アードラーの夢

ayakoadler.exblog.jp

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。

色即是空

お友だちに誘われて
徳島の山の中へ行ってきました。

とりとめのないお話ですが、
よろしければおつきあいください。


行きの高速バスの中で、
Garchen Rinpoche の般若心経の Commentary を読みました。
英語なのですが、こういうものは漢字だらけのものを読むよりも
英語だからこそまだ少しは分かりやすい・・・ということがあります。

Form is emptiness

形あるもの全て(=色)は、それ自体としては空(=空性)である
(太字は私訳)
この世の事象は何一つとして、そのものだけでは存在していません。
花も花瓶も、太陽や水や、作り手や素材がなくては成り立ちません。
それを「自性がない=空性」といいます。
確固としたもののように思える「自分」も、また同じです。

Emptiness is form

それ自体として空であるからこそ、全てのものが形をもって現れ出る
ここが難しいのですが、is はむしろ brings out ではないかしら。
因と縁によって、そのときそのとき、
形あるものが生じては消えていくのではないかしら。
だから全てが無常で、
瞬間瞬間の生滅が、絶え間なく繰りされているのではないかしら。
ひょっとしたら時間って非連続なのではないかしら。
縁起・空性・無常は、すべて同じことを言っているのではないかしら。

などと考えておりました。


で、まずは11番札所の藤井寺へお詣りし、
そこから12番の焼山寺へと向かいました。

焼山寺。
おそらく阿波一国の中で
もっともきびしい立地に建つ札所でしょう。
3,4年前にヨランタたちといっしょに登った
20番鶴林寺・21番太龍寺と同じぐらいか、
あるいはさらなる難所と言われます。

高度は700mほどでそう高くありませんが、
登り下りを繰り返さないと山の上の宿坊に着きません。
「遍路ころがし」と呼ばれる急坂が6つもあります。

ずっとずっと以前、
まだアドラーギルドでブリガードという野外ワークのあった頃、
ある春のお遍路に初めて参加して、1番から11番まで歩きました。
私はその頃ひどい貧血で
ちょっとした坂や階段でも、すぐに息を切らしていましたので、
翌年の春、この12番焼山寺へのコースがあったのを
とてもじゃないけれど無理だと思って参加しませんでした。
残念ながら、それが最後のブリガードだったんです。

その後に子宮筋腫をとったので貧血も治り、
かよわい(?)奥さんだったのが、
いまや健康なオバサンになりましたんで(笑)
満を持して、登ります。

それでもグループで行くのは、やっぱり無理だったかもしれません。
今回は個人で行きましたので
足弱の私のペースに合わせてもらって、
ゆっくりゆっくり登ることができたのです。



よじ登るぐらいの急坂が続きます。。。
特に歩き始めが、きついです。
お遍路杖を両手で持って、
それを支えに、やっとこさ身体を持ち上げます。
鶴林寺や太龍寺への山道も、ここまで大変ではなかったです。
正直いやんなりますが(-_-)
それでも少しずつは進みます。

・・・そのうちに
ただ、次の足をどこに置くか
急斜面のどこに杖をつくか
それだけしか考えないようになりました。

そして身体が少し持ち上がったら
また次の足をどの石の上に置くか
次の杖をどこにつくか
意識が、それだけに向かうようになりました。

そうしていると、
なんということでしょう、あんなに苦しかったのに、
気がつくと、まるで永遠に歩き続けられるかのように
平気で登っている自分がいました。
身体は、重力に逆らって登ることを喜んでいました!

ほんとうに不思議なことです。
(私の限界は人と比べてかなり低いのですけど)
ある限界を突破すると、
体力は消耗しているはずなのに
心はしーん、と鎮まって
どこからかエネルギーが湧いてくるのです。

たぶんドーパミンが出まくって
深い瞑想状態に入っていたんでしょうねぇ。


色即是空空即是色
私の身体もそれ自体としては空であって
実体のない、ただの器。
苦しいのも虚妄分別
楽しいのも虚妄分別

そんな「ミニさとり」をしながらの山登りでした。。。
[PR]
by prem_ayako | 2013-03-27 21:43 | travel | Comments(0)

アードラー先生は夢を見なかったそうです。しかしてアードラーの夢とは兎の角、虚空の華、ガンダルヴァの城、空、幻・・・。


by prem_ayako