アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

スピリチュアル・ワーク@越前大野

やっと本題にたどりつきました(^^;)
でも、何を書けばいいんだろう?

瞑想は美しく、マントラを歌うのが中心で
最終日は、まるで昔のアスミのような一体感がありました。
僻地で最初から遠足気分だったせいでしょうか、
みなさん、すぐにうちとけて
私もいっぱい助けていただきました(^_^)

いろんなことがありましたが
特に印象に残ったことだけお話ししましょうか。
おタクな話になるかもしれませんが
お付き合いいただけるとうれしいです。

その壱)瞑想とは何か

初日に先生が、「瞑想とは、心をひとつの対象の上にとどめること」とおっしゃいました。
考えや感情は、私の外にあるもので、私ではありません。
これに振り回されていると、
どんなに善いことをしたつもりでも、私は嫌な人、迷惑な人のままです。
考えや感情の方に意識を向けないで、
(今回のワークでは)マントラや仏さまのイメージの上に心を置くこと。
そうすることで、自分の考えや感情から距離ができて
自分の外にある大きなものとふれあえるようになる、と教えていただきました。

そして、テキストを使って
祈祷文を唱えたり
マントラを歌ったり
仏さまのイメージをしたり、
そういう練習をしていったのですが

上の文脈でいくと、
瞑想は心を何かひとつの対象の上にとどめることですから、
心をとどめおく対象は、
マントラや仏さまのイメージでなくても、よいわけです。

スピリチュアル・ワークの間は、私もテキストに従って、
先生のご指示通りの方法で瞑想をさせていただきますが、
普段、家では
「おーん」で息を吸って
「あー」で息をおなかに貯めて(火を灯して)
「ふーむ」で息を吐く(火がちらちらと揺れる)
という練習をしております。

最終日に先生は、
ガルチェン・リンポチェのご本に書いてあることとして、
「呼吸(息)」と「ルン」と「意識」の3つについて、少し触れられました。
それによると、瞑想は「おなかのルンの上に意識を置くこと」だといいます。

ああ、そうなんだ~!
息とルンとが違うということは知っていたのですが、
実際にどう捉えれば瞑想がうまくいくのか、よく分からなかったのです。
要は、意識をひとつの対象に置くことなのだなと、
ようやくつながりました。

瞑想を実践するときって
(実践って言えるほどちゃんとやっているわけではありませんが)
ほんのちょっとのヒントが、とってもありがたいことがあります。

おかげさまで、その後
「息」を吸って、「ルン」がおなかに貯まった感じがしたら、
そこではじめて「息」を止めて、
「意識」をおなかに置く、ということがスムーズにできるようになりました。

ようやく「心一境想」という感じになって参りました。
いまさらです(^^;)


その弐)勝義菩提心と世俗菩提心

7月23日の補正項に先生が

世俗菩提心をおこした修行者は、仏の勝義菩提心を思い出すことで、決心をささえていただく。つまり、衆生と仏の共同作業として修行をしていく。衆生が決心(発願)しなければ、仏は衆生を助けることはできない。仏の助け(加持)がなければ衆生は修行を続けられない。

と書いておられます。
漢字、多いですね・・・
えーと、つまり・・・

私の起こす菩提心(他の人を幸福にしようと決心する心)なんて、あてになりません。
この身は、どうしたって煩悩にまみれています。
だから、仏さまのはたらきかけ(勝義菩提心)を感じながら
私の菩提心を維持していかねばならないのじゃ!
ということでしょうか。

ワークの中でこのお話を伺ったとき、
連想して私が思い出したのは、
昨年の6月に、おひげリンポチェからお聞きしたお言葉でした。

仏さまのお力は、太陽の光のようなもの。
私たちの信仰心は、レンズのようなもの。
太陽の光は一様に降り注いでいるけれども
信仰心というレンズを、太陽との間に置けば、光は強く一点に集まります。
それが仏さまの加持をいただくということです。
逆に言うと、信仰心がなければ、たくさんの力をいただくことは難しいのです。
と。

まずは、私には力がないということを謙虚に認めなくてはなりませんね。
そして、それでもなお、私がしなければならない、と強く決心することが
アドラー心理学的にも
大乗仏教的にも
求められていることなんですね。
だからこそ、私以外の大きな力をお借りするのですね。

仏教徒は、
他の「神」を信じる宗教の方たちと違って
受動的な面と能動的な面とを
とても微妙に・・・上手にバランスをとっていく必要があるように
ときどき感じます。

勝義菩提心と世俗菩提心のお話や
おひげリンポチェの喩えなどは
その精妙なところを、うまく言い表してくださっているように思います。

ほんとうにむずかしいと思いますw
片側に振れると傲慢になり
片側に振れると依存的になり
スピリチュアルな道って、どこまでも、綱渡りのようですね。
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by prem_ayako | 2014-08-01 19:02 | tibet | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


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