アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

岩手の文人たち(2)

さて、花巻には「宮沢賢治記念館」もあるのですが、
3年前、スピリチュアル・ワーク後に訪れたのでパスして
代わりに盛岡にある、賢治ゆかりの「光原社」を訪れました。

「光原社」は、大正13年、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を出した出版社です。
会社のあった盛岡市材木町に
今ではその名を冠した工芸品の店や、カフェや、無料のギャラリーがあり、
ちょっとした観光スポットになっています。

ギャラリーには、『注文の多い料理店』出版の資料が展示されていました。
はじめて知ったのですが、
教科書発刊を手がける小さな出版社の社長だった及川四郎という青年が、
当時花巻農学校の教師だった宮沢賢治から大量の童話の原稿を見せられて、
ふたつ返事で出版を決めてしまったのだそうです。

b0253075_0524213.jpg意気揚々と、賢治は出版社を「光原社」と名づけ、
理想を追う及川さんは、
資金もあまりないのに、絵本の装幀にこだわり・・・

でも賢治はまだまったく無名ですし、
たいした販路はないし、
書価も高くなってしまって、
当然、本は売れませんでした。
「光原社」は大量の在庫をかかえ、泣く泣く賢治の実家が買い取ったといいます。

『注文の多い料理店』は、賢治の生前に出た唯一の童話集となりました。
ある意味世間知らずの、若者たちの無謀さが、この名作を生んだといえるのですね。

b0253075_0541192.jpg「光原社」併設のカフェは、小さいけれどとても居心地がよくて
盛岡にいる間に2度も通いました。
お店の裏庭は北上川に面していて
泊まっていたホテルからはぶらぶらと歩いていけました。

一杯ずつ淹れてくれるコーヒーも、とてもおいしくて
ちょっとした癒やしの空間でした。





最後に、多田等観のことを。

多田等観は、もともとは京都の西本願寺の僧侶で、
大谷光瑞にインドに遣わされ、ダライ・ラマ13世に謁見。
その後チベットに潜入し、ラサのセラ寺で10年修業、
日本人でありながらなんとゲシェー(仏教博士)の学位まで得て
大正12年に帰国した方です。

帰国後は東京帝大で、持ち帰ったチベット大蔵経の整理などしていましたが、
やはり終戦の年に疎開して
昭和22年から26年まで、花巻の円万寺観音堂境内に住んでおられました。

円万寺観音堂は、人里はなれた小高い山の上にあり、
今でさえ、クマなどが、かなりの頻度で出没しそうな気配です。
チベットに10年も暮らした等観には、なにほどのこともなかったでしょうけど。

b0253075_0581870.jpg梵鐘には、チベット文字が刻みつけられておりました。
観音堂には、ダライ・ラマ13世からいただいた観音像が収められていると聞きます。
私は、そういうところにいちいち感動しておりました(^^)


さきの『山居七年』に、多田等観との親交が書かれています。
大田村山口で、小学校の校長先生か誰かから多田等観を紹介され、
のちに光太郎が等観をこの阿弥陀堂に訪ねます。
b0253075_0575921.jpg 
(昭和22年9月5日)
 3人(光太郎他2人)は2っ堰に出て、そこから北にすすむ道に入りました。前方杉の木の茂った小高いところが円万寺山です。一粁半程も歩いたでしょうか、そのふもとで左手に八坂神社とかいた鳥居があり、傍に観音堂由来記の掲示や2つ3つ石碑が建ててあります。
 3人はそこから参道に入り、茂みの山に入りました。幾百かの段を上り終り、息をととのえて見渡せば一望千里の眺望です。
b0253075_1143612.jpg 鳥居をくぐると正面の奥に観音堂、左手に社務所。社務所にいた多田等観さんは3人を迎えました。挨拶がすむなり洗面器に水を汲んで出しました。先生は
「ここはいいところですなあ。」
 と喜びの声をあげました。多田さんは
「木があって見渡すのにじゃまになるようです。」
「木は伐らない方がいいです。」

 ジャガイモの皮をむきニンジンやネギを切り、魚を切身にし、お吸いものも煮魚もでき御飯も炊きました。いよいよ会食とあり、気の合った3人はみはらしの社務所で手作りのご馳走を喜び会いました。
 会食が終わってから多田さんは観音堂を案内し、御詠歌をあげ、チベット伝来の塑像千手観音や、花巻人形の観音、馬頭観音、地蔵尊について説明しました。
 本堂を出て、千年以上になるという柵がまわしてあるウバ杉のわきを通り、八坂神社の前から杉のこんもり茂っている中の細い道を100メートルばかり奥に進みますと、わき水があり、高い山の上なのにきれいな水がこんこんとわき流れています。

b0253075_134574.jpg とうとう参道の鳥居のところまで来ましたが、3人の話はつきませんでした。陽が山の方に傾いたのを見て、先生たち3人は楽しい1日を謝し、雨もよいの風景の中を帰路につきました。



花巻の町を見渡す絶景。
終戦から2年目に
多田等観と高村光太郎らが眺めたのと同じ景色が
今も変らずここには残っているようです。
[PR]
Commented by えな at 2015-09-02 23:04 x
プラスの合間に、岩手の文人めぐりの旅をしていらしたのですね~。
光太郎先生は、今でも地元の人に大変敬愛されています。
光太郎先生の、強くて、高潔で、でもどこか悲しい生き方に惹かれます。
賢治先生は、おっしゃる通り世間知らずで、一生懸命なんだけどどうにも不器用で、誠実なんだけど、生きづらかっただろうなぁ、と思います。
「朴訥で不器用」。
岩手の人にある程度共通する性質かもしれません。

岩手を気に入って頂けて、嬉しいです。
またどうぞ、遊びにいらして下さいね(^_^)
Commented by prem_ayako at 2015-09-03 17:38
そうなんですぅえなさん、参加者のみなさまは急流下りでたいへんだったのにね~(^^;) 盛岡、花巻、それから遠野までも足をのばして、岩手のこといっぱい学びましたよ。岩手の方は「ていねいでまっすぐ」なんですね!(ひらがな肯定形に変換)ホントにそう思います。またぜひ、遊びに行きますね~♪
by prem_ayako | 2015-09-01 10:20 | others | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako