アードラーの夢

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引っ越し準備

引っ越しは、11月5日になりました。
決まると気分はワクワクしますが
準備を考えると、気分は滅入ります。

なんといっても面倒ですからねぇ。
しかしもっとも面倒なのは、
荷物の段ボール詰め以前の
不要品の処理!であります。

私の持って行くものと捨てるもの・・・は、わりとすんなり決まるのですが
問題は、当分ここに住むつもりで越してきたため、
私のものと、もともと実家にあったものとが混在していることです。

親に「使って」と言われて使ってきたものを
引っ越し先に持って行ってもよいものなのか、
ここに置いていかなくてはならないのか、
それとも捨てた方が母にとっても助かるのか?
今になって、ひとつひとつ仕分けしていかねばなりません。

母の意向を聞いてみると
電気製品は、全部処分して行ってくれ、ということでした。
ラジャー。
家具類は、「少しなら置いて行ってもいいけれど」という微妙な言い方。
「少しなら」ってどれぐらいなんだろう?
耳が遠くなっていることもあり、細かい話があまり通じません。
たぶん何も残さないのが望ましいんだろうな。

ともかくひとつひとつ、処理していくしかありません(>_<)



1)古いパソコン

使えなくなったパソコン、いくつもあるんですよ・・・。
ディスプレイがひとつ
ハードディスクをぬいたパソコン本体がひとつ
ノートパソコンがひとつ、
眠っておりました。

使っていない古いCDコンポも、この際処分したい・・・。

神戸のゴミ出しのルールは、わりと厳格に決まっていて
「ワケトンBook」という、ゴミ出しルールの冊子が各戸に配られております。
(ワケトンって、ゴミの分別大好きなブタくんの名前です。
 悪い子キャラに、ヤラヘンとかワケヘンくんなどがいて、
 少しだけ笑えます・・・なんで自治体ってこういうのに力入れるんだろーね)

これで調べてみるに、
市はパソコンを回収しないので、メーカーに連絡すべし、とのこと。
CDコンポは「燃えないゴミ」として出せるけど、
規程のビニール袋に入る大きさで、かつ20kg以内であること、と書かれています。

小さなスピーカー2つは、
ビニール袋を二重にすれば、なんとか「燃えないゴミ」で出せそうですが、
コンポ本体は重すぎて、ヤバいです。
計るものがないので20kg以内かどうかはわかりませんが、
回収ステーションまで運ぶのも、私の力では難しそうです。

しかも「燃えないゴミ」回収日は月に2回、
うちのあたりは第1金曜と第3金曜なので、
引っ越し日までなら、10月16日の朝が最終チャンスとなります。

困ったな。
急いでなんとかしないと。


いろいろ調べて、
「無料パソコン回収」のサイトをいくつか見つけました。
たぶんパーツにばらして、中国や韓国に運んで再利用するんでしょうね。
でなきゃ送料向こう持ちで引き取ってくれるはずがない。

でも抜かれて困る情報は何ひとつ入っていませんし、
同梱できるなら他の電気製品も(携帯でもオーディオでもなんでも!)
まとめて送って全然OK、とか書いてあります。
背に腹は変えられない、今回はこれに頼ってみます!


ディスプレイを梱包するのに少し手こずりましたが、
石油ファンヒーターの空き箱がちょうどよいサイズでした。
緩衝材もその箱に入っていたのを利用して、
画面をもうひとまわり保護して、これで1箱。

それからパソコン本体1個とノートパソコン1個と、
めちゃ重い古いCDコンポ、
これらが奇跡のようにもう1箱にきっちりと収まりました。

そしてY運輸さんに電話をして
「○○宛のパソコン回収お願いします。料金は着払いで」と言うと、
その日のうちに取りに来てくれて、
10月14日、不要のパソコン類とコンポは無事に持って行ってもらえました(^o^)

小さなスピーカー2個も、16日の朝、
エッチラオッチラ「燃えないゴミ」に出すことができました(^o^)


2)見積もり

総会前夜、15日の晩に
不動産屋さんからの紹介で
ア○さんマークの引っ越し社さんに来てもらいました。

ざざっと荷物を見てもらってから、

・不要の電気製品とアドラーギルドの台車(これがまた重いんです!)を処分するのに、いくらかかるか
・同時にその他の家具類もいくつか処分するとしたら、いくらかかるか

を見積もってもらいました。

前者なら1万6千円ほど。
他の家具も入れて処分する場合は、2トントラックを1台頼むので5万円と消費税。
ということでした。

ここでがんばって negotiation しました。
「う~ん、それなら、2トントラックに入るだけもう少し入れても
 5万円+消費税は変わらないんですか?」
「そういうことです。まだ余裕ありますから、お得だと思いますよ」

引っ越し社のおじさんは、トラックの確認のために社に電話をかけると言い、
私は、母に相談してみると言って2階に上がりました。
どちらも、お互い駆け引きと知りつつやってるんですけどね。

母は案の定、こまごまとしたものを残されるよりも
2トントラックですっきり処分してもらう方がいいと言います。
そしてそのぶんの費用を出すと、言ってくれました。

これで費用についても折り合ったので、
電気製品以外の細々した古い家具や古い布団なども、
いっしょに処分できることになりました。

立つ鳥後を濁さず、
母が満足するように、できるだけさっぱりして出て行けるなら
それに越したことはありません。


3)古本

ここの家はスペースがあるものですから
(アドラーギルドの台車もでしたが)
アドラーギルドの蔵書を、た~くさん預かっておりました。

このたび大きなJ先生がお引っ越しされることになり、
また私も引っ越しすることになったので
これらの本を大量に処分しなくてはなりません。

というわけで、前もって先生に本を仕分けていただいて
そこに私自身のいらない本も少し加えて
1室に積み上げておきました。

さて、どこに引き取ってもらおうか。。。


近所に、ときどき私が自転車で立ち寄る
「口笛文庫」という古本屋さんがあります。

初めてそこで買い物をした日、私はなんとお財布を忘れて出かけていました。

こんなこと、めったにないんですよ。
というか、たぶん一生で初めてのポカです。。。
レジで気がついて、たいへん慌てている私に
ここのまだ若い男の店主さん、
「財布忘れたら、ちょっと動揺しますよね・・・」と
なんだかゆったりと言ってくださって、
たいへん救われた気持ちになったものです。

それで、このたびの本の処分を、
この「口笛文庫」さんににお願いすることにしました。

今朝ほど、お店を開ける前に軽トラックで
店主さんは軽やかにやって来られました。

大切な蔵書たちとのお別れですから、
お忙しい中、大きなJ先生もやって来て立ち会われました。

私の聞いたことのない
『タウラー説教集』とか
『市川白玄全集』とか
日本国中、2,3人ぐらいしか買い手がつかなさそうな
シュタインガスの『ペルシャ語・英語辞典』とか
ガフィオの『ラテン語・フランス語辞典』とか

あまりにもJ先生のご本が多岐にわたっているので、
店主さん、びっくりしてしまって、
「いったいどういうご職業ですか?
 ただ者でないなということだけはわかりますが」(笑)

だけど口笛文庫さん、
あなたもかなりマニアックだと思いますよ・・・
タウラーとか市川白玄とか知ってたもん。

そして、本は、しめて1万6千円にもなりました(^^)
J先生は、二束三文だろうと覚悟をしておられましたが、
やっぱり大切な本たちに価値を見いだしてもらえて
また誰かの役にたつかもしれない、となると、
かなりご満足のご様子でした。


といっても実は、まだまだ本は残っているのです。
なんせ引っ越し屋さんが置いていった段ボール箱は
大きい方40箱と小さい方40箱で、計80箱!

しかも「小さい箱に入りきらなかったら、大きい箱にも本入れて構いませんから」
と言い置いて帰られたほどです。

引っ越し現場のお兄ちゃんたちが困るでしょうから
そんなことはしませんけど、
よっぽどの量と見積もられたみたいです(^^;)


さて、処分すべきはあらかた終わったので
あとはひたすら、機械的な箱詰め作業です。
あんまり早くから始めてもしようがないので
来週になってからにしようかなっと。

こうやって私は、いつも仕事を後回しにする・・・(^^;)
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by prem_ayako | 2015-10-20 22:04 | others | Comments(4)

終の棲家

なかなか人生、落ち着かないもので・・・
また引っ越しをすることになりました。

生まれ育った神戸の家で、当分暮らせるものと思っていたんですけどねぇ。。。


うちの両親にしても、そのつもりだったと思うんです。
私が帰るのを決めたときは、2人ともすごく喜んでくれましたし、
<それならもうこの家を売らなくていいわ!
 ずっとここに居ましょう、ねぇお父さま!>
と母も言っていた。

将来を見越して私も、
車椅子で移動できるように動線を考えて
1階の改修工事を行った。

でもちょっと遅すぎたのかもしれません・・・(^^;)

思ったより早くに父の身体状態が悪くなり、母がギブアップしました。
父が施設に入ったら、母はもとの元気で明るい母に戻るかと思ったら
予想に反して、精神的な不安が強くなってしまいました。


私が出張や旅行をするときは
私が鍵をかけて出ていった後、
母は内から、さらに二重三重に鍵をかけます。
そして私が帰宅する日に、また開けます。

私が玄関前の植え込みに、つる性の植物を這わせると、
<草が繁ると、その陰に人が潜んでも分からなくなる>と
引き抜こうとします。

悪質な売り込みのファックスがきた時は、
<脅迫状がきた!>と思い込んで、電話を抜いてしまいました。
しばらく気がつきませんでしたが
電話が通じないのを心配して、福祉センターの方が
私の携帯に連絡してこられて分かりました。。。


母の望んでいるのは、たぶん24時間、私が家にいて、
つねに母が呼べば応える範囲で
母の気に入るように暮らすことなのでしょう。
それは分かっておりますが

それでは私の生活が成り立ちませんし
今度は精神的に、私の方が参ってしまいます。

そして何よりもたいへん残念なことに、
(自分の人生をしばらく犠牲にしてでもこの母に尽くしたい)
という心を、私は育てることができていません。


夏頃に兄も交えて話し合いました。

本来、近所にいる兄と兄嫁が
母の生活をサポートするのがよいのでしょうが、
兄が病気を持っているので、今もそれは無理だと言います。

この家の戸締まりや管理が、想像以上に母の負担になっているようなので
できるだけ早くに母の気に入る施設を探して、
空きを待って入ってもらうのが良いということになりました。

そしてこの家は、母が出ていったら売りに出すことになりました。
そのへんの手配は、ぜんぶ兄がやってくれるということです。

入所先については、私としては
父と母が最期まで少しでも長くいっしょにおれるように
父と同じところがいいのではないかと強く思うのですが、
兄たちの意見は違うようです。

「幸せ」についての考え方があまりに違うので、
もう何も言わないことにします。
今度はすべて任せるので、
好きにやってもらいましょう。


40代半ばまで、ずっと神戸に住んでいて、
その後、尼崎と大阪で暮らしている間
神戸の山と空がなつかしくてなりませんでした。
こうやって1年半、戻ってみて、踏ん切りがつきました。

お別れするために、この期間が必要だったんでしょうね。
神戸とも
母とも。



母の施設入所と私の退去とが、
同じタイミングであればいちばん良かったのですが
母の入るところの部屋はまだ空かず、
先に、私の引っ越し先が決まりました。

できれば11月初め、遅くとも今年中には、
引っ越したいと思っています。

また詳細が決まればお知らせしますね。
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by prem_ayako | 2015-10-06 19:56 | others | Comments(0)

岩手の文人たち(2)

さて、花巻には「宮沢賢治記念館」もあるのですが、
3年前、スピリチュアル・ワーク後に訪れたのでパスして
代わりに盛岡にある、賢治ゆかりの「光原社」を訪れました。

「光原社」は、大正13年、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を出した出版社です。
会社のあった盛岡市材木町に
今ではその名を冠した工芸品の店や、カフェや、無料のギャラリーがあり、
ちょっとした観光スポットになっています。

ギャラリーには、『注文の多い料理店』出版の資料が展示されていました。
はじめて知ったのですが、
教科書発刊を手がける小さな出版社の社長だった及川四郎という青年が、
当時花巻農学校の教師だった宮沢賢治から大量の童話の原稿を見せられて、
ふたつ返事で出版を決めてしまったのだそうです。

b0253075_0524213.jpg意気揚々と、賢治は出版社を「光原社」と名づけ、
理想を追う及川さんは、
資金もあまりないのに、絵本の装幀にこだわり・・・

でも賢治はまだまったく無名ですし、
たいした販路はないし、
書価も高くなってしまって、
当然、本は売れませんでした。
「光原社」は大量の在庫をかかえ、泣く泣く賢治の実家が買い取ったといいます。

『注文の多い料理店』は、賢治の生前に出た唯一の童話集となりました。
ある意味世間知らずの、若者たちの無謀さが、この名作を生んだといえるのですね。

b0253075_0541192.jpg「光原社」併設のカフェは、小さいけれどとても居心地がよくて
盛岡にいる間に2度も通いました。
お店の裏庭は北上川に面していて
泊まっていたホテルからはぶらぶらと歩いていけました。

一杯ずつ淹れてくれるコーヒーも、とてもおいしくて
ちょっとした癒やしの空間でした。





最後に、多田等観のことを。

多田等観は、もともとは京都の西本願寺の僧侶で、
大谷光瑞にインドに遣わされ、ダライ・ラマ13世に謁見。
その後チベットに潜入し、ラサのセラ寺で10年修業、
日本人でありながらなんとゲシェー(仏教博士)の学位まで得て
大正12年に帰国した方です。

帰国後は東京帝大で、持ち帰ったチベット大蔵経の整理などしていましたが、
やはり終戦の年に疎開して
昭和22年から26年まで、花巻の円万寺観音堂境内に住んでおられました。

円万寺観音堂は、人里はなれた小高い山の上にあり、
今でさえ、クマなどが、かなりの頻度で出没しそうな気配です。
チベットに10年も暮らした等観には、なにほどのこともなかったでしょうけど。

b0253075_0581870.jpg梵鐘には、チベット文字が刻みつけられておりました。
観音堂には、ダライ・ラマ13世からいただいた観音像が収められていると聞きます。
私は、そういうところにいちいち感動しておりました(^^)


さきの『山居七年』に、多田等観との親交が書かれています。
大田村山口で、小学校の校長先生か誰かから多田等観を紹介され、
のちに光太郎が等観をこの阿弥陀堂に訪ねます。
b0253075_0575921.jpg 
(昭和22年9月5日)
 3人(光太郎他2人)は2っ堰に出て、そこから北にすすむ道に入りました。前方杉の木の茂った小高いところが円万寺山です。一粁半程も歩いたでしょうか、そのふもとで左手に八坂神社とかいた鳥居があり、傍に観音堂由来記の掲示や2つ3つ石碑が建ててあります。
 3人はそこから参道に入り、茂みの山に入りました。幾百かの段を上り終り、息をととのえて見渡せば一望千里の眺望です。
b0253075_1143612.jpg 鳥居をくぐると正面の奥に観音堂、左手に社務所。社務所にいた多田等観さんは3人を迎えました。挨拶がすむなり洗面器に水を汲んで出しました。先生は
「ここはいいところですなあ。」
 と喜びの声をあげました。多田さんは
「木があって見渡すのにじゃまになるようです。」
「木は伐らない方がいいです。」

 ジャガイモの皮をむきニンジンやネギを切り、魚を切身にし、お吸いものも煮魚もでき御飯も炊きました。いよいよ会食とあり、気の合った3人はみはらしの社務所で手作りのご馳走を喜び会いました。
 会食が終わってから多田さんは観音堂を案内し、御詠歌をあげ、チベット伝来の塑像千手観音や、花巻人形の観音、馬頭観音、地蔵尊について説明しました。
 本堂を出て、千年以上になるという柵がまわしてあるウバ杉のわきを通り、八坂神社の前から杉のこんもり茂っている中の細い道を100メートルばかり奥に進みますと、わき水があり、高い山の上なのにきれいな水がこんこんとわき流れています。

b0253075_134574.jpg とうとう参道の鳥居のところまで来ましたが、3人の話はつきませんでした。陽が山の方に傾いたのを見て、先生たち3人は楽しい1日を謝し、雨もよいの風景の中を帰路につきました。



花巻の町を見渡す絶景。
終戦から2年目に
多田等観と高村光太郎らが眺めたのと同じ景色が
今も変らずここには残っているようです。
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by prem_ayako | 2015-09-01 10:20 | others | Comments(2)

岩手の文人たち(1)

盛岡でのパセージ・プラス、
前半はゆっくりと隔日に進んだので
オフ日や午後の空き時間を利用して

宮澤賢治ゆかりの光原社
多田等観の住んだ円万寺観音堂
高村光太郎の住んだ高村山荘と、高村光太郎記念館
を訪れることができました。

この3人、意外なことに同時代人で
それぞれに縁があって実際に会っているのですよ。
なんだか不思議で、
点が線につながったような感じでおもしろいので
少し書いてみたいと思います。

まずは高村光太郎のことから・・・


高村光太郎。
「智恵子抄」の詩人、彫刻家、
戦時中に戦意を鼓舞する詩を書いたと批判され、戦後7年間蟄居。
その後、十和田湖畔に「乙女の像」を完成させ、73歳で亡くなりました。

この、戦後7年間蟄居していたのが、
花巻市郊外の、大田村山口に今も残る「高村山荘」なのです。

訪れてみると山荘とは名ばかり、
それはビックリするぐらい本当に粗末な掘っ立て小屋でした。

もと炭焼き小屋だったのを払い下げたのだそうで、
天井も張っていないし、囲炉裏の小さな部屋と、台所になる土間があるだけ。
お客が来れば、主の座る場所などないぐらい・・・
冬は障子紙のすき間から風が吹き込み、
寝てるあいだに枕元に雪が積もったといいます。
高村光太郎はここに、62歳から69歳まで一人で暮らしました。


なんで東京生まれ東京育ちの光太郎が花巻にまで来たのかというと、
光太郎は宮沢賢治と、少々のご縁があったからなのです。

賢治の遺作集の装幀を手がけたり
賢治の詩碑の揮毫を書いたり
そんな中で光太郎は、花巻の宮沢清六氏(賢治の弟さん)と知り合いになります。

そして東京大空襲でアトリエが焼失してしまったとき
光太郎は誘われて花巻に疎開してくるのです。

ところが、賢治の実家の宮沢家もまた、空襲で焼かれ、
今度は土地の人々の好意で、郊外の大田村山口に暮らすことになりました。

きびしい人生ですねえ・・・
最愛の妻智恵子もすでになく、子もなく、
家を失い財産をなくし、
ただ親切な人々に頼るしかない、漂泊の詩人。

近くの「高村光太郎記念館」に入って、たくさんの資料を見ました。
そして『高村光太郎 山居七年』(花巻高村光太郎記念会)という本を見つけたので、
買って帰って読みました。
光太郎がどんな思いで、この山の中のあばら屋に暮らしたのか
知ってみたいと思ったからです。

とてもよい本でした。
なんていうか・・・何もかもなくしても
人ってきれいに生きていけるんだな。というか。

これは、光太郎を何かと助けた佐藤隆房さんという花巻のお医者さんが
光太郎の手紙や、自分の記憶や、いろんな人の思い出を、たんねんに時系列にまとめたもので、
ちょっと、以前に翻訳した『アドラーの思い出』みたいな構成をとっています。
この時代の市井の人々の、生の声が聞こえてくるような本でした。

b0253075_041325.jpg光太郎は小屋の前に小さな畑を作り、
季節のよいときは裏山を散策しました。
ときに智恵子の名を呼ぶ夜もあったといいます。

村の人たちは光太郎のことを、ただ「偉い先生」としか知らなかったのですが、
光太郎は腰を低くして自分の方から村人に声をかけ
小学校の子どもたちと交わったりして、次第にとけこんでいきます。

雪ぐつを編んでもらったり
野菜の育て方を教わったりしたお礼にと、
光太郎はいちいち丁寧に、ありあわせの紙に書をしたため
頼まれたら詩を詠み、法事や式典で挨拶をしました。

本当に村人に慕われ、大事にしてもらっていたようです。
十和田湖畔の「乙女の像」を制作する話がきたとき、
東北では冬に粘土が寒さから固まってしまうため、やむなく東京に移って、
けっきょくそのまま東京のアトリエで亡くなりました。

b0253075_0455643.jpg地元の人たちは、光太郎を偲んで
今にも崩れそうな小屋を覆う形で蓋屋を建て、
「高村山荘」と名付けたのです。

   つづく・・・
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by prem_ayako | 2015-09-01 01:24 | others | Comments(0)

KANO

b0253075_022499.jpg  今日はちょっと家族ネタを休憩して
  ひさしぶりに、映画の話をしますね。

  『KANO 1931 海の向こうの甲子園』

  台湾人監督による台湾映画です。
  なんだか前評判がすごく良いので、
  レディースデイの水曜日、
  ちょうど午前中はカウンセリングの予約が入ってなかったので
  これ幸いと観に行きました。

KANO(嘉農)とは、
台湾南西部にある嘉義農林学校野球部のことです。

一勝もできない弱小チームだったのですが、
日本人の鬼監督、近藤兵太郎(永瀬正敏)がやってきて
「俺がお前たちを甲子園に連れて行く!」と鍛えあげました。

日本による台湾統治の頃ですから、
まだ中国共産党はありません。
KANOは日本人と
台湾人(漢人)と
台湾原住民(高砂族)との3民族混成チームでした。

監督はそれぞれの特性をよく伸ばし、
KANOを台湾の地区大会で優勝させ、
ついには海を渡って、1931年、
本当に甲子園大会に連れて行きました。

甲子園でも決勝戦まで勝ち進んだのです。
惜しくも優勝しませんでしたが
その懸命なプレーで日本中を沸かせた
という実話です。

野球・・・本来、私ほとんど興味ないんですけど
この映画は良かったです!!
大きなタオルハンカチ必携ですよ~

なんといっても
男の子たちがいい!(←そこか)

主役のピッチャー呉明捷くん役だけは、俳優さんらしいです。
ツォア・ヨウニンくん。
かっこいいですねぇ~!
b0253075_072736.png


b0253075_0184576.pngあとの部員くんたちは、みな素人の
野球部の男の子たちだということです。
この子たちが、それぞれとってもかわいいんですww

どうでもいいことだけど
私は特に、平野くんのキャラが好き(笑)
どの子が好きかでガールズトークしたいものだわ~


そして、美しい水田の風景。
烏山頭ダムを建設し、嘉南平野の潅漑に尽くした八田與一さんが
「八田先生」として慕われるさまも描かれています。
(本当は1,2年、時期がずれているらしいですが、そのへんは脚色w)

この映画が台湾人により台湾で作られたことを考えると
この時代、本当に立派な日本人が多くて
実際に慕われていたのだろうなぁと思わされます。


映画は、台湾北部の基隆港から始まります。

基隆(きーるん)は、実はずっと以前に訪れたことがありまして
ここから九份(きゅうふん)という、
「千と千尋の神隠し」の舞台になったと言われる不思議な町まで
バスに乗って行ったことがあります。
個人的にとっても懐かしい土地です。

でも、映画では、きな臭い悲しい時代。
基隆から鉄道で台湾を南下し、南方戦線へ移送される兵士たちの中に
かつて甲子園で嘉農と対戦したピッチャーがいた、という設定です。
物語は彼の回想という形で進んでいくのですが
この彼は、おそらくこの先、南方で命を落とすのでしょう。

エンドロールの前に
実在の選手たちのその後の人生がテロップで流され、
私たちはその後の激動の時代に、
この子たちがどうなっていったのか知ることができるのですが

若い日本人の選手たちは、悲しいことに
ほとんど戦争で散ってしまいました・・・

しかし漢人や高砂族の選手たちは、
戦争を生き抜き、
戦後は、社会人野球で活躍したり
子どもたちを教育したりして、
それぞれに台湾における野球の振興に尽くされたようです。

野球にしても潅漑施設にしても
このように日本人が種を蒔いたことが
時を経ても残り、台湾の人々の役に立ったらしいことを知り
心から良かった!と思いました。


2年も前に台湾で大ヒットしているのに
しかもほとんど日本語でしゃべられているのに
日本では、『KANO』はなかなか公開されませんでした。
どこぞの国からの圧力があったのだろうと思われます。

ようやく今年になって全国でロードショーが始まりましたが
上映している映画館はあまり多くないみたいです。

野球のことと同じぐらい、
政治のこともよく分からないですけど

たぶんこの映画、
台湾の民族運動のひとつの現れなんでしょうね。
どこぞの力から逃れよう。
そのために日本が行った良い側面を思いだそう。
というムーブメントの、流れの上にあるような気がします。

2回も観光に行った台湾びいきの私としましては、
この運動は、大歓迎でございます。


それはともかく
It's worth watching!
是非機会があればご覧になってください。

私ももう1回観にいこうかなあ~♪

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by prem_ayako | 2015-02-20 11:44 | others | Comments(2)

年の瀬に

のんびりしていたら
今年ももうあと1日で終わりではないですか。
書きたいことはたくさんあったのですが
時間がないのでとりあえず棚上げにして、
簡単に今年1年を振り返ってみます~

1)家族

ひたすら、家族のために食事を作った1年でした。

これはまあ、でも、主婦なら当たり前のことですね(^^;)

私が離婚したのは息子が15、娘が19の時でした。
本来なら、まだもう少しの間、
彼らに食事を作ってあげるべきでしたのに
そのタスクから逃れてしまったわけですから
今ごろ、ツケがまわってきたのかもしれません。

娘が絨毛膜下血腫で絶対安静になってしまった2月末から、
無事しゅんすけが生まれて心おきなく動けるようになるまで
何度鳥取に通ったか!
行けば私は娘の家の台所の主となり
毎日、昼と夜の娘家族の食事のお世話をしたのでした。

お料理するのは好きなほうですし
喜んで食べてもらってるな~と感じることができたので
娘のところでは、ちっとも苦じゃなかったです。

3月末からは、両親と同じ神戸の家に住むようになったので
曜日を決めて夕食のタスクを引き受けました。

こちらの方はしかし、
母との関係が悪い時などには
たまに、あまり喜んでもらっていない感じの時もあって・・・

なんで私ばっかりが、食事の支度しなきゃいけないんだろう!
と黒い心が動くことがありました・・・

おっとっと。
今までどんだけ母の世話になってきたか。
お返しするのは当たり前のはず。

それに、
私の力を使って何かをする、ということに意味があるのです。
相手の反応に左右されることではありません。

たぶん何かのカルマを、こうやって返しているのでしょう。
惜しみなく、もらっていただきましょう!
そう、これは生き仏さまへのお供え。布施ですね。

はい、明日もお節料理、がんばりま~す!(^o^)

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2)チベット仏教

ありがたいことに、今年の終わり近くに
私がこれから死ぬまでの間中、
ずっとやり続け、極めるべき瞑想を学ぶことができました。

人それぞれに、体質に合った、または必要な
瞑想の種類があると思いますが、
私の場合は、それが チュー gcod なのだと思います。

観音成就法も好きですし
トゥンモの火も素敵ですし
また、好きなお経もたくさんありますから
これからも読んで学んでいくと思いますが

私のように業の深い・・・
貪欲で我執の強い人間が
少しでも浄くなり解脱に近づこうと思ったら、
チューしかない!

・・・というぐらい
私には合っている瞑想法だと思います。

いやぁ習いに行く前から、なんだかドキドキしていたんですよ。
(え、方向音痴だから? ちがうって)
ものすごく大事なものと出合う予感がしてたんです。

今はまだ、チューのチベット語テキストを
たどたどしく読むだけで精一杯ですが

来年はなんとか、もう少し流暢に
チベット語で歌いながら
深い瞑想に入れるようになりたいものだと思います。

さらに、今生のうちには、
瞑想しながら
右手でダマル(太鼓)、左手でティルブ(金剛鈴)を
美しく鳴らせるようになりたいものです!

かなり練習が要りそうですが
毎日やっていれば、いつかはできるでしょう。
がんばりま~す(^o^)



3)アドラー心理学

ポンクラを閉めたばかりなので、
この先、自分が自助グループ活動とどう関わっていけばよいのか
まだ全く見えないのですが

ただ、ずっと長いこと地元の閉じた空間で
自助グループやカウンセリングをしてきましたが、
今年は、もう少し外に向かうような、
新しい動きが出てきたのかな?と感じています。

実は今年は、少し離れた地域で、
お仕事をさせていただく機会が何度かありました。

初夏の金沢や、冬の名古屋。

特に名古屋でのお仕事については
私にできるだろうか?・・・いやできるはず!
と自分を奮い立たせながら(^^;)目下挑戦中です。

嬉しいことに、新しい経験をさせていただくたび、
お友だちが増え、
私自身の学びになり
また、少しは誰かのお役に立てているようで
かえってたくさんの勇気をいただいています。

来年も、もしまたそんな機会がいただけるのなら、
もともと私、怖がりで慎重派なんですけど
少し返上して挑戦してみようかと思います。


図らずも3項目とも
己を捨てて自分にできることをする。
というあたりが、来年の抱負となりました。
宣言しとこ(^^)

家族には、布施と忍辱を旨とし
チューで、禅定と智慧を目指し
アドラーは、なおもって精進すべし!


みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
これからもよろしくお願いいたします。
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by prem_ayako | 2014-12-31 00:23 | others | Comments(2)

フォー love!

最近ベトナム料理に、はまっています。

隠遁生活に近い暮らしをしているのですが
(たまに居酒屋に行くとクラクラします・・)
週に2回、大阪に仕事に出るときには
お昼を外食することが多いです。

大きなJ先生とご一緒するときは
うどん屋さんとかぁ
おそば屋さんとかぁ
よくてオムライス屋さんとかぁ、全体にがっつり系なんですけど

ひとりでお昼するときは、
少しお店を選びたいじゃないですか(^^)
しかも、あんまりお金をかけないで。

ゆっくり時間があって
しかもお腹が空いている日には
お友だちに教えていただいたカフェでまったりします。
ここはリーズナブルなお値段でお腹いっぱいになるし
居心地もよくて、とても気に入っております。
Yさん、ありがとー(^o^)v

しかし、そんなに気持ちに余裕のない日の方が多いので
(午後からのカウンセリングについて考えたかったり
 少し緊張感を持続させておきたかったりなど、諸事情ありまして)
もう少しチャッチャと食べられて、
かつまたおいしいお店がないかな?と思っていたのでした。

今までは、うろうろした挙げ句
結局コーヒーチェーン店のサンドイッチで済ますことが多かったのですけど

1ヶ月ほど前に見つけたのがここ、淀屋橋のベトナム料理のお店です。

以来、週に2回でも、全く同じ鶏肉のフォーを注文して食べております(^^;)

いくらなんでも6回も7回も連続フォーなので
次はいっぺん違うメニューを注文してみようかと思うのですが、
やっぱり他のものを頼む気分にならなくて
鶏肉のフォーと生春巻きとデザートのセット950円也で
今日もお腹いっぱい幸せ気分(^o^)
私はかなり保守的なのかもしれません。

うどんやお蕎麦への愛も、ないことはないのですけど
フォーへの愛はかなり偏愛ものだということに、
この年齢になって初めて気がつきました。
麺の最後の一本までも
いとしくいただいております(笑)

もともと東南アジア系のお料理が好きでした。
たぶん過去生でベトナムにいたのでしょう。
パクチー大好き!
ニョクマム全然OK!

夏バテのときは身体が欲するので
熱いレモングラス・ティーを淹れて生き返りますし

タイでもシンガポールでも、食べ物で困ることはありません。
インド料理は、辛いので少し困るのですが。

そういや台湾へ行ったときは
中華そば的なものに見向きもせず、
ひたすら焼きビーフンを食べてましたっけ。
要するに小麦粉文化圏ではなくて
過去生は米粉文化圏にいたんですね、きっと。


さて2週間ほど前、神戸で基礎講座理論編が開催されたとき、
夕方、何か食べて帰ろうということになりました。
そして三宮駅前のミ○ト神戸の中に、ベトナム料理屋さんを発見!

・・・しかし、パクチーの量が少なく
テーブルに調味料を置いていないという有り得なさで・・(-_-)
残念でございました。


その次の週には、名古屋は栄の地下街にて
お友だちとお粥屋さんに行きました。
そこでもメニューにフォーがあるのを発見!

せっかく「お粥屋さん♪」って言って連れて来ていただいたのですが
本能には抗えず、やっぱり定番の鶏肉のフォーを頼みました。
おいしかったです!
うふふ、こうでなくっちゃ。


こうなったら地元神戸でも、
おいしいフォーが食べられる店を開拓したいものだ!
というわけで、昨日は、
三宮の地下街の、まるで屋台のような小さなお店へ行ってみました。

(@_@)おお!ここ
大、大正解でございます!
というか、ここほど本格的なお味は初めてです。

何の香料の作用かよくわからないのですが、
嗅覚と味覚が、記憶を呼びさましてくれました。
暑い国の湿って重たい空気感まで感じとれて、
むか~しに行ったタイや、
昨年のシンガポールを自動的に思い出しました。

ここのを食べると、今まで「はなまる」をつけていたお店のフォーも、
日本人向けにかなりアレンジされたものだったと分かります。

全然お洒落なお店ではありませんが、
また行こう♪
うれしいです。

b0253075_206280.jpgええ、どこのお店へ行っても、
いつも王道の、鶏肉のフォーを注文しているのですよ。
どんだけ保守的なんでしょうね(笑)
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by prem_ayako | 2014-11-25 20:07 | others | Comments(1)

冬支度

小学校で習いました。
神戸は温暖な瀬戸内海式気候である、と。

たしかに温暖。
大阪と比べて、夏はしのぎやすいですし、
冬も晴れた日は日差しが暖かく、空は青く、美しいです。

しかしこんなに恵まれた気候でもやはり、
寒がりの人間にとっては、冬はそれなりに冬であります。

六甲おろしといいましてな(某球団のテーマ曲ではありませんよ)
1年を通して、かなりの強風が山から吹きおりてきます。

マンション住まいの間はあまり感じませんでしたが
1軒屋に住むようになってから、北風の強さを実感しております。


3月末に越してきてから
4月いっぱいぐらいまで、
私はこの家で、寒さに震えておりました(-_-)

まぁ横着して、コタツとファンヒーターを出さなかったのがいけないんですけど

今思うと、10年も人気のなかった1階に入ったのですから
壁も床も冷え切っていたのでしょうね。
エアコンとオイルヒーターだけでは間に合わず、
なんだか、しんしんと冷えてくる感じでした。

なのでこの冬は、しっかり防寒対策を練らないと!
と思ったのであります。


だいたい私は、冬は「こたつむり」と化す人です。

エアコンではたよりなくて、
やっぱりコタツに肩までもぐりこむとか
暖かいストーブに手をかざすとかして、がっつりぬくもりたいのです~


いろんなお友だちに聞いてリサーチして、
どうやら石油ストーブが最強だと結論づけました。
停電でも、ガスが止まっても使えますしね。

それも、大きな石油ストーブで全体を暖めるのではなくて、
持ち運びできる小型の石油ストーブを、常に自分のそばに「はべらせる」
という使い方が best だと聞きました。

なるほどなるほど。
そうなんです、私は輻射熱で暖まりたいんですよ。
対流式の大きなものじゃなくて、
コンパクトなストーブを私に「はべらせる」のはいい方法かも!

それで、小型で反射式の、持ち手のある石油ストーブを買いました。
灯油は、お米屋さんに配達してもらいました。
灯油入れとポンプも、ホームセンターで調達しました。

さらに、ストーブの上に乗せる
レトロなやかんも、母からもらい受けました(^^)

試しにつけてみましたけど、快適快適。
今年の冬は
この石油ストーブくんとおやかんさんが私にはべってくれると思うと
心強いです~(^o^)


あと、コタツも・・・
今夕、出してしまいました。
ああこれで、もう私は動けなくなってしまうぅぅぅ
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by prem_ayako | 2014-11-08 20:14 | others | Comments(0)

自転車ゲット!

神戸に引っ越して約半年、
鳥取往復のタスクも終え、
ようやく定住(^^;)できるようになりましたので
念願の自転車を買うことにしました。

この家は、JRと阪神のほぼ中間に位置しておりまして
駅近ではないけれど、かなり便利な場所なんです。
スーパーは選り取り見取り、ホームセンターだってあります。

これが今までのように、私ひとりの用をまかなうだけであれば
まったく問題ないのですが

定住するようになってから、
週にできれば3回は、両親と夕食をとるようにしています。
そのぶん食品の買い出しの回数も増え、荷物も重くなってきました。

やっぱり自転車があった方がいいなあ。
娘のところで久しぶりに乗って、まだ運転できることが分かったし(笑)


さてさて神戸で自転車を買うなら、
当然、電動アシスト付き自転車でしょう!

東西(よこ)の道は平坦。
南北(たて)の道は坂道。
これが神戸の常識です。

今、神戸の街を走っているママチャリの約半数は電動アシストではないかしら。
電動アシスト率が、大阪や鳥取に比べて
いちじるしく高いように思います。

インターネットで検索すると
大手はヤマハとブリジストンと、パナソニックの3社。
値段や性能は、どのメーカーでもあまり大差ないようです。
結局、私にとってはずせないのは
20インチであることと
色は黒であること、と決めました。

なんで20インチかというと、
重心が低くて安定するし、
小回りがきいて乗りやすい、という評価が多かったからです。
運動神経のない者には安心かも。
しかも最近の20インチは、ひと漕ぎで26インチと同じだけ進むのだそうです。
進化していますね~~
デザインもかなりかっこいいのであります。

そしてなんで黒にこだわるかというと、
かつて神戸の震災のあと堺に避難して、
そこがかなり不便な場所だったので、
急遽中古で買った自転車が、真っ黒で
「ブラックバード」と呼んで愛用していたからです。
このたびはぜひ、「ブラックバード2世」をゲットしたいものだと思いました。


電動アシストは、近所のホームセンターでも扱っていましたが、
ここはやっぱり、昔ながらの
町の自転車屋さんで買おうと思いました。

探し当てたお店は、
うちから15分ほども歩いたところで
その名も「ちゃりんこ屋」といいました(笑)

でてきたのは背が低く、眼光するどい
小齧歯類みたいなおじちゃん。。。
「ちゃりんこ屋」の店主さんです。

なにせ私、普通の?自転車しか乗ったことがないですし
ギアチェンジすらしないメカ音痴ですから
電動アシスト自転車について、いろいろおっちゃんに尋ねました。

私がネットで目星をつけていたものは、実はスポーツタイプだったみたいで
小さな前かごしか付けられないということでした。
残念ですが、それでは買い物の用は足せません。

それでおっちゃんのオススメは、
先月発売されたばかりのニューモデル
ブリジストンのアシスタユニ・プレミアっつうものでした。
大きな買い物かごを標準装備しているし
メカ類も、たいへんシンプルで
だいぶ年をとっても乗れるんじゃないかな、というような親切設計。

でもね、黒がないんです(-_-)
ピンクとベージュとシルバーから選ばなければなりません。

24インチのアシスタユニなら、黒があるんですけどね、
デザインが全く違うものでした。

う~んう~んと悩んでいたら、
現物が入荷したときにもう一度見に来てくれと言われ、
しかたなく、ベージュが入ったときにもう一度行きました。
(おっちゃんは、これが売りたいのね~)

まあ、色だけの問題なんですよね。。。

使い勝手は良さそうだし、
ついにブラックバードはあきらめて、
つや消しのシルバーを注文しました。

その子が今日入荷して、さきほど乗って帰ってきたというわけです♪

さすが町の自転車屋さん、
サドルの高さやハンドルの角度を私の背に合わせてくれましたし
故障したら持って行けるから、なんだか安心です。
店先では、何台か自転車が止まっては
ただで空気を入れさせてもらっていました。


走ってみた感想は・・・

まず、20インチの太めのタイヤは
安定感抜群です!

タイヤ径が小さいと、こうも扱いやすいものか!
と感じました。
狭いところに入ったり人をよけたりするときなど、
ちょっと向きを変えるのがとてもラクです(^o^)

肝心のアシスト力ですが
どうやら電動アシストっていうのは、
こぎ出しと上り坂のときに主に発揮されるものみたいです。

たしかに、上りの坂道もぐんぐん行きます!

また最初のこぎ出しが、思ったよりずっとパワーがあってびっくりしました。
いつもの調子でぐっと踏み込むと飛び出してしまいそう。
人の多いところでは注意が必要かな。

でも要するにそのぶん、発進がラクってことで
26インチでこぎ出すときと比べたら
だぁんぜ~んラク!!

これだと、交差点や信号で一旦停止するのが億劫じゃなくなります。
(・・・ってか億劫がってはいけないやろう)

ただまあ、ふつうに平坦な道を走っているときは、
しかも時速24km以上になったりすると
完全にアシストなくなるみたいで、
そうなると普通の自転車と同じなんですね。

つまり、ペダルこぎの運動自体は、私の脚がしなければならないのです(笑)
私、そこんとこ少し誤解しておりましたわ。

自転車こぎ運動って
ペダルが軽くても、それなりに筋肉使いません?
ふだん、どんだけ運動不足かって感じですけど・・・

おかげで少しは運動になっていいかもしれません。。。
あるいは、ラクしようと思ったら、ゆっくり走ればいいのかな?
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by prem_ayako | 2014-11-07 15:37 | others | Comments(0)

PC、ダウン!

神戸の自宅に戻ったのは、10月19日の夕方、わりと早い目でした。
いったんパソコンを立ち上げて
メールチェックだけざっとして(お返事はまだ書かず)

2階の両親のところへ「ただいま」を言いに上がって
少し話をして
(エピソード分析をしていただいたおかげで、
 すこぉしやさしい気持ちになっていて)

また1階に戻って、さてお仕事を少ししようかしらと
マウスを動かしたとたんに

ざーーーっと
画面に無数の縦縞が入りました(*_*)
なぬっ

(T_T)

完璧にフリーズしています。
こういうとき私の知るただひとつの呪文、Alt+F4 を押しても
どうにもなりません。

(-_-;)


お疲れのところたいへん申し訳なかったのですが
大きなJ先生に電話でヘルプを求め

とりあえず、先生が明日か明後日に見に来てくださるまで、
「さわっちゃいけません」と言われました。

あぁぁぁ~
一難去ってまた一難。
なんでこう次々とタスクがぁ(>_<)

しかしまあ、総会が終わってからでよかったです。
ひょっとして壊れるタイミング、待っていてくれたのかも。

このパソコンは、新大阪にあったアドラーギルドの事務所から
2012年の暮れに譲り受けたものです。
快調にさくさく動いていたのですが
かなり酷使してきましたから、もう寿命だったのかもしれません。


ハードディスクの壊れ具合によっては
ファイルを無事に取り出すのは難しいかもしれないと先生に聞かされて
青くなりました・・・
はい、私、バックアップをとっていないのです。

数年前、バックアップをとるつもりが
バックアップもとらずに
パソコン本体のファイルを一挙に消してしまうという
信じられない愚かな間違いを犯した過去がありますので・・・
私、自分の対パソコン関係能力に、たいへん勇気をくじかれておりますの。。。


ともかくできることを考えなくっちゃ!
仕事上絶対必要なものは何と何か?

Mails のファイルが必要です!
しかしこれに関しては、さいわい鳥取に持って行ったノートパソコンに
10月4日までのぶんはすべて残っています。
それ以降のものもサーバー上に残っているので、もう一度ダウンロードできるはず。
それから、ワークの参加者名簿。
これも、10月4日までのぶんなら、USBに保存しています。
かなり手間はかかりますが、メールとUSBがあれば、
11月の基礎講座、12月の合宿ワークのデータは復元できるでしょう。

しかし、今までに蓄積したさまざまなワークの名簿は
どうなるのでしょうか。

あと、クリニックでライフスタイル分析をしている私のクライエントさん方のデータ!
あれがなくなると痛い!
なんとしても救出していただきたい。。。

そして欲を言えば
しゅんすけやこうすけの写真~~
ポンクラのホームページのファイル~

お願い、なんとかしてくらは~い
なむなむ _人_


そうして、たいへん先生のお手をわずらわせ
件のノートパソコンを利用して
ようやくメールの返事が書ける状態になったのは、火曜日の午後でした。

Mails
名簿
クリニック関係
ホームページ関係
(おまけで)しゅんすけ写真♪

のファイルは、瀕死のパソコンから無事に取り出していただけたのです<(_ _)>

そして先生のお暇ができたときに
新しいパソコンを会社で買ってくださるということになりました。
ほっと一息・・・


しかし、なんと迂闊なことでしょう!
それから1週間して、はっ!と思い出したのです。

チベット仏教関係のファイルを取り出していないのですwww
ガルチェン・リンポチェの古いご法話の英語訳とか
自分でつくった日常勤行集とか
あちこちからとってきた貴いお経とか
・・・こんな大切なことを忘れていたなんて!!orz

「先生!すみません、あと、Tibet というファイルを取り出すことはできないでしょうかっ」
「じゃあハードディスクを外して、家に持って帰ってやってみよう」

あ~よかったです。
どうやらなんとか救出していただけたようです。
<(_ _)><(_ _)><(_ _)>


J先生がパソコンのメンテナンスをしてくださらなかったら
一体どうなるんでしょう~
あれやこれや不具合がでてきても何もできないでいたら
きっとそのうち、メールもインターネットも私はできなくなってしまいます。
そう言ったら、先生ひとこと
「君の息子に頼みなさい」

は、はい、
そうですね。
私がその能力を身につけるという可能性は、ないですね(^^;)
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by prem_ayako | 2014-10-30 21:53 | others | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako