アードラーの夢

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カテゴリ:family( 45 )

2月14日

父は施設の自分の部屋で
いつもベッドの横に足を降ろして腰掛け、
チェストの上に置いたテレビを見るか
じっと下を向いて坐っています。

理学療法士の先生は、
この姿勢だと背骨が曲がったままになるので
背もたれのある椅子に坐る方がいいとおっしゃいます。

先生の勧めに従って
自宅でいつも父が座っていた椅子と、
新聞などを置くための小さなテーブルとを
施設のお部屋に運び入れることになりました。

うちの家族で車を持っている者といえば、わが息子だけ。
ロードバイク通勤をしていた彼も
まわりの先生方に「雨の日どうすんねん。早よ車買え」と言われ(笑)
夏前に、中古の軽自動車を買いました。

2月14日のバレンタインデー、
ひょっとしたらデートを予定していたかもしれない息子に
無情な私は(^^)
お祖父ちゃんところに荷物を運んでくれるように頼みました。

机と椅子を後部に積み込み、
私は助手席に。
生まれて初めて、息子の運転する車というものに乗りこみます。

うう。
コワい?
いや、けっこう慎重な運転じゃん。
初めての道だし
荷物を積んでいたこともあるのかな。
それとも私を乗せているからかな?(^_^;)


そしてこの同じ日に、
娘の家族も鳥取から、
お婿さんの運転で神戸に来てくれました。

8月末に産まれたしゅんすけは
父にも、母にも、息子にも、会うのが初めてです。
なんせ、みんな神戸に来るのは、
去年のお正月(娘の妊娠が分かる前)以来なんですから!

お婿さんは出張から帰ったばかりだというのに、
コワい嫁(もとい、愛する嫁)の願いを汲んで
はるばる父に会いに来てくれたのです。


b0253075_1521258.jpgこうして父の居室に
私の大切な家族が集結しました。

息子と
娘と
お婿さん。
そして4歳のこうすけと
5ヶ月のしゅんすけ。

いつもは静かな老人ホームに
こうすけがスリッパでぱたぱた走る音と、
しゅんすけの泣き声が響きます・・・


父の記憶は、
子どもである私については、まだしっかりしていますけど
孫である娘や息子については、かなり曖昧になっています。

だから彼らのことを
それぞれ正しく認識できていたかどうかわかりませんし、
ましてや曾孫であるこうすけやしゅんすけについては
どこまで分かっていたか、あやしいです。

でもみんなが来て賑やかになって
父はとってもうれしそうでした。

娘がしゅんすけを抱っこして父の正面にすわると、
父は思わず、「おぉかわいい」と声をもらしました。

そして
「元気な子だ、いい子だ」と
頭をなぜ、足を持ち、
お乳はよく飲んでいるか?
よく泣いているか?と
おだやかに尋ねるのでした。

まるで問診をしているようです。

父は小児科医だったころに戻っているようでした。

横でぴょんぴょんはねているこうすけの頭もなぜて、
弟をかわいがっているかと尋ね、
さいごに
「いつまでも仲の良い兄弟でいてください」
と言いました。

50年続けた小児科のお医者さんペルソナが
ほんとうに自然に現れていました。

私は写真を撮りながら、
アドラー先生のようだと思いました。。。

b0253075_15233061.jpg


夕食の時間になったので父にお別れを言って
2台の車で家に帰りました。
そして私がご飯の用意をしている間、
息子と娘たちは2階に上がって、母のお相手をしてくれました。

急いで用意した
鯖の煮付けと
白菜と薄揚げの炊いたのと
豆腐の味噌汁と
小蕪の漬け物と
お米3合半は、
母乳で食欲旺盛の娘と
成長期(?)で食欲旺盛のこうすけと息子によって
あっという間に平らげられました・・・

息子はその夜のうちに帰りましたが
娘たちは、翌朝もまた父に会いに行ってくれました。
そして昼ご飯を食べて、慌ただしく鳥取に帰って行きました。


みんなほんとうに忙しい中、予定を合わせてよく来てくれました。
優しい息子と娘とお婿さんをもって
父も母も私もしあわせです。


あ、ついでながら
こうすけには、かわいいクッキーを
息子とお婿さんには、それぞれチョコレートを
用意したのは言うまでもありません!
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by prem_ayako | 2015-02-19 15:37 | family | Comments(2)

父 その後

父が入所して、もうじき1ヶ月になります。
ようやく新しい生活に慣れてきたようです。

最初、父は自分の部屋をホテルと思ったのか
「ここは1泊いくらなのか?」と聞いてみたり
あるいは病院と勘違いしてみたり
かなり困惑していました。
(母が説明して本人が納得したということでしたが、
 やっぱり理解力が落ちていたのですね・・・)

「いつ帰れるのか」
「いつまでここに居るのか」
「なんでこんなところに居ないといかんのか」と、
行くたびに聞かれて辛かったです。

しかし10日もすると、
なんだか元気そうに・・・
血色が良くなってきました!

家ではベッドから起き上がるのもやっとのありさまだったのに、
すっと立ち上がれるようになりました。

食事やおやつのたびに、食堂までのわりと長い廊下を、
施設の人についてもらって歩行器を押して歩いていますが
これがちょうど良い運動になっているのかもしれません。

また、介助の方やケアマネさんや看護師さんや
いろんな方と会話をする機会が増えて
その刺激もよいのかもしれません。
しっかり受け答えできている時間が増えました。

入居したお部屋はさいわい南向きで暖かい上に
週に3回、大きなお風呂で「入浴」させてもらえます。
家のお風呂では浴槽をまたいで入ることができなかったので
ここ半年ほどずっとシャワーで辛抱していたのです。
久しぶりのお風呂は、本当に気持ちよかったことでしょう!

最初は嫌がっていたちょっとした塗り絵や
節分のフラワーアレンジメントなどにも、
誘われて参加するようになってきました。
(もともと器用なので)とても上手にやってのけて
みんなに誉められて得意そうです。


ひょっとしたら、もう
車椅子とかおむつになってしまうのではないかと
危惧していたのですが、

理学療法士さんによるリハビリや
定期的なマッサージを受けて
誰もが驚くほど、足元がしっかりしてきました。
この調子なら、上手に器具を使えば
ひとりで動くことも可能かもしれないと言っていただいています。


ただ、どうしても、コールを押して人に来てもらうのを面倒がります。
ひとりで立ってトイレに行こうとして
2,3度転倒してしまいました・・・Orz
顔を打ったり頭を打ったりしているようで
大事にいたらなくて良かったですけど。。。

足元にセンサーマットを敷いていただきましたが、
それでもうっかりすると、
カーテンを閉めに立つなど
部屋の中をこっそりひょいひょい動いているようです(>_<)

骨折の危険は常にあります。
・・・でも、あまり制限するのもね。。。
だって
いくら「ベルを押して人が来てから動いてね」と伝えても
「大丈夫だ」と自分で動いてしまうのです。


家にいたころは
母が「大丈夫?」「ここは痛くない?」「トイレは?」などと
いつもつきっきりで父の世話をやいていました。
母は、父がテレビのリモコンを取りに立つことさえ、
声をあげて制止していたのです。
「ここで転んで骨折したら、寝たきりになってしまうでしょ!」
というのが母の口癖でした。

母には母の思いがあるでしょう。

でもその母の一生懸命さがかえって
父の生活能力を奪い
母の体力を消耗させていたのだと
私は思っています。


いくら制止しても動きたい父と
なんとしても安全を確保したい母、という組み合わせ。

基本的に父と母の生き方は、
これからも父と母に任せるしかないので

子としてできることは、
2人に好きなように泳いでもらって(^^;)
起こることの後始末をすることなのかな?

と、最近はハラをくくってマス。
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by prem_ayako | 2015-02-18 23:02 | family | Comments(2)

(5)実践仏教講座

お分かりと思いますが
私、そうとう怒っていました(^^;)

口には出しませんでしたが
義姉に対して
心の中には「悪口(あっく)」が渦巻いておりました。

しかもこれは、
ちょっとやそっとでは消え失せなくて(^^;)
先に書いたように、朝4時ごろまで続きました。

そもそも義姉との関係がこんなに悪いのは
私の不徳のいたすところであります。

瞋恚(怒り)の裏には我執(劣等感)があるので、
きっと、親孝行したいとか
邪魔されずサクサクと話を進めたいとかの
貪欲(仮想的目標)があったと思います。

はい、競合的です。。

しかし、いくら理屈で分かってはいても、
心の中の嵐は、なかなかおさまらず
義姉を裁き続けるのでした。

瞋恚を勢至菩薩さまに食べていただくという瞑想法も知っておりますが、
この時は、しようという気持ちになれませんでした。
なんといいますか、たぶん私は、まだしばらく
怒り続けていたかったのだと思います。

しかし、ひとり毒を吐き続けるのも苦しいことです。

私を救ってくれたのは、
毎日チベット語でお唱えして暗記していた
「四無量心」の教えでした。

虚空と等しき母なる一切衆生が
楽と楽因を得んことを
苦と苦因を離れんことを
苦のなき楽を離れざらんことを
愛憎を離れ平等に住せんことを

(大きなJ先生訳)

仏さまは、なんと正しく人間を理解しておられることでしょう。
キリスト教と違って、「敵を愛せよ」とは言っておられないのです。
ただ

しむ(相手が楽を得ることを願う)
しむ(相手の苦がなくなることを願う)
ぶ(相手の苦のない楽が続くことを願う)
てる(相手を裁く心から離れることを願う)

の4つの心を、この偈に示しておられます。

義姉は、人を疑ったり、感情を使って自分を強く見せることで
身を守り、社会に所属することができると
思い込んでいるのかもしれません。

そんなことをしていたら苦しいに決まっていますが・・・
彼女はまだ仏教に出会っていないし
ついでに言えば、ライフスタイル分析も受けていないので(^^)
この牢獄に囚われたままなのです。

まさに、神なき人の惨めさ・・・。
はじめて私は彼女のことを
憐れだと思いました。

いつか彼女が、世界を信頼することができればいいのに。
そうすればきっと楽になり、このような苦から逃れられるはず。
そうなることを私が喜べますように。

さらに、愛憎を離れとあるように
愛するとか憎むとかの話ではなく、
私が、彼女を裁いていることが問題なのです。
全ての判断から私自身が解放され、彼女と平等の位置に立てますように。

関連して次々と、
今まで学んできた数多くの言葉が思い出されました。
「三十七菩薩行」にも
「入菩薩行論」にも
同じことが繰り返し書かれています・・・

苦しい夜の明ける頃、
はじめてこれらの偈の一言一言が現実と繋がり、
力を持ち始めたのでした。

そしてようやく、気がつきました。
この出来事は、実はとても大切なレッスンだったのだと。



四魔(貪欲・瞋恚・邪見・傲慢)を断ち切る「チュー gcod」の修行を
おひげリンポチェに教わってから、約1ヶ月経ちました。

親族への愛や憎しみに翻弄されているこの状況は、
さぁ実際に解いてごらん?と
仏さまから差し出された
練習問題なのだと分かりました。

難解な問題ではありますが
まさに今を実践すべき時として
出してくださったレッスンなのでしょう。
ありがたく取り組ませていただきます(^^)


この後も、支払いプランなどについて
今度は兄が少しばかり頑なになり
すったもんだ、なかなか大変でした。

兄も義姉も、父の財産を無駄に使わないよう
極力考えてくれているのだと思います。

長男・長女さん方は
直感で動く脳天気な末子には、思いの及ばないところで、
なにかと苦労してくれているのでしょうね(^_^;)

そして、あの日から1週間たった1月16日、
相談員さんとケアマネージャーさんと看護師さんの3人が
父との面談のため、家に来てくださいました。
母も、少し安心したようです。
そして父の入所は、最初の電話で言っていただいた言葉どおり、
1月20日に決まりました。


今日(18日)になって
もうひとつ、鳥肌のたつようなことに気がつきました。

ポンクラを閉めることは、昨年11月に思い立ちました。
まさか父が年明け早々こんなふうになるとは、
そのときは全く予想していませんでしたが、
年内に終えることを決めたのです。

父の入所する1月20日は、第3火曜日なので
もしもポンクラをもう1ヶ月続けていたならば、例会と重なっていたはずです。
会場を借り、ご案内も出すので
例会をキャンセルするのは難しかったでしょう。
そうすると前後の関係から、あと1週間、父の入所は遅れたでしょう。
この状況での1週間は、母にしたら、とてもハードだったでしょう。

なぜ年内にポンクラをやめようと決心したのか。
答はここにあったようです。

流れは・・・人間に見えていないだけで
すでに決まっているのですね。
たぶん因果の理によって。

そして人間がただ信じていれば
委ねていれば・・・
仏さまはいちばん佳いようにしてくださるようです。


長い話になりました。
読んでくださって、ありがとうございました。
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by prem_ayako | 2015-01-18 15:36 | family | Comments(2)

(4)心が世界をつくる

翌9日、予定通り
この老人ホームを見学させていただきました。

S林業の施設なので
内装にはふんだんに木が使ってあり
外観とエントランスは、まるでマンションのようでした。

1階は、入居者が誰でも利用できるロビーになっていて、
大きなテーブルや応接セット、
隅には新聞や碁盤が置いてありました。
壁の本棚にはたくさんの書籍が並んでいます。
机や棚が全てこげ茶色の木製なので、とても落ちつきます。

先日見学した施設が病院に近い雰囲気だったのと較べると、
ここはどちらかというと、小さなホテルのロビーのような感じでした。

2階と3階には、要介護の入所者のための個室が40あり、
4階から6階は、2人部屋の普通居室(介護なし)になっています。
厨房やお風呂も覗かせていただきましたが
お盆や食器にまで気が配られていて、
職員さんの動きもテキパキしていて、好もしく感じました。

神憑りな私は終始、
この施設に父は入ることになるだろうと思いながら
見学していました。

ですが、兄についてきた兄嫁の意見は、違いました。
あまりにも話がうますぎて「うさんくさい」と言うのです。

「文子さんは、最初から、おかしいと思わなかったんですか!?」と、
神憑り文子さんは怒られてしまいました(>_<)

え、どこがおかしいんですか?
これって父の福徳が引き寄せたお話なんですよ。

なんてこと、言ったらますます怒らせそうだから
口が裂けても言いませんでしたが

なぜか彼女の怒りはおさまらず、
挙げ句、優遇を申し出てくださっている相談員さんに
くってかかりました・・・(@_@)

ここで感情を使う目的が、私にはさっぱり分からないのですが
相談員の方には、あらためてご連絡しますからと
申し訳なさを全面にだしてお伝えし、
(こんなことで話が潰れてはかなわない!)
あたふたと施設を退散することになりました。
(兄は黙っていました。。。慣れてるのかしら?)

このころから、私は胃がキリキリと痛み始め、
その後数日の間は、食欲もありませんでした。
胃に穴が開いたかもしれません(^^;)


そして家に集合して、母を交えて話し合いました。

義姉が言うには、
友だちからこの施設の「よくないウワサ」を聞いていたので
相談員さんのお話が「きれいごと」すぎて
おかしいと思ったということです。

私には思いもよらないことだったので
あぁこの人は、
私と全く違うものを見ているのだなあと驚きました。

義姉は、父母が騙されないようにと心配してくれているのでしょう。
「舐められないように、言うことは言わなきゃいけないと思いますよ!」
とおっしゃるので、陰性感情を使うこともOKと思っているみたいです。

長らくアドレリアン・コミュニティの温室の中に
どっぷりと浸かっているものですから、
私は、身近にこのような言動を見て、とてもショックでした。

高額な買い物になるので義姉が神経質になるのも分かりますが、
疑い始めたら、何もかも疑わしくなるのでしょうか。。。
なんだか、全く違う世界の人と会話しているようで
激しい徒労感に襲われました・・・

言葉はあまり通じなかったかもしれませんが、
私は、自分の目で見たものを信じたいと伝えました。

さいわい兄も、この施設を実際に見て気に入ったようでした。
義姉からその「ウワサ」を聞いてはいたけれど
見たところ、そんなことはないように思う。
向こうも商売だから良いことばかり言う感じではあるが、
話半分で聞いて、あと注意しておればいいんじゃないかと言ってくれました。

義姉は突然、母の手を握らんばかりにキラキラ豹変して
「わかりました。ここにしましょ、お母さま!」と言いました(@_@)

はい、それで、
このケア付き有料老人ホームC候補に
父をお願いすることが決まりました。

すぐに件の親切な相談員さんに電話をして
義姉の非礼をお詫びし、入所希望の旨を伝えました。


この夜、私は朝の4時まで眠れませんでした orz

翌日からはパセージリーダー養成講座だったので
3日間、大阪に通いました。
そして家のことには、一切関わらないでおりました。

講座の参加者のみなさんが
勇気づけを糧にぐんぐん成長していかれるさまを
部屋の片隅からずっと見させていただいて

おかげで私自身が、限りなくエネルギーをいただきました。
胃痛もいつしか治っておりました!(^o^)

そうよね!
人の善意を信じていいよねっ

人間が環境を作り、環境が人間を作る。

この世界を作っているのは私の心です。
私の心よ、ぶれるな!
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by prem_ayako | 2015-01-18 15:29 | family | Comments(0)
翌朝、母に、さりげなく(?)
月々どれぐらいまでお金が出せるか、
ぶっちゃけ聞いて確認しました。
私が探した候補施設は、みな
一昨日に見た施設の、2倍以上の費用がかかるのです。

しかし、父が働いて蓄えてきたお金は
今、このときのためのものです!
あるだけ、父と母のために使ってしまえばよい。
父にはそれなりのところで過ごしてもらいたいと、
母と兄と私の願いは一致していました。

さてどこから電話をしたものか?
(後で分かるのですが、このとき、少なからぬ神仏のお力が働いていたようです)

候補AはK製鋼の老人ホームで、とても良さそうですが
いくらなんでもというぐらい、破格にお値段が高いです。
ここは最後に回すことにしました。
(結局、電話はしませんでした)

まず、Bの老人ホームに電話をかけました。
若い女性が応対してくださり、無難に親切な感じでした。
大手Bネッセの施設なので、応対マニュアルがあるようです。
翌日の午前の見学をお願いしましたが
やたら細かい個人情報をいろいろと聞かれ、
見学なのに、ここまで?とちょっと思いました。
(ここも、結局見学をキャンセルしました)


その間に、父のケアマネさんから電話がはいって
父母の状態について少しお話をしました。
先日の施設について、入居を前提としたショートステイの話を進めていただいていますが、
私としては父のために、もう少し探してみたいこと、
平行していくつかの施設を見学しようと思っていることを伝えました。

ケアマネさんも賛成してくださいました。
母があまりにも早く決断したので、慎重に考えてくださっていて、
「まだお断りできますからね。いつでも言ってくださいね」
と気づかってくださり、ありがたかったです。


最後の候補施設CはS林業の持ち物で
ホームページによると、今のところ空きは全くないようでした。
でも、今話が進んでいる施設を父が気に入らなかったときの準備として
ここにも電話をしておこうと思いました。

電話にでられたのは、落ちついた感じの相談員さんでした。

B施設への電話で話したのと同じように、
年末から父の状態が悪くなって母が参ってきたので老人ホームを探していますと言うと
それはたいへんですね~と話を聞いてくださいました。
はい、ほとんど母ひとりでがんばってきたのですが
夜間頻尿がひどくなって、もう限界みたいなので・・・と言うと
「私も父を看ていたとき、ほんとうに大変でした。
 もう2人で死のうかとさえ思ったぐらいです」とおっしゃいます。
思わず「そうなんです。まさに母が今そう言っています」と答えました。

いろいろ聞いてくださるので、話の聴き方が上手だなあと思いながら、
入所した場合、夜間の1時間おきのトイレに
どう対応していただけるのか、尋ねてみました。

先日の施設では、
「コールしてもらえばできるだけ付き添いますが、おとなしい方ばかりではありませんからね」
という答えが返ってきており、
これでは実際には、おむつになってしまうだろうなと思ったのです。

今回のところでは、
おむつは最後の手段であり、
1時間おきでも、自分でトイレに行きたいと言うなら付き添いますということでした。
「そのとき出なくても、いいんです。ご自分で行きたいと言われることを大事にします」
と言っていただき、「そうそう!」と膝を打つ思いでした。

同様に食事に関しても、自分で食べたいと言う人には、
どれだけ時間がかかっても、「ご自分で食べていただきます」ということでした。

そのためか、わりと評価の分かれる老人ホームのようではありました。
こぢんまりしていて、リクリエーションもあまりしていないので
「厳しい」とか「暗い」とか嫌がる人もおられるのだとか。

でも父のように、デイのレクリエーションに馴染めなかった人にしたら、
静かに過ごせるこういう所の方が向いているのではないかと思いました。

全体の方針として入所者の意向を尊重しているようで、
言葉遣いに老人たちへの尊敬が感じられました。

・・・ここなら、ひょっとしたら父を託せるかもしれません。
ようやく納得できそうなところが見つかった気がしました。


さらに、驚くべきことが起こりました。
相「今、うちは12人待機中なのですが・・・」
私「ああ、そうでしょうねぇ・・・」
相「実は今朝ほど、おひとり退去されることが決まったのです」
私「?」
相「でもうちはご高齢の方や急ぎの方を優先しますので・・・もしも一度見ていただいた上で、よろしければ、最短で今月の20日ぐらいにはご入居いただけるかもしれませんよ」
私「えっ?!!それは・・・よろしいんですか?」
相「はい。これもご縁だと思いますので」

なんということでしょう!
「ともかく見学させていただいてから」と、
すぐに、翌日の午後の予約をとりました。

「明日の午後までは、他の待機の方に伏せておきます」
「すみません。兄とも相談しますが。。。助かります!」
「ほんとうにご縁です。すごいタイミングだったんですよ。
 ほんとに今朝、退去のご連絡があったところだったんです」

電話を昼前にかけたからこその
タイミングでした。

私はとても単純で神懸かりな人間なので
この出来事は、
父の積んできた福徳のおかげだと思い、
正直、鳥肌がたちました。

相談員さんは、父がこの地で50年開業してきたことなどご存知ありません。
ただ私との会話の中で、父を優先することを決めてくださったのです。

諸仏諸菩薩は、父を見捨てるようなことをなさらない!
そう確信しました。

すぐに兄に電話で報告し、
翌日午後の見学に同行してもらうことにしました。
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by prem_ayako | 2015-01-16 11:55 | family | Comments(0)
翌7日はカウンセリング予約が3件入っていたので
とりあえず出かけて、目の前のクライエントさんに集中しました。
夕方にデパートに寄って、
頼まれていた母の財布と、父の靴下とを買って帰りました。

帰宅すると、もう2人は寝る支度をしていましたが
母は新しい財布の包み紙をまず開き、
「こんなのがほしかったの!うれしい!」と
少女のようにはしゃぎました。
そんな嬉しそうな母を見るのは、ずいぶん久しぶりでした。

頼まれたことをして「ありがとう」はよく言ってもらったけど
ご飯を作って「おいしい」ともよく言ってもらったけど

こんなふうに笑顔になってもらえるようなことを
私は、あんまりしてあげていなかったなぁm(_ _)m
とても申し訳なく思いました・・・


そのあと、疲れていたけれど
瞑想しました。
してよかったです。

心が落ち着くと、
家でお世話ができなくなったという事態の急転に
まず私がショックを受けているのだとわかりました。
私としては、できるだけ長く、できれば最期まで
父に家で過ごしてもらおうと思って、この家に帰ってきたのです。

しかしそうは言いながらも、私は週の半分ぐらいしか家に居ず・・・
結局、ほとんど全ての負担は母が背負っていたのでしたm(_ _)m

そして、この「家でお世話したい」という願いもまた
私の勝手な欲だということに、ようやく気がつきました。

父に幸せになってほしい
母に幸せになってほしい
というのは、しょせん貪欲であります。


昨年末のスピリチュアル・ワークで大きなJ先生に教えていただきました。
「仏教は親孝行を勧めてはいません」
「親の不幸は、親が自分で選んだカルマです」
親を幸福にする力は、子どもにはない。。。
親が幸福になるかどうかは、親自らの因と縁に依るのです。

徹底的な個人の主体性です。
そして全体の中で、あるべきように
すべては配置されていく。

父の今の身体の状態も、
母の今の精神状態も、
父が母に依存している今の2人の関係も、
ふたりが長い時間をかけて作り上げてきたもの。
彼らのカルマです。

流れが、父をどこかの施設に託すという方向で動いているのなら、
私にできることは、
少しでも父にとって快適な場所を、探し出すことです!


母が飛びついて決めた昨日の施設で
父が幸せな最期を送ることができるとは
残念ながら、私には思えませんでした。
父はやさしくて穏やかな人ですから、
母が頼めば我慢してくれるでしょうけれど・・・

誤解のないように言っておきますが、
決して悪い施設ではないんです。
きれいで親切なところなんですよ!
でも私の無意識は、しつこく私に告げていました。
「あそこに入ったら、父はあっという間だろう」と。。。

私は夢中になって
ケアマネさんが置いていった神戸市の施設一覧リストの中で
家から比較的近い施設(ケア付き有料老人ホーム)を、片っ端から検索しました。

母が会いに行き易い場所であること。
入所時に高額な一時金を徴収しない施設であること。
自分が入ってもよいと思えるようなところ・・・

仕事で研修宿泊施設を探すときの経験が、
少し発揮できたような気がします・・・

夜遅くまでかかってABC3つの候補を絞り込みました。
母を混乱させないように黙ったままで、
明日はこれらの老人ホームに連絡をとって
見学の手はずを整えようと考え、
ようやく眠りにつきました。
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by prem_ayako | 2015-01-16 11:38 | family | Comments(0)

施設入所(1) 

昨年末から、父の介護がたいへんになってきました。
認知がここ半月ほどでかなり進んだ上に、
夜間頻尿も、1時間1回ほどのペースになってしまったのです。

「おしっこって言ったら側に行くから言うみたい・・・」
と母も気がつくぐらい、
父は、母の注目関心を引きたいようです。

さらに、背中が痛いとか食べ物の味がわからないとか
いろんなことを母に訴えます。
・・・ですが私が聞くと大丈夫だと言いますし
食事も、私と居るときは、しっかり食べています。

母はまた眠れなくなってきて、
もともと朝に高い血圧が、下がらなくなってしまいました。
かかりつけのお医者さんに薬を加減していただきましたが
一時ましになっても、あまり効果がでないようでした。

父よりも母の方が弱ってきてしまったので
年末、母担当のケアマネージャーさんに電話で相談しました。
少しでも夜間の負担を減らすために
父にポータブルトイレを使ってもらってはどうかと聞いてみましたが

母の性格を考えると、ベッド脇にポータブルを置いたところで
きっと起き上がって世話をするだろうし、その度に処理に立つだろう。
根本的な解決にはならないのでは?というご意見でした。
たしかに・・・
ケアマネさん、さすがに母のことをよく見て現実を分かっておられます。


お正月は、私の作ったおせち料理を囲んで
父は「おいしい、おいしい」とたくさん食べてくれ、
母は「何も作らなかったのは生まれて初めて!」と喜んでくれました。

その時じっくり母の話を聞くと
やはり相当煮詰まっているようで
早急になんとかしなければならないと感じました。

数日後、年始に来た兄が
「そんなにしんどいなら、ケア付きの施設(老人ホーム)に入ることを考えてみては?」と言うと
それまでずっと「2人一緒でなければダメ!」と拒否していた母が
父だけ施設に入ってもらおうかと言い出しました。

この時はじめて、母は父と離れることを口にしたのです。

私も兄も驚いて
今は疲れているからこう言っているだけで
少し休めば気が変わるのではないかと思いました。

でも母は、体力も気力も限界にきているみたいで
もう自分の力では父をじゅうぶんにお世話できない、と
すっかり勇気をくじかれているようでした。
専門家に任せた方が父は幸せだろうと言います。

私には、まだ何か工夫できそうに思えましたが、
兄は、これ以上母を頑張らせるのは酷だと言います。
そう言われたらそうかもしれませんが・・・
父はそれでいいのでしょうか?

ともかく、今までの支援体勢は限界のようです。
これまでは父中心に援助を考えていましたが
母の負担軽減を優先しなければならない時期にきたようです。

父担当の介護のケアマネージャーさんに連絡をつけ、
休みあけの1月6日、
母担当の支援のケアマネージャーさんと共に、
家に来ていただき、兄も交えて話し合いました。

どこのデイサービスも気に入らず、
ずっと家で過ごしてきた父ですから
兄も私も、この時点では、
いきなり父をどこかの施設に預けることには躊躇がありました。

しかし専門家さんたちのご意見は
どちらかというと、できるだけ早い時期の施設入所でした。

ショートステイやデイサービスを使うという方法もあるが、
むしろ母にとっては(母の性格を考えると)
その度にあれこれ準備が必要なことや、
曜日ごとにいろんな人が出入りすることへの
ストレスの方がはるかに大きいのではないか、ということでした。
「お母さまはそれでは休めないでしょう?」とおっしゃいます。
たしかにそうかもしれません・・・。

母は、父を1人で施設に入れる方に気持ちがすっかり傾いて
すでに父にも話をつけ、父は入ってもいいと答えたそうです。
(仕事早っ)

母がそうしたいと望み
父もそれでいいと答えたのなら
私が反対する理由はありません(T_T)

そして(兄夫婦は山手の方の老人ホームを候補に考えていましたが)
家の近所の施設を、ひとつ紹介していただきました。
母は、兄と私に判断を任せると言いますので、
すぐに見学に行きました。

明るいきれいな施設で職員さんたちも親切そうで
2部屋だけ空きがあり、
しかもお試しでショートステイもできますよと言ってくださるので

帰って母に報告すると、飛びつくように
そこにお願いしたい!と言います。
せめて1晩おいて、明日決めるようにと言いましたが、
すぐにケアマネさんに電話をして、
そこの施設への入所前提での、ショートステイの予約をしてしまいました。
(この人は、決めると早いのです)


こうして、とんとんと話は進んでいくのですが・・・
私としては、なんともいえず辛くて、悶々としてしまうのです。

こうするしかないのだろうか?
他の方法はないのだろうか?
母だって、せっかくここまでがんばってきたのに・・・
いきなり父を手放してしまうなんて・・・

近くにいながら、私の力が足りなかったのだと思いました。
母がこんなに切羽詰まるまで、気づいてあげられなかった。
私が無理にでもトイレ介助をしてあげるべきだっただろうか。
もっと早くに、私がケアマネさん方に連絡するべきだったのだろうか。
言葉で頼まれたことを手伝う、という方針でやってきたけれど
もっと積極的に手を出してあげるべきだっただろうか。

などと、いわゆる後悔と自責の念が果てしなく出てきて
ひどく気持ちが沈んで、考えは堂々巡りで
この夜は毎晩の瞑想さえもする気になれませんでした。
Orz
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by prem_ayako | 2015-01-16 11:21 | family | Comments(0)

初詣

あけましておめでとうございます

2015年の年明けは、厳しい冷え込みでしたね。

私は初詣に出かけて冷え切ってしまったのですが、
なんとか持ち直したようで、
おかげさまでつつがなく過ごしております。


うちの両親は、まったく信心がないようで、
結婚するまで私は、家族と初詣に行ったことがありませんでした。
初詣どころか、
お宮参りや七五三のお祝いも、
してもらった覚えがありません(^^;)

不思議な人たちだなと今になれば思います。
流行りのニヒリズムですかね。。。
彼らの課題ですから何も言いませんけど。

といっても、
神さまに手を合わせることだとか
鳥居の中は特別な場所だとか
その程度の日本人として当たり前の知識は
伝えてもらっていました。

・・・思うに両親の時代の人たちは、敗戦を機に、
教わってきたことを180度ひっくり返されるという経験をしましたから
戦後の価値観に口を出したくなかったのかな。
価値を伝えることに自信を失っていたのかな。
・・・謎ですが。

で、結婚した先の婚家は、ふつうに神社仏閣に参詣する家庭でしたので
私も人並みに、お宮参りや七五三や初詣をするようになりました。
その頃親しんでいたのは、近所の「本(もと)住吉神社」で
5月の大祭には、子どもたちも「だんじり」を引いて参加したものです。


そういうわけで、私が神社に親しむようになったのは
大人になってからだったのですが、
神社のもつ独特の雰囲気は、とても好きです。
たしかに神さまの居られる神社は、あります。


神戸に戻って初めてのこのお正月。
さて私はどこの神さまになついていけばいいのかしら?
と、はたと考えたのでありました。

今住んでいるこの家の近くで、
これからお付き合いしていく神さまを探さなきゃ。
こういうのは「出会い」だと思うのですが、
近所をぶらついても、まだ「これ!」という神さまに
お会いできていないのです。。。

母に聞くと、この町内は「船寺神社」さんの氏子なのだけれど
「むかし、神主さんがお金持って逃げたことがある」のだとか(^^;)
真偽不明だけど、やめよっかな。

わりと有名なのでは、2駅ほど阪神電車に乗った所に
「敏馬(みぬめ or みるめ)神社」というのがあります。
ところが検索してみたら、どうやら縁切りの神さまみたいで(笑)
それも、今でもこの神社の前を花嫁行列は通らないというぐらい
本気で縁を切る神さまみたいなんで(^^;)
まぁ今さらあんまり関係ないんだけど、やめた方が無難かな?


迷った挙げ句、結局今回は2つの神社に
帰りましたのご挨拶をしておくことにいたしました。

まずは、「六甲八幡(やはた)神社」へ。
私の中学・高校時代には、
ちょっとしたデートスポットとして活用しておりました(笑)
息子の小学生時代には、彼の所属していた野外活動グループの
集合解散場所でもありました。

八幡さんだから戦の神さまですね。
また、厄神さんでもあるようです。
こういう神さまにはやはり、仁義を切っておかなければね。

寒いのにかなりの人出で
神前へ出るのに半時間ぐらい
六甲おろしのうなる中、並ばなくてはなりませんでした(>_<)


次は、「弓弦羽(ゆづるは)神社」へ。
今の家からだと、ひと駅、電車に乗らなければなりませんが
凍死しそうになりながら、がんばって行きました。

ここは、神戸の震災後2年ほど過ごしたマンションの近くにあって
子どもたちの学校・病院への行き帰りやお稽古の送り迎えなど
折あらば立ち寄って手を合わせていた神さまです。

こぢんまりとした美しいたたずまいで、
私の好きな神社です。
春の参道の桜は見事だし
秋は、幼稚園児たちがどんぐり拾いに訪れます。

「弓弦羽」という名前からして、戦の神さまですね。
このあたりには、神功皇后の新羅出兵のちなみで、
戦勝を祈願されただとか、船を停めただとか、
戦の神さま、海人の神さまが多いようです。

b0253075_10241270.jpg中でも弓弦羽さんは熊野系らしく、
八咫烏をシンボルにしておられます。

弓弦羽さんもとても混んでいて、
参道では、ちらちら雪も舞ってきました~(T_T)
元旦から雪が降るなんて、神戸ではほんとに珍しいのです。

うれしいことになんと、
八咫烏のおみくじを見つけました♪
かわいい!

巫女さんに500円お納めすると、
「どれかひとつお選びください」と言われまして、
ずらっと並んだ烏の中から、好きな子を一羽選ぶのです。
(選ぶの難しかったですww)

b0253075_10263469.jpg写真ではよく見えないかな。
爪の3つ描かれた足が、
ちゃんと3本あるのですよ。

この烏さん欲しさに
来年からも、弓弦羽さんに通おうかしら~(^o^)
というぐらい、気に入ってしまいました。
(商売上手な神社さん)

あ、ちなみにおみくじは小吉でした。
よかったですw
もし凶なんぞ出たら
500円出して買い直すのはちょっと痛いですもんね。


娘が言うに、私のブログには
1)オタクでしょうもないもの
2)オタクでおもしろいもの
3)感動もの
この3種しかないのだそうです。
本日の記事への評価は、さてどれになるでしょう?(^^;)
たぶん1)ですね。

そんな感じで、今年もつらつらと、
好きなことを書き散らして参ります。
もしよろしければお付き合いくださいませ~
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by prem_ayako | 2015-01-05 10:35 | family | Comments(0)

母のこと

最近、
少なくとも以前よりは、
母のご機嫌はよくなっているように思います。

ここに戻ってきた当初は、
母は大喜びでした。
まだ父がわりと動けていましたから、
娘に手伝ってもらおうという意識はなく、
「また娘の世話をやくことができる!」という感覚だったみたいです。

それを私が、「過干渉~」と感じてしまったので
(まぁそれは長い歴史があったので・・・)
そのため関係がこじれ、
ものすごい権力闘争に陥ってしまいました。

私の使っている1階部分の戸締まりがゆるいとか
夜、私の点ける電気が煌煌として明るすぎるとか
果ては、私が育てている観葉植物が不潔だとか
なんだか私にとっては「理不尽~っ」
って感じるようなことばかりを言われました。

最悪の時期は、5月ごろだったかな。
父に出したおかずよりも、
母に出したおかずの方が少ない!と言われて
あぁ、私の知っている母じゃない~!
と愕然としました。

それでも、アドラー心理学の原理を思い出し
なんとか心の構えを協力的に立て直し
母がボス!私は従おう!と決め、
権力闘争から抜け出すことができました。
(アドラー心理学は本当に偉大です!このあたりの事情はこちらに)

ただ、それでも夏頃までは
私がボスの期待通りに振る舞えなかったりで、
けっこう機嫌をそこねておりました。

今から思うと母は、急激な父の衰弱に
心がついていけなかったのだと思います。

「留守ばっかりで何もしてくれないんだから!あんたはちっとも頼りにならない!」
・・・という母の物の言い方は、
まともに取り合ってしまうと
「何言ってるのよ、できるだけのことしているじゃないの!」
と反論したくなってしまうのですけど(^^;)

ほんとはこれ、母は
「もっと家に居て、もっと手伝って。頼らせて!」
って言っているんですよね。。。
私もしょっちゅう鳥取に行っていましたので、
心細さから、ますます母は言いつのっていたのでしょう。

母の気持ちが少しわかると、
「ごめんね。もっと手伝ってあげられなくて」って答えることができます。
カウンセラー養成講座でクライエントになったとき、
このことに気づかせていただき、ありがたかったです(T_T)


10月に鳥取から戻ってみると
母はへとへとになっていました。

私が居ない間に母はようやく
さまざまな社会資源を使ってみる気になったみたいで
(というか、思い切って使わないと、どうにもならなくなったのでしょう)
父のデイケアを探したり、入浴介助を始めたり、
母の介護認定を申請してヘルパーさんに入ってもらったり
あるいは手すりをつけたり、生協の個配を頼んだり、
そのためにいろんな人に会って手続きをしなくてはならなくて、
頭の中がいっぱいいっぱいになっていました。

あれこれ考えるとドキドキして眠れない。
ちょっと寝たかと思うと、父がトイレに行くので
付き添っていると、目がさえてしまって朝まで眠れない。
と言って、血圧も上がって、ふらふらになっていました。

兄も相談にのってあげていましたし、
かかりつけのお医者さんも、軽い睡眠薬を出してくださったのですが、
どうも母は、「眠ってはいけない!」と
強く思い込んでしまっているようでした。
自分が眠り込んで、父がその間にトイレに行って転んだら大変だ!と。

母の不安を軽くするのは、本当にむずかしいのです。
もともと未来への不安をよく口にする人でしたが、
年をとるとその性格傾向が助長されるのでしょうか。

あるいは、戦争で苦労した世代だからでしょうか。
うっかりしていると、何か必ず悪いことが起こる
世界は危険に満ちている
みたいなことを思っているふしがあります。。。

いつまで続くか分からない
きっとあと少ししか続かないだろうこの生活を、
幸せだと笑って過ごすのか、
大変だ大変だと言いながら暮らすのか
それは母自身が
決めることができるのだけれど。。。

母が母のライフスタイルで選びとった暮らし方を尊重しつつ
その中でちょっとでも両親が楽になれるように、
私にできることをする。
これしかないのですね。


睡眠不足であまりにも消耗しているようすだったので、
鳥取から帰宅したその翌晩に、
私も、2階の両親といっしょの部屋で寝てみることにしました。

父がトイレに行くときは、私がついていくから。
母にはともかく、一晩ゆっくり寝てもらおうと思ったのです。

その晩、
父は夜中の3時頃と朝方に2回トイレに行きましたが
2回とも、眠剤を飲んだ母の方が、私よりも先に起きました(爆)

私が暗闇の中で目を開けていると、
母は通りざまに私を見て
「大丈夫、大丈夫。いいから寝ときなさい」と
近づいてきて私の頭をなぜました。

・・・・・!

まったく、なにが大丈夫
お母さんが大丈夫じゃないからこうして来てるのに
いくつだと思ってるの
まるで子どもみたいに・・・

と心の中で呟きながら
泣き出しそうになるのをこらえていました。

母はこんなに年をとって弱っていても
父に尽くし
娘の身体を思いやる
昔のままの母でした。


この夜、父のトイレ介助に関しては、
私はほとんど役立たずだったのですが
母は、「薬を飲んで寝ても目が覚めることがわかった。自信がついた」
と言って、その後、薬をちゃんと飲んで眠るようになりました。

眠れない日もときどきはあるようですが、
一時のような連日の睡眠不足にはなっていないようです。


だんだん、私を「頼りにできる仲間」だと
思えるようになってきてくれたのではないかな?と思います。
ふとした時に感謝の言葉を言ってくれることが多くなりました。
以前、何かにつけて文句を言われていたことを思えば
ずいぶん大きな変化です。

ただ、今度は、何でもかんでも甘えてくるので
イラッとしてしまうことがよくあります。。。
(母も私も末子なので・・・)
頼まれたことはなるべく聞くようにしているのですが
どうも、返事が無愛想になってしまいます(-_-)

権力闘争にこそなりませんが
この、注目関心を引こうとする母の行動に、
どう対処するかが、目下の私の課題です。

しっかりアドラーを実践しなければ!

よい修行になっています(^^;)
仏さまのお力をお借りして
できることをやっていきましょう。
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by prem_ayako | 2014-11-13 11:36 | family | Comments(2)

父のこと

そもそも神戸の実家に私が戻ることを考え始めたのは
昨年の夏、
父が大切にしてきた家庭菜園を
その夏限りでやめることにした、と言うのを聞いたときでした。
水やりが大変だからもう続けられない、ということでした。

確かに昨年の夏は酷暑で、1日2回の水やりは重労働だったでしょう。
でも、閉院してからあんなに楽しんで丹精込めて
花や野菜を育てていたのに・・・
それをすべて放り出してしまうなんて・・・
父はそんなにも弱ってきたのかと、初めて気がつきました。

戻るのなら急がないと、と思ったのでした。
この時の判断は正しかったと思います。

戻って以来、ここ半年の間に、
父はずいぶん年をとりました。

春の頃は、まだ、
天気のよい日には散歩に出ていましたが
外で動けなくなってしまったことがあって
それから外出しなくなりました。

家の中でも、何度か転倒しました。
転ぶと、自力では立てません。
そんなことで、だんだん自信をなくして、
病院に行く以外は、一切外に出なくなってしまいました。

車椅子を勧めたのですが、
この時点では、「まだそこまで落ちぶれていない」なんて言って、
がんこに杖で歩こうとしていました。
ようやく、しんどい時だけ、と納得して
屋内用の車椅子を借りたのが8月末。
最近は、少しの移動も車椅子を使うことが多いです。
(おかげで転倒することは減りました)

昼間もうつらうつらしており、
しんどいのか、日中もパジャマで過ごすようになりました。
いつも丁寧にひげを剃る人だったのに
口元に無精ひげが目立つようになりました。
(無精ひげの父を見るなんて、初めてのことです)

天気のいい日には、外用の車椅子を借りて連れ出してあげたいなと思うのですが、
言っている間に寒くなってきてしまって(>_<)
今、風邪を引かせては・・・と思うと、なかなか実行に移せません。


夏頃、いっとき不整脈がひどくなって
たぶん漢方医学的には気虚だったと思うのですが
あまりにしんどそうなので、医者である兄が日赤への検査入院を勧めました。

耳も遠くなり
反応もずいぶん鈍くなっている父ですが
このときばかりは、はっきりと「行きたくない」と言いました。
「検査をしても、どうせそんなに長くない。 病院はいやだ」と。

それで、家で父を看ていくことに、方針が定まりました。


今はだいぶ落ち着いていて
週に2回、看護師さんが入浴介助に
週に1回、理学療法士さんがマッサージに来てくださいます。
月に1度は、理容師さんが散髪に。
入れ歯も、なじみの歯医者さんにお願いして調整に来ていただきました。
(往診料高かったですけど!)

できるだけ家で看ていくという方針に
ケアマネージャーさんや福祉の方々が
さまざまに協力してくださって、とてもありがたいです。

あと欲を言えば、私としては、
在宅医療を専門にやっておられる旧知のお医者さまにコンタクトをとって
今後のことをお任せしたいと思っているのですが、
これにはまだ、父の同意を得られていません。
父が決めることですから時期を待とうと思っています。


父が最期の日に向かっているのは、
私の目から見ても分かります。

それが早いのか、先なのかは
誰にも分かりませんけれど。

でも父は、住み慣れた自分の家に住み、
母の手を借りて自分でトイレに行き
週に何回かは、娘のおいしい手料理を食べ(^^)v
たくさんの人に助けてもらって
お金の心配もなく暮らせている。

これは、とても幸せな、人生の終わり方ではないでしょうか?

間に合って、父とともに暮らす日々がもてて
ほんとうに良かったと思っています。
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by prem_ayako | 2014-11-13 11:30 | family | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako