなどお伝えしました。
(合ってます?)

b0253075_11445999.jpg

白木蓮の花が咲いていて、
リンポチェはこの花から薬ができるのではないかなと、
花びらの匂いをかいでおられました。
咲いている姿はとても美しいのに
歩道に落ちた花びらは残念なことに汚れていて
空と無常の現れだ、など
とってもリラックスしておしゃべりされました。


道ぞいの食堂できつねうどんや親子丼を召し上がっていただいて
(なんでいつもこんなにローカル ^^;)
ようやく東寺につきました。

手水場で私たち俗人は、手と口をすすがなくてはなりませんが、
リンポチェはお坊さまなのでその必要はありません。
でもリンポチェは、「それはよい習慣だ」とおっしゃって
いっしょに手と口をすすがれました。

まずは食堂の十一面観音さまにお参り。
リンポチェはお堂に入られたらすぐに毛糸の帽子を脱がれます。
観音さまの前で真言を唱えられ
日本の習慣にしたがって、お賽銭をあげられました。

それから有名な講堂の立体曼荼羅へ。

大きな空間に、大日如来を中心とした迫力ある立体曼荼羅。
私なんぞはリンポチェとこの空間にご一緒することだけで
もう感動しちゃうのですが

リンポチェはさっさと歩かれて
少し真言を唱えられただけで外へ出られました。

金堂の大きな薬師如来も見ましたが
あまり興味は示されず
「ここに僧は住んでいるのか?」とお尋ねでした。
「たぶん住んでいません」
「観光客だけ?」
「そうですね。在家の信者が年に何度か集まって法要をしているようですが」
「僧は住んでいない?」
「いないようです」
「そうか」

宝物殿にも行きましたが、入ったとたんにリンポチェは
Ah, museum! と呟かれました。

大きな梵鐘の前でおっしゃったお言葉は忘れられません。

Before, monks beat it and everybody came.
Now, it is in the museum and nobody comes.
(昔は、この鐘を僧たちがつくと人が集まった
 今、鐘は美術館におさまって、誰も来ない)

おっしゃる通りです。

私たちは何も考えていなくて
リンポチェと日本のお寺でご一緒していることだけで喜んでいたのですが、
リンポチェは常に、dharma が生きているかどうかを見ておられたのです。


それから五重の塔の前で記念撮影などしてぶらぶら歩いていると、
幼稚園児がピヨピヨと整列しているところに出会いました。

リンポチェ、めずらしく
「あの子どもたちと写真を撮ってくれ。先生に頼んでくれないか」と
リクエストされました。

若い先生にお願いしてみましたが、
子どもの顔がネットに流れるのを気にしてる様子・・・
でも、その間にリンポチェは、
もう子どもたちの後ろに並んでしまわれました。

b0253075_11491179.jpg

とたんに、子どもたち、きゃぁきゃぁ大喜びです。
リンポチェのお顔もものすごくうれしそうで、
今まで拝見したことのない、くっしゃくしゃの笑顔です!

子どもたちはもう、嬉しくてたまらない様子で
リンポチェの頭を叩いたりさわったり、ひっぱったり、
なんていうんでしょうか
いきなり大きなエネルギーが現れたのを感じ取ったみたいで
ものすごく活気づいているのです。
子どもには、わかるんですね!

b0253075_11475218.jpg


この一瞬の変化!
驚くべき変化でした!

b0253075_11503423.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-04-01 23:52 | tibet | Comments(0)

限界をこえて

大きなJ先生と私は、以前にも
海外からアドラー心理学の先生をお呼びして
日本に滞在していただいたことがあります。

2009年秋に2ヶ月間、ラトヴィアのヨランタさんと娘のナラさん
2010年秋に、スイスのイヴォンヌ先生と旦那さんのハインツさん
をご招待しましたし、
さらに今年の秋には、アメリカからウォルトン先生と奥さまとを2週間、
お呼びすることになっています。

ですので事前のメールのやりとり、
会場やホテルの手配、
送迎や接待などについて、
少しばかりのノウハウがありました。

ですが・・・
今回のドルズィン・リンポチェのご滞在に関しては
今までの経験はほとんど役に立たなかったデス!

なぜかというとまず、言葉がほとんど通じなかったから・・・(-_-)

リンポチェの英語は
ご自分ではブロークンだとおっしゃいますが、というよりもむしろ
チベットの訛りのせいで、私にはとても聴き取りにくかったのです。

ほんとに何回聞き直して言いなおしていただいても分からなくて、
リンポチェにかなりのご迷惑をかけてしまいました。

チベット語は、学んではいますが
「お経を読む」ということに特化してずっとやってきましたので
会話はまるっきりダメなんです!

そもそも今生で、チベットの方とさしでお話しする機会があろうとは
昨年の夏頃まで想定してなかったわけで。
(こんな事態になるなんて~人生わからないもんです)


さらに、リンポチェをどのように遇すればよいかもよく分かっておらず・・・

貴人でおられることは確かなので
お家を浄め
新しいスリッパやコップをそろえ
在家の主婦として考えられる限りのおもてなしはしたつもりなのですが

やっぱり、あれこれ失礼があったと思います。
何があってもリンポチェは全然気になさらなくて
いつも「とても快適だ」と言ってくださっていましたが
今になって、ああすればよかった、こうすればよかったと思うことが多いです・・・

また前にも書きましたが、祭壇のしつらえとか
儀式がどう進んでどこでお手伝いが必要かだとか
もうほんとうに手探りで、出たとこ勝負で、
よくまあ無事に終わったものですw

寛容で、
フロンティア精神に溢れたドルズィン・リンポチェだからこそ
お許しいただけたのでした~(^^;)


逆に、リンポチェからの予定変更もありました。

たとえば、前半最初の「三十七の菩薩行」のご法話が
時間が足りなくて途中までしかできなかったことが
リンポチェはとっても心残りだったみたいで、
「前行」の始まる日、「ぜひ今日、続きを教えたいのだが」と言い出されました。

それはたいへんありがたいお申し出なのですが!

「前行」の参加者は「三十七の菩薩行」の参加者と半分ほど入れ替わってますので
「三十七の菩薩行」の続きを「前行」の日にしていただくわけにはいきません。

リンポチェのご意向を実現するためには
(それはぜひ実現しなければならないのですが)
可能な時間帯(現実には翌週の水曜の午前しかなかったです)の会場を確保し
その時間も通訳のWさんに来ていただくようにお願いをし
「三十七の菩薩行」に来ておられた方全員にメールで連絡して
お返事を待って名簿をつくり

その中の午後も続けて参加する人たちのために
お弁当の手配をして・・・などなど

ひとつの変更に伴って、さまざまなお仕事が発生しました。


そんなこんなで
前半の週末あたりが、私にとっては疲れのピークでした。

毎夜10時過ぎて帰宅して
帳簿をつけて
翌日必要なものをかばんに入れて
お風呂に入ったら、とっくに日付は変わっています。
泥のように眠る日も興奮して眠れない日もありましたが、
なんとなく慢性の睡眠不足状態。
・・・ともかく毎日精一杯でした。

そんな中でふと思いついたことがあったら、
直感にしたがって
ともかく実行するようにしました。
そうすると、たいていみなさんに喜んでいただくことができました。


なんとかなる。
自分のことを考えないで
周りのことを考えて動いておれば
それでうまくいく、ということを学びました。

私の手に余るときは
「どなたかお手伝いしてくださいませんか?!」と呼びかけたら
何人もの方が、すぐに手を挙げてくださいました(T_T)
ほんとうに、ありがたいことでした。

そうして、
すべてがうまくいきました。

仏さまの加持力と
衆生の請願力と
法界の縁起力
のおかげです~ 
 
b0253075_1139262.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-04-01 23:43 | tibet | Comments(0)

ハサミとペン

これも儀式のお手伝いのときのお話です。

灌頂よりも前でした。
1週目の前行講座の3日目に
仏道に入ることを決めた参加者たちのため
リンポチェが帰依戒を授けてくださることになりました。

戒を受ける者は、髪の毛を少しハサミで切っていただいて、
今後ブッダの境地を得るまで仏法僧に帰依することを誓います。
日本でいうところの「お髪剃り」だと思います。
そしてひとりひとり、戒名(ダルマ・ネーム)をいただきます。
とても美しい、感動的な儀式なんです。
(私自身は、2013年7月にガルチェン・リンポチェから帰依戒をいただきました)


リンポチェから戒を受ける者の人数を教えてくれと言われましたので
(お名前を考えてくださるのだろう)と思って
希望者を把握し、男性が何人で女性が何人で、と前夜にお伝えしました。

当日の朝、座につかれたリンポチェにお湯をお出しすると、
リンポチェが小さな声でおっしゃいます。
「I need scissors and a pen」
「Oh.... Scissors and a pen....」とバカのように繰り返す私。
「When?」
リンポチェちょっと笑われて「Now」
(@_@)
「これに書かなきゃならないから」と示されたのは、
目の前に積まれた白紙の帰依カードです。
なんと!今から書かれるんだ!

・・・ペン、ペンはすぐにお渡しできるけど
ハサミね、ハサミは、私、今日持ってきてないと思う・・・
探してみたけど、やはりありません。まいったね。
帰依戒のことは前もってシンガポールと打ち合わせてあったのに、
絶対に必要なハサミを持ってきておられないなんて~

・・・とか考えながら、ともかくペンをすぐにお持ちすると
「ハサミはそんなにすぐでなくてもいいよ。Perhaps about one hour」と言われ、
私はなぜか、たぶん動転していたからでしょう、
1時ぐらいでいいんならお昼に買いに出ればいいわと
思いこんでしまいました。

でもどうやら儀式はどんどん進んでいくし
あら、1時じゃなくて1時間っておっしゃっていたのか!
とやっと気がつき

これはいかんと慌てて、
前に座っていた○さんに
「ねえ、ハサミ持ってる?」って聞いたら
「ハサミ?あっ~!!」
「下で借りてきます!」とすぐに走りだそうとされました。
ところがお隣に座っていたNさまが
「ハサミ?ちょっと待ってね(バッグをごそごそ)これでいい?」
と魔法のように、
小さな年代物のハサミを差し出してくださったのです(感謝!!)

まぁ~これもほんとにギリギリのところですw

おかげで帰依の儀式はとどこおりなく進み、
みなさんリンポチェに少しずつ髪を切っていただきました。、
切られた髪は、リンポチェが今までに帰依戒を与えた方々と同じ袋に納まりました。

Nさまはご自分のハサミで
ご自分の髪を切っていただき、戒を受けられたのでした(随喜!)


このときのペンとハサミはすぐに返していただいたのですが
ちなみにその後もリンポチェは、
いろんな人からその都度ペンを借りておられて、
そのままになっちゃったものが多かったみたいです(^^;)
みんな、リンポチェのお役にたつならと喜んでペンを供出したので
返ってこなくってもむしろ喜んでおられるのですけどね。

最終日の片づけ後、持ち主不明のペンが2、3本残っていましたので
とりあえず私が預かっております。
お加持つきのペンです(笑)
心当たりの方はお申し出くださいね。

私もさらにもう1本、求められてお貸ししたのですが
それはご帰国当日の朝、返していただきました(笑)
大事にします。


帰依戒の希望者は、2週目にも何人かおられたので
最終日、もう一度、帰依の儀式をしていただくことになりました。

2度目ですから、ハサミが要ることは織り込み済みです。
前夜、家にあった私の小さなハサミをアルコールで拭いてきれいにして
当日、リンポチェのお机にそっと置いておきました。
はい、とどこおりなく使っていただくことができましたよ(^^)v

でもね、今度はそのハサミ、
とても使いやすかったとリンポチェがお気に召されて
もらって帰っていいかな?とお尋ねになるのです(笑)
もちろん、そんなものでよろしければ!

無印良品の、刃先だけケースに入るタイプの小さなハサミです。
(今はもう取り扱っていないかもしれません)
このケースが旅で持ち歩くのに便利そうだ、ということです。
前の晩にきれいにしておいてよかったですぅ~


だいたいにおいてリンポチェ、無印良品グッズがお気に入り?みたいで
床に座られるときにとお持ちした無印の焦げ茶のクッションなども、
けっきょくは使われなかったのですが
「シンガポールに持って帰って使おうかな」
「え、いやそれなら新しいの買いますよ」
「いや、冗談、冗談」と笑われるのでした。

総じてお茶目なリンポチェなのでした(^^)
 
b0253075_2021673.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-03-30 16:47 | tibet | Comments(0)

灌頂のお手伝い(2)

b0253075_20121734.jpg

失敗もありました。

私にご用があるとき、
リンポチェは目で私を捜されます。

だいたいは反応できていたのですが、
一度だけ、最終日のターラー成就法の日だったかな。
その前の座で、あまりにも瞑想がうまくいったため
ちょっと虚脱してしまって
午後から、リンポチェのお声を聞きながら目をつぶって、少し眠ってしまったのです。

そしたらちょうどそのときに、リンポチェは私を捜されたみたいです(>_<)
あやこさん、と前の席の方に言われて
はっと気がついたときには、
大きなJ先生が代わりに動いてくださっていました。

あわてて立ち上がって、ばつ悪くまた座った私をご覧になって
リンポチェは笑っておられました。

・・・2週間のセッション中、私が眠って意識をなくしたのはこのときだけなのですが、
ちょうどそこにお仕事がやってくるんですね~
仏さまはよく見ておられます。

なんだかすべてが修業だったのだなぁと
今になったら、よく分かります。


ところで、灌頂は観音菩薩と白ターラー菩薩と2ついただいたのですが、
2回目の白ターラー菩薩灌頂のときは、
みんなで協力して、とても手際よく祭壇を用意することができました。

1回目の祭壇を写メして記録しておき、
そのとおりにまた作ったのです。

このときはリンポチェ、少し離れたところに座ってじっと見ておられ、
ときどき前に出て来られて気になる部分を直されました。

祭壇も美しくできましたが、
みなさんの協力もとても美しかったです。
リンポチェもご満足そうでした。

日本人は、よく学ぶ民族なのです!(^-^)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-03-30 16:45 | tibet | Comments(0)

灌頂のお手伝い

さてどのお話から始めましょうか。。。

チベット仏教の瞑想法のひとつ、
成就法(サーダナ)の前には、いつも灌頂があります。
灌頂は密教の大切な儀式です。
今回は、2週目に観音菩薩とターラー菩薩の成就法を学ぶので、
灌頂も授けていただきます。

私自身、いろんなところで何度か灌頂を受けましたが
リンポチェ方にはたいてい、お手伝いの随行の僧がついてこられますし
昨年秋おひとりで来日されたアヤン・リンポチェも
ご法話のときはおひとりでも、
やはり灌頂の際には、もと僧侶のラマ・ウゲンがお手伝いをしておられました。

ですから
どなたかしかるべき方にお手伝いしていただかなくてはと思っていました。
実は心当たりの方にお願いをしたのですが、
残念ながら無理だったのです。

ドルズィン・リンポチェご自身は、
全くかまわない、自分ひとりでするから気にするな、と言ってくださるのですが、
本当にどうなることかとひやひやしながら当日を迎えました。


ご法話の際の祭壇のしつらえにしたって、
いろんな方のご協力で布だけはなんとか3枚調達していましたが、
あとは初日にリンポチェにご指示いただいて、
あれこれ配置してどうにか格好をつけたのです。

b0253075_206481.jpg

灌頂となるとさらに、リンポチェご持参の
何に使うのか謎な金属製の法具たちが
たくさん別のテーブルに並びます。

今まではただ灌頂を受けるだけでしたから
儀軌の進行次第も法具の配置も、全く意識していませんでした。
いざ主催者側に立った今、何もイメージできないのでした。
とにかく、その場で言われた通りにするしかないのです・・・

前日の夕方、明日持ってくるようにとリンポチェに言われたのは
 果物
 ビスケット
 小さなお皿
 きれいな水(サフランなどを入れて黄色くした水)
 割り箸
 セロテープ
 水差し
 口をゆすいだ水を吐き出す器
などなどでした。

(実は後でまだ増えました。100%ジュース2種類とか、白い布とか。
 ・・・謎でしょ?)
何に使うのかよく分からないと、揃えるのも難しいものです(/_;)
できるだけ早くに帰宅して家捜しして、
ともかく持って行きました。

朝10時前に会場に集合して
机を移動し、いつものように祭壇を作り、
おいでになったリンポチェのご指示に従っていたところ、
「小皿は3枚必要だ」と言われまして(*_*)
あら~てっきり1枚だと思っていましたわ!
枚数を確認していなかった~っ

でも慌てていると、
Nさまが走って、ホテルのレストランで借りてきてくださいました(T_T)

また、家にあったサフランは古かったのでクチナシの実を持っていったのですが、
冷たい水を黄色く染めるのはあまりうまくいかず・・・
でもこれも、通訳のWさんが念のためにサフランを買ってくださっていたので
助かりましたm(_ _)m

なんかもう、ギリギリのところで切り抜けている感じです。
(結局、毎日毎日、最後までこうだったんですが・・・)

ようやくサフランで染めた黄色い水が出来上がり、
2つの壷にそれを満たして、祭壇に並べます。

一度目は壺に入れた水の量が少なすぎるとダメ出しされ、
そうかといって満タンにすると運ぶときに口から水がこぼれ、
まったくもって大変でした(汗)

じっとご覧でお待ちになっていたリンポチェからすれば、
大勢であたふたと、さぞや不手際で不細工だったことでしょう!

準備がすべて整うと、
リンポチェは1時間半ほど瞑想に入られ

その後お昼をはさんで
灌頂が始まったのは午後1時からでした。

b0253075_20151939.jpg

リンポチェは印を結び、真言を唱え、鈴やダマルを鳴らされます。
ときどき通訳のWさんに指示を出されます。
チベット語がわかるのはWさんだけですから
申し訳ないけどお任せするしかないな~と見ていたら、

そのうちに私も呼ばれ、
Wさんと一緒に、みなさんの手のひらに
お清めの水を注ぐ役をおおせつかりました
うまく適量を注げなくて、
注ぎすぎてテキストを汚してしまった方、本当にごめんなさい!!
懺悔しますm(_ _)m

こういうことに使うと分かっていたら、
もっと注ぎやすい水差しを考えたのですが・・・後の祭り。

また、果物とビスケットを少しずつ載せた例の小皿を
折々に、外に施餓鬼に持って出るというお仕事もありました。
最初はWさんがしてくださっていたのですが、
通訳のお仕事があるので
「アヤ」と呼ばれて私も何度かさせていただきました。

結局小皿は3枚どころか、5、6枚も使われたように思います(^^;)
リンポチェは私を見て、それから小皿を見て
ひとこと「offer」と言われるので、
たぶんこう?と思いながら外に持って行って、
琵琶湖畔の公園の、適当な木の根本に置きました。
そして少しだけおんまにぺめふんを唱えて
また会場に戻る、を繰り返しました。

あるいは祭壇の壺を
リンポチェの前のテーブルに移動させたときもありました。
ひとこと「ブンパ」と言われるので、
乏しいチベット語の知識から
「ブンパは確か壷よね」ってゲッシングして、動きます。
間違うと、「それじゃなくてこっちの壺だ」って身振りをされます。

なんといいますか、もう、究極的に阿吽の呼吸ですね。。。
いや~修業になりました。


しかし在家で未熟なこんな私が
灌頂のお手伝いをさせていただくなんて、
ほんとによかったんでしょうか?

よかったんだとすれば、
これはなんという福縁でしょう!
過去生の善業の果を使いきってしまったんじゃないでしょうか~

そのときは夢中でただ動いていたのですが、
今になって、はい。
これは、本当に
ありがたい機会をいただいていたのだ、としみじみと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-03-30 16:42 | tibet | Comments(0)

吉祥の日々

ドルズィン・リンポチェは3月28日朝の飛行機で発たれ
シンガポールに無事お帰りになりました。
まずはこの2週間のもろもろの福縁に随喜したいと思います。

大きなJ先生にしても私にしても、このような法会を営むのは初めてで、
参加のみなさんにはたくさんのご迷惑をおかけしたことと思います。
にもかかわらず、みなさんに多大なご協力をいただきました。
それなしには、とてもとても無事に終えることはできなかったです。

毎日の会場設営と片付けは居合わせたみなさんが手際よく進めてくださいました。
ゴミは会場のホテルに泊まっているみなさんが、手分けしてお部屋に持って帰ってくださいました。
大きなお花や割れ物も、毎日誰かがお部屋で預かってくださいました。
さまざまな荷物は毎日、○さんが台車で運んでくださいました。

リンポチェとみなさんにお出しするお茶は、通訳のWさんが毎日作って持ってきてくださいました。
そのお茶を配ったり、お供えのお菓子や果物を分けたりなど、
水屋のお仕事はAちゃんとSちゃんが中心になってくださいました。
足りないものがあったら、気づいた方が隣のホームセンターまで買いに走ってくださいました。
お弁当がらの処理も、みなさんそれぞれが気を配ってくださいました。

とてもとても、とてもとても助かりました(T_T)
本当にありがとうございました。
次回の法会からはもっとスムーズにことを運べるよう、今回の反省点を生かしたいと思います。


私は、J先生とともに、毎日毎日をリンポチェと過ごしました。
3月14日に来日されて
15日・16日は午後からご法話。
17日から20日まで4日連続の前行講座。
1日オフ日をはさんで(お昼をご一緒)
22日午前はご法話の続き、午後は瞑想講座。
23・24日は観音菩薩の灌頂と成就法。
25・26日は白ターラー菩薩の灌頂と成就法。
そして27日はオフで(京都ツアー・J先生は本業のお仕事のため欠席)
28日に離日。

満月の日においでになり新月の日に帰られた
この吉祥なる日々。

リンポチェとご一緒でいることが
もう当たり前のようになってしまっていたので
いま、喪失感がハンパないです。

27日の晩、ホテルのレストランで夕食後に
リンポチェの後ろ姿に向かって、
Ah, Rinpoche, I will miss you.
と呟いたら振り向かれ、
歩きながら
You can call me. You can also send message to me.
You can ask questions about things I taught and we can discuss on them.
And maybe you will learn Tibetan and I will learn Japanese also....
と淡々と話されました。

なんてお優しいんでしょう(泣)

本来ならばご一緒に並んで歩くなんてできないような方なのに。


ほんとうにいろんなことが起こったので、
まだまとめることができないのですが
思いつくまま書き留めてみようと思います。
よろしければお付き合いくださいませ。
 
b0253075_19583068.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[PR]
by prem_ayako | 2017-03-30 15:48 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako