アードラーの夢

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ラサへの歩き方

b0253075_224295.jpg映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」を見てきました。
原題は「カン・リンポチェ(=カイラス山)」です。

とても美しく、
そしていろいろ考えさせられる映画でした。


これは中国人監督による中国映画です。
北京生まれ、40歳前の張楊(チャン・ヤン)監督は、
チベットに惹かれ、
五体投地で巡礼する人々にに興味をもちました。

監督は、およそのプロットを決めて、
イメージに合う俳優を求め、チベットを走り回りました。
そして四川省の小さな村で
幼い少女から老人まで、計11人の村人を起用しました。

演者は全員、お互いによく知った村人同士です。
監督は喋ってほしい台詞の内容を、まず中国語で指示し、
それを通訳が中国語からチベット語に訳し、
演者たちはそれを自分たちの言葉(方言)で演じたということです。

なのでフィクションなのに、
まるでドキュメンタリーフィルムを見ているようでした。

政治的メッセージは皆無です。
中国共産党の姿は一切画面に現れませんし
逆にダライ・ラマ法王のお姿も、一度も出てきません。
非現実的ですが、上映のためには仕方ないことでしょう。
・・・あくまで、フィクションなのです。

村人たちは五体投地しながら、聖都ラサへ巡礼します。
四川省の村からラサまで、1200km。
大きな荷物(テントや布団、食料・調理道具など)はトラックに積んで、
老人と運転手と妊婦さん以外はみな、五体投地で進みます。
ラサからさらにカイラスまで足をのばして、1200km。
カイラス山に着いたところで映画は終わります。


全身での五体投地。
額・喉・胸で合掌し、
そのままザーッと身体を道の上に投げ出します。

皮でつくったエプロンのようなものを身につけていますが
当然、全身ほこりまみれになります。
すぐ脇を、すごいスピードでトラックが通り過ぎます。
でも村人らは、ひたすら五体投地を繰り返し進みます。

冬は吹雪の峠を越し、
夏は緑の草原を縫い、
ときには、ルンタはためく峠で祈ります。

夜は道端にテントをはってキャンプをします。
男たちは重い支柱を立て、女たちも手伝い、水を汲んで料理をします。
子どもも老人も、自分にできる仕事をします。

毎晩みんながそろって食事をして、
夜が更ければ年長者が「祈ろう」と言い
みなが「レー(そうしよう)」と答え
そろって長いお祈り(「二十一ターラ礼賛偈」?)を唱え
あとはそれぞれの寝袋にもぐりこんで眠ります。

毎日毎夜のこの繰り返しが、1年続きます!!!



あるとき、無謀な車に、トラックが追突されてしまいました。
エンジンは大破し、修理ができる町までは遠すぎます。
ラサまであと数日というところ。
「しかたがない。荷台をはずして、押して運ぼう」
老人の言葉に、みなが従います。

引く者と押す者とに分かれ、汗みずくになって男たちが運びます。
そして荷台を置いたら、引きはじめた地点にまで戻って、
そこからもう一度、五体投地で進みなおすのです。
どんな事情があろうとも、「五体投地をしないで歩く」という選択肢はありません!

重い荷台を引いて険しい坂を上るのはたいへんです。
「女たちも押してくれ!」
その言葉にすぐ女たちが走り、先を行く荷台に取りつきます。
男はみな前に回って引き、女はみな後ろから押します。
全員で、力を合わせて坂を上りながら
自然と歌声があがります。

それはたぶん、村人なら誰もが知っている古い歌。
日本でいうならたぶん、「○○のためならえ~んやこ~ら」的な歌ではないかしら。

ようやく峠を越して水辺の草原にでたとき、
若者たちは喜びのあまり、同じ歌を歌いながら輪になって踊ります。
この場面はほんとうに美しかったです!



映像的には、チベットの山々は雄大で、ほんとうに素晴らしく、
私はつい、『指輪物語』の風景を思い出しておりましたが
・・・雰囲気がまったく違うことに気がついて、はっとしました。
あの映画の基調は、恐怖でした。
でもこちらの映画は、とてもとても明るい。
たいへんな苦労をしているはずなのに、とてもおだやかで明るいのです。

生老病死の波は次々と現れますが、
それらは起こるべきことであって、敵ではないのです。
もちろん少しばかり感情は波立ちますが、人々は受け取り、対処します。
恐怖はありません。

この強さはどこからくるのでしょうか?


ひとつ思うのは、
この映画に登場する村人はみな
人生について、共通の信念をもっているということです。
それはたぶん、善因善果と悪因悪果・・・カルマの法。
善い行い(因)が善い結果(果)をもたらし、悪い行い(因)が悪い結果(果)をもたらすというもの。
これを疑う外道は、ここにはいません。

ではいったい善い行いは何で悪い行いは何か?ということについても
みなが、共通の理解をもっています。
たとえば善行とは、
仏教を信じること。
他者を思いやること。
子どもをかしこく育てること。
老人を敬うこと。
リーダーには従い、お互いにできることを協力すること。

人が人と共に生きていこうとするとき、
まず守らなければならないこれら基本的なことへの、
素朴な信念が、まったく揺るがないのです。

だから彼らは勇気があります。
淡々と善行を行おうとし、
人々の善行を勇気づけ
いつも正直であろうとします。
価値観が共有されて価値観を疑う必要のない生活は
とても安定しているのではないでしょうか。


ひるがえって現代の日本を考えると
世代によって異なる価値観があり・・・
地域によっても多様な基準をもち・・・
善悪よりも快不快で決まることが、あまりにも多い社会です。
現実のチベットだって、
この映画のような理想郷ではなくなっているかもしれませんが

あくまで物語として
あくまで理想の物語として

老若男女が同じひとつの美しい価値観をもち
それを守り伝えようと生きている姿は、とても爽やかでした。

そしてその美しさを映像に残しておこうとする監督が
漢人であったというのは、
ひょっとしたら、小さな希望のかけらなのかもしれません。


「ラサへの歩き方 祈りの2400km」予告編

 
 
 
 
 
 
 
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by prem_ayako | 2016-08-22 21:58 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako