アードラーの夢

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カテゴリ:psychology( 46 )

新潟総会

第33回日本アドラー心理学会総会に参加するため、
先週末、新潟へ行きました。

ずっと病気療養中で会えていなかった友、おかけいに
この総会ではきっと会えるだろう、と楽しみにしていましたが

おかけいは4月に亡くなってしまいました。


そろそろ、おかけいのことを書くことができそうです。

おかけいが肉体を離れてから、
シンガポールでも台湾でも、ガルチェン・リンポチェの法要で
いつもおかけいのことをお祈りしていました。
もうすでに極楽に生まれ変わっているに違いない、とも思っています。

でもやっぱり
新潟に行って、良かったです。
おかけいに会えて、きちんとお別れができたような気がします。


しばらく雨が続いていたのが
新潟に着くと、とてもいいお天気!
ホテルへの送迎バスから見る越後平野の広がりはとても美しく、
すでにこの時点で、おかけいが歓迎してくれているんだなあ~と感じました。

総会の会場に入ると、
会場のいちばん後ろに
彼女の遺影が飾ってありました。
そのお写真の、綺麗だったこと!(T_T)

あとで知ったのですが、ご主人からお借りしてきたものだったようです。

ほんとうに美しい、やわらかな笑顔で
タートルネックのセーターがよく似合っていて
私のよく知っている元気なころのおかけいでした(T_T)

このおかけいが、後ろの席からずっと総会を
見守っていてくれました。

いろいろと重要事項の決議もあり、いつになく気の張る総会だったのですが
・・・たぶん、おかけいを知る人はみな、
おかけいの存在を感じていて
彼女のために和していこうとしていたように思います。
空中に、おかけいのエネルギーが充満していたと思います。


私の出番は、最終日の午前9時から12時までのシンポジウムでしたが
その日は早朝からなぜか目が覚めておりました。

ホテルの部屋の外に大きな池があって、その方向から
「こーこー」と、渡ってきたばかりの白鳥の声が聞こえます。
その声を聞きながらお布団の中で、
おかけいのことをたくさん思い出しました。

パセージリーダー養成で出会って友だちになったこと。
その後、大阪で会ってはおしゃべりしたこと。
長電話もいっぱいしたこと。
離婚前の私の家に、何度か泊まりにきてくれたこと。
そういえば、私のパセージを見学にも(!!)来てくれたこと。

そして私がカウンセラーになりたての頃・・・
事例検討会で事例を出すたびに先輩や先生方から
出来ていないことをたくさんたくさん指摘され落ちこんでいた頃。
おかけいも、「う~ん」と首をかしげて
私の下手さ加減に不満を示しながらも、
私が食らいついていくと、時間をつくって相手になってくれました。
そうして私を鍛え、勇気づけてくれました。
私があの時期に諦めず、アドラー心理学を学び続けることができたのは
おかけいのおかげです。

月日が流れて私が心理療法を臨床でするようになった頃、
ひとり暮らしの大阪の家にも泊まりに来てくれました。
夜おそくまで、ケースについて語り合いました。
たのしかった。本当にたのしかったです。


心理療法士試験を受けたときも、その場にいて、見ていてくれました。
だから私の心理療法士認定書には
認定者として、おかけいと野田先生と、おふたりの名前が記されているのです。

合格した翌日、しみじみと
ーあやちゃん、昨日の夜、事例検討会でいろいろあったこと思い出してさあ、
 ほんとよくがんばったなぁって思ってさ~
って言ってくれました。。。

この日が、おかけいに会えた最後だったんです。
またきっと会えると信じていたのに・・・・・


こうして学んできた、ひとつの区切りになるのが
ひょっとしたら今日のシンポジウムかもしれないな、と思いました。
まだまだ、ほんとにまだまだの私だけれど、
おかけい、私、ここまできたんだよ。
見ていてくれるね?


シンポジウムが始まると、
一匹のハエが、私たちのまわりを飛び回り始めました。
私を含め6人のシンポジストが壇上にいたのですけど、
話をしているシンポジストのまわりを、このハエが飛ぶのです。

「ハエ、五月蠅いな」と言ってる人もいましたけど(^^;)
休憩時間に、シンポジストのひとりが
「あ、おかけいさんだね」と言いました。

そう。
おかけいは菩薩ですから、ハエに転生するはずはありません。
でもこの日は、もう遺影が引き上げられていましたから、
たぶんおかけいはハエを依り代にして、ハエの体を借りて
私たちを見守ってくれたのでしょう。

私が発表する番になると、
やっぱりこのハエさんは私の眼の前にきて
手をすり足をすりし、しばらく留まっていたのでした。

ハエさんを愛しく観察したのは
これが生まれてはじめてでした(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-10-19 23:20 | psychology | Comments(2)

LS分析を体験して

今年のカウンセラー養成講座は
心理療法士試験を受ける方が何人かおられましたので、
はじめて、心理療法(=ライフスタイル分析)のクライエントをさせていただきました。

ず~っと前から、実は
私もライフスタイル分析を受けてみた~い!
と叫んでいたのです。
自分のライフスタイルを知っておくことって
他の方のライフスタイル分析をする上で
とっても大事なことなんです!
だって、知らないうちに
自分のライフスタイルが影響してしまってはいけませんからね。

私を分析してくださったセラピストさんは
とってもやさしくやわらかく、話を聴いてくださいました。
ほんとうに勉強になりました!
ありがとうございました。


まず、母に対して陰性感情がわいた最近のできごとをお話ししました。
私のある行動に対して、母が不満を言ったというエピソードです。
一言二言のやりとりでしたが、
いつものように母にも私にも若干の陰性感情が残り、
こういうことを繰り返したくないなあと思いました。

「その出来事はあなたの性格と関係があるように思うので、
 小さいころの出来事をお聞かせいただけますか?」とセラピストさんに促され、
早期回想をお話ししました。

よろしければお読みください。

【よくない早期回想】

4歳か5歳だったと思います。
めずらしく外で遊んでたら、はじめて会った男の子と仲良くなって
家の外の塀につかまりながら、へばりついて遊んで、すごく楽しかったんです。(+4)
帰ってきたら、母は「あの子とはあまり遊ばない方がいいと思うよ」と言いました。(-2)
私が「なんで?」とか聞いたら、
そのうち母は「あの子とは遊ばないようにしなさい」と言いました(-4)
で、すごく嫌だったんですけど、結局その子とはもう遊びませんでした。

【よい早期回想】

家の前の路地で、兄とインサイというボール遊びをしていました。
お気に入りの普段着を着ていて、それがとてもうれしかったです。
グレーとモスグリーンのギンガムチェックで、薄いウールだったと思うんですけど、大人っぽくて、気に入っていました。
(母が着せてくれた服でした)


まず、私にとってのマイナスの価値を考えました。
じゃまされること。
押しつけられること。

うん、それはそうよね。
お外で楽しく遊んで、明日も遊ぼ!と帰ってきたところで
なんだかわけのわからないことを押しつけられたからイヤだったんですよね。
ここまでは、すんなり分かったんですが

私にとってプラスの価値は?というところで
セラピストさんも私もちょっと道に迷ってしまって
遠からず近からずのところ(自分で決めるべきだ、とか、自由であるべきだなど)
をウロウロしてしまいました。

で、途中で大きなJ先生が入ってこられました。
「解釈を言ってもいいですか? 
 この人にとってのプラスは
 私のいちばんいいようにみんなが決めてくれること、じゃないですか?」

こう言われたときに、ばっちーんと認識反射が出ました!
笑ってしまいましたわ。
そうそう!そうだわ!って。

「じゃまされる」の反対は、
私の場合、「自分で決める」ではないんです。
「私にいちばんいいように決めてもらう」、なんですねえ!!
私って、ほんとに passive な人なんだ~

お気に入りの服を用意してくれたのは、母。
お気に入りの遊びをセッティングしてくれたのは、兄。
私にとって、とても良いものを、みんなが提供してくれる状態が、
理想なんです!!!

私のライフスタイルの目標は
 私のことをよく理解してくれる人々と居て
 その人に、良いように決めてもらう「よきにはからえ」状態
  I should be a Little Princess.
  I should be treated well.


逆に劣等の位置は
 私は、ものごとを自分で決める力がない
 人々は、私にとって良いように決めたり、悪いように決めたりする


おおお。は、恥ずかしい・・・(-_-;)

きっと人さまには丸見えだったんでしょうけど。。。
こうあからさまに言葉になると、とっても恥ずかしいものです~

でも当たってます・・・
当たってます・・・
当たってます・・・

母は、私のことを私が望むほど理解していないので
私の気に入らないことを、しばしばするのです。
現在の問題についても、母は私のことを理解せず
自分のことばっかり話すので、
(もうちょっとこっちの事情も考えてよ!)と陰性感情がわくのですね。

あらら・・・(>_<)
どっちがワガママやねん。
いたたたた・・・

たぶんこの信念には、大きな見落としがあるのではないかと思います。
理解してくれる人が、いつもいちばんいいように決めてくれるとは限らないし
理解してくれていない人が、いつも私の気に入らないことをするとも限らない。
たぶん、私のことを理解してくれる人と私によいようにしてくれる人との関連性は、
私が思い込んでいるほどは、ない。。。


あんまり痛いから、この件については、しばらくぶら下げて
ひとりワーキングスルーをいたします・・・


さて、今回、クライエント側に立ったおかげで、
セラピスト側に立ってばかりでは気づけなかったとても大切なことが
ひとつ、分かりました。

それは、セラピストが行き先を少し間違えた場合、
セラピストの誘導が上手であればあるほど
クライエントは、いっしょに道に迷ってしまうものなのだ、ということです。

どんぴしゃ命中でなくても、クライエントにしてみたら
セラピストとの関係が良ければなおさら、
そう言われてみればそうかしらんという気がしてしまうのです。
だって、その価値も確かに大切にしているものですから。

だけど、本当にどんぴしゃのプラスの価値、人生目標を見つけてもらうと、
これは明らかな認識反射が、出ます!出るものなのです。

・・・ということを、身をもって知りました。

逆に言うと、今まで私が分析させていただいたクライエントさん方で
明らかな認識反射が出なかった方の場合は、
ぴったりの目標を見つけ損ねている、ということになります。

どーしよぅー(>_<)真っ青。

特に初期の頃のクライエントさんには、そういう方が多々おられたように思います。
だって私、すごくお下手だったもの Orz
ごめんなさい!<(_ _)>

最近のクライエントさんについても、今一度見直す必要があるかもしれません~
もうお会いしない方々については今さらどうしようもないので、
これから精進することで許してくださいませ!

本当に、何回見学してもお勉強になる
カウンセラー養成講座なのでありました。

まったくよい体験でありました。
いたたたた・・・(/_;)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-09-04 23:21 | psychology | Comments(0)

世屋

b0253075_22115269.jpg7月末に丹後半島に行ってきました。
前半はお仕事、後半はお遊びの旅でした。

ひょんなことから、ありがたいことに私にお声がかかり
思いきってお引き受けすることにしたのは、
1泊2日でアドラー心理学のワークショップを行うお仕事なのですが

それが地元の人もほとんど行かないような山の中、
丹後の「世屋(せや)」という集落にある古い大きな民家での、親子合宿なのです。
大人(母親たち)はアドラーのワークショップ、
子どもは「セヤノコプログラム」に入らせてもらう、というものです。

たとえば子どもたちは、畑に野菜を取りに行って
年齢に応じたお仕事をしながらおかずを作り、
かまどに火をおこしてお釜でご飯を炊きます。

その間親たちは、子どもたちと完全に別れて
別棟でアドラー心理学のお勉強をします。
夕食や昼食は、子どもたちが作ってくれたご飯をいただきます。

子どもたちの面倒は、「セヤノコ」というグループの方々が
全面的に責任をもって引き受けてくださいます。

なかなかに素敵なプログラムだと思ったので、
(自分がしなければならないワークのことはさておいて)
かなり早い段階で、わが娘と孫っちたちを誘ってみたのでした。
案の定、5歳のこうすけがめちゃくちゃ乗り気になって、
私は講師、娘と孫2人は参加者ということで、
親子3代で世屋に向かったのでした。


京都から天橋立まで、特急で約2時間。
お世話役のUさんにお迎えに来ていただいて、
海辺から、車はどんどん山ふところへと分け入ります。
どんどん道が細くなって・・・森と棚田の緑がまぶしいです。

山の上は、クーラー不要の涼しさ。
鳴いている蝉も、カナカナカナ・・・と、ヒグラシのようです。

最年少はなんと、うちの孫っち、しゅんすけ(1歳11ヶ月)さんでした!
いちばん大きな子どもで10歳ぐらいだったでしょうか。
お母さんと何時間も別れ、年長の子どもたちの中で大丈夫かな?と思いましたが
こうすけお兄ちゃんも一緒でしたし、
全然平気で、生き生きと走り回って(転び回って?)いたようです。

お兄ちゃんたちは楽しくて楽しくて、興奮がおさまりません。
相撲をしたり、意味もなく側転をやり続けたり
もうエネルギー全開!という感じ。

思う存分遊びもしますが
しっかり働いてもくれます。
お膳立てしたり、お膳を下げたり。
食器を拭いたり片づけたり。
お風呂も薪を焚いてわかすのです。

b0253075_2283489.jpg夜は広い座敷で、寝袋を使ってみんなで雑魚寝ですが、
しゅんすけさんは、さすがに一番にダウンしました・・・(笑)

ようやく子どもたちが寝ついてから、大人だけで輪になって、
アドラー心理学との関わりとか、自分がどう変化したかとか
夜中まであれこれとお喋りをしました。
(いち参加者の顔をしていた娘と私との関係をカミングアウトしたりしてw)
この時間のおかげで、お互いのことがもっとよく分かったし、
参加者のみなさんとの距離がぐっと近くなったように思います。

それから私も持参の寝袋にもぐりこみ、
寝ぼけたこうすけに、ときおり蹴られながら
他の子どもにお母さんと間違えられたりしながら
うとうとと眠って

朝は6時半からラジオ体操~ ←これはちょいキツかった(笑)

次の日もおとなは別棟でワーク、子どもは子どもで活動です。
お昼ご飯はネパール風カレーで
しゅんすけは玉ねぎの皮をむいて、
こうすけは玉ねぎを切ったそうです。

感心したのは、昼食後の最後のお掃除を
子どもも含めて全員で行ったことです。
子どもたちは、「僕も!」「私も!」と手をあげて
お風呂掃除や板の間の雑巾がけなどを
積極的に引き受けてくれました(スバラシイ!)

いくら涼しいとはいえ、火を使いますし、大人も子どもも汗だくなのですが
子どもらは一様に、「また来たい!」と言います。
ここではじめて出会った子ども同士が、
「また来年も絶対会おうぜ!」と約束しています。
目がキラキラしています。
なんなんでしょう~この高揚感(^^)

b0253075_227672.jpg


さて、セヤノコプログラムは斯くの如くとっても素敵なのですが
私にとってはこのたびのお仕事、はじめてのことづくしで
けっこう緊張しておりました。

壱:丹後のグループの方々とごいっしょすること
弐:合宿で、2日間にわたるワークをすること
参:実の娘がワークに参加すること

これだけはじめてのことが重なると、
メンタル弱いもんで、小さな胸をドキドキさせて臨んだのでした(^o^)

結果的にはとても楽しかったし、けっこううまくいったような感触で、
いつものことですが、不安に感じていたことは全て杞憂に終わりました。
わが娘には(ダメ出しをくらうのではないかと密かに私は恐れていたのですが)
ワーク中、いいタイミングで発言してくれるなどして、たくさん助けてもらいました!

どうやら私、事前にいっぱい緊張して準備をすることがいつも必要みたいです。
だってねぇ、すべてを自分で選んでいるんですもんね。

ワークの参加者は13名。
そのうち前から知っている人は、お世話役さんと娘を含めて4名でした。
パセージリーダーさんが3名おられ、
他の方々も全員パセージを受講済みでした。

前年度の講師さんは「ライフスタイル診断ワーク」をなさったようですが、
今回私は、ライフスタイルを扱わないことにしました。
私にとって初対面の方々の早期回想やライフスタイルを扱うのは
少し危険かもしれない(=勇気づけにならないかもしれない)と思ったからです。

1日目の午後のワーク(4時間)は、「エピソード分析」をしました。
パセージプラス未受講の方がほとんどなので、最初の1時間は、
ブレークスルー・クエスチョンズをご紹介してパセージの復習にあてました。
その後、エピソード分析で仮想的目標を見つけるところまで学んでいただきました。
小グループに分かれてもらって、交替で練習していただきました。

4時間はあっという間に過ぎてしまって、
おひとりの私的感覚を見つけるデモを私がやって、
もっと知りたい方はパセージプラスを受けてね、で終わりました。

エピソード分析にもっと時間をかけてもよかったかもしれませんが
まぁザイガロニック効果ということで許してたもれ(^^;)

2日目の午前のワーク(3時間)は、気分を変えて「ファミリー・ラボ」をしました。
用意していた粘土を配って
「あなたが6歳の頃のご家族のイメージを、この紙の上に自由に作ってください」
とだけ指示をして、しばらく黙って制作していただきました。
みなさんそれぞれに、ものすごぉい力作が出来上がりました!

これはICASSIでイヴォンヌ・シューラ-先生から習った技法で、
いつも心理療法をする際にやっているので慣れているのですが、
グループでするのは、昔むかしに自分の自助グループで1度やったきりです。

また昨日の「エピソード分析」は手順がありましたが、
今日のワーク「ファミリーラボ」は、ここから先、出たとこ勝負です。
オリジナル・ファミリーの家族布置と現在の状況とを
うまく結びつけることができたなら、おなぐさみ。。。

ただいくつか留意したことがあって
それはたとえば、徹底的にプラスの面に焦点が当たるように誘導したこととか、
はっきりと意思表明した方だけのお話を伺うようにしたことなどです。

結果、4名の方の、大切な大切なご家族のお話を
ゆっくりお聞きして共有することができました。
みんなでその方のご家族のストレンクスを見つけ出し、
そこで学んだ価値を今の生活にどう生かしておられるか、考えました。

出会ってすぐの昨日の午後だったらうまくいかなかったかもしれませんが、
やっぱり一晩いっしょに過ごした後でしたから、
あったかい雰囲気で進めることができました。
それでもう、よしとしましょう。。。Anyway, I did my best.


思いきって「はじめてづくし」のことに挑戦させていただいたおかげで
私の数少ない芸の幅を拡げることができましたw

丹後のみなさま
あたたかく迎えてくださって、本当にありがとうございました!
 
 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-08-04 22:13 | psychology | Comments(0)

Psychodrama Review

サイコドラマティストにとって絶対に欠くことができないものは、
「場」を産み出すエネルギーと
「場」を持続させる集中力だと思っています。

それは、数年前の「かささぎ座 巣作りの段」で学びました。

たった1時間1ケースのセッションですら、
全観客の意識を舞台に集めて
芝居を進めていくエネルギーは、
ほんとうに想像以上に莫大で、ヘトヘトに消耗し尽くしました。

その後個人的に、
実際のクライエントさんにサイコドラマを試してみた経験もありますが、
一番留意しなければならなかったのは、やはり自分の集中力と体力でした。

カウンセリングの技術以前の問題ですね。


Acting In にも、サイコドラマの時間配分は
ウォーミングアップに全体の3分の1、
サイコドラマ本体に3分の1、
シェアリングに3分の1をかけるべし、と書いてあります。

斯くの如く、まずウォーミングアップをして
自分のテンションと観客のテンションを引き上げ、
サイコドラマの世界(=theater)を構築することが
成功の条件です。


さて今回、私たち助監督が
曲がりなりにもサイコドラマを為すことができたのは
総監督の大きなJ先生が
入念なウォーミングアップと
強大なカリスマ性によって
「場」を創り上げてくださったからです。

もちろん、私もまた、
総監督の手足となって動き
求められていることを満たすだけの力を備えていたとは、思います。
が・・・これは必要最低条件です。


サイコドラマティストとしてのカリスマ性って、
天賦の才能でしょう。

得がたき人身を得たこの今生で
自分の限られた力と時間をどう使っていくべきか?
それを考えると
私はやはり、心理療法士としての力を伸ばしていくことに
時間を使うのがいいのではないかと思いました。

劣等の位置に落ちているわけでは全然ないのですよ(^o^)
ただ、自分の適性を考えるとこのように思うのでありますよ。


先日助監督をさせていただいた2ケース目の途中で、
クライエントさんが、
直前にやった代替案のお芝居について
少し抵抗があるという感想をお話ししてくださいました。

このとき私は、まったく動揺せず
何があったのか、
どんな工夫をしたのか、
今とそのときとで何が違うのか、
ざっとお聞きして勇気づけ、手早く説得してしまいました。

サイコドラマは観客がいるので、オープン・カウンセリングに似ています。
観客に楽しんでもらうことや、観客にも学んでもらうことを
考えながら進めなくてはなりません。
観客の意識を舞台に集め続けるからこそお芝居になるので、
観客に寝てしまわれたりしては、失敗です。
なので、抵抗がおこっても
ある程度は力づくで進めなくては
と思った故の対処でしたが、

これがもし、個人セッションの中でお話を出していただいたのであれば、
当然、1時間かけてでも丁寧に扱っただろうと思うのです。

何が言いたいのかというと、
サイコドラマとサイコセラピーとは、こういう点で全く違うものだということです。


・・・そして私は、
よいサイコセラピストになりたいと思います。

ショーではなく
セラピーを
もっと丁寧にやっていきたいな。。。
と、思うのでありました。


大きなJ先生が、アドレリアン・サイコドラマ伝承のため、
弟子たちにこの技を伝えてくださる有り難さをひしひしと感じつつ・・・
サイコドラマの「場」を創り出す訓練は
そもそも私の課題ではないようだな、と思ったのでありました。


もしまた機会をいただけるなら、
先生の創られる theater のお手伝いを喜んでさせていただきますが、
より多くの後輩のみなさんに助監督を経験していただくのが
日本のアドラー心理学の未来のために大切だと思います。

なにごとも、やってみなければ分かりませんからね!
 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-03-27 22:49 | psychology | Comments(3)
3月19日土曜日、
連休で超満員のサンダーバードに京都から乗りこみました。

ずっと前の予約時、あまりにも混んでいて指定席がとれなかったので、
なんという天の助けでしょう、
先生の分も私の分も、やむなくグリーン車を予約していたのでした。

あーラクチン!
貧乏人なもんでグリーン席の快適さに涙しました~(笑)


ありがたいことに、会場に着くと地元「チーム金沢」のTさんが、
「大丈夫ですか? なんでも、ほんっとになんでもお手伝いしますから、
 言ってくださいね!」
と心のこもったお声をかけてくださいました(T_T)

いつもだったらお気持ちだけいただくところですが、今回は
みなさんに名札をつけていただくこととか、
お菓子を拡げていただくこととか
すっかり甘えてお願いさせていただきました。
本当に助かりました!


2時半にセッション開始。
今年は私を含め、TOMOKOさん、YUKOさん、と
3人の助監督がお手伝いをさせていただきます。
各々が2ケースずつ扱うように、と言われています。

先生が1ケース目を監督をされ、モデルを見せてくださった後、
「次、誰がやる?」と聞かれて、
夜まで体力をもたせる自信のなかった私が、
早々に1番手でさせていただきました。


むかしむかしの「かささぎ座」・・・
つまり大先輩たちが助監督をしておられた頃の「かささぎ座」に
私が参加者として参加していた頃は、
先輩方の直感とか才能とかで芝居が作られていて、
とてもテンポよく、抱腹絶倒の連続でした。

でも今回は、助監督である私たちの力不足もあり
総監督から、以下のような手順が指示されました。
①すべての事例をエピソード分析し
②まず仮想的目標を協力的だと考えたお芝居をし、
③次に仮想的目標を競合的だと考えて私的感覚を見つけ、
④その私的感覚を取り入れた協力的な代替案をお芝居にする

モタモタしたところもありましたが(^_^;)
アドラー心理学の理論にそって何が起こっているかについて、
観客の方々にとって、かなり分かりやすいものになったのではないでしょうか?
・・・と思っています。

面白いお芝居にできるかどうかについては、
やはり才能に依るものなので。。。
総監督のお力に、ずいぶんと頼らせていただきました。
おかげさまで、みなさんにけっこう笑っていただけました!

あぁ、手順が決まっているとほんとに助かります。
才能のない助監督でも、なんとかサイコドラマを作ることができるのです。


夕食をちゃんと食べられるかどうかも危ぶんでいたのに
げんきんなもので(^_^;)
1つケースを終えるとなんだか食欲が出てきて
久しぶりにご飯を食べることができました。

本当だったら助監督たちとケースカンファなどしてお勉強するべきなのですが
(過去の「かささぎ座」ではそうやって毎夜勉強していた)
今回は私は体力温存を優先させ、
さっさと休ませていただきました。
お風呂もパスです。
・・・ともかく最終日までこなして、生きてお家に帰ることが目標です(笑)


2日目の午後に2ケース目が回ってきました。
これもなかなか楽しくて、特に問題なくお芝居にすることができました。
ゆっくりやったように思いましたが、後で聞くと1時間10分だったようです。

言葉によるカウンセリングでもたぶん同じ代替案になるのでしょうが、
サイコドラマとして扱うと、
クライエントさんの身体への染みこみ度合いが
まったく違うように思います。

やっている私の方が
「え?そんなところまで気づいてくださるの?すごぉ~い」
と、ビックリしたりして・・・
まるでミラクル。。。

いやいや、ひとえに、クライエントさんのレジリエンスに依るのです!

ともあれ、2ケース無事にやり終えたので
どんどん気をよくして体調もよくなっていきました♪
みなさんから、お顔がすっきりしてきましたねと声をかけられるようになり、
自分でも頬に赤みがさしてきたような。
その晩は、ようやく大浴場でゆっくりと身体をほぐしたのでした(^o^)


3日目にはもう、私の感覚では、参加者みんな家族のようになっていました。
風邪のおかげでいつも以上にみなさんにたくさん助けていただいて
本当にありがたく嬉しかったです。
また、参加者全員がひとつひとつのお芝居について、
ともに考えともに喜びともに涙し・・・
ともに協力的な生き方をめざす仲間になっておりました。

「かささぎ座」って、ほんとにステキです。


自分についていえば、
あの絶不調の瀕死の状態から
ほぼ風邪が治ってサバイバルできたんですから
捨てたもんじゃない、まだまだ若いよね♪
といい気分で帰宅したのですが、

翌朝は、烈し~い頭痛と肩こりで目が覚めまして・・・

再びロキソニンのお世話になったのでした Orz

やっぱり、無理したら後がたたりますわ。
はい、おあとがよろしいようで。
ちょ~ん!
 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-03-24 21:25 | psychology | Comments(4)
ずっと内緒にしてましたけどぉ
今年の「かささぎ座」では助監督をやってもらいます
って去年から総監督に言われておりました。

なので、
サイコドラマのバイブル、Acting In を読み直したり
ギリシア悲劇を読んでみたり
大きな声の出し方を練習してみたり
過去の「かささぎ座」のノートをまとめたり
私なりに努力をしていたのですが

肝心要の、体調管理について
大失敗しましたよ(>_<)

10年ぶりの同居人さまの
風邪をいただいたのが最悪のタイミングだったわけで
まぁ不可抗力ではあります。。。

やばい、うつったかな?と思ったのが16日の水曜日。
翌木曜日は安城のパセージ最終日で、休むわけにいかなかったし、
かささぎ座前日の金曜日は、
もう食欲まったくなし。はなずるずる。
喉も頭も目の奥も痛くて、しかも低体温(34℃台)でゾクゾクしていました。

少し食べてはPL顆粒と小青龍湯をのんで、ひたすら寝ていましたが
これはもう、助監督という初仕事をこなすどころか、
まずこの身体を引きずって
明日、能登半島まで行けるのかどうか、という問題になってきました。

風邪ですから悪化するときは、何をやっても悪化しますし
悪化する時期がいちばんしんどいです。
今日中になんとしてももち直さなくてはと思っているのですが、
何度目覚めても一向に快方に向かわないので
夕方には絶望の方が勝ってきました。
電車になんて乗らないで、お家で寝ておれたら、どんだけラクだろう・・・

幸い、同居の先生は少し回復してこられたようで
旅の用意をしたり、様子を見に来たりしてくださいます。
情けない声で「明日、私が行かなかったらどうなります?」と尋ねてみると

先生、一言「困る。」

・・・あーそうですか、困りますか。
じゃぁ腹くくって行きますか~(T_T)

それからようやく荷造りを開始しました。
いつも以上の防寒具に、カイロ。
大量の「鼻セレブ」(笑)

行くと決めたら、髪も洗わなくちゃ。
さっとシャワーも浴びました。

あまりに眠くなるので、もうPLはのみません。
鎮痛解熱薬のロキソニンと小青龍湯で乗り切ることにします!

こうなったら、がんばるしかありません。
さあどうなるか?
私たちは生きて能登から帰ってこれるのでしょうか?
ちゃちゃんちゃんちゃんちゃん(拍子木の音)
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-03-24 21:17 | psychology | Comments(0)

パセージしゅんすけ

ほんとうに不思議なことに
しゅんすけは、4日間一度も泣きませんでした。
はじめて預けられるので、1日中泣くかもしれないって思っていたのに。

たぶん・・・基本的信頼感があるといいましょうか、
まわりの人々の善意を信じているといいましょうか、
ボクはみんなに大切にされているってことがよく分かっていて

しかも、お父さんやお母さんがいなくてもお兄ちゃんがいなくても
ボクは大丈夫!って思えているのでしょうね。

さすが、三代目!(^o^)

でもそれだけではなく、私の方も
陰性感情を抱くことがほぼなかったのです。
(一度だけ、しゅんすけが背の高い姿見の鏡の両脇を持って揺さぶったとき、
 びっくりして「あっ」と叫んでしまいましたが、それきりでした)

この、私の方に陰性感情がほとんどなかったということが、
しゅんすけとの関係をよくしたのではないかなぁと思います。

具体的にどういうことが起こったのか、
パセージに即して考えてみますね。
はい、パセージ中なもんで・・・(^^;)

<子どもの話を聴く>

しゅんすけはまだお話できませんが、
こちらの言うことは、かなり分かっているようです。
実際に彼の<話を聴く>ことはできないけれど、
彼が何を言いたいのか?ということを
いつも注意して考えました。

「ん!」という一言が、そのとき何を表しているのか(笑)
ものすごぉくゲッシングの力が要りました~

だって「きゃきゃ」がお茶のことで
「とっと」がトマトだなんて、なかなか分かるもんじゃありませんよ。
しかも「ご!」は、リンゴの場合と卵の場合があるんですから!
行動の文脈を読まねばなりません。

そして彼の求めているものは
もっとあれが食べたいとか、お外へ行こうとか、この本読んでとか
ほぼよい意図に基づいていますから
求めているものさえ分かれば、
ただきいてあげればよいことなのでした。

<不適切な行動に注目を与えない>

私が料理をしていると、台所の戸棚の下を開け閉めし始めました
観音開きの扉をぐゎっと開けると
水筒やガラス瓶や漬け物容器がぎっしり並んでいて
しゅんすけは「ほぉ~」という感じで眺めていました。

・・・4年ほど前、私がまだ新米のおばあちゃんだった頃・・・
こうすけがこれぐらいの年齢でこういうことをしたときは、
私、すぐに手や口を出していたんです。
「やめておこうね」とか「ここはダメよ」とか言って
扉が開かないように前に物を置いたり、
あるいは彼を抱き上げて他の場所へ連れていったりしました。
けれどもそうしていると、この扉を開けるという行動に価値がついてしまったのでしょう。
こうすけは、ますます、その行動に執着するようになりました。
ガスレンジのスイッチについても、
オーディオのスイッチについても、
これはみな同じことでした・・・

そういうことで学んでいましたので、注目しないで洗い物を続けました。
包丁の入っている扉もあるので、
しゅんすけの方に意識は向けていましたけれど。

そうしたら、しばらく中を眺めてからぱたんと扉を閉めて、
今度は菜箸やキッチンバサミの入っている引き出しを開け閉めし始めました。

これも注目しないでいましたが、
滑りがよいので面白いのか、何度か開け閉めを繰り返します。
そのうちに烈しく引っぱり出すようになってきたので、
これは私の意見を言った方がいいかなと思いました。

「しゅんすけ」と声をかけると、ちょっとびくっとした様子。
「そこは、ないないしといてもらえるかな?」とできるだけおだやかに頼んでみると
無言で(笑)そーっと引き出しを押して閉め
また他のものを触りに移動していきました。

なんか、ちょっと、ほんとに、頭のいい動物さんみたいです(^_^;)

あ、同じページの<適切な行動をしたとき、正の注目をする>については、
例をあげるまでもなくたっぷりやっています(^o^)

ただし、ここでは「不適切な行動をやめた」のですから、
そのことにも注目は与えませんでした。
それをすると、今度は台所の引き出しを閉めることに価値がつくかもしれませんからね。

<子どもの課題> <共同の課題> <結末の体験>

朝ごはんを8時ごろにしっかり食べたのに、
10時ごろに「とん!」と言って
食卓のハイチェアーに座りたがったことがありました。
そのときは、足りなかったのかな?と思って
座らせて、リンゴを切って食べてもらったのですが

11時ごろにもまた、「とん!」と言ってハイチェアーを指さしました。
これは、また何か食べたいということだと思われますが
いくらなんでもお昼ごはんにはまだ早いので
目標は一致しません。

「とんしても、ごはんはまだだよ~」
「とん!」
「とんしたいのね~いいよ~」と言って、任せてみることにしました。
私がソファーから動かずにいたら、
しゅんすけ、ひとりでハイチェアーによじ上って上手に座りました。

そしてハイチェアーの上に立ち上がって、
手の届く範囲のものをあれこれさわったり
指さしたり、つぶやいたり、
あげく「ほぉ~」と天井を見上げたり
なんやかんや楽しんでいるようすです。

ああしていると、椅子から落ちるかもしれないな~
でもここで先回りして降ろしにいったら何を学ぶかな?
ほっておいたら何を学ぶかな?
とか考えながら、そのままソファで本を読んでいました。

b0253075_12162644.jpg
  だいぶ長いこと、ご機嫌にあれこれしていましたが、
  ふと見ると、
  いつのまにか椅子に座ったままで熟睡していました!!




思うにですね、
しゅんすけは2人きょうだいの末子で
私と同じなのですね。
で、私は末子の気持ちがよくわかるのですよ。
ためしにちょっと、しゅんすけの心のうちを語ってみますね・・・


基本、好きにさせてもらいたのです。
なぜって、いつもいつもお兄ちゃんに介入されているから。
ひとりで好きなだけ、いろんなことをやってみたいんですよ。

ちょっと危ない高いところに上って
歌を歌ったり
ちょっとおもしろそうなところを触って
あと、そおっと戻しておいたり
そういうの、ふだんあまりできないんです。

だって、ボクが何かステキなものを見つけると
お兄ちゃんが「しゅんすけはさわっちゃダメ」って言うし
ボクが冒険していたら、お兄ちゃんが「しゅんすけ、あぶないよ」って止めるんです。
お兄ちゃんはやさしいし遊んでくれるから大好きなんだけど、
ボクが何かひとりでしたいとき、うまくいかないことが多いんだ。

だからおばあちゃまと2人きりの
好きにしていいよ、ってほっておいてもらえる静かな時間が
とてもうれしかったんですよ。

おばあちゃまはちょっと言葉が通じにくいけれど(^^)
通じたときは、まあまあ言うことをきいてくれるしね。

さあ、おうちに帰ったら、お兄ちゃんときゃーきゃーわーわー遊ぶんだ♪
次はお兄ちゃんといっしょに来るね!


ああ、しゅんすけを見ていると
私のライフスタイルが浮かび上がってくる気がします。
快適なところで
安全な範囲で
自由にさせてもらえるのが
私は大好き!
干渉されるのや介入されるのが大嫌い~
でも、お兄ちゃんが必要(笑)
 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-03-13 12:34 | psychology | Comments(0)

ギリシア悲劇

春の秘訣講座で心理劇の練習をさせていただきました。
そのときのことはここに書きましたがが、
その後カウンセリングの中で何度か
サイコドラマを使ってみました。

ところがですね、
ある程度こなせるんですけど、
なんといいますか、「ドラマ」になっていない・・・ のです。
手順を追って解決までいくのに精一杯で
ちっともおもしろくない!
と自分で思うのです。。。Orz

これじゃ、ロールプレイを大がかりにしただけじゃん。
サイコドラマって、もっとこう、ぐっと情緒に訴えかけてくるものでしょ。
でないと、威力がないもの。

・・・そうなんです。
これは違うよね、ということろまでは自分でも分かるんですけど、
ではどうやったら正しいものにになるのか、それが分かりませぬ。

などとぶつぶつ言っていたら、
大きなJ先生がヒントをくださいました。
「君はギリシア劇を読んだことある? 読んでみたら?」

ほ。ギリシア劇?

素直な私は、さっそく検索して
『ギリシア劇集 田中美知太郎編』という古本を
800円で手に入れました。
有名なアガメムノン、オイディプス、メーディア等の悲劇8編と
喜劇4編と、全部で12編が収められています。

そしてさっそく読み始めたのですが、これが面白くて面白くて。
夢中になって、暖房のきいた床にぺたんと座り込んで、どんどん読んでおります。
(これで800円は安い!)

で、とりあえず悲劇8本を読み終えましたので、
サイコドラマとの関係について考えたことを少しまとめておきます。

【主訴】

ギリシア悲劇は、なにはともあれ
「悪いあなた、可哀相な私」で話が始まります!

共同体感覚ゼロです(笑)
思い切りタテ関係です。

どのお話も
運命の酷さを呪ったり
極悪非道な仇を口をきわめて罵ったり

こんなにも私は耐え忍んでいるのに
なんでこんなにも惨めな状況なの?!
それはあの人が悪いからよっ!!
というモノローグから、たいていは始まります。

いつも、とことん嘆くか怒るかしています。
なかなかすごいです。
まぁこれがないと話にならないんでしょうけど。

つまり・・・主人公がもしアドラー心理学を知っておれば
話は始まらないんですよね。

主人公は感情を制御せず
権力争いあるいは復讐に突っ走りますので
当然のことながらピンポンゲームあるいは復讐の連鎖となり
まわりも本人もさらに不幸になっていきます。
(そのへんの盛り上がりがドラマ)

だからこそ、
まず最初にクライエントさんの出された問題を
思いっきりおおげさに増幅してみせることで
ドラマが始まるのですね~

クライエントさんの問題を
客観的に、何が起こっているか俯瞰して見ること。
それをカリカチュアライズして示して見せること。。。
ここをつかむのが大事なんだなって思いました。


【技法】

ギリシア劇に独特の技法としてコロス(コーラス)というものがあります。

たとえば「オイディプス王」では、
オイディプスや預言者やイオカステなどの役者の他に、
テバイの長老たちからなる合唱隊(コロス)というものがつきます。

物語の進行役は、
このコロスかもしれません。

各々の登場人物は、それぞれ自分の考えに捕らわれて
勝手なことを語りますが

コロスは全体を外から眺めて
ときに、登場人物が語らない過去のいわれや伝承を唱います。

当時のコモンセンスからみて、この出来事は善なのか悪なのか
作者はどういう立ち位置にいるのか
登場人物は気の毒なのか愚かなのか
あるいはやむを得ないことなのか、
そういうこと全て、コロスが語ってくれます。

コロスによって、今起こっている出来事が
全体の中で何を意味するものなのかが、明らかになるのです。

役者同士の緊迫した対話や独白。
無駄のないこれら台詞の力もすごいのですが

その合間合間にはさまれるコロスが
役者の行為や感情への客観的なコメントとなっていて、
とてもおもしろいと思いました。

2500年前の物語がこうやって今に残っているのもすごいですけれど、
ドラマというものの基本の骨格は、まさにギリシア悲劇にあるんだ~
ということが分かりました!


【結末】

ギリシア悲劇には、平等の位置の結末がありません。
必ず犠牲が出ます(>_<)
それもかなり血みどろです。

ギリシアの神々はときに人間をたいへん惨い目にあわせますし
他の部族の神々に対しても、たいへん競合的です。

むかぁしむかし、たまたまテレビで
「クナウカ」という日本の劇団が「アンチゴネ」を上演していたのを見ました。
ものすごくおもしろかったのですが、
あまりのおどろおどろしさに
しばらくうなされました(泣)

蜷川幸雄さんもギリシア悲劇がお好きみたいですが、
むかし、何かの舞台写真を一度見まして
その衝撃に、今でもその画を忘れられません・・・
いやもう、恐くて、とても舞台など観に行けません。
(視覚型だからでしょうか、映画でも刺激の強いものを見ると
 映像が蘇って夜寝られないことが多いのです。子どもか!)

字で読むだけで、はい、じゅうぶん恐いです~

・・・・・・・
で2500年たって現代の私たちは
ここから少し成長していなくてはなりません。

アドレリアン・サイコドラマと呼ぶに値するものは、
ギリシア悲劇を越えるもの
ギリシア悲劇を否定するものでなくてはならないと思います。
私たちは競合的な結末を、
幸せな平等の物語に書き換えなくてはなりません!

が、これはこれで、また別の修業が必要です(^_^;)

結局は、暮らしの中で「平等であること」を学んでいくのが
キモなんですね~


ともあれ、800円の古本でずいぶん勉強できました。
さんくすあらっと。
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by prem_ayako | 2015-12-22 21:35 | psychology | Comments(1)

パセージ・プラス@盛岡

1週間、盛岡に行って参りました。
開発者J先生による集中パセージ・プラスのコース見学
および避暑
のためです(^^)v

ちょっぴり太って帰ってきました。
が、そのお話はあとにして・・・
忘れないうちに、お勉強!
学んだことをシェアしておきますね~


J先生のパセージ・プラスのコースは、
2013年2月の大阪でも見学させていただきましたが、
リーダー養成を目的としたものではない
実際に子育て中のお母さん方を対象としたコースは
このときが初めてだったはずです。

もちろんテキストは手作り感満載、
右ページもついていませんでした。

その後、先生は三重や滋賀や奈良、関東や福岡にも出張されて
パセージ・プラスを開催されましたが、
私自身は見学のチャンスがないまま
4回、コースを開かせていただきました。

自分でやってみて、その上で
あらためて先生のコースを見学させていただくと、
本当に本当にお勉強になりました。

先生は、「東北に種を蒔く」という菩提心から
激しい速度で(^^;)
詰め込みで(^^;)
集中性思い切り高く(^^;)
1章につき6ケース扱うなんていう離れ業をなさいましたので・・・
このようなコース運びは、
よい子はマネをしない方がよいと思います(笑)

私ども一般のリーダーは、
ひとつずつの事例をゆっくり丁寧に味わいながら
みんなでいっしょ~に学んでいくことを
今までどおり、目指すのがよいと思います。

ただ、今回、リーダーとして、けっこう致命的なところで
誤解していたことや発見したことがあったので
その部分をシェアしておきたいと思います。


1)be(状態)

ライフスタイル分析をするときには、プラス側はいつも
I should be であって I should do ではないと、
気をつけていましたが、

テキストにはそこまで書かれていないけれど、
仮想的目標においても、be(状態)を意識しておくのがよいと学びました。

仮想的目標の4つの特徴はそらで言えるわ~というぐらい
分かっていたつもりだったんですけどね・・・
このポイントは、押さえそこねておりました orz
はい、私はまだまだ未熟なリーダーですm(_ _)m

仮想的目標の特徴②:行為を含まない
対処行動がすでに成功してしまっているイメージですから、それ以上なにかを「する」必要はありません。行動はすでに終わってしまっています。「○○が達成されてしまっている」というイメージです。


リーダーは、「このとき子どもさんがどう答えてくれたらキラキラしますか?」
などと尋ねて子どもの台詞(や行為)を考えてもらって、
それを仮想的目標とするのですが

仮想的目標の特徴②は、
厳密に言うと、
そういう台詞を言う子どもが、お母さんの理想の「状態」を達成しているかどうか
というのがポイントだったようです。

たとえば、お母さんの理想の「やる気のある子ども」状態を達成しているからこそ
子どもの台詞は、「うん、お母さん、すぐに宿題するよ!」のようになりますし、
あるいは、お母さんの理想の「成長した子ども」状態を達成しているからこそ
台詞は「ボク、自分で歩いていくよ!」というようなものになるのです。

つまり、仮想的目標は相手の行動や台詞として取り出しますが、
そこに達成され、完成された「状態」がイメージされていること。
それが、「行為を含まない」の真の意味だったのです。

自分が、もうそれ以上何かをする必要がないというだけでなく、
子どもも、もうそれ以上変わる必要のない理想状態。
自分の行為も子どもの行為も、それ以上はもう要らない
っていうイメージだったんだ!と気がつきました。

おもしろいです。
深いです。


2)行為と人格の分離

行為と人格を分離するページでのJ先生の詰め方は、
それはそれは見事で
思わずメモりました。

アドラー心理学では、子どもが不適切な行動をするのは、1)適切な行動のやり方を知らないか、2)知っていても適切な行動をする勇気をくじかれているか、のどちらかだと考えます。どちらにしても子どもを罰するべきではなく、子どもを勇気づけるべきです。子どもは適切な人格をもっているのに、わけがあって、たまたま不適切な行動をしたのだと考えるようにしてください。

この、「わけがあって」というのが
ポイントですw

たとえば、「子どもがごはんをさっさと食べないんです」というお母さんに。

子どもは1)ごはんをさっさと食べる方法を知らないのか
    2)方法を知っていても適切な行動をする勇気をくじかれているのか
どちらだと思いますか?と問いかけます。

「さっさと食べる日もあるので、たぶん、方法は知っています」
とお母さんが答えたとすると、

そうすると、この子の人格は適切なのだけれど、
たまたまこの時、不適切な行動をする”わけ”があったのですね。
その”わけ”とは何でしょうね。
誰かがこの子の勇気をくじいたのかもしれませんね。
さてその誰かとは誰でしょう?

・・・お母さん「わ、私?」
(爆)

あぁ、さらりと書いてあるこの4,5行の文言を
こんなふうに使うんだ~と感激してしまいました。
まるで詰め将棋です。
でもテキストに沿っていますから
お母さんは納得するしかありません。

そして、実のところすべては仮想だけれども、
「この子は本当はいい子なんだけど、
 自分がこの子の勇気をくじいているんだ」と思うと
問題を解きやすくなります。
だって「私」が変わればいいんですから。

これは技術的な学びでした。


3)肯定文の力

補正項にも書かれていますが、
今回のコースで、先生が特に強調しておられたのは、
すべての文章を肯定文で、ということでした。

仮想的目標も、私的感覚も、代替案も
徹底的に肯定文で言うお稽古をしました。

まず仮想的目標について。
私は、私のパセージ・プラスのコースを受けられた方々に懺悔しなければなりません。

仮想的目標の特徴④:否定文ではなく肯定文
仮想的目標は肯定的・積極的なもので「○○でない」とか「○○がなくなる」とかいうような否定形の感じでなく、「○○になる」とか「○○が起こる」とかいうような肯定形の感じをもっています。


ここについて、誤解しておりました。
申し訳ありませんっm(_ _)m

たとえば「『ごめんなさい、もう2度とこんな失敗はしないよ!』と明るく子どもが言う」
というような仮想的目標を、私は今まで採用していたと思います。
「『 』と言う」は肯定文だから、
『 』内の内容が否定文でもOKだと思っていたのです。

ですが今回、この『 』の中身も、肯定文にするべきだと教わりました。

そして確かに、たとえば上の『 』内の否定文を、
「『ごめんなさい、これからは周りをよく見て気をつけるよ!』と明るく子どもが言う」
というふうに置き換えると、
それはそのままで、スムーズに代替案になります。

だって、ここでひと手間かけて肯定文に考え直すという作業は、
すでに次のステップの
協力的な仮想的目標に向かう準備になっているのですから!

なんて美しく
協力的な暮らしにむかって
導くことができるんでしょう!

これは、ほんとに基本的なところです。
それに気づかずにいたリーダー・・・
(私だけ?)ご、ごめんなさいっ!!

ただ、言い訳になりますが、
初期の頃には先生は、あまり細かいことはおっしゃらなくて
ざっくりでいいんだよ、ざっくりで、と
こういうのも容認しておられたように思います・・・


次に、私的感覚。
私的感覚は2章で学びますが
J先生は、全コースを通し全エピソードについて、
全員の私的感覚を見つけていかれました。

それはもう鮮やかに。
スパスパスパっと、
まるで手のひらの上で音もなく豆腐を切るかのように・・・!
(この秀逸な喩えは青森のNさんからいただきました ^^)

で、この私的感覚のマイナス側も、やはり肯定の形で表すと、
とても美しく豆腐が切れます。
もとい、美しく援助ができます。

「言葉の限界が世界の限界を決める」
と教わりましたが
たしかに私的感覚のプラス側・マイナス側ともに肯定文で表すと、
その方の世界がぐっと拡がるようでした。

ときに、その気づきに涙する方もおられました。
「ああそうだったんだ。私はずっとこれを大事にしてきたんだ」
と気がついた時、人は自分のことを理解し、
自分のことを受け入れることができるのかもしれませんね。

これも、以前は
プラス側「○○である」、マイナス側「○○でない」でもOKだというように
習った気がするのですが・・・(言い訳です)

要は、必ず肯定文でなければならない、というよりも
よりよい分析とよりよい援助のためには
肯定文を使うのが有効だ、ということだと思います。

私たちは幸いなことに
最も進化した
最も高度のデモンストレーションを見せていただいたわけです。


そして代替案。
代替案までに、ひと手間もふた手間もかけて
仮想的目標や私的感覚を肯定文に変換しているので
もう、あとは
プラス側の肯定形の願いを、そのまま相手に伝えれば
基本的にそれが代替案になるのです。

おお!なんてシンプル。
協力的な代替案がなかなか見つけられなくて困っていましたが
これからは肯定文を意識することで、解決するかもしれないですね!
・・・なんて簡単に思えるのは
たぶん先生のデモが鮮やかすぎて
私もまだ魔法にかかってるからかもしれません。


そんなこんなで、マニュアル無視の超速コースでしたが、
燃え尽きて頭がまっ白になったのは、私を含めて
主にリーダー資格を持った方たちで、
若いお母さん方は、楽しんでジェットコースターに乗っておられたようです。

最後のシェアリングをお聞きしていると
「みんなのために私にできることは何か」という思想の部分が
しっかりみなさんの中に根を下ろしたみたいで
感動的なお話をたくさんお聴きしました。


とってもよいコースでした!
実にハードでしたけど(笑)
外様の私も暖かく迎えていただき、うれしかったです。
みなさま、どうもありがとうございました!
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by prem_ayako | 2015-08-18 09:58 | psychology | Comments(4)
こうして倉敷のコースは6月6日に
廿日市のコースは7日に無事終了いたしました。

倉敷コースは、
お手伝いの方や見学のみなさん、
お母さんといっしょに来てくれた小さな子どもさんたちと共に
みんなで大広間でお昼を食べたり、お茶やお菓子をいただいたりして、
とても楽しく学べたグループでした。

これから、子どもさんたちとの関わりに
パセージ・プラスで学んだことを
生かしていっていただけたらうれしいです!


廿日市のコースは、
結果的には、とても活発で、
学びの深いコースとなりました。
いろんな突っ込んだディスカッションができましたし、
倉敷より多くのケースについて、私的感覚に踏み込んで考えることができました。

みなさんが楽しんで吸収していかれるのを見て
私自身が、いちばん楽しんでおりました!

リーダーとしての私を成長させてくださったみなさんに
心から感謝申し上げます。


個人的には、
パセージ・プラスというコースは
1章と2章は山で、それを越すと
3章は少し楽で
4章は「葛藤解決」なので、もうひと山(小さいのが)あって、
そこを越すと
5章6章は、めちゃ楽しい!
と思っています。

パセージと、パセージ・プラスの4章までとは、
「ここでは、まだこの言葉は習っていない」
「この技法は、まだここでは使えない」
という「しばり」がわりとたくさんあるのですが、

パセージ・プラスの第4章が終わったら、
・・・実はね、
あとはもう、やりたい放題だと思います(^o^)

メンバーさんは全員、
パセージのテキストもパセージ・プラスのテキストも持っておられますから、
パセージに戻って復習することもできるし
パセージ・プラスの前のページに戻ることもできます。

あるいは、事例を出したメンバーさんによっては
ちょっと新しいことを試してみてもいいかもしれません。
(たとえば4章までは絶対に扱わなかった
 夫婦関係や職場の人間関係のエピソード分析など)
なんでも自由自在というわけです。

しばりがないので、私、5・6章はかなりリラックスしております。
どうしても日程の調整がつかないとき、
私が5・6章をまとめてさせていただくのは、こういう理由なのですw


最初は学ぶことが多くて、少しハードに思えるパセージ・プラス。
でも本当にテキストがよくできているので、
最後には、ああ楽しかった~!もう終わってしまうんだ~
と言ってくださる方が多いです。

変なたとえですが、私にとってはお産みたいなもので(笑)
毎回、最初は「え~ん」と思ったりもするのですが
終わってみると、「またしたいな~」と思います。
1年に1回ぐらい、こんなチャンスがまたいただけたら、うれしいです。


さて、別に誰にも求められておりませんが
最後に決算報告を少し。

今回、2コースさせていただいて、
両コースともたくさんの方に参加していただいたおかげで
思っていたよりも多くのお金を頂戴しました。

まぁ新幹線代とホテル代で1コース分近くは消えるんですけど、
おかげさまで1コース分ぐらいは残りました。

今までは、こういったお金はいつのまにか消えていってました。
それももったいないなと思ったので
今回はこれをすべて、
ネパール支援の寄付と
チベット仏教関係のお布施に使わせていただくことにしました。

ネパール大地震の復興支援については、
どこに寄付したらよいものか、だいぶ迷ったのですが
確実に必要なところに届けていただけそうな
中原一博さんの「ルンタ・プロジェクト」に託すことに決めました。

それから、おひげリンポチェのおつきの僧侶の方から
ディクン・カギュのご本を送っていただいていましたので、
その方のアメリカのセンターにお布施しました。

それからシンガポールへ行きましたので、
ガルチェン・リンポチェに、直接お布施をお渡しし、
またリトリート主催のお寺へもお布施しました。

さらにシンガポール到着時に、3万円をシンガポールドルに換金して、
お札も小銭も、すべて、
リトリートの会場内で売っていた本やお守りの支払いに、
あるいは僧の方々へのお布施に、
並んでいる仏像へのお賽銭に、
使い切って帰ってきました。

さらに、クンツサンポさまを描いてくださった絵師のMさんに。
さらに額装代に。
・・・あれっ?足出てるじゃん(爆)

こういうお金の使い方、
いつもというわけにはいきませんけど
爽やかでした。
たまにはいいですね。
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by prem_ayako | 2015-07-04 17:23 | psychology | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako