アードラーの夢

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アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

ソ・ソル

(チベット語で「それぞれに」ということを「ソ・ソル」と言います)

おひげリンポチェの「般若心経」の続きを聴きに
土曜日、再び東京へ行きました。

このたびは、台風一過で
大師堂は風が吹き抜けて、とても爽やかでした。

ICレコーダに録音したものを聴き直すと
鳥の啼く声や、風がマイクを叩く音が入っていて
風情があります。

般若心経のご講義は、午前午後2時間ずつを使って無事に終わりましたが
講義の後の質疑の時間に
私にとって、たぶん一生忘れられない学びがありました。


ある女性が質問しました。
たぶん台湾から来られた方だと思います。
自分の手提げにお仏像などを入れて置いていたら、
昼休みに、その手提げをまたいで行った人がいる。
これはすごく罪なことだと聞いている。
自分はどうすればいいでしょう?
また、またいだその人はどうすればいいでしょう?

リンポチェのお答えは、
「今日教えた般若心経をよく読んで理解しなさい」でした。

女性は「でも気持ちが悪くて」と言って、
リンポチェの前に手提げ袋を持って出ようとしました。
お浄めか何かをしてもらおうと思ったのかもしれません。

リンポチェは続けて説かれました。
「あなたは仏像が穢れた、気持ちが悪いと言うが、
全てのものには実体がない。従って汚れるということもない。
あなたの心は、空性である虚空の手前に置いたガラスのようなもので
そこに汚れがついたと思いこんでいるだけだ。
仏の力を信じなさい。経典を読んで理解しなさい。」

お言葉の途中で女性はハッと気がついて
笑顔になって手を合わせました。

(ああ、おひげリンポチェは素敵です。
 仏像をまたぐなんてけしからん!真言を唱えて浄めなさい!
 なんてことはおっしゃいません!)

私はこの時まで、「般若心経」に書かれていることは
どこか遠いところのお話みたいに思っていて、
自分の身にひきつけて考えていなかったことに気がつきました。

ここに書かれていることは
そのまま現実(真実?)であって
それをリンポチェは体得しておられる。。。

座学が、一瞬で実践と結びついた気がして
くらくらしました。



知的な初老の男性が、いろいろと難しい質問をしていました。
リンポチェは、「それはいい質問だ」と
嬉しそうにお答えになっておられました。

なにやら、
ナーガルジュナ(龍樹)がどうとか
仏陀釈迦牟尼がどうとか、という質問で
私にはほとんど理解できなかったのですが・・・

ところが、リンポチェがチベット語でお答えになるのを聴いていると、
まだ通訳の方が日本語に訳してくださる前に
不思議なことが起こりました。

私は、突然、手を合わせたくなって
身体がかっと熱くなって
涙が出そうになったのです。

それは、その質問に対するお答えの間、続きました。
(チベット語ー日本語の通訳は、ふつう一文一文訳しません。
 区切りがつくまでチベット語のお話が続いて
 それからまとめて日本語に訳されます。
 法王のお話など、長いときは10分ほどもチベット語が続くことがあります)

私は、突然の自分の変化が不思議でした。
あぁ私は今、とても感動しているな、と思いました。
背中も熱いし顔まで熱くなってきたし・・・

一体私は何に感動しているのだろう?
リンポチェのご様子が特に熱心だから?
リンポチェのお話が素晴らしいから?
でも、今のこのお言葉の意味は、まだ全く分かっていないのに?

リンポチェが言葉を切られると、
通訳の方が、日本語に訳してくださいました。
それは、仏陀(サンギェー)と信仰心(デーパ)についての
とても、とても、美しいたとえ話でした。

私にとっては、この2回の東京行きで
もっとも身にしみるお話でした。

それで私は、言葉を介さずに
このお話の大切さを理解したことが分かりました。
お話の内容ではなく、
お話の本質が、ダイレクトに伝わっていたのです。


仏陀は、百人の衆生に異なる質問をされても
一言お答えになるだけで
その場の全ての人に答えを与えることができたといいます。

また仏陀のお言葉は、それぞれの衆生の耳に
それぞれの地方の言葉で聞こえ
理解することができたといいます。

実際、あるチベットの高僧のお説法を
ラサ語とアムド語のふたりの弟子が
同時に聞いて理解することができたと、
その場にいた人から聞いたことがあります。


おひげリンポチェも私に、
言葉を越えて
教えをくださったのだと思います。


振り返ると、どのような質問者のどのような質問に対しても
おひげリンポチェはひとつひとつ丁寧に
それぞれの理解に合わせてお答えになっておられました。

実際的な質問には、実践の方法を与え、
知的な質問には、博学な知識を与え、

リンポチェのお答えは質問者に対してだけでなく、
あの場にいた参加者みなに対して
まったく個人的に、
それぞれに必要なものを伝えていたのでしょう!

ひょっとしたら、これが空性ということかもしれません。
同じ体験をしているように表面的には見えているけれど、
みなそれぞれが違うことを体験しています。
縁起によって・・・。

現実って何でしょう?
見えているものは全て、人によって違います。
誰もが一生懸命、自分の認識の中で目標を追求しています。
「ソ・ソル」
それぞれに・・・

私はこれからもう少し、やさしくなれるかもしれません。
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Commented by 酒井朋子 at 2013-06-25 09:46 x
なんか、すごい体験ですね。言葉がでません。こんな体験、私はまだ一度もしたことないです。
Commented by prem_ayako at 2013-06-25 20:25
いいえ、すごくなんかありません。チベット語が日本語で聞こえたというなら、ちょっとすごいですけど~(^^) 
by prem_ayako | 2013-06-25 00:56 | tibet | Comments(2)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako